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21 妄執
しおりを挟む「カイユー様がイナゲナに……?いったい何を?」
老人の言葉に、ゴゴノは戸惑って首を傾げている。
ゴゴノにとっては夜狩りの老人がイナゲナの存在を知っているのはおかしくないし、内容が荒唐無稽すぎてボケ老人の世迷言だと思ったのだろう。
一方ヤマトは、思い当たることが多すぎて戸惑いを越えて一気に感情が恐怖に直結した。
「霊廟に捧げられたところまでは把握していたんだ。その後は何の音沙汰もないから失敗したのかと思っていた!そうかそうか、やっとか!」
(『霊廟に捧げる』って、側妃が言っていた七歳の時のこと?やっぱり、この老人が言ってることって……)
老人の狂気が、目に見えない波動のようにヤマトに圧力を与える。
老人が死の淵で精神に異常をきたしているのは、この様子からして間違いない。だが、言っていることの節々が側妃から聞いたことと符合している。ヤマトの背中には汗が伝い、冷えた空気が一瞬で体温を奪う。
「良かった、ワシがこの世を旅立つ前に間に合ったか……!」
圧倒されるヤマトたちのことなど見えていないかのように老人は喋り続けている。思考がそのまま吐き出されるかのような支離滅裂な内容だ。
「お爺さん落ち着いて。いったい何を言っているんですか?カイユー様がイナゲナになんて……。だいたい、王子殿下を呼び捨てなんて良くないですよー」
ゴゴノが老人に声をかける。いつものコミカルな様子が控えめなのは、ゴゴノもこの老人の言うことにただならぬものを感じ始めているのだろう。
老人はかけられた言葉で一応ヤマトたちを視野に入れたようで、手柄を自慢するように朗々と語り出した。
「カイユーはな、ワシの孫よ。我が息子もあの世で喜んでいることだろうよ!倅は演技の才は見事なものだった。上手くあの女を誑し込んで子を作らせた。赤子を連れて王宮内の霊廟に入ることができる、王家に血筋の近い女。そいつを上手く篭絡できたと聞いたときは村をあげて祝った」
(つまり、側妃と駆け落ちした男の父親?側妃は夜狩りたちに利用されていた……?秘術をかけた赤子って、殿下のことなのか?)
関係者に会えればと思っていたが、こんなに近い人物に会えるとは思わなかった。しかし、言っている内容はヤマトが期待したものとは真逆だ。
ヤマトはこれ以上何も聞きたくないと耳を塞ぎたかったが、体が何かに押さえつけられているかのように動かない。その間にも老人は朗々と喋り続ける。
「ワシらはな、あの女の腹に宿った子供に秘術をかけた。ワシらは若い頃からずっと、イナゲナを復活させることだけ考えてきた。その悲願が、やっと!叶う時が来たのだ!!」
「あなたたちが!なぜそんなことを……」
具体的な話が出てきたうえに、ヤマトが衝撃を受けている様子を見て、ゴゴノは遅ればせながら老人の言葉がただのボケ老人の妄言でないと認識したようだ。ゴゴノの言葉には、怒りが滲む。
「ワシらの気持ちが分からないのか!?」
ゴゴノの怒りに、老人は倍以上の感情をぶつけた。どこからそれだけの声量が出ているのか分からないボリュームで老人の言葉が響き渡る。この無人の里全体に聞かせる演説のようだ。
「辛い修行をしてそれを発揮する場所も得られない!この国の有事に備えているのに、村の外に出れば汚い田舎者扱いだ。お前と違って、ワシらは先祖から受け継いだ使命を忘れなかった。命を削って秘術を磨いた。イナゲナが復活したら、夜狩りたちのためになると信じて!」
そこまで体を壁に預けて座っていた老人は、崩れ落ちるように床に倒れ、燃え尽きるように叫んだ。
「カイユーを媒介にイナゲナは復活すると、信じてきた!良かった良かった!喜べ、これからは夜狩りの時代だ!!」
そのまま、老人は言葉を発しなくなった。
ヤマトとゴゴノはただ老人を見つめて動くことが出来なかった。それからどれくらい経ったか分からない。恐る恐る動き出したゴゴノが老人の脈を確認してから首を振った時、時間が動き出したようにヤマトは感じた。
「もうすぐ寿命が尽きると言うのは、本当だったんでしょうね……。亡くなる直前は一瞬とても元気になることがある、というのを聞いたことがあります」
それから、ヤマトはゴゴノと共に老人を埋葬をした。
遺体を埋めるなんて経験をヤマトはしたことがなく何もできずにいる間にゴゴノが影術で穴を掘り、一緒に土をかけた。
そうしている間に崩れ出していた天候がより悪くなってきたので、老人の家で吹雪をこさせてもらうことにした。あばら屋が吹き飛んでしまうのではないかという不安があったが、ボロく見えたが案外丈夫な作りの家のようだ。
昨日も一昨日もずっと前も、つい先ほど命を引き取るまであの老人がここで暮らしていたのだと思うと不思議な気持ちだった。感情が麻痺したのか、何故か、恐怖は感じなかった。
ゴゴノが影術で出してくれた炎を、二人無言のまま見つめる。ヤマトやカイユーの前ではいつもハイテンションのゴゴノも、何かを考え込んでているようだ。
「きっとヤマト様を見て、カイユー様の恋人だと分かったんでしょうね。それで勝手に死ぬ前に願いが叶ったと勘違いしてしまったんですかね……」
ゴゴノの呟きは空気に溶けるくらい希薄だった。
カイユーの恋人の特徴はゴゴノのおかげで有名だ。カイユーの恋人が自分の前に来たのなら、カイユーに何かあったに違いない。つまり自分の望みが叶ったのだ、という無理な思い込みだったのだろう。
老人の様子からして、金髪緑眼の少年が来たらヤマトでなくてもカイユーの恋人と思い込んだのかもしれない。死の直前で冷静な思考が残っていなかったのも大きいだろうが、
「それくらい、この人はイナゲナの復活を望んでいたってこと、ですね」
ヤマトの呟きもまた掠れた音だったが、ゴゴノには届いたようでゴゴノは無言のまま頷いた。
先ほど埋めた老人の死体を思い出す。まるで百年は生きたような窶れた様子だったが、カイユーの祖父の年代ということは六十代くらいではないだろうか。
秘術のために命を削ったとは、文字通りの意味なのかもしれない。
(どうして、そんなことを、命を削ってまで……)
「ゴゴノさんは、その、今の仕事は、楽しいですか?」
もしかしたら、ゴゴノは今こんなことを聞かれたくないかもしれないとヤマトの頭の隅に浮かぶ。だが、ヤマトは聞かずにはいられなかった。
「……楽しいです」
ヤマトの質問にゴゴノは炎をまっすぐ見ながら答えた。そして、一度口を噤んでからゴゴノは言葉を続けた。
「僕は記者の仕事にやりがいがあって、影術はそのための便利なスキルだと思ってます。けどあの人は……」
ゴゴノは一旦言葉を飲み込んで、また口を開いた。
「ヤマト様、老人の言うことを真に受けないでください。あの人にも他にいくらでも生きる方法があったはずです。なのに、夜狩りであることに執着して他人の人生を弄んだ。あの老人は自分の選択で勝手に苦しんで死んでいっただけです」
ゴゴノの言葉には、自分自身を説得するような響きがあった。同じ夜狩りの悲痛な叫びはゴゴノの中ではもしかしたら共感するところもあって、それを理性で否定しているのかもしれない。
ゴゴノの複雑な思いを薄ら察しながらも、ヤマトにはゴゴノの心情を気遣う余裕がなかった。
(執着、か)
ゴゴノの言葉は意図せずヤマトの心にも突き刺さった。
ヤマトは秋ごろから燻っていた自己嫌悪に加え、たった今目の当たりにした老人の狂気で心が重く沈み込む。
(……あの老人とオレは、何が違うんだろう)
ヤマトも、自分が死んでカイユーの心に刻まれたいという願望のために、カイユーが傷ついても構わないと思っていた。
カイユーに出会った時のヤマトは、むしろ自分の身を犠牲にしてイナゲナの復活を止めるのだから、自分の行いは褒められるべきとすら思っていた。
この世界はヤマトが知っているゲームの世界に酷似しているが、ヤマトが知らなかった裏事情が想像以上に沢山ある。いまヤマトはその事実に押しつぶされそうだ。
例えばだが、ヤマトの行動のせいでヤマトの知らない何かが変わって、本来死ななかったはずのエーリクが死ぬようなこともあり得る。
もしかしたら、ヤマトは知らないがゲームで噛み合っていた何かがズレてこの国が未来永劫イナゲナに支配される可能性だってある。
(そもそも、自分の望みのためにゲームのシナリオを変えようとするなんて、間違った考えなんじゃないか)
ヤマトがカイユーの心に残って死んでいきたいなんて願望に執着していては、どんな影響があるか全く読めない。
老人の話と側妃の話を合わせれば、側妃の予想通りカイユーはイナゲナになる運命のようだ。今老人の妄想通りになっていない理由や、王位との関連はわからない。分からないからこそ、ヤマトの行動がどんな風に影響してしまうのか予測できない。
ゲームのラストでカイユーは、穏やかな顔で死んでいった。ゲームをプレイしていたヤマトにとってはもの悲しかったが、あの未来こそがみんなが幸せになれる正しい在り方……なのだろうか。
ヤマトは、自分がこれからどうするべきか全く分からなかった。
ヤマトは老人のボロ屋で沈み込んだ思考のまま疲れては寝て、悪夢にうなされて目が覚めて、それを繰り返して何度目かに吹雪がやんだ。一体どれくらい時間が経ったのだろうか。
吹雪は風は強いが雪自体は少なかったのだろう。積もった雪に足を取られながらも、馬車の御者と別れた街道に出ることができた。
街道は風の通り道で雪が吹き飛んだのか、ほとんど積雪がない。夜狩りの里への道を振り返って、ヤマトはここまでの出来事が夢のように感じた。
目的の別荘地まではどれくらい歩けば着くだろうか。この道を、側妃やあの老人の息子も通ったのだろうか。
そんなことを取り止めもなく考えながらヤマトが街道を歩いていると、馬の足音が前から聞こえて顔を上げる。
「え、殿下?」
王都で誕生日パーティーに参加しているはずのカイユーがいる。冬物の黒いロングコートを馬上で靡かせて近づいてきた。まるで、冬の澄んだ空気の中、映画のワンシーンのように輝いて見えた。
「ヤマト!良かった」
夢を見ているようにぼーっと見惚れていたヤマトは、カイユーに名前を呼ばれた瞬間、何かが切れたように意識を失った。
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