あんたの首が好きだ── 水嶋さん2

ろくろくろく

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俺の事好きなんだろ?って?好きだよ!!

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どたどたと床を踏む忙《せわ》しない音が骨伝導って感じで、顳顬に直で響いてくる。

昨夜はコトの途中で寝入ってしまった水嶋をそのまま玄関で寝かせたのだが、1人だけベッドで寝る訳にもいかずに酔っ払いの隣で寝た。
だから、寝ている場所は玄関な訳で、一人用のマットレスは小さいから結局は床で寝ている訳で、足音は聞こえて来るけど姿は見えない。しかし犯人は誰は知れている。

おそらく、病院を経営するご両親の元、「翔《かける》くん」は大きな一軒家で育っているのだと思う。足音やドアの開け閉め、話し声など、全ての物音を気にしたりはしない。もしかしたら実家を出てすぐは壁や床の薄いアパートに住んだのかも知れないが、今は上下両隣から音が漏れる心配は無い高級マンションなのだからそれも仕方が無いと思う。

しかし、問題はそこじゃ無い。基本的には躾の良い静かな人なのだ。寧ろいつもなら寝たまま動かないからいないも同然なのだ。
それなのに……いい所で寝落ちる程酔っていたにも関わらず、土曜の朝からバタバタしているなんて嫌な予感しか無かった。

何かをしてあげたい、何でもしてしまう……なんて今まで付き合った誰にもやった事ないのに、男である水嶋の為になら出来るって不思議でさえある。
しかし、しかしだ。
飲んでは放置するカップは回収して洗うけど、鼻をかんで床に捨てたティッシュを集めたりするけど、風呂に入ってないチンコだって舐めてもいいし(よがる顔が見たい一心)、排泄肛に舌を差し入れたり出来るけど(嫌がる顔が見たい一心)

………しかし、仕事なら嫌だ。

休みの日の朝に水風船が動いてるって事は大概は仕事が入ったって事で、水嶋が仕事に行くって事は俺の休日も消えるって事だ。

このままでは踏まれるか蹴られるか……絶対そうなるから、嫌だけどマットレスから体を起こして、ちょうど洗面所から出て来た背中に声を掛けた。
振り返った水嶋の首からはやはりと言うか、わかってたと言うか、結んで無いネクタイが掛かっている。

「何してるんですか?」

「何だ……起きたのか」
「まあ、そりゃ起きますよ、何ですか?何してるんですか?仕事ですか?まさかまた何かトラブルでもあったんですか?」

これは勿論、「お前もさっさと用意しろ」と言われ、「嫌です」と言いたいが為に聞いたのだ。
どうせ、嫌でも何でも行かなければならないのだ。しかし、予想に反して水嶋の答えは「仕事じゃない」だった。

「嘘つけ」
「いいから、違うからお前は寝てろ」

「違わないでしょう」

「………から」
「え?、何ですか?聞こえません」
「今日はお前関係ないから」

不機嫌になったりはするけど(なんせトラブルだからね)、休みを食い潰す急な仕事に水嶋が文句を言った事は一度も無い。
寧ろちょっとした軽口を叩けなくなるくらい怖い仕事モードのオーラを出しているのが通常なのだが、今日の水嶋はそれとは少し違った。
への字に口を曲げてシャツのボタンをイライラと止めている。結ぼうとしているネクタイは……俺のだ。

「関係ないって?何があるんです、水嶋さんが仕事以外で動く事なんかないでしょう」
「うん……まあ…江越には関係無い、無いけど…頼みたい事はある」
「ほらやっぱり、何ですか」

「……う…ん…」

自分自身の答えに頷くような小さな返事と言い淀む姿も珍しかった。
いつもの水嶋なら無謀でも無茶でもあり得ない非常識でも「やれ」と言い切る。

「ラブホテルで待ち合わせよう」
「アホ、んな訳あるか、……け…」
「毛?」
「研究所に…」
「わかりました」

「え?」と驚いた目が丸くなる。
水嶋の目はどっちと言えば切れ長なのだが、目を丸めると大きくて、ちょっとだけ見た目年齢が下がる。
「嫌は無い!」って言おうと準備してたんだと思う。目を泳がせ、何故か悔しそうに横を向いたが、今更なのに驚く方が驚く。
いつも、いつも嫌も応も無いくせに……。
スーツを身に付けようとしている水嶋を見た時からもうとっくに覚悟は出来ていているのだ。

「俺はこの一年で成長したんです、水嶋さんが行けと言うなら行きますよ」
「そうか、悪いな」
「今更です、水嶋さんが行こうとしている所に俺が行きます、だから研究所には水嶋さんが行ってください」

「………」


咄嗟の返しに詰まる水嶋は珍しい。ボケとツッコミが遺伝子に組み込まれた関西人は美味しい(?)タイミングを逃すと何故かリカバリー出来なくなる。
ジロリと睨んで頭を掻く様子を見て勝ったと思った。

「……お前な…」
「無理です、大体休みの日に出勤している研究所の奴らが俺の要望に応えてくれるとは思えません、水嶋さんが行った方がいいと思います」

「違うから……研究所に何か頼むんじゃ無くてな…」
「嫌ったら嫌です」

鉄壁の異世界を作り上げている研究所は社会人としての常識を要していない。
我、奥田製薬は「挨拶無き会社は10年後には無くなっている」が信条なのに、特殊な自治を誇る研究所だけは治外法権なのだ。酸っぱい粉に塗れて果てしない倉庫の整頓をやる方がまだマシだ。

「絶対に嫌です」

「……お前…」
「説得は虚しいですよ」

「お前……俺が好きなんじゃ無いのか」
「は?」
「好きだ好きだといつも煩いくらい言ってくるだろう、こんな時くらいは無駄に消費してる「好き」を役立てろ」

そう来るか。
もう絶対行かない。

「………今から半日限定で嫌いになる事にしました」
「卑怯者め」
「どっちがですっ!!」

卑怯も卑怯。
好きならだって?
好きだよ。
クソが付くくらい真面目で、仕事が出来てカッコいい、その反面危うくて、ある意味愚かな水嶋が好きだ。何でも出来るし、何でもしてあげたいとは常に思っている。
しかし、自分自身に興味が無いからか、ハッキリとした意思を示してくれないくせに、人の部屋で寛ぐくせに(たまに)、腕の中にいるくせに(たまに)、ずっと明確な答えをくれないまま惚けているのだ。



「クッソ……」

これが惚れた弱みというものなのだろう。
あの水嶋が、だ。物凄く渋々と、舌打ち付きとは言え「お願いします」と頭を下げたのだから仕方が無い。ボロい本社とは打って変わり、スマートでお洒落な雰囲気の近代的な建物の見える門に立っていた。

厳重なセキュリティに守られた入り難い門。(本社には無い)
ロータリー付きの玄関。(本社には無い)
小さな窓の並ぶ白い壁は全て嵌め殺しになっている。地下二階、五階建ての建物は大きくは無いが堅固な篭城を果たしている研究所は尊大な威圧を放っている。入って来るなと言われているようなものだ。

奥田製薬は医薬品の取り扱いはしていないが医薬品の原料は戦力の一部になっている。
その為、研究目的で各種の菌を取り扱っている訳だが、生き物(細菌類)を飼っている都合上研究所が無人になる事は無いのだ。つまり、研究員の出勤は嫌々な訳で、休日となればいつも以上の塩対応を覚悟しなければならない。

社員と言えど簡単には中に入る事が出来ないのは平日でも同じだが、多分今は一人か二人しかいないから唯一の連絡手段であるインターフォンを鳴らしてもみても返事が無かった。

都合3回目、これで返事が無ければもう帰るつもりで「御用の方はこちらから」と書かれたパネルの下のボタンを押してみる。
すると、出なくていいのに……酷く慇懃な声で「ハイ」とだけ返事があった。そして、モニターを見たのだろう、無言のまま門の鍵がカチャンと外れた。

苦節3年、漸く顔を覚えて貰えたらしいのはいいが、何せ難物の研究員なのだ、ほんの少しの会話も拒否をする…って高らかに宣言されたようなものだ。
出来る事なら近づきたく無いが、今回折れてやったのは無償の休日出勤では無く、水嶋個人の頼み事だったからだ。

この2週間分の仕事内容を記した大事なメモ帳を「多分」研究所に置き忘れて来たから「取りに行って来い」って事だった。そして、置き忘れたかもしれないメモ帳の行方は第三候補まであると言うあやふやさで、つまりは「見つかるまで探して来い」って事なのだが、それは水嶋にしては大変珍しい失敗だった。

そんな事は一度もないのだ。
仕事以外の水嶋はフヨフヨと床で漂う水風船のように頼りなく、大人とは思えないくらいいい加減なのだが、こと、仕事になるとキッチリし過ぎているくらい正確でミスが無い。

その水嶋が仕事内容を書き出した大事なメモ帳を無くしてしまうなんて普段では考えられない。
しかも、研究所はアパートから電車で20分くらいなのだ、様々なロスを考えても1時間か2時間の寄り道で済むような個人的な事情にフォローを頼んでくるなんて珍しいも珍しい。

つまり、いつもなら何よりも優先する仕事を上回る何か………何か、あの水嶋が仕事中にも関わらず上の空になる程の心配事がある思っていい。

そこで、何故か隠して言わない「今日」「どこで」「何をする」かを言えばメモ帳を探してやると脅してみた。
勿論だが、もう一度出て来た「俺が好きなんだろ」には屈したりはしなかった。
「白状するまで行かない」の間に「やだ」と「行かない」を挟んでついでに「昨日寝たくせに」を入れてみた。
すると、睨むような上目遣いでムチュウと唇をタコにした。
それって………。

それってもしかしたら「キスの誘い」なのか?

いつももっと上手いだろ。(天然だけど)
仕事の話をしている時でさえムラッとする罠を仕掛けて来る。

何よりも「あの」水嶋が仕事中にも関わらずぼんやりと何かに気を取られたり、超下手くそなキスの誘いを仕掛けてまで誤魔化そうとする事自体がおかしい。
何せこっちは穴が開くほど見つめ続けている水嶋の専門家なのだ。ちょっと考えればそれなりの予測が出来た筈の水嶋の持病に気付かなかった失態もある。
明らかに様子のおかしい水嶋を放っておくなんて出来ないから粘りに粘って吐かせた。
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https://www.alphapolis.co.jp/mypage/content/detail/644266438
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