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無責任大臣
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夕方になり、水を求める人がいなくなるとジョナスは残りの魔力で貯水池に水を追加する。
農業用水にと作られた小さな貯水池だったが、ひと気がなくなり辺りが静まると今度は野生の動物たちが水を求めにやって来る。
警戒心が薄いのか、それともジョナスが水を出す人間だと認識しているのかは分からないが、新鮮な水を溢れるほどに注いでいる間中、水を飲む動物たちがジョナスを警戒することはなかった。
家に入り、昼間に作ってもらった食事を一人で食べる。その後は何もすることのない静かな時間が訪れる。
これがジョナスにとって最も落ち着ける時間であり、過去を懐かしむ唯一の時間でもあった。
静か過ぎる部屋の中、小さな窓からは星空が見える。焼け付くような日中の暑さとは打って変わって、夜になるとぐっと気温が下がる。
寒さに身を震わせながら肩のショールをしっかりと巻き直す。
このショールも二年前にヤソックが持たせてくれたものだった。当時は真新しい高級ショールだったが、ジョナスとの長旅で今ではすっかりくたびれてしまっている。
トランクには、他にも旅に必要なものがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。中にはもちろんお金も入っており、ヤソックの母親である侯爵夫人に頂いた金額と合わせれば、その後の一人旅でジョナスがお金に困ることはなかった。
大切に棚に飾ってある手鏡を見つめる。どれもこれも大切に使ってきたつもりだが、トランクを始め、持たせてもらった物全てが長旅を終えた今、なぜかくったりと疲れ切った顔に見えるのは、自分の気のせいだと思いたい。
『ジョナスが大切に使わないからだよ!本当に雑なんだから』
ヤソックだったらきっとこんなことを言ったりするのだろうか・・・半分笑いながら・・・。
星空を見上げるジョナスの顔がほころぶ。
二年前、ジョナスは何もかもを放り出して逃げ出した。
誰にも行き先を告げずに一人で勝手に王都を出たのだ。
世話になったドノワーズ侯爵家に一応お礼だけは伝えたつもりだが、別れの挨拶として正しかったかと聞かれれば、決してそうとは言えない。
ヤソックの留守を狙っての行動は、一方的で自分勝手なものだったに違いない。
義実家どころか、自分の実家にすら連絡は入れなかった。
もちろん職場になど連絡するはずもない。
全て放棄して逃走した自分は、知らないうちに無責任大臣の役職を得ているかもしれない。
全てを捨てたジョナスに唯一残されたものは、水魔法だけだったのだ。
「自分の魔法で人々の役に立ちたい」
無責任大臣のくせに、どの口が言ってるのだろうと自分でもツッコミたい気持ちはあったが、やってしまった自分の罪を少しでも人の役に立つことで償いたいと気持ちを前向きに切り替えた。
それに、何を言ったところで、これからは一人で生きて行かなければならないのだ。
ならば、この水魔法を必要としてくれる場所を探してみようと思った。
だが、そうは言っても常に後悔はつき纏った。
夜の静寂に寂しさは募り、眩しい朝日に溜息がこぼれた。そして日中の賑やかな喧騒がジョナスに孤独を突き付ける。
彼らを思い出す度に涙が滲んだ。元気でいてくれるだろうか、自分がいなくなった後どうしているだろう。もう一度声が聞きたい、せめて遠目でもいいから姿が見たい。どうか笑っていてほしい。どうか幸せでいてほしい。
家族が好きだった。仕事が好きだった。職場の仲間も好きだった。自分達夫婦の家が好きだった。義実家も好きだし、ドノワーズ侯爵家も好きだった。
ヤソックが好きだった。
そして、
ロステルが好きだった。
最後の日にジョナスが唯一立ち寄った場所は、あの公園にある二人の秘密の場所だった。
宝物が入った缶の中に、ジョナスは結婚指輪と離婚届、そして、小さなメモ紙を一枚入れた。
『今までありがとう。あなたの幸せを祈ってる』
農業用水にと作られた小さな貯水池だったが、ひと気がなくなり辺りが静まると今度は野生の動物たちが水を求めにやって来る。
警戒心が薄いのか、それともジョナスが水を出す人間だと認識しているのかは分からないが、新鮮な水を溢れるほどに注いでいる間中、水を飲む動物たちがジョナスを警戒することはなかった。
家に入り、昼間に作ってもらった食事を一人で食べる。その後は何もすることのない静かな時間が訪れる。
これがジョナスにとって最も落ち着ける時間であり、過去を懐かしむ唯一の時間でもあった。
静か過ぎる部屋の中、小さな窓からは星空が見える。焼け付くような日中の暑さとは打って変わって、夜になるとぐっと気温が下がる。
寒さに身を震わせながら肩のショールをしっかりと巻き直す。
このショールも二年前にヤソックが持たせてくれたものだった。当時は真新しい高級ショールだったが、ジョナスとの長旅で今ではすっかりくたびれてしまっている。
トランクには、他にも旅に必要なものがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。中にはもちろんお金も入っており、ヤソックの母親である侯爵夫人に頂いた金額と合わせれば、その後の一人旅でジョナスがお金に困ることはなかった。
大切に棚に飾ってある手鏡を見つめる。どれもこれも大切に使ってきたつもりだが、トランクを始め、持たせてもらった物全てが長旅を終えた今、なぜかくったりと疲れ切った顔に見えるのは、自分の気のせいだと思いたい。
『ジョナスが大切に使わないからだよ!本当に雑なんだから』
ヤソックだったらきっとこんなことを言ったりするのだろうか・・・半分笑いながら・・・。
星空を見上げるジョナスの顔がほころぶ。
二年前、ジョナスは何もかもを放り出して逃げ出した。
誰にも行き先を告げずに一人で勝手に王都を出たのだ。
世話になったドノワーズ侯爵家に一応お礼だけは伝えたつもりだが、別れの挨拶として正しかったかと聞かれれば、決してそうとは言えない。
ヤソックの留守を狙っての行動は、一方的で自分勝手なものだったに違いない。
義実家どころか、自分の実家にすら連絡は入れなかった。
もちろん職場になど連絡するはずもない。
全て放棄して逃走した自分は、知らないうちに無責任大臣の役職を得ているかもしれない。
全てを捨てたジョナスに唯一残されたものは、水魔法だけだったのだ。
「自分の魔法で人々の役に立ちたい」
無責任大臣のくせに、どの口が言ってるのだろうと自分でもツッコミたい気持ちはあったが、やってしまった自分の罪を少しでも人の役に立つことで償いたいと気持ちを前向きに切り替えた。
それに、何を言ったところで、これからは一人で生きて行かなければならないのだ。
ならば、この水魔法を必要としてくれる場所を探してみようと思った。
だが、そうは言っても常に後悔はつき纏った。
夜の静寂に寂しさは募り、眩しい朝日に溜息がこぼれた。そして日中の賑やかな喧騒がジョナスに孤独を突き付ける。
彼らを思い出す度に涙が滲んだ。元気でいてくれるだろうか、自分がいなくなった後どうしているだろう。もう一度声が聞きたい、せめて遠目でもいいから姿が見たい。どうか笑っていてほしい。どうか幸せでいてほしい。
家族が好きだった。仕事が好きだった。職場の仲間も好きだった。自分達夫婦の家が好きだった。義実家も好きだし、ドノワーズ侯爵家も好きだった。
ヤソックが好きだった。
そして、
ロステルが好きだった。
最後の日にジョナスが唯一立ち寄った場所は、あの公園にある二人の秘密の場所だった。
宝物が入った缶の中に、ジョナスは結婚指輪と離婚届、そして、小さなメモ紙を一枚入れた。
『今までありがとう。あなたの幸せを祈ってる』
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