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近づく距離と迫る脅威

不良くんと逃避行

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「俺は母親が死ぬほど嫌いだ。親父を裏切るし、倫理感の欠如は気持ち悪い。息子だろうが、人のモンも盗むようなクソ野郎だ」

 憎悪を隠さず、吐き捨てた彼の目に鋭さが戻った。何よりも強いのだと感じさせる凜然とした顔つきに、白雪は目が覚めるような感覚に支配された。

「だけど、それだけだ。嫌いなもんに俺の貴重な時間を奪われてたまるか。――俺は俺の大切なもののために時間を使いたい」

 ああ、そうか。

 白雪は彼の眩しさに羨望を向けた。すとん、とあるべき場所にはまるような感覚と共に納得する。引っかかりが取れて、しっくり来た。

 彼が怖いのに、自分とは別の世界で生きる人だと線引きするのに。それでも拒絶できないのは――蒼汰が、白雪にとって理想だからだ。

 私は周りを気にしてばかり。面倒なことを避けて、笑って誤魔化して。でも彼は違う。嫌いなものは嫌い。しっかり自分を持っていて、うやむやにしない。

 私は人が嫌いといいながらも――人に嫌われないようにしてたのか。

 人に嫌われないよう、苦しさも痛みも全部なかったことにしようと。機械のように心を壊そうとして。

「親父のようになりたい。偏見もなく、懐のデカい、正しく生きれる人に。それが今の目標だ」

 ぽすんと背中から倒れた彼と同じく、白雪も寝転がる。ふわりと香るのは彼の匂いだろうか。

 瞼を下ろす。

 暗い中で、蒼汰の語った父親を象る。

 ゆっくりと、間違えないよう、彼の父親を想像する。所詮、出会ったこともない白雪では完璧などありえない。

 それでも作られた父親は蒼汰に微笑み、頭を撫でている。これはきっと、白雪の妄想ではなく、真実であっただろう。彼の言う父親ならば――息子がねだって捨てたおもちゃを大切に保管して、思い出を残してくれる父親ならば。

「……私はお父さんがどんな人かしらないから、無責任なこと言えないけど。でも蒼汰くんは、私にとってよ」

 浮かんでは消えた綺麗な言葉は、どれもふさわしくない。結局口に出たのは、そんな軽いものだった。

 絡まれていた白雪を、みんなが見て見ぬふりでやり過ごす中で助けた。喧嘩はしても弱い者いじめはしない。白雪が苦しい、逃げたいという考えを否定せずに受け入れてくれる。

「おれがただしい? 不良の俺が?」

 自嘲を含んだ冷笑にいつもなら怯む。しかし白雪は、ここで黙るわけにはいかない。ここで黙れば取り返しの付かないことになる予感がした。

「確かに悪いことしてると思う。いくら相手が殴ってきても、暴力で返すのは正しくない。でも、それでも世間でいう正しい人が必ずしも正しいわけじゃ、ない」

 あの教師。不登校の生徒を説得するといえば正しい。不登校で逃げてばかり、理由も言えない白雪は間違っているのかもしれない。それでも、それだけが真実ではないはずだ。

「蒼汰くんだけは、私を見捨てなかったよ。俯いてばかりの私の手を離さなかったし、呆れてもそばにいてくれた。信じる気もない私に、面倒な生き方まで教えてくれた。正しいはずの先生じゃなくて、蒼汰くんだけが」

 これは、他人がどう思おうと白雪にとっては――何よりも

「――そうか」

 呼吸すら止めて瞠目した彼は、やがて目線を下にやった。小さい声でもう一度「そうか」とだけ呟く。

「真っ直ぐで困ってる人をほっとけない。助ける強さがあるよ」

 わたしは、そんな蒼汰くんに憧れる。

 どうか、伝わりますように。祈りを込めて握りしめた手に力を入れた。彼は息を呑んで、泣き出しそうに、くしゃりと顔を歪めた。噛み締めるように「うん」と頷く。とろけた瞳が、口が笑う。幸せそうに。邪気などない、幼子のように。

「……ありがとうな」

 シーツがよれるのも気にせず、彼が近づく。こつんと額を合わせて吐息が触れる。

「俺は多分傲慢なんだよ。お前はずっと正しいのに、それなのに俺は」

「今更だね、知ってるよ。私が正しいというのは、間違ってるけど」

「そうかよ。……そう、だろうなぁ」

 どちらともなく目を閉じて、ただ相手の存在を感じた。

 蒼汰も、白雪も。嫌な現実から逃げるように。
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