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しおりを挟む朝起きると隣側がペッタリと凹んでいることに気が付いた。平べったくなっているだけかなって、踵を落としてみたがやっぱりいない。
そこで眠っているのかもしれないのに踵を落とすなんて酷い事をすると思うだろうが、何と無く……何故そう思うのか知らないが健二には何をしてもいいと思ってる。
何をしても怒らないし、実は不死身なのでは無いかと怪しんでもいる。
車にも勝ったし、ゴリラにも勝ったし、何よりあの重量のある鉄の棒を頭に食らっても数十分で復活して大量の血にもピンピンしていたのだ。
腹に踵落としをお見舞いしても「呼んだ?」って普通に返事する。
絶対。
それにしても健二の方が先に起きるって珍しい。
事務所にある奥の部屋は窓が小さいから光の色で時間を感じるって出来ないのだ。寝すぎたのかと急いで時計を見るとまだ六時過ぎだ。
まあ、何か予定がある訳じゃないから寝坊なんて種類の失敗はないんだけね。
「寒……」
健二が眠る時に暖房をつけるは嫌だと言うからエアコンはついていない。
さっさと着替えて事務所の方に出ていこうと着ていたTシャツの上にパーカーを被った。
足が冷たいから靴下を2枚履いて事務所へのドアを開けるとそこに健二がいた。
「おはよう葵」
「?」
おはようはいいけど………
何をしているのだろう。
もう寒いのに薄い白シャツはみぞおちが見えるくらいまでボタンが外れている、しかもなんだか髪や顔が濡れているのだ。
まだ行き渡らない暖房に部屋の中は寒い、それなのにまだ暗い窓の外を見てニコニコと笑っている。
健二が変。
実はこの所、度々…頻度多めで健二が変だった。
変な健二には随分慣れたと思うけど、理由がわからない、健二の変には何か必ず理由がある筈なのだ。
その理由は強いて言えば若いお姉さんとか、もう一回言うけど若いお姉さんとかその中でも綺麗なお姉さんとか美しいお姉さんとか……まあとにかくお姉さん、それと腹の出た親父、それ以外は意外とマトモなのだ。
別に庇ってるんじゃないよ?
変ってそれだけじゃないけど特別変だからそう言ってる。
しかし今は早朝で二人っきりな上に来客の予定もない、思い当たる事は何もない。
服のチョイスも変だけど濡れてるのにニッコリ笑ってるなんて変だろう?
どうやったらそうなるのか知らないけど、間違えて服の上からシャワーを被ったとか何かあったのか……。
まあどうでもいいから朝ごはんを買いに出る。
一応タオルは渡しといたけどね。
朝ごはんを買いにいくのはもう仕事だと思っている。仕事がないから何か仕事って名目がないと落ち着かないのだ。
ヤクザに脅されてるもんね。
「法律で裁けない問題を解決します」の事務所に来た当初よりはっきりと脅されてる。
逃げる算段なんて出来ないくらいガッチリと身辺を固められている。
そう思い知らされた。
だから仕事をするのだ。何でもいいからするのだ。
したいのだ。
今の所自炊は出来てないけど今度道具を揃えて(せめて包丁)カレーくらいなら作ってみようとも思っている。
事務所の階段を降りるとピュッと鼻先を通り過ぎた北風に身を縮めた。
近くのコンビニまで走っていくと湯気を上げる大きな容器に目が止まり、朝食はおでんに決めた。
お出汁に浸して食べればいいから食パンも買っておく。健二は口に入れば何でもいいらしい。
絶対に文句を言わないのは楽だけど、量が少ないと空だってわかっている冷蔵庫を何回も開けるからウザいのだ。
予備にカップ麺も買い揃えて事務所に帰ってくると……。
何故だろう…さらに濡れた健二がテーブルに片足をあげて変なポーズを取っていた。
「おかえり」と微笑まれて後ずさりをした。
何をしているのかわからないけど嫌がらせには違いない、何よりも濡れた白シャツから透けて見える生生しい乳首に殺意を覚えた。
健二は不死身だからね。
丁度いい所にゴミ袋があったから被せて下をぎゅっと縛った。
何故怒らないのか不思議だけど健二は何もなかったようにモサモサとビニール袋を破いて不思議そうな顔をした。
「葵……」
「何ですか?」
「何か言うことはないのか?」
言う事……
そっちこそあるだろうと思うけど、何か言って欲しいなら何かあるのだろうと考えた。
タオルを渡した筈なのになぜまだ濡れているのかを聞いて欲しいのだろうか。それともこれ見よがしに足を上げてたって事はブーツ?
まだ窓の外は薄暗いくらいの早朝なのに、随分と早起きをしたのか、黒いスキニーパンツを丁寧にインしている。
普段はダラダラしてる朝とか、マッタリしている昼間とか、夜とか……つまり外出しない時は靴なしで事務所をウロウロしている。
それはやめろと椎名に怒られてルームシューズみたいな物を買ってきたけど結局何も履かないのだ。
健二が履かないからつられてこっちも履かない。
今も階段を上がって事務所に入った所で靴を脱いだ。褒めて欲しいなら一応褒めてみる。
「新しいブーツ……を買ったんですか?」
ムッと眉を寄せた健二は「違うよ」と口を尖らせた。
「じゃあ髪を切ったとか染めたとか?」
「切ってないし染めてない、お前毎日見ててわかんねえなのかよ」
「じゃあ何なんですか」
謎々は嫌いなのだ。
面倒臭いのだ。
付き合ってられないのだ。
熱々を持ち帰った筈なのに変な問答でおでんが冷えてしまう。どうせなら熱々が食べたいから電子レンジに放り込んだ。
そして、その次の日だ。
朝起きたらまた健二がいない。
嫌な予感を胸に抱えて事務所へ行くと……。
今度は上半身裸でソファに寝転んでいる。
そして半目でこっちを見てる。
動いたら追ってくる。
気持ち悪いから新聞紙をそっと掛けるとパンっと弾いてふう~っと溜息をついた。
いや、それはこっちだろ。
もう何だか怖いから朝ご飯を買いに遠くの……出来るだけ遠くの店まで旅に出ようとすると、朝飯はあると止められて「好きだろ?」と言って生ハムが出てきた。
生ハムって美味しい。
生ハムは好きだ。
椎名に連れて行ってもらったイタリアンレストランで食べたら塩気が絶妙で凄く美味しかった。
しかし知っている生ハムとは形状が違った。
本来はそういう物なのかもしれないけど……どうなのだろう、その生ハムは動物の足そのものだった。
こう……狩猟民族が噛り付いていそうな骨つきの「肉」なのだ。
「これは?……あの……切るんですよね?」
でも包丁なんか無いのだ。
嬉しいだろ?って……嬉しいけど、お腹いっぱい食べれそうだけど触ってみると硬い。
どうしたかって?
瞬間接着剤が固まってガタガタと起伏が付いたカッターナイフで削ぎ落として食べたよ。
最初は白身ばっかりで記憶にある色味の「生ハム」まで到達するには時間が掛かったけど食べたよ。
生ハムだけじゃ塩辛いから食パンに挟んで食べたよ。骨を持って噛り付いている写真も撮ったよ。
勿論美味しかったよ。
次の日も健二の変は続いた。
濡れてたり裸だったりの次はダメージの入ったジーンズ、ゴツいブーツ白いVネックのTシャツに革ジャン。そして何故か室内でヘルメットを被っている。
また何処かからバイクでも借りてきたのかと思って「行ってらっしゃい」と言うと何故か怒ってヘルメットを脱いでしまった。
その後は掃除する目の前をウロウロされて、やはりこれには何かあると確信した。
「うん……葵くんの言いたい事もわかるけど……確かに話を聞けば健二は変だけど……それは極端じゃ無いか?」
「そんな事無いです、椎名さんも知ってるんでしよう?俺はつぶさに見てたんです、もう間違いないと思います」
健二という人は頭は悪く無いと思うけど馬鹿だと思う。そこにいるだけで空気を明るくする馬鹿。
そしてちょっとだけ頼りになる人でもある。
普通にしていれば結構なフェミニストでもあるから、あくまで普通にしていればの話だけどモテると思う。
でもモテるとかモテない以前の話なのだ。
つまりここの所の「変」には理由があると思う。
ってかある。
「確信があります、そして困ってます」
「じゃあ健二に……直接聞いてもいい?健二が何を言っても受け入れる覚悟はある?」
「覚悟は……」
覚悟があるかどうか……何だか恥ずかしいし、もしかしたら椎名に頼るなんて間違っているかもしれない。でも直で聞くより心の準備はしやすいと思う。
「はい、受け止めるかどうかは……今決められないけど……考えてはみます」
「じゃあ俺が取り持ってあげるから葵くんはちょっとだけ黙っててね」
「はい」と答えたが、椎名がふて寝している健二を呼びに行くと、心の中にフワリと不安が降りてきた。
健二の答えによっては……もしかしてもうこの事務所で一緒に暮らすのは無理になるかもしれないのだ。
数ヶ月過ごしてきたこの部屋は正に「事務所」で、ベッドなのに雑魚寝って感じで風呂から出て来たら見知らぬ客がいるかもしれないような住処だったが妙に居心地が良かったのである。
脅されても何でもこの事務所にいたい……なんて思ってる。
気のせいであってくれと願いつつ、胸の中ではもう間違いないと結論が出ていた。
寝ている所を起こされた健二は「何だよ」と眩しそうに目を細めて珍しく不機嫌だ。
「健二、聞きたい事がある」と、前置きもなく椎名が話始めると、何だか覚悟が揺らいで背の高い背中に張り付いた。
「健二……お前さ」
「うん」
「小さいおじさんか小さい女の人を事務所に隠して無いか?」
「…………」
「小さい……って?どんなサイズ?」
「それは……よくわからないけど葵くんがそう主張している」
「な?」と振り返った椎名に深く頷いた。
だっておかしいのだ。
普通のサイズ……つまり大人一人分のオヤジとか女の人を隠すスペースはどこにも無い。
しかし健二の怪しげな奇行は目に見える範囲に苦手《大好き》なオヤジとか女子がいるとしか考えられない。でも普通サイズではどう考えても無理なのだ。
「何言ってんの?」と健二は惚けている。
「惚けてないで白状してください、いるんでしょ?隠してるんでしょ?俺が邪魔ならハッキリそう言えばいい!」
「ちょっと待てよ……それよりも葵さ、そんな所で椎名さんに抱きついてないでこっちに来いよ」
「嫌です、健二さんの馬鹿、誤魔化してるんでしょう、健二さん誤魔化してる」
「誤魔化すって何を誤魔化すんだよ」
「否定しないもん、ねえ?椎名さん!おかしいでしょ?健二さん変でしょ?」
「変だけど……」
「小さいおじさんと言われてもな」と、椎名は困っているように装ってるが口元が笑ってる。
つまり信じてないのだ。そりゃ変な事を言ってるのはわかってるけど健二の奇行は「その類」意外では見た事ない。
「小さいおじさんじゃなければ……」
そうじゃなければ「アレ」しか無いけど、今はこの事務所に住んでいるのだ。家っぽい雰囲気は皆無でただでも冷たいくらいの無機質だし、窓にはカーテンも無いし、夜になると広い窓の外がちょっと怖いのだ。
それを言ってしまっては居心地が悪くなる。
でも小さいおじさんとか女の人でなければ……もしかしたら見える人と見えない人がいるあれが健二には見えてて……。
「ゆ……」
「幽霊?」と言った椎名がキャーッと悲鳴を上げた。つられてキャーッと喚いてしまう。
椎名と二人でキャーキャー喚きながら抱き合ってキャーキャー喚きながら走り回って……気が付いたら事務所の隅まで逃げていた。
当の健二は益々不機嫌になってムッとしている。
「おい、何だよ、二人して」
「健二さんは普通にしてた方がかっこいいから!変な事しなくてもカッコいいから!この事務所にいる時は駄目駄目で見せない方がいいから!追い出して!」
「……え?俺カッコいい?」
「カッコいいです!ねえ椎名さん!健二さんはカッコいいですよね?」
「ああ……もうこのままじゃ……俺は死ぬから……二人で好きに話し合って…くれ」
ゲラゲラと笑いだした椎名はフラフラとよろけて座り込んでしまった。
真剣なのに。
え?幽霊?
怖く無いよ。
怖く無いけど顔が見えない人と暮らすなんて誰でも嫌だと思う。怖く無いけど気持ち悪い。
「いるんでしょ?見えてるんでしょ?」
「俺…カッコいい?」
「カッコいいですよ、だから…」
「そうか……カッコいいか」
「………はい」
何なのだろう。
パッと破顔した健二は「生ハム食べるか?」と言ってガキガキになった生ハムの残りを冷蔵庫から出してきた。
「おっ」と感嘆の声を上げた椎名がワインでも飲もうと言いだして昼間っからの酒盛りになった。
ご機嫌に酔っ払った健二はその日から通常運転に戻ってくれた。
幽霊…か小さいおじさんは出て行ってくれたらしい。
それからもう一回言っておく。
幽霊が怖かったんじゃ無い。気持ち悪いだけだ。
これが、我が「法律では裁けない問題を解決します」略してH.M.Kの日常です。
終わり。
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ありがとうございます。表紙も描いてます。
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