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第三楽章(後篇)
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(3)
人との距離が、気になって仕方がない。ひたすらに、カメラの向こう、燃えるような紅に意識を集中させる人、人、人をまあるくよけながら、群れる紅の美しさに、自然と感嘆の息がもれる。
キリシマツツジの見事な美に興奮して、私は参道や八条ヶ池のそばを歩き回り、しばらく花ばかり見ていた。取り囲む花になれてきて、ようやく彼の姿、顔、雰囲気を思い起こしながら、周囲の男性に目を凝らす。あの時彼は、マスクを着けていなかった。この人中では、必ず着けているだろう。目だけで、一度会った人を判別できるのか。あんなにこの心を湧き立てた花の紅でさえ、不安で歪んでゆく。
もう少し、人出が少なければ。正しい自粛心を、彼らはもっているのだろうか。苛立つと、そんな自分は何様なのだと片隅の冷静な自分があきれる私が顔を出す。偉ぶる私。自信がなくて、今にも泣きそうな私。
大切な人を亡くした悲しみにより追加された特性ではなく、あの人の死によって、おおっていた沈着がはがされたのだ。
なんて弱く、どうしようもなく脆く、そしてどれほど愛に飢えているんだろう、私は。
両側をキリシマツツジが埋める参道。鳥居を背にして左手には、池に面して風雅に建つ錦水亭。歴史ある料亭の静穏な気に心なだめられながら、その周辺を歩いていると、木陰に彼と感じの似た長身の男性を目の端で捉えた。
何気なくを装いながら、遠くを見る無防備な男にそろりと近寄る。違う。彼の肌はもっと白くて美しくて。
腕時計を見る。13時半。この時間に休憩をとって散歩、というのは考えにくい。今頃、自宅でデスクワークをしているのだろう。
あきらめで鈍くなった足取りで、参道をまた通り抜け、丹波街道に沿った池のそばの小道を南へ歩く。
小道にもツツジが美しく連なる。池とその向こうに錦水亭がある右手の景色は、より足取りをゆるくさせる。振り向いて参道のツツジも視界に入れると、いにしえの世界に踏み入ったような不思議な心地になる。京都の不思議だ、と思う。
参道に比べ、池沿いの小道は人が少ない。空が少し曇ってきたせいもあるのかもしれない。夕方から雨予報だけれど、少し早まりそうな空。もうあきらめて、サロンへ早めに出勤しよう。仕方がない。人との出会いも再会も縁だから。と、空模様に背中を押される感じでまた歩き出す。
あっ、と、自分だけに聞こえる小さな声がもれ出た。
幹がえらく曲がった染井吉野の下、木のベンチに、あの人が腰かけている。マスクを着けていないから、すぐに分かった。白い肌と、目と唇の美しい線。その目は、池の向こうをじっと見つめる。何か思いつめた風に。
(4)
迷うことはない。私は進みたいから。何かを変えたいから、変わりたいから。
錦水亭を見やる彼の視線をさえぎらないように、斜め前に立つ。全身に力が入る。
「すみません、覚えてますか。少し前に、勝竜寺城公園でお話ししましたよね」
驚いた顔をこちらに向けて、彼の顔はすぐに和らいだ。
「覚えています。話せる人はいないので。桜がきれいな頃にお会いしました」
微笑んではいるけれど、なんて、晴れない瞳をしているんだろう。エンパシーというものがそうさせるのか、彼のもつ悲しみをまとう空気に、つい引き込まれる。
彼は、長岡京市で生まれ育ち、毎年この季節にキリシマツツジを眺めて過ごす時間が幸福だと話した。錦水亭で、まだ学生の頃に一度家族で食事したことを懐かしそうに、そしてやはり悲しそうに話した。
彼の悲しみの理由(わけ)を、私は知っていると、誇らしく、そう思った。共有できるから。その心を私なら癒せるかもしれないから。相手には有り難迷惑になりうる母性が湧いてくる。
「お兄さんを、今年、亡くされたんですよね」
初めて見る、彼の惑う顔。唐突に、よくなかったな、と後悔した。
「ひろゆきさん。インスタで、いつも拝見しています。ヒロユキ1985、じゃ、、ないんですか」
彼の、安堵して頷く様子に、ほっとする。
間違いではなかった。
「すごくきれいに花や空を撮られていて、ヒロユキさんは、ぜったい心の美しい人なんだって思いました」
「自然が、、すごく好きな人なんで」
と、彼の目に喜びが宿る。
彼がhiroyukiであることを確認して、私の思いがせきを切る。
「後悔には優しさがあふれていると、前に話してくださって、すごく救われた気持ちになりました。確かに、そうかもしれません。でも、くくれないと思うんです。人の気持ちって、簡単なものじゃなくて、、こう、ドロドロっとした感じがあったり。きれいじゃなかったりするじゃないですか。あの、、そういうのも見て知って、そこから始まるものも、きっと、あるんです」
こんなにタラタラと話して、これは一体何なんだろう。説教したいわけではなく、私が彼に伝えたいのは、伝えたいと思った核心は、、何だっけ。
自信をなくしながら、私は続ける。
「わたしも、すごく大切な人を亡くしました。2年経っても、まだ苦しくて、苦しくてもがいてます。それをきれいな言葉でまとめるなんて出来なくて。これからも、もがくと思います。ほんと、こっけいなほどに。でも、そうやって生きてくことが、亡くなった人への、私なりのレクイエム、だと思うんです」
沈黙。
自分の話した言葉が、宙にふわふわと浮きあがっていくような、心もとなさを感じる。
「もがく、ということを、わたしは避けて生きていたかもしれません」
たよりない私の言葉を、彼は手を伸ばしキャッチして、続ける。
「もっと、自分の本当の気持ちに正直になって、ぶつかっていけばよかった。でもわたしは、あきらめるということを選びました。今は、それでよかったと思っています」
彼の悲しみを受け取っていても、彼が私と違って殆ど着地していることに、私は気づけていなかった。
私が彼に話したかった言葉は、本当は、私自身が生きてくために、足を前に出したくて、発したものなのかもしれない。
まだまだ駄目で、ほんとあいまいで。
だけど、心の中のものを発出したがっている。つまりは、生きていきたいと、あきらめないで生きたいと願っている。
インスタの投稿写真を楽しみにしています、とか、また会えそうな気がしますね、とか、私はありきたりな言葉をのこして、彼の前を去った。
腕時計を見ると、まだ14時少し前で、彼とあんなに長く話していたのに、あまり時間が経っていないことに驚いた。
ラインに予約連絡があるか、確認する。まだ入っていないので、『寄りたい所があるので、30分遅れて出勤します』と入れておいた。
私の足は、勝竜寺城公園へ向かう。
人との距離が、気になって仕方がない。ひたすらに、カメラの向こう、燃えるような紅に意識を集中させる人、人、人をまあるくよけながら、群れる紅の美しさに、自然と感嘆の息がもれる。
キリシマツツジの見事な美に興奮して、私は参道や八条ヶ池のそばを歩き回り、しばらく花ばかり見ていた。取り囲む花になれてきて、ようやく彼の姿、顔、雰囲気を思い起こしながら、周囲の男性に目を凝らす。あの時彼は、マスクを着けていなかった。この人中では、必ず着けているだろう。目だけで、一度会った人を判別できるのか。あんなにこの心を湧き立てた花の紅でさえ、不安で歪んでゆく。
もう少し、人出が少なければ。正しい自粛心を、彼らはもっているのだろうか。苛立つと、そんな自分は何様なのだと片隅の冷静な自分があきれる私が顔を出す。偉ぶる私。自信がなくて、今にも泣きそうな私。
大切な人を亡くした悲しみにより追加された特性ではなく、あの人の死によって、おおっていた沈着がはがされたのだ。
なんて弱く、どうしようもなく脆く、そしてどれほど愛に飢えているんだろう、私は。
両側をキリシマツツジが埋める参道。鳥居を背にして左手には、池に面して風雅に建つ錦水亭。歴史ある料亭の静穏な気に心なだめられながら、その周辺を歩いていると、木陰に彼と感じの似た長身の男性を目の端で捉えた。
何気なくを装いながら、遠くを見る無防備な男にそろりと近寄る。違う。彼の肌はもっと白くて美しくて。
腕時計を見る。13時半。この時間に休憩をとって散歩、というのは考えにくい。今頃、自宅でデスクワークをしているのだろう。
あきらめで鈍くなった足取りで、参道をまた通り抜け、丹波街道に沿った池のそばの小道を南へ歩く。
小道にもツツジが美しく連なる。池とその向こうに錦水亭がある右手の景色は、より足取りをゆるくさせる。振り向いて参道のツツジも視界に入れると、いにしえの世界に踏み入ったような不思議な心地になる。京都の不思議だ、と思う。
参道に比べ、池沿いの小道は人が少ない。空が少し曇ってきたせいもあるのかもしれない。夕方から雨予報だけれど、少し早まりそうな空。もうあきらめて、サロンへ早めに出勤しよう。仕方がない。人との出会いも再会も縁だから。と、空模様に背中を押される感じでまた歩き出す。
あっ、と、自分だけに聞こえる小さな声がもれ出た。
幹がえらく曲がった染井吉野の下、木のベンチに、あの人が腰かけている。マスクを着けていないから、すぐに分かった。白い肌と、目と唇の美しい線。その目は、池の向こうをじっと見つめる。何か思いつめた風に。
(4)
迷うことはない。私は進みたいから。何かを変えたいから、変わりたいから。
錦水亭を見やる彼の視線をさえぎらないように、斜め前に立つ。全身に力が入る。
「すみません、覚えてますか。少し前に、勝竜寺城公園でお話ししましたよね」
驚いた顔をこちらに向けて、彼の顔はすぐに和らいだ。
「覚えています。話せる人はいないので。桜がきれいな頃にお会いしました」
微笑んではいるけれど、なんて、晴れない瞳をしているんだろう。エンパシーというものがそうさせるのか、彼のもつ悲しみをまとう空気に、つい引き込まれる。
彼は、長岡京市で生まれ育ち、毎年この季節にキリシマツツジを眺めて過ごす時間が幸福だと話した。錦水亭で、まだ学生の頃に一度家族で食事したことを懐かしそうに、そしてやはり悲しそうに話した。
彼の悲しみの理由(わけ)を、私は知っていると、誇らしく、そう思った。共有できるから。その心を私なら癒せるかもしれないから。相手には有り難迷惑になりうる母性が湧いてくる。
「お兄さんを、今年、亡くされたんですよね」
初めて見る、彼の惑う顔。唐突に、よくなかったな、と後悔した。
「ひろゆきさん。インスタで、いつも拝見しています。ヒロユキ1985、じゃ、、ないんですか」
彼の、安堵して頷く様子に、ほっとする。
間違いではなかった。
「すごくきれいに花や空を撮られていて、ヒロユキさんは、ぜったい心の美しい人なんだって思いました」
「自然が、、すごく好きな人なんで」
と、彼の目に喜びが宿る。
彼がhiroyukiであることを確認して、私の思いがせきを切る。
「後悔には優しさがあふれていると、前に話してくださって、すごく救われた気持ちになりました。確かに、そうかもしれません。でも、くくれないと思うんです。人の気持ちって、簡単なものじゃなくて、、こう、ドロドロっとした感じがあったり。きれいじゃなかったりするじゃないですか。あの、、そういうのも見て知って、そこから始まるものも、きっと、あるんです」
こんなにタラタラと話して、これは一体何なんだろう。説教したいわけではなく、私が彼に伝えたいのは、伝えたいと思った核心は、、何だっけ。
自信をなくしながら、私は続ける。
「わたしも、すごく大切な人を亡くしました。2年経っても、まだ苦しくて、苦しくてもがいてます。それをきれいな言葉でまとめるなんて出来なくて。これからも、もがくと思います。ほんと、こっけいなほどに。でも、そうやって生きてくことが、亡くなった人への、私なりのレクイエム、だと思うんです」
沈黙。
自分の話した言葉が、宙にふわふわと浮きあがっていくような、心もとなさを感じる。
「もがく、ということを、わたしは避けて生きていたかもしれません」
たよりない私の言葉を、彼は手を伸ばしキャッチして、続ける。
「もっと、自分の本当の気持ちに正直になって、ぶつかっていけばよかった。でもわたしは、あきらめるということを選びました。今は、それでよかったと思っています」
彼の悲しみを受け取っていても、彼が私と違って殆ど着地していることに、私は気づけていなかった。
私が彼に話したかった言葉は、本当は、私自身が生きてくために、足を前に出したくて、発したものなのかもしれない。
まだまだ駄目で、ほんとあいまいで。
だけど、心の中のものを発出したがっている。つまりは、生きていきたいと、あきらめないで生きたいと願っている。
インスタの投稿写真を楽しみにしています、とか、また会えそうな気がしますね、とか、私はありきたりな言葉をのこして、彼の前を去った。
腕時計を見ると、まだ14時少し前で、彼とあんなに長く話していたのに、あまり時間が経っていないことに驚いた。
ラインに予約連絡があるか、確認する。まだ入っていないので、『寄りたい所があるので、30分遅れて出勤します』と入れておいた。
私の足は、勝竜寺城公園へ向かう。
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