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不審者かアイドルか

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夜中に切れるよう設定してるエアコンのせいで、いつもなら汗だくになって目が覚めるのに何だか気持ちよかった。

顔を埋めていた枕を抱き締めて、二度寝を試みようとするといい匂いがする。

またきっと窓を閉め忘れたまま寝たのだと思う。
どこからか風に乗って入って来たらしく、部屋の中が香ばしい珈琲の香りに包まれていた。

携帯のアラームより先に目を覚ますなんて滅多に無い。しかし、時間が来るまで起きる気は無く、綿の夏毛布を手繰り寄せようとして……何かに引っ掛かっている事に気が付いた。

それでも絶対に目は開けない。
目を開けたらハッキリと目が覚めてしまいこの上無く幸せな朝のまどろみタイムが終わってしまう、グイグイと毛布を引っ張って何とか粘ろうした

何かがコツンと額を突くまでは。

「………え?」

目を開けて視界に飛び込んできたものが信じられない。何やらキラキラ光る物体が「お寝坊さん」とか言ってベッドの端に座り、にこにこと微笑んでいた。

「は?…え?…何?…」

思わず部屋を見回した。
昨夜はほんのちょっとだけ酔ってたから何かを間違え、何かをやらかし、何かを……つまり、間違って隣の部屋に入り込んだとか、違うアパートに入り込んだとか、実は帰った事自体が夢でどっかで酔い潰れたのかもしれないと焦った。
しかし、ベッドも本を詰めたラックも壁に貼った1月のままのカレンダーも………脱ぎ捨てた服も自分の物だ。
畳んだ覚えは無いのに畳まれているけど……

そしてキラキラ光る物体には見覚えがあった。

「は?!え?え?クリス……さん?」
「クリスでいいよ」
「何をしてるんですか?!!」
「寝顔を見てただけだけど?」
「寝顔?!寝顔?!いや、そうじゃ無くて何で俺の部屋にいるんですか?!」
「何でって……」

「やだなぁ」と言ってモジモジされても似合わないし、最早怖い。

「どうやって入ったんですか?」
「ん?」
「どうやって?!」

いつもなら曖昧かもしれないが昨夜は絶対に鍵を掛けた。逃げるように走り帰り、追手から逃れるように鍵を掛けたのだ。

「まさか…」

開いていたベランダの窓からと言い掛けたけど、この部屋は細長い集合住宅の4階なのだ。
何もよりも立っているだけで目立つクリスが壁を登っていたら瞬時に見つかるだろう。

「鍵は掛かってましたよね?」
「え?」

決して難しい質問じゃ無いのに何もわからない子供のように無垢な顔をされても困る。にこにこキラキラしてたら誰でも騙せると思わないでほしい。

「一体どうやって…いや、その前に何で俺の部屋を知ってるんですか」

昨日の夜は後を付けるなんて行為が出来るほど普通には帰ってない。
店を出てから駅まで走ったし、電車を降りてからも走った。
学校の誰にも住んでる場所を教えた覚えは無い。母以外の誰かが部屋に来た事もないのだ。
当然の疑問なのに返事はまた悠然とした無垢な微笑みだ。

しかし、見えてしまった。
「ご飯が出来てるから顔を洗っておいで」と言って立ち上がったクリスが、エプロンのポケットからはみ出ていた何かをサッと隠した所を。

「それは何ですか?」
「何って?」
「ってか!!何でエプロンなんかしてるんです、そこのポケットです、何か隠したでしょう」

「見せろ」と言って飛び付いた。
恐らく正解だったのだろうけど、キャッキャと笑いながら逃げる様子は寧ろ嬉しそうなのだ。さしたる抵抗も無しにポケットの中に手を入れたら、出て来たのはグッチのストラップが付いたシンプルな鍵だった。

「これは……」

普通と言えば普通の鍵なんだけど、妙な慨視感がある。何でか背中から抱きつかれてるけど、振り払ってラックの上に置いたこの部屋の鍵を取りに走った。(2歩だけど走ったんだ。)見比べたらカギカギの形が全く同じだった。

「どこからこれを…どうやって…」

合鍵は実家にある筈だ。
もしも、このイケメンなクリスが現れて「鍵を貸してください」と言えば母の事だから何も聞かずにホイホイ渡してしまいそうだが……多分それは無い。では残る可能性は大家さんぐらいだった。

本当に何のつもりか知らないが、揶揄う為だけならこれはやり過ぎだ。渾身の力を込めてジロリと睨んでみた。

「どういう…つもりですか」
「そりゃあ付き合ってるんだから合鍵くらい欲しいでしょ」
「まだ昨日の遊びが続いてるんですか?ここでは誰も見てないから面白くありませんよ」
「好きなんだ」
「綺麗な顔をして真面目に言わないでください」
「その気になっちゃう?」

してやったりと言わんばかりにニヤリと笑うクリスは「らしく無く」モジモジしているよりは余程似合ってる。

「なりません、例えあなたが本当に真面目だとしても俺は付き合うなんて言ってないし、付き合ってても勝手に合鍵持ってるなんて駄目でしょう」

もしかしたら差別になるかもしれないから敢えて言わなかったけど、せめて女の子を選んで遊んで欲しい。女の子相手ならタチの悪い寸劇だと分かっていてもクリスに好きだと言われたら嬉しいだろう。

我ながら筋の通った正論が言えたんだと思う。
なのに、しょんぼりと肩を落として……「だって蓮が好きなんだもん」と呟いた。
この後に及んでまだ言うか。

「好きだとか嫌いだとかが判別出来ないくらいお互いの事知りませんよね」
「知ってるよ、知ってるじゃん」
「夏の初めに挨拶するようになって……今はまだ夏です」

しかも「蓮」と連呼し始めたのは昨日だ。

「いつ、どこで、どんな理由が有って俺を好きだと思える時間があったんですか」
「そりゃ…多少……蓮から見れば急で唐突だったかもしれないけど、昨日は初めてのデートだったから告白するって決めちゃったんだ」

……デートでは無い。

脱力してベッドに座り込んだ。
はぁ~と長い溜息が出る。
プラカードを持った人がなだれ込んで「ドッキリでした」などと区切りを作ってくれる希望は無いから埒があかない。

「すいません、この話はまた今度にしてそろそろ帰ってくれませんか?今日も講義があるんです」
「うん……ごめん、そうする」

……「朝ごはんを一緒に食べたら」って座るな。

「一体何がしたいんですか」
「ごめん、今から全部やり直す」
「は?」

何をするんだと思ったら、ピタピタと頬を叩いてから座り直して正座した。
狭くて、地味で、質素な部屋にクリスがいるだけでも違和感なのに正座なんてあまりにもキャラ違いだ。
スゥーっと息を吸い、グッと力が入った目で見つめられると、何かヤバいものを吸い込みそうで思わず息を止めた。


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