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「こみつ?」
帰宅した五曜は新妻が部屋に閉じ籠もってしまったと聞いて、ひどく驚いた。
原因は誰もわからず、しかも夫婦の寝室ではなく、自室から出てこないのだという。
五曜はそっとドアを叩いて声をかけるが返事はない。鍵のついていない扉を押し開くと、寝台の上で倒れるように眠るこみつの姿があった。
ほっと胸を撫で下ろすが、やわらかな白い頬には涙の跡が残り、眦はまだ濡れている。
五曜は痛ましげに眉を寄せ、そっと涙を拭って――彼女が握りしめていたリボンにどきりと息を呑む。
『誕生日なんだ』
それは北辰がこみつへと贈ったものだったから。
だって五曜が選んだのだ。
数年前、まだこみつ本人と知り合う前、年下の幼なじみの誕生日に何をあげていいのかわからない、と言う友人につき合って『女の子ならこういうのはどう?』と見繕ったうちのひとつ。
その後、もらったリボンをつけて満面の笑みで北辰に会いに来たこみつと出会い、五曜はひと目で心を奪われた。なんてかわいらしいのだろうと思った。
こみつが北辰に恋しているのははじめからだったし、北辰もまんざらでもなかったと思う。当時まだ婚約者のいなかった北辰はこみつを娶ることも算段のひとつに含めていただろうから。
五曜はまさか自分がこみつと夫婦になれるとは思ってもいなかった。
「ねえ、こみつはまだ北辰が好き……?」
肯定されるのが怖くて、直接訊けない言葉をそっと問いかける。当然返事はない。なのにそれが答えのように思えた。
こみつはずっと北辰が好きだった。
五曜は北辰に恋していないこみつを知らない。
***
部屋に逃げ込んだあの日、五曜は寂しそうに眉を下げていたが、やっぱりこみつを責めるようなことはなかった。甘苦く微笑むばかり。それをよしとして、こみつは五曜から距離をとった。具体的には夫婦の寝室を訪れなくなった。
朝の遅いこみつが起き出す頃にはもう五曜は出かけてしまっている。昼食も別。夕食が共になることはおよそ半々。そのディナーの間が唯一の夫婦の時間で、食事が終わればこみつは部屋に戻ってしまう。
時折、本当にときどき、五曜がこみつを訪ねてくるが用が済めばさようなら。
五曜も遠慮してこみつの好きにさせている節があった。
そんな新妻を使用人たちがよく思うはずもなく。
仕事はきちんとこなしてくれていた彼らが、少しずつ手を抜くようになった。
声をかけても、二度三度と呼ばないと反応がない。それが何度も続けばこみつもうんざりして相手にしなくなる。次第にこみつは屋敷の中で孤立していった。
「晩餐会ですか?」
ある夜、五曜が夫婦で招待を受けている夜会があると申し出てきた。
「そう。結構大きな催しで、夫婦参加が必須なんだ。いっしょに出てくれないかな」
「それはもちろん構いませんが、」
漆塗りの大きな一枚板のダイニングテーブルの向こうで、五曜が曖昧に微笑んでいる。
今夜も完璧に整えられた夕食だったが、こみつの分だけカトラリーが乱れていた。そういうところだ。こみつは一度目を伏せてため息を漏らす。
「身支度は浅野に戻って済ませてもよろしいですか?」
「えっ!?」
五曜は大袈裟に声を跳ね上げた。
浅野に戻るとはつまり実家に帰ると同義。驚くのも無理はなかった。
「どうして?衣装は私が用意するよ、支度ならここでもできるじゃないか」
「こちらの使用人たちを頼れと?」
はっ、とこみつはふてぶてしく笑う。
五曜は目を見開いた。
五曜や北辰ほどの家柄ではないにしろ、浅野もよく栄えた家で、お嬢様育ちのこみつがそんなやさぐれたことを言うとは思わなかったのだ。
五曜がうろたえている間に女中がひとり声を上げる。
「若奥様、それはわたしたちでは役に立たないとそういう意味ですか?」
喧嘩腰のその言葉に五曜は二度驚く。
こみつはちらりとその女中に目をやると「はあ」と大きく息をついた。
「主人たちの会話に割り込むとは失礼ね。とにかく五曜様、そういうことです。参加は了承しますが用意は浅野で致します」
こみつは白布で口元を押さえるとさっと席を立ってしまった。
五曜は驚きで声も出ない。そんな彼の下にわっと使用人たちが集まってくる。
「お聞きいただきましたか、五曜様。若奥様はわたしたちをお認めになっていないのです」
「なんてひどい話なのでしょうか!」
五曜は頭を抱えた。
「待て待て!どういうことだ。なぜ使用人たちであるきみたちがこみつをそんな風に言う?」
主人の一喝で静まり返るダイニングルーム。
五曜は最後まで手のつけられなかったこみつの食事を見て、料理人を呼んだ。
「すまないが、簡単に摘めるものを用意してほしい。こみつのところに持っていくから」
「若様どうして!」
女中たちから悲鳴のような声が上がった。五曜は眉間を押さえる。
「こみつは私が選んだ女性だよ。なぜ助けになってくれないんだ」
帰宅した五曜は新妻が部屋に閉じ籠もってしまったと聞いて、ひどく驚いた。
原因は誰もわからず、しかも夫婦の寝室ではなく、自室から出てこないのだという。
五曜はそっとドアを叩いて声をかけるが返事はない。鍵のついていない扉を押し開くと、寝台の上で倒れるように眠るこみつの姿があった。
ほっと胸を撫で下ろすが、やわらかな白い頬には涙の跡が残り、眦はまだ濡れている。
五曜は痛ましげに眉を寄せ、そっと涙を拭って――彼女が握りしめていたリボンにどきりと息を呑む。
『誕生日なんだ』
それは北辰がこみつへと贈ったものだったから。
だって五曜が選んだのだ。
数年前、まだこみつ本人と知り合う前、年下の幼なじみの誕生日に何をあげていいのかわからない、と言う友人につき合って『女の子ならこういうのはどう?』と見繕ったうちのひとつ。
その後、もらったリボンをつけて満面の笑みで北辰に会いに来たこみつと出会い、五曜はひと目で心を奪われた。なんてかわいらしいのだろうと思った。
こみつが北辰に恋しているのははじめからだったし、北辰もまんざらでもなかったと思う。当時まだ婚約者のいなかった北辰はこみつを娶ることも算段のひとつに含めていただろうから。
五曜はまさか自分がこみつと夫婦になれるとは思ってもいなかった。
「ねえ、こみつはまだ北辰が好き……?」
肯定されるのが怖くて、直接訊けない言葉をそっと問いかける。当然返事はない。なのにそれが答えのように思えた。
こみつはずっと北辰が好きだった。
五曜は北辰に恋していないこみつを知らない。
***
部屋に逃げ込んだあの日、五曜は寂しそうに眉を下げていたが、やっぱりこみつを責めるようなことはなかった。甘苦く微笑むばかり。それをよしとして、こみつは五曜から距離をとった。具体的には夫婦の寝室を訪れなくなった。
朝の遅いこみつが起き出す頃にはもう五曜は出かけてしまっている。昼食も別。夕食が共になることはおよそ半々。そのディナーの間が唯一の夫婦の時間で、食事が終わればこみつは部屋に戻ってしまう。
時折、本当にときどき、五曜がこみつを訪ねてくるが用が済めばさようなら。
五曜も遠慮してこみつの好きにさせている節があった。
そんな新妻を使用人たちがよく思うはずもなく。
仕事はきちんとこなしてくれていた彼らが、少しずつ手を抜くようになった。
声をかけても、二度三度と呼ばないと反応がない。それが何度も続けばこみつもうんざりして相手にしなくなる。次第にこみつは屋敷の中で孤立していった。
「晩餐会ですか?」
ある夜、五曜が夫婦で招待を受けている夜会があると申し出てきた。
「そう。結構大きな催しで、夫婦参加が必須なんだ。いっしょに出てくれないかな」
「それはもちろん構いませんが、」
漆塗りの大きな一枚板のダイニングテーブルの向こうで、五曜が曖昧に微笑んでいる。
今夜も完璧に整えられた夕食だったが、こみつの分だけカトラリーが乱れていた。そういうところだ。こみつは一度目を伏せてため息を漏らす。
「身支度は浅野に戻って済ませてもよろしいですか?」
「えっ!?」
五曜は大袈裟に声を跳ね上げた。
浅野に戻るとはつまり実家に帰ると同義。驚くのも無理はなかった。
「どうして?衣装は私が用意するよ、支度ならここでもできるじゃないか」
「こちらの使用人たちを頼れと?」
はっ、とこみつはふてぶてしく笑う。
五曜は目を見開いた。
五曜や北辰ほどの家柄ではないにしろ、浅野もよく栄えた家で、お嬢様育ちのこみつがそんなやさぐれたことを言うとは思わなかったのだ。
五曜がうろたえている間に女中がひとり声を上げる。
「若奥様、それはわたしたちでは役に立たないとそういう意味ですか?」
喧嘩腰のその言葉に五曜は二度驚く。
こみつはちらりとその女中に目をやると「はあ」と大きく息をついた。
「主人たちの会話に割り込むとは失礼ね。とにかく五曜様、そういうことです。参加は了承しますが用意は浅野で致します」
こみつは白布で口元を押さえるとさっと席を立ってしまった。
五曜は驚きで声も出ない。そんな彼の下にわっと使用人たちが集まってくる。
「お聞きいただきましたか、五曜様。若奥様はわたしたちをお認めになっていないのです」
「なんてひどい話なのでしょうか!」
五曜は頭を抱えた。
「待て待て!どういうことだ。なぜ使用人たちであるきみたちがこみつをそんな風に言う?」
主人の一喝で静まり返るダイニングルーム。
五曜は最後まで手のつけられなかったこみつの食事を見て、料理人を呼んだ。
「すまないが、簡単に摘めるものを用意してほしい。こみつのところに持っていくから」
「若様どうして!」
女中たちから悲鳴のような声が上がった。五曜は眉間を押さえる。
「こみつは私が選んだ女性だよ。なぜ助けになってくれないんだ」
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