銀河のかなたより

羽月蒔ノ零

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とある銀河のとある星より

もうひとりの私

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「ああ、そういえば……」

 なんだか見覚えのある日付だと思ったら、今日は、俺の誕生日じゃないか。
 たしか今日で、32歳になったはずだ。

 俺は普段、倉庫で荷造りなどをするアルバイトをしながら生活している。
 だいぶ腰や背中が痛くなるが、他にできそうな仕事もないため、ここで働かせてもらっている。
 しかし、それだけではお金が足りないため、消費者金融からお金を借りて暮らしている。貯金はもちろん、1円もない。

 友人はいないこともないが、大人になってからはもう会うことはなくなってしまった。
 趣味は特になく、恋人もいない。結婚願望もない。
 夢もない。


 子供の頃は、誕生日といえばとても特別な日で、毎年楽しみにしていたはずだが、大人になってからは、特になんとも思わなくなった。

 今日みたいに、当日になってもなかなか気づかないこともあるくらいだ。

 いや、そういえば、特別なのは誕生日だけではなかった気がする。
 毎日がもっと楽しく、もっと大切なものだったはずだ。

 ところがいつの間にか、そうではなくなってしまった。
 俺はいつの頃からか、自分が生きる意味を見出せないようになり、生きることそのものに対する興味をも失ってしまったのだ。

 子供の頃は、良くも悪くも、毎年めまぐるしいほどの変化があった。進学やクラス替えによる、新しい出会い、新しい生活。
 そこで出会った友達と思いっきり遊び、たわいもない話で盛り上がる。
 できることは限られていたし、辛いこと、苦しいことも数えきれないほどあった。
 それでも、概《おおむ》ね楽しみながら生きていくことができた。それはきっと、未来への希望があったからなのだと思う。

 クラス替えをしたら……、中学生になったら……、高校生になったら……、大学生になったら……。

 子供の頃は、そんな風に、見えない未来へ様々な希望を抱くことができた。

 だが、大人になってからは、あの頃のような想いを抱きながら生きることなどできなくなった。
 それはきっと、未来への希望を抱くことができなくなってしまったからなのだと思う。

 大人になったことで、できることは格段に増えた。それは確かだ。子供の頃にはできなかったことが、今では簡単にできてしまう。
 けれどその代わり、未来は見えないものから、だんだんと予想がつくものに変わってきてしまった。
 きっと来年も再来年も、俺は今と特に何も変わることなく生きていくことだろう。
 大人にとって、未来へ進むことで得るものなどもう何もない。ただ、だんだんと老いてゆくだけだ。

 子供がいればまた別なのかもしれないが、俺は子供が欲しいなどとは思わない。
 子供は、確かに自分の生活に様々な変化をもたらしてくれることだろう。しかし、そんなくだらない目的のために、俺はかわいい我が子にこんなにつまらない一生を押し付ける気になどなれない。


 生きていく上で最も大事なのは、未来への希望なのだろうと常々思う。
 たとえ今が辛くても、未来への希望さえあれば、へこたれずに生きていけるのではないだろうか。
 それとは反対に、たとえ今が満たされていたとしても、未来への希望を抱くことができなければ、今の俺のように、生きることに魅力を見出せなくなってしまうのだ。

 毎日毎日、同じことを繰り返しながら淡々と過ぎていくこの日常が、もしかしたら、幸せとよべるものなのかもしれないが、残念ながら俺にはそうは思えない。


 今日は自分の誕生日であるだけでなく、仕事も休みだ。
 だが、誰かからプレゼントを貰うことも、ろうそくの火を吹き消したりケーキを食べたりすることもなく、一人寂しく普段通りの生活を送るだけだろう。

 俺は何をするわけでもなく、自宅でボーッと過ごしていた。
 窓の外から、雨の滴る音が聞こえる。


 その時、突然インターホンが鳴った。
 一体誰だろう。もしかして、友達が誕生日のお祝いをしに来てくれたのだろうか。
 小さな期待を胸に、ドアを開けた。


 最初はそこに、大きな鏡が置いてあるのかと思った。けどよく見ると、そうではなさそうだ。着ている服が違うし、両隣に屈強なボディーガードらしき方々もいる。目の前に立っている彼は、自分そっくりではあるものの、どこか少し、自分とは違うような感じがした……。

「あなたは、一体……?」
「はじめまして。僕は……、あなたのクローンです」

「俺の……、クローン?」

 何を言っているのかよくわからなかったが、詳しく話を聞いてみると、俺のまったく知らなかった世界がそこに確かに存在していることがまじまじと理解できてきた。

 この世界に生み出された赤ん坊のなかから、無作為に選ばれた者の細胞を元にクローンが作られ、特別な施設で育てられる。
 クローンは労働力として働かされるわけではなく、兵士として戦場に送り込まれるわけでもない。
 その目的は、臓器移植。つまり、臓器提供者になってもらうことだ。

 映画や小説でそのようなクローンが存在するという話を見たり聞いたりしたことがあったが、そんなのはあくまで『おはなし』の世界のなかの出来事であって、まさかそのような施設が本当に存在しているとは夢にも思ってはいなかった。
 そしてまさか、自分を元にしたクローンが作られていたなんて……。


 彼らはひとつの命を持ったひとつの生命体としてよりも、誰かのための臓器として育てられる。いわば物としてだ。彼らにも心はあるが、それは臓器を作る過程で生じた『おまけ』にすぎない。

 クローンには、生涯に一度だけ、自分のオリジナルに会う権利が認められているらしい。
 彼は、オリジナルである俺に、どうしても会いたかったのだという。

「そうでしたか。わざわざ僕なんかに会いに来てくれるなんて……。ありがとうございます。どうぞお上がりください」
 俺は彼とボディーガード2名を、自宅へと招き入れた。

 そして、俺は彼と様々な話をした。お互いが今までどんな風に過ごしてきたのか、今どんな風に過ごしているのか。当然のことだが、俺と彼の辿ってきた道のりは、何一つ交わることのない、まったく異なるものだった。

 彼は、ひとつの生命体としての生活にとても憧れを抱いているらしい。このまま臓器として、物として生きていくのはあまりにも辛いのだという。

 だが、オリジナルである俺の人生も、残念ながら自慢できるようなものではない。

 働きたくもないのに働き、それが今後ずっと続いていくだけだ。
 考えてみると、物として生きているのは、実は俺の方なのかもしれない。社会という大きな構造物を動かしていくための、小さな部品として……。

「実はひとつ、お願いというか、聞いてみたいことがありまして……。もちろん、断られるのはわかっています……」

 彼は、俺に会うことができたら、どうしても聞いてみたいことがあったのだと言う。気になったので、ぜひ聞かせてほしいと頼んでみた。すると、

「僕と……、入れ替わってくれませんか? 僕は……、あなたになりたいんです……」
 彼は申し訳なさそうに、まるで謝罪でもするかのような表情でそう言った。

 あまりに急すぎて、すぐには返答できなかった。

 入れ替わる。つまり、彼が俺として、そして俺が彼として生きていくということだ。
 俺が……、臓器として生きていくということだ……。


 まったく知らなかったが、実は俺の生活は、当局からずっと監視され続けていたらしい。
 生まれてから今まで、どんな風に育ってきたか、どんな風に過ごしてきたか、それらに関する詳細なデータがあるようで、彼はそのほぼすべてを記憶しているらしい。
 彼は、俺しか知らないようなことでさえも、当然のように知っていた。もしかしたら彼は、俺よりもずっと俺のことを知っているのかもしれない。

「少しだけ、考える時間をくれませんか?」
「え……、あ、はい。もちろんです」


 別の誰かと人生を入れ替えるなんて、今まで考えたこともなかった……。
 俺になりたいだなんて、そんな風に言ってもらえる日が来るなんて、夢にも思っていなかった……。
 臓器として、臓器提供者として生きる……。生きたいと願う誰かのために……。それも、素晴らしい生き方なのではないだろうか……。

 ……よし、決まった。


「入れ替わりましょう」
「え……、ほ、本当に、本当にいいんですか? 一度入れ替われば、もう元に戻ることはできません。それでも、本当に……」
 彼はかなり動揺していた。まさか自分の願いが聞き入れられるとは到底思っていなかったようだ。

「はい。あなたと話していて、気づいたことがあるんです。僕はきっと、誰かに必要とされたかったんだと。誰かに必要とされながら生きていきたかったんだと。他の誰でもなく、僕を必要としてくれている、そんな誰かに出会いたかったんだと。あなたが僕になりたいと言ってくれた時、とても嬉しかった。自分が必要とされていることに、この上ない喜びを抱きました。あなたの生き方なら、これからもずっと、誰かに必要とされながら生きていける。これこそ、僕が求めていた生き方だと気づいたんです。……けれど、あなたこそ、本当にいいんですか? 僕の生活など、何もおもしろくないですよ。毎日毎日働いて働いて、ただそれだけです。ただそれを繰り返すだけです。何の魅力もない生活ですが……」

「はい。そういう風に生きることが……、それが僕の夢なんです」


 いくつかの書類が提示され、署名を求められた。俺はそこで、迷いが生じた。それは自分に対するものではなく、彼に対するものだった。

 俺は同じく書類を読み、署名しようとしている彼の手を掴んだ。すると、それと同時に彼も俺の腕を掴んでいた。
 そして、「「本当にいいんですか?」」
 二人とも同じ言葉を同時に発した。それにはつい、二人とも笑ってしまった。

「この書類に署名すれば、もう二度と、あなたは元の生活に戻れない。これから先ずっと、臓器として生きていくことになる。本当に、本当にそれでいいんですか?」

「はい。僕はむしろ、あなたのことが心配です。この書類に署名すれば、あなたはこれから、僕として生きていかなければならなくなる。毎日毎日働いて働いて、楽しいことなんて何もなく、借金の返済ばかりで貯金なんてできず、恋人も、友達もほとんどいない。そんな生き方を、本当に望んでいるんですか?」

「はい。僕は、僕自身の力で、自分として生きていきたいんです。働いて、お給料を貰って、今月も厳しいなあなんて言いながら生きる、それが、僕の理想の生き方なんです」

 お互いの意思を確認し合ったその時、お互いに、安堵の笑みがこぼれた。

 俺と彼は書類に署名し、正式に入れ替わる契約を結んだ。
 これからは、俺が彼で、彼が俺だ。


 俺は、この部屋を出ていくことになった。これからは、彼がここの住人となるのだ。
 彼はこれから、俺になる訓練をし、その後何事もなかったかのように俺としてこの世界に溶け込んでいくのだそうだ。
 きっと誰一人、このことに気づく者などおらず、世界はまったく何も変わることなく動いていくのだろう。

「あれ? もしかして、あなたの誕生日って……」
「はい。誕生日も一緒ですよ。今日です」
「やはりそうでしたか。では、ハッピーバースデー!」
「はい。ありがとうございます。ハッピーバースデー!」

 空一面が曇ってはいるものの、先程まで降っていた雨はもうやんだようだ。

 俺は、彼が乗ってきた車に乗り、二人のボディーガードと共に、これからの生活を送る場所へと向かった。


 窓の外を、見慣れた景色が流れてゆく。

 ふと、様々なことが頭を駆け巡った……。

 幸せとは、一体何なのだろう。
 長生きすることだろうか。
 子供を育てることだろうか。
 恋をすることだろうか。
 夢を叶えることだろうか。
 笑って過ごすことだろうか。

 きっと、どれもが正解なのだろう。

 見た目はあんなにもそっくりなのに、俺と彼の考えていることはまったく異なっている。あんなにそっくりなのに、求める幸せは、こんなにも違っている。
 幸せのかたちは、ひとりひとり、まったく異なるもののようだ。

 俺は彼と入れ替わったその先で、きっと俺なりの幸せを見つけられる。

 俺の幸せは、俺にしか見つけられないはずだ。

 重い病に侵され、それでもなお生きることを強く望みながら、どこかで助けを待っている、そんな誰かのために、俺は生きるんだ。
 こんなにも誰かに必要とされるこの生き方が、間違っているだなんて俺は決して思わない。
 そしていつか、誰かの体の一部となって、誰かの命を支えながら生きていく。それもきっと、ひとつの生き方なのではないかと思う。


 ただひとつ心配なのが、入れ替わったその先で、彼は本当に幸せを掴めるのだろうかということだ。あんな生活、彼は本当に望んでいたのだろうか。元の生活に戻りたいなどと思うことはないだろうか……。

 ……いや、きっと大丈夫だ。きっと彼も、幸せを掴み取ることができるはず。
 どんな生き方が幸せなのかなんて、他の誰にもわからない。
 彼の幸せは、彼にしか見つけられないんだ。
 彼は俺として、俺は彼として、その先にある幸せを、必ず掴み取ってみせる。


 窓の外を、見知らぬ景色が流れてゆく。

 その時、ふとまた別の疑問が浮かんだ。
 そもそも、俺はどうして俺なんだろう。俺が俺である条件とは、一体何なのだろう。

 見た目だろうか。
 いや、見た目など、どんどん変わってゆくものだ。

 記憶だろうか。
 それならば、記憶を喪失したら俺ではなくなってしまうのか?
 そんなことはないはずだ。

 遺伝子や、DNAだろうか。
 では、放射線でDNAを破壊されたら、俺は俺じゃなくなってしまうということか?
 これも違う。そんなはずはない。たとえDNAを破壊されても、俺が俺であることに変わりはないはずだ。

 たとえ見た目が変わろうと、記憶を失おうと、DNAが破壊されようと、俺は俺であり続ける。

 なぜだ?
 一体何が俺を成り立たせているんだ?
 俺が俺であるために必要なものとは、一体何なんだ……?
 
 赤く光る信号をぼんやりと眺めながら、そのようなことを考えていた。
 

 窓の外に、お墓参りをする家族連れの姿が見える。
 大人は真剣に墓を洗い、花を手向け、線香をあげているが、子供はそれが一体何を意味するのか、何のためにこんなことをしているのか、よくわかっていないように見える。かつては自分もそうだったし、実のところ、今もよくわかっていないのかもしれない。

 しかし、彼らが手を合わせるその様子を見た時、ふとあることに気がついた。
「……そうか。わかったぞ!」

 俺が俺として生きていくために必要なもの、それは、『他者からの承認』だ!
 俺が俺であると、誰かがそう思ってくれることで、俺は俺として生きてゆけるんだ。
 誰かが、自分を自分だと認識してくれる。それが、自分として生きていくために絶対に必要なものだ。

 それに気づいた途端、急に心が軽くなった。
「俺は……、これからも生き続けるんだ……」

 たとえ生物学的には生きている状態だったとしても、誰も自分を自分と認めてくれなければ、自分として生きていくことはできない。
 そして、たとえ死んでしまったとしても、誰かがその人を想い続けることで、これからもずっと、その人は誰かの心の中で生きていけるんだ。

 何者かとして生きていくということには、生物学的、あるいは医学的な生と死とはまったく異なる基準が、きっと存在しているはずだ。

 生きること、死ぬこと、それらの基準は、きっともっと複雑で、難解で、計り知れないものなのかもしれない。

 俺として認識される彼がいてくれる限り、この世界から、俺が消えてしまうことはない。
 この先も、俺はずっと、俺として生きてゆくことができるんだ!

 そして俺は、彼となって……、
 どこかで助けを待つ、誰かのために……、
 そしてやがては、その誰かと共に……。


「あれ、いつの間に……」
 ふと空を見上げると、雲ひとつない青天が広がっていた。


 まるで私の心を、そのまま空に写したかのようであった。
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