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煩悩だらけの俺

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 俺デリク・シュレイバーはリリア・ブレインに恋をしている。

 チャンスが巡ってきたのは三日前。婚約者の公爵令嬢シャーロットが怪しい魔法陣を使おうとしたのがきっかけだった。

 どうやっても婚約を解消できないものだから、ついに俺を殺そうとしたのだと思い、初めて彼女を怒鳴ってしまった。悔しそうに泣くシャーロットの口からリリアの名前が出た瞬間、全身が燃えるように熱くなった。

 ――これを口実にリリアに会える。

 胸元の服を握りしめ胸を押さえつけた。そうでもしないと躍動する心臓が飛び出てしまいそうだったからだ。

 もちろん婚約している身でこんな事を考えるなんて間違っている。そんなことは十分に承知している。でも俺は、この先訪れる地獄の結婚生活を耐え抜くために『一生の思い出を作ろう!』、そう決意したんだ。

 溢れる想いと緊張を押し隠し、リリアの店に乗り込んで少しばかり恥ずかしい思いもしたけれど、なんとか彼女と接点を持つことに成功。

 その上、監視という言いがかりを付けて魔術店に上がり込み、手料理を食べさせてもらうという一大イベントまで体験することができた。リリアは「味は期待しないでください」なんて言ったけれど、彼女が作ってくれたベーコンエッグサンド、最高に美味かった。この先、つらく苦しくなるたびにベーコンエッグサンドを食べよう。

 そして今、リリアは俺の部屋で、俺の目の前で魔導書を読んでいる。何の楽しみもない、死んだ魚のような目をしていた数日前までの自分に教えてあげたい。俺の部屋にリリアが来ることを。
 
 渡す勇気もないくせに彼女へのプレゼントに買い続けた何冊もの魔導書。「全部あげる」と言ったら喜ぶだろうか……いやいや、急にそんなことを言ったら引かれるか。

 つい先ほど呪われているという事実が発覚したけれど、そのおかげでもう少しリリアと一緒にいられそうだ。
 思い起こせば四年前。王立学園の図書館に続く廊下でリリアを見かけたあの日、この恋が始まったんだな――。



 ◇◇◇

 四年前、王立学園。
 図書館へと続く長い廊下。

 この学園に入学したばかりのデリクは、少し前をふらふらと歩く小柄な少女に気を取られていた。彼と同じ新入生のリリアだ。鼻の辺りまで積み上げられた本を両手で抱える彼女の足元はかなり危なっかしい。前がよく見えないのか右・左と頭を揺らすたびに白銀の艶めく髪もサラサラと揺れる。

(あんなにたくさんの本を一度に抱えて大丈夫だろうか……)

 デリクは知らない人に声をかけるのは得意ではない。しかし、図書館までコケるかコケないかヒヤヒヤしながら彼女の後ろを歩き続けるのも気持ちが悪い。きっと行き先は同じなのだから声をかけようと踏み出した時、ド派手にリリアがコケた。

 デリクは思わず片目を閉じて立ち止まったが、ドサッ・ドタン、何でもいい、本来聞こえるはずの転倒音や本が散らばる音が聞こえてこないのだ。疑問を感じた彼の耳に、

「危なかった」

 落ち着いたリリアの声が届いた。

 惨状を確認するためにゆっくりと瞼を開く。デリクの目に映ったのは床すれすれのところでうつ伏せに浮かんでいる彼女と、同じく浮かぶ魔導書。取り乱すことなくふわりと起き上がったリリアは乱れたスカートをパッパッと払い、右手を伸ばした。手のひらの上に魔導書が綺麗に積み重なっていく。それを先ほどのように両腕で抱え直し、彼女はトンと軽い着地音を鳴らして再び廊下を歩き始めたのだった。

「凄い……」

 トクントクン……と心音が体中に響く。デリクの胸が熱くなった。図書館に入ったデリクは、リリアから少し離れた席に座ってその顔を確認すると、以降彼女を探し目で追うようになったのだった。

 そして目で追う日々を重ねるうちに、デリクはリリアが魔法を使って誰にも気付かれないような人助けを楽しんでいることに気が付いた。

 例えば強風で乱れた髪を直してあげたり、中身の入ったコップが倒れそうになるのを戻したり。雨の日に泥跳ねを防いだりもしていた。
 その人助けは実にさまざまで、一つひとつは小さな事かもしれない。しかし、気位ばかりが高く自分の事しか考えられない令嬢たちとは違うリリアの思いやりにデリクは好感を持ったのだった。

 久しぶりに再会したリリアは、魔術店の雇われ店長として人々のより良い暮らしのために新たな魔法陣の試行錯誤に頭を悩ます日々を送っていた。人助けをしたいという彼女の考え方は昔と何ら変わることはなく、懐かしい思いがデリクの心を満たしていく。その反面、今の彼女をもっと知りたい、もっとそばにいたいという『思い出作り』だけでは収まらない欲望がデリクの脳内をじわじわと侵食し始めたのだった。



 ◇◇◇

(ああ、俺の部屋にリリアが……。あっ、笑った。可愛い……もっと近くに座れたらいいのに……)

 デリクはリリアとの出会いを思い出して胸が熱くなった。魔導書を読みふける彼女をどうしても見つめてしまう。しかし、向かい合って座る二人の間にあるローテーブルが、二人の縮まらない距離を表しているようでデリクを寂しくさせた。


 ――コンコン。
「デリク様、お茶をお持ちしました」

 ニールの声だ。今年三十歳になる彼は家令の息子で、デリク専属の従者だ。ニールだけがデリクのリリアに対する恋心を知っている。

「リリア様、少し休憩なさってください」

 ニールはテーブルに紅茶とお菓子を並べていく。クッキーにカラフルなマカロン、カップケーキ。甘い香りが部屋を満たしていく。

「おいしそうですね。ミシェル様もお呼びになってはいかがですか?」
 ニールが糸目をキッと見開き、デリクを見て小さく横に首を振る。

「ああ……えーっと、その……俺と二人じゃダメだろうか。ほら、ミシェルがいたらうるさくて休憩にならない」
「……そうですか」
 少し寂しそうに答えたリリアを見て、妹に嫉妬してしまう心狭き兄。

「では、わたくしは失礼いたします(神様、坊ちゃまに至福のひと時を)」
 再び糸目に戻ったニールは穏やかな笑みを浮かべて部屋をあとにした。

「疲れただろう? たくさん食べてくれ」
「ありがとうございます。このティーカップとても素敵ですね」

 金縁仕上げされたティーカップとソーサー。描かれた青いバラは繊細で、洗練されたデザインはいつまでも見ていたくなるほど美しい。

「うちの工房で職人が一つひとつ手作りした物だよ。製造以外に、職人の育成にも力を入れてるんだ」

 シュレイバー家は代々食器製造をしており、中でも職人が描く美しいティーセットは王室御用達で貴族たちからも愛されている。外国でもその知名度は高く、他国からわざわざ買い付けに来るほど人気なのだ。

「淡いブルー、デリク様の瞳のお色ですね。凄く綺麗」

(綺麗!? カップが? それとも俺がだろうか)

 リリアのちょっとした言葉でドギマギしてしまう。視界に入ったベッドを見て、デリクはふとリリアが描いた媚薬の魔法陣のことを思い出してしまった。

(熱い夜を……。お、俺はそんなつもりじゃ!)

 普段性欲ゼロに見えるデリクももちろん男。好きな子と自室で二人きり。何も妄想しない方がおかしいだろう。ごく普通の事だ。

(煩悩だらけじゃないか! 滅されろ俺!)
 この時、デリクは完全に浮かれきっていた。

「そうだ、伯爵夫人と挨拶を交わした時にシャーロット様と私の関係を否定してくださいましたね。嬉しかったです、ありがとうございました」
「あれは……」
「ということはですよ、デリク様。私の疑いはめでたく晴れたというわけで監視は終わりですね。良かった」

 目の前で晴れやかに笑うリリア。デリクの顔から血の気が引いた。
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