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緊急事態

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ウーム……ウーム……と微かな音が聞こえた。

携帯が震えている。

二台の携帯番号を知っているのは健二と椎名と、あとは依頼者の二人だけ、それも仕事用の一台だけで個人用と言われて持っている携帯は健二と椎名だけなのだ。いつも一緒にいる健二に電話の必要はないし椎名には何も用がない。つまりは目覚ましの代わりにするくらいしか使い道がない。

切ろうと思って枕元を探ると……何だか部屋が暗かった。雨なのかなって目を擦って……「そう言えば」って朝じゃない事に気が付いた。

そうなのだ、椎名に言われてほぼニート的な悠々自適「ここは楽園か?」ってお昼寝をしていたのだと思い出した。
目覚ましなんかセットしてないってことは……やっぱり。
着信だ。

携帯ってまだまだ苦手。
誰からか確認する余裕もなく、慌ててボタンを押すと、「はい」に被せて酷く切迫した声が聞こえて来た。「助けて」って聞こえるような気がする。

「もしもし?」

誰ですか?って聞いてみたけど電話の向こうがザワザワと煩くてよく聞こえない。
しかし甲高い声は女性の物でそれならば選択肢は一件しかない。

「赤城さん?……ですか?」
「あの男が!後を付いてくるんです!会社の前にいて!付けて来るんです!」
「落ち着いてください、今はどこに?アパートですか?あの男とは野田弁護士ですね?」
「そうです!それ以外ないでしょう!怖くて…目の前にあったお店に入って電話をしたんです」

時計を見ると午後7時を過ぎた所だった。
店ってことは仕事の帰りだろう。
つまり赤城さんは仕事を終えて帰宅しようとしたら野田弁護士が待ち構えていたって事だ。
背後が煩いのは他の客の話し声か音楽だと思う。

「その店には他にも人がいますね?」
「はい、います、沢山います。」
「ではそこを動かないでください、すぐ迎えに行きます」

ハッキリと後をつけられているならもう警察に言った方が早いのかもしれないが、取り敢えずは赤城さんの安心を勝ち取らなければならない。

長Tの上から革ジャンを着て寝室のドアを開けると、何か話し込んでいた椎名と健二が顔を上げた。
妙に揃った声で「おはよう」って笑いかけてくる。

「おはようじゃ無いです、健二さん!緊急事態です、すぐにバイクを出してください」

「うお、カッコいいな」と健二、「何何?」って楽しそうな椎名。二人共仕事に対する義務感が薄い。

わかってたけどヘボっぷりは中々のもんだ。

「呑気ですね、健二さん、携帯を見てください、俺よりまず健二さんに連絡してる筈です」

一応だけど……決めてないけど依頼の窓口は健二になっている筈なのだ。
ボディガードを請け負ったわけじゃ無いけど、助けを求めて電話を掛けてるのにコールしても出ないなんてヘボ調査より役目を果たしてないと思う。

尻のポケットから携帯を出して「ほんとだ」って……
「そんなだから大した期待はしてないって言われるんです、早く用意をしてください、赤城さんが困ってます、怖がってます、泣いてます!」

嘘だけど……半分は本当だ、フェミニスト健二を奮い起こすにはオーバーに言うくらいで丁度いい。

案の定、健二は飛び上がって革ジャンを取りに行った。

「説明は途中で聞くからまずは場所だ、どこに行けばいい?」
「俺の携帯に店の場所を送ってもらってます」
「よっしゃ行くぞ!赤城さん、待っててください!今俺が助けます!」

「今…あ……」

携帯を見せようとしたら健二は飛び出して行ってしまった。なるべく早く行きたいからいいけどね。
メールの転送は一番初めに覚えたテクニックだ。

店の場所を健二に送ってから、「いってらっしゃい」と手を振る椎名に事務所の施錠を頼んで階段を駆け下りた。健二はもうエンジンの掛かったバイクに跨り、今送ったばかりのメールを見ていた。

「健二さん!ふざけたカッコ付けは無しですよ!今日の仕事は赤城さんを無事に家まで送り届けて安心してもらう事が一番の使命です」
「わかってる、でもちょっと飛ばすから葵は肩じゃ無くて腹につかまれ」
「了解!」

H.M.Kを手伝うようになって数週間、今初めて「らしい」事をしているような気がする。健二が色んな意味で飛ばし過ぎないかは心配だが高揚しているのはこっちも同じだ。何だかワクワクしているのだ。

これってあれだと思う。
安全な建物の中で聞く雷と同じだ。怖いけど心のどこかでもっと派手になれって願うやつ。

人の不幸で高揚っておかしいけど、何か具体的に役に立っていると思えば嬉しいものだ。
今ならドリフトをかましてもいいよ、合わせてみせる。
「落ちるなよ」って落ちるなら健二も巻き添えだよ、「葵好きだぞ」って俺もこんな事は好きだよ健二さん。
急発進したバイクの前輪が浮いて、ひっとなったけど今回だけは許す。

振り落とされたりしないよう健二の背中にギュウッとしがみ付いて赤城さんの状況を説明した。
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