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もうわかっていた筈なのに馬鹿みたいにビクッと体が揺れた。
前よりもずっとずっと重いキスだった。
こんな時は、嫌だとはっきり言えればいいのだが、断る術すら知らないのだから固まるしか出来ない。息も瞬きもできない、腕を動かす事さえ出来なかった。

「………ん?…っ!…」

歯を割ってヌルリと入って来たのは?
クリスの舌だ。
酷く生々しくて、酷く肉感的な感触にゾゾッと鳥肌が立つ。

「ん……うぅ……」

逃げたくて体を捩ったが肩に乗ってた腕が解けたと思ったらズシンと乗り掛かられてますます動けない。
口の中では激しい追いかけっこが展開されているが逃げるだけで精一杯だ。
上顎に触れられる感触がくすぐったくて必死で胸を押し返しているのにクリスは重かった。
長くて、長くて、いつ終わるのかと焦っていると………

クリスが何をしているかがわかってしまった。

ザアーッと血の気が引いていく音が聞こえる。
胸の中でベースドラムをドシドシと打ち据えているようだった。

上擦った荒い呼吸。
悩ましげに戯れる瞳。

クリスの片手は自らの下半身に添えられて、自分の「もの」を扱いていた。

見てはいけない。
気付いた事を悟られてもいけない。
吹き出す汗を拭うどころか指一本動かせない。
もう口の中のクリスは動いてなかった。

息遣いや微かな体の揺れが少しずつ追い詰められていく様をまざまざと伝え、恐ろしくてどうする事も出来ない。

匂いがした。
愛液がもたらす生臭い匂いだ。
臭いのに何度も嗅いでしまう据えた体臭とよく似ている。

ペタンとクリスの唇が首の付け根に触れた。
うなじに当たる息が異様に熱かった。
唇の隙間から這いまわっている濡れた舌はまるで喰う前の味見をしているように感じた。
恐らく、肉食の野生動物に捕食され、動けなくなったシマウマはこんな気持ちなのだと思う。
怖い、逃げたい、でも、何をしているかを気付いたと悟られたくない。
だから諦めて全てが終わるのを待つしか無いのだ。
微かに揺れる体の重みに体温を吸い取られていくような気がした。

「………っ…」

声にならないうめき声と共にクリスの体がブルッと震えた。これは「全て」が終わった合図なのだろう。クリスの体が重くなった。
そのまま暫くの間、クリスは動かなかったけど、やがてムクリと体を起こしてトイレの中に入っていった。

「嘘……だろ…これ」

ずっと詰めていた息をフゥと吐き出すと体の力まで抜けていった。
クリスの姿が見えなくなってから固まった体を起こしてみると、知らない間にTシャツが首の下まで捲り上がり乳首まで丸見えになっている。

一体どうすれば良かったのか。
Tシャツを引き下ろそうとすると手が震えていた。
冷たくなった額に手を当てると雫を掬える程汗をかいている。
ますます汗臭くなった体を洗いたいがお風呂に入る気にはなれない。
ベッドに上がって夏毛布を被って丸まると、トイレを流す音が聞こえる。
そのまま帰ってくれる事を願ったが、足音はリビングに入って来た。

ここは頑張りどころなのだと思う。
もう今度こそ、今度こそはキッパリと絶縁を言い渡さなければならない。
異様に重く感じる体を持ち上げると、土下座の面持ちでガバッと床に伏せたクリスが小さな声で「ゴメンナサイ」と囁いた。

「………もういいから…出て行っ……」
「ごめん!ごめん!汚い俺でごめん!」
「え……と…」

最初のテンションが低かったから強く言えそうだったのに勢いを付けられると押されてしまう。おまけに何と言おうか迷った顔が付け入る隙を与えてしまったらしい。
膝立ちでノシノシと這って来たクリスに両手を取られて握り込まれてしまった。
そこでハッと顔を上げたクリスは今度こそは本当に泣きそうな顔になっている。

「…………手が…蓮の手が震えてる……ごめん、ごめんね、蓮を大切にしたいのに…怖い思いをさせてごめん、体だけが欲しいわけじゃ無い筈なのに、もうどうしようも無くて……ごめん…」

体……
欲しい……

サラッと出て来たワードには聞き捨てならないものが混じっている。「どうしようも無かった」とはどういう意味で捉えれば良いのだ。
握られて、頬にスリスリされている手をちぎり取るように取り返した。

怖いのだ。
クリスの中で蠢く気持ちが怖い。
そして自らの腹で渦巻いているドス黒い感情が怖い。

「……触らない…で…」
「怒ってる……よね?我ながら気持ち悪いと思う」

シュンと項垂れたクリスは、反省を込めてもう帰ってくれると思っていた。
しかし彼は普通の人とは違うのだ。
綺麗な人は生まれた時から綺麗なものだ。
顔だけで何もかもを優遇されるような人生を送って来たのだろう。
ノシッとベッドに上がって来て、ごめんと手を広げる。だからそれが怖いと言っているのにどうしても伝わらない。

「クリスは……」

何か知っているのかと聞きたかった。
しかし其れを言ってはその先の会話に困ってしまう。

「僕が?……何?」
「……一体何がしたいんですか」
「何回も言ってるだろう、俺は蓮の全てが欲しい、それだけだ」
「じゃあせめて言い訳ぐらいはしたらどうなんです」
「言い訳?言い訳なんか無いけど、説明はしただろう、蓮が欲しくて、欲しくて、拷問のような匂い責めを耐えたのに、崩壊したから自己処理で……」
「そっちじゃ無くて!!……」

「何の事?」と言いたげに傾を傾けた顔は何度も見せた胡散臭い無垢な笑顔では無かった。

「学祭の事です。見てたんならわかるでしょう「REN」のライブなんて出来ないとわかっているくせに好きとか言って騙した」 
「騙してない、実は僕も迷ってるし困っているんだ、僕は蓮のライブが見たい、本当の事を言うと他の誰にも見せたく無いけどライブは観客込みだからそこは我慢する、黒江と一緒なのも嫌だ、でも蓮のライブが見たいならあいつが必要だっていうのはわかる、この際だから何か楽器が出来たら本当に蓮を独占出来るかもってベースとギターを習ってみたけど指の皮が剥けて痛いし、どんなに頑張っても黒江には追い付けないと今日間近で見て悟ったんだ。大っ嫌いだけど黒江も日暮もレベルが高い、でも蓮は黒江が嫌いだろ?」

「え……と…」

長い、速い。
音になった言い訳の中で捉える事が出来たのは最後だけだ。

黒江が嫌いか、好きか。
多少強引で、思い込みが強いところがあると思った事はあるが好き嫌いを意識した事は無かった。
どっちだろうと考えた一瞬の間にクリスは「嫌いだよな」と決めつけた。

「嫌いでは無い…と思う」
「嫌いだろ?嫌いだけど仕方が無いもんな、そこは理解しているから怒ってないよ」
「はあ……」

何故だろう、とても賢い筈なのにクリスとは時々会話が成立しない。
このままでは埒があかないし、真偽の疑わしい熱い語りを聞いてても胸がモヤモヤするばかりだ。
本当に、切実に、もう帰って欲しかった。
 
「クリス……悪いけど…」
「残りのスポーツドリンクを飲んでしまおうか、その後でお風呂に入りなさい」
「そうするけどもう…」

帰れと言いかけたらクリスの指がプチュッと唇を押さえた。

「色々と話はあるけど、後にしよう、蓮は歌うと消耗しちゃうでしょう、目に力が無いよ」

そんなもん元々無いけど、お風呂には入りたかった。たっぷりと汗をかいたし、何よりも首や体に残るクリスの感触を洗い流したかった。

………タオルと着替えを取ってくれるのはいいけど……毎回毎回疑問だけど、どうしてそこにあると知っているのだ。

言われる通り、残ったスポーツドリンクを飲んで押し出されるままお風呂に入ったけど、クリスって優しげな割に強引な人なのだとつくづく思った。
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