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1.死を纏う毒華と、生に縋り付く月

5話

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 男の案内は、的確だった。
 家屋との間、道とは呼べぬ狭さを通り抜けて。じぐざぐに進めば、鉢合わせの危険など皆無だった。罵声は遠くなり、次第に耳には届かなくなる。

 地形を完璧に覚えているのか、迷わず歩くこと十分以上が過ぎた頃。
 月音とは無縁の高層マンションに、たどり着いた。
 
 自動扉をくぐり、清掃が行き届いたエントランスで月音は物珍しさから辺りを見渡した。

 男は慣れた手つきで設置された液晶を操作し、様々な認証を解除する。

「安心してくれ。ここに入れるのは解除できる俺か、俺の身内だけだ」
「身内?」
「限られた部下ってやつ」

 発言に沈黙を返す。想像は確かな輪郭を持ち、確信へと変わっていく。
 エレベーターが来ると乗り込み、彼の住居へと転がり込んだ。


「……ここが、あなたの部屋なんですか」

 困惑気味に問えば男は、清らかで涼しげな声を転がした。

「そうだ」
「それにしては」
「寝泊まりするだけの家だからな。あぁ、水道などは大丈夫だ、風呂で温まってくるか? 服は用意しよう」
「いえ、遠慮します」

 雨に濡れている上、汚れが目立つ。
 傷のためにも清潔になるべきだろうが、限界は近い。それに無防備になるのは避けなければ。
 風呂場で倒れるなど、とんだ笑い種である。

 男はそれ以上は勧めず、だろうなと納得して頷いた。
 そのまま月音から離れて奥の部屋に、ひょこひょこと歩いて行く。

 背中を眺めつつ月音はもう一度注意深く、観察した。

 そこは。何もなかった。

 真っ白な壁に、フローリング。使用の痕跡が見当たらないキッチン。それだけだ。
 テレビも料理器具、椅子、テーブルなど必要なものがまるで揃えられていない。新居、誰も住んでいないと言われれば納得できる。

 靴を脱いで、男の後を追う。
 扉を開ければ、救急箱を持って月音を待ち構えていた。

「おいで、手当をしよう」

 手招きされ、狐に化かされた心地でふらふらと、彼が座る隣へと腰を下ろした。

 開いたままの扉から覗くのは、新品とおぼしきシングルベッドがひとつ。ぽつねんと置かれていた。
 シーツもぴしっと整えられて、何もない空間では浮いて見えて不自然に存在している。

 生活臭が全くしない。本当にここが、彼の住まう家なのか。

「さて、名前は教えてくれるか」

 手際よく消毒し包帯を巻く彼に、月音は警戒心は忘れず答える。

 名など何の意味も持たない。

 男が、施設に連れて行くような性格ではないのは、服の下に咲き誇る華から明白だ。

陽野はるの月音つきね。一応、未成年」
「そうか。ちなみに帰る家は」
「ないです」

 逃亡生活が始まって一週間。野宿を繰り返している。
 食事も睡眠も、まともに摂取したのはいつだったか。疲労と怪我で、おぼろげだ。

「追ってくる奴らに見覚えは」
「さぁ。でも」

 顔は知らぬ。
 ただ月音の命を狙っているのはわかる。
 だからこそ逃げ出したのだ。施設に押し入って殺されるのは御免である。

 頭、首、腕、腹、足。全ての傷に治療を終えると「病院は」と訊かれて首を横に振った。
 治療費など払えるあてはない。身元がバレて施設に逆戻りも避けたい。

 真っ白な包帯を見つめてから、彼に向き直り手を差し出す。
 何を言わずとも諸毒液を渡された。

 彼は、するすると上着を脱ぎ捨てる。
 程よく筋肉がついた、健康的な上半身。均整のとれた瑞々しい身体は、壮絶な色気を纏っていた。

 自分とは異なる異性の裸に物珍しさを覚えたが、それよりも目がいったのは、ふたつ。

 ――美しい華が首筋から鎖骨にかけて咲いていた。

 色鮮やかに、艶やかに咲き誇る大輪。血の色に彩られたそれは、見る者を魅了し威圧する。強烈に、強引に男が普通ではないと、わからせられる。

 息をのむ美に、男がしなを作り、細い指で月音の頬を撫でた。
 とろりと熱を孕んだ瞳を細め、ついっと首をなぞる。くすぐったさと、むせかえる色香に呼吸が乱れた。

「……っ、じっと、してもらえますか」
「はは、すまないな」

 落ち着け、と月音は頭を振って、目線を外した。
 男のいたずらから逃れるため、傷の深さを観察する。その酷さに現実へと戻された。

 肩と二の腕に深い裂傷。横腹のは素人では手に負えない。今すぐ病院に駆け込むべきだろう。
 どくりと脈打つように流れ出る血に眉を寄せた。

「かすり傷だ。自分でなんとかできる」

 愉快げに喉を鳴らした。
 
 痛みを感じていない風なのが末恐ろしく、月音は深く聞くのをやめた。

 怪我の治療など経験がない月音は、たどたどしい手つきで脱脂綿と消毒液、ガーゼ、包帯を駆使して肩と腕に処置を施した。
 拙い、よれて歪になる。男が自分でやったほうが、よかっただろう結果に、月音は眉を下げた。
 気まずさに意味をなさない母音を吐いてから、まき直しを提案する。

 だが。

「いい。このまま」

 存外、砂糖を煮詰めた声だった。愛おしげな眼差しを降り注ぎ、包帯を撫でる。繊細な動きは、まるで宝物でも触れるかのように優しい。

 月音は、いたたまれなさに俯くしかなかった。
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