ストーキング ティップ

ろくろくろく

文字の大きさ
上 下
19 / 68

黒江の憂鬱

しおりを挟む
フウっと細く吐き出した紫煙がエアコンの風に攫われて散っていく。
もうすぐ(多分)蓮が来る(筈)だから煙草は消して消臭剤を撒いておかなければならない。

今生の仇を捻り潰すように煙草を押し付けると、待っていたようにアルミの灰皿が取り上げられた。

「チェーンスモークは黒江さんの悪い癖ですね」

「今時はもう無い」と笑ったのは、突然の禁煙宣言と共にそのままピッタリと煙草を止めた日暮《ひぐらし》だ。
普段はアーティストのレコーディングなどを手伝うスタジオミュージシャンなどをやっているが、以前、演奏をしない某アイドルのドームツアーで一緒になってから手を借りたり貸したりする仲になっている。
ドラマーの彼も音楽で食べていくことを諦めず、さりとて伸びきれず、音楽業界を彷徨く何でも屋になってしのぎを削っていた。

音楽を楽しむ大概の一般人はあまり意識していないだろう。

テレビで見るアーティストとラジオや動画、音楽フェスなどで活躍するアーティストは随分と顔ぶれが異なるという事を。

かの有名な「音楽《みゅーじっく》の駅《ステー◯ション》」というテレビ番組は出演する為にお金がいるのだ。(※事実です)
しかも、例えお金を払えたとしても出演枠の殆どは超大手の事務所に独占されて入り込む隙間などない。
若手の登竜門とされるアニメの主題歌を担い、カラオケで配信され、街中でも時々耳にする程度に有名なアーティストでも小さなライブハウスを埋めるのは至難の技になる。
700人収容のライブハウスから1000人を超えるホールへ脱却出来るアーティストなんてほんの一握りしかいないのである。

数多のグループやソロがひしめく中、定期的にヒットを飛ばし、ドームなどを難なく埋めるアーティストはバケモノなのだ。

その結果、磨き上げた技術だけを持て余し、特定のグループには属さず、ソロで活動するうちに培ったネットワークの中でふわふわと漂いながら食いぶちを繋ぐ諦めの悪い馬鹿者がこうして暇を持て余すという構図になる。

「でも……中にはいるんだよな~、足掻くより先にするすると登って行く才能のある奴らが」
「いますねぇ、公園で拾った金の卵ちゃんは今日は来るかな?」
「さあな」

「困ったね」と笑う日暮は、蓮が初めてやったかライブでドラムを担当して貰ったのだが、用意した譜面などは役に立たず、セットリストすら無視の暴走だった。何とかなったのは確かな技術と豊富な経験を積み重ねていたおかげだっただろう。
ギターを頼んだ若手は途中でギブアップ、蓮は蓮で朦朧としているし、最後は観客を置き去りにして逃げるようにステージを降りた。

「天は二物を与えずと言うけどさ、神様は蓮を作った時とんでも無いものを入れ忘れてるよな」
「やる気とか……ね……」
「興味とか?」
「あの頃ってさ、黒江さんは結構いい条件で上り調子の若手をプロデュースしてくれって打診されてたでしょう」
「そうだな」
「いいもん見つけたって断っちゃうんだもんな、まあ、気持ちはわかりますけど」
「だろ?」

日暮は「金の卵」と言ったが、お金が欲しいわけではなく誰かに便乗して売れたいと思っているのではない。ただ音楽に携わる者としては蓮を放っては置けなかった。

蓮と初めて会ったのは、今丁度日暮が言っていた若手のプロデュースを打診された帰りだった。
作詞作曲は全て自作で完成度が高かった。そして彼らの動画チャンネルの登録者数は既に万を越え、プロデュースと言っても何もやる事なんか無いのだ。
つまりは退屈な仕事だった。

彼らが欲しいのはツテやコネだけなのだ。
それなりの収入はあるが、当然余っている訳では無いので適当にこなしていれば幾ばくかのお金にはなるのだから、さっさと契約すればいいのに、乗り気になれない。

やろうか、やるまいか。

返事を保留したまま喧騒を避けて住宅街を彷徨いている時だった。
平日の真昼間なのに公園の方から歌声が聞こえた。
職業柄ちょっと印象的な声質が気になり、首を伸ばして公園を覗き込むと、ブカブカの制服を着た子供がいた。
どうやら学校をサボっているようだった。
声が印象的と言ってもいかにも声変わりしたての声音だ。その時は差したる感想を持たなかったのだが、「大人」にうんざりしていたせいもあった。小さなオブジェに座る細い背中に声を掛けた。

「誰の曲?」

そう聞いたら、ハッと振り返って「曲?」と繰り返した。
蓮を見た第一印象は綺麗な子だと思った。
折れてしまいそうな程首が細く、手足は小枝のようだ。制服を着ていた為に男だとわかるが性別すらあやふやだった。

何も写していないように見えた目にありありと浮かんだのは「ヤバい」という焦燥感だった。おどおどと目が踊り逃げ道を探している。
慌てなくてもいいと、俺にも覚えがあると、学校をサボっている事を咎める気は無い事を伝えて飲もうと思っていた缶コーヒーを渡そうとした。

まあ…当然と言えば当然なのだが、今時の子供は差し出したコーヒーに手を出したりしない。
懐柔は出来なかったけど息抜きに付き合って欲しくて返事のないまま、もう一度何の曲か聞いてみた。

しつこく食い下がったのは気を引こうとした訳では無く、話題を作りたい訳でも無い、新しい楽曲のリサーチは結構やっている方だと思うが子供が歌っていた曲はワンフーズも耳にした事が無かった。
何と言っても、今は大手の事務所からCDデビューなどしなくても携帯の無料アプリで作った曲が突如として頭角を表す事など稀では無い。
若い世代が風を作る時代なのだ。
暇さえあればYouTubeを漁っている子供のリサーチ力を侮ってはならないのである。

しかし、反応は「曲?」の繰り返しだ。
何の事を聞かれているのかわかってないような口振りだった。

「蓮はねぇ……体に蓄えたメロディを呼吸をするように吐き出してるだけなんだよな………何とか一枚だけでもアルバムに纏めたいんだけど何とも……」

ハハっと眉を下げて笑う日暮が、シャンッとシンバルを鳴らした。

「呼吸って所がね……、息を吐くのに意識なんかしないですよね」
「厄介だな」
「厄介だよ」

多くのアーティストはワンフレーズ、それこそ一音のいい所だけを寄せ集め、音を重ね、様々なエフェクトでデコレーションをして曲を仕上げる為、レコーディングした音源をライブでは再現出来ていない奴が殆どだ。
それは盛りに盛ったプリクラ写真と同じと言えた。
それはそれでいいのだが蓮はその真反対だった。

録音した「鼻歌」を譜面に起こして歌詞を付けてから歌わせれば、抑揚の無いカラオケになってしまう。
しかし、自由に歌わせれば商品とは言えず、2度と同じ曲を聴けなくなる。

「持ってるものを……引き出したいよな」
「先が見たいですよね」
「先が有ればいいけどな」
「どっちにしろ危ない賭ばっかりに挑んで来た人生でしょ、お互いにね」

危ない賭と日暮に言われて苦笑いが出た。
不自由なくDTMを進めるために揃えた高額なミュージックインターフェイスなど蓮には必要なかった。
だから……この日は用意した音源に合わせるのを嫌がる蓮の為に、この際だから演奏込みで1発録りを試みようと日暮を呼んだのだ。
パーカッションとベースだけにしたのは自由度を増すためだ。ギターやキーボードは後付けにするつもりだった。
土曜の12時と30回くらい連絡を入れたが……。

「来るかな?」
「来なかったら焼肉にでも行きましょう」
「そうだな、その前にちょっといい感じの曲が出来たから詰めるのを手伝ってくれよ」
「いいですね、黒江さんのオリジナルですか?」
「ああ、音源作っておいて蓮に歌って貰えたらいいんだけどな」
「人の曲を蓮に?……それ超苦手っぽい」
「まあな」

そんな日が来る事を願おうと笑いがら、取り敢えずは来るかもしれない蓮の為に念入りに消臭剤を撒いて準備だけは整えておくことにした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

【完結】きみの騎士

  *  
恋愛
村で出逢った貴族の男の子ルフィスを守るために男装して騎士になった平民の女の子が、おひめさまにきゃあきゃあ言われたり、男装がばれて王太子に抱きしめられたり、当て馬で舞踏会に出たりしながら、ずっとすきだったルフィスとしあわせになるお話です。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...