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侯爵夫妻の気持ち
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きっと騎士団で同僚として接していた時も、穏やかで優しいヤソックを自分は良く思っていたことだろう。
けれど、こうして素直に感情を表に出してくれる彼の方がジョナスとしては分かりやすくて好感が持てる。目覚めた時は、恋人と言われてもいまいちピンとこなかったけれど、ジョナスの顔色を窺いながら少しずつ本心をあらわにするヤソックを見るのは面白くもあり可愛いとも思っていた。
「ジョナス、キスしたい」
「えっ!?」
ぎょっとして体をのけ反らせたのはジョナス一人ではなかった。
二人の言い合いに駆けつけたメイド二人に執事、その後ろには侯爵夫人までもがこの部屋には居たのだ。
「ヤソックお願いよ・・・いろいろな意味で少しは空気を読もうよ」
そう言って恐々と夫人の方に視線を向けるジョナスだが、そんな彼女になどお構いなしにヤソックは言い切った。
「だって恋人同士なのに一度もさせてくれない」
「ちょ、させてとか言わない! だからまだそういうのは駄目って言ってるでしょう!」
「あいつとの離婚なんて待ってられないよ!もう我慢できない!」
「いや、だから本人に会って直接話をするって―――」
「ジョナスさんっ!!」
二人の間に慌てて走り込んで来たのは青い顔をした夫人だった。二人の間に立ちはだかりジョナスの顔を見ながら、これ以上はダメ!と首を振っている。
そういえば、彼が前回起こした魔力暴走の原因も夫の話だった。
口に手を当てて何度も頷くジョナスに、夫人だけでなく逃げ腰だったメイドと執事もほっと胸を撫で下ろしている。
ジョナスが書いた離婚届は、とっくに夫に届いているはずだった。なのになぜか夫からの連絡はなく未だ離婚には至っていない。
「二人共、一旦落ち着きましょう?そうそう、お茶にしましょうね!美味しいケーキがあるのよ」
怯えた様子は隠せないものの、夫人の顔はどこか嬉しそうでもあった。
身分が低く、しかも既婚者である自分が図々しくも侯爵家で療養し、挙句、ご子息と恋仲なのだ。ジョナスからすれば、考えただけで頭痛がするほど申し訳ない話だった。
なのに夫人をはじめ、侯爵家の人間は不思議と問題だらけのジョナスを受け入れてくれている。
ヤソックの父親であるドノワーズ侯爵が早々に領地に戻ったというのに、ヤソックが元気になった今も夫人が戻る気配はない。それどころか、やたらと一緒に過ごそうと二人の側にやって来てはヤソックに迷惑がられている。
夫人は、ジョナスと一緒にいる息子が日々変わって行く姿から目が離せなかった。
正直言うと、夫妻は息子であるヤソックの結婚を密かに諦めていたのだ。婚約者もいなければ恋人も作らない。なんなら女性に近づこうともしないヤソックは、どう見ても女性に興味がないとしか思えなかった。
夫婦そろって秘密の温室に何度忍び込んだことだろう・・・。
もし息子に密かな想い人がいるのならば全力で仲を取り持つ気でいた。だが何度探しても女性に繋がるお宝を発見することはできなかった。
ある日、そんな息子が大怪我をして意識不明との知らせを受けることとなった。
急いで領地を出発し、王都へ駆けつけた夫妻が目にしたものは、それまでの息子からは想像もできない驚くべき光景だった。
息子は自分の命を顧みずに彼女を助けたという。そして彼女もまた、自分の命と引き換えに息子を守ろうとしてくれたのだ。
お互いを守るようにしっかりと抱き合う二人を見ながら、詳しい話を聞けば聞くほど夫妻は言葉を失っていった。
なにより目が離せなかったのは、その女性を胸に抱いたまま眠る息子の穏やかな表情である。
この時、息子の気持ちに気付いてしまったのは、決して自分達が親だからという訳ではないだろう。
彼の顔には追い詰められて死を悟った様子がどこにも見当たらないのだから。
話しを聞けば、ヤソックと同等、もしくはそれ以上の魔力量を誇るこの女性は、驚くことに王宮の洗濯メイドと魔法騎士を掛け持ちしているという。
だが、魔法省の人間から彼女が既婚者であることを聞いた途端、夫妻を纏う空気は瞬時に静かなものに変わった。
夫妻のほんの少しの希望が 「諦め」 に変わった瞬間だった。
騎士団に所属する彼女の夫が毎日必ず会いに来ると聞けば、なおのこと報われない息子の気持ちに胸が痛む思いだった。
実際、二人を屋敷に連れ帰ると、彼女の夫は妻に会わせてほしいと連日面会に訪れた。
愛し合う夫婦に息子の入る隙はない。そう思っていたからこそ目覚めた息子の涙が自分のことのように辛く感じた。
女性に関心がないと思っていた息子は、愛を知らないどころか、ずっと報われることのない想いに囚われていたのだ。
親として息子が不憫でならなかった。
だから、幸せな夫婦に見えていた彼らが本当は壊れかけていると知った時、息子に与えられた一筋の光だと捉えてしまったのは、子を愛する親ならば仕方のないことではないだろうか。
ドノワーズ侯爵夫妻は直ぐに裏を取った。騎士団に向かい、噂の女性騎士と直接話もしてみた。そして、熱に浮かれた彼女の瞳を見た時に夫妻の心は決まったのだ。
今は平民でも離婚すれば男爵令嬢に戻る。爵位は低いが彼女の魔力量があれば問題にはならないだろう。なにより息子を見ていればわかる・・・。
そうだ、息子は彼女でなければ駄目なのだ。
彼女が目覚めた時、息子は言った 「自分達は恋人だ」 と・・・。
もうここまできたら、それが息子の嘘でもなんでも関係ないと思った。
進むべき道は一つなのだから・・・。
この日から、屋敷に訪れるロステルという男と会うことは控えた。
決して屋敷にも入れてはいけない。
彼は、我が家の嫁ジョナスの 「元夫」 になるのだから。
ジョナスの存在が息子の希望であり、自分達夫婦の希望になった。
けれど、こうして素直に感情を表に出してくれる彼の方がジョナスとしては分かりやすくて好感が持てる。目覚めた時は、恋人と言われてもいまいちピンとこなかったけれど、ジョナスの顔色を窺いながら少しずつ本心をあらわにするヤソックを見るのは面白くもあり可愛いとも思っていた。
「ジョナス、キスしたい」
「えっ!?」
ぎょっとして体をのけ反らせたのはジョナス一人ではなかった。
二人の言い合いに駆けつけたメイド二人に執事、その後ろには侯爵夫人までもがこの部屋には居たのだ。
「ヤソックお願いよ・・・いろいろな意味で少しは空気を読もうよ」
そう言って恐々と夫人の方に視線を向けるジョナスだが、そんな彼女になどお構いなしにヤソックは言い切った。
「だって恋人同士なのに一度もさせてくれない」
「ちょ、させてとか言わない! だからまだそういうのは駄目って言ってるでしょう!」
「あいつとの離婚なんて待ってられないよ!もう我慢できない!」
「いや、だから本人に会って直接話をするって―――」
「ジョナスさんっ!!」
二人の間に慌てて走り込んで来たのは青い顔をした夫人だった。二人の間に立ちはだかりジョナスの顔を見ながら、これ以上はダメ!と首を振っている。
そういえば、彼が前回起こした魔力暴走の原因も夫の話だった。
口に手を当てて何度も頷くジョナスに、夫人だけでなく逃げ腰だったメイドと執事もほっと胸を撫で下ろしている。
ジョナスが書いた離婚届は、とっくに夫に届いているはずだった。なのになぜか夫からの連絡はなく未だ離婚には至っていない。
「二人共、一旦落ち着きましょう?そうそう、お茶にしましょうね!美味しいケーキがあるのよ」
怯えた様子は隠せないものの、夫人の顔はどこか嬉しそうでもあった。
身分が低く、しかも既婚者である自分が図々しくも侯爵家で療養し、挙句、ご子息と恋仲なのだ。ジョナスからすれば、考えただけで頭痛がするほど申し訳ない話だった。
なのに夫人をはじめ、侯爵家の人間は不思議と問題だらけのジョナスを受け入れてくれている。
ヤソックの父親であるドノワーズ侯爵が早々に領地に戻ったというのに、ヤソックが元気になった今も夫人が戻る気配はない。それどころか、やたらと一緒に過ごそうと二人の側にやって来てはヤソックに迷惑がられている。
夫人は、ジョナスと一緒にいる息子が日々変わって行く姿から目が離せなかった。
正直言うと、夫妻は息子であるヤソックの結婚を密かに諦めていたのだ。婚約者もいなければ恋人も作らない。なんなら女性に近づこうともしないヤソックは、どう見ても女性に興味がないとしか思えなかった。
夫婦そろって秘密の温室に何度忍び込んだことだろう・・・。
もし息子に密かな想い人がいるのならば全力で仲を取り持つ気でいた。だが何度探しても女性に繋がるお宝を発見することはできなかった。
ある日、そんな息子が大怪我をして意識不明との知らせを受けることとなった。
急いで領地を出発し、王都へ駆けつけた夫妻が目にしたものは、それまでの息子からは想像もできない驚くべき光景だった。
息子は自分の命を顧みずに彼女を助けたという。そして彼女もまた、自分の命と引き換えに息子を守ろうとしてくれたのだ。
お互いを守るようにしっかりと抱き合う二人を見ながら、詳しい話を聞けば聞くほど夫妻は言葉を失っていった。
なにより目が離せなかったのは、その女性を胸に抱いたまま眠る息子の穏やかな表情である。
この時、息子の気持ちに気付いてしまったのは、決して自分達が親だからという訳ではないだろう。
彼の顔には追い詰められて死を悟った様子がどこにも見当たらないのだから。
話しを聞けば、ヤソックと同等、もしくはそれ以上の魔力量を誇るこの女性は、驚くことに王宮の洗濯メイドと魔法騎士を掛け持ちしているという。
だが、魔法省の人間から彼女が既婚者であることを聞いた途端、夫妻を纏う空気は瞬時に静かなものに変わった。
夫妻のほんの少しの希望が 「諦め」 に変わった瞬間だった。
騎士団に所属する彼女の夫が毎日必ず会いに来ると聞けば、なおのこと報われない息子の気持ちに胸が痛む思いだった。
実際、二人を屋敷に連れ帰ると、彼女の夫は妻に会わせてほしいと連日面会に訪れた。
愛し合う夫婦に息子の入る隙はない。そう思っていたからこそ目覚めた息子の涙が自分のことのように辛く感じた。
女性に関心がないと思っていた息子は、愛を知らないどころか、ずっと報われることのない想いに囚われていたのだ。
親として息子が不憫でならなかった。
だから、幸せな夫婦に見えていた彼らが本当は壊れかけていると知った時、息子に与えられた一筋の光だと捉えてしまったのは、子を愛する親ならば仕方のないことではないだろうか。
ドノワーズ侯爵夫妻は直ぐに裏を取った。騎士団に向かい、噂の女性騎士と直接話もしてみた。そして、熱に浮かれた彼女の瞳を見た時に夫妻の心は決まったのだ。
今は平民でも離婚すれば男爵令嬢に戻る。爵位は低いが彼女の魔力量があれば問題にはならないだろう。なにより息子を見ていればわかる・・・。
そうだ、息子は彼女でなければ駄目なのだ。
彼女が目覚めた時、息子は言った 「自分達は恋人だ」 と・・・。
もうここまできたら、それが息子の嘘でもなんでも関係ないと思った。
進むべき道は一つなのだから・・・。
この日から、屋敷に訪れるロステルという男と会うことは控えた。
決して屋敷にも入れてはいけない。
彼は、我が家の嫁ジョナスの 「元夫」 になるのだから。
ジョナスの存在が息子の希望であり、自分達夫婦の希望になった。
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