1 / 24
プロローグ〜乗り込んできた伯爵令息〜
しおりを挟む
「この魔法陣、君が描いたものか?」
王都の中心街から外れた小さな魔術店。王立学園を卒業後雇われ店長として二年目のリリアは、目の前に突きつけられた一枚の紙を凝視していた。そこには寸分の狂いなく美しい魔法陣が描かれている。
紙を持つのは伯爵家の令息デリク・シュレイバー。すらりと背の高い彼の金髪はふわりと軽やかで、触らなくとも柔らかなことがよく分かる。その柔らかさとは正反対に鋭く細められた淡いブルーの瞳がリリアを睨みつけた。
記憶を辿ってみても彼にこの魔法陣を売った記憶はない。ということは……。リリアは右手で長い白銀の髪を耳にかけながら薄いグリーンの瞳でデリクを見上げた。
「あの……どこでそれを手に入れましたか?」
「昨晩、婚約者がこれを私に使おとした。もたもたしていたところ取り上げてみれば、『君に命令された。自分は悪くない』と涙を流して白状した。で、この陣は? 見慣れないもののようだが、内容によっては重い罰を与える」
罰という言葉にリリアの眉がピクリと反応する。
(失敗した婚約者のことを考えたら、この陣が何かあまり言いたくはないけど……ややこしいことに巻き込まれてここをクビになるのは困るな……)
魔術に没頭しすぎるあまり気味が悪いと婚約者に逃げられたリリアは、卒業後結婚のあてもなく恩師の勧めで王都の端のこの店で雇われ店長として働いている。稼ぎを実家に仕送りをしているため、ここをクビになったら没落ギリギリの貧乏男爵家にとってはかなりの痛手。リリアはあっさり口を割ることにした。
「それは、感情を昂らせる魔法陣です」
「昂らせる?」
「ええっと……つまり、媚薬と同じような効力です」
「び、媚薬!?」
「はい。詳しく説明すると、使用した二人が熱い夜を過ごせるというものです。悪用されてはいけませんので、購入時誓約書にサインを頂いております。紙にはナンバーが隠し文字として――」
リリアの目の前に突きつけられた紙が震えている。ちらりとデリクを窺えば、視線を逸らした彼が白く透き通った肌を真っ赤にして必死に耐えている。それはあまりにも珍しい光景で、普段の彼との落差に引き込まれたリリアの視線は釘付けになってしまっていた。
「……どうしました?」
慎重にデリクに問いかけてみる。
「てっきり俺を殺すための魔法陣かと思っていた。ブレイン男爵令嬢。君は……それを使って……俺と熱い夜を過ごそうと……」
「…………へ?」
リリアは思わず間抜けな声を出してしまった。『言っちゃった』みたいな感じで強く目を閉じたデリクの顔がさらに赤くなる。
(盛大な勘違いをなさってる……)
リリアがそんなことを思っていると、彼の口から第二弾が放たれた。
「俺と既成事実を作って婚約を解消させようとしたのか。その……いつからだろうか。もしかして学生の頃からだったりするのか? 確かに俺は婚約してるけど双方に愛のない婚約で……」
「学生の頃からか?」という言葉から推測するに、デリクはリリアを以前から知っていたようだ。確かに二人は同じ王立学園に通っていた同級生である。リリアは田舎の貧乏男爵令嬢だが、この国では珍しい魔力持ちということで、金持ち貴族が通う王立学園の魔術科に入学したのだった。
しかし少人数の魔術科はクラスも別棟にあり、デリクとは今に至るまで話したことも無ければ目が合ったことすら無い。彼は群がる令嬢たちに随分と塩対応だったし、いつも無表情でつまらなそうだった。その彼がこんなにも可愛らしく赤面するなんて目が離せるわけがない。遠慮もせずにリリアは見入ってしまった。
(とりあえず誤解をとこう!)
「デリク様。確かに私が売ったものですけど、命令なんてしていません。これは想い合った二人が詠唱して初めて陣が発動します。デリク様と熱い夜をお過ごしになりたかったのは婚約者のご令嬢だと思われ――」
「なっ……そんなわけない! 君だって同じ学園に通ってたんだ、知ってるだろう? 彼女には愛する人がいて俺との婚約を解消したがっていることを。本当に君の意思は無かったと?」
「そうですね……」
何という恥ずかしい勘違いだろうか。デリクは大きく見開いた目をぎゅっと瞑って、固く唇を結び勢いよく顔を背けた。付き添っている糸目の従者は気持ちが読み取りづらいが、彼もさすがに気まずそうだ。
「デリク様、その紙こちらで処分します」
「いや、これは証拠として俺がもらっておく。それから、こんなハレンチな物を売った君にも罰を与えるから覚悟しておくように! また来る!!」
バタンと勢いよく閉まる扉。伸ばしたリリアの右手がゆっくりと下がった。
「…………」
ハレンチ……。しかもまた来る? 違う、問題はそこではない。罰が与えられるということだ。『クビ』の二文字が頭によぎる。
「特注魔法陣購入時に交わす誓約書には、問題を起こした場合使用した本人が責任を取ることになってるし……大丈夫よね……」
あはは……と弱々しく笑うリリアはまだ知らなかった。あの男、デリク・シュレイバーがどんな人物であるか。
彼が下す罰がどんなものなのか……。
王都の中心街から外れた小さな魔術店。王立学園を卒業後雇われ店長として二年目のリリアは、目の前に突きつけられた一枚の紙を凝視していた。そこには寸分の狂いなく美しい魔法陣が描かれている。
紙を持つのは伯爵家の令息デリク・シュレイバー。すらりと背の高い彼の金髪はふわりと軽やかで、触らなくとも柔らかなことがよく分かる。その柔らかさとは正反対に鋭く細められた淡いブルーの瞳がリリアを睨みつけた。
記憶を辿ってみても彼にこの魔法陣を売った記憶はない。ということは……。リリアは右手で長い白銀の髪を耳にかけながら薄いグリーンの瞳でデリクを見上げた。
「あの……どこでそれを手に入れましたか?」
「昨晩、婚約者がこれを私に使おとした。もたもたしていたところ取り上げてみれば、『君に命令された。自分は悪くない』と涙を流して白状した。で、この陣は? 見慣れないもののようだが、内容によっては重い罰を与える」
罰という言葉にリリアの眉がピクリと反応する。
(失敗した婚約者のことを考えたら、この陣が何かあまり言いたくはないけど……ややこしいことに巻き込まれてここをクビになるのは困るな……)
魔術に没頭しすぎるあまり気味が悪いと婚約者に逃げられたリリアは、卒業後結婚のあてもなく恩師の勧めで王都の端のこの店で雇われ店長として働いている。稼ぎを実家に仕送りをしているため、ここをクビになったら没落ギリギリの貧乏男爵家にとってはかなりの痛手。リリアはあっさり口を割ることにした。
「それは、感情を昂らせる魔法陣です」
「昂らせる?」
「ええっと……つまり、媚薬と同じような効力です」
「び、媚薬!?」
「はい。詳しく説明すると、使用した二人が熱い夜を過ごせるというものです。悪用されてはいけませんので、購入時誓約書にサインを頂いております。紙にはナンバーが隠し文字として――」
リリアの目の前に突きつけられた紙が震えている。ちらりとデリクを窺えば、視線を逸らした彼が白く透き通った肌を真っ赤にして必死に耐えている。それはあまりにも珍しい光景で、普段の彼との落差に引き込まれたリリアの視線は釘付けになってしまっていた。
「……どうしました?」
慎重にデリクに問いかけてみる。
「てっきり俺を殺すための魔法陣かと思っていた。ブレイン男爵令嬢。君は……それを使って……俺と熱い夜を過ごそうと……」
「…………へ?」
リリアは思わず間抜けな声を出してしまった。『言っちゃった』みたいな感じで強く目を閉じたデリクの顔がさらに赤くなる。
(盛大な勘違いをなさってる……)
リリアがそんなことを思っていると、彼の口から第二弾が放たれた。
「俺と既成事実を作って婚約を解消させようとしたのか。その……いつからだろうか。もしかして学生の頃からだったりするのか? 確かに俺は婚約してるけど双方に愛のない婚約で……」
「学生の頃からか?」という言葉から推測するに、デリクはリリアを以前から知っていたようだ。確かに二人は同じ王立学園に通っていた同級生である。リリアは田舎の貧乏男爵令嬢だが、この国では珍しい魔力持ちということで、金持ち貴族が通う王立学園の魔術科に入学したのだった。
しかし少人数の魔術科はクラスも別棟にあり、デリクとは今に至るまで話したことも無ければ目が合ったことすら無い。彼は群がる令嬢たちに随分と塩対応だったし、いつも無表情でつまらなそうだった。その彼がこんなにも可愛らしく赤面するなんて目が離せるわけがない。遠慮もせずにリリアは見入ってしまった。
(とりあえず誤解をとこう!)
「デリク様。確かに私が売ったものですけど、命令なんてしていません。これは想い合った二人が詠唱して初めて陣が発動します。デリク様と熱い夜をお過ごしになりたかったのは婚約者のご令嬢だと思われ――」
「なっ……そんなわけない! 君だって同じ学園に通ってたんだ、知ってるだろう? 彼女には愛する人がいて俺との婚約を解消したがっていることを。本当に君の意思は無かったと?」
「そうですね……」
何という恥ずかしい勘違いだろうか。デリクは大きく見開いた目をぎゅっと瞑って、固く唇を結び勢いよく顔を背けた。付き添っている糸目の従者は気持ちが読み取りづらいが、彼もさすがに気まずそうだ。
「デリク様、その紙こちらで処分します」
「いや、これは証拠として俺がもらっておく。それから、こんなハレンチな物を売った君にも罰を与えるから覚悟しておくように! また来る!!」
バタンと勢いよく閉まる扉。伸ばしたリリアの右手がゆっくりと下がった。
「…………」
ハレンチ……。しかもまた来る? 違う、問題はそこではない。罰が与えられるということだ。『クビ』の二文字が頭によぎる。
「特注魔法陣購入時に交わす誓約書には、問題を起こした場合使用した本人が責任を取ることになってるし……大丈夫よね……」
あはは……と弱々しく笑うリリアはまだ知らなかった。あの男、デリク・シュレイバーがどんな人物であるか。
彼が下す罰がどんなものなのか……。
1
お気に入りに追加
317
あなたにおすすめの小説
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
森に捨てられた令嬢、本当の幸せを見つけました。
玖保ひかる
恋愛
[完結]
北の大国ナバランドの貴族、ヴァンダーウォール伯爵家の令嬢アリステルは、継母に冷遇され一人別棟で生活していた。
ある日、継母から仲直りをしたいとお茶会に誘われ、勧められたお茶を口にしたところ意識を失ってしまう。
アリステルが目を覚ましたのは、魔の森と人々が恐れる深い森の中。
森に捨てられてしまったのだ。
南の隣国を目指して歩き出したアリステル。腕利きの冒険者レオンと出会い、新天地での新しい人生を始めるのだが…。
苦難を乗り越えて、愛する人と本当の幸せを見つける物語。
※小説家になろうで公開した作品を改編した物です。
※完結しました。
踏み台令嬢はへこたれない
IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので
モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。
貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。
──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。
……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!?
公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。
(『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる