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黒江の憂鬱

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フウっと細く吐き出した紫煙がエアコンの風に攫われて散っていく。
もうすぐ(多分)蓮が来る(筈)だから煙草は消して消臭剤を撒いておかなければならない。

今生の仇を捻り潰すように煙草を押し付けると、待っていたようにアルミの灰皿が取り上げられた。

「チェーンスモークは黒江さんの悪い癖ですね」

「今時はもう無い」と笑ったのは、突然の禁煙宣言と共にそのままピッタリと煙草を止めた日暮《ひぐらし》だ。
普段はアーティストのレコーディングなどを手伝うスタジオミュージシャンなどをやっているが、以前、演奏をしない某アイドルのドームツアーで一緒になってから手を借りたり貸したりする仲になっている。
ドラマーの彼も音楽で食べていくことを諦めず、さりとて伸びきれず、音楽業界を彷徨く何でも屋になってしのぎを削っていた。

音楽を楽しむ大概の一般人はあまり意識していないだろう。

テレビで見るアーティストとラジオや動画、音楽フェスなどで活躍するアーティストは随分と顔ぶれが異なるという事を。

かの有名な「音楽《みゅーじっく》の駅《ステー◯ション》」というテレビ番組は出演する為にお金がいるのだ。(※事実です)
しかも、例えお金を払えたとしても出演枠の殆どは超大手の事務所に独占されて入り込む隙間などない。
若手の登竜門とされるアニメの主題歌を担い、カラオケで配信され、街中でも時々耳にする程度に有名なアーティストでも小さなライブハウスを埋めるのは至難の技になる。
700人収容のライブハウスから1000人を超えるホールへ脱却出来るアーティストなんてほんの一握りしかいないのである。

数多のグループやソロがひしめく中、定期的にヒットを飛ばし、ドームなどを難なく埋めるアーティストはバケモノなのだ。

その結果、磨き上げた技術だけを持て余し、特定のグループには属さず、ソロで活動するうちに培ったネットワークの中でふわふわと漂いながら食いぶちを繋ぐ諦めの悪い馬鹿者がこうして暇を持て余すという構図になる。

「でも……中にはいるんだよな~、足掻くより先にするすると登って行く才能のある奴らが」
「いますねぇ、公園で拾った金の卵ちゃんは今日は来るかな?」
「さあな」

「困ったね」と笑う日暮は、蓮が初めてやったかライブでドラムを担当して貰ったのだが、用意した譜面などは役に立たず、セットリストすら無視の暴走だった。何とかなったのは確かな技術と豊富な経験を積み重ねていたおかげだっただろう。
ギターを頼んだ若手は途中でギブアップ、蓮は蓮で朦朧としているし、最後は観客を置き去りにして逃げるようにステージを降りた。

「天は二物を与えずと言うけどさ、神様は蓮を作った時とんでも無いものを入れ忘れてるよな」
「やる気とか……ね……」
「興味とか?」
「あの頃ってさ、黒江さんは結構いい条件で上り調子の若手をプロデュースしてくれって打診されてたでしょう」
「そうだな」
「いいもん見つけたって断っちゃうんだもんな、まあ、気持ちはわかりますけど」
「だろ?」

日暮は「金の卵」と言ったが、お金が欲しいわけではなく誰かに便乗して売れたいと思っているのではない。ただ音楽に携わる者としては蓮を放っては置けなかった。

蓮と初めて会ったのは、今丁度日暮が言っていた若手のプロデュースを打診された帰りだった。
作詞作曲は全て自作で完成度が高かった。そして彼らの動画チャンネルの登録者数は既に万を越え、プロデュースと言っても何もやる事なんか無いのだ。
つまりは退屈な仕事だった。

彼らが欲しいのはツテやコネだけなのだ。
それなりの収入はあるが、当然余っている訳では無いので適当にこなしていれば幾ばくかのお金にはなるのだから、さっさと契約すればいいのに、乗り気になれない。

やろうか、やるまいか。

返事を保留したまま喧騒を避けて住宅街を彷徨いている時だった。
平日の真昼間なのに公園の方から歌声が聞こえた。
職業柄ちょっと印象的な声質が気になり、首を伸ばして公園を覗き込むと、ブカブカの制服を着た子供がいた。
どうやら学校をサボっているようだった。
声が印象的と言ってもいかにも声変わりしたての声音だ。その時は差したる感想を持たなかったのだが、「大人」にうんざりしていたせいもあった。小さなオブジェに座る細い背中に声を掛けた。

「誰の曲?」

そう聞いたら、ハッと振り返って「曲?」と繰り返した。
蓮を見た第一印象は綺麗な子だと思った。
折れてしまいそうな程首が細く、手足は小枝のようだ。制服を着ていた為に男だとわかるが性別すらあやふやだった。

何も写していないように見えた目にありありと浮かんだのは「ヤバい」という焦燥感だった。おどおどと目が踊り逃げ道を探している。
慌てなくてもいいと、俺にも覚えがあると、学校をサボっている事を咎める気は無い事を伝えて飲もうと思っていた缶コーヒーを渡そうとした。

まあ…当然と言えば当然なのだが、今時の子供は差し出したコーヒーに手を出したりしない。
懐柔は出来なかったけど息抜きに付き合って欲しくて返事のないまま、もう一度何の曲か聞いてみた。

しつこく食い下がったのは気を引こうとした訳では無く、話題を作りたい訳でも無い、新しい楽曲のリサーチは結構やっている方だと思うが子供が歌っていた曲はワンフーズも耳にした事が無かった。
何と言っても、今は大手の事務所からCDデビューなどしなくても携帯の無料アプリで作った曲が突如として頭角を表す事など稀では無い。
若い世代が風を作る時代なのだ。
暇さえあればYouTubeを漁っている子供のリサーチ力を侮ってはならないのである。

しかし、反応は「曲?」の繰り返しだ。
何の事を聞かれているのかわかってないような口振りだった。

「蓮はねぇ……体に蓄えたメロディを呼吸をするように吐き出してるだけなんだよな………何とか一枚だけでもアルバムに纏めたいんだけど何とも……」

ハハっと眉を下げて笑う日暮が、シャンッとシンバルを鳴らした。

「呼吸って所がね……、息を吐くのに意識なんかしないですよね」
「厄介だな」
「厄介だよ」

多くのアーティストはワンフレーズ、それこそ一音のいい所だけを寄せ集め、音を重ね、様々なエフェクトでデコレーションをして曲を仕上げる為、レコーディングした音源をライブでは再現出来ていない奴が殆どだ。
それは盛りに盛ったプリクラ写真と同じと言えた。
それはそれでいいのだが蓮はその真反対だった。

録音した「鼻歌」を譜面に起こして歌詞を付けてから歌わせれば、抑揚の無いカラオケになってしまう。
しかし、自由に歌わせれば商品とは言えず、2度と同じ曲を聴けなくなる。

「持ってるものを……引き出したいよな」
「先が見たいですよね」
「先が有ればいいけどな」
「どっちにしろ危ない賭ばっかりに挑んで来た人生でしょ、お互いにね」

危ない賭と日暮に言われて苦笑いが出た。
不自由なくDTMを進めるために揃えた高額なミュージックインターフェイスなど蓮には必要なかった。
だから……この日は用意した音源に合わせるのを嫌がる蓮の為に、この際だから演奏込みで1発録りを試みようと日暮を呼んだのだ。
パーカッションとベースだけにしたのは自由度を増すためだ。ギターやキーボードは後付けにするつもりだった。
土曜の12時と30回くらい連絡を入れたが……。

「来るかな?」
「来なかったら焼肉にでも行きましょう」
「そうだな、その前にちょっといい感じの曲が出来たから詰めるのを手伝ってくれよ」
「いいですね、黒江さんのオリジナルですか?」
「ああ、音源作っておいて蓮に歌って貰えたらいいんだけどな」
「人の曲を蓮に?……それ超苦手っぽい」
「まあな」

そんな日が来る事を願おうと笑いがら、取り敢えずは来るかもしれない蓮の為に念入りに消臭剤を撒いて準備だけは整えておくことにした。
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