あんたの首が好きだ── 水嶋さん2

ろくろくろく

文字の大きさ
上 下
6 / 15

鳳凰の間

しおりを挟む
研究所とは。

気のせいでは無かった。イメージでは無かった。
出来れば行きたくない場所、出来なくても行きたく無い場所。あの場所が、如何に非道で、如何に冷酷で、人として大切な何かを失っていると思い知った。
研究員一人一人を個別に見れば、つまり研究所の外で会えばみんな意外と普通の人なのだが、研究所に入れば「私達は特別」と、選民意識に支配されて横柄になってしまうらしい。
言っておくが奥田製薬の研究所は、何もIPS細胞を取り扱ったり、恐ろしい伝染病を取り扱ったりはしていない。
生菌を扱っていると言ったって納豆菌やお味噌の菌を生殺しにする特殊なアルコールを開発したり、近頃要望の多いRGB色の塗料を開発したりと、至って平和で緊急性の無い研究所なのだ。
それでも専門知識のいる特殊な仕事なのだとはわかっているが、信じられ無い事に水嶋が置いてきてしまったメモ帳は、無残にもゴミ箱に捨てられていた。

誰の物かわからない、どんな内容かもわからない。手垢が付いて端っこがヘタれたそのメモ帳はもしかしたら「死んだお父さんの形見で重大事件の謎が隠されている」…かもしれないのに、だ。

水嶋がメモ帳を置き忘れたのは金曜日の夕方だと聞いている、何日も何日も持ち主不明のまま放置されていたなら捨てられても文句は言えないがまだ24時間経って無いのに酷すぎる。

「見つかりませんでした」って言おうかな……なんて何回も考えたけど、水嶋に取って、引いては奥田製薬に取っても大事なメモ帳なのだから、研究員の無視を押して頑張って探したのだ。

研究所に誰かが来るのは昼からって事で午後1時前に着いたのだが、資料とサンプルで散らかった事務机の周りを探して、ゴミ箱の中からやっと見つけた頃には研究所に来て1時間は経っていた。

水嶋が駆り出されたワイズフードのパーティは1時からだと聞いているから、恐らく始まってもう随分過ぎている。佐倉に変な事をされてやしないか、困ってはいないかと焦りながらタクシーを飛ばした。


街の中心を少しだけ外れた川沿い一帯は「公園」と地名に付いている。
競うように立ち並ぶ、高層ビルばかりの中心部とは打って変わり、ゆったりと間合いを取った敷地の中には音楽ホールや美術館が軒を連ねている。そこに立つ外資系のホテルは少しリゾートのような様相を見せていた。
等間隔に立つシュロの木、青い芝生、細い線が模様を描くアートな噴水。
ちょっと珍しくて近寄ってみると噴水の底にコインが落ちてる。何かお願い事をしても効き目があるとは思えないが、ついでだから「佐倉消えろ」と願って一円玉を放り込んでおいた。

実はどこで、どんなパーティが催されるのか、詳しくは知らなかった。
まあ、会場がこのホテルなのは間違い無いから何とかなるだろうと、オープンな玄関を入ったら、すぐに「ワイズフード会」と書かれた案内看板が目に入った。

「ワイズフード会?」

もっと捻れ。
「美味しいを明日に」?
そんなの延々食えないだろう、今日くれ。

「鳳凰の間」って書いてあるから館内の案内図を確かめると1000人収容可能な大広間だ。どうやら鳳凰の間がある三階は全部ワイズフードが占拠しているらしい。つまりそれは関係者しか入れないって事だと思うけど、そこは営業として鍛えた3年間の実績がある。知らない場所、入ってはいけない場所に潜り込む為の心臓は鍛え上げ、既に毛深いのだ。
エレベーターを降りると、鳳凰の間のロビーは式の途中だからもっと閑散としているかと思っていたら、挨拶などのプログラムが丁度終わった所だったらしい。大広間の扉は開け放たれ、バラバラと人が散っている。

やはり受付のカウンターが先に伸びる廊下を塞いでいたが、それが何だ。1000人も客がいるのだ。誰が誰だかわかるまい。
誰にともなく「おお!」と手を振り「遅れてすいません」と知らない団体に混じった。

何だか壮年が多いけど、みんな赤と白のリボンで出来た花と名札を付けているけど、そんな物はどうでもいい、しれっと関係者を装い、ビュッフェの用意が始まっている鳳凰の間に潜り込んだ。

そこまでは良かった。
しかし中に入れさえすればもうこっちの物だと思っていたがそれは甘かった。
最初からオーバー50くらいが多いなと思っていたが、20代30代は皆無に見える。
目の合う人、合ってない人もわざわざ振り返ってまで、物珍しそうな目を向けて来る。

お前誰だって……。
江越だけど、名前は隆文だけど、恐らくそんな事には興味が無いと思う。

それはそうだろう、ワイズフードとは、その時に立っている場所からどっちの方向に歩いても15分以内に必ずあるコンビニや飲食チェーンの大元なのだ。
集まっているのは傘下の社長さんばかりなのだろう、如何にも「まだ役職にも付いてない下っ端です」と顔に書いた若者は殆どいなかった。いても美人で頭が良さそうで怖そうな秘書っぽい女の人ぐらいだ。

ここは、俺は関係者だもーん……という顔が大事なのだ。
「あっ」と頭を下げ、「やあ」と手を振る。
勿論エアで。
何食わぬ顔でナプキン付きのグラスを受け取り端っこの方までやって来た。
そして、壁を背にして水嶋がどこにいるのかと、豪勢な会場を眺めた。
しおりを挟む
https://www.alphapolis.co.jp/mypage/content/detail/644266438
感想 13

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。 そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー ------------------------------- 松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳 カフェ・ルーシェのオーナー 横家大輝(よこやだいき) 27歳 サッカー選手 吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳 ファッションデザイナー ------------------------------- 2024.12.21~

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

桜のティアラ〜はじまりの六日間〜

葉月 まい
恋愛
ー大好きな人とは、住む世界が違うー たとえ好きになっても 気持ちを打ち明けるわけにはいかない それは相手を想うからこそ… 純粋な二人の恋物語 永遠に続く六日間が、今、はじまる…

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

処理中です...