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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる

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「さて、ご用件は済みましたかね。お引き取りいただけますか」


ヴィンセントは出口を指し示す。


「待て待て、終わっていないではないか!」

「終わってますよ。ご依頼いただいたことは当商会では扱えませんので、王家の主導で臣民に御触れを出していただくんでしょう?」

「それは…。いやそうじゃなくて、ほら、まだあるだろう?」

「何ですか?」


ジュリアスとヴィンセントの問答に、サラがふふっと笑って口を挟んだ。


「商人さん、殿下はお約束をすると言いたいんですよ。あなたが一言「ご贔屓に」と言えば、殿下も了承できる。第一王子のお慈悲をいただけるなんて名誉でしょう?」


「…ははっ!」


ヴィンセントは声に出して笑った。


「な、なんで笑う?」

「これが笑わないでいられますか」

―――反吐が出る。

音にこそしなかったが、それが本心だった。

ジュリアスとサラを見据えた瞳は冴え冴えとして、鋭く冷酷に光った。


「…殿下、本当になぜここに来たんですか」


不躾ではあったがまだ余裕のあった先程までとはまったく違う、獰猛な気配。王子はひくりと喉を鳴らした。


「私と殿下は取引もなく、直接の面識はありませんでしたよ」

「せ、先日、バーネット侯爵邸で話したではないか…!」

「ええ、それが初対面です。お互い経歴は知っていたかもしれませんが。一度ご挨拶した程度で結構なことですね?」


「ふ、不敬です!!」


サラが声を上げた。


「あなた、先程から殿下に失礼ばっかり!わざわざ来てあげたのに失礼です!」

「お呼びしていませんよ」


ヴィンセントは険しいままの瞳で少女を射抜く。明るいグリーンの瞳は宝石のように煌めいているのに、ひどく猛々しい。


「ご令嬢。王子が望めば誰もが従うと?臣民をなんだと思っている?その傲慢な考えはあなたの意見か?それとも――どこかの貴族の受け売りか?」

「ひ……っ」


威圧を受けて少女は肩を震わせる。

ヴィンセントは「例えば」と、冷たい瞳をジュリアスに向けた。


「このカップに毒が入ってるとは思いませんでしたか…?」

「な……っ!?」


儀礼的に淹れられた紅茶に手はつけられておらず、すっかり冷めていたが、ヴィンセントは酷薄に笑う。


「無防備にこんなところに来て、ここで始末されるとは思わなかったんですか。護衛はどうしました?撒いたんですか?そこまで私を信頼していただいている?光栄ですね」

「そ、そんなことできるわけないだろう!?」

「どうでしょう。姿形の似通った替え玉を用意すれば案外上手くいくかもしれません。王子はともかくご令嬢はそう顔も広まっていないでしょう」


ああ――とヴィンセントは思案する。


「王子も案外うまく方がつくかもしれませんね。宮廷貴族の方々も『はい』と言ってくれる王子であればそれでいいんですから」

「王族相手にそのような…っ、不敬では済まさぬぞ!」

「いやですね、先走らないでくださいよ。これはちょっとしたアドバイスです。あなた方は臣民を手足だと思っているようですが、その手足が勝手に動き出したらどうしますか?…可能性の話です。宮中だって同じですよ」


ヴィンセントはぐいと身を乗り出して、王子とその恋人にひそりと囁く。


「思い当たることはありませんか?王子の意思とは別に、勝手に動き出す手足たち…」


「「……………」」


それからジュリアスとサラは顔を強張らせて帰って行った。

ヴィンセントは「きちんと護衛と合流してくださいね」と言って屋敷の扉を閉めてしまう。


「塩を撒け!」


執事にそう指示を出し、まだ寝室にいるだろうメイヴィスの元へと急いだ。



***
レアード商会会頭の屋敷を出て、青い顔をしたジュリアスは足を止めた。


バーネット侯爵邸で偶然会った商人だった。

サラとの婚約の準備が滞ってしまい、そのとき思い出したのだ。商人だったら多少の無理を押してでも王族の依頼を聞くだろうと。
褒美をちらつかせれば尚のこと。
押し掛けて頷かせてやるくらい簡単だと思っていた。

ところがけんもほろろに断られて、しまいには脅される始末。

ひどく憤っていたのは最初だけで、噛みつこうとした牙はすっかり抜けてしまった。商人の威圧が恐ろしかったのもある。でもそれだけではなく、どこかで男の言い分を納得していたからだ。


「はい」と言うだけでいい王子。
勝手に動き出す手足。

―――ああ確かに、思い当たるふしがある。


「王子のお願いを断るなんて失礼な人でしたね!あんな怖いひとが本当に商会の偉い人なんですか?」


サラも恐怖が抜けたのか、今度はぷりぷりと怒っている。


「もうっ、早くジュリアス様と結婚したいのに!」


ああそうだ。サラが早く婚約を確定して、結婚式を挙げたいとかわいいことを言うから、王宮を抜け出してきたのだ。

目を細めたジュリアスは何気なく商人の屋敷を振り返った。

小さな屋敷だった。
王家が所有する別荘の管理人の家くらいだろうか。大きな商会の会頭とはいえ、地方の辺境伯の三男だというし、この程度の器なのかもしれない。

そう考えると、言いたいことを言われ、恐い顔で睨まれたのはなんだか腹が立つ。


「ん?」


屋敷の二階がきらりと光った気がした。

窓の向こうに細い女の影が見えた。美しい白金色の長い髪の――。


脳裏に一人の令嬢が思い浮かぶ。

メイヴェル・バーネット侯爵令嬢。

せっかく美しい顔をしているのに、いつも悲壮な表情で俯いて、なにかと辛気くさい令嬢だった。
ああそうだ。あんな大人しい顔をして、王を差し置き、宮廷貴族たちに意見していたらしい。彼女こそ不穏な『勝手に動く手足』だったわけだ。


「ジュリアス様」


それに比べて、サラのこの晴れやかな笑顔のなんと愛らしいことか。ジュリアスはにこりと微笑んだ。
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