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1巻
1-3
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そんな教えを受けてから三日後の今日。
僕は自室で魔力制御をしている。
魔力制御とは、魔法を使うための最初の基本だと先生から教わった。
そうです。基本がまだ出来ていないんだよ、僕は。
「魔法を使う基本は何でしょうか? リーンオルゴット様、分かりますか?」
「イメージでしょうか?」
魔法を使う時にはイメージが大切だと、前世で読んだ本の多くに書かれていた。
「それもありますが、最も基本となるのは『魔力制御』です。魔力を制御出来なければ、暴発や不発……もっと言えば、発動しない事さえあるのですよ」
「ふむふむ……」
前世の知識はやっぱり邪魔だった。イメージとか言った僕、恥ずかしいじゃないか!
そう言われてから教えて貰った『魔力制御』のやり方は、殆ど瞑想に近いものだった。それを「簡単そうだ」と思ったあの時の僕を殴ってやりたい。
体の中にある魔力を外へ動かすのは確かに簡単だったのだけど、先生に言われた「指先へ魔力を集めてから、体全体を覆うように」という緻密な作業が上手く行かない。特に体を覆うのが難しい。
僕の魔力量が多いからなのか、全身を均一に覆うように魔力を練る事が出来ないんだ。
魔力量が多いというのは、この練習をしているうちに自然とそう感じた。
疲労感もなく、ずっと魔力を出し続けられるからだ。
だけど、この魔力量を制御するのは、かなり難しいと思いますよ、先生。
それとも、もしかして僕は、魔法を扱う才能が無いのかもしれない?
そう思うと何だか……泣けてくるんだけど……
魔力制御を出来るようになったのは、この日からさらに三日も後の事だった。
†
自分の名前は、カールべニット・シルフォードです。
生まれはテステニア王国。そこは、平たく言えば宗教国家です。
教皇様が国王を務めていて、魔法は神聖な物だとされ、その使用方法にも、規定があります。
自分は、魔力視の中でも特に強い力を持つ、黒い瞳の持ち主でした。
その魔力視を使って、テステニア王国でも有名な魔法師団に所属していたのですが、二十歳の時にアルペスピア国の魔法師団の一人と模擬戦をした際、自分を含む団員全員が負けたのです。
そう、たった一人に負けてしまったのですよ。
それが悔しくて悔しくて仕方が無かったのですが、その腕前の素晴らしさに驚愕したのも事実です。
それをきっかけにアルペスピア王国へと渡り、そこの魔法師団に入ったのですが、この国の素晴らしさは魔法だけではありませんでした。
魔法を使う事が日常的で、使い道が自由な事にも驚いたのですが……二十四歳となった自分に、ルーナ領の領主様からこんな手紙が届きました。
『未知数の才能を持つ我が子の、魔法教師となってくれないか。君の『黒き瞳』は、まだ見ぬ世界を目撃する事になるだろう』
あの日、これは軽い嫌がらせなのだろうと不快感を抱いた自分を、今では愚かだと思っています。
言われた通りルーナ領へ入り、その領主、アルフォンス・ルーナ・アルペスピア様に会った時、自分はその魔力の多さに驚きました。
テステニア王国なら将軍クラスの魔力量なのに、魔法師団には所属せず領主をしているのです。
何て勿体無い! と、憤りさえ感じてしまいました。
しかし、この国にはアルフォンス様と同程度の魔力を持っている人は普通に居るのですから、何もおかしくはありません。
魔法発祥の地とは、こういう事なのだろうと思いました。
魔法が日常的に使われる。それは、魔法の訓練を、毎日しているようなものなのです。
使えば使う程に魔力の量は増えるのですから……
その領主様から紹介されたのが、領主様の次男のリーンオルゴット様です。
自分の年齢に対して驚く姿や、四歳児らしい愛らしさに、子供のお守りだと高を括っていました。
その子供の魔力量を見るまでは……
魔力視の説明をして、リーンオルゴット様の魔力量を見ました。
すると、そこに居たのは〝子供〟ではなかったのです!
リーンオルゴット様の体から溢れ出る、様々な光の嵐が見えました。
目の前に居るのは四歳の子供のはずなのに、その魔力量は〝世界を凌駕する程〟です。
こんな魔力量は見た事がありません!
ハッと思い出しました、領主様からの手紙に書かれていた事を。
『……まだ見ぬ世界を目撃する事になるだろう』
まさにその通りでした……
こんな魔力の嵐は見た事がない、いえ、生涯もう二度と無いだろうと思いました。
彼は本当に子供なのでしょうか?
こんな量の魔力を外に溢れ出させているのに、魔力枯渇にもならずに、そこに居るのですから。
魔力量に驚いた自分は、慌てて魔力視の使用をやめたのですが、その後も暫くは視界がぼやけました。ここまで強い魔力を見た事が無かったからでしょう。
魔力視を切ってから、もう一度リーンオルゴット様を見たのですが、首を傾げた彼はきょとんとした表情でそこに居ました。
その不自然さに恐怖しました……
見た目は愛らしい、ただの子供なのです。
そもそも、この状態で生きている事が信じられませんでした。
魔力の制御もせずに、垂れ流しているのです。それは体内に、無限の魔力がある事を示していました。
あまりの事に体が震えました……
彼の深い青色の瞳が、少し揺れるだけで背筋が凍ります。
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
〝子供〟の姿をした〝魔物〟なのではないか……と。
しかし、すぐにそうではないと気が付きました。
彼の髪の毛が、光の加減のせいか、白に見えたからです。
ストン、と胸に落ちました。
ああ、この子は〝神に近い存在〟なのだろうと。
無限とも言える量の魔力も、神に近い者だと考えれば納得がいきますから。
将来はこの世界の、頂点に立つ御方になるのかもしれません。
もしかしたら人の身で、神へと至る御方なのかもしれません……
そのような御方に、自分は魔法の正しい使い方を教えるのです。
こんなに誉れな事は、生涯でこの時だけかもしれないのですよ、リーンオルゴット様。
この時程アルぺスピア王国に来て、良かったと思えた瞬間は他にありません。
リーンオルゴット様の力になれる事が、一番幸せなのです。
ええ。幸せで誉れなのですよ? ですが……
三日後の今、目の前で必死に魔力制御をするリーンオルゴット様に、心の中で「申し訳ない」と謝罪しました。
実は、自分が教えた「体全体を覆うようにする」というのは、『魔力制御』ではありません。上級者が使用する『魔力均一』という技です。
あの魔力量の嵐が怖いので、それを体の中に収める、又は溢れ出る量を減らす為に『魔力均一』をさせているのです。
自分が怖いからと、そんな難しい技を三日もさせてしまっている事に、心の中で謝罪しました。
リーンオルゴット様には、いつか自分の口から謝罪しよう……そう思います。
今はですね、その……魔力が垂れ流しにされているので、自分は怖くて近寄れないのです!
†
魔法の家庭教師、カールべニット先生を迎えてからもうすぐ三ヶ月が経つ。
この三ヶ月で、先生とも仲が良くなったと思う。
リーンオルゴット様呼びから、リーン様になった。
先生には魔法だけじゃなくて、国や世界の事……例えばこのアルペスピア王国の事も、色々と教えて貰いました!
先生の話では、テステニア王国よりもアルペスピア王国の方が、魔力量の多い人が沢山居るらしい。
また魔法の使い方や詠唱も、アルペスピア王国の方が「工夫されている」って言っていた。
テステニア王国では魔法は神聖な物だからと、使い方が決められてるらしいんだ。
僕はきっとこの国からは出ないだろうから、それについて、あまり詳しくは聞かなかった。
きっと国ごとに、それぞれ色々な決まり事があるんだろうなぁ~と聞き流したんだよね。
テステニア王国とアルぺスピア王国以外の国については、先生も分からないと話していた。
カールべニット先生は、僕が『魔力制御』が出来るようになってからは結構フレンドリーな感じで、何かある度に「リーン様はきっと、将来は世界を統べる程の魔法師に!」とか言い出して、瞳をキラキラさせていたよ。
世界とかいらないですから。
僕は、僕の大切な人達を守れれば、それでいいのです。
でも冒険は、ちょっと憧れるよ! いつかは僕も冒険へと……
「ご卒業、おめでとうございます! レーモンド様」
「あはは。皆様、ありがとうございます」
あ、そうだった。
今はレーモンド兄様の、学園卒業パーティーの最中でした。
今日この館では、卒業式を無事に終えたレーモンド兄様の、学園卒業パーティーが開かれている。
他の土地の領主や、懇意にしてる方々が、僕の家のパーティー会場へやって来て、色々と交流したり挨拶したりと……とにかく人が沢山居る。
兄様はこれから領主館で父様の元で働くらしく、先程から色々な方と話している。
そんな中僕は、運ばれて来る料理を見る度に、ドキドキしていた。
キョロキョロと辺りを見回すと、料理長が僕の視線に気が付き、満面の笑みを返してくれる。
どうやら料理は上手く仕上がったようです。
実は、この料理には僕のアイディアが使われている。
話は数日前に遡る。僕は、ある事を探りに館の厨房に向かった。
領主館で出る料理は、メニューが殆ど変わらない。今まではそんなものかと思っていたけど、先生曰く、ルーナ領には食料品が沢山あるという。
どうして色々な料理が出て来ないんだろう? と、気になった僕は、厨房を見に行く事に決めた。
そこで出会った料理長は、僕の存在を迷惑そうにしてたけど。
はじめは全く会話してくれなかった料理長さんに苦労しつつ、厨房で色々と話を聞いたら、食品の仕入れ先が決まっている事が話題に上った。
ここが領主館という事もあり「先代から続く契約のもとで、仕入れ先や品物が決まってます」と料理長は言った。
料理長の判断で勝手に食材を仕入れる事は出来ず、領主が決めたものを使っていたようだ。
僕は食材を一つ一つ見ては、脳内にある前世の記憶を含めた、今まで食べてきた料理の味を思い出して、再現出来そうか照合していった。
そして仕入れ業者にも会い、「こういう味の食材はありますか?」なんて、口を出したのだ。
業者の人はとても優しく、懇切丁寧に教えてくれた。
その食材を買い付けた僕は、料理長と一緒に厨房で「あぁだ、こうだ」と話し、新しい料理を増やしていった。
何度かそうしている内に、料理長は僕の事を認めてくれたらしく「次はどうします?」なーんて、声をかけてくれるようになった。
魔法を使いながらの料理は意外と楽しくて、僕も調子に乗りながら、あれこれと作ったのだった。
前世は海苔とお米ばかりだったから、こんなに色んな料理を食べられるのは嬉しい。まあ、ただ海苔が好きだからという理由でそんな食生活を送っていた、前世の自分のせいなんだけど。
そして、お披露目に丁度いいこの日に、僕と料理長の新作料理がテーブルに並んだのだった。
「りょ、領主様! こここ、この料理は何ですか?」
「領主様! こちらの美味しい料理は、どうやって作られたのですか!」
料理を口にした人達が、父様に詰め寄り口々に「美味しい!」「このような味は食べた事がない!」「素晴らしいですよ!」と、賛辞を述べては、作り方を聞いているのが見えた。
何も知らなかった父様が困惑しながら「料理長に聞いてください」と言うと、今度は料理長が質問攻めにあい始めた。
そんな人達を横目に、僕は料理をパクパク食べる。
「鮭のムニエルとタルタルソースとか、簡単なのにな~」
他にもエビフライにコロッケ、唐揚げなどが僕の目の前に並んでいる。
そうです。この世界には「蒸し焼き」や「揚げ料理」は浸透してないらしいのです。
僕は試食でも沢山食べた料理に、また舌鼓を打ちながら、次は何を作ろうか? と、食材を思い浮かべてニヤニヤした。
生活魔法とは、本当に便利だ。
蒸し焼きにする為に使う『蒸す』や、『揚げる』などの魔法は、詠唱がいらない。
ただ、使うにはイメージが大切で、僕のように実際に見た人が居ないからか、考え出されてこなかったみたいだ。この料理方法には料理長も驚いてたな。
前世の知識はここで役に立った!
魚も『焼く』か『煮る』のが殆どで、僕のやった調理法を見て、料理長を筆頭に厨房勤務の方々が必死に覚えてた。
その様子を思い出して、また僕はニヤニヤしてしまった。
「リーン? ちょっと他の部屋に行こうか」
「う? 父様?」
呼ばれるような心当たりが無い僕は、ニコニコと手招きする父様に、首を傾げながらついて行く。
この日僕は、厨房への口出しを自重する事や、魔法を〝作る〟前に父様に報告するなどの、不思議な約束事をさせられた。
ちなみに、もう作ってしまった料理やデザートについては、父様からお願いされて、一つ一つ説明しました。
それからルーナ領では、父様から料理店へ、新たな料理のレシピが販売された。
アイスクリーム、シャーベット、パフェ、シュークリームタワー、プリン、ゼリー……いずれも僕が教えたものだった。
他の料理のレシピは、暫く検討してから販売するらしいです。
スローガンはこの通り。
「美味しい料理は、世界を救う!」
領主館へ来ていたお客様への、料理長のお言葉を借りました。
†
兄様の卒業パーティーから数日経ったある夜。
【……ぃね……が】
僕がベッドの中に入って寝ようとすると、知らない人の『声』がした。
その声は遠くの方から聞こえて来て、まるで電波の悪いラジオだ。途切れ途切れでハッキリとは聞こえない。
【お……い……て…………おね……たす……】
声では性別は分からなかった。低過ぎず、高過ぎず、耳にスッと入って来るような声で心地いい。
だけどね、僕はベッドの中でうとうとしているのさ。せっかく寝ようとしている時に、ハッキリと聞こえない声に邪魔されれば、苛立ちもする。
イライラが募り、意識が覚醒してしまった。僕は眠れなくなった事への不満を漏らす。
「ちゃんと喋ってよ……」
声は窓の外から聞こえたように思う。そちらにムスッとした視線を送ると、白い光がピカッと瞬き、視界いっぱいに広がった。
真っ白になった視界に、僕は息を呑んだ。
次の瞬間――
【おねがい! たすけて!】
「わぁ!」
急に大きな声が耳元で聞こえ、僕は悲鳴を上げて飛び起きた。
部屋の中は真っ暗だった。まだ夜なのは間違いないようだ。
窓の外から聞こえた声を確認しようとしたら、閉め切ったカーテン越しに白い光が点滅しているのが見えた。その光を見ようと、カーテンをそっと開ける。
結構遠くの方で光っている。
「あの辺りには何があるんだろう?」
僕はこの家から出た事がないから、土地勘がない。あれがどの辺りなのかも分からない。
静かに窓を開けてから「どうしよう?」と考える。
「助けて」って言われたんだよね? 誰に言われたのかは分からないけど……
僕は思わずぐっと腕を伸ばし、白い光へ手を翳す。
このまま、あの白い光が点滅してる所へ行けたらな……
そう思った瞬間、僕の体が様々な物体を、通り抜けていった。
まるで体が透明になって、エスカレーターで移動したかのようだ。
「⁉」
気が付くと目の前には、割れたり倒れたりした鉢植えが転がっていた。
人は居ないのに、鉢植えだけがいくつも転がっている。
キョロキョロと頭を動かして鉢植え達を見た。何故ここに一瞬で来られたのかよりも、この光景に驚いて目が釘付けになる。
「酷いな……誰がこんな事を?」
せっせと横倒しになっている鉢植えを元に戻す。両手は土まみれになったけど、それも気にならなかった。
割れていた鉢も、元に戻した。というか不思議な事に、両手で持っただけで、鉢は勝手に直ったんだよね。
僕が何かをしたつもりはないんだけれども、ひとりでに割れる前の状態に戻るんだ。
何度かそれを繰り返していると、だんだん眠くなってきて、終わる頃には目がショボショボとした。
ふと、一つの鉢植えに、小さな芽が出ているのに気が付く。
「んむ、元気に育ってね……」
葉をツンッと指先でつついたら、どうやら『回復』の魔法を発動してしまったらしく、小さな芽を白い光が包み込む。
鉢を持った時には、この白い光は出なかったから、油断していたよ。
あー、回復の魔法を使ってしまったーと焦ったけど、「植物だから害はないよね?」と思い直し、その鉢を地面に置こうとした。
その時、鉢植えからあの声が聞こえた。
【ありがとう】
「あれ? 君なの?」
【はい 私が呼びました】
「そっかぁ、もう大丈夫?」
【大丈夫です 宜しかったら 私を連れて行ってください】
「え? 君は誰かの物なんじゃないの?」
【……】
聞き返した時にはもう声が聞こえなくなっていて、「どうしよう?」と芽の出た鉢を持ってうろうろしてしまう。
そろそろ部屋に帰らなきゃいけないのに!
慌てて自分が来たであろう方を向くと、また体が勝手に物体を通り抜けていく。
ここに来た時と同じ現象だった。
気付けば自分の寝室の真ん中で、芽が出た鉢を持って立っていた。
何が起こったのか分からなくて、思わずパチパチと瞬きをする。
「むむむ? これは夢なのかな……」
色々と何かが起きたはずなのだけど、眠いから取り敢えず鉢植えをベッドの横のサイドテーブルに置いて、布団に潜り込んだ。
鉢植え達が散らばっていたのは確かに外だったはずなのに、不思議だ。
でも、眠いし、今はベッドの中だし……と、うとうとしてきた頭で『クリーン』の魔法をかけ、僕は意識を手放してしまった。
翌朝、目が覚めるとサイドテーブルには昨日の鉢植えがあった。
「夢のようだけど、夢じゃない……」
チョンッと葉をつつくと、何処からか【クスクス】と笑う声が聞こえた気がした。
†
僕はすくすくと成長して六歳になった。
あの日の不思議体験は、誰にも言えないでいる。父様や先生は勿論、誰にもだ。
きっと話したら色々と聞かれそうだし、説明が出来ないから話せないのだ。
あの鉢植えの木は、今は大きくなって小さな幹から枝を伸ばし、葉をいくつも茂らせている。
たまに会話するけど、殆ど寝ているらしい。声をかけても返事が来たり来なかったりなのだ。
前に、何をしているのかと聞いたら、寝てると教えてくれた。
成長には睡眠が必要だよね~。
ところで、僕は後一年で学園に入学出来る。
通うのは、兄様や姉様と同じテールレア学園だと思う。
初等部(七、八、九歳)、中等部(十、十一、十二歳)、高等部(十三、十四、十五歳)の学年編成で、色々な人が日々勉強していると聞いた。
「あまり傍を離れないでくださいね」
「はい」
今日は学園に通う為の準備として、人に慣れるのを目標に、護衛さんを付けて初めて外に出ている。
このルーナ領で、一番人の多い場所へ行く予定だ。
敷地から歩いて外へ出ると、区画整理がきちんとされた事が窺える、住宅街が見える。
領主館から近い地区は、それなりの身分の人達が住んでいるらしく、大きく広い家が並んでいた。
そこから海側に向かって建物は続いているようだ。
海に近づくにつれて、家の大きさは小さくなるらしい。
領主館に比べるとどの家も小さいけど、違和感は無い。そもそも僕の家が大き過ぎるんだよ。
暫く歩くと、平民の人達が暮らす辺りに差し掛かった。ここの建物でようやく普通だと思える。僕のこの感覚が、庶民のものなら、という条件付きだけど。
これでも王族の血を引いている僕の傍には、カールべニット先生と、父様が所有している騎士団の中から、二名程護衛として付いて来ている。
各領内には必ず騎士団があって、町の警邏を担当しているんだ。
護衛の騎士さん達は、ルーナ領の紋章が入った鎧を着ている。
この団体で行動したら、目立つと思うんだけど……
歩いている内に、マーケットみたいに賑わう広場が見えてきた。奥の方には噴水がある。
ここが先生の言う、一番賑わっている所なのか。流石に人が多いよう……
人の多さに気が引けるけど、慣れないと学園には行けないんだ。
何せこの世界に転生してから僕は、軽い引きこもり生活を送っていたからね。
この世界に慣れる為には、ここが頑張りどころだ。
早速、先生がこの場所の解説をしてくれる。
「着きましたね。ここはルーナ領の中でも一番人の通りが多い場所です。ここの区画の一つ先には冒険者ギルドと商業ギルドがあります。薬師ギルドは二つ先です」
「なるほど」
店先で物を売る人や、商店の看板が目に入った。
看板に描かれているのは、文字ではなくて絵だ。絵で何のお店なのかを表してるんだね。
ざっと見た様子だと、やっぱり見るからに貧しい人は居ないか。領税があるから、収入がなければ領内には住めないもんね。
ルーナ領にスラム街はない。領民への仕事の斡旋は、父様の仕事の一つなんだ。
まぁ、父様が領主になる前から、スラム街は無かったらしいんだけど。
区画は整理され、仕事は斡旋される。
今の街が綺麗なのは、父様の功績なのだろうか。
視界に入る整った街並みに、そう思った。
僕は自室で魔力制御をしている。
魔力制御とは、魔法を使うための最初の基本だと先生から教わった。
そうです。基本がまだ出来ていないんだよ、僕は。
「魔法を使う基本は何でしょうか? リーンオルゴット様、分かりますか?」
「イメージでしょうか?」
魔法を使う時にはイメージが大切だと、前世で読んだ本の多くに書かれていた。
「それもありますが、最も基本となるのは『魔力制御』です。魔力を制御出来なければ、暴発や不発……もっと言えば、発動しない事さえあるのですよ」
「ふむふむ……」
前世の知識はやっぱり邪魔だった。イメージとか言った僕、恥ずかしいじゃないか!
そう言われてから教えて貰った『魔力制御』のやり方は、殆ど瞑想に近いものだった。それを「簡単そうだ」と思ったあの時の僕を殴ってやりたい。
体の中にある魔力を外へ動かすのは確かに簡単だったのだけど、先生に言われた「指先へ魔力を集めてから、体全体を覆うように」という緻密な作業が上手く行かない。特に体を覆うのが難しい。
僕の魔力量が多いからなのか、全身を均一に覆うように魔力を練る事が出来ないんだ。
魔力量が多いというのは、この練習をしているうちに自然とそう感じた。
疲労感もなく、ずっと魔力を出し続けられるからだ。
だけど、この魔力量を制御するのは、かなり難しいと思いますよ、先生。
それとも、もしかして僕は、魔法を扱う才能が無いのかもしれない?
そう思うと何だか……泣けてくるんだけど……
魔力制御を出来るようになったのは、この日からさらに三日も後の事だった。
†
自分の名前は、カールべニット・シルフォードです。
生まれはテステニア王国。そこは、平たく言えば宗教国家です。
教皇様が国王を務めていて、魔法は神聖な物だとされ、その使用方法にも、規定があります。
自分は、魔力視の中でも特に強い力を持つ、黒い瞳の持ち主でした。
その魔力視を使って、テステニア王国でも有名な魔法師団に所属していたのですが、二十歳の時にアルペスピア国の魔法師団の一人と模擬戦をした際、自分を含む団員全員が負けたのです。
そう、たった一人に負けてしまったのですよ。
それが悔しくて悔しくて仕方が無かったのですが、その腕前の素晴らしさに驚愕したのも事実です。
それをきっかけにアルペスピア王国へと渡り、そこの魔法師団に入ったのですが、この国の素晴らしさは魔法だけではありませんでした。
魔法を使う事が日常的で、使い道が自由な事にも驚いたのですが……二十四歳となった自分に、ルーナ領の領主様からこんな手紙が届きました。
『未知数の才能を持つ我が子の、魔法教師となってくれないか。君の『黒き瞳』は、まだ見ぬ世界を目撃する事になるだろう』
あの日、これは軽い嫌がらせなのだろうと不快感を抱いた自分を、今では愚かだと思っています。
言われた通りルーナ領へ入り、その領主、アルフォンス・ルーナ・アルペスピア様に会った時、自分はその魔力の多さに驚きました。
テステニア王国なら将軍クラスの魔力量なのに、魔法師団には所属せず領主をしているのです。
何て勿体無い! と、憤りさえ感じてしまいました。
しかし、この国にはアルフォンス様と同程度の魔力を持っている人は普通に居るのですから、何もおかしくはありません。
魔法発祥の地とは、こういう事なのだろうと思いました。
魔法が日常的に使われる。それは、魔法の訓練を、毎日しているようなものなのです。
使えば使う程に魔力の量は増えるのですから……
その領主様から紹介されたのが、領主様の次男のリーンオルゴット様です。
自分の年齢に対して驚く姿や、四歳児らしい愛らしさに、子供のお守りだと高を括っていました。
その子供の魔力量を見るまでは……
魔力視の説明をして、リーンオルゴット様の魔力量を見ました。
すると、そこに居たのは〝子供〟ではなかったのです!
リーンオルゴット様の体から溢れ出る、様々な光の嵐が見えました。
目の前に居るのは四歳の子供のはずなのに、その魔力量は〝世界を凌駕する程〟です。
こんな魔力量は見た事がありません!
ハッと思い出しました、領主様からの手紙に書かれていた事を。
『……まだ見ぬ世界を目撃する事になるだろう』
まさにその通りでした……
こんな魔力の嵐は見た事がない、いえ、生涯もう二度と無いだろうと思いました。
彼は本当に子供なのでしょうか?
こんな量の魔力を外に溢れ出させているのに、魔力枯渇にもならずに、そこに居るのですから。
魔力量に驚いた自分は、慌てて魔力視の使用をやめたのですが、その後も暫くは視界がぼやけました。ここまで強い魔力を見た事が無かったからでしょう。
魔力視を切ってから、もう一度リーンオルゴット様を見たのですが、首を傾げた彼はきょとんとした表情でそこに居ました。
その不自然さに恐怖しました……
見た目は愛らしい、ただの子供なのです。
そもそも、この状態で生きている事が信じられませんでした。
魔力の制御もせずに、垂れ流しているのです。それは体内に、無限の魔力がある事を示していました。
あまりの事に体が震えました……
彼の深い青色の瞳が、少し揺れるだけで背筋が凍ります。
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
〝子供〟の姿をした〝魔物〟なのではないか……と。
しかし、すぐにそうではないと気が付きました。
彼の髪の毛が、光の加減のせいか、白に見えたからです。
ストン、と胸に落ちました。
ああ、この子は〝神に近い存在〟なのだろうと。
無限とも言える量の魔力も、神に近い者だと考えれば納得がいきますから。
将来はこの世界の、頂点に立つ御方になるのかもしれません。
もしかしたら人の身で、神へと至る御方なのかもしれません……
そのような御方に、自分は魔法の正しい使い方を教えるのです。
こんなに誉れな事は、生涯でこの時だけかもしれないのですよ、リーンオルゴット様。
この時程アルぺスピア王国に来て、良かったと思えた瞬間は他にありません。
リーンオルゴット様の力になれる事が、一番幸せなのです。
ええ。幸せで誉れなのですよ? ですが……
三日後の今、目の前で必死に魔力制御をするリーンオルゴット様に、心の中で「申し訳ない」と謝罪しました。
実は、自分が教えた「体全体を覆うようにする」というのは、『魔力制御』ではありません。上級者が使用する『魔力均一』という技です。
あの魔力量の嵐が怖いので、それを体の中に収める、又は溢れ出る量を減らす為に『魔力均一』をさせているのです。
自分が怖いからと、そんな難しい技を三日もさせてしまっている事に、心の中で謝罪しました。
リーンオルゴット様には、いつか自分の口から謝罪しよう……そう思います。
今はですね、その……魔力が垂れ流しにされているので、自分は怖くて近寄れないのです!
†
魔法の家庭教師、カールべニット先生を迎えてからもうすぐ三ヶ月が経つ。
この三ヶ月で、先生とも仲が良くなったと思う。
リーンオルゴット様呼びから、リーン様になった。
先生には魔法だけじゃなくて、国や世界の事……例えばこのアルペスピア王国の事も、色々と教えて貰いました!
先生の話では、テステニア王国よりもアルペスピア王国の方が、魔力量の多い人が沢山居るらしい。
また魔法の使い方や詠唱も、アルペスピア王国の方が「工夫されている」って言っていた。
テステニア王国では魔法は神聖な物だからと、使い方が決められてるらしいんだ。
僕はきっとこの国からは出ないだろうから、それについて、あまり詳しくは聞かなかった。
きっと国ごとに、それぞれ色々な決まり事があるんだろうなぁ~と聞き流したんだよね。
テステニア王国とアルぺスピア王国以外の国については、先生も分からないと話していた。
カールべニット先生は、僕が『魔力制御』が出来るようになってからは結構フレンドリーな感じで、何かある度に「リーン様はきっと、将来は世界を統べる程の魔法師に!」とか言い出して、瞳をキラキラさせていたよ。
世界とかいらないですから。
僕は、僕の大切な人達を守れれば、それでいいのです。
でも冒険は、ちょっと憧れるよ! いつかは僕も冒険へと……
「ご卒業、おめでとうございます! レーモンド様」
「あはは。皆様、ありがとうございます」
あ、そうだった。
今はレーモンド兄様の、学園卒業パーティーの最中でした。
今日この館では、卒業式を無事に終えたレーモンド兄様の、学園卒業パーティーが開かれている。
他の土地の領主や、懇意にしてる方々が、僕の家のパーティー会場へやって来て、色々と交流したり挨拶したりと……とにかく人が沢山居る。
兄様はこれから領主館で父様の元で働くらしく、先程から色々な方と話している。
そんな中僕は、運ばれて来る料理を見る度に、ドキドキしていた。
キョロキョロと辺りを見回すと、料理長が僕の視線に気が付き、満面の笑みを返してくれる。
どうやら料理は上手く仕上がったようです。
実は、この料理には僕のアイディアが使われている。
話は数日前に遡る。僕は、ある事を探りに館の厨房に向かった。
領主館で出る料理は、メニューが殆ど変わらない。今まではそんなものかと思っていたけど、先生曰く、ルーナ領には食料品が沢山あるという。
どうして色々な料理が出て来ないんだろう? と、気になった僕は、厨房を見に行く事に決めた。
そこで出会った料理長は、僕の存在を迷惑そうにしてたけど。
はじめは全く会話してくれなかった料理長さんに苦労しつつ、厨房で色々と話を聞いたら、食品の仕入れ先が決まっている事が話題に上った。
ここが領主館という事もあり「先代から続く契約のもとで、仕入れ先や品物が決まってます」と料理長は言った。
料理長の判断で勝手に食材を仕入れる事は出来ず、領主が決めたものを使っていたようだ。
僕は食材を一つ一つ見ては、脳内にある前世の記憶を含めた、今まで食べてきた料理の味を思い出して、再現出来そうか照合していった。
そして仕入れ業者にも会い、「こういう味の食材はありますか?」なんて、口を出したのだ。
業者の人はとても優しく、懇切丁寧に教えてくれた。
その食材を買い付けた僕は、料理長と一緒に厨房で「あぁだ、こうだ」と話し、新しい料理を増やしていった。
何度かそうしている内に、料理長は僕の事を認めてくれたらしく「次はどうします?」なーんて、声をかけてくれるようになった。
魔法を使いながらの料理は意外と楽しくて、僕も調子に乗りながら、あれこれと作ったのだった。
前世は海苔とお米ばかりだったから、こんなに色んな料理を食べられるのは嬉しい。まあ、ただ海苔が好きだからという理由でそんな食生活を送っていた、前世の自分のせいなんだけど。
そして、お披露目に丁度いいこの日に、僕と料理長の新作料理がテーブルに並んだのだった。
「りょ、領主様! こここ、この料理は何ですか?」
「領主様! こちらの美味しい料理は、どうやって作られたのですか!」
料理を口にした人達が、父様に詰め寄り口々に「美味しい!」「このような味は食べた事がない!」「素晴らしいですよ!」と、賛辞を述べては、作り方を聞いているのが見えた。
何も知らなかった父様が困惑しながら「料理長に聞いてください」と言うと、今度は料理長が質問攻めにあい始めた。
そんな人達を横目に、僕は料理をパクパク食べる。
「鮭のムニエルとタルタルソースとか、簡単なのにな~」
他にもエビフライにコロッケ、唐揚げなどが僕の目の前に並んでいる。
そうです。この世界には「蒸し焼き」や「揚げ料理」は浸透してないらしいのです。
僕は試食でも沢山食べた料理に、また舌鼓を打ちながら、次は何を作ろうか? と、食材を思い浮かべてニヤニヤした。
生活魔法とは、本当に便利だ。
蒸し焼きにする為に使う『蒸す』や、『揚げる』などの魔法は、詠唱がいらない。
ただ、使うにはイメージが大切で、僕のように実際に見た人が居ないからか、考え出されてこなかったみたいだ。この料理方法には料理長も驚いてたな。
前世の知識はここで役に立った!
魚も『焼く』か『煮る』のが殆どで、僕のやった調理法を見て、料理長を筆頭に厨房勤務の方々が必死に覚えてた。
その様子を思い出して、また僕はニヤニヤしてしまった。
「リーン? ちょっと他の部屋に行こうか」
「う? 父様?」
呼ばれるような心当たりが無い僕は、ニコニコと手招きする父様に、首を傾げながらついて行く。
この日僕は、厨房への口出しを自重する事や、魔法を〝作る〟前に父様に報告するなどの、不思議な約束事をさせられた。
ちなみに、もう作ってしまった料理やデザートについては、父様からお願いされて、一つ一つ説明しました。
それからルーナ領では、父様から料理店へ、新たな料理のレシピが販売された。
アイスクリーム、シャーベット、パフェ、シュークリームタワー、プリン、ゼリー……いずれも僕が教えたものだった。
他の料理のレシピは、暫く検討してから販売するらしいです。
スローガンはこの通り。
「美味しい料理は、世界を救う!」
領主館へ来ていたお客様への、料理長のお言葉を借りました。
†
兄様の卒業パーティーから数日経ったある夜。
【……ぃね……が】
僕がベッドの中に入って寝ようとすると、知らない人の『声』がした。
その声は遠くの方から聞こえて来て、まるで電波の悪いラジオだ。途切れ途切れでハッキリとは聞こえない。
【お……い……て…………おね……たす……】
声では性別は分からなかった。低過ぎず、高過ぎず、耳にスッと入って来るような声で心地いい。
だけどね、僕はベッドの中でうとうとしているのさ。せっかく寝ようとしている時に、ハッキリと聞こえない声に邪魔されれば、苛立ちもする。
イライラが募り、意識が覚醒してしまった。僕は眠れなくなった事への不満を漏らす。
「ちゃんと喋ってよ……」
声は窓の外から聞こえたように思う。そちらにムスッとした視線を送ると、白い光がピカッと瞬き、視界いっぱいに広がった。
真っ白になった視界に、僕は息を呑んだ。
次の瞬間――
【おねがい! たすけて!】
「わぁ!」
急に大きな声が耳元で聞こえ、僕は悲鳴を上げて飛び起きた。
部屋の中は真っ暗だった。まだ夜なのは間違いないようだ。
窓の外から聞こえた声を確認しようとしたら、閉め切ったカーテン越しに白い光が点滅しているのが見えた。その光を見ようと、カーテンをそっと開ける。
結構遠くの方で光っている。
「あの辺りには何があるんだろう?」
僕はこの家から出た事がないから、土地勘がない。あれがどの辺りなのかも分からない。
静かに窓を開けてから「どうしよう?」と考える。
「助けて」って言われたんだよね? 誰に言われたのかは分からないけど……
僕は思わずぐっと腕を伸ばし、白い光へ手を翳す。
このまま、あの白い光が点滅してる所へ行けたらな……
そう思った瞬間、僕の体が様々な物体を、通り抜けていった。
まるで体が透明になって、エスカレーターで移動したかのようだ。
「⁉」
気が付くと目の前には、割れたり倒れたりした鉢植えが転がっていた。
人は居ないのに、鉢植えだけがいくつも転がっている。
キョロキョロと頭を動かして鉢植え達を見た。何故ここに一瞬で来られたのかよりも、この光景に驚いて目が釘付けになる。
「酷いな……誰がこんな事を?」
せっせと横倒しになっている鉢植えを元に戻す。両手は土まみれになったけど、それも気にならなかった。
割れていた鉢も、元に戻した。というか不思議な事に、両手で持っただけで、鉢は勝手に直ったんだよね。
僕が何かをしたつもりはないんだけれども、ひとりでに割れる前の状態に戻るんだ。
何度かそれを繰り返していると、だんだん眠くなってきて、終わる頃には目がショボショボとした。
ふと、一つの鉢植えに、小さな芽が出ているのに気が付く。
「んむ、元気に育ってね……」
葉をツンッと指先でつついたら、どうやら『回復』の魔法を発動してしまったらしく、小さな芽を白い光が包み込む。
鉢を持った時には、この白い光は出なかったから、油断していたよ。
あー、回復の魔法を使ってしまったーと焦ったけど、「植物だから害はないよね?」と思い直し、その鉢を地面に置こうとした。
その時、鉢植えからあの声が聞こえた。
【ありがとう】
「あれ? 君なの?」
【はい 私が呼びました】
「そっかぁ、もう大丈夫?」
【大丈夫です 宜しかったら 私を連れて行ってください】
「え? 君は誰かの物なんじゃないの?」
【……】
聞き返した時にはもう声が聞こえなくなっていて、「どうしよう?」と芽の出た鉢を持ってうろうろしてしまう。
そろそろ部屋に帰らなきゃいけないのに!
慌てて自分が来たであろう方を向くと、また体が勝手に物体を通り抜けていく。
ここに来た時と同じ現象だった。
気付けば自分の寝室の真ん中で、芽が出た鉢を持って立っていた。
何が起こったのか分からなくて、思わずパチパチと瞬きをする。
「むむむ? これは夢なのかな……」
色々と何かが起きたはずなのだけど、眠いから取り敢えず鉢植えをベッドの横のサイドテーブルに置いて、布団に潜り込んだ。
鉢植え達が散らばっていたのは確かに外だったはずなのに、不思議だ。
でも、眠いし、今はベッドの中だし……と、うとうとしてきた頭で『クリーン』の魔法をかけ、僕は意識を手放してしまった。
翌朝、目が覚めるとサイドテーブルには昨日の鉢植えがあった。
「夢のようだけど、夢じゃない……」
チョンッと葉をつつくと、何処からか【クスクス】と笑う声が聞こえた気がした。
†
僕はすくすくと成長して六歳になった。
あの日の不思議体験は、誰にも言えないでいる。父様や先生は勿論、誰にもだ。
きっと話したら色々と聞かれそうだし、説明が出来ないから話せないのだ。
あの鉢植えの木は、今は大きくなって小さな幹から枝を伸ばし、葉をいくつも茂らせている。
たまに会話するけど、殆ど寝ているらしい。声をかけても返事が来たり来なかったりなのだ。
前に、何をしているのかと聞いたら、寝てると教えてくれた。
成長には睡眠が必要だよね~。
ところで、僕は後一年で学園に入学出来る。
通うのは、兄様や姉様と同じテールレア学園だと思う。
初等部(七、八、九歳)、中等部(十、十一、十二歳)、高等部(十三、十四、十五歳)の学年編成で、色々な人が日々勉強していると聞いた。
「あまり傍を離れないでくださいね」
「はい」
今日は学園に通う為の準備として、人に慣れるのを目標に、護衛さんを付けて初めて外に出ている。
このルーナ領で、一番人の多い場所へ行く予定だ。
敷地から歩いて外へ出ると、区画整理がきちんとされた事が窺える、住宅街が見える。
領主館から近い地区は、それなりの身分の人達が住んでいるらしく、大きく広い家が並んでいた。
そこから海側に向かって建物は続いているようだ。
海に近づくにつれて、家の大きさは小さくなるらしい。
領主館に比べるとどの家も小さいけど、違和感は無い。そもそも僕の家が大き過ぎるんだよ。
暫く歩くと、平民の人達が暮らす辺りに差し掛かった。ここの建物でようやく普通だと思える。僕のこの感覚が、庶民のものなら、という条件付きだけど。
これでも王族の血を引いている僕の傍には、カールべニット先生と、父様が所有している騎士団の中から、二名程護衛として付いて来ている。
各領内には必ず騎士団があって、町の警邏を担当しているんだ。
護衛の騎士さん達は、ルーナ領の紋章が入った鎧を着ている。
この団体で行動したら、目立つと思うんだけど……
歩いている内に、マーケットみたいに賑わう広場が見えてきた。奥の方には噴水がある。
ここが先生の言う、一番賑わっている所なのか。流石に人が多いよう……
人の多さに気が引けるけど、慣れないと学園には行けないんだ。
何せこの世界に転生してから僕は、軽い引きこもり生活を送っていたからね。
この世界に慣れる為には、ここが頑張りどころだ。
早速、先生がこの場所の解説をしてくれる。
「着きましたね。ここはルーナ領の中でも一番人の通りが多い場所です。ここの区画の一つ先には冒険者ギルドと商業ギルドがあります。薬師ギルドは二つ先です」
「なるほど」
店先で物を売る人や、商店の看板が目に入った。
看板に描かれているのは、文字ではなくて絵だ。絵で何のお店なのかを表してるんだね。
ざっと見た様子だと、やっぱり見るからに貧しい人は居ないか。領税があるから、収入がなければ領内には住めないもんね。
ルーナ領にスラム街はない。領民への仕事の斡旋は、父様の仕事の一つなんだ。
まぁ、父様が領主になる前から、スラム街は無かったらしいんだけど。
区画は整理され、仕事は斡旋される。
今の街が綺麗なのは、父様の功績なのだろうか。
視界に入る整った街並みに、そう思った。
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