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第一章

第12話

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外に出ると、風が頬を優しく撫でていく。


緊張のせいで火照っていた顔の熱が、ゆっくりと冷えていく感覚がした。


千尋は酸素を求めるように、深く深呼吸をする。


西園寺家にいる時の緊張感が、少しだけ和らいだ。



千尋が家庭教師として西園寺家に出向くのは、週に三回。


最初のうちは果穂と瑞穂に会えるのを、ただ単純にとても楽しみにしていた。


だけど…


街灯の薄い明かりに照らされた道を歩きながら、千尋はあごに手を当てる。


西園寺家には、色々と深い事情がありそうだ。


それも、おそらくはあまりよろしくない事情が。


他人の家庭のことを詮索してはいけないと分かりつつも、なんとなく気になってしまう。


母親に聞いても、おそらく教えてはくれないだろう。


というより、話すらまともには聞いてもらえない。


だったら自分が、果穂と瑞穂にそれとなく探りを入れてみるか。



「何をぶつぶつ言ってるの?」


いきなり肩をぽんと叩かれ、千尋はおもわず飛びのいた。


思わず構えてしまったが、相手の顔を確認して顔を緩ませる。


目尻が下がった人の好さそうな笑顔が、目の前にあった。


「な、なんだ、湊か。びっくりさせないでよ。」


「ご、ごめんごめん。びっくりさせたわけじゃないんだけど。にしてもその反応はひどいなぁ。いくら僕が影が薄いからって。」


湊が頬をぽりぽりと掻きながら、苦笑する。


これは湊の癖だ。


「うっ…湊ごめん。そんなつもりじゃ。」


「冗談冗談。それより、もしかして家庭教師終わって帰るところ?」


「うん、そう。」


「そっか、夕飯はこれから?」


「うん、そうだよ。」


「だったら、これからご飯でも一緒にどう?あそこにちょうどファミレスあるでしょ。」


そう言って湊は向かい側にあるファミレスを指差した。


ちょうどいい。


お腹も空いていたし、ずっと気が張っていた後だから湊と話せるのは良い気分転換になる。


千尋にとって、湊は癒しの存在だった。


優しくて、バカがつくほど真面目で、純粋で。


その上容姿も良いから、大学ではそれなりに人気もある。


そんな彼が、私を選んでくれたなんて夢みたいな話なのだ。




ファミレスに入ると、ちょうど夕飯時だからか店内は比較的混みあっていた。


千尋はオムライス、湊はハンバーグ定食を注文した。


湊はほっそりしているけれど、良く食べる。


千尋はどちらかというと小食で残してしまったりするのだが、湊は千尋の分まで食べてくれたりした。


湊は先にきていたアイスコーヒーを一口啜ると、両手を組んで体を乗り出してきた。


「で、何があったのさ?」


「へっ?」


湊の唐突な問いかけに、千尋は目をしばたたかせる。


「さっき考え事してたみたいだったからさ。何かあるなら聞くよ。」


「ああ…」


千尋は自分のオレンジジュースを啜りながら答える。


「なんていうか、西園寺さんの家に行くと緊張しちゃってね。」


「緊張?そりゃ、お金持ちの家だから誰だって緊張くらいはするでしょ。」


「違うの、そういうことじゃないのよ。」


千尋は湊の言葉をすぱっと遮る。


「そうじゃなくって、あの家の空気っていうのかな。」


「空気?」


「うん。なんか訳ありみたいなんだよねぇ。ご夫婦の関係性もなんだかぎくしゃくしてる感じだし、父親が娘二人に対しての態度が違ったりとか。」


「ふぅん?でも、娘それぞれに態度が違うのってそれ普通じゃないのかな?俺だって姉貴がいるけどさ、親は姉貴のことはめちゃくちゃ可愛がるし過保護だけど、俺のことなんか完全放置だよ。」


「それは、男と女だからでしょ。女の子二人なのよ?それにまだ中学生だもの。」


「…まぁ、それもそっか。そうかもしれないね。」


「それにね、あの子たち二人ともすごく頭が良いのよ。家庭教師なんて必要ないくらい。それなのにどうして家庭教師なんて雇ったのかしら。」


千尋のいつになく真剣な表情に、湊も笑顔を消してきゅっと引き締めた。


「そっか。千尋は色々と気になっているんだね。」


「まぁ…ね。西園寺家に週に三回は行くわけだからさ、見ているとどうしても気になっちゃって。」


そう言うと、湊はふっと優しい笑顔になってこくりと頷いた。


「一緒にいる時間が結構長いから気にしちゃう千尋の気持ちも分かるよ。だけど、あまり他の家庭のことだから気にしすぎるのは良くないと思う。ないとは思うけど、下手に首をつっこんで、もし千尋がその家庭のことに巻き込まれでもしたらどうするんだい?そっちの方が心配だよ。」


「……湊。」


眉を下げて心から心配そうに見つめてくる湊に、じーんと胸の奥が温かくなる。


湊はいつだって、こうして私のことを心配してくれる。


否定することもせずに、きちんと私の気持ちを受け止めてくれる。


その上でダメなことはダメだと伝えてくれる、そんな湊の優しさがありがたかった。


湊の手に自分の手を重ねれば、その手はひんやりとしていた。



「それに、意外となんでもないことかもしれないじゃないか。思春期だから、果穂ちゃんの反抗期なだけかもしれないし、家庭教師を雇ったのだってただ単に念には念を入れてってだけかもだよ。教育に熱心な親ならなおさらさ。もしかしたら娘さんの教育方針の違いで、ぎくしゃくしてるのかもしれないよね。」


「そう…そうよね。あまり考えないようにするわ。」


重ねた手から感じるぬくもりが、千尋の体温と混じり合っていく。


湊と話したことで、氷が溶けていくように心が温まっていくのを感じた。



そしてちょうど話が一つ段落したタイミングで、オムライスとハンバーグ定食が運ばれてきたのだった。
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