優しい風に背を向けて水の鳩は飛び立つ (面倒くさがりの君に切なさは似合わない)

岬 空弥

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飛べない鳩

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 ジョナスとの時間は、これまでのヤソックの人生の中で一番幸せな時間だった。
部屋から出なくなったジョナスは一人で刺繍をしていることが多い。刺繍といえば花のイメージを持っていたが、彼女の作品の主役はいつも動物だ。
普段の大雑把な性格とは違い彼女の作り出す動物たちは驚くほどに繊細で躍動感に溢れている。

初めて見せられたハンカチには、草原を駆ける二頭の馬が刺繍されていた。あまりの腕前に目を丸くしたヤソックと夫人が信じられないものを見るような目でハンカチとジョナスの顔を何度も往復したので、彼女は口をとがらせて分かりやすく機嫌を損ねた。

「刺繍は母に厳しく教えられたんですぅー!だからとっても得意なんですぅぅー! 子供の時なんて泣きながらやらされたんだから! それと、私は絵も上手なのっ! 芸術的な水魔法の為には観察力が大切なのよ」

そう言われてみればジョナスの水魔法は、ウサギやカエル、鹿に白鳥、時には昆虫までもが細部に至るまで精密に表現されていた。

思わぬ特技のおかげで、部屋から出なくてもそれほど時間を持て余すことはないようだが、一日中誰とも話さないでいるのはさすがに寂しいようで、ヤソックが帰って来るなり騎士団での訓練内容などを詳しく聞きたがった。

「それで?私の代わりに入ってくれたヤソックの友人は他の団員と上手くやってるの?」

「ああ、ディルクなら大丈夫だよ。水魔法の技術は申し分ないし、それに、なによりあいつは俺と違って人当たりがいいから」

「あら、ヤソックだって優しいし素敵な人よ。誰にも負けないわ」

「・・・本当?」

「本当・・・なんだけど、そんなに見つめられるとさすがに恥ずかしい・・・な」

「キスしていい?」

ヤソックは頬を染めたジョナスの返事を待たずにゆっくりと唇を重ねた。

「だ、だから、見すぎ、近いってば」

恥ずかしそうに視線を逸らしたジョナスが、ヤソックから少し距離を取ろうと腰を浮かせるも肩に回された手にぐっと力が入り動くことができなかった。

「はははっ、照れてる。かわいい」

「もう、そんなにずっと見ないで!」

「ははっ、穴が開く?」

その時、ジョナスの動きが止まった。

(穴・・・?)

ジョナスの脳裏をとても温かくて懐かしいものが通り過ぎる。

(顔に穴が開く・・・・ドア・・・・鍵をかけなくてはいけないほど大切な何か・・・)

それは、とても楽しい時間。そこにあるのは嬉しくて仕方のない自分の笑顔。 そして滅多に見ることのできない泣きたくなるほどの優しい微笑み―――)


「ジョナス!!」

はっと気が付くと、ジョナスはヤソックに強く抱きしめられていた。

「ジョナス、駄目だよジョナス、お願いだから俺だけを見て。俺のことだけ考えて!ジョナス、ねえ、ジョナス!」

ヤソックが耳元で大きな声で叫んでいる。

「ヤソック、大丈夫だよ。私、何も思い出してない。本当に大丈夫だから、ヤソック、私、ヤソックのことだけ考えるよ。だから大丈夫、大丈夫だよ!」

慌ててヤソックの背中に腕を回したジョナスが力いっぱい抱きつくと、どちらのものかも分からない鼓動がドクンドクンとうるさく騒いでいた。

強く抱きしめたままジョナスをソファーに押し倒したヤソックは、片手で彼女の頭を押さえ唇を塞いだが、そこにあるのは熱を帯びた男女の睦み合いなどではなかった。
何度も繰り返される強引なキスの間、ヤソックの青ざめた顔にジョナスの胸は酷く痛んだ。今にも泣き出しそうなその瞳はまるで縋るようにも見えた。

「ごめん、ヤソック・・・ごめんね」

ジョナスの言葉がこれ以上続かないように、ヤソックは彼女の唇を塞いだ。

自分の気持ちに正直に生きて来たジョナスの動揺と 「ごめん」 の言葉が、なによりもヤソックを傷付ける。

『あなたの風魔法で、この鳩を飛ばせる?』

鳩を飛ばすことができるのは自分のはずだった。
だが・・・今のジョナスに果たして翼はあるのだろうか・・・。
羽をむしり取って飛べなくしたのは・・・一体誰なのだろう。

それでも彼女を手放すことなどできはしない。大空を夢見て自由に羽ばたいていた彼女をこうして狭い世界に閉じ込めてでも自分の側にいてほしかった。

それがみっともなく縋り付く姿だとしても、彼女が自分から離れて行かないのならそれでいいと思った。
それが彼女の愛情じゃなくても・・・たとえ同情だったとしても、それでも構わないと思った。

・・・ただ、ジョナスと一緒にいたかった。

(こんなに愛してしまった)



「ジョナス、結婚しよう」



この世に、結ばれるべくして出会う運命というものがあるのならば、やはりその逆の出会いも存在するのだろうか・・・。

この時、縋り付くように抱き合う二人が見せた涙に喜びは含まれていなかった。
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