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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる

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王子と姫とその仲間たちが令嬢の魂胆を暴こうと一致団結したところで、第一部の幕が降りた。


「…………」


劇場内が明るくなり、メイヴィスは真横へと視線を巡らせる。

「……ふはっ!」

ヴィンセントが耐えられないといった様子で打ち震え、メイヴィスの細い肩に頭を乗せて、くっくっと身を震わせている。


「すごいな、なんだこの道化芝居…っ…!」

「ヴィンス、そんな、ふふ…っ!」


ついメイヴィスもつられて笑ってしまった。

実際に第一王子の婚約者であったメイヴェルを思えば笑えない内容なのだが、どうにも王子役の俳優の演技が巧みすぎるのだ。

どんなに緊迫したシーンでも必ずスポットライトが当たる決めポーズが挟まる。
その度に何度も公演を見に来ているのであろう役者のファンから黄色い声援が入った。『格好いい王子』を見に来た客からすれば垂涎に違いないのだろうが、本物を知っている分どうしても滑稽さが拭えない。


「あーもう、娯楽としては素晴らしい!」


誰が演出を監修しているのかと考えれば余計に腹筋がよじれる。客が入るのも納得だ、とヴィンセントは目元を拭った。


「御化粧室に行ってくるわ」

「じゃあオレも行く、ラウンジで待ってる」


幕間の休憩でメイヴィスが席を立つとヴィンセントも続いた。レースのついたベレー帽でしっかり顔を覆われる。


「他の貴族に気をつけて」


耳元で囁かれて、二人で笑い合い浮わついていた気持ちがすっと凪ぐ。


劇場を訪れる客は様々だ。チケットさえ手にいれればどんな人間だって入れる。しかし今回は第一王子がモデルの公演とあって、貴族からの注目も高い。

化粧室で改めてベールを整えたメイヴィスは、そっとラウンジに足を踏み入れた。特別席のあるフロアにいる客は富裕層が多い。さっと目を走らせた限りでも、貴族と思われる人が数組いる。

ヴィンセントは少し離れたところで葉巻を吸っていた。硬質な横顔にほっとして、見惚れる。


「ヴィンス」


緩く波打つ黒髪に、端整だが野性味のある男性的な顔立ち。凄味があって近寄りがたい雰囲気なのに、なぜか色っぽい。

艶やかな純黒の上衣の前がすべて開けられ、白に近いシルバーの生地に金糸の刺繍が入ったウェストコートが覗く。白金色。その色が誰を示しているのか、メイヴィスはもう知っている。


うっとりと近付こうとして、それより先にヴィンセントに声をかける者がいた。

「レアード卿」

「ああどうも。奇遇ですね」

ヴィンセントは顔色を変えずに振り返り、それからメイヴィスを見つけた。

表情は変わらないのに瞳の奥がちらりと色濃くなる。メイヴィスはどきんと胸を高鳴らせて改めて足を進める。邪魔にならないよう気配を消して。


「ずいぶん美しい女性をお連れでしたね」

「おや、見られていましたか」


ヴィンセントは小さく苦笑した。
その反応を見て相手の男が少し声を潜める。


「美しい髪色でしたね。殿下の元婚約者と同じ――…」


メイヴィスはひやりとした。息が止まってしまいそうになる。


「おや?王子の婚約者は金髪では?」

「それは今日の舞台の話ではないですか。そうではなくて、第一王子殿下の元婚約者ですよ」


空惚けたヴィンセントはメイヴィスを視界に入れて少し目元を緩める。ヴィンセントが見てくれている、それだけでメイヴィスは安心できた。

「実は、ここだけの話なんですが…」

「おお」

急にトーンを落とした黒い商人に、相手は少し前のめりになる。

「第一王子の元婚約者のご令嬢は、ずっと私の憧れだったんですよね。彼女は髪の色がよく似ていたので……」

そこまで言って、ヴィンセントはさもいま気づきましたと言った体で「おや」と声を上げた。


「戻ってきていたのか」


ヴィンセントと話していた男は慌てて振り返り、そこにメイヴィスの姿を認めると、ばつが悪そうに挨拶をして去って行った。

メイヴィスはそれを横目で見送り、しずしずとヴィンセントに近づく。


「メイヴェルと似ていたからわたくしと結婚したんですの?」

「まさか。オレはメイヴィスを独り占めできて幸せだよ」


腰を抱かれてこめかみに口付けられる。
メイヴィスは「ふふっ」と笑ってしまった。だって、メイヴィスはメイヴェルなのだから。


ヴィンセントが葉巻を吸い終わるまで、メイヴィスはしばらく隣で静かに待っていた。聞くともなしに周囲の会話が耳に入る。


「――今回の公演はずいぶんと愉快だな」

「題目があれなだけに喜劇に寄せているんだろう?バーネット侯爵は何も言わないのか?」

「まったくだ。王家は臣下をなんだと思っているんだろうな」

「そういえばバーネット侯爵といえば――…」


「あそこにいるのはレアード商会の会頭か?美しい女性を連れているな」

「レアード商会?ああ、辺境伯の三男坊だろ?あの放蕩息子の……」

「いや、相当やり手だって聞いているぞ」

「え、レアード伯だろ?名が知れていたのは二十年以上も前じゃないか」

「だからあの三男も王都で商人なんてやってるんだろ。辺境伯なんて――」


メイヴィスにも聞こえてくるのだ、ヴィンセントの耳に入っていないわけがない。青くなり、おろおろと見上げると、男はにやっと笑って葉巻の火を消した。


「軽食でも頼んで戻ろうか。何がいい?」

「ヴィンス、それより……」

「いいんだ」


ヴィンセントはそう言って、野心に満ちたグリーンガーネットの瞳を楽しげに煌めかせる。


「これでいいんだよ」
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