ヴィーナスは微笑む

蒼井 結花理

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一章

第13話 知らぬが仏

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カメラのカシャ、カシャ、という無機質な音を聞きながら、七瀬舞はシャッターを切り続けていた。


カメラ越しに目に入り込んでくる光景に、思わず顔を歪めてしまう。



あれからも、新谷友樹の行動は何一つ変わっていなかった。


いや、むしろエスカレートしていった。


瑞穂に対しての暴力は見ていてどんどんひどいものになっていき、瑞穂は体に痛々しい痣を何度も作っていた。


毎日瑞穂を人気のない体育館裏に呼び出しては、暴力を振るっていたのだった。



それでも、瑞穂は気丈に振る舞い、舞の前では決して笑顔を絶やさなかった。


"もし舞が私を庇ったりしたら、舞にまでひどいことをされるかもしれないから。"と、見ても見ぬふりを続けるように、何度も釘を刺してきた。


そんな瑞穂の姿を見る度、舞は胸が締め付けられる思いだった。



今も、バシンッという重々しい音が、何度も何度も耳に届いてくる。


瑞穂が殴られているのを何もせずに見ていろ、というのは舞には酷な話でもあった。



新谷友樹は、妹がいると言っていた。


とても可愛がっているだろうことが、あの様子からも十分伝わってきた。妹の前では、"良き兄"なのだろう。




ふと、妹は兄がこういうことをしていると、知っているのだろうか?と思った。


いや、知らないだろうな、とすぐさまその考えを打ち消す。


聞いている限り、妹も友樹のことをずいぶんと慕っているのだろう。



可哀そうな子だ、と舞は思う。


真実を知らないほうが、よっぽど幸せだろう。知らぬが仏とはこのことだ。


しかし、この計画のためにはそんなこと言っていられない。


もし自分の兄が、こんなことをしているなんて知ったら…この写真を見たら、妹はどう思うのだろうか。


慕っていた分、どんなにかショックも大きいことだろう。



そんなことを思いながら、舞は目の前で繰り広げられる光景を、カメラへと残していく。


こんなことが、もう何日も繰り返されていた。




瑞穂から電話がかかってきたのは、帰宅して着替えを済ませ、のんびりとリビングのソファでくつろいでいた時だった。


窓から夕陽が差し込み、室内を茜色に染めている。



『ねぇ、舞。今日はこれから予定ある?』


電話に出ると、いつもよりワントーン低い声で瑞穂は言った。


「何もないよ。着替え終わって、のんびりしてただけ。」


どうしたの、と尋ねると、瑞穂は今から家に来ない?と言ってきた。


『何があったとかじゃないんだけど、急に舞と話したくなっちゃったの。』


「え?」


『急だし、だめ、かしら…?』


弱々しく儚げな瑞穂の声に、鼻の奥がつんとするのを感じる。


胸の奥に、ほんのりと灯りが灯ったような、あたたかい気持ちになる。


瑞穂の詠うような繊細な声色は、耳にとても心地よい。



「ううん、大丈夫。暇だったし」


『良かった。それなら…そうね、16時くらいでどう?舞、私の家に一度しか来てないから道も曖昧でしょう?近くの桜木公園覚えてる?そこまで迎えに行くから。』


「うん、覚えてる。そしたら、支度したら行くね。」



受話器を置いて、時計を見る。


見ると15時12分だった。舞はクローゼットに向かい、どれを着ていこうかと物色する。


しばらく迷った結果、白地にワンポイントのお花が描かれたシンプルなワンピースを着ていくことにした。


髪を束ねてポニーテールにし、お気に入りの白いコスモスの花が描かれたシュシュを付ける。


お出かけ用のバッグを手に取り、テーブルに置いてあった財布をバッグに押し込んで玄関を出た。



舞のほうが先だったらしく、公園に着くとまだ瑞穂の姿はなかった。


公園の中にあるベンチに腰を下ろす。




その時、突如ポケットに振動を感じ、手をポケットの中に滑り込ませる。


スマートフォンの画面を見ると、瑞穂からだった。


遅れるのかな?…首を軽く傾げながら画面をタップして耳にもっていく。


すると、



『舞ッ!!!!!!!』


受話器からは、荒い呼吸音と共に、切羽詰まった瑞穂の叫び声が聞こえてきた。


「瑞穂?ど、どうしたの?」


舞はスマートフォンを持つ手に力を込める。


『た、たすけて……今、まだ家、なんだけど……新谷、くんが……』


「え?ちょ、いったい何が……」


そこまで言ったところで、電話はプツッと途切れる。



瑞穂の家、覚えてるだろうか。


そんな疑問も浮かぶより前に、舞は駆け出していた。
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