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第三章
故郷①
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『必ず生きて帰る』
言霊の力を信じて母と約束を交わしたカイリのもとに、新たな知らせが舞い込んだ――。
「玄清様から、文が届きました! 西の術師たちが詳しく話を聞きたがっているそうです!」
清流は知盛のもとにカイリたちを集めて、双子山のある西の術師たちの悪くない反応を報告した。
皆が喜ぶ中、響は泰土の術師たちの歯痒い態度を思い出したのか、「向こうの方がこっちの術師より頼りになるかもね」と嫌味たっぷりに「ふん」っと鼻を鳴らす。
泰土の術師たちといえば、当主会議でのカイリに対する無礼な言葉を謝罪に訪れる者や、文を送ってくる者もちらほらと現れ始め、嬉しいことに、疫神退治に参加すると意思を示してくれる者たちも出てきた。
これもひとえに、清流と知盛が他家を地道に回り説得を続けてくれたおかげだ。
「カイリ、私と一緒に双子山に行きましょう。……カイリ? どうかしましたか?」
「あの…………勝手なお願いなのですが、師匠だけ一足先に双子山に向かうことはできませんか? 私は別で行きたい場所があります」
「どこに行きたいのだ。話があると言っていたがそのことか?」
即座に知盛が問いただす。カイリは神妙な面持ちで頷いた。
「赤眼の村に行きたいのです」
赤眼の村の術師――久遠。
彼こそ最強の邪神。『死神』だ。
村に居続ける彼の心を動かして、力を貸してもらえるのなら戦況は大きく変わる。
赤眼の村に行きたいというのは、久遠を説得しに行くという目的のためだが、その裏には小花を赤眼の村に送り届けるというもう一つの目的がカイリの中にはあった。
小花にとって、一番安全な場所は死神が守る赤眼の村。いつまでも泰土にとどまらせるわけにはいかない。
カイリは床に手をついて頭を下げた。
「小花、柊殿、俺を村の術師に会わせてください」
小花の表情は複雑だ。
柊は彼女の心を気にかけながらも、「村に帰ろう」と以前から説得していたため、カイリの頼みを聞いて内心ホッとしたであろう。
◇◇◇
カイリと小花は黒狐の背に、時之介と柊は知盛の使い魔である『獅子』を借りて林道を駆け抜けていた。
泰土に向かう時には青々としていた木々も、わずかに赤、黄と色づき始めている。山々の衣替えも徐々に進み、秋が深まりゆくのを感じさせてくれる。
彼らが目指しているのはもちろん、『赤眼の村』だ。
「うっ……うっ……」
カイリの前に座る小花の肩が震えている。
少しずつ落ち着いてきたが、泰土で過ごした思い出が涙を誘うのだろう。時々目をこすっては今のように肩を震わせている。
(響や母上も、泣き止んだだろうか……)
――数時間前。
「……もぉ、小花。今生の別れじゃないんだから……な、泣かないで……よぉ。私だって、離れたくないんだからぁぁあ!!」
誰よりも響が泣いているのではないだろうか。姉妹のようにすっかり仲良くなった彼女たちは、迫り来る別れの時を惜しんで抱き合っている。
キョウはそんな二人の目の前に立ち、「小花!!」と声をかけてサッと両手を広げた。
別れの抱擁の催促だ。
ちらりと横目で確認した小花は、再び響にぎゅっと抱きつく。広げられたキョウの両手は虚しく、ススススッとやってきた時之介が小花の代わりにその懐にすっぽり収まった。
「時之介! お前はなんて可愛いやつなんだ! キョウ兄ちゃん、お前がいないと寂しいよぉ」
抱き合うキョウと時之介の姿に、泣いていた小花もついつい「ぷっ」と笑いだしてしまった。
「あははは! ……キョウ、ありがとう。一緒にいると楽しかった」
「俺も楽しかったよ。戻ってきたら、また遊びに行こう」
「うん!」
「――――小花ちゃん!!」
息を切らしてやってきたのは、カイリの母だ。
「ま、間に合って良かった……ちょっと作りすぎちゃったけど、おにぎりとおやつ。お腹が空いたら食べてね」
カイリの母はハァ、ハァっと酸素不足になりながら、息苦しそうに声を絞り出す。少し大きめの巾着袋を小花に手渡した。
両手で抱えた巾着袋に視線を落とした小花の口元が、じわじわと下がっていく。瞬きをする前に、たまりにたまった涙がボタボタッとこぼれ落ちた。
「奥……様っ……お世話になりました」
一度は引っ込んだと思われた涙が、次から次へと頬を伝っていく。
これでもかというほど深々と丁寧に頭を下げた小花の頭を、カイリの母の手は我が子を慈しむように二度ほどなでた。
「ほら、顔上げて! あなたは私の恩人。お世話になったのは私の方でしょ?」
「……私、村を出て、誰も頼る人がいなくて……すごく怖かったんです。でもカイリに出会って、ここにいるみんなと家族みたいに過ごして、毎日が楽しくて……楽しすぎて……別れがこんなに寂しいなんて、知らなかった……」
小花が赤眼の村を飛び出したあの時は、夢を叶えたいという期待を抱いての出発だった。しかし、今回の出発は別れの出発。しかも本人の意思を伴わない決定なのだ。
皆、彼女が赤眼の村へ帰ることが最善だとわかっているが……わかっていてもつらい。
「私も寂しい……。主人を亡くした寂しさを埋めてくれたのが小花、あなただった。苦手だったお料理や裁縫も上手になったわね。偉いわ。部屋はいつ戻ってきてもいいように、そのままにしておくから……必ずまた会いましょう」
「そうよ、絶対戻ってくるのよ! 小花が早く戻ってこられるように、私頑張って戦うから!」
「響お姉ちゃん……カイリのお母さん。今まで、ありがとうございました。私また戻ってきます。絶対に会いに来ます!!」
この別れは、長い長い別れとなるだろう。
小花は普段『響さん』『奥様』と二人のことを呼ぶが、最後に敬愛の意を込めて、『お姉ちゃん』『お母さん』と彼女たちのことを呼んだ。
「こ、こは……るぅ、『お姉ちゃん』って……もっと早く呼んでよぉぉ」
響の言葉にカイリの母も頷く。
「次会うときは、『お母さん』って呼びなさい」
「……はい!」
涙でぐちゃぐちゃの小花は、同じく涙でぐちゃぐちゃのカイリの母と響に包まれるように抱きしめられた――。
◇◇◇
「小花? 大丈夫か?」
カイリは、小花が落ち着いてきたところを見計らって声をかけた。
「うん……私ね、みんなと約束したんだ」
「どんな約束?」
「泰土に戻ったら『癒しの使い魔』に行こうねって。それに、響お姉ちゃんがたくさん貸してくれた恋愛本も返して、どこが良かったか感想言い合うんだ。あと、料理の腕を上げてカイリのお母さんに食べてもらうの。ほかにも泊まりっこしたり、川遊びしたり買い物行ったり……」
「やることがいっぱいだな」
「カイリ…………私、三堂の屋敷に戻れるよね?」
(あっ…………)
カイリは返事に詰まってしまった。
「またカイリのそばに、いられるよね?」
返事のないカイリの心の中を探るように、小花は問いかけてくる。
「カイリ」
前を見続ける小花の声が、涙声に変わった。
「……うん」
小花の涙に弱いカイリは、本当はするべきではない確証のない返事をしてしまったのだった。
「――小花! その巾着袋の中身は見たのか?」
ここにくるまでずっと黙っていた柊が、「それ」と小花の巾着袋を指差す。
小花とカイリ、二人の様子を気にかけていた彼は、大事な妹の悲しむ顔をこれ以上見ていられなかったのだろう。それに、おいしいものを食べれば、少しは元気が出ると思ったのかもしれない。
「カイリや時之介も、そろそろお腹が空いてきただろ? 休憩しないか?」
「うん、僕お腹空いてきたかも。小花、奥様がみんなの分も入れてあるって言ってたよ。袋の中見てみて」
獅子に跨る柊と時之介に促され、小花は握りしめていた巾着袋の中身をようやく覗いてみた。
「焼き栗、お煎餅、お団子、おにぎり、木の実……」
「そんなにたくさん持たせてくれてたのか! 準備大変だっただろうな。奥様に感謝しよう」
「うん」
「みんな、守竜川の川辺で、休憩しよう。黒狐、お前もそろそろ休もう」
黒狐はカイリに言われたとおり、林道から守竜川の川辺へふわりと飛んだ。使い魔から降りた彼らは、川辺に座ってとりあえずおにぎりを頬張る。目の前を流れる守竜川の流れをじっと見ていた。
心が洗われるような川のせせらぎ。鳥のさえずりが耳に心地いい。
「この川に、竜神様がいるんだよね」
長く続く守竜川。この川のどこかに潜む竜神を探るように、小花は必死に目を凝らしている。
「そうそう、柊兄。僕たち竜神祭の前日、竜神様に会ったんだよ」
「そういや、前に言ってたな。竜神祭の前日、竜神様が人を試すっていうやつか?」
「うん。カイリが悪い人たちから竜神様を助けたのよ」
「さすがカイリだな」
「いえ、俺は別に」
(あの時の男たちはどうなっただろう。懐かしいな、竜神祭……)
あの竜神祭の前後は、本当にいろいろなことがあった。
竜神と出会っただけでなく、清流、柊と出会ったのもあの時だ。琥珀を二度目に見たのも祭りのあと。見つけた時の胸のざわつきは今でも忘れない。
(それに……あの時から少しずつ……)
竜神祭に夢中になっていた小花を思い出してから、今の赤い目元の彼女を見ると、胸が痛む。
ずっと笑っていてほしい……小花には、どんな時も幸せで満たされていてほしいと、カイリは改めて思った。
「みんな! 竜神様にお祈りしていこうよ!」
時之介の提案で守竜川の川辺に立った四人は、目を閉じて俯き手を合わせる。もちろん願いは一つ。
『竜神様、どうか力をお貸しください』
日差しを反射して美しく光り輝く水面が、竜神の七色に煌めく鱗のようだ。カイリは眩して目を細めた。
「そういえばね、雷鳴山の湧水って、守竜川と合流するんだって。三百年前のことだけど、竜神様はたまに雷鳴山にいらしたって真珠さんが言ってた。真珠さん、元気かな……また会いたいな」
「うん、僕もまた会いたい」
しみじみと川を眺める小花と時之介の横で、カイリは小さな青火を手のひらに乗せて愛おしそうに見つめる雷神の姿を思い出した。
「きっと、毎日楽しく過ごしてるよ」
「そうだね……」
小花、時之介、カイリ、三人は同じ光景を思い描いただろう。
◇◇◇
日暮れとともに休み、数日かけて早朝から守竜川を下っていた一行。竜古町を過ぎた辺りで、柊はカイリに呼びかけた
「ここからは、俺の後ろをついてきてくれ」
「わかりました」
黒狐に代わって、柊と時之介の乗る獅子が前に出た。守竜川から離れ森の中へと入っていく。
右に行ったり左へ行ったり。ひたすらぐるぐる回っているような変な気分に、カイリは少し目眩を感じる。
「カイリ、時之介、大丈夫か!?」
「なんか僕、酔ってきたかも……」
時之介は「うえっ」と今にも吐きそうだ。彼の方がカイリより重症らしい。
「小花、お前は大丈夫なのか?」
カイリは顔が見えない小花が心配になり、目の前の彼女の後ろ姿に向かって話しかけた。
「うん、全然大丈夫! 私たちにとっては一本道を真っすぐに進んでるだけだから」
――真っすぐ!?
「道も無ければ、かなりぐねぐねしてるけど……」
「うっ」とカイリも吐きそうになる。
「大丈夫? 多分、この道はカイリには見えないよ。術師様の力で他所の人は村に辿り着けないようになってるから。私、初めて村を出たから、帰り道がわからないかもって心配だったけど、ちゃんと見えて良かった」
小花は顔を少し後ろに向けて、笑って答えた。カイリは、彼女の心配より今は自分の心配をした方が良さそうだ。
「もうすぐ着くぞ!」
柊のかけ声とともに、カイリたちは森を抜けた――。
隠された村。今更だが、それは本当に存在していた……。
どこにでもある普通の村の光景。家があり、畑があり、鶏が地面をつついている。
「ここが……赤眼の村」
言霊の力を信じて母と約束を交わしたカイリのもとに、新たな知らせが舞い込んだ――。
「玄清様から、文が届きました! 西の術師たちが詳しく話を聞きたがっているそうです!」
清流は知盛のもとにカイリたちを集めて、双子山のある西の術師たちの悪くない反応を報告した。
皆が喜ぶ中、響は泰土の術師たちの歯痒い態度を思い出したのか、「向こうの方がこっちの術師より頼りになるかもね」と嫌味たっぷりに「ふん」っと鼻を鳴らす。
泰土の術師たちといえば、当主会議でのカイリに対する無礼な言葉を謝罪に訪れる者や、文を送ってくる者もちらほらと現れ始め、嬉しいことに、疫神退治に参加すると意思を示してくれる者たちも出てきた。
これもひとえに、清流と知盛が他家を地道に回り説得を続けてくれたおかげだ。
「カイリ、私と一緒に双子山に行きましょう。……カイリ? どうかしましたか?」
「あの…………勝手なお願いなのですが、師匠だけ一足先に双子山に向かうことはできませんか? 私は別で行きたい場所があります」
「どこに行きたいのだ。話があると言っていたがそのことか?」
即座に知盛が問いただす。カイリは神妙な面持ちで頷いた。
「赤眼の村に行きたいのです」
赤眼の村の術師――久遠。
彼こそ最強の邪神。『死神』だ。
村に居続ける彼の心を動かして、力を貸してもらえるのなら戦況は大きく変わる。
赤眼の村に行きたいというのは、久遠を説得しに行くという目的のためだが、その裏には小花を赤眼の村に送り届けるというもう一つの目的がカイリの中にはあった。
小花にとって、一番安全な場所は死神が守る赤眼の村。いつまでも泰土にとどまらせるわけにはいかない。
カイリは床に手をついて頭を下げた。
「小花、柊殿、俺を村の術師に会わせてください」
小花の表情は複雑だ。
柊は彼女の心を気にかけながらも、「村に帰ろう」と以前から説得していたため、カイリの頼みを聞いて内心ホッとしたであろう。
◇◇◇
カイリと小花は黒狐の背に、時之介と柊は知盛の使い魔である『獅子』を借りて林道を駆け抜けていた。
泰土に向かう時には青々としていた木々も、わずかに赤、黄と色づき始めている。山々の衣替えも徐々に進み、秋が深まりゆくのを感じさせてくれる。
彼らが目指しているのはもちろん、『赤眼の村』だ。
「うっ……うっ……」
カイリの前に座る小花の肩が震えている。
少しずつ落ち着いてきたが、泰土で過ごした思い出が涙を誘うのだろう。時々目をこすっては今のように肩を震わせている。
(響や母上も、泣き止んだだろうか……)
――数時間前。
「……もぉ、小花。今生の別れじゃないんだから……な、泣かないで……よぉ。私だって、離れたくないんだからぁぁあ!!」
誰よりも響が泣いているのではないだろうか。姉妹のようにすっかり仲良くなった彼女たちは、迫り来る別れの時を惜しんで抱き合っている。
キョウはそんな二人の目の前に立ち、「小花!!」と声をかけてサッと両手を広げた。
別れの抱擁の催促だ。
ちらりと横目で確認した小花は、再び響にぎゅっと抱きつく。広げられたキョウの両手は虚しく、ススススッとやってきた時之介が小花の代わりにその懐にすっぽり収まった。
「時之介! お前はなんて可愛いやつなんだ! キョウ兄ちゃん、お前がいないと寂しいよぉ」
抱き合うキョウと時之介の姿に、泣いていた小花もついつい「ぷっ」と笑いだしてしまった。
「あははは! ……キョウ、ありがとう。一緒にいると楽しかった」
「俺も楽しかったよ。戻ってきたら、また遊びに行こう」
「うん!」
「――――小花ちゃん!!」
息を切らしてやってきたのは、カイリの母だ。
「ま、間に合って良かった……ちょっと作りすぎちゃったけど、おにぎりとおやつ。お腹が空いたら食べてね」
カイリの母はハァ、ハァっと酸素不足になりながら、息苦しそうに声を絞り出す。少し大きめの巾着袋を小花に手渡した。
両手で抱えた巾着袋に視線を落とした小花の口元が、じわじわと下がっていく。瞬きをする前に、たまりにたまった涙がボタボタッとこぼれ落ちた。
「奥……様っ……お世話になりました」
一度は引っ込んだと思われた涙が、次から次へと頬を伝っていく。
これでもかというほど深々と丁寧に頭を下げた小花の頭を、カイリの母の手は我が子を慈しむように二度ほどなでた。
「ほら、顔上げて! あなたは私の恩人。お世話になったのは私の方でしょ?」
「……私、村を出て、誰も頼る人がいなくて……すごく怖かったんです。でもカイリに出会って、ここにいるみんなと家族みたいに過ごして、毎日が楽しくて……楽しすぎて……別れがこんなに寂しいなんて、知らなかった……」
小花が赤眼の村を飛び出したあの時は、夢を叶えたいという期待を抱いての出発だった。しかし、今回の出発は別れの出発。しかも本人の意思を伴わない決定なのだ。
皆、彼女が赤眼の村へ帰ることが最善だとわかっているが……わかっていてもつらい。
「私も寂しい……。主人を亡くした寂しさを埋めてくれたのが小花、あなただった。苦手だったお料理や裁縫も上手になったわね。偉いわ。部屋はいつ戻ってきてもいいように、そのままにしておくから……必ずまた会いましょう」
「そうよ、絶対戻ってくるのよ! 小花が早く戻ってこられるように、私頑張って戦うから!」
「響お姉ちゃん……カイリのお母さん。今まで、ありがとうございました。私また戻ってきます。絶対に会いに来ます!!」
この別れは、長い長い別れとなるだろう。
小花は普段『響さん』『奥様』と二人のことを呼ぶが、最後に敬愛の意を込めて、『お姉ちゃん』『お母さん』と彼女たちのことを呼んだ。
「こ、こは……るぅ、『お姉ちゃん』って……もっと早く呼んでよぉぉ」
響の言葉にカイリの母も頷く。
「次会うときは、『お母さん』って呼びなさい」
「……はい!」
涙でぐちゃぐちゃの小花は、同じく涙でぐちゃぐちゃのカイリの母と響に包まれるように抱きしめられた――。
◇◇◇
「小花? 大丈夫か?」
カイリは、小花が落ち着いてきたところを見計らって声をかけた。
「うん……私ね、みんなと約束したんだ」
「どんな約束?」
「泰土に戻ったら『癒しの使い魔』に行こうねって。それに、響お姉ちゃんがたくさん貸してくれた恋愛本も返して、どこが良かったか感想言い合うんだ。あと、料理の腕を上げてカイリのお母さんに食べてもらうの。ほかにも泊まりっこしたり、川遊びしたり買い物行ったり……」
「やることがいっぱいだな」
「カイリ…………私、三堂の屋敷に戻れるよね?」
(あっ…………)
カイリは返事に詰まってしまった。
「またカイリのそばに、いられるよね?」
返事のないカイリの心の中を探るように、小花は問いかけてくる。
「カイリ」
前を見続ける小花の声が、涙声に変わった。
「……うん」
小花の涙に弱いカイリは、本当はするべきではない確証のない返事をしてしまったのだった。
「――小花! その巾着袋の中身は見たのか?」
ここにくるまでずっと黙っていた柊が、「それ」と小花の巾着袋を指差す。
小花とカイリ、二人の様子を気にかけていた彼は、大事な妹の悲しむ顔をこれ以上見ていられなかったのだろう。それに、おいしいものを食べれば、少しは元気が出ると思ったのかもしれない。
「カイリや時之介も、そろそろお腹が空いてきただろ? 休憩しないか?」
「うん、僕お腹空いてきたかも。小花、奥様がみんなの分も入れてあるって言ってたよ。袋の中見てみて」
獅子に跨る柊と時之介に促され、小花は握りしめていた巾着袋の中身をようやく覗いてみた。
「焼き栗、お煎餅、お団子、おにぎり、木の実……」
「そんなにたくさん持たせてくれてたのか! 準備大変だっただろうな。奥様に感謝しよう」
「うん」
「みんな、守竜川の川辺で、休憩しよう。黒狐、お前もそろそろ休もう」
黒狐はカイリに言われたとおり、林道から守竜川の川辺へふわりと飛んだ。使い魔から降りた彼らは、川辺に座ってとりあえずおにぎりを頬張る。目の前を流れる守竜川の流れをじっと見ていた。
心が洗われるような川のせせらぎ。鳥のさえずりが耳に心地いい。
「この川に、竜神様がいるんだよね」
長く続く守竜川。この川のどこかに潜む竜神を探るように、小花は必死に目を凝らしている。
「そうそう、柊兄。僕たち竜神祭の前日、竜神様に会ったんだよ」
「そういや、前に言ってたな。竜神祭の前日、竜神様が人を試すっていうやつか?」
「うん。カイリが悪い人たちから竜神様を助けたのよ」
「さすがカイリだな」
「いえ、俺は別に」
(あの時の男たちはどうなっただろう。懐かしいな、竜神祭……)
あの竜神祭の前後は、本当にいろいろなことがあった。
竜神と出会っただけでなく、清流、柊と出会ったのもあの時だ。琥珀を二度目に見たのも祭りのあと。見つけた時の胸のざわつきは今でも忘れない。
(それに……あの時から少しずつ……)
竜神祭に夢中になっていた小花を思い出してから、今の赤い目元の彼女を見ると、胸が痛む。
ずっと笑っていてほしい……小花には、どんな時も幸せで満たされていてほしいと、カイリは改めて思った。
「みんな! 竜神様にお祈りしていこうよ!」
時之介の提案で守竜川の川辺に立った四人は、目を閉じて俯き手を合わせる。もちろん願いは一つ。
『竜神様、どうか力をお貸しください』
日差しを反射して美しく光り輝く水面が、竜神の七色に煌めく鱗のようだ。カイリは眩して目を細めた。
「そういえばね、雷鳴山の湧水って、守竜川と合流するんだって。三百年前のことだけど、竜神様はたまに雷鳴山にいらしたって真珠さんが言ってた。真珠さん、元気かな……また会いたいな」
「うん、僕もまた会いたい」
しみじみと川を眺める小花と時之介の横で、カイリは小さな青火を手のひらに乗せて愛おしそうに見つめる雷神の姿を思い出した。
「きっと、毎日楽しく過ごしてるよ」
「そうだね……」
小花、時之介、カイリ、三人は同じ光景を思い描いただろう。
◇◇◇
日暮れとともに休み、数日かけて早朝から守竜川を下っていた一行。竜古町を過ぎた辺りで、柊はカイリに呼びかけた
「ここからは、俺の後ろをついてきてくれ」
「わかりました」
黒狐に代わって、柊と時之介の乗る獅子が前に出た。守竜川から離れ森の中へと入っていく。
右に行ったり左へ行ったり。ひたすらぐるぐる回っているような変な気分に、カイリは少し目眩を感じる。
「カイリ、時之介、大丈夫か!?」
「なんか僕、酔ってきたかも……」
時之介は「うえっ」と今にも吐きそうだ。彼の方がカイリより重症らしい。
「小花、お前は大丈夫なのか?」
カイリは顔が見えない小花が心配になり、目の前の彼女の後ろ姿に向かって話しかけた。
「うん、全然大丈夫! 私たちにとっては一本道を真っすぐに進んでるだけだから」
――真っすぐ!?
「道も無ければ、かなりぐねぐねしてるけど……」
「うっ」とカイリも吐きそうになる。
「大丈夫? 多分、この道はカイリには見えないよ。術師様の力で他所の人は村に辿り着けないようになってるから。私、初めて村を出たから、帰り道がわからないかもって心配だったけど、ちゃんと見えて良かった」
小花は顔を少し後ろに向けて、笑って答えた。カイリは、彼女の心配より今は自分の心配をした方が良さそうだ。
「もうすぐ着くぞ!」
柊のかけ声とともに、カイリたちは森を抜けた――。
隠された村。今更だが、それは本当に存在していた……。
どこにでもある普通の村の光景。家があり、畑があり、鶏が地面をつついている。
「ここが……赤眼の村」
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