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第一章

三堂②

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 カイリが皆を客間へ案内すると、そこには三堂みどうのお抱え医術師である『成仁なりひと』がすでに腰を下ろして待っていた。

 彼もカイリの父の古くからの友人である。大蛇に取り憑かれた母に医術を施すために、こうして定期的に三堂を訪れているのだ。

 そしてこの人物こそ、カイリに赤眼の存在を教えた張本人である。

 嘘か誠かわからぬ言い伝えを信じて旅に出たわけだが、彼の一言がなければ、いまだに解決の糸口すら見つけられず路頭に迷っていただろう。


「成仁様、お久しぶりです」

「カイリ、おかえり。君の帰りを待っていたよ、無事で何よりだ」
「母の様子はどうですか?」
「変わりない。あとで一緒に会いに行こう」

 知盛とももりひびきに支えられながら少し遅れて客間に到着すると、改めて清流せいりゅうたち一人ひとりと挨拶を交わした。


「――皆様、長旅でお疲れでしょう。カイリ、浄化は今夜行うのか?」
「はい、どうしても今夜がいいです」

 きっと、知盛はカイリが母に取り憑いた大蛇を一秒でも早く浄化したいと願っている、そう思っただろう。
 それも間違いではないが、今夜を逃せば次の満月まで約一月ひとつきは浄化ができなくなってしまう。小花こはるが赤眼ということを伏せておくためにも、満月の今夜、どうしても浄化を終える必要があるのだ。


「そうか……わかった。旅の途中、特に変わりはなかったか?」

 変わったこと……。

「あっ」

 カイリの脳裏にあの琥珀が浮かぶ。

「これなのですが――」
 カイリは二つの琥珀を手に取って知盛に見せた。

「琥珀?」

 響、それから知盛が来てからツンとつれない表情をしていたキョウも、「何々?」とカイリの手のひらを両脇から覗き込む。


「道中立ち寄った町で、妖に取り憑かれた人を助けたのですが、原因はこの琥珀ではないかと……。もう一つは、別の町で突然現れた妖を退治した際にその体から出てきました」

「ただの琥珀にしか見えないわね」
「今はな。禍々しい妖気を放っていたんだ」

「ふーん」
 キョウは琥珀を指で摘むと、目を凝らして何度も手首を返す。


「琥珀に妖気を感じたのは初めてでしたし、取り憑かれた町の主人が人助けのお礼にこの琥珀をもらったという点も気になって持ち帰ってきました」

「何それ、わざとってこと?」
「それはわからない」

 響も残りの琥珀を手に取ると、手のひらに乗せてまじまじと観察する。知盛も黙って琥珀を眺めていたが、最終的に首を横に振った。

「今までにそう言った話は聞いたことがない。浄化を無事に終えたら、ゆっくり話を聞かせてもらおう。それでは、短い間ですが皆様はお部屋でお休みください。私はこれで失礼いたします。カイリ、お前も夜に備えてしっかり休んでおきなさい」

「はい」

 響はサッと立ち上がると、知盛を支えて部屋をあとにした。


「――カイリ、そろそろ母君の所に行こうか。それでは我々も失礼します」

「成仁殿、私もご一緒してよろしいですか。カイリの母君の様子を一度確認しておきたいのです」

「わかりました。では清流殿もいらしてください


 カイリ、清流、成仁の三人は渡り廊下を通り、母が眠る離れの部屋へと向かった。



 ◇◇◇

 久しぶりの母との対面。
 カイリの顔は強張っていた。

 静かに戸を引けば、そこには相変わらず瞼を閉じて横たわる母の姿があり、また少し痩せてしまったがその姿にホッとするような悲しいような感情がカイリの中で入り乱れた。


「カイリ、一度祓ってみてもいいですか?」

 清流からの問いに驚いたカイリは、「昼間に祓除ふつじょができるのですか?」と質問に質問で答えてしまった。

「母君のように確実に取り憑かれている場合、そこに妖が必ずいるわけですから不可能ではありません」


(そんなことが本当に可能なのか……)


 本来妖退治とは、日没後薄明が終わりを告げ、妖が姿を現してから行われるものだ。
 昼間は相手の気配を感じたとしても、姿を見ることはできないし、取り憑いていない妖たちは姿を潜め隠れている。

 確かにそこに存在しているのだろうが、『目に見えないモノを祓う』……カイリにはできないことだった。

 カイリの母を包み込むように、結界が張られる。

 清流は祓除を開始した。
 カイリの心臓は期待で波打ち、母の姿を食い入るように見つめる。しかし、しばらくすると清流は杖を握る手を静かに下ろして頭を振った。


「これは驚きました、カイリの言うとおりですね。母君に取り憑いている妖は、非常に弱いが複雑に絡み合っていて剥がれようとしない。ひどく執着しているようだ……私もこのような状態は初めて見ます」

 清流の力をもってしても、この妖は祓えない……『もしかしたら』というカイリの期待は呆気なく砕かれてしまった。

 なぜこれほどまでにカイリの母に執着するのか……本当におぞましい。カイリはこの妖の異常さに心の底から怒りが沸き上がった。


「清流殿がおっしゃるとおり、非常に珍しい現象だと思います。しかしカイリ、よく赤眼を見つけられましたね。本当に運がいい」

「はい、彼女に出会えたのは奇跡だと思っています」

 清流でも祓除できないとわかった今、小花こはるだけが頼みの綱だ。もしも小花でも無理だったらという不安と、彼女の力なら必ず大丈夫という気持ちで心が激しく揺れる。

 早く夜になれ、とカイリは空を見上げた。



 カイリと清流が部屋から出ると、引き戸の前でキョウと響が待ち構えていた。

「二人ともどうした?」

「カイリ、浄化の間、俺たち中で待機してた方がいい?」
「もしも大蛇が出てきたら、お父様の仇を取ってやるつもり」

 キョウと響、二人の笑顔が頼もしい。カイリが迷わず赤眼の探しの旅に出ることができたのは、この二人の後押しがあったからだ。

 本当ならそんな二人に隠し事はしたくない。だが、小花のことを伏せておくためにも、部屋の中で待機というのは断らなければならない。

 浄化は満月が見える東側の障子を全開にして行う予定だ。この引き戸がある南側、そして小さな格子窓がある西側を双子に頼むのが良さそうだとカイリは考えた。


「キョウと響はこの部屋の西と南を外から守ってくれ。俺と師匠は北と東を見張るから、あいつが逃げ出したら仕留めてほしい」

「もちろん任せて! その時は私が仕留めるわ」
「カイリ……お前の母さん、今日こそ目を覚ますよ」

「二人とも……ありがとう」

 キョウの最後の言葉に胸が熱くなる。改めて二人が友で良かったとカイリは思った。
 そして、その場から去っていくキョウと響を、なぜか清流が懐かしそうな目で見ていることにカイリは気がついた。


「師匠……?」

「――ああ、すみません。君たちを見ていると、私の兄妹を思い出します」

 清流の兄妹とは、剣術の天才と呼ばれる『士英しえい』、そして天才医師である『一華いちか』のことである。

 そこに天才術師である清流を含めた双子山の三人といえば、この国にその名を馳せる有名人だ。


「士英様と一華様のことですか?」

「はい。私の大切な家族です」


 清流、士英、一華の三人は、皆親のいない子どもだったと言われている。

 小花としゅうは正しくは親戚なので清流たちとは同じではないのだが、本当の兄妹ではない、または血の繋がりのない者たちが家族と呼べるほど信頼し合うには、どれほど濃密に関わり合ってきたのだろう。

 実の父とでさえ、わだかまりを作ってしまい深い絆を結び損ねたカイリにとって、彼らの関係は羨ましく思えた。
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