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俯いて立つ安曇はとても哀れに思えた。晩餐会の夜の華やかな様子は見る影もない。


「あの」


こみつは何か言おうと口を開くが、結局何も言えなかった。

北辰と安曇は何度も頭を下げて謝ってくれた。

最後に彼らの背中を見送って、でも本当ならお姫様はわたしなんかに頭を下げたくなかっただろうな、とこみつは思う。


安曇が北辰を好きでも好きじゃなくても、こみつは過去の恋敵だ。そんな相手に情けないところを見せるのは屈辱だろう。

それに仕方ないとはいえ、固い顔をした北辰は安曇に厳しい態度だった。もしこみつだったら泣きたくなる。北辰にそんな対応をされたくない。しかも今回のことで両家に上下関係ができてしまって、安曇にとってはますますつらいことだろう。

それでもこみつが何を言ったってきっと慰めにもならない。


「こみつ?」


こみつは隣に立つ五曜の大きくてあたたかい手にそっと触れた。すぐに包むように繋いでくれる。


―――大好きだった幼なじみを奪っていったお姫様は手の届かないくらい素敵な存在だったはずなのに、なんだかさみしくなってしまった。


それからこみつはちょっと北辰と疎遠になった。

五曜は付き合いもあるので変わらず北辰と顔を合わせているようだが、たまに話題に登るくらいで、家に呼ぶことはまずなかった。安曇とも季節の挨拶や贈り物のやりとりで文を交わす程度。


その分、こみつの日常は夫である五曜と過ごす毎日でいっぱいになった。


春になったら、満開の桜を眺めながら川沿いの遊歩道を散策する。
夏になったら、人気の氷菓子を食べに街に出る。
秋は紅葉狩りのためにちょっと遠出して、冬は屋敷のみんなで白く染まった庭を眺めて雪見する。そして年が変わったら、晴れ着を着て、方々へ年始の挨拶に赴く。

はじめは二人だったその恒例行事も、二年目には女の子が生まれて三人になり、さらに翌年には男の子が生まれて四人になった。どんどん賑やかになって慌ただしくなる。

こみつにとって隣に五曜がいるのはもはや当たり前になっていた。



***
大学を卒業した後、五曜は試験を受けて官僚になった。六連は貴族院へ行き、北辰は軍部に入ったそうだ。みんな順風満帆である。

五曜の母である椿は新しい事業を興して順調に大きくしている。義父も変わらず忙しそうだが、二人の孫に会わせるとすっかり目尻が下がって好々爺になってしまう。

そういえば庭の野良猫を最初の冬に軒下に招いたら、次の春にはすっかり縁側で寛ぐようになっていた。五曜が甘やかすから我が物顔で謳歌している。


「こみつ」


何年経っても、五曜は変わらず甘い声でこみつを呼ぶ。すっかり慣らされてしまったこみつは五曜を微笑みで迎えて、その抱擁を大人しく受け入れる。そこに五曜がいることはもはや当たり前。

夫婦の仲の良さは折紙付きで、子どもたちはじめ誰に冷やかされてもどこ吹く風で気にしない。

その頃にはもう五曜もこみつが受け止めてくれるのは理解していたため、『私を受け入れて』なんて懇願はしなかった――と思うがどうだろう。頻繁に甘えてくるから。二人の薬指には相変わらずきらりと金の輪が光っている。


「聞いてよ、こみつ。ついに辞令が下りてしまった!」

「あらまあ」


五曜はぎゅうとこみつを抱きしめると、小さな肩に鼻先を埋めて泣きついた。
優秀な五曜は外国語にも意欲的で、以前からずっと欧米視察の打診があった。家族を理由にのらりくらりと逃げていたがついに業を煮やされたのだろう。


「海の向こうなんて遠いよ!離れたくないよ、いっしょに行こうよー!」


ふええん、と情けない声を上げる色男の頭を撫でながらこみつはため息をつく。

そうは言っても、子どもたちは五曜も通っていた有名私学に在学しているし、ついていくとなると色々問題がある。なにより五曜の仕事の邪魔はしたくない。


「視察とおっしゃっていたじゃないですか。海外赴任といえど、そう長い期間でもないんでしょう?」

「予定ではそうなんだけれど…」


顔を上げた五曜がずびと鼻を鳴らす。あらやだ、ほんとに眦を濡らしている。


「ちゃんと待ってますから大丈夫ですよ」


とんとんとやさしく背中を叩くと、真っ赤になった瞳を再び潤ませて。


「やだー!こみつと離れたくないよー!!」

「まあなんて大きな駄々っ子なのでしょう」


半年ほどの海外赴任が正式に発表されると、出発までの間、五曜はなんだかんだとごね続けた。


「こみつー。離れたくないよお、いっしょにいたいよ、ついてきてよお。愛してるよー!」

「はいはい、わかっていますよ」


五曜はこみつがいれば無敵だが、こみつがいないと途端に弱虫になる。


「わたしも五曜様を愛してますから」

「うん」

「たった半年です。あっという間ですよ」

「うう…っ、こみつー」


長い睫毛に玉の雫を乗せて、すっと通った鼻を赤くして、出会ったときから変わらない尊顔が台無しだ。


「また泣いちゃうんですか」


五曜は相変わらず見目麗しくて、ちょっと頼りなくて、ちっともこみつの好みではない。なのにこんなにも愛おしく思うようになるなんて。
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