ヴィーナスは微笑む

蒼井 結花理

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二章

第35話 忍び寄る魔の手

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陽菜子と竜一が付き合うことになった、と二人から聞いたのはその一週間後のことだった。


瑞穂が"良かったわね"と真っ先にお祝いの言葉を言っている横で、舞も一応"おめでとう"と伝えたつもりだが、上手く笑えていたかは定かではない。


だけど、陽菜子は幸せそうにはにかんで"ありがとう"と笑った。


その笑顔を見たとたん、胸に黒いものが沸き上がってくるのを、舞は必死で抑え込んでいた。



もちろん竜一が、陽菜子を異性として好意を寄せていたのは感じていた。


だから、諦めようと何度も思っていたし、応援もしたいと思っていたのは本当だった。


舞にとっては陽菜子も大事な友達だったから、その陽菜子を傷つけたくなかった。


だけど、心が動いてしまうのはどうしようもなかった。


竜一に向かう気持ちを、どうしても止めることができないでいた。



それでも、陽菜子にだけはバレてはいけない、と必死に隠していたのだが。


ある日の学校の帰り道、瑞穂が切り出した言葉に舞は凍り付いた。



「舞、大丈夫?」


「え?なにが?」


「竜一くんのこと。」


言われてびくり、と肩が反応した。


「舞、竜一くんのこと好きだったんでしょう。」


「…どうして…?」


「見ていたら分かるわよ。舞が竜一くんを見る目は他の男の子に対してとは違ったもの。大丈夫、おそらく陽菜子はまだ気づいていないと思うわ。あの子鈍感なところあるから。私ももちろん、そんなことは言うつもりない。」


「そっか。」


「だけどあの鈍感さが人を傷つけることもあるわよね。陽菜子は純粋だけど、その純粋さが時には罪になる。舞、今まで相当辛かったでしょう。必死に想いを隠して、陽菜子のために気持ちを飲み込んで。」



瑞穂の言葉が、槍のように胸に容赦なく突き刺さっていく。


彼女の言うとおりだった。


陽菜子のために、舞は我慢をしてきた。


自分だけ。


陽菜子がそんなことは露知らず幸せそうな顔をしている中、舞は自分だけ気持ちを押さえてきた。



どうして自分だけが…?


瑞穂に言われたことで、今まで抑えてきた黒い感情が溢れ出してくる。



「ん、でも陽菜子には悪気ないから。それにあの子が悪いわけじゃないし。」


必死の思いでそれだけ言うと、瑞穂は軽く息を吐いた。


「舞は優しいわね。いつも相手のことを思って、我慢したりするの。そういうところ私は好きだし、舞の素敵なところだと思ってるわよ。けど、もう少し、自分に素直になってみてもいいんじゃないかしら。」


「自分に、素直に…。」


瑞穂から言われた言葉を口で噛みしめるように復唱する。


瑞穂はすっと目を細めて舞を見つめてきた。


「せめて、私の前では我慢しなくていいよ。」


その一言に、つん、と鼻の奥が痛くなり、喉の奥が詰まる。


やはり、瑞穂は優しい。


自分のことを一番理解してくれているのは瑞穂なのだ、と舞は思った。




瑞穂と別れ、最後の角を曲がり、顔を上げてはっとなった。


家の前に立つ人物。


呼び鈴を押そうと手を伸ばしかけていた彼女が、こちらに気付いて手を止める。


彼女の肩で切りそろえられたボブカットが、風に揺れる。


「……あ。」


「陽菜子。」


「おかえりなさい。」


「……どうしたの?」


思ったよりも低く発せられた自分の声に、舞ははっとする。


陽菜子は笑みを浮かべたが、なんとなく表情は暗かった。


顔色もひどく悪い。


「ちょっとだけ、お話しない?」


「…いいよ。」


瑞穂とのやり取りがあったばかりの今、陽菜子と話すのはなんとなく躊躇われたが、舞は了承した。



「どうしたの?」


陽菜子が途中で買ってくれたオレンジジュースを飲みながら、二人はどこへ行くともなく歩を進めていた。


陽菜子はジュースを持ったまま何も言わず、俯いている。


「どうしたの?調子でも悪い?」


もう一度聞くと、陽菜子は薄く唇を開いた。


「あのね。…最近、いたずら電話がかかってくるの。」


「えっ?」


舞は飲もうとしていたペットボトルから口を離した。


「家にってこと?」


「…最初は家だったけど、最近はスマホに。」


「それって、いつからなの?」


「……二週間くらい前だったと思う。」


舞は顔をしかめる。


二週間ほど前と言うと、クラスで陽菜子が庇ってくれた時あたりだろうか、と舞は頭の中で記憶を辿る。


やはり、あのことが引き金になったのか。



「いたずらって、具体的にはどういう電話がかかってくるの?」


「最初はただの無言電話だったの。で、そのうちエスカレートして"ブスが""いい気になるな""宮坂竜一に近づくな"ってひどい言葉を言われるようになって。」


陽菜子は怯えるように手をぎゅっと握りしめた。


「…"宮坂竜一に近づくな"?ってことは、まさか竜一くんのことを知ってる人ってこと…?」


「そうだと思う…。」


どうして陽菜子にそんなことをするのだろうか。


普通に考えれば、竜一に好意を寄せている人の仕業…?


「電話の相手は、女の人だった?」


「それが、ボイスチェンジャー使ってるみたいで分からないの。でも竜一くんに近づくなってことは、普通に考えたら女の人なのかなって。」


陽菜子の言う通り、そう考えるのが妥当だろう。


それに、竜一を知っているとなると、うちの学校の中に犯人がいるということになる。


「それは、誰かに話した?」


問うと、陽菜子は弱々しく首を横に振った。


「こんなこと、話せるわけないよ。最初一回お母さんが無言電話取ったことあるけど、ただのいたずらだと思ってると思う。」


「そっか。」



陽菜子が自分を信用して一番最初に相談してくれたと思うと、ほんのりと心が温かくなる。


先ほどまで陽菜子に向かっていた黒い感情が、今は消え去っていた。


大丈夫、自分はまだ陽菜子のことを応援してあげれる。



「陽菜子、これからはできるだけ一緒に帰るようにしよう。念のため、一人にはならないほうがいいと思う。」


提案すると、陽菜子は幾分かホッとしたように表情を緩めた。
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