青き瞳に映るのは桃色の閃光

岬 空弥

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もう逃げられない

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 ハーロンからマシューを紹介された日から、アリッサは昼休みや放課後にマシューと時間を合わせて勉強を教えてもらうことが多くなった。
ハーロンが自慢するだけあって、アリッサのどんな疑問にも難なく答えることの出来るマシューは、本当に優秀な人物であった。

現実逃避するかのように、がむしゃらに勉強に励んでいたアリッサにとって、マシューの存在は本当に助かっていた。彼はアリッサの家のことも散々噂されているレナートとの関係についても全く聞いてこなかったので、変な気を使わず普通の会話が出来ることにとても感謝していた。

ヴィスタもエステルダも、事あるごとにアリッサに話しかけようとチャンスを狙っていたようだが、何も話したくないアリッサは、彼らの気配を読んで徹底的に逃げ回っていた。そして、それはレナートにも当てはまった。

そんな訳で、レナートの婚約話が出てからというもの、アリッサはひたすら逃げ回り、結果、誰ともまともに話をしていない状態であった。

そんなアリッサだったが、さすがにマシューといる時に、一人で逃げ出すことは出来なかった。


「うん、大丈夫。ちゃんとできているね。」

 学園の食堂で、マシューと一緒に食事をしたアリッサは、そのまま昨日出してもらった宿題を採点してもらっていた。食事中にヴィスタが相席を求めてきたが、ごめんの一言でアリッサは断ってしまった。しかし先ほどから、背後からはエステルダの気配を強く感じるし、斜め前の席にはレナートが睨むようにじっとこちらを見ているのが視界に入っていて、アリッサはマシューとの会話に全然身が入っていなかった。

「アリッサ、聞いてる?」

「えっ!? はい、ええ。聞いてるわ。」

本当は全く耳に入っていなかったけれど、さすがにレナートの視線が気になって聞いていませんでしたとは言えず、咄嗟に聞いてると嘘を吐いてしまった。
するとマシューは困ったように笑うと、すっと立ち上がり、一つ隣の席に移った。

(あ・・・レナート様が見えなくなった。)

どうやらマシューは、アリッサの後ろからこちらを監視しているエステルダのことはもちろん、自分の斜め後ろにレナートがいることも分かっていたようだ。そして席を隣に移したことで、アリッサの視界からレナートを遮ったのだった。

(人の色恋沙汰なんて、全然興味のない人だと思っていたけど、さすがに知ってたのね。それとも、ハーロンが気を遣って教えてくれていたのかしら・・・)

しかし、その小さな気遣いに対してアリッサが感謝を伝える暇もなく、マシューはそそくさと勉強道具をしまったかと思うと、「いくよ。」 と言ってアリッサの手を引いて足早に食堂を後にした。いきなり何事かと思い、手を引かれながら振り返ったアリッサは、その理由を直ぐに理解した。

振り返ったアリッサが見たものは、強い怒りをあらわにしたレナートが、人目も気にせずこちらに向かって走って来る姿だった。
ちらりと後方に目を向けたマシューが、小さな声で 「うわー・・・。」 と言うのが聞こえた。そして、「アリッサ、走るよ!」 と言ったかと思うと、アリッサの手をグンと強く引いてマシューも走り出した。その時、背後からレナートの怒声が響き渡った。

「私のアリッサに触れるなっ!!」

その声と同時に、ひと気のない靴置き場の前でマシューの足は止まった。

「さすがにこれは逃げきれないな・・・。」

と、言って静かに足を止めたマシューを見上げると、やれやれと言った様子で苦笑いを浮かべていた。

走って来たレナートがアリッサの名前を呼びながら手を伸ばしたが、その手から庇うようにマシューはアリッサを自分の方に引き寄せた。

「私のアリッサから離れろ。」

その声は、アリッサの知るレナートのものとは思えない程に低く、強い怒りが滲み出ていた。恐ろしいほどレナートの目は据わっており、近付いたら殺されてしまうのではないかと思う程の殺気を放っている。

「君にそんな権利はないだろう?」

マシューは、冷たく言い放った。

「・・・アリッサを返せ。」

「だから、そんなこと君に言われたくないよ。」

「マシュー様、駄目です!! 今の彼は危険です。」

そう言うと、マシューの腕からするりと抜けたアリッサが、マシューの前に立ちはだかり、もはや怒りで手の震えているレナートと視線を合わせた。

(なぜ、ここまで・・・。)

レナートの血走った目は、戦闘に自信のあるアリッサですら恐怖を感じるほど我を失っているように見えた。レナートと視線を合わせたまま、アリッサは早口でマシューに謝った。

「マシュー様、せっかくお時間を作って頂いたのに、ご迷惑をかけてすみません。」

そして、マシューの返事を聞く前にヴィスタの名前を呼んだ。

名前を呼ばれ、直ぐに現れたヴィスタは、どうやら異変を感じてすぐ側まで来ていたらしい。

「マシュー様をお願い。」

先ほどから、アリッサがマシューの名を呼ぶたびに、レナートの眉間の皺は深くなり、マシューを睨む目つきもどんどん強くなっていた。少しでも気を抜いたら、マシューに殴りかかって行きそうな気がして、アリッサもヴィスタもレナートから視線を外すことが出来なかった。

「わかった・・・。」

「ヴィスタ、早く!」

「でも、姉さんは!?」

ヴィスタの気遣う言葉を前に、アリッサは美しく笑った。

「なに言ってんの!相手はレナート様よ? 大丈夫に決まってるじゃない。」

「くっ・・・・。」

すると、怒りに満ちたレナートから、徐々に殺気が抜けていくのが分かった。そして、今にも泣きだしそうなほど顔をくしゃくしゃにしたレナートが、手を前に出しながら、一歩、また一歩とアリッサに近付いて来た。アリッサの背後では、ヴィスタとマシューの足音が去って行くのが聞こえていた。レナートは何も言わず、アリッサの手を取るとそのまま自分の方に引き寄せた。

(レナート様の香りだ・・・。)

それまで必死になって考えないように頑張ってきたアリッサの心が一気に満たされるのが分かった。忘れなくてはいけないと心に蓋をしていたつもりだったが、本当は蓋などできる大きさの穴ではなかったことを、アリッサは大きな満足感を得て、この時初めて実感したのだ。

レナートの腕の中で、ちらりと顔を見上げると、泣いているのかと思うような情けない顔をしたレナートと視線が合ってしまったが、なぜかその瞳だけは射貫くように鋭く、まるで、もう逃がさないと言われているような気になってしまい、アリッサは戸惑いながら視線を逸らした。

「アリッサ、話があります。お願いだから、もう逃げないで・・・。」

アリッサを抱く腕に強い力が入った。

「放課後にあの場所で待っています。アリッサ、必ず来てください。」

レナートの腕に包まれたアリッサは、レナートの温もりに喜びを感じながらも、もう逃げることすらできなくなってしまったことを悟った。それが自分にとってどんなに恐ろしいことか分かっていても、彼女には「はい」と返事をするしかなかった。
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