上 下
67 / 75

飛べない鳩

しおりを挟む
 ジョナスとの時間は、これまでのヤソックの人生の中で一番幸せな時間だった。
部屋から出なくなったジョナスは一人で刺繍をしていることが多い。刺繍といえば花のイメージを持っていたが、彼女の作品の主役はいつも動物だ。
普段の大雑把な性格とは違い彼女の作り出す動物たちは驚くほどに繊細で躍動感に溢れている。

初めて見せられたハンカチには、草原を駆ける二頭の馬が刺繍されていた。あまりの腕前に目を丸くしたヤソックと夫人が信じられないものを見るような目でハンカチとジョナスの顔を何度も往復したので、彼女は口をとがらせて分かりやすく機嫌を損ねた。

「刺繍は母に厳しく教えられたんですぅー!だからとっても得意なんですぅぅー! 子供の時なんて泣きながらやらされたんだから! それと、私は絵も上手なのっ! 芸術的な水魔法の為には観察力が大切なのよ」

そう言われてみればジョナスの水魔法は、ウサギやカエル、鹿に白鳥、時には昆虫までもが細部に至るまで精密に表現されていた。

思わぬ特技のおかげで、部屋から出なくてもそれほど時間を持て余すことはないようだが、一日中誰とも話さないでいるのはさすがに寂しいようで、ヤソックが帰って来るなり騎士団での訓練内容などを詳しく聞きたがった。

「それで?私の代わりに入ってくれたヤソックの友人は他の団員と上手くやってるの?」

「ああ、ディルクなら大丈夫だよ。水魔法の技術は申し分ないし、それに、なによりあいつは俺と違って人当たりがいいから」

「あら、ヤソックだって優しいし素敵な人よ。誰にも負けないわ」

「・・・本当?」

「本当・・・なんだけど、そんなに見つめられるとさすがに恥ずかしい・・・な」

「キスしていい?」

ヤソックは頬を染めたジョナスの返事を待たずにゆっくりと唇を重ねた。

「だ、だから、見すぎ、近いってば」

恥ずかしそうに視線を逸らしたジョナスが、ヤソックから少し距離を取ろうと腰を浮かせるも肩に回された手にぐっと力が入り動くことができなかった。

「はははっ、照れてる。かわいい」

「もう、そんなにずっと見ないで!」

「ははっ、穴が開く?」

その時、ジョナスの動きが止まった。

(穴・・・?)

ジョナスの脳裏をとても温かくて懐かしいものが通り過ぎる。

(顔に穴が開く・・・・ドア・・・・鍵をかけなくてはいけないほど大切な何か・・・)

それは、とても楽しい時間。そこにあるのは嬉しくて仕方のない自分の笑顔。 そして滅多に見ることのできない泣きたくなるほどの優しい微笑み―――)


「ジョナス!!」

はっと気が付くと、ジョナスはヤソックに強く抱きしめられていた。

「ジョナス、駄目だよジョナス、お願いだから俺だけを見て。俺のことだけ考えて!ジョナス、ねえ、ジョナス!」

ヤソックが耳元で大きな声で叫んでいる。

「ヤソック、大丈夫だよ。私、何も思い出してない。本当に大丈夫だから、ヤソック、私、ヤソックのことだけ考えるよ。だから大丈夫、大丈夫だよ!」

慌ててヤソックの背中に腕を回したジョナスが力いっぱい抱きつくと、どちらのものかも分からない鼓動がドクンドクンとうるさく騒いでいた。

強く抱きしめたままジョナスをソファーに押し倒したヤソックは、片手で彼女の頭を押さえ唇を塞いだが、そこにあるのは熱を帯びた男女の睦み合いなどではなかった。
何度も繰り返される強引なキスの間、ヤソックの青ざめた顔にジョナスの胸は酷く痛んだ。今にも泣き出しそうなその瞳はまるで縋るようにも見えた。

「ごめん、ヤソック・・・ごめんね」

ジョナスの言葉がこれ以上続かないように、ヤソックは彼女の唇を塞いだ。

自分の気持ちに正直に生きて来たジョナスの動揺と 「ごめん」 の言葉が、なによりもヤソックを傷付ける。

『あなたの風魔法で、この鳩を飛ばせる?』

鳩を飛ばすことができるのは自分のはずだった。
だが・・・今のジョナスに果たして翼はあるのだろうか・・・。
羽をむしり取って飛べなくしたのは・・・一体誰なのだろう。

それでも彼女を手放すことなどできはしない。大空を夢見て自由に羽ばたいていた彼女をこうして狭い世界に閉じ込めてでも自分の側にいてほしかった。

それがみっともなく縋り付く姿だとしても、彼女が自分から離れて行かないのならそれでいいと思った。
それが彼女の愛情じゃなくても・・・たとえ同情だったとしても、それでも構わないと思った。

・・・ただ、ジョナスと一緒にいたかった。

(こんなに愛してしまった)



「ジョナス、結婚しよう」



この世に、結ばれるべくして出会う運命というものがあるのならば、やはりその逆の出会いも存在するのだろうか・・・。

この時、縋り付くように抱き合う二人が見せた涙に喜びは含まれていなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

旦那様に離縁をつきつけたら

cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。 仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。 突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。 我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。 ※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。 ※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。

好きでした、昨日まで

ヘロディア
恋愛
幸せな毎日を彼氏と送っていた主人公。 今日もデートに行くのだが、そこで知らない少女を見てから彼氏の様子がおかしい。 その真相は…

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

花婿が差し替えられました

凛江
恋愛
伯爵令嬢アリスの結婚式当日、突然花婿が相手の弟クロードに差し替えられた。 元々結婚相手など誰でもよかったアリスにはどうでもいいが、クロードは相当不満らしい。 その不満が花嫁に向かい、初夜の晩に爆発!二人はそのまま白い結婚に突入するのだった。 ラブコメ風(?)西洋ファンタジーの予定です。 ※『お転婆令嬢』と『さげわたし』読んでくださっている方、話がなかなか完結せず申し訳ありません。 ゆっくりでも完結させるつもりなので長い目で見ていただけると嬉しいです。 こちらの話は、早めに(80000字くらい?)完結させる予定です。 出来るだけ休まず突っ走りたいと思いますので、読んでいただけたら嬉しいです! ※すみません、100000字くらいになりそうです…。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

処理中です...