上 下
7 / 67
悪役令嬢は悪徳商人に娶られる

7 ヴィンセント

しおりを挟む
「お嬢様!お嬢様、お待ちください!」


声量は押さえられていたが、緊迫した色は隠しきれていなかった。

明らかにどこかの屋敷の侍女といった様子の女が帽子の女を追いかける。旅用の質素なドレスを着て大きな帽子を被った女だ。髪は帽子の中に入れ込んでいるのだろう、細くて白いうなじが剥き出しで、白金の髪が一筋垂れている。


「あれか?」

「そうです」


部下の男の返事に頷きを返す。

全身黒を纏った背の高い男は、これまた黒の帽子をさっと直すと大きく一歩足を踏み出す。


「ごめんください」


女は服飾店の従業員に声をかけている。


「職人を雇ってはおりませんか?わたくしはレース編みができます」

「レース編み?なんだいそれ、かぎ針編みのことかい?この店じゃ職人は雇ってないよ」

「そうなんですか」


残念そうに肩を落とした女に向き直る相手。


「仕事を探してるなら――」

「失礼」


男は横から割り込んだ。
帽子の女の正面に立って見下ろす。顔は隠れていてわからない。


「職人の仕事を探しているのですか?」

「え、ええ、そうなんです。あなたは?」

「これは失敬。レアード商会のヴィンセントと申します。お仕事をお探しなら窺いますよ」

「そうそう!仕事を探しているならこの方に斡旋してもらえばいいよ!」


従業員の女が後ろから口を挟む。帽子の女は「斡旋…」と呟いた。花の色をした形のいい唇だった。


「お嬢様!」


帽子の女に追いついた侍女が声を荒げる。


「いけませんお嬢様!こんなどこの誰かもわからない者の話など…!」

「エステル」


女が静かに諌める。鈴の音のような声だった。


「やめてください。わたくしはもう誰の指示も受けません」

「ですが…!!」

「ここで騒いでは目立ちます。少し場所を変えましょうか」


ヴィンセントが進言すると、帽子の女はこくりと首を縦に振った。そして侍女に小さく告げる。

「どこの誰ともわからないのはわたくしの方です。この場所で名を晒していいのですか」

「……っ…!」

侍女は息を飲んで唇を閉ざす。
その様子をヴィンセントはただ黙って眺めていた。


移動した先はレアード商会の事務所だった。
一階の応接間に女を通す。侍女は部下に任せて、部屋には二人きり。


「職人をご希望されているんですか」

「わたくしはレース編みが得意です」


膝の上に揃えて置かれた手。白く滑らかな手だった。


女はこのところ平民街にふらりと現れては「職人になりたい」と触れて回った。顔を晒すことはなかったが、目につくものひとつひとつが、その辺の平凡な女ではないことを示している。極めつけは女を追いかけてくる侍女だ。明らかに上流階級の匂いがする。

そしてヴィンセントはこのところ虫の居所が悪かった。社交界でこそこそと囁かれる噂。庶民たちにはまだ公表されていない話。貴族たちは耳が早い。


「ひとつお伝えしなければいけません」

「なんでしょうか」

「レース編みは貴族の嗜みで、庶民にその文化はない」

「!!」


女は驚きに息を飲んで口許を押さえる。その仕草だけでもう美しい。


「あなたのお探しの仕事はどうがんばっても見つからないでしょう。どうしてそこまで職人になりたいのです?――メイヴェル様」


肩を強張らせた女は、そしてゆるゆると力を抜いた。折れそうなほど細い肩が、背中が、すっときれいに伸びる。


「わたくしのことをご存知でしたのね」


はらり。

大きな帽子を持ち上げると長い白金の髪がこぼれ落ちる。きらきらと、目も眩むような神々しさ。

透き通るアイスブルーの瞳がヴィンセントを捉えた。


「そうです。わたくしはメイヴェル・バーネット。バーネット侯爵家の長女です」


あまりの美しさに震えた。ヴィンセントは恭しく膝をつく。


「メイヴェル様、私はヴィンセント・レアード。このレアード商会の代表であり、辺境伯レアード家の三男でございます」


ヴィンセントの言葉に「ああ…」とメイヴェルは吐息混じりに頷く。


「貴族の方でしたか」

「第一王子の美しき婚約者様がなぜこんなところに?」

「あなたも貴族なら知っているでしょう?」


ふふ、と笑う横顔のなんという儚さ。


「殿下に捨てられた婚約者など跪く価値もないのですよ」


お座りになって、とメイヴェルは言う。


「あの噂は真実でしたか…」

「いまはまだわたくしとの婚約破棄の処理が落ち着いていないけれど、そう遠くない未来に殿下の新しい伴侶が発表されるでしょう」

「そんな話よりあなたのことです」


いまだ膝をついたままのヴィンセントが力強い視線でメイヴェルを見上げる。煌めくライトグリーンの瞳にメイヴェルはぱちりと瞬いた。


「あなたほど美しい人が下町で無防備に仕事を探し回られて、どこかに拐われてしまうとはお考えになられなかったんですか」


叱るようなヴィンセントの言葉に、メイヴェルは情けなく眉を下げた。


「拐われてしまいたかったのかもしれません」

「は?」

「もちろん恐ろしい思いはしたくないですが、わたくしはわたくしじゃない人間になってみたかったのです」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

何故婚約解消してくれないのか分かりません

yumemidori
恋愛
結婚まで後2年。 なんとかサーシャを手に入れようとあれこれ使って仕掛けていくが全然振り向いてくれない日々、ある1人の人物の登場で歯車が回り出す、、、

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

伯爵令嬢のユリアは時間停止の魔法で凌辱される。【完結】

ちゃむにい
恋愛
その時ユリアは、ただ教室で座っていただけのはずだった。 「……っ!!?」 気がついた時には制服の着衣は乱れ、股から白い粘液がこぼれ落ち、体の奥に鈍く感じる違和感があった。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

【完結】異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

七夜かなた
恋愛
仕事中に突然異世界に転移された、向先唯奈 29歳 どうやら聖女召喚に巻き込まれたらしい。 一緒に召喚されたのはお金持ち女子校の美少女、財前麗。当然誰もが彼女を聖女と認定する。 聖女じゃない方だと認定されたが、国として責任は取ると言われ、取り敢えず王族の家に居候して面倒見てもらうことになった。 居候先はアドルファス・レインズフォードの邸宅。 左顔面に大きな傷跡を持ち、片脚を少し引きずっている。 かつて優秀な騎士だった彼は魔獣討伐の折にその傷を負ったということだった。 今は現役を退き王立学園の教授を勤めているという。 彼の元で帰れる日が来ることを願い日々を過ごすことになった。 怪我のせいで今は女性から嫌厭されているが、元は女性との付き合いも派手な伊達男だったらしいアドルファスから恋人にならないかと迫られて ムーライトノベルでも先行掲載しています。 前半はあまりイチャイチャはありません。 イラストは青ちょびれさんに依頼しました 118話完結です。 ムーライトノベル、ベリーズカフェでも掲載しています。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

処理中です...