ヴィーナスは微笑む

三章

第５３話 淡い恋心

「まさか、千早がナナちゃんの友達だったとはねー。いやぁ、世間は狭い」


拓海が、いつもの笑顔でカラカラと笑う。


一方千早のほうはブスッとした表情のまま、不機嫌そうだ。


「ほんと狭いね。会いたくもない奴に会っちゃうんだから。」


千早は皮肉交じりに素っ気なく吐き捨てる。


「久しぶりに会った元恋人にそんな冷たくしないでよ、千早ちゃーん。」


「やめろ。」


二人のやり取りを見ていて、舞は思わずクスリと笑ってしまう。


千早は素っ気なく返しているが、心から嫌がってるわけじゃない。


それが舞には分かっていた。


ここ数か月千早を見てきて、千早の鉄仮面の裏に隠された優しさを知っているから。


なんというか、拓海と千早の間には切れない信頼関係のようなものが見て取れた。



まさかこの二人が元恋人だったなんて。


お似合いそうに見えるけど、なんで別れちゃったのかな。


なんて、そんなこと聞いたら千早に怒られそうだけれど。


じっと千早を見ていると、舞の考えを察したように千早が面倒くさそうにため息を吐いた。



「拓海のほうから別れを切り出されたんだよ。友達以上には見れないって。」


「そうだったんですか。」


拓海はバツが悪そうにポリポリと頬を掻く。


そういえば。


俺クール系はダメだから、と言っていた拓海を思い出す。



「まぁまぁ、いいじゃん。もう過去のことだし。この話はやめやめ！」


拓海は両手を突き出して制す。


「……そうだな。もう笑い話だよな。」


そう言って目を細めた千早の表情が、なぜか寂し気に見えた。


しかし次の瞬間、顔を上げた千早は元の鉄仮面に戻っていた。


「舞、今日仕事何時に終わる？」


「えっと…今日は１５時には終わるけど。」


「じゃあ、その後ちょっと話さないか？」



**********



夕方、仕事が終わるとすぐに着替えて外へ出た。


空を見上げると雨雲が広がっていてゴロゴロと音を鳴らしている。


今にも雨が降ってきそうだ。


「よぉ。」


ハスキーな声が耳に届き、振り向くと千早が手を上げてこちらに近づいてきていた。


「仕事終わりに悪かったね、雨が降りそうだから歩きながら話そう。」


「ううん、何もないし大丈夫。行こうか。」


舞と千早は肩を並べて歩き始めた。



「なぁ、舞。こんなことってあるんだな。」


「え？」


「こんな偶然ってあるんだなって思ってさ。振られた相手に再会しちゃうなんてさ。」


千早はそう言って微苦笑する。


いつもは無表情で冷たい印象の彼女だが、なんだか今日の千早は女の子っていう感じの顔だ。


なんだかまるで……。



「もしかして千早さん、拓海さんのこと…好き？」


「はぁっ？！誰が！誰を！なんで！」


とたんに千早は顔を真っ赤にしながら早口でまくしたてる。


すごく分かりやすい。


「……そうだよ、まだ好きだよ。拓海のこと。」


またムスッとした表情で口をㇸの字にする千早。


こんな子供っぽい顔もするんだ、と思わず顔が綻ぶ。


「いいじゃない。人を好きになれるって素敵なことだと思うよ。今の千早さんの顔、自然体で好きだな。」



これは本心だ。


今の舞には、恋愛というものが眩しくて仕方なかった。


人を好きになることに臆病になっている舞にとっては、そういう感情を持てることが羨ましい。


自分もまたいつか、恋ができる日がくるのだろうか。



「……」


「拓海さんとヨリは戻さないの？」


「無理だろ。あっちから振ってるし。拓海は私のことなんとも思ってないよ。」


「そんなこと分からないよー。気持ちは変わるものだよ。」


「……私のことはもういいんだよ。拓海とどうこうなるなんてこれっぽっちも思ってないから。それより舞はどうなんだ？」


いきなり振られて舞は目をしばたたかせる。


「え？」


「なんだかさっきの言い方、自分には恋愛できないみたいな言い方だったけどさ。舞だって好きな奴とかいないの？」


「……いないよ。」


思わず千早から顔を背ける。


ふと竜一のことが頭に浮かび、涙がこみ上げそうになるのを必死に堪えて口角を持ち上げて笑った。


「今は恋愛はいっかな！こうやって千早さんと仲良くなれたし、今はそれで充分！」


千早は納得していない様子だったが、そっか、とだけ言って笑ってくれた。