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5.月華
49話
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月に輝く華の微笑は、場に似合わぬほど上品かつ雅だ。舞台の役者の振る舞いに似た動作で、恭しくお辞儀をする。まるで観客への礼と言わんばかりに。
とろけるような微笑みをたたえて、優麗にするりと一歩踏み出せば、周りの空気を一瞬にして塗り替えていく。凍える地獄から、熱狂で満たして魅了していく舞台へ。
その威厳、堂々たる歩みに誰もが声が出なくなった。出してはならぬと、華の一挙一動に視線を注ぐ。
全員が、見蕩れて。
「月音」
名を呼ばれる。
男に捕まれている姿を一瞥してから、こてんと首をかしげた。
慈母神のように慈しみの込められた優しい顔と目が、月音だけに与えられる。
「きみは、何を望む?」
問いかけ。
聞き慣れた声が耳から滑り込んで熱を持つ。冷え切った指先まで染み渡り、いつの間にか堅く握った拳がほどけた。
自然と口は開く。導かれるように。
「たすけて」
「どのように」
「この命を、生かして」
「何を犠牲にしても?」
「ええ」
「華が散ろうとも?」
彼の目が爛々と輝いている。
何故か重要な地点、分かれ道に立たされている気がした。
間違えれば取り返しのつかない、そんな予感。
予知能力などない。
これは今まで彼と暮らして、彼が言葉なく、暗にに伝えてきたことなのかもしれない。
月音が、いつか思い通りに答えるように、裏からひっそりと仕込んだ毒。
彼が求めているものを、月音はあてなくてはいけない。
一呼吸。
まるで永遠とも感じた時間を月音は味わう。
恐怖はない。
思考は追いついていないのに華の思惑通りに、答える。
月の役割は華を照らすこと。華を美しく輝かせること。
迷う必要などない。
月と華の利害は一致している。
そうだ、それは会ったときからずっと。
月は——華が散る瞬間も、輝かせる。
「散ろうとも、月を輝かせて」
その気高い命に代えても、この汚くて醜悪な命を。
「……——は、」
甘ったるい吐息がこぼれる。
恋する乙女のように、頬をほのかに朱色を差して恍惚とした笑みを浮かべる。
見たものが生唾を飲み込む音がした。
「ああ、ああ、ああ! ようやく、ようやく、俺の月を見つけた」
華は歓喜をあふれさせ。
甘く艶やかな、棘を含んだ大輪の華が咲き誇り、月を覆い隠した。
「これほど幸福なことはない。きみが、他の誰でもない俺を選んで、助けを求めてくれた。俺の命を犠牲にしても生きたいと願ってくれた。俺は」
このときをずっと、待っていた。
熱に浮かされ、欲を孕んだ瞳が月を一心に見つめる。
いつも微笑して高みの見物をするかのような、余裕たっぷりで観劇する態度であるのに、よほどの激情が彼を包んでいるらしい。
舞台のようだ、なんて間違いだ。
これは華が描き、結末まで整えられた舞台そのものだ。
彼の異様さに飲まれた男たちは、一歩下がる。
月音を捉えていたものすら、放心したように、その場でへたり込んでしまった。
月花泰華はその隙間に滑り込み、月音に近づく。
彼の濡れた髪が月にきらめき、炎に揺らめく様は神秘的でありながらも何処か不気味である。
作られたような美貌がよりいっそう現実味を薄れさせ、何かの劇の一部だと錯覚させる。
「……あなたの」
「うん?」
「あなたの望んだ劇に、なりましたか」
狂ったあなたとわたしに、お似合いの舞台に。
嫌みを含めた問いに、泰華はとろけてしまいそうなほど幸せそうに破顔した。
「当然だとも」
彼の言葉に月音は一瞬だけ、思考を巡らせた。
だがそれもすぐに霧散して、振り払う。
望み通り、つまりこの状況も彼の予想通り。
ならば月音にとっても問題ない。
命の危険は、ない。
死にかけようとも、屈辱を与えられようとも、彼の作った道ならば月音は死ぬことがないのだから。
「怒らないのか?」
「何に対して」
「この状況。今の会話できみは察しただろう。きみは案外かしこい」
随分な言われようだ。
月音は肩をすくめた。
今の言い方にはもの申したいが。
「あなたは必ず月音という命を守る。なばらどのような事態が起きても、最後は私が生きているでしょう。ならば文句はありません」
彼は守ると約束した。
そして今一度、彼の命を犠牲にしても守ると。
この町の頂点に立つ片割れ、月花の当主が言うのだから、これほど安全なことはないだろう。
彼が、色が消えても、月音の命は生かし続けられる。
大勢が大切にしている美しい命が、大勢が蔑ろにする汚れた命を優先するなど、笑い話にもならない。
だが月音にとっては生命線だ。
泰華はじっと月音を観察してから、にこっと少年の無邪気な笑顔になる。
珍しい。
いつもは艶やかな薔薇の如く、妖艶な笑みばかりなのに。
今はまるで向日葵のような愛らしい、幼い顔をするものだから月音は毒気を抜かれた。
死ぬほど似合わない表情ですね、とは言わなかった。
泰華は、ぽんぽんと頭を撫でる。
怪我していて痛いと文句を言えば、黙殺される。彼は自由気ままに動く。そのまま彼は月音を背で庇うように立つと、
「さて」
柏手ひとつ。
空気を一瞬で変えさせ、彼の声音から優しさの一切がかき消えた。冷たく鋭さがある、月花の上に立つ者の威厳と威圧感のある声。
後ろにいて彼の表情が見えない月音ですら、ぞくりと寒気がして身震いをする。
未だ縛られた身であるが思わず、ずり、と後退した。
そして真っ正面から向けられた男たちの、ひっと息をのむ声と、どたんと何かが倒れる音がした。
誰もが侵入者を止めることはできず、月音のいる真ん中まで辿り着かせたのだ。間抜け、と馬鹿にできぬほど自然かつ、圧倒される空気をまとっていた。
月明かりで、中が照らされて、闇で隠されていた辺りはとっくに暴かれていた。
一人一人顔を認識ができるが、月音はすぐさまに泰華の背中で視界を埋め尽くされてしまった。
月の出番はおしまい、ここからは華だけが全て圧倒して、強烈に苛烈に、咲き誇るだけだろう。踏み場もないほどに。
「少々手間をかけたから、幕を下ろすのは勿体ない気もするが……何事も終わりがなければな。それに俺は、もうこの舞台に興味はほとんどない」
つまり、お前たちにも興味がない。
言い切る姿に、男の荒い息づかいが聞こえた。
遅れていた感情が男を奮い立たせて、獣のごとく興奮と勢いをぶつけた。
「ッやはり貴様、裏切ったのだろう!」
「そう見えるなら、お前の目はない方がいいな。今すぐにえぐってやろうか」
さらりとなんてことないような口調で、残酷な物言いをした。
しかし相手もプライドがあるらしく、狼狽えたのも一瞬。
怒気を膨らませた。何かを地面に叩きつける。
乱暴な威嚇にも泰華はどこ吹く風だ。何一つ気にしていない。
「お前たちが大好きな裏切り者は、一人は片付けた。もう一人はお前たちにあげただろう」
先ほど連れて行かれた男、祖父母を殺した人間だろうか。
そこも計算のうちなのか。
「それより。俺もお前たち凪之に聞きたいことがあるんだ」
「は、何を」
「この事態について。陽野月音を攫い、虎沢をおびき出す。ついでに月花泰華の裏切りの証拠をつかむ作戦だ」
お前たちは月音の命を使って俺から言質を取るつもりだった。その上で、虎沢秀樹及び月花全体への粛正を行い、報復を終わらせる。
「それがお前たちの動機。何処までも陳腐でつまらない策謀だよ」
「き……ッさまァッ!」
「ああ、勘違いするな。愚直で無鉄砲、後先考えない劇というのは勢いがあって俺好みだ。だが少々引っかかる部分がある」
華は、何もかもを知っているかのように。蠱惑的に小首をかしげた。
「つまりは『このお粗末な劇は、頭領代理の命令か?』という至極基本的な問題だ」
初歩的だろう、だがこれの返答次第で劇の結末は一変する。
重大なところだ。
つらつらと語るよう泰華に、沈黙が落とされる。
とろけるような微笑みをたたえて、優麗にするりと一歩踏み出せば、周りの空気を一瞬にして塗り替えていく。凍える地獄から、熱狂で満たして魅了していく舞台へ。
その威厳、堂々たる歩みに誰もが声が出なくなった。出してはならぬと、華の一挙一動に視線を注ぐ。
全員が、見蕩れて。
「月音」
名を呼ばれる。
男に捕まれている姿を一瞥してから、こてんと首をかしげた。
慈母神のように慈しみの込められた優しい顔と目が、月音だけに与えられる。
「きみは、何を望む?」
問いかけ。
聞き慣れた声が耳から滑り込んで熱を持つ。冷え切った指先まで染み渡り、いつの間にか堅く握った拳がほどけた。
自然と口は開く。導かれるように。
「たすけて」
「どのように」
「この命を、生かして」
「何を犠牲にしても?」
「ええ」
「華が散ろうとも?」
彼の目が爛々と輝いている。
何故か重要な地点、分かれ道に立たされている気がした。
間違えれば取り返しのつかない、そんな予感。
予知能力などない。
これは今まで彼と暮らして、彼が言葉なく、暗にに伝えてきたことなのかもしれない。
月音が、いつか思い通りに答えるように、裏からひっそりと仕込んだ毒。
彼が求めているものを、月音はあてなくてはいけない。
一呼吸。
まるで永遠とも感じた時間を月音は味わう。
恐怖はない。
思考は追いついていないのに華の思惑通りに、答える。
月の役割は華を照らすこと。華を美しく輝かせること。
迷う必要などない。
月と華の利害は一致している。
そうだ、それは会ったときからずっと。
月は——華が散る瞬間も、輝かせる。
「散ろうとも、月を輝かせて」
その気高い命に代えても、この汚くて醜悪な命を。
「……——は、」
甘ったるい吐息がこぼれる。
恋する乙女のように、頬をほのかに朱色を差して恍惚とした笑みを浮かべる。
見たものが生唾を飲み込む音がした。
「ああ、ああ、ああ! ようやく、ようやく、俺の月を見つけた」
華は歓喜をあふれさせ。
甘く艶やかな、棘を含んだ大輪の華が咲き誇り、月を覆い隠した。
「これほど幸福なことはない。きみが、他の誰でもない俺を選んで、助けを求めてくれた。俺の命を犠牲にしても生きたいと願ってくれた。俺は」
このときをずっと、待っていた。
熱に浮かされ、欲を孕んだ瞳が月を一心に見つめる。
いつも微笑して高みの見物をするかのような、余裕たっぷりで観劇する態度であるのに、よほどの激情が彼を包んでいるらしい。
舞台のようだ、なんて間違いだ。
これは華が描き、結末まで整えられた舞台そのものだ。
彼の異様さに飲まれた男たちは、一歩下がる。
月音を捉えていたものすら、放心したように、その場でへたり込んでしまった。
月花泰華はその隙間に滑り込み、月音に近づく。
彼の濡れた髪が月にきらめき、炎に揺らめく様は神秘的でありながらも何処か不気味である。
作られたような美貌がよりいっそう現実味を薄れさせ、何かの劇の一部だと錯覚させる。
「……あなたの」
「うん?」
「あなたの望んだ劇に、なりましたか」
狂ったあなたとわたしに、お似合いの舞台に。
嫌みを含めた問いに、泰華はとろけてしまいそうなほど幸せそうに破顔した。
「当然だとも」
彼の言葉に月音は一瞬だけ、思考を巡らせた。
だがそれもすぐに霧散して、振り払う。
望み通り、つまりこの状況も彼の予想通り。
ならば月音にとっても問題ない。
命の危険は、ない。
死にかけようとも、屈辱を与えられようとも、彼の作った道ならば月音は死ぬことがないのだから。
「怒らないのか?」
「何に対して」
「この状況。今の会話できみは察しただろう。きみは案外かしこい」
随分な言われようだ。
月音は肩をすくめた。
今の言い方にはもの申したいが。
「あなたは必ず月音という命を守る。なばらどのような事態が起きても、最後は私が生きているでしょう。ならば文句はありません」
彼は守ると約束した。
そして今一度、彼の命を犠牲にしても守ると。
この町の頂点に立つ片割れ、月花の当主が言うのだから、これほど安全なことはないだろう。
彼が、色が消えても、月音の命は生かし続けられる。
大勢が大切にしている美しい命が、大勢が蔑ろにする汚れた命を優先するなど、笑い話にもならない。
だが月音にとっては生命線だ。
泰華はじっと月音を観察してから、にこっと少年の無邪気な笑顔になる。
珍しい。
いつもは艶やかな薔薇の如く、妖艶な笑みばかりなのに。
今はまるで向日葵のような愛らしい、幼い顔をするものだから月音は毒気を抜かれた。
死ぬほど似合わない表情ですね、とは言わなかった。
泰華は、ぽんぽんと頭を撫でる。
怪我していて痛いと文句を言えば、黙殺される。彼は自由気ままに動く。そのまま彼は月音を背で庇うように立つと、
「さて」
柏手ひとつ。
空気を一瞬で変えさせ、彼の声音から優しさの一切がかき消えた。冷たく鋭さがある、月花の上に立つ者の威厳と威圧感のある声。
後ろにいて彼の表情が見えない月音ですら、ぞくりと寒気がして身震いをする。
未だ縛られた身であるが思わず、ずり、と後退した。
そして真っ正面から向けられた男たちの、ひっと息をのむ声と、どたんと何かが倒れる音がした。
誰もが侵入者を止めることはできず、月音のいる真ん中まで辿り着かせたのだ。間抜け、と馬鹿にできぬほど自然かつ、圧倒される空気をまとっていた。
月明かりで、中が照らされて、闇で隠されていた辺りはとっくに暴かれていた。
一人一人顔を認識ができるが、月音はすぐさまに泰華の背中で視界を埋め尽くされてしまった。
月の出番はおしまい、ここからは華だけが全て圧倒して、強烈に苛烈に、咲き誇るだけだろう。踏み場もないほどに。
「少々手間をかけたから、幕を下ろすのは勿体ない気もするが……何事も終わりがなければな。それに俺は、もうこの舞台に興味はほとんどない」
つまり、お前たちにも興味がない。
言い切る姿に、男の荒い息づかいが聞こえた。
遅れていた感情が男を奮い立たせて、獣のごとく興奮と勢いをぶつけた。
「ッやはり貴様、裏切ったのだろう!」
「そう見えるなら、お前の目はない方がいいな。今すぐにえぐってやろうか」
さらりとなんてことないような口調で、残酷な物言いをした。
しかし相手もプライドがあるらしく、狼狽えたのも一瞬。
怒気を膨らませた。何かを地面に叩きつける。
乱暴な威嚇にも泰華はどこ吹く風だ。何一つ気にしていない。
「お前たちが大好きな裏切り者は、一人は片付けた。もう一人はお前たちにあげただろう」
先ほど連れて行かれた男、祖父母を殺した人間だろうか。
そこも計算のうちなのか。
「それより。俺もお前たち凪之に聞きたいことがあるんだ」
「は、何を」
「この事態について。陽野月音を攫い、虎沢をおびき出す。ついでに月花泰華の裏切りの証拠をつかむ作戦だ」
お前たちは月音の命を使って俺から言質を取るつもりだった。その上で、虎沢秀樹及び月花全体への粛正を行い、報復を終わらせる。
「それがお前たちの動機。何処までも陳腐でつまらない策謀だよ」
「き……ッさまァッ!」
「ああ、勘違いするな。愚直で無鉄砲、後先考えない劇というのは勢いがあって俺好みだ。だが少々引っかかる部分がある」
華は、何もかもを知っているかのように。蠱惑的に小首をかしげた。
「つまりは『このお粗末な劇は、頭領代理の命令か?』という至極基本的な問題だ」
初歩的だろう、だがこれの返答次第で劇の結末は一変する。
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