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17 母の顔
しおりを挟む「夜喰魔化した風猪は、側妃様のことも襲っていましたね」
ヤマトは馬車に揺られながらカイユーに声をかける。狩猟会からの帰路にヤマトはカイユーの馬車に同乗させてもらった。
「確かにそうだね」
カイユーからの相槌は妙に平べったく、なんの感情も感じ取れなかった。そんなカイユーに怖気付く自分を奮い立たせてヤマトは言葉を重ねる。
「その、側妃様が関わっているっていうのは違うんじゃないかなって思ったんですけど……」
ヤマトの言葉に、カイユーは諾とも否とも言わなかった。
「それに、側妃様は思っていたのと違いました。なんというか……反逆なんて考えていなさそうで」
続いたヤマトの発言に、カイユーは本当に嫌そうな顔をした。ヤマトの知っている中で言うと、上司から浮気武勇伝を聞かされた後輩女子の表情に近い。
「大人しそうな外面に騙されちゃうなんて、ヤマトらしくないね」
カイユーにそんな嫌悪と失望の表情をされたのは初めてでヤマトは固まる。
「えっと、すみません……」
最初から地雷な話題だと分かっていたが、それにしてもとても無神経だった。自分が嫌いな人のことをよく知りもしない誰かから、「そんなに悪いな人じゃないんじゃない?」なんて言われたら大抵の人間は怒るだろう。
ただでさえ口下手なのに、気持ちが逸ってタイミングも計らずに思ったままのことを言ってしまったとヤマトは反省した。
「いや、今のは俺が悪い。たいして話してないのに側妃の本性に気付けというのは無理があるよね」
謝ったヤマトに、カイユーも謝罪をした。ここでカイユーに謝られてしまうとヤマトはそれ以上何も言うことができない。
気まずい沈黙のまま馬車は進み、寮に着いたヤマトはお礼を言って馬車を降りた。
(たしかに、オレは側妃様を全然知らない。でも、殿下を大切に思っている目をしていたんだよな……)
小さくなっていく馬車を見ながらヤマトは先ほど言えなかった言葉を心の中で呟く。
ヤマトには側妃が、王母になりたいだけの女性には見えなかった。カイユーが風猪を切り捨てた時、自身も襲われたばかりの側妃がカイユーを心配そうに見ていた。とてもカイユーをただの道具だと思っている人間の目ではないとヤマトは思った。
いつか側妃様の真意を聞けたらいいな、とヤマトは思う。そして、その機会は予想外に早く来ることになる。
「ヤマト様、こちらを預かってきています」
ある日の放課後、硬い表情のグレンが手紙を差し出してきた時、ヤマトは当初カイユーからの手紙だと思った。王子としての仕事中のカイユーに何かあったかと心配して開封すると、それは予想外の相手からのものだった。
「これは、側妃様からの招待状?」
開けてみると、手紙の差出人はなんと側妃だった。
ヤマトが驚いてグレンを見ると、グレンは複雑そうな顔をしてヤマトを見ていた。
(あ、そういえばグレンって側妃様とも繋がりがあるんだよな)
ゲームでのグレンは「カイユーのため」を指針に行動するキャラなのでヤマトは好きだった。だが、グレンには単に忠実な部下というには複雑な設定があった。
グレンは心優しい気質でその心を残したまま夜喰魔になるのだが、イナゲナに憑依されたカイユーを止めることができずに主人公に希望を託す。
グレンはカイユーに負い目があるのだ。
グレンの母はグレンが生まれる前から側妃の女官をしているので、カイユーにとっては幼い頃からの仲だ。カイユーはグレンを兄のように慕っていた。
だが、グレンはカイユーと側妃が敵対し始めた時に、カイユーのためを思ってその行動を諌めた。しかし、カイユーはそんなグレンの言動にグレンのことも信じられなくなり一層心を閉ざした。イナゲナの復活の時にカイユーは、そんな心の闇をつかれて肉体を奪われる。
グレンはそれを知って、カイユーを全面的に味方しなかったことを後悔している。だから、イナゲナに取り憑かれて暴虐を行うカイユーを止めることができない。……それが、ゲームにおける設定だ。
「これって今から行ったらいいんですか?」
そんな事情はおいて、これは渡りに船だ。ヤマトはちょうど側妃の考えをもっと知りたいと思っていたところなのだ。乗り気な返事をしたヤマトに、グレンは驚いているようだった。
「殿下に伝えなくて良いのですか?」
「伝えないで欲しいと書いてますので」
ヤマトの返答にグレンは更に不可解な顔をした。
グレンの気持ちも分からなくはない。カイユーに内緒で、なんて書いてあればむしろ警戒が増すのが普通だ。しかし、ヤマトもできればカイユーに内緒にしたかった。
「私は殿下の目を通した側妃様しか知らないので。直接話してみたかったんです」
ゲームのファンの中では側妃について(浮気やカイユーを権力欲のダシにしようとしているという話)はカイユーの誤解だという説があった。ヤマトは先日の側妃の様子を見てその説の信憑性が高いのではと思ったのだ。
二人の中に誤解があるなら解いてあげたいと思った。それこそ、友人や恋人は後からでもできるが、親は後からは補えない。この二人の誤解が解ければ、カイユーの鬱屈の大きな部分は晴れるのではないかとヤマトは思っている。
カイユー抜きで側妃と話すこのチャンスを、ヤマトは逃したくなかった。
「……以前から思っていましたが、あなたは大人しそうに見えてかなりの怖いもの知らずですね」
「流石に命を取られるようなことはないでしょうし。もし万が一そんなことがあれば、もちろん殿下に伝えてくださいね」
最悪ヤマトが側妃に害されても、カイユーならそれを上手く利用するはずだ。ヤマトは無駄死にする気はないが、ヤマトにとって側妃様と話すのはカイユーの幸せに多大な影響を持つことなのだから仕方ない。
グレンは呆気に取られた顔をしていたが、ヤマトの催促に従い側妃宮に案内された。
案内された王城内の側妃の部屋で、部屋の主人は嫋やかに笑っている。目の前の席に案内されたヤマトには、側妃は幸薄そうな雰囲気があるがいい人そうに見える。カイユーに言うと、騙されているとまた怒られそうだ。
「今日は私のことを王の妃としてではなく、ただの恋人の母だと思って気楽にしてね」
部屋には女官がいてヤマトに良い香りのするお茶を出してくれた。女官は髪の色がグレンに似た濃い紅なのでおそらくグレンの母だろう。
和装の側妃、詰襟のヤマト、豪華なテーブルと椅子に、ティーカップの中身は紅茶ではなく緑茶に近い味がした。前世の記憶があるヤマトの感覚では全体的に和洋の入り混じる空間だが、不思議な調和が取れてお洒落で品を感じるのは部屋の主人のセンスによるものだろうか。
「は、はい」
(いや、恋人の母も緊張するんですけど……)
側妃の雰囲気自体は和やかで敵意や害意は感じないが、それでもこの空間と状況は緊張はする。おそらくヤマトが頑張って作った笑みは、錆びたおもちゃのようにぎこちなく見えているだろう。
「ヤマトさんのご趣味は?」
ヤマトの挙動不審に気付いているのか、いないのか、側妃はにっこりと微笑み問うてくる。お見合いか!と、ヤマトの脳内のお笑い芸人がツッコむが、それは現実逃避だ。初めまして同士の会話のはじまりとしてこれ以上無難な話題はないだろう。
「えっと、読書をしていることが多いです。側妃様は……」
(いつもみたいな受け身の会話じゃだめだ。人柄がわかるような会話を引き出さなきゃ)
まずはこの流れで側妃の趣味の話に持っていこうとヤマトは部屋を見渡す。きっとこの人は音楽が好きだ。装飾品のようなハープが置いてあるのを視界に入れる。ヤマトは頭の中で必死に音楽の知識を検索する。
「あら、偉いのね。あの子は昔は本を読むのが嫌いでね」
「そうなんですか?」
しかし話の主導権は側妃が持ったまま話は展開する。しかも側妃の言うカイユーの話が意外で、ヤマトは素で引きつけられた。ヤマトの知るカイユーは、いつも新聞を何紙も読んでいる。
「ふふ、活発でね。全然大人しくしていられなかったのよ」
側妃は小さく笑う。その笑みは至らぬ我が子を、だからこそ愛おしく思う母の顔だった。
「なんだか、意外です」
「でしょう?今じゃ考えられないわね。子供が大きくなるのは早いわ」
側妃の嬉しそうな切なそうな顔を見て、ヤマトは自分の母を思い出した。ヤマトは今世の母の顔を知らないので前世の母のことだ。側妃のその表情は、ヤマトが碌に相談もせずに就職先を決めて報告した時の母によく似ていた。
そこからも、側妃はヤマトに聞いたり話したりするのはずっとカイユーのことだった。
「ヤマトさんはいつあの子と知り合ったの?」
「あの子があんなに楽しそうにしているのを久しぶりに見ました」
「急に話がとんでも悪気はないのよ。あの子は考えすぎるから」
「子供の頃ね。あそこの庭で」
ヤマトは自分の両親に大人になってからも碌に感謝も伝えたことがなかった。もしかしたら結婚式とかのタイミングで言うのかな、なんて考えていたら両親は事故で死んでしまったのだ。
……カイユーの鬱屈をヤマトの細く長い反抗期と同じにしてしまうのは良くない。けれども、何か誤解があるのなら解いてあげたいとヤマトは強く思った。
「最近は碌にあの子の顔も見れていなかったから話が聞けて良かったわ。あなたみたいな人とお付き合いしていて嬉しいわ」
言葉の通り側妃は嬉しそうに見える。ヤマトにはとても演技に思えなかった。
浮気についての真偽は分からない。だが、ヤマトには側妃が、カイユーを自身の権力欲のために利用している人間には見えない。
(やっぱり側妃様は、殿下のことを本当に愛している……)
「その……側妃様のこと、私は誤解していたようです」
側妃とこの誤解について話せたら、カイユーとの関係を改善できる。そうすれば、カイユーの心に出来ている闇は掻き消えるだろう。
ヤマトは希望を持って口を開いたが、そんなヤマトの言葉は本人によってすぐさま否定された。
「それは誤解ではないと思いますよ」
「え?」
側妃は、楚々とした雰囲気のまま妙にはっきりと声を出した。
「あの子が陛下の血を引いておらず、けれど私があの子を王にしようとしているというのでしょう?どちらも事実です」
側妃はあまりにもまっすぐにヤマトを見る。
ヤマトは手のひらにかいた汗をそっとズボンで拭う。カイユーの言うように、ヤマトは弱々しげな側妃の外面に騙されていたのだろうか。
「失望しました?」
側妃はカイユーによく似た顔を悲しげに歪めた。見る人がついつい慰めてあげたくなるような心細げな表情だ。これもまた演技なのだろうとヤマトは側妃を警戒しながら見つめる。
そんなヤマトから視線を逸さぬまま、側妃は口を開く。
「そうでなければ、あの子は死んでしまうの」
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