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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる

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「なんなんでしょう、あの御婦人は!大変に失礼な御方でしたね!!」

マヤがぷんぷん怒っている。
メイヴィスは苦笑いを浮かべながら、「でも」と言った。

「でも、たぶんお互い様だったみたい。あの方も怒って行ってしまったじゃない?」


そうなのだ。メイヴィスの返答を受けるや、夫人は機嫌を損ねて去ってしまった。


「それにしたって奥様を牽制してくるなんていけません!ああ、いけないのは旦那様も同じですね。これはきちんと釈明していただかないと納得できません!」

「釈明」

「さあ奥様、旦那様のところへ乗り込みますよ!」


ヴィンセントはコテージのリビングでラニーと地図を広げていた。

マヤが息せき切って湖畔での出来事を話している間、ヴィンセントはじっと真顔でメイヴィスを見つめていた。ラニーは顔を青くしておろおろしている。

メイヴィスはテーブルの上の地図を見下ろした。


「ああ…なるほど」

メイヴィスが頷く。

「あの御婦人はこちらの女当主様でしたか」


「知っているのか?」

「お話を聞いたことがあるだけです。歳の離れたご主人が病に倒れて、奥様が立派に領地運営を引き継いでいると」


―――メイヴェルの耳にも、王宮に出入りしていた貴族たちの噂話はいくつも入ってきていた。


「新しい観光地として近年人気が高まっていると聞いていましたが、女当主様の成果というのは、レアード商会のご協力があってのことだったんですね」

向かい合う商人たちの間に入る形で、メイヴィスが地図の上の湖畔の街に人差し指を置く。

「ここに描かれるのは、バツ?」

「メルはどう考える?」


ヴィンセントは赤い線を辿るように山脈の上に自身の指を滑らせた。


「レアード領から王都へ出るためには、ここを越えるのが一番早い。そのためにご協力いただいていたのは事実だ。夫人の機嫌を取りながら、な」


「まあ!」と眉を上げるマヤに、メイヴィスは苦笑いを返した。


「ルート上の利点はいまも変わらない。けれど夫人はこのところ王都への進出に意欲的だ」

「そうですね。宮中でも彼女を評価する声が増えていました。…ご当主様がどうお考えかは存じませんが」


「十中八九、夫人の独断でしょう」

ラニーが言った。

「そもそも夫人は会頭に懸想していて、あなたを追いかけたいんですよ」


ヴィンセントはメイヴィスを見た。


「夫人の行動はオレの望むものではない。けれどこの土地には利がある。実力行使か、穏便に進めるか。メルはどう思う?」


メイヴィスはヴィンセントを見上げて、それから地図上のバツひとつひとつに指を当てる。


「…それは商会の代表としての判断?」

「もちろん」

「なら簡単よ。決断するのはご当主様だわ」


言い切ったメイヴィスを、ラニーははっとして見た。


「ご当主様はご病気だけど御存命だわ。夫人は代理。領地運営を恙無く行っているのは素晴らしいことだけれど、今後の明暗を分ける決断までは任せないはず」

「…たしかに、そうですね。さすがです」

「そもそも王都進出が夫人の独断なら、ご当主様の意向は違うのでは」

とん、とん、と地図を流れていたメイヴィスの指が止まる。


「でも」


そしてまたヴィンセントを見上げた。


「ヴィンス個人としては、本当にそれでいいのかしら。あなたは夫人を利用して、それで?旨みがなくなったら切り捨てるの?」

「必要があればそうする。しかし、メルが言うなら控える」

「ひどいわ。あなたはわたくしの夫なのに、他の女性を庇うの?」


ヴィンセントが黙ったまま固まった。

ラニーは息を飲んで、マヤはなにも言わなかったけれど、両手を握りしめてうんうんと頷いている。


「…怒らないで。メルの望みのままに従う。オレはどうしたらいい?」

「知らないわ。夫人はあなたのことをなんでも知っているそうだから、聞いてきたら?」


ヴィンセントは頭を抱えた。


「ごめん、メル。降参だ。許してくれ」


メイヴィスはじっと恨めしそうにヴィンセントを見つめて、それから細く息を吐いた。



***
「本当にすまない」


二人きりになって、ヴィンセントは改めて頭を下げた。メイヴィスは肩を落とす。


「……本当はわかっているの」


白金色の睫毛が伏せられ、アイスブルーの瞳を隠してしまう。


「あなたは短期間で商会をここまで大きくしたんだから、きっといろいろな方法を使う必要があったのよね。貴族の間でもその手の話題はよく聞くわ」

「メル……」

「それにヴィンスはきちんとした年齢の大人の男性ですもの。何もないという方が信じられないわ」


ベッドの上であれだけのことをしておいて、今更。
メイヴィスは散々ヴィンセントの手管に翻弄されてきた。相応の経験があって当然だと思う。――過去の相手になにも思わないというのは、無理だけれど。


「ねえ、ヴィンス。あなたはわたくしの髪がこの色だから好きなの?」

「何を言ってるんだ?メルがメルだから愛しているんだ」


メイヴィスが上目使いで見上げると、ヴィンセントは怪訝そうにしながらも真っ直ぐ見下ろしてくる。…僅かに心が軽くなった。


「…夫人、お胸が大きかった…」

「メルの方が愛らしいよ。敏感だし」

間髪入れずに返されて頭の芯がかっと熱くなる。

「ヴィンス…!!」


そしてはたと動きを止めた。


「ねえヴィンス、わたくし、体力ない?」

「ん?」

「ほら…昨日も最後は気を失ってしまったじゃない?閨ではいつも先に眠ってしまって……」


ヴィンセントはメイヴィスの言葉に大きく息を吐いた。


「何を言ってるんだ。メルに無理をさせているのはこちらだろう」

「あなたは満足している?」

「抱き合えるだけで幸せだよ。そもそも基礎体力が違うのだから、比べる方がどうかしている」

「そうなのかしら」


頬に手を当ててこてんと首を倒すメイヴィス。
ヴィンセントはもう一度溜息をついて、その細い腰を抱き寄せる。


「減らしてほしいと言われても無理な相談だが、オレはかなり頻回にメルを求めていると思う。メルもよく付き合ってくれているよ。その証拠に、ほら」

腰を抱くのとは別の掌が、服越しにメイヴィスの下腹をするりと撫でた。

「…はじめの頃より、たくさん受け入れられるようになっただろう?」


耳元で低く囁かれて、ぞわと背筋に甘い痺れが走る。ヴィンセントは苦笑を浮かべた。


「強引な手でメルを妻に迎えた自覚はある。離れてしまわないよう必死なんだ」

「けれど…」

「マダムのことはどうにかするから、心配しないでほしい」


しかし、ヴィンセントのその言葉には「いいえ」とはっきり否定した。


「それはだめよ。ねえ、マダムのところに行くときにはわたくしもいっしょに連れて行ってくれる?」
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