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第2章 海辺へ

くらげわーるど

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 2人は人が少ないところにたどり着く。 

 その水槽は、底からはサンゴのような装飾物が複雑に生えていて、小さな魚がその合間から見えているような見えていないような、あまり目立たない展示コーナーだった。 

「うーん。大きいお魚さんは……いない? みたい」 
「そうですね。わぁ、でも小さい魚は一杯いるみたいです。あと、あれ? 端っこの方に、何かいるような気がしますけど」 

 みづきは目を細めて、窓に顔を押し当てるようにしながら奥を覗き込んでいる。

「うーん、メガネがないとよく見えないです……」 
「持っていないのですか?」 
「家にわす……置いてきました。私、コンタクトレンズを持って来ているので、メガネはいらないのです。それで、何が見える、の?」 
「ええと。砂の上に、灰色で、魚なのか何なのかわからない生き物がいてエラで呼吸しています」 
「うーん、ハゼさん、かなぁ」 
「あれがハゼ? なんですか。変わった生き物ですね。それで、今日はなぜコンタクトを付けなかったのですか?」 

 凜霞の何気ない質問に、みづきは目を見開いて振り返り、落ち着きのない身振りで返答する。

「え、そ、その。今日は朝起きれなくて、うっかり。ぁあ、明日は使います! それで、他には何かいますか?」 
「なにか、丸くて黒くてトゲトゲなものが水の底にいます」 
「ウニさん、ですね」 
「銀色で四角い魚が元気に泳いでますよ。目が大きくて口が小さくて可愛いですね」 
「四角い魚……フグさん、かな?」 
「そう、それですね、きっと。それで、なんでメガネからコンタクトに変えたのですか」 
「それは、その……私、もう高校生なので。メガネなのは委員長くらいですし」 
「そういうものなのですか」
「そういうものなのです。委員長は真面目だからメガネが似合うけど、私は……」
「真面目ではないのですか」

 みづきは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべ、ぽつぽつと白状していく。
 
「この前もね、『みづきさん、今はクラス会議の時間です! 無駄話はやめなさい』って言われて。はぅ、って」 
「話し合いの時間に無駄話ですか。それは怒られて当然です」 
「違うの! ……だってね? 友達が話しかけてくるの。そして委員長が話しているときだけ黙っちゃうの。みづきは全然気づかなくて……怒られちゃうの」 
「みづきさん、切り替えは苦手そうですよね」 
「それでいつも怒られちゃうんだぁ」 

 みづきは背を丸くしてため息をつき、両手を伸ばしてよろよろと凜霞に近づいていく。凜霞はみづきの肩に手を回して、もう片方の手で子供をあやすように頭を撫でる。 

「はい。みづきさんはいいこです」 
「ありがと――」 
「ってすみません。つい、頭を撫でてしまいました」 
「え、あ! みづきもつい、いつもの感じで」 

 ふと我に返り、お互いに距離を離して視線を反らす。魚たちを鑑賞する人の群れの中で2人だけが刻を止めていて、その周囲を観光客が通りすぎていく。 

 みづきは恥じらいながら、上目づかいに凜霞に問いかける。 

「あっちのコーナーに行ってみようか」 
「待ってください。黒い魚と白い魚が来ました」 
「ええと、どこ、です? あ、いた。並んでる」 

 白い小さな魚と、ちょっとだけ大きめの黒い魚。その2匹だけは、他の魚と違って付かず離れず同じ方へと泳いでいた。 

「まるで私達みたい、かも?」 
「そうかもしれないですね。白い方がみづきさん、黒い方が私」 
「もしかして私達、ずっとここで暮らしていたのかなぁ」 
「そうかもしれないですね。いいな、うらやましい。いつまでも、ずっと仲良くできて」 

 ふふ、と凜霞が控えめに笑う。 

「できますよ、私達も。しましょう! ね?」 
「……そうですね、よろしくお願いします」 

 2人はその魚達をしばらく眺めた後、名残惜しそうに次の展示物へと向かう。 

 凜霞は歩きながらも少し寂しげな表情でそれを何度も振り返っていたが、凜霞の手を引いて次の展示コーナーを探しているみづきはそれに気づいていなかった。 



「さぁて次はいよいよ、私がずーーーーーっと来たかったコーナーです!」 

 みづきは目を輝かせ、ピッと腕を伸ばして指し示すその先には、直径1メートルは優に超えて大人でもまるまる収まりそうな大きさの円柱状の水槽があり、その中には数え切れない程の生命体が漂っている。 

 その生物達は小指大から顔ぐらいまでのさまざまな大きさで、体は皿というかお椀状、白くて半透明で、紐のような触手がお椀の中からたくさんぶら下がる、ふわりと浮いたり沈んだりする生き物――クラゲ、クラゲ、クラゲ。無数のクラゲだった。 

 みづきは興奮しているのか荒い息をつきながら、水槽の表面が吐息で曇るくらいに張り付いて眺めている。
 凜霞は初めて見るクラゲの不思議な生態にも心惹かれたが、それよりもみづきの幸せそうな笑顔とキラキラと輝く瞳のほうが、ずっと―― 

「ほら、くらげさんです。うわぁ、いっぱいいるよー! すごい、可愛いです」 
「本当に――」 
「ほら! あのゆらゆらぁって、ぽよっとした感じがいいんです。みづきもあの中で一緒にプカプカしたいなぁ」 
「みづきさ――」 
「あ! あっちの方のくらげさんはピカピカ光ってますね……行ってみましょう!」 
「あの、聞こえていますか? あ、と、とと、ま、待って、下さい!」 

 みづきが手をつないだまま、次のクラゲのコーナーへと歩いていく。凜霞は手を引っ張られてよろけながらも歩幅を合わせてついていく。 
 凜霞はただ連れ回されているように見えるが決して辛そうではなく、その視線はみづきのくるくると変わる驚き、喜び、微笑みの表情を追いかけて、空いた手で口を隠し、笑いを抑えながら見守っている。 

 しばらく歩き回ったあとでやっとみづきの足が止まり、くるりと凜霞に体を向ける。 

「ごめんなさい……ホントにごめんなさい。熱中してしまいました」 
「みづきさんは本当にクラゲが大好きなんですね」 
「そうなんですよ! 何といってもあのふわっとした丸い……はぅ」 

 みづきは自分の口に手を当てて無理やりに言葉を止めて、目をギュッと閉じてぺこりと頭を下げる。 

「……じゃなくて、ごめんなさい。でした」 
「そんなことないですよ。折角来たのですから楽しみましょう。本当に可愛らしいですね」 
「ね。くらげさん、可愛いでしょ!」
「いえ、そうではなくて」
「どういうこと?」
「秘密です」

そう言いながら回答を拒否してくすりと笑う凜霞をみづきは不満そうに見ていたが、ふと思い出したように機嫌を直して凜霞に話しかける。

「そうそう、聞いてください」
「どうしましたか」
「……実は私、ここで生まれたんですよ」 

 みづきの唐突な発言に、凜霞は無言のまま固まった表情をみづきに向ける。 

「嘘じゃない、ですよ?」 
「ええ、わかります。お顔にそう書いてありますので。ですが」 
「はぅ、また顔に何か出ちゃいましたか。……うん、それはともかく」 

 みづきは一瞬顔を手で覆うが、その手をパッと離して詰め寄るように凜霞に話しかける。 

「あのですね、私のお父さんとお母さんが、初デートの時にここに来たんです。そして結婚の約束、プロポーズ! をするときにもここに来たんだって。だから、私の名前を付けるときにくらげさんの漢字、うみとつきから、みづきって付けたんだ、って」 
「海と月で、みづきさん」 
「そうなんです! そして私はくらげさんが大好きだし、それでどうしてもここに来たかったんです」 
「そういうことなのですか、わかりました。素敵ですね、まるで運命みたい」 
「ですです。だからね? もしここに来るときに誰かに出会ったら、その人は運命の人かも? なんて思ってて」 
「あ……あれ? ああ、それは本当にすみません。私、男の人ではなかったですね」 
「ううん、いいのいいの! 何かあればいいな? 位にしか思ってなかったから」 

 みづきは表情を変えずに慌てて両手を振る。しかしその直後に態度は一変し、顔を伏せ気味に視線を外して、落ち着かない話し方になる。 

「それでね? ここからが本題なのです。けど……」 
「はい。なんでしょうか」 
「お父さんとお母さんは初デートのときに、ここで写真を撮ったんです。今でも大事に残してて、みづきはそれを見せてもらいました。だから……ね?」 

 今度は凜霞が苦いものを噛みつぶしたかのような表情に一変する。

「それは、まさか。つまり」 

 みづきは身をよじらせながら伏せ気味の視線を凜霞に送っている。 
 凜霞は表情を硬直させて一歩引き下がるが、みづきは顔を上げて凜霞を見つめて、思い切って詰め寄り、はっきりと想いを告げる。 

「わ、私と記念写真を残してほしいんです!」 
「そう。なります、よね」 
「……ダメ、ですか?」 

 正面からみづきの視線を浴びている凜霞は、困惑した表情で顔を斜めに向けて視線を反らす。その長い黒髪がはらりと揺れて表情を覆い隠していく。 

「ええとつまり……見ず知らずの私と記念写真を撮りたい、ということなんですよね」 
「はい。そうなんです」 
「ううん、どうしようかなあ。私なんかと一緒に写っても」 
「みづきは、凜霞さんと一緒に写りたいんです」 
「でも、私は……もう」 

 みづきは回り込むように凜霞の視線の先に体を回して凜霞を見上げ、次の言葉を待っている。 
 それを直視できずに凜霞の蒼い瞳が彷徨うが、やがてその目を閉じて一呼吸し、改めてみづきに視線を合わせる。 

「上手く笑えませんよ? 私」 
「どんな顔でもいいよ」 
「怒って睨んでいる顔でもいいのですか」 
「それはちょっとイヤかも……でも、それでもいいです」 
「きっと、いい思い出にはならないと思います」 
「どうして、です?」 

 凜霞が口をぱくぱくと動かす。しかし何も言葉が出ることはない。 

「何か、あるんですか?」 

 みづきが凜霞の手を取って、心配そうに凜霞を見上げる。 
 凜霞は両手をみづきに握られて体を動かせず、視線から逃げることも出来ずに躊躇とまどいの表情でみづきと視線を交わすものの、やがて軽いため息をついてみづきに返答する。 

「そこまで言うのなら、わかりました。一緒に写らせていただきます」 
「やったぁ! ありがと」 

 みづきは手を握り合ったままでぴょんと跳び上がり、幸せそうな笑みを浮かべる。 
 凜霞は苦笑いとも取れる微妙な表情で、握られた手を、そしてその奥にあるみづきの表情を見下ろしていた。 

 やがてみづきは手を離してポーチからスマートフォンを取り出して……凜霞の隣に回り込み、突然に、ぴったりと身を寄せた。 

「みづきさん⁉」 
「あ、逃げないで……もっと顔を寄せて、ね?」 

 みづきが凜霞の腰に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せる。
 
 涼香は驚いた表情でみづきから距離をとろうとするも、みづきに体を抱かれていて動きが取れない。
 狼狽うろたえながらも抗議をするようにみづきを見下ろす。 

「なにをするのですか?」 
「自撮り、せるふぃー、ですよ?」 
「自撮り、ですか? ええと……それは何ですか」 
「もしかして、自撮りとか知らないんです? 一緒に写真を撮るの。知らないってことは……みづき、ただの変な人になっちゃう! うわぁ……」 

 みづきは耳まで真っ赤になって、顔を手で隠しながらへなへなとしゃがみ込み、その隣で涼香も力が抜けたように並んでしゃがみ込む。 

「妙な勘違いをしてしまいました。申し訳ありません」 
「うぅ……ごめんなさい。思い切り抱きついちゃいました。みづき、ヘンタイさんじゃないですよぉ」 
「こちらこそ、過敏に反応してすみません」 
「もしかして、こういうの苦手なんですか?」 
「実は、人と接触するのは苦手で……」 
「そうなの? ごめんね。でも、一緒に自撮りしても、いい?」 
「わかりました、はい。大丈夫です。覚悟を決めました」 

 しゃがみ込んだ2人はお互いに振り返り、同時に視線を合わる。 
 そして見合ったままクスリと小さく微笑み、支え合うようにゆっくりと立ち上がる。 

「それでは改めて。さぁ、自撮りでいきますよ?」 
「ええと、どのタイミングで――」 

 不意打ちのシャッター音に、凜霞が少女らしい悲鳴を上げる。 

「ええ、ひどいです! 私、絶対変な顔をしていました」 
「間違えました。どこを押すんだっけ? うーんと」 
「ん……!」 

 カシャリ、とスマートフォンから再び音が鳴る。 

「もう、不意打ちはやめて下さい。写真、見せてもらってもいいですか」 
「ごめんね? ええと撮れたのは……はい、これです」 
「あ、やっぱり笑えていないですね。実は私、写真を撮られるのは苦手で」 
「ごめんなさい。また無理を言っちゃいました」 
「いいえ。そんなことは、ないですが。ただ、その……」 

 涼香が躊躇とまどうように言葉を出せずにいるのを見て、みづきは何かを察したかのように話を続ける。 

「もう一回取り直し、します?」 
「ええと……どうしようかな。次は上手くいくかもしれないし、何回やっても駄目かもしれません……」 
「おぉ、凜霞さんが珍しく悩んでいます」 
「そんな茶化さないでください。私も女の子なので、写真の映りは気になりますよ」 
「でもでも、凜霞さんはすました顔もとっても綺麗です」 
「そんな、ちょっと、やめて下さい……」 
「顔真っ赤になってるー」 

 そこに映っているのは、満面の笑みのみづきと、固めの表情で収まっている凜霞。 

 それを見たみづきは、とても大事な宝物を手に入れたかのように嬉しそうにしていたが、凜霞は嫌がってこそいないものの寂しげな笑みを浮かべて、写真よりも、にこやかな笑みを浮かべるみづきの方を見つめていた。 
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