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第二章

清流と玄清②

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「着いたぞっ」

 ここは山の中。
 大人しく抱きかかえられた清流せいりゅうの前に、茅葺き屋根の家がぽつんと一軒建っている。男が一人で住むにしては、ずいぶん大きいようだ。

 日の光が当たるように周りの木々は切り倒され、家の隣にある畑にはいくつか野菜が育てられている。中でも旬を迎えたきゅうり、茄子、冬瓜は大きく立派な実をつけていた。

「今日からここがお前の家だよ。山の中で野菜作りなんて驚いたか?」

 若い男は自信ありげにニヤリと笑う。

 清流はぼーっと彼の顔を見上げたあと、控えめに左右上下に瞳を動かして、自分の連れてこられたこの場所がどんな所なのかを探っているようだ。


「そろそろ出てくるはずだぞぉ、準備はいいか?」

 嬉しそうに目を細めて笑う男の言葉と被るように、ドッドッドッドッと全速力で駆けてくる足音がこちらに接近してきた。


「師匠ーー!! おかえりなさーい!!」


 戸口ではなく、障子をバン! と引き開け縁側から飛び出してきた二人の子どもたち。五、六歳の、清流と同じ年頃の彼らは、とびきりの笑顔で出迎えにやってきた。

 しかし、若い男に抱っこされた清流を見るなり、男の子の顔が一変する。この世の終わりのような顔で固まり、「またつれてきたの?」と呟いてこれでもかというほど頬を膨らませた。

 そしてもう一人。彼らから少し離れた位置で立ち止まった女の子も、男の子と同じように呟いた。

「遅いよ、ずっと待ってた」

 よっぽど待ち焦がれていたのか、半泣きになったその子はグッと唇を固く結んだ。


「二人とも、待たせてごめんな。さあ、自己紹介をしよう。俺は玄清げんせい。『師匠』って呼んでくれたらいいぞ。こっちの坊主が士英しえい、あっちの女の子が一華いちかだ」

 士英はどうあっても清流のことが気に入らないようで、玄清の服の横を引っ張って「うーうー」唸っている。

「女の子が一人に、男の子が二人……この子で最後だから、もう連れてこないからそんな顔しないでくれよ」

 玄清は「なっ」と笑いかけながら、士英の膨らんだ頬をぷにゅっと片手で挟んだ。

 そして「二人ともいい子だから、すぐに仲良くなれるよ」とつけ足したのだが、士英の尖った口元と細められた視線から彼に歓迎されていないのは明らかだ。
 玄清はそんな士英も可愛いくて仕方がないのか、愛情深く彼を見つめていた。


「んー、挨拶する人はあと二人いるけど……先にお前の名前を教えてもらおうかな?」

 清流は黙って首を横に振った。

 彼を捨てた母は、名前すらつけてくれなかったのだ。「それじゃあ!」と目を光らせた玄清が、「あとで最高の名前を考えよう」と顎を引く清流に笑顔を見せた時、

「師匠!!」

 のんびり笑う玄清のそばに駆けてきた一華が、慌てて服を引っ張った。

「その子、ケガしてる! 綺麗にしてあげていい?」

 彼女の言うとおりだ。傷口に砂が付いたままになっている。一刻も早く綺麗に洗い流してあげた方がいいだろう。

「悪い、そっちが先だったな。一華、士英と二人でこの子の体を洗ってくれ。ケガの手当ても頼んだよ。俺は料理の手伝いをしてるからあとでおいで」

「はーい」
 返事をする一華と士英の表情は正反対だった。



 ◇◇◇

 むくれる士英をよそ目に、一華は手際良く清流の体を綺麗に洗っていく。濡れた髪や体を丁寧に拭き終えると、擦り傷やくっきりと残った手首の縄跡を見つめて「痛かったね」と涙ぐみながら布を巻きつけた。そして、お揃いの作務衣さむえを着せると、

「よく似合ってる!」

 満面の笑みを見せて、清流の手をぎゅっと握りしめた。

 終始嬉しそうに笑いかける一華は「こっちだよ」と清流が転ばないように足元を確認しながら手を引いていき、二人が入ったいい匂いのする部屋の中では、玄清と中年の女性がちょうど夕飯の支度を終えたところだった。

 卓上に並ぶ、庭や山で採れた新鮮な野菜・山菜がふんだんに使われた数々の料理。汁物からホカホカと湯気が立ち上がり、蒸かし芋、漬物、煮豆、米、どれもよだれが湧き出てくるほどおいしそうだ。


「さっぱりしたか? 士英、一華ありがとうな」

 玄清の大きな手で頭をなでられた士英と一華は嬉しそうにはにかむ……が、そんなのは一瞬で、目の前のご馳走に目を輝かせた腹ぺこ二人は「いい匂い!」「早く食べたーい!」とわいわい騒ぎだした。

 賑やかな彼らの横で一人静かに立っていた清流は、まだ名前も知らない少し冷たそうな中年女性と目が合うと、その鋭い視線が怖かったのかすぐに顔を伏せてしまった。

 急いで清流のそばに駆け寄った玄清は、腰を下ろして伏せられた目と自分の目を合わせるように覗き込むと、
「さっき話したのはこの人。寿美すみさんだよ。俺の奥さんの親? みたいな人かな」
 と女性を清流に紹介した。

 彼女は家のことを手伝ってくれていて、見た目は怖いが中身は優しい人とのことだ。失礼にも怖いなんて本人を目の前にして言うものだから、寿美の視線は玄清に向かいその目は更に細められた。


「みんな、座って食べますよ」

 寿美が片眉を上げると、子どもたちはおろか玄清までも行儀良く床に正座する。躾をしているのは、どうやら玄清ではなく彼女のようだ。

「あなたはこれ。いきなり食事をすると胃が驚いてしまうから。ゆっくり少しずつ食べなさい」

 目の前に置かれた白湯とお粥をじっと見つめる清流の隣で、「早く一緒のものが食べたいね」と一華は小さな声で囁きにっこり笑いかける。

 部屋が笑いで包まれるなか、清流はゆっくり周りを見渡してみた。

 もう一人、挨拶をする人がいるはず……。

 しかし、玄清が『奥さん』と呼ぶ人はこの家のどこにもいないようだった――。



 ◇◇◇

 夕食後。

 清流は緊張、戸惑いからか、久しぶりの食事もほとんど食べることができなかった。

「少し散歩に行こうか」

 玄清は昼間のように清流を抱き上げ二人きりで外に出たのだが、この時士英の頬が膨れたのは言うまでもない。


 外は満天の星空。

 天の川が流れ、玄清は夜空を指差して優しく語りかけた。

「見てごらん。あの輝く星の中に俺の奥さんもいるんだ」

 以前、母親から聞いたことがある。人は死ぬと星になる……と。清流は、玄清の妻がもうこの世にいないことを悟った。
 
「お前の髪や瞳も、あの星たちみたいに綺麗だな」


『綺麗』

 清流にとって、誰にも言われたことのない言葉だった。

 練色ねりいろの髪、透き通る灰色の瞳、真っ白な肌のせいで、清流の父親は「自分の子ではない」と家を出ていった。夫に捨てられた母親は「お前のせいで……」とこの見た目をひどく嫌い、人の目に触れることを禁じた。外見を褒められたことなど一度もない。

 綺麗――言葉の意味を知っていても、まさか自分に使われるとは想像したこともなかった。


「……気持ち悪くないの? 僕だけみんなと違う」


 それは喉の奥をぎゅっと締めつけるような質問だった。

「お前は綺麗だよ。俺にはあの空の星たちよりずっと綺麗に見える。それに初めて喋ったな、嬉しいぞ」

 頭をなでてくれるこの人は、美しく輝く満天の星空よりも自分の方が綺麗だと言う。玄清が指差す先を見上げる灰色の瞳が、星空を映してキラキラと輝く。清流は小さな胸が強く波打つのを感じた。


「あのね……お母さんは、僕の首を絞めたのに……」

 首を絞める……

 玄清は思いがけない言葉に一瞬言葉を失った。しかし、清流の言葉を遮りたくないと、ただ首を縦に振る。

「僕が、『さよなら』って言ったら、『死なないで……生きて』って泣くの。お母さんの本当の気持ちはどっち……どっちを選んだら、あの子みたいに『大好き』って言ってもらえるのかな……」


 恐ろしいほど純粋な母への愛。

 もう二度と会えないであろう母が、どうすれば喜んでくれるのかをずっと考えていたのだ。

 もうこれ以上は聞いていられなかった。

 玄清は眉を寄せ、清流をキツく抱きしめた。

「お母さんが最後に言ったのが『生きて』なら、何がなんでも生きるんだ」
 清流は顔をうずめて頷いた。


「――あっ、流れ星! 空を見てごらん! ほら、また!」
 長く抱きしめられて、うとうとと眠くなっていた清流はぼんやりと夜空を見上げた。

「星が流れる……そうだ! お前の名前は『せいりゅう』にしよう! 『せい』の字は星じゃなくて、玄清の『清』にするぞ。どうだ?」

 清流は『字』というものがまったくわからなかったが、こくりと頷く。そして、一つ。清流は玄清に聞きたいことがあったのを思い出した。夢見心地のまま呟く。


「……なんで……僕を、連れてきたの?」

「嫌だったか?」

 心配そうに尋ねられて、清流は小さく頭を横に振る。その様子を見て玄清の顔はほころんだ。

「なんで連れてきたのか、そんなの理由なんてないさ。あの時あの場所に清流がいたからだよ」

 小さな清流にとって、玄清の返答は意味不明だったらしい。不思議そうに首を傾げる姿が可愛くて、クスッと笑った玄清はもう一度言い直した。

「理由は簡単さ。俯いているお前を見て、俺ならこの子をたくさん笑わせてあげられるのにって思ったんだ。なあ、清流。士英、一華、寿美さん、血の繋がりのない者同士だけど、みんな俺の大切な家族だ」

 玄清は眠たそうにとろんと目を下げた清流の顔をじっと見つめ、くしゃっと笑った。


「清流も俺たちと家族になろう」


 透き通るガラス玉のような瞳が、その笑顔を焼きつけた。
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