4 / 7
第三楽章(前篇)
しおりを挟む (1)
唐突な死という容赦ない別れを経て、あの日から、彼を想わない日はあっただろうか。
健康維持の為に揚々と公園を歩く、血色の良い高齢者を見ると、彼は36で亡くなったんです、その歳なら、それ以上の望みはもういいじゃないですか、と思った。早世の彼を思うと、腹が立った。
電車や駅構内で、キャリーバッグを引くスーツの男性がいると、出張の多かった、仕事に一途であった彼と重ねて見た。エンジニアとして志半ばで去った彼が、不憫に思えて仕方なかった。
何より、私の心に重くのしかかったのは、彼は私と出合うことがなければ、死ぬことはなかったのでは、という思念。
何も、わざわざ、東京と大阪を往き来する恋愛など、する必要はなかったのだ。そして、結婚の約束をして家を購入したことで、それらはきっと彼にとって、単なる負担になってしまった。際限なく、私は自分を責めた。責め過ぎて息苦しくなるので、時に、彼はどうあれ亡くなったのだと、苦い思いを宙に放りやった。
怒り、憐れみ、苦痛、淋しさ……。
胸をかきむしられるような負の感情ばかりで、あの人の語った真実は、ほんのひとかけらであるように思われた。
暗闇の中で優しく光る月みたいに、レクイエムには、少しだけ、確かな明るさがあるのかもしれない。時を経て、段々に、闇はその光にのまれていくのだろうか。
電車のシートに腰かけて、向かいの車窓に広がる景色を見やる。
淀川沿いを走る京阪本線は、石清水八幡宮駅と淀駅との間で、最も美しい景観を乗客にみせてくれる。
そこでは、私は必ず、本やスマホから顔をあげる。
淀川水系である木津川と宇治川を、電車は続けて渡りゆく。その景観の広大さ、美しさは、これまで幾度、私の心を高揚させただろう。
彼を喪ってから京都に通いたかった理由のひとつに、毎日川を越えゆく景色を眺めたいという思いも、確かに含まれていた。
一言では言い尽くせない、この、負の感情たちを、どうにか越えていきたい。でもその一方で、乗り越えるというのは、彼を忘れてしまうことではないか、彼を前から完全に失ってしまうのではないか、という恐れも心のどこかにある。
彼へのレクイエムを、どう成していくべきなのか、私には分からない。でもそれを、私は知っているはず。私だけに、その答えはあるのだから。
(2)
淀駅に、いつもより2時間早く降り立つ。
毎時7分発の、JR長岡京行きのバスに乗る。
そこへ行けば、またあの人に会えるような気がした。自分と同じものを背負うあの人と、また話したいと思った。自分の中に、彼に伝えたい気持ちが湧いてくるように感じる。この気持ちに、恋愛感情はない。ただ、動かなければ、何も変わらない気がした。
バスの中でスマホを手にして、もう何度も見た、インスタグラムの、ある投稿写真を見つめる。半年程前に私がフォローした『hiroyuki1985』による投稿。
彼の写真の殆どが、長岡京市で撮影された花と空。撮り手の優しさが伝わってくるような温かなものばかりで、彼の写真を見る度に心が和む。
いつもは、フォローする人等の新しい投稿写真を流れるように目にしていく。けれども昨日、『hiroyuki』の投稿だけを、何気なくさかのぼって見ていた。
ツツジ、ツツジ、夕空、桜、桜。
5つ前の、彼の投稿。どことなく淋しげな、五分咲きの桜。キャプションには、『勝竜寺城公園にて。兄が旅立ってから1か月。兄が見ることのできなかった、今年の桜』とある。日付を見たとき、大方願望である確信がうまれた。
『hiroyuki』は、あの人である、と。
2日前の、彼の投稿写真。
晴天の眩しい蒼(あお)さえ跳ね返すような、鮮やかな紅(あか)を、みごとな構図で、美しく写している。花や自然をいとおしむ、撮り手の心が伝わってくる。
長岡天満宮に咲く、キリシマツツジ。
地元客やオーナーから、GWの頃に美しく咲き誇ると聞いていたので、4月の終わりを楽しみにしていた。ところが今年は、例年より少し早いらしい。
急いで、この目でその美を見に行かなければ、と思っていた。そこに、昨日の確信。
投稿のキャプションには、『リモートワークのため、咲き始めてから、毎日のように、ツツジ撮り散歩。忘れていたものを取り戻すような、貴重な時間』とある。
行けば会えるだろうなんて、どれだけ自分は、舞い上がった恋する女のように、馬鹿なのか、と自嘲もした。けれど、彼を喪失した悲しみでうずくまっていた心が、少しずつ、動こうとしている。それに、素直に呼応したいと思った。
いつもは『調子』で降りるのを、終点まで乗り、高鳴る気持ちに戸惑いながら、ステップを降りた。
天神通りを西へ、西へ、まっすぐに。
阪急の線路を越えた辺りから、人が増える。人のざわめきに微塵も動じない、厳かな空気が漂い始める
彼は、いる。階段を上がった向こうに、彼はきっといる。
ところで、彼の姿を私は見分けられるのだろうか。直前になって、間抜けな現実的思考が浮かび、頭がくらりとした。
唐突な死という容赦ない別れを経て、あの日から、彼を想わない日はあっただろうか。
健康維持の為に揚々と公園を歩く、血色の良い高齢者を見ると、彼は36で亡くなったんです、その歳なら、それ以上の望みはもういいじゃないですか、と思った。早世の彼を思うと、腹が立った。
電車や駅構内で、キャリーバッグを引くスーツの男性がいると、出張の多かった、仕事に一途であった彼と重ねて見た。エンジニアとして志半ばで去った彼が、不憫に思えて仕方なかった。
何より、私の心に重くのしかかったのは、彼は私と出合うことがなければ、死ぬことはなかったのでは、という思念。
何も、わざわざ、東京と大阪を往き来する恋愛など、する必要はなかったのだ。そして、結婚の約束をして家を購入したことで、それらはきっと彼にとって、単なる負担になってしまった。際限なく、私は自分を責めた。責め過ぎて息苦しくなるので、時に、彼はどうあれ亡くなったのだと、苦い思いを宙に放りやった。
怒り、憐れみ、苦痛、淋しさ……。
胸をかきむしられるような負の感情ばかりで、あの人の語った真実は、ほんのひとかけらであるように思われた。
暗闇の中で優しく光る月みたいに、レクイエムには、少しだけ、確かな明るさがあるのかもしれない。時を経て、段々に、闇はその光にのまれていくのだろうか。
電車のシートに腰かけて、向かいの車窓に広がる景色を見やる。
淀川沿いを走る京阪本線は、石清水八幡宮駅と淀駅との間で、最も美しい景観を乗客にみせてくれる。
そこでは、私は必ず、本やスマホから顔をあげる。
淀川水系である木津川と宇治川を、電車は続けて渡りゆく。その景観の広大さ、美しさは、これまで幾度、私の心を高揚させただろう。
彼を喪ってから京都に通いたかった理由のひとつに、毎日川を越えゆく景色を眺めたいという思いも、確かに含まれていた。
一言では言い尽くせない、この、負の感情たちを、どうにか越えていきたい。でもその一方で、乗り越えるというのは、彼を忘れてしまうことではないか、彼を前から完全に失ってしまうのではないか、という恐れも心のどこかにある。
彼へのレクイエムを、どう成していくべきなのか、私には分からない。でもそれを、私は知っているはず。私だけに、その答えはあるのだから。
(2)
淀駅に、いつもより2時間早く降り立つ。
毎時7分発の、JR長岡京行きのバスに乗る。
そこへ行けば、またあの人に会えるような気がした。自分と同じものを背負うあの人と、また話したいと思った。自分の中に、彼に伝えたい気持ちが湧いてくるように感じる。この気持ちに、恋愛感情はない。ただ、動かなければ、何も変わらない気がした。
バスの中でスマホを手にして、もう何度も見た、インスタグラムの、ある投稿写真を見つめる。半年程前に私がフォローした『hiroyuki1985』による投稿。
彼の写真の殆どが、長岡京市で撮影された花と空。撮り手の優しさが伝わってくるような温かなものばかりで、彼の写真を見る度に心が和む。
いつもは、フォローする人等の新しい投稿写真を流れるように目にしていく。けれども昨日、『hiroyuki』の投稿だけを、何気なくさかのぼって見ていた。
ツツジ、ツツジ、夕空、桜、桜。
5つ前の、彼の投稿。どことなく淋しげな、五分咲きの桜。キャプションには、『勝竜寺城公園にて。兄が旅立ってから1か月。兄が見ることのできなかった、今年の桜』とある。日付を見たとき、大方願望である確信がうまれた。
『hiroyuki』は、あの人である、と。
2日前の、彼の投稿写真。
晴天の眩しい蒼(あお)さえ跳ね返すような、鮮やかな紅(あか)を、みごとな構図で、美しく写している。花や自然をいとおしむ、撮り手の心が伝わってくる。
長岡天満宮に咲く、キリシマツツジ。
地元客やオーナーから、GWの頃に美しく咲き誇ると聞いていたので、4月の終わりを楽しみにしていた。ところが今年は、例年より少し早いらしい。
急いで、この目でその美を見に行かなければ、と思っていた。そこに、昨日の確信。
投稿のキャプションには、『リモートワークのため、咲き始めてから、毎日のように、ツツジ撮り散歩。忘れていたものを取り戻すような、貴重な時間』とある。
行けば会えるだろうなんて、どれだけ自分は、舞い上がった恋する女のように、馬鹿なのか、と自嘲もした。けれど、彼を喪失した悲しみでうずくまっていた心が、少しずつ、動こうとしている。それに、素直に呼応したいと思った。
いつもは『調子』で降りるのを、終点まで乗り、高鳴る気持ちに戸惑いながら、ステップを降りた。
天神通りを西へ、西へ、まっすぐに。
阪急の線路を越えた辺りから、人が増える。人のざわめきに微塵も動じない、厳かな空気が漂い始める
彼は、いる。階段を上がった向こうに、彼はきっといる。
ところで、彼の姿を私は見分けられるのだろうか。直前になって、間抜けな現実的思考が浮かび、頭がくらりとした。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる