優しい風に背を向けて水の鳩は飛び立つ (面倒くさがりの君に切なさは似合わない)

岬 空弥

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ジョナスの告白

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「大丈夫?」

「・・・大声を出してごめん。でも・・・どうしても嫌な考えが頭をよぎってしまって」

なんとなくだが、ヤソックが常に何かに怯えていることにはジョナスも気がついていた。
それはきっと自分の夫のせいなのだろうと思う。

ヤソックの自分への気持ちが学生時代から続くものだと知った時は酷く驚いた。ずぶ濡れになったあの三日間で好意を持たれるなんて、そんなことが本当にあるのだろうかと信じられない気持ちも大きかったが、彼と一緒に生活していればそれが真実であることが直ぐに分かってしまう。
彼は常にジョナスを一番に考えてくれる人だった。彼の優しさや思いやりは、どう見ても偽物には見えなかった。

彼の様子からして、「ロステル」とは夫の名前で間違いなさそうだ。ヤソックがこれほど心を乱すのは、記憶の戻った自分が夫のもとに戻る心配をしているからだろう。
そして、覚えてもいないのに口から勝手に名前が飛び出てしまうくらい、自分の夫への愛は深いと推測される。

そこまで考えると、ジョナスは自分という人間が心底嫌になってきた。

(私って、どれほど夫が好きだったのかしら・・・そんなに夫に夢中だったってことなの? 浮気男なのに? 妻の見舞いに一度も訪れない男を? 離婚届に返事もしない男に?・・・はっ!?もしや夫のロステルとやらは、かっこいい真っ赤な瞳と髪だったりする!?ま、まさか、額に×の傷跡を持つ屈強な戦士なの!? ・・・だったら! それなら! 理解できる!)

(・・・って、・・・いや・・・それはないわよね。王族ですら髪と瞳は、茶色一色。そんな国で、間違っても赤はない・・・。 私ってば、そんな期待しては駄目だわ)

ぎゅっと手を握られた所で、はっと我に返る。すると、じっとこちらを窺うように見ているヤソックと目が合った。その目には言いようのない不安が込められているように見える。

「ジョナス、何考えてるの?」

(うわぁ・・・やっぱり心配してるよね)

「いや、特に難しいことは考えてないんだけど・・・」

「あいつのこと?」

(いや、違うの。違わないけど・・・ちょっと違うのよ!)

「う、うん、ロステルって夫の名前なんだろうなぁ・・・とか?」

(あ・・・泣きそうな顔になっちゃった)

「うん・・・そうだよ」

「ヤソック、大丈夫だよ。私はまだ何も思い出していないし、夫のこと、そこまで深く考えていないのよ? それに、正直言うと・・・思い出したいとも思っていないの」

「どうして?・・・ジョナスは思い出さなくていいの?」

コクンと頷いたジョナスは、ヤソックの手を握り、ぎゅっと目を閉じた。

「うん。・・・だって私、あなたが好きだから」

どうしても恥ずかしくて、なぜか目を閉じたままの告白をしてしまった。

これほど大切に想われて心が動かない訳がなかった。自分の低い身分も夫がいるという事実も、おまけに魔法も使えないけれど、彼が自分に向ける真っ直ぐな気持ちをとても嬉しいと思ってしまった。

全てを計算しているように見えても、どこか不器用で格好がつかないし、澄まして気取った姿がなぜか笑えたりもする。自分の気持ちに素直で、我儘で泣き虫で、優しくて温かくて。
いつからか、そんな一生懸命な彼の気持ちに応えたいと思うようになっていた。記憶を失っていても、夫がいたとしても、これが今のジョナスの素直な気持ちに違いなかった。

「・・・?」

(おや?)

繋いだ手から伝わる僅かな振動。不自然にゴソゴソと動いている気配もする。

(まさかまた・・・)

恐る恐る目を開けたジョナスは、目の前にいる情けない男の姿に目を細めると嬉しそうに笑った。

「見ないで!!」

繋いでいない方の手で目元を隠す彼は、体を捩ってジョナスに背を向けていた。手では隠しきれない涙が頬を伝い次々と彼の服に落ちてゆく。
引き結んだ口からは堪えきれない嗚咽が漏れた。

ハンカチでも取り出したいのだろうか、ジョナスに掴まれた手を振りほどこうとしているが、彼女は咄嗟にそれを両手で押さえつけた。
ジョナスの意地悪に苛立ったように勢いよく立ち上がったヤソックが顔を隠したまま逃げようとしたので、ジョナスは逃がさないように彼の背中にしがみ付いた。更には、ぶら下がるように全体重をかけると、不意を突かれてバランスを崩したヤソックがジョナスもろとも床に尻もちをついた。

そして・・・やっぱり怒った。

「なんだよ、もう!! 何がしたい!!」

その時、ジョナスはヤソックの両手を掴んでぐいっと引っ張ると、頭をガシっと押さえつけて泣いているヤソックの唇を無理やり奪った。

(だって・・・可愛くて、こんなのもう我慢できないよ)

目を見開いたヤソックが焦点の合わない瞳で呆然とこちらを見ている。
頬を赤くしたジョナスは、恥ずかしさを悟られないように 「してやったわ!」 と言って笑った。
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