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第1話 その研究所の名は・・
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此処はアストリア大陸南西に位置する、ルマ平原にあるとある研究所。
「レナ、そのスライムはまだ外に出すな!」
朝からスライムを追いかけているのはこの研究所の所長、マ-ク・レベル博士。
「博士~! そっち行ったわよ! --ふぅ。あっ、おはようフラン!」
彼女の名前はレナ・レベル。
マ-ク博士の孫にして兼助手を務めているフランの幼馴染でもある。
「おはよう、レナ。今日も大変だね」
この研究所に暮らしているフラン・ハ-トは、その騒ぎの中マイペースに動き出す。
実習生として一週間前から掃除に洗濯、勉学と忙しい毎日を送っている。
フランは清々しい朝を迎えて、テ-ブルに置いてある朝食を頂こうとしている時だった。
「全く! 見かけによらず早い奴だ! --仕方ない。レナ、捕獲装置Dを発動してくれ!」
捕獲装置とはこの研究所に置かれているモンスター達を逃がさない為のもの。
そして後に続くアルファベッドは捕獲の性能を表す。
「ん、了解おじいちゃん!」
レナはレバーを引いて捕獲装置Dを起動した。
「でかしたぞ、レナ! これで奴は袋の鼠だ! ははは! もう逃げられんぞ!」
マ-ク博士は意気揚々と先回りする。
「毎日毎日、ほんとに騒がしい研究所。--でも、何だかんだ言って一週間か……」
フランはテ-ブルに置いてあるサンドイッチを手に取った。
すると何処からともなくひゅっとした音がしたと思うと、フランが右手に持っていたサンドイッチが消えてしまった。
「あ、あれ? 俺のサンドイッチは?」
突如消えたサンドイッチを探して辺りを見回す。
ガタンッ
近くで音がした方向を見ると、透明なぶよぶよとした物体が先程までフランが手にしていたサンドイッチを飲み込んでいるではないか。
「ほんと素早い子ね! 何処行っちゃったのかしら?」
捕獲装置Dを起動させた後、レナは直ぐに確認しに行った。
しかし捕獲装置には入っておらず、フランが今いるリビングにやって来たところだ。
「……アイツ、俺のサンドイッチ食ってないか?」
その透明なぶよぶよとした物体は、中に取り込んだサンドイッチを少しずつ溶かしている。
それは非常に遅い速度だが、少しずつ少しずつサンドイッチの原形が無くなっていく。
「あー! いた-!」
レナは大声を出した。
「もしかして、探してたのアイツ?」
「そう! 昨日タルマンの森に行く途中にね、岩山の上にいたの! 珍しいモンスターじゃないけど、少し大きさが気になって」
レナが言うモンスターとは、此処、アストリア大陸に生息している生き物だ。
そして今、研究所内でマ-ク博士やレナを騒がせているのが捕獲レベルEマイナスの弱小モンスター、スライム。
主にルマ平原全域に生息しており、既に研究対象から外れている筈だった。
「大きさ? ……確かに、いつも見るより大きいな」
通常スライムはサッカーボ-ル程の大きさしかない。
しかし今回レナが捕獲したスライムは、それより数十センチ程ばかり大きい。
スライムはそのぶよぶよとした体を左右上下に揺らして、フランとレナが話している間サンドイッチを平らげてしまった。
「って、アイツ! 俺のサンドイッチを!!」
フランは手を強く握り締めた。
「いいじゃないサンドイッチくらい。それに、あんなべちょべちょなのもう食べれないでしょ」
「それはそうだけどさ、せっかくの俺の朝食だったのに!!」
朝食をスライムに食べられ、フランの膝が崩れる。
「大丈夫。また、後で私が作ってあげるから!」
「ほんと!?」
体制を戻したフランはガッツポ-ズをした。
「ただし! あの子を捕まえてくれたらね!」
レナはその場から離れていくスライムを指差した。
「そんなのお安い御用! 待ってろ! 俺のサンドイッチ~!」
伸縮を繰り返しながらスピードを上げて逃げるスライムをフランは追った。
「待って私も行くから!」
レナもフランの後を直ぐに追いかける。
--所変わって。
マ-ク博士は捕獲装置Dを確認していた。
「う~む。やはり捕まってはおらんか」
捕獲装置Dは格子状の鉄格子の囲い。
モンスターのみ反応するセンサーに対して、鉄格子が設置してある通路を通ると起動する仕組みだ。
「まだ改良の余地はあるな。また、前回のようなことになっては旅の勇者達にも面目が立たん」
マ-ク博士は腕組みをしながら起動していない捕獲装置Dがある通路を見ていた。
そもそも研究所の主な目的は、野生モンスターの生態調査や勇者達から依頼された仲間のモンスターの能力開発などだ。
しかし調査中に研究所を脱走してしまうモンスターが後を絶たず、勇者の仲間であるモンスターを逃してしまうという事態を機に捕獲装置が設置されることになった。
若干35歳にして研究所の所長に抜擢された経歴を持つマ-ク博士も、捕獲装置を作ることに関しては経験はおろか知識も無かった。
極めつけは捕獲装置を製作、設置する為の費用。
何百万ゴ-ルドとかかる費用は、モンスターの調査代、依頼されたモンスターの能力開発などで消えていく。
その類いまれなる才能を生かして、モンスターの知られざる力を解放する技術はアストリア大陸きっての技量を持つマ-ク博士。
しかし事、捕獲装置を作るとなると知識が無い事と、やはり費用面での負担が大きく現状は研究の合間に得た知識で設置した捕獲装置しか置いてはいない。
その為、いくらモンスターの力を引き出す技量を持っていても逃がしてしまう事が後を絶たない。
例えモンスターの能力開発の依頼を受けたとしても彼らを逃がさないしっかりとした捕獲装置も作ることが出来ない。
それは預かった勇者達のモンスターを逃がしてしまった返金、及び、毎回調査能力開発などによる研究所の資金の減少も理由だ。
そう言ったことが理由で一部の村や街の人達、勇者達の間ではマ-ク博士の研究所はこう呼ばれている。
「ポンコツ研究所!? それ、本当に勇者達が言ってんの?」
「まあね。自慢じゃないけど、この研究所は一部の人に馬鹿にされてる」
「でもマ-ク博士のモンスター能力開発は認めているんだよね?」
「そこはね」
マ—ク博士はその腕こそ認められているものの、預かったモンスターを幾度となく野に逃がすという失態を重ねてしまい、今では逆にそれが有名となり、面白半分で研究所を訪れる人達もいる。
ポンコツ研究所。
誰が言ったか今ではすっかりと定着してしまい、良い意味でも悪い意味でもアストリア大陸全土に浸透している。
「しっかし、ポンコツ研究所なんて酷いよな。もっとマシな言い方なかったのかよ」
「そうよね~。せめてヘッポコ研究所とかにしてほしかったよね」
「……えっとレナ。それ、真面目に言ってる? ポンコツと対して変わらない気が……」
「響きの問題よ! 研究所なのにポンコツだなんてなんか嫌じゃない!」
レナは昔から天然だ。
それは今も変わりなく健在で、フランはいつもながらツッコミどころに困ってしまう。
すると追いかけていたスライムはその伸縮行動を止めて、フランとレナの様子を伺っている。
「どうしたんだ? スライムの奴。行き止まりでも無いのに止まって」
スライムはその場をキョロキョロとしている。
「……はは-ん。なるほどね」
レナはニヤリとした。
「なるほどって、何か分かった?」
「特性よ」
「特性?」
「そう! スライムが持っている危機回避能力の一つ。フラン、もしかしてそんなことも知らないの?」
レナは腕組みをしながらグイグイと顔を寄せる。
「知ってるよ! あれだろ! あれ!」
フランのモンスターに関する記憶力は致命的だった。
それはフランの問題で、モンスターに興味のカケラも無かったからだ。
「フラン、正直に言って。どうせ知らないんでしょ?」
「うっ……はい、その通りでございます」
知ったかをするフランはそう言い返すしか言葉が出てこなかった。
幼馴染に良い格好をしたかったフランはシュンとしてしまう。
それは少しでもレナに追いつきたいと思うフランの心の葛藤から来るものだった。
「いい? スライムはその個体の弱さから仲間達の間で情報を交換し合うの。そして得た情報を元に、危険な情景と場所が一致した場合直ぐに次の策に移る」
「なるほど。で、その次の策ってのは?」
先程までキョロキョロとしていたスライムは動きを止めた。
目や口はどこにあるか分からないが、こちらを見ているのがフラン達は理解出来た。
スライムがとる次の策を知っていたレナは、瞬時に判断出来たからだ。
フランはそう、直感とでも言うのだろうか、スライムのその感情を認識した。
「これって……逃げるわよ! フラン!」
レナはフランの手を掴み走って来た道を逆走する。
スライムは透明な体から濁った色にみるみる変わり、先程より早い勢いでフラン達を追い始める。
「もしかしてあのスライム逆ギレしてる!?」
「そうよ! 見たら分かるでしょ-!」
スライムの次の策。
それは持っていた情報が通用しなかった場合、対象を確認し自分より弱い相手だと認識すればやられる前にやるという策。
スライムは辺りに水のようなものを撒き散らしながら追ってくる。
それは床や物に触れるとシュ—という音をたてる。
「おいおい、あれって」
「酸ね」
レナは冷静に答える。
至って冷静に判断出来る彼女に、フランはやはりマ-ク博士の血を引いているなと納得した。
スライムの能力の一つ。それは酸による攻撃。
と言っても本来の役割は食べ物を消化する為に使用されるスライムのみが持つ酸だ。
しかしスライムは自らが追い詰められると体内にある酸を放出する。
ただ殺傷能力としてはほとんど機能せず、それはスライムの苦肉の策と言える。
時折酸の音とは別にス-ス-と聞こえるのは、スライムが発する独特な声。
「お~レナ! 何処行っとったんじゃ全く! ん? フランも一緒か」
捕獲装置Dを確認後、マ-ク博士はレナ達と合流した。
「おじいちゃん!」
「おはようございます! マ-ク博士!」
走りながら朝の挨拶をするというのは、この研究所が初めての経験をしたフランだった。
「ん、おはよう! っと、スライムも一緒か。……ふむふむ。2人を追っているとなると……良し! このまま、外通路の方へ走って行ってくれ!」
マ-ク博士は瞬時にその状況を判断した。
「了解! おじいちゃん!」
それはレナも理解したようで、マ-ク博士が指示した方向へそのまま走る。
フランもその勢いでレナの走る方向へついていく。
スライムは声をあげたマ—ク博士をちらりと見たが、標的を変えることなくフランとレナを追う。
2人が向かう外へ通じる通路は研究所の入り口を含めて3つある。
今フラン達が向かっているのはその内の一つB通路にある扉だ。
先程、マ—ク博士に会った場所からおよそ50メートルの位置にある。
「見えた!」
B通路を走る2人は扉の前に捕獲装置があることを確認した。
B通路にはアナログとも言える格子状の鉄格子が壁と天井に設置されている。
2人はモンスターのみに反応する捕獲装置Dを通り過ぎて、そのまま扉の前まで突っ走る。
「さあスライムちゃん、おいで」
レナはさっと振り返りスライムを挑発する。
それに対して2人を追うことで頭が熱くなっているスライムは、捕獲装置Dがあることなど知らずに通路の上を通ってしまう。
ガシャン!
鉄格子は1秒も経たずにスライムを捕獲する。
「?!?!」
スライムは突如として現れた鉄格子に困惑してそこから抜け出そうとする。
しかし鉄格子の隙間は細く、流石のスライムも通ることは出来ない。
「ふふ! どんなもんよ! やっぱり私のおじいちゃんは偉大な博士なのよ!」
「だな。--これでこのスライムも漸く大人しく--」
スライムは抵抗するのをやめていた。
しかしスライムの体は先程より更に変色し、濁ったとは程遠い赤々とした状態になっていく。
「これは……逃げるよ! フラン!」
レナは急いで後ろの扉を開ける。
「何で? ただ、赤くなってるだけじゃん」
「バカ! いいから早く!」
レナはフランの腕をぐっと引っ張り扉の外へ放り出す。
「なっ! ちょっ、レナ!!」
勢いよく放り出されたフランは芝生の上に転がり込む。
レナもその後直ぐに外へ出て扉を急いで閉める。
「立って!」
よくわからない状況も束の間、レナは再びフランの腕を掴みその場から離れる。
ズドオオオオォォォォォン!!!!
扉を含めた周辺が壮大に吹き飛んだ。
その爆破によって研究所B通路周辺は風通しの良い場所に変貌した。
それはタイミングと場所から間違いなくスライムの仕業だとフランは直ぐに理解した。
「……あのスライムがやった、のか?」
あまりの出来事にフランは研究所に来てまた恐怖を体験する。
「お察しの通り。今のはスライムの最後の悪あがき、自爆よ。と言っても悪あがきじゃ済まなかったけどね」
スライムは自らが絶対絶命だと判断した場合、その最終手段として体温を急激に高める。
するとスライムの体内にあるコアが緊急事態だと認識して大爆発を引き起こす。
本来単独で行動するスライムでも、一時的に群れで生活する為に必要な能力。
通常、自身達より強い敵に襲われた場合に仲間を助ける為に行うもので滅多に使うことはない。
スライムはコアだけを残し赤く発光する高温な色はゆっくりと無くなっていく。
「か、勘弁して……」
フランは芝生の上にぱたんと倒れた。
「どうしたの!? フラン! どこかに当たった!?」
レナは倒れ込んだフランの顔を覗き込む。
「違うよ」
「良かった! --ならどうして倒れたのよ?」
「俺さ、これからこの研究所でやっていけるのかなって思って」
研究所に来て一週間。フランは先程のスライムが起こした出来事以外にも既に4回もの騒ぎに会っている。
今回のスライム追撃爆破騒ぎは一週間目にして二度目の危機だった。
「そんな弱気にならないでよフラン。大丈夫! 私も居るし、フランと同じ実習生のラックも居る。それに私のおじいちゃんだって!」
「……そうだな」
レナが最後に言った、『その人が原因だよ!』とフランは心中で叫んだ。
それは研究所で抱えているモンスターが、一定数を越えた依頼や調査をしているからだった。
いくら優秀な研究者だとしても人間1人行動出来る範囲は限られる。
マ-ク博士に欠点があるとすればその過剰なる自信を1人で補おうとするところだ。
研究所に実習生が来るのは勿論彼らの為でもあるが、その対価として研究所に貢献出来る人間を育てる方針もある。
それはアストリア大陸に存在する全ての研究所にも言える事で、実習生は一年間に渡り世の中の流れを感じていく。
「大丈夫か! 2人共!」
血相を変えて来たマ-ク博士が真っ先に向かったのはやはり孫のレナのところ。
「心配しないで、おじいちゃん。この通り大丈夫だから」
「いやいや今は大丈夫でもな、後になって症状が現れることもある」
「ほんと大丈夫だって! 心配し過ぎだよおじいちゃん」
既に両親が他界しているマーク博士にとって、レナは唯一の家族。
マーク博士がこれ程までレナに過保護になるのは当然だった。
「そうか? まぁレナが言うのなら大丈夫だろう。フランも大丈夫だったか?」
マ-ク博士は意外にもフランに対して優しい一面も見せる。
それはフランもこの研究所に来てから薄々気づいてはいた。
「大丈夫です、ちょっと服が汚れたくらい」
フランはスライムが引き起こした爆風のせいで草の上を転がっていた。
「うむ、大丈夫そうだな」
マ-ク博士は軽く頷き、2人の安否を確認した。
「……まぁ、この穴は後で何とかしておこう」
スライムによって大破され出来た穴は1日で直せる大きさではなかった。
さらに爆破の衝撃によってその被害は研究所内にも及んでいた。
「マーク博士! 一体此処で何があったのですか!?」
彼は研究所の警備員、ルナ-ド・マ-チ。
主に、研究所に訪れる人達の手続きや警備を行う。
勿論仕事はそれだけではなく、研究所で発生したあらゆる出来事の対応も行っている。
「と、レナ様とフラン君もご無事で」
「私は平気よ」
レナがそう言うとルナ-ドは安堵の表情を見せる。
「それは良かった。それとマーク博士、例の商人が来ていますがどう致しましょうか?」
「おお、彼か! 悪いがレナ、フラン、わしはちと用があるでのう。しばらくたってから儂の元に来てくれ!」
マーク博士は研究所の外から入り口に向かった。
「レナ様。それとフラン君。それでは私も警備があるので失礼するよ」
現状を伝え確認したルナ-ドは、大破してしまったB通路から帰って行った。
「レナ、例の商人って?」
「ん~私もよく分からないけど、この研究所にある捕獲装置を見に来たみたい。それでその人が売っている捕獲装置にすれば今よりもっと確実にモンスターを逃がさないって」
二日前。突然この研究所を訪れたのはモンスターの捕獲装置を専門的に扱う商人だった。
どうやら街ではそれなりに有名らしく、この研究所以外にも顧客はいるようで風の噂でやって来たようだった。
「それは助かる!」
「うん、そうなんだけど……」
レナは何故か不安そうな表情を見せる。
「? 何か困ることでもあるの?」
「なんかね、私あんまりその人好きじゃないの」
「好きじゃないってそういう問題? 良い捕獲装置売ってくれればそれで良いじゃん!」
「……そだね。--じゃあ私、預かってる子達の面倒見なきゃいけないから!」
そう言ってレナは大破した穴を通って行ってしまった。
(レナ、何を気にしてるんだ? 今の捕獲装置よりマシになればそれで良いとは思うんだけど)
フランは1人、大破した穴を見ながら考えていた。
「それにしてもこの穴酷い有り様だな」
穴。そう言えばまだ表現的に優しいが、実際はそんなものではなかった。
研究所の鉄筋がぐちゃぐちゃな状態でむき出しとなり、途切れてしまった電線からはバチバチと音が鳴っている。
それでも研究所が停電しないのは予備の発電機が起動したおかげだった。
これは研究所に設備されているもので、何らの不具合が生じた場合直ぐに対処出来るように設計されている為。
フランはその穴の状態を確認しながら足取り重く研究所に戻って行った。
「レナ、そのスライムはまだ外に出すな!」
朝からスライムを追いかけているのはこの研究所の所長、マ-ク・レベル博士。
「博士~! そっち行ったわよ! --ふぅ。あっ、おはようフラン!」
彼女の名前はレナ・レベル。
マ-ク博士の孫にして兼助手を務めているフランの幼馴染でもある。
「おはよう、レナ。今日も大変だね」
この研究所に暮らしているフラン・ハ-トは、その騒ぎの中マイペースに動き出す。
実習生として一週間前から掃除に洗濯、勉学と忙しい毎日を送っている。
フランは清々しい朝を迎えて、テ-ブルに置いてある朝食を頂こうとしている時だった。
「全く! 見かけによらず早い奴だ! --仕方ない。レナ、捕獲装置Dを発動してくれ!」
捕獲装置とはこの研究所に置かれているモンスター達を逃がさない為のもの。
そして後に続くアルファベッドは捕獲の性能を表す。
「ん、了解おじいちゃん!」
レナはレバーを引いて捕獲装置Dを起動した。
「でかしたぞ、レナ! これで奴は袋の鼠だ! ははは! もう逃げられんぞ!」
マ-ク博士は意気揚々と先回りする。
「毎日毎日、ほんとに騒がしい研究所。--でも、何だかんだ言って一週間か……」
フランはテ-ブルに置いてあるサンドイッチを手に取った。
すると何処からともなくひゅっとした音がしたと思うと、フランが右手に持っていたサンドイッチが消えてしまった。
「あ、あれ? 俺のサンドイッチは?」
突如消えたサンドイッチを探して辺りを見回す。
ガタンッ
近くで音がした方向を見ると、透明なぶよぶよとした物体が先程までフランが手にしていたサンドイッチを飲み込んでいるではないか。
「ほんと素早い子ね! 何処行っちゃったのかしら?」
捕獲装置Dを起動させた後、レナは直ぐに確認しに行った。
しかし捕獲装置には入っておらず、フランが今いるリビングにやって来たところだ。
「……アイツ、俺のサンドイッチ食ってないか?」
その透明なぶよぶよとした物体は、中に取り込んだサンドイッチを少しずつ溶かしている。
それは非常に遅い速度だが、少しずつ少しずつサンドイッチの原形が無くなっていく。
「あー! いた-!」
レナは大声を出した。
「もしかして、探してたのアイツ?」
「そう! 昨日タルマンの森に行く途中にね、岩山の上にいたの! 珍しいモンスターじゃないけど、少し大きさが気になって」
レナが言うモンスターとは、此処、アストリア大陸に生息している生き物だ。
そして今、研究所内でマ-ク博士やレナを騒がせているのが捕獲レベルEマイナスの弱小モンスター、スライム。
主にルマ平原全域に生息しており、既に研究対象から外れている筈だった。
「大きさ? ……確かに、いつも見るより大きいな」
通常スライムはサッカーボ-ル程の大きさしかない。
しかし今回レナが捕獲したスライムは、それより数十センチ程ばかり大きい。
スライムはそのぶよぶよとした体を左右上下に揺らして、フランとレナが話している間サンドイッチを平らげてしまった。
「って、アイツ! 俺のサンドイッチを!!」
フランは手を強く握り締めた。
「いいじゃないサンドイッチくらい。それに、あんなべちょべちょなのもう食べれないでしょ」
「それはそうだけどさ、せっかくの俺の朝食だったのに!!」
朝食をスライムに食べられ、フランの膝が崩れる。
「大丈夫。また、後で私が作ってあげるから!」
「ほんと!?」
体制を戻したフランはガッツポ-ズをした。
「ただし! あの子を捕まえてくれたらね!」
レナはその場から離れていくスライムを指差した。
「そんなのお安い御用! 待ってろ! 俺のサンドイッチ~!」
伸縮を繰り返しながらスピードを上げて逃げるスライムをフランは追った。
「待って私も行くから!」
レナもフランの後を直ぐに追いかける。
--所変わって。
マ-ク博士は捕獲装置Dを確認していた。
「う~む。やはり捕まってはおらんか」
捕獲装置Dは格子状の鉄格子の囲い。
モンスターのみ反応するセンサーに対して、鉄格子が設置してある通路を通ると起動する仕組みだ。
「まだ改良の余地はあるな。また、前回のようなことになっては旅の勇者達にも面目が立たん」
マ-ク博士は腕組みをしながら起動していない捕獲装置Dがある通路を見ていた。
そもそも研究所の主な目的は、野生モンスターの生態調査や勇者達から依頼された仲間のモンスターの能力開発などだ。
しかし調査中に研究所を脱走してしまうモンスターが後を絶たず、勇者の仲間であるモンスターを逃してしまうという事態を機に捕獲装置が設置されることになった。
若干35歳にして研究所の所長に抜擢された経歴を持つマ-ク博士も、捕獲装置を作ることに関しては経験はおろか知識も無かった。
極めつけは捕獲装置を製作、設置する為の費用。
何百万ゴ-ルドとかかる費用は、モンスターの調査代、依頼されたモンスターの能力開発などで消えていく。
その類いまれなる才能を生かして、モンスターの知られざる力を解放する技術はアストリア大陸きっての技量を持つマ-ク博士。
しかし事、捕獲装置を作るとなると知識が無い事と、やはり費用面での負担が大きく現状は研究の合間に得た知識で設置した捕獲装置しか置いてはいない。
その為、いくらモンスターの力を引き出す技量を持っていても逃がしてしまう事が後を絶たない。
例えモンスターの能力開発の依頼を受けたとしても彼らを逃がさないしっかりとした捕獲装置も作ることが出来ない。
それは預かった勇者達のモンスターを逃がしてしまった返金、及び、毎回調査能力開発などによる研究所の資金の減少も理由だ。
そう言ったことが理由で一部の村や街の人達、勇者達の間ではマ-ク博士の研究所はこう呼ばれている。
「ポンコツ研究所!? それ、本当に勇者達が言ってんの?」
「まあね。自慢じゃないけど、この研究所は一部の人に馬鹿にされてる」
「でもマ-ク博士のモンスター能力開発は認めているんだよね?」
「そこはね」
マ—ク博士はその腕こそ認められているものの、預かったモンスターを幾度となく野に逃がすという失態を重ねてしまい、今では逆にそれが有名となり、面白半分で研究所を訪れる人達もいる。
ポンコツ研究所。
誰が言ったか今ではすっかりと定着してしまい、良い意味でも悪い意味でもアストリア大陸全土に浸透している。
「しっかし、ポンコツ研究所なんて酷いよな。もっとマシな言い方なかったのかよ」
「そうよね~。せめてヘッポコ研究所とかにしてほしかったよね」
「……えっとレナ。それ、真面目に言ってる? ポンコツと対して変わらない気が……」
「響きの問題よ! 研究所なのにポンコツだなんてなんか嫌じゃない!」
レナは昔から天然だ。
それは今も変わりなく健在で、フランはいつもながらツッコミどころに困ってしまう。
すると追いかけていたスライムはその伸縮行動を止めて、フランとレナの様子を伺っている。
「どうしたんだ? スライムの奴。行き止まりでも無いのに止まって」
スライムはその場をキョロキョロとしている。
「……はは-ん。なるほどね」
レナはニヤリとした。
「なるほどって、何か分かった?」
「特性よ」
「特性?」
「そう! スライムが持っている危機回避能力の一つ。フラン、もしかしてそんなことも知らないの?」
レナは腕組みをしながらグイグイと顔を寄せる。
「知ってるよ! あれだろ! あれ!」
フランのモンスターに関する記憶力は致命的だった。
それはフランの問題で、モンスターに興味のカケラも無かったからだ。
「フラン、正直に言って。どうせ知らないんでしょ?」
「うっ……はい、その通りでございます」
知ったかをするフランはそう言い返すしか言葉が出てこなかった。
幼馴染に良い格好をしたかったフランはシュンとしてしまう。
それは少しでもレナに追いつきたいと思うフランの心の葛藤から来るものだった。
「いい? スライムはその個体の弱さから仲間達の間で情報を交換し合うの。そして得た情報を元に、危険な情景と場所が一致した場合直ぐに次の策に移る」
「なるほど。で、その次の策ってのは?」
先程までキョロキョロとしていたスライムは動きを止めた。
目や口はどこにあるか分からないが、こちらを見ているのがフラン達は理解出来た。
スライムがとる次の策を知っていたレナは、瞬時に判断出来たからだ。
フランはそう、直感とでも言うのだろうか、スライムのその感情を認識した。
「これって……逃げるわよ! フラン!」
レナはフランの手を掴み走って来た道を逆走する。
スライムは透明な体から濁った色にみるみる変わり、先程より早い勢いでフラン達を追い始める。
「もしかしてあのスライム逆ギレしてる!?」
「そうよ! 見たら分かるでしょ-!」
スライムの次の策。
それは持っていた情報が通用しなかった場合、対象を確認し自分より弱い相手だと認識すればやられる前にやるという策。
スライムは辺りに水のようなものを撒き散らしながら追ってくる。
それは床や物に触れるとシュ—という音をたてる。
「おいおい、あれって」
「酸ね」
レナは冷静に答える。
至って冷静に判断出来る彼女に、フランはやはりマ-ク博士の血を引いているなと納得した。
スライムの能力の一つ。それは酸による攻撃。
と言っても本来の役割は食べ物を消化する為に使用されるスライムのみが持つ酸だ。
しかしスライムは自らが追い詰められると体内にある酸を放出する。
ただ殺傷能力としてはほとんど機能せず、それはスライムの苦肉の策と言える。
時折酸の音とは別にス-ス-と聞こえるのは、スライムが発する独特な声。
「お~レナ! 何処行っとったんじゃ全く! ん? フランも一緒か」
捕獲装置Dを確認後、マ-ク博士はレナ達と合流した。
「おじいちゃん!」
「おはようございます! マ-ク博士!」
走りながら朝の挨拶をするというのは、この研究所が初めての経験をしたフランだった。
「ん、おはよう! っと、スライムも一緒か。……ふむふむ。2人を追っているとなると……良し! このまま、外通路の方へ走って行ってくれ!」
マ-ク博士は瞬時にその状況を判断した。
「了解! おじいちゃん!」
それはレナも理解したようで、マ-ク博士が指示した方向へそのまま走る。
フランもその勢いでレナの走る方向へついていく。
スライムは声をあげたマ—ク博士をちらりと見たが、標的を変えることなくフランとレナを追う。
2人が向かう外へ通じる通路は研究所の入り口を含めて3つある。
今フラン達が向かっているのはその内の一つB通路にある扉だ。
先程、マ—ク博士に会った場所からおよそ50メートルの位置にある。
「見えた!」
B通路を走る2人は扉の前に捕獲装置があることを確認した。
B通路にはアナログとも言える格子状の鉄格子が壁と天井に設置されている。
2人はモンスターのみに反応する捕獲装置Dを通り過ぎて、そのまま扉の前まで突っ走る。
「さあスライムちゃん、おいで」
レナはさっと振り返りスライムを挑発する。
それに対して2人を追うことで頭が熱くなっているスライムは、捕獲装置Dがあることなど知らずに通路の上を通ってしまう。
ガシャン!
鉄格子は1秒も経たずにスライムを捕獲する。
「?!?!」
スライムは突如として現れた鉄格子に困惑してそこから抜け出そうとする。
しかし鉄格子の隙間は細く、流石のスライムも通ることは出来ない。
「ふふ! どんなもんよ! やっぱり私のおじいちゃんは偉大な博士なのよ!」
「だな。--これでこのスライムも漸く大人しく--」
スライムは抵抗するのをやめていた。
しかしスライムの体は先程より更に変色し、濁ったとは程遠い赤々とした状態になっていく。
「これは……逃げるよ! フラン!」
レナは急いで後ろの扉を開ける。
「何で? ただ、赤くなってるだけじゃん」
「バカ! いいから早く!」
レナはフランの腕をぐっと引っ張り扉の外へ放り出す。
「なっ! ちょっ、レナ!!」
勢いよく放り出されたフランは芝生の上に転がり込む。
レナもその後直ぐに外へ出て扉を急いで閉める。
「立って!」
よくわからない状況も束の間、レナは再びフランの腕を掴みその場から離れる。
ズドオオオオォォォォォン!!!!
扉を含めた周辺が壮大に吹き飛んだ。
その爆破によって研究所B通路周辺は風通しの良い場所に変貌した。
それはタイミングと場所から間違いなくスライムの仕業だとフランは直ぐに理解した。
「……あのスライムがやった、のか?」
あまりの出来事にフランは研究所に来てまた恐怖を体験する。
「お察しの通り。今のはスライムの最後の悪あがき、自爆よ。と言っても悪あがきじゃ済まなかったけどね」
スライムは自らが絶対絶命だと判断した場合、その最終手段として体温を急激に高める。
するとスライムの体内にあるコアが緊急事態だと認識して大爆発を引き起こす。
本来単独で行動するスライムでも、一時的に群れで生活する為に必要な能力。
通常、自身達より強い敵に襲われた場合に仲間を助ける為に行うもので滅多に使うことはない。
スライムはコアだけを残し赤く発光する高温な色はゆっくりと無くなっていく。
「か、勘弁して……」
フランは芝生の上にぱたんと倒れた。
「どうしたの!? フラン! どこかに当たった!?」
レナは倒れ込んだフランの顔を覗き込む。
「違うよ」
「良かった! --ならどうして倒れたのよ?」
「俺さ、これからこの研究所でやっていけるのかなって思って」
研究所に来て一週間。フランは先程のスライムが起こした出来事以外にも既に4回もの騒ぎに会っている。
今回のスライム追撃爆破騒ぎは一週間目にして二度目の危機だった。
「そんな弱気にならないでよフラン。大丈夫! 私も居るし、フランと同じ実習生のラックも居る。それに私のおじいちゃんだって!」
「……そうだな」
レナが最後に言った、『その人が原因だよ!』とフランは心中で叫んだ。
それは研究所で抱えているモンスターが、一定数を越えた依頼や調査をしているからだった。
いくら優秀な研究者だとしても人間1人行動出来る範囲は限られる。
マ-ク博士に欠点があるとすればその過剰なる自信を1人で補おうとするところだ。
研究所に実習生が来るのは勿論彼らの為でもあるが、その対価として研究所に貢献出来る人間を育てる方針もある。
それはアストリア大陸に存在する全ての研究所にも言える事で、実習生は一年間に渡り世の中の流れを感じていく。
「大丈夫か! 2人共!」
血相を変えて来たマ-ク博士が真っ先に向かったのはやはり孫のレナのところ。
「心配しないで、おじいちゃん。この通り大丈夫だから」
「いやいや今は大丈夫でもな、後になって症状が現れることもある」
「ほんと大丈夫だって! 心配し過ぎだよおじいちゃん」
既に両親が他界しているマーク博士にとって、レナは唯一の家族。
マーク博士がこれ程までレナに過保護になるのは当然だった。
「そうか? まぁレナが言うのなら大丈夫だろう。フランも大丈夫だったか?」
マ-ク博士は意外にもフランに対して優しい一面も見せる。
それはフランもこの研究所に来てから薄々気づいてはいた。
「大丈夫です、ちょっと服が汚れたくらい」
フランはスライムが引き起こした爆風のせいで草の上を転がっていた。
「うむ、大丈夫そうだな」
マ-ク博士は軽く頷き、2人の安否を確認した。
「……まぁ、この穴は後で何とかしておこう」
スライムによって大破され出来た穴は1日で直せる大きさではなかった。
さらに爆破の衝撃によってその被害は研究所内にも及んでいた。
「マーク博士! 一体此処で何があったのですか!?」
彼は研究所の警備員、ルナ-ド・マ-チ。
主に、研究所に訪れる人達の手続きや警備を行う。
勿論仕事はそれだけではなく、研究所で発生したあらゆる出来事の対応も行っている。
「と、レナ様とフラン君もご無事で」
「私は平気よ」
レナがそう言うとルナ-ドは安堵の表情を見せる。
「それは良かった。それとマーク博士、例の商人が来ていますがどう致しましょうか?」
「おお、彼か! 悪いがレナ、フラン、わしはちと用があるでのう。しばらくたってから儂の元に来てくれ!」
マーク博士は研究所の外から入り口に向かった。
「レナ様。それとフラン君。それでは私も警備があるので失礼するよ」
現状を伝え確認したルナ-ドは、大破してしまったB通路から帰って行った。
「レナ、例の商人って?」
「ん~私もよく分からないけど、この研究所にある捕獲装置を見に来たみたい。それでその人が売っている捕獲装置にすれば今よりもっと確実にモンスターを逃がさないって」
二日前。突然この研究所を訪れたのはモンスターの捕獲装置を専門的に扱う商人だった。
どうやら街ではそれなりに有名らしく、この研究所以外にも顧客はいるようで風の噂でやって来たようだった。
「それは助かる!」
「うん、そうなんだけど……」
レナは何故か不安そうな表情を見せる。
「? 何か困ることでもあるの?」
「なんかね、私あんまりその人好きじゃないの」
「好きじゃないってそういう問題? 良い捕獲装置売ってくれればそれで良いじゃん!」
「……そだね。--じゃあ私、預かってる子達の面倒見なきゃいけないから!」
そう言ってレナは大破した穴を通って行ってしまった。
(レナ、何を気にしてるんだ? 今の捕獲装置よりマシになればそれで良いとは思うんだけど)
フランは1人、大破した穴を見ながら考えていた。
「それにしてもこの穴酷い有り様だな」
穴。そう言えばまだ表現的に優しいが、実際はそんなものではなかった。
研究所の鉄筋がぐちゃぐちゃな状態でむき出しとなり、途切れてしまった電線からはバチバチと音が鳴っている。
それでも研究所が停電しないのは予備の発電機が起動したおかげだった。
これは研究所に設備されているもので、何らの不具合が生じた場合直ぐに対処出来るように設計されている為。
フランはその穴の状態を確認しながら足取り重く研究所に戻って行った。
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