六芒星の奇跡

あおい たまき

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九章・真実

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 海斗が何か一生懸命に喋っている。けれど、私の耳には届かない。キーンという耳鳴りだけが響いていた。

「小さい頃から心臓に爆弾を抱えていてね、何度も神様に会って、その都度、まだ早いって、まだ生きなさいって言われて、こちら側に戻ってきて……ようやく数年前に手術が出来た」

 遠くに聞こえる海斗の言葉。昔どこかで、聞いたような話だ。それはどこだったか……うまく思い出せない。

「それから体調が戻らなくて仕事も続かなくてさ……ここに来たのは療養のためだった。来週から、また仕事がはじまる」
 ぐるぐる回る頭。

「いや、いやだ、そんなのいや!」
 本音を悲鳴のように吐き出す。やっと、手に入れた……安息の場所だった。どうして手放さなければいけないのか。


どうして海斗は……こんな残酷なことを口にするのか。


「はるか、聴いて」
「いや、聴かない、絶対聴かないっ」
私は耳をふさいで抵抗する。海斗は、耳をふさいだ手を包むように握ると、穏やかな声で呼んだ。

「ゆう」
 ゆう……その声が聴こえた瞬間、私の中で何かが音をたてた。涌き出る湯水のように、曖昧だった記憶が繋がっていく。

「ゆう、だろ?この手首の六芒星」


 私の名前ははるか。
 悠と書いて、はるか。

 ゆう。数年前まで確かに私は、ネットの世界でそう名乗っていた。明るい自分を装って、笑うふりをして自分を保っていた頃の、通り名。

 たったひとり、そんな私に気がついて声をかけてくれた。頑ななわたしが、学校で起こる地獄も、自傷行為も、六芒星にこめた願いのことも、すべてさらけ出せた私のともだち。

 海岸の清掃を提案してくれた。いつも頑張ってるなってメッセージを発信してくれた。お守りにチャームを送ってくれた。

 唯一のともだち彼の名前は
「……ウミ?」

 海斗は、笑う。
「そうだよ、ゆう。俺は、ウミだ」
 ウミのおかげで、私は自傷のループから抜け出せた。

 だけど、チャームを贈ってくれてからすぐ、ウミからの連絡は、途絶えた。簡単な手術をすると言って、すぐに戻ってくるよ、と言って。


 一年あまりの間、連絡を待ちわびた私はついに……
 ああウミは、新しい世界に飛び立っていったんだと悟り、ネットの世界から遠のいた。


 涙が、こぼれ落ちる。

「どう……して」
 どうして、連絡してくれなかったの。そんな思いでやっと口にする。海斗は、申し訳なさそうにうつむいた。

「あのときの手術、本当は成功する確率がとても低かったんだ。手術受けて成功してみても、痛みと熱が続いて、手術前よりひどい状態だった。チャットにも全く入れなくなってしまった。少し安定してからチャットを覗いたらもう、ゆうは、いなくなってた」

「い、一年……待ったんだよ。ウミがすぐに戻るっていったからいい子にしててなって言ったからずっと、待ってた」
「ごめん、手術のことちゃんと話すべきだった。いきなりいなくなったりして……傷つけたよな」


 ウミは……海斗は、私の頭を優しく、愛しそうに撫でてくれた。海斗から紡がれる言葉のひとつ、ひとつを私は噛み締めるように聴く。

「ゆうから住んでいる県は聞いていたし、砂浜の清掃をしていることはわかってたから、療養を兼ねてこの辺りの砂浜を歩いてたんだ。黙ってて、ごめん」

 ああ、目を閉じれば、チャットルームで逢瀬た活字の優しさが、海斗の話し言葉にもちゃんと、生きている。


 夢みたいな話だけど、
海斗は、ウミで
ウミは、海斗なんだ。


「ずっとゆうが元気でいるか気になってた
だから、探す気でいたよ。どんなに遅くなっても」

 いじめという真っ暗な沼の底から、すくいあげてくれたウミの存在は、私にとってどれほどの力だっただろうか。

「その手首の六芒星を見たときすぐにゆうだってわかった。嬉しかったよ。新しい傷がひとつもなくて、砂浜の掃除もちゃんと、続けてくれてたから」

 ウミが私の世界からいなくなってから、私はどれほどの孤独と戦ってきただろう。掃除をやめなかったのは、それが……ウミとの唯一の繋がりのように思えたから。

「ウミ……ウミッ」
寂しかった、会いたかった。

「うん、ごめん」
 話したいこと、聞きたいことはたくさんあるのに、涙で言葉にならない。ウミは私のひじにぶら下がったハンドバッグを見つめて言う。


「それ、持っててくれて嬉しかった。もう捨てられただろうと思っていたから」 
 愛しそうに、本当に嬉しそうに、シワを寄せて笑う。

「捨てるなんて……するわけない。出来るわけがない。だって」 
 しゃくりあげながら、ひとこと、ひとこと伝える。きっと今の私の顔は、涙でぐしゃぐしゃで、鼻水でぐしゃぐしゃで、相当ひどいものだろう。それでも伝えたかった

「ずっと……ずっと、感謝してたから」
ありがとうのきもち。

「会えて、よかった」
 海斗は、優しくうなずくと人波の中で、私を懐の中に入れてそっと、抱き締めてくれた。


 辛い過去の象徴だった六芒星が、連れてきてくれた奇跡。その時、私ははじめて、身の内に巣食う傷あとに感謝した。

 そうしたら、心がとても軽くなった気がして、私は、海斗の腕の中でそっと、微笑んだ。
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