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健二が変
しおりを挟む次の日、朝起きたら健二が変だった。
いやにクソ真面目な顔をして、ボーっと考え込んでいるかと思えば時々宙を見つめてはフワフワと笑ったりしている。
はっきり言って不気味としか言いようが無いけど、何せ頭にお花が咲いている健二だからね、別に気にならない。
俺はと言えば、一応で仮だけど、この「法《H》で裁けない問題《M》を解決《K》します」の下働きなのだ、遊んでいては借金が増える。
そろそろある程度の説明が必要だろうと、赤城さんへの中間報告書を書いていた。
「野田弁護士があからさまに不審な行動を取った事は一回も無いですよね、赤城さんが通る道にあるコンビニでしつこく立ち読みするのは怪しいかもな、ねえ?健二さん」
「………怪しいかもな」
「でも、それも毎日じゃないし………赤城さんが通る前に帰ったりもしてるし、ねえ、健二さん」
「帰ってるな」
「報告書は「調査継続」でいいですか?健二さん」
「継続だな」
「……って…健二さん!、やる気あるんですか!この依頼を幾らで請け負ってるのか知らないですけどね、今の所5000円って言われても高いですよ!」
「うん……高いな」
「…………」
「………健二は馬鹿だ、ねえ、健二さん」
「うん、馬鹿だ」
駄目だこりゃ。
やる気ゼロ。
報告書の製作は中断だ。コーヒーを淹れて健二の前に置いてみた。たっぷりと塩を入れて……。
自分の膝に肘を置いてソファに座っている健二の姿はまんま「考える人」だ。
まさか突っ込んでくれる事を待っているのかと思った程そのまま動かない。
そして塩入りのコーヒーを飲んでる。
「健二さん?」
「うん」
「どうしたんですか?」
「どうしたって……お前」
「何ですか」
そんなに変な事を言ったのだろうか。
健二は不思議そうに顔を上げて目を見開いた。
「何を驚いているんですか、まさかふざけてるんですか?」
「ふざけてない」
「では病気が進行したとか」
「………俺は……どんな病気を患ってたっけ?」
「強いて言えば馬鹿って病気でしょうか」
「…………馬鹿……病気」
結構酷い事を直で言っているのに、健二は噛み砕くように復唱して、また「うーん」と考える人のポーズだ。
「ホントに病気なのかな」
熱でもあるのかと健二の額に手を置くと、またビックリしたような顔をする。
もし嫌なら俺の手を払いのけてくれればいいのに、そのまんまで見上げて来るから上を向いた「考える人」に手を当てて、ジッと見つめ合うって変な構図になってる。
「変ですね」
「うん、変だ、病気だな、うん、これは病気で俺は馬鹿なんだ」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」
健二は一人で納得して、「馬鹿なんだ」ともう一度言ってから晴れ晴れしく伸びをした。
わかって頂けたならそれでいいんだけどね。
そして、味がわかってないんだったらコーヒーは勿体無い、次からは醤油を薄めて出すと決めた。
「何でもいいんですけどそろそろ仕事の話に戻りませんか?赤城さんはお金を払っているんでしょう?このままじゃキャンセルされちゃいますよ、なけなしの依頼なんだから困るでしょう?」
「そうだな」
そうだな……じゃ無い。
そう、この事務所に連れてこられた当初、複数の依頼が重なって大変だと聞いたが実際は2件しか無かった。そりゃ一人ではできない事っていっぱいあったけど問題はそこじゃない。
この事務所で働き始めてほぼひと月経った今、新しい依頼が一切無いのだ。
相談どころか問い合せすらない。
社長1人、従業員2人を養える収入があるとはとても思え無い。
大体GPSを買った28900円ってどこから出た?
それだけじゃない、実は椎名から貰った「お小遣い」は相変わらず1円も減ってない。
食べに行けば椎名か健二が払うし、朝とか昼も勝手に用意してくれる。スーパー銭湯で遊んだ時も健二が払ったし、ジュースもお菓子も服もパンツも勝手に揃って一切お金を払ってない。
健二は二人分の生活費が入った共用財布を持っていると言うが、私用と共用をきっちり分けているようには見えないし、領収書だって溜めてない。
……ってかレシートを貰わない。
椎名と健二はそれでいいとしてもこっちは困るのだ。一応だが、この事務所で働いた賃金が借金の返済に当てられている筈。
何せ相手はやくざだ、このひと月に使った生活費として借金が倍増しているなんて冗談じゃない。
焼き肉……何回食べたっけ……
「まずい……うん。これは絶対にまずい」
「別に不味くないよ?」
「コーヒーの話はしてません」
「じゃあ何の話?」
「何でもないです」
健二に姑息な奸計があるとは思えないが、椎名の一味である事は間違いない。
この疑問を話してしまえば逃げ出すチャンスを失うかもしれないのだ。「何か困ってるなら言えよ」と心配そうな顔をされても油断は出来ない。
「葵?コーヒーが嫌ならバヤリースを買ってあるぞ」
「飲み物の話はもういいです、俺は子供じゃないです、それよりも俺が今書いた報告書に目を通してください、読めない漢字はちゃんと聞いてくださいね、読み飛ばしちゃ駄目ですよ」
「ああ悪いな、何て言うか葵……お前って結構賢いな」
普通です。
健二が極端なだけです。
初めて健二と会った日、こいつは馬鹿だと判断したがそうでも無かった。
ただ漢字には弱い。面白いくらい弱い。
そのせいで自然と書記とか記録は俺の仕事になったという訳だ。
でも、これは?これは?と連続して聞かれると説明するのが面倒くさい。
結局、下書きの紙を取り上げ、読み聞かせをする羽目になった。
「どうですか?」
「うん、大体はいいと思うけど、野田弁護士の行動に不審な点が何も無かった日も丁寧に書いておこう、これじゃあ俺達が数日しか動いてないみたいだろ、それから赤城さんと野田弁護士の両方を見かけた日、ニアミスでも何でもいいから接近した日を上げて、その日に何か特別な事をしてなかったか書き出して貰うように要請しよう」
「特別な事って?例えばどんな事が考えられますか?」
「そうだな……例えばたまにしか行かない店に寄ったとか、SNSに写真を上げたとか、決まったルーティンがあるとか……かな」
ほら………
漢字の馬鹿さに比べると健二は結構クレバーだ。そりゃ一応プロなんだろうから当たり前だけど、自然にウハーっと感心してしまった。
「何だ葵……可愛いな、そんなキラキラした目で見るなよ、照れる」
「いや、目をキラキラさせるなんて高等技術は持ってません、可愛く無いです、ってか可愛いって言うな、健二さんもそれなりに考えてるんだなって思っただけです」
「でもな、大変なのはここからだ、一応野田弁護士の身辺調査は区切りがついてる、この先は具体的に解決を求められるぞ」
「そうですね、煩いバイクの方も次の手を考えないと駄目だと思います」
「バイクの方はこのまま同じ事を続ける」
「え?……」
ゴリラの勝也にあの迷惑行為を?
また?
それは無謀だろうと思ったらちょっと違った。
俺が怪我をして椎名に軟禁されている間に、健二は勝也を辿ってもう何人かの爆音仲間を特定していた。
それを順番に回るのだと言う。
「それならいいか」って思っちゃう所はかなり健二に感化されていると思うけど、その前に是非ともやって欲しい事がある。
「健二さん、ちょっとバイクの練習をしませんか?まあ、出来るならもうちょっと普通のバイクを使った方がいいと思うけど……」
実は、健二の友達の家にはあの凶暴なネイキッドバイクの他にもう一台……とてもお行儀の良さそうな普通のバイクが止めてあったのだ、練習するならご近所迷惑は避けたい。
「ああそうだな、それは考えてた、俺はともかく葵を危ない目に合わす訳にはいかないからな」
「どうして?……どうして健二さんはいいのに俺は駄目なんですか?」
「え?だって椎名が怒り出すだろ」
「それ………」
「ん?」
「それ、一体どういう意味なんですか」
「え?普通の事だろ?あれ?怒った?」
ほんのさっき……何故俺がこの事務所にいるのか、何故飼い猫のように扱われるのか。
この疑問を口に出すのはやめておこうと決めたばかりだが我慢出来なかった。
健二は、また俺が「可愛い」とか「幼く見える」と言われて怒っていると思ったようだがこれは違う。
一人だけ生温く扱われるのは健二と比べて俺が非力だからって理由だけでは不自然過ぎるのだ。
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