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37 栄治と清彦2
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「日向君、これ預かったんだけど……」
メモを差し出したのは、多分同じ授業を取っている女のコだと思うが、何でこんなに上目使いなのか……名前は知らない
「これ何?」
「音羽君が渡してくれって……教室の前でずっと日向君を待っていたみたいよ」
「ふうん……ありがとう」
早朝からの宅配荷出しのバイトが長引き、朝一番の講義には遅刻していた
受け取った紙片には時間と場所だけ書いてあるが、その時間はバイトに入っている
こんな風に断る方法もないやり方で一方的に誘われても困るだけだが、清彦にはその辺がどうしてもわからない
後期分の馬鹿高い授業料を払ったばかりで今は一文無し、食うために今度は生活費を貯めなければならなかった
清彦には悪いが連絡のしようは無い
毎日の待ち伏せは、お互いの取り巻きに阻まれて中々栄治まで到達出来ない
やっと捕まえて家に来ないか(誰でも喜ぶと思っていた)と誘ってみたがあっさり空振り
栄治は今まで会った誰よりも思い通りになってくれない
しかし付き纏いを決行してからわかった事がある、しつこく言い寄ってくる工藤に捕まっていると呼んでないのにどこから見ていたのか、ヌッと現れて助けてくれた
それから暫くの間遠くから観察していると、別に特別気にかけてくれた訳ではなく誰にでもそうらしい
それならば栄治から寄ってくるように仕向ける方法は一つ…………工藤の誘いに乗ってみた
大学に入って「飲み会」に参加したのは初めてだった
飲み会と言っても場所は工藤の下宿、工藤の他に女二人と男二人の合計六人が狭い部屋の古い畳に飲み物と乾物を散らかして囲っていた
「……みんなこんな風に集まってるんだね」
「ああ、金がかからなくていいだろ?」
「うん、そうだね」
工藤は多少鬱陶しいがにっこり笑うだけで大概の事が思い通りになる御しやすい相手だった、栄治もこれくらい簡単だと楽なのだが………だから栄治が欲しい
「まあ飲めよ」
「うん……」
渡された汚いコップの中で揺れる液体は匂いを嗅ぐだけで酔いそうだった、キャンプに行って初めて酒を口にしたが、飲み慣れていないだけなのか、そういう体質なのかアルコールに弱いと自覚した
一応酔っていたと謝ってはくれたが工藤はどうやらあんまり有り難くない感情を抱《いだ》いている
飲めば………それなりに危ないかもしれないが栄治に時間と場所は伝えてある、見に来るぐらいはしてくれると思う……
ちゃんと伝わっていれば……だが
チビッとコップを舐めて強烈な舌の痺れに顔をしかめた
「音羽君がこんな汚ない部屋にいるなんて信じられないね」
「掃き溜めにツル」
「うわ……確かに掃き溜まってる」
散らかった部屋を見回して皆でケタケタ笑った
「私ね、音羽くんの家を友達と見に行った事があるの、凄いお家に住んでるって聞いて後をつけちゃった」
「うわ、そんな恥ずかしい事をよく暴露すんな……で?どうだった?」
「それがすっごいの、噂通りのお屋敷だった、世の中不平等よね」
「俺達は掃き溜め、王子様はお城、そんなもんだ」
名前は知らないが工藤以外の四人はそれぞれがカップルらしかった、笑う度にくっついてじゃれ合っている
それに伴い余った工藤が隣に擦り寄って来るがそうなるように仕向けたのだ、我慢するしか無い
「俺も見に行こうかな、ってか遊びに行っていいか?」
「豪華って程じゃない、祖父の建てた家で古いだけだよ、来ても別に面白くない」
工藤を家に招待する気はない、ただでも父の入院でバタバタしている上に父の世話で使用人は留守がちだった
「ふうん……まあいいや、それより音羽、お前飲めないのか?酒が嫌ならこっちのコーラにしとくか?」
「うん、あるならそっちがいい」
実はコーラも舌が炭酸に痺れてあまり得意では無いが濃いお酒よりはマシ……キャンプでお坊ちゃんと言われてちょっと悔しかった
「音羽くんが酔った所見たいな」
「すっげぇ酒乱だったりして、酔うとどうなんの?」
「え?さあ普通だと思うけど……」
「音羽くんはこんな安っすいお酒普段は飲まないのよ、ねえ?」
「いや………」
調子っぱずれの話題とテンポにはまるでついていけない、時々会話を振られても笑顔しか返せない
だだでも入りにくい同郷らしい仲間内の会話に方言も混じり言葉さえ通じない
気がつけば壁に凭れてうとうとしていた
………ドアが閉まる雑な音がして目が覚めた
「起きたか?」
「みんなは?」
スルメのカスや中身の残ったコップで散らかった部屋にはもうみんな帰ったのか工藤しか見当たらない、そんなに深く眠っていたつもりは無いのに何だか手足が重くて目を擦っても頭がぼうっとしていた
「今帰ったよ」
「え?そうなの?今何時?」
「11時……ちょっと過ぎ」
「11時?」
栄治には9時と伝えてある、どうやら空振りだったらしい
栄治の前で工藤に困ってる所を見せて取っ掛かりを掴もうと思ったが来てくれないならこんな所にいてもしょうがない
「俺も帰るよ」
服に付いた畳の粉を払い立ち上がると、工藤に手を引かれて足がよろけた
「もうちょっといろよ」
「うん、また今度な、何かフラフラするから帰るよ」
「音羽のコーラに焼酎混ぜたからな、気が付かなかっただろ?」
「え?」
突然工藤に肩を突かれてアパートの粗末なドアに突っ込んだ、嵌めガラスの小窓がガシャンと派手な音を立て壊してしまったのかと慌てて体を引くと工藤が体を押し付けてきた
「俺の誘いに乗ったって事はいいんだろ?」
「また機会があったら……っんぅ!!」
乱暴に押し付けられた唇に歯が当たり酒くさい息がまともに鼻に当たる
もっと素直に言ってくれれば利用した分キスくらいサービスでつけてやるのに痛いし臭い
押し付けられた背中は、まるで誰かが開かないドアを揺らすようにガチャガチャと音を立てている
離して欲しくて押し返そうとしてもガッチリ頬を取られて逃げられない、工藤の髪を掴んで思いっきり引っ張ると、唇からずれて工藤の歯が頬を走った
「わ!」
突然格闘に堪えていたひ弱なドアがバンっと開き、フワッと身体が浮いた
「痛った!」
工藤の体重を乗せたまま思いっきり尻餅を付き、瞑っていた目を開けると、のし掛かる工藤の頭越しに部屋の明かりに照らされた背の高い頭が見下ろしていた
「………栄治?」
「何……なっ!わっ!」
作戦通りと言えばそうだが想定とは違う、家に入り込んでキスしてたなんてまるで同意したみたいに思われる
咄嗟に言い訳を考えたが、栄治は黙ったまま工藤の襟首を片手で釣り上げ、そのまま放り投げた
工藤は蛙が潰れたような声を出して望まないヘッドスライディングをしながら滑っていった
「栄治……あの…」
「立て」
栄治はそれだけ言って背中を向け鉄製の粗末な階段を下りていった
「待ってよ栄治!」
ビックリした………来てくれた事にも驚いたが片手で男を投げるなんてどんな腕力だ、栄治程じゃないが工藤も体格はいい
口の中に入った砂を吐き出してまだ起き上がれないでいる工藤を飛び越えて栄治を追った
呼んでも栄治は口も利かず振り返りもしない
「栄治……来てくれて……助かったよ……」
ズンズン歩いていく前に走り込んで顔を覗き込むと眉間に皺を寄せてギュッと目を反らした
「栄治………なんか怒ってる?」
「………………だろ……」
「え?」
「当たり前だろっ!!この馬鹿っ!!」
馬鹿?
いや、馬鹿は馬鹿だったからいい、何よりも驚いたのは怒鳴りつけられたのなんて20年の人生で一回もない、生まれて初めてだった
「どうして………」
「俺に何を見せる気だった?お前工藤を利用したな」
「いや……さっきのはあいつが勝手に…」
「嘘をつくな」
さっきのジャストタイミングは本当に偶然だが意図した事は間違ってない
誰かを思い通りにしたい時は独占欲を掻き立てるのが一番手っ取り早いと思っていた
それを見事に見透かされている
「…………ごめん………」
しょんぼり下を向いて足を止めると、憮然と先を歩いていた栄治も、見えてないくせに止まった
振り向かない背中は怒っててもどうしてるか気にしてる、もじもじ足踏みをして迷った末に、舌打ちして戻ってきた
こんな事を言ったらまた怒るかもしれないが、アプローチを変えると栄治は驚くほどチョロい
「何をしてる、早く歩け、電車がなくなるぞ」
「よかった見捨てられたかと思った」
ふうっと溜息を付き、困ったように見下ろしてくる目はもう怒って無かった
心配なのか、同情なのか、それとも………
落ちてくる視線は優しい、多分無意識だとか思う
フラフラと上げた栄治の手が心配そうにそっと頬に触れた
……高い身長に合わせ、少し背伸びをして目を閉じた
「……………何してんだ?」
「へ?」
片目を開けると栄治は頭の周りに大量の疑問符をぶら下げ変な顔をしていた
てっきりキスを迫られたと思っていたのに……どっちにしろこのポーズを見てもわからないなんて意外と鈍い
ちょいちょい顔を寄せろと呼んでみると耳打ちを待つように耳が寄ってきた
「違うよ……」
「何が?」
蜘蛛の巣が張った古ぼけた街頭には、届く事の無い灯りに向かって数羽の蛾が群れていた
後頭部にチラついた光を受け、暗くなった栄治の顔を引き寄せて唇に触れた
自分から誰かにキスをするなんて初めてだ
首に巻き付けた腕が、ビクっと驚いて持ち上がった背の高い体に釣り上がり足が浮いた
栄治は大きい、体も大きいが中身も大きい
どうしても欲しくて練りまくった小細工より体当たりの方が受け止めてくれる
されるがままにキスを受け、落ちないように(?)支えてくれていた腕が地面に足が着くようにそっと下ろしてくれた
「行くぞ……話は……明日だ……もう遅い」
「うん……」
クルリと背中を向けスタスタと歩いて行く栄治は何も無かった様に平静を装っているが…
………慌てている
女と同棲しているくらいだからキスが初めてなんて無いと思うが物凄く慌ててる、顔には一切出てないがオロオロしてる
顔に出ないのは強がっている訳じゃ無くて感情表現が苦手なだけだ
面倒見が良くて、真っ直ぐ、ちょっと鈍感だが意外と素直、信頼を集め人を束ねる、これ程理想的な奴はそうそういない
最初は打算で近付いたが人を見る目に狂いは無かった
「何してるんだ!早く来い!」
「待ってよ!なあ、栄治、さっき話は明日っていう言ったよな、いつにする、どっかで待ち合わせよう」
「明日は3コマ目まで授業、その後はバイトで12時まで帰ってこない」
「じゃあ、学食で12時な」
「俺の話が聞こえたか?そんな時間は無い」
「来るまで待ってるからな」
「勝手にしろよ、俺はもう知らん」
時計を見ながら困った顔をしているくせには立ち止まって待ってる
やっぱり……どうしても栄治が欲しい
「で?」
「やっぱり来てくれたんだね、マイハニー」
「茶化すな、目的を言え」
「栄治が好きなだけ」
清彦がニッコリ笑うと胡散臭さが増した
「出鱈目言うなよ、信じられるか」
「じゃあ寝てみる?」
「お前なあ……」
似合いすぎる流し目は、隠した怪しい魂胆が見え隠れする、本当に何を考えているかわからない
名前の通り触れがたい清らかさは装っているだけなのか、こっちの見る目が変わったのかわからないが、全く知らなかった頃とは180度印象が違う
清彦の頬にはまだ引っ掻いたようなミミズ腫れの痕が残っている、何か言えば良かったのかもしれないがつい手が出て……勘違いさせてあんな事になってしまった
「寝るって……お前女とは?」
「やったことない」
「男……」
「………………ない」
「童貞にショジョでよく言うな、普通の大学生が普通に経験する事も何にも知らないくせによく言うよ」
「栄治も栄治だろ、男が男を誘っても何にも言わないんだね」
「俺は男子校だったからな」
男同士なんて興味も経験も無いが、何がしたいのか素っ裸になった後輩から追いかけられた事があった
意味不明の告白をされた事も何度かある
「ふうん………経験者なんだ……」
「馬鹿言うな、少なくとも男とヤル程飢えてない、お前だってそうだろう、何が目的か言えよ」
「だって栄治は分厚い取り巻きに囲まれてそっちから来てくれないと俺からは近づけない、俺はただ会いたいだけなのに追い払われるんだよ」
「変な言い方をすんな馬鹿、お前は自分の顔を知ってるのか?」
「鏡はあんまり好きじゃない」
全く……危なくてしょうがない
真に受けたりはしないが清彦の顔で誘うような台詞を吐かれると興味なんか無くても腹の底がむず痒くなる
こうしてからかった相手から上手くすり抜ける能力も経験も無いくせに、思いつきで突っ走るから工藤のような奴に付け込まれ、あんな目に合う
「いつも誰かに守られているくせに自分でトラブルを呼び寄せるような真似はやめとけ」
「栄治相手なら危なくないだろ?」
「何回も言うが俺とお前じゃ生活が違いすぎるんだよ、清彦のお付きになる程俺は暇じゃない」
「普通に付き合うくらいなら出来るだろ」
「ごめんだ」
「じゃあ今夜にでも工藤の部屋に昨日のお詫びにでも伺うけど?」
「………好きにしろ」
「じゃそうする」
清彦はまるで………どこに行きたいのか自分でわかってないヒラヒラ風に煽られ舞っている蝶のようだった
バイバイ、と艶やかな笑顔を浮かべて学食から出ていったが言葉の意味を考えたり気にする暇なんか無かった
ドンッ……とアパートの扉が重い音を立てた
玄関と言っても屈めないくらい狭いポーチがあるだけで、ドアは狭い部屋の一部と言っていい
すぐに目が覚めた
時間は夜中の2時、隣に眠る深雪は抱いた後だ、疲れているのか気付いていない
深雪の性格はあっさりさっぱり、干渉して来ない所が付き合い易くていいが、季節が変わる事に熱を出し、特にどこかが悪い訳じゃないのに体が弱い、そこだけには気を使かっていた
ドアの外に誰かがいるとは思ってなかった
どうせ隣人辺りが酔っ払って手を付いたか、強い風が押しただけ、こんな鄙びたアパートに賊(?)が押し入る訳ない
深雪を起こさないようにそっとドアを開けると、暗い廊下の床からゆらりと立ち上がった人影から掠れた笑い声が聞こえた
「誰だ……」
「栄治………起きてた?」
「清彦?…」
ムンと鼻を付くアルコールの匂い、よろけて胸にしがみついて来た清彦は酔っているのか立つのがやっとに見える
「……来ちゃった……」
「お前……酔っぱらってるな?」
「うん、ショーチュー飲んでみた」
缶ビール三分の一で酩酊する清彦が焼酎?これだけ酒臭くなる量を飲んだとしたら泥酔してる、夜中だとわかって無いのか声が大きかった
「清彦、静かにしろ、中で深雪が眠ってるんだよ」
「………栄治の部屋は狭いな」
「悪いけどここは駄目だ、送っていくから……」
フニャフニャになっている清彦の背中を抱いてアパートのリフォーム前から連れ出そうとすると、部屋に明かりが付いてギクッと体が跳ねた、振り返るといつの間にか起き出してきた深雪がポーチで靴を履いていた
「ごめん、起こしたか、こいつはすぐに帰すから部屋に入ってろ」
「私はいいわよ、部屋に入れてあげれば?私はちょっと出てくるね」
「こんな時間に?」
深雪は元々感情を顔に出さない、時々何を考えているかわからないが、男と……それも清彦と夜中に抱き合ってる所を見て何も思わない訳ない、バイバイと手を振って行ってしまう深雪の後を追いたいが今清彦を離すときっと倒れてしまう
「深雪!どこに行くつもりなんだよ」
「友達のとこ、私は帰らないからごゆっくり、噂のカップルさん」
「は?」
噂?何だそれは……
深雪の捨て台詞に言い返したいことは山程浮かんだが、言葉が出てくる前に深雪の姿は見えなくなった
深雪があっさりしてると言っても女は女、薄い感情表現の中に色々含んだ無表情はやっぱり怖い
地味な仕返しを覚悟するしかない、酔っ払いを連れて部屋に入った途端、ヘタんと崩れるように座り込んだ清彦を見て……
………殴ってやろうかと思った
いつも一番上まで止められたシャツのボタンは1つしか止まってない、はだけたシャツの隙間から山程のキスマークを覗かせ、手首には強く掴まれた指の痕が残ってる
細い腰に止まったズボンはベルトを無くし隙間が空いていた
「お前…………」
言葉が出てこなかった、何をしてきたか、何をされたかひと目でわかる
浅はかで短慮、世間知らずの暴走に呆れ果てた
「工藤か?お前本当に工藤の部屋に行ったな?」
「ハハ………誰でもいいじゃん、父親を特定しなくても孕む訳じゃない、……死ぬほど痛かったけどね」
「笑ってる場合か!どんだけ馬鹿なんだよ!!!」
「好きにしろって言ったくせに怒鳴るなよ」
「何でそこまで……一体何がしたいんだ、そんな事をする理由も必要も……何も無いだろ」
「理由はある……」
清彦は酔った時に見せるヘラヘラ笑いを止め真面目な顔をしてキュッと口を結んだ
「理由って何だよ、考えて行動してるようには見えないぞ」
「父さんが入院した、俺は大学を辞めて会社を継がなければならない、手を貸してくれる……信頼できる奴が必要なんだ」
「え?それが俺?会社を手伝えって言ってるのか?……」
「適任だろ?」
「何言ってんだ、俺はまだ学生だぞ、もっと力になってくれるちゃんとした大人がたくさんいるだろう」
「俺の腹心が……信頼できる俺だけの腹心が欲しい」
「それにしたってこんなやり方しなくたって……」
友人を選んだ事など一度もない、こんな無茶な事をして関心を引こうとしなくても、言ってくれれば出来る事は何だってしてやる
「俺は何の取り柄もないんだ、武器は一つしかない、それを使って取り込むのが一番早いと思ってる」
「………お前の武器は顔じゃないよ」
「じゃあなんだよ、他に何もない」
顔じゃない、危なくて目が離せない……世話を焼かずにおれないその危うさだ
「お前に合わせて大学を辞めたりしないけど出来ることは手伝うよ、それでいいだろう……見ていられないから服をちゃんとしろ」
青白い顔をして側で笑われても目の置き所がない
「上書きしてくれよ、工藤の手が体に残ってるなんて気持ち悪い」
「は?何を言ってるんだ?……上書き?……」
「……鈍感だな……」
………栄治は今言った言葉の外にある本当の意味をわかってない
数多くあるバイトの一つに加えてくれと言ってるんじゃない、人生をくれと言っている
まだ20歳の英治は前途に色んな夢を描いている筈、ガッチリと捕まえ離れられないようにする必要があった、出来ればそう望んでくれればいいがこの際良心の呵責でも何でもいい
目の前に立っている栄治の腰に手を回し下半身に顔を擦り付けた
「何を……」
「上書き……して…」
知っている知識は一回分だけ……「セックス」がどういうものかあんまり考えた事は無かったが少なくともジョジョは捨てた
他人の手が体を這うなんて気持ち悪くて、それは思ったよりずっと辛く苦しいものだったが工藤は気持ちよさそうに酔いしれ浸っていた
薄いスエットパンツの上から下半身の膨らみを口に含むと鈍感で生真面目な英治もやっと何をしようとしているかを悟り腰を引いた
「おい……な……何を……やめろよ、俺は男とのやり方なんか知らないぞ」
「俺が今日教わってきた」
逃してしまうとこんな機会は二度と訪れない、きっと今より状況が悪くなる、なりふり構わず栄治の膝にしがみつくとバランスを崩して上手く尻餅を付いた
「教わったって………一方的にヤられただけだろ」
「それでもどうやるかくらいはわかった」
腹の上に乗り上がった清彦の顔が近い
鼻先がくっつきそうな距離からふっと吹きかけられた息はきついアルコールの匂いがした
清彦は酔っている
トロンと蕩けた瞳はさすがに綺麗だが世情に疎い清彦に淫れた誘いのテクニックなんかある訳ない、どこまで本気なのかわから無いが戸惑っていると清彦の赤い唇が口の先にそっと触れた
「清彦……」
「チューするの……二回目だね……」
「やめとけ……俺も男だぞ、死ぬ程痛かったって言ってただろう」
「最初はね……それなりに気持ち良かったよ」
合わさった腹の間にグッと押し込まれた手がスエットの中に入ってる、不覚にもそこはちょっと反応してしまっていた
清彦にこんな小悪魔じみた一面があったなんて知っていたようで知らなかった、拙く動く手は下手だがムクッと顔を出した性欲の芽は、嫌だし駄目だし困るがどんどん膨らんでいく
「やめろよ清彦……そんなことをしなくても協力するって言っただろ、無理してるのが見え見えなんだよ」
「無理してるのは英治だろ、もう硬い」
「……俺は健康なんだよ、ヤル気になんてなって無いけど、触ったら……そりゃ……」
気持ちいいのか気持ち悪いのかわからないが、今はとにかく狭い場所で勃ち上がった下半身がキツイ
酔いに任せて何をやってるかわかってない清彦を、寝かしつけるか送っていくかしないと次の日も早朝から荷出しのバイトに入ってる
後もう3時間もない
乗り上がった清彦の肩を掴むとグッと力が入り小さく丸めた背中がカタカタと小さく震えていた
「お前……」
すっかり勃ち上がった下半身の興奮が頭に伝染して何だか可笑しくっなって来た
震える程怖いくせに去勢を張る清彦は健気で愚かで何だか可愛いかった
「………何笑ってんだよ」
「もういいだろ、わかったよ、外が明るくなったらバイトに行くついでに送ってやるからお前ちょっと寝ろ」
「笑うな……」
清彦は真っ赤になって立ちあがり、煌々と室内を照らしていた明かりから垂れた紐を引いた
「おい、もうちょっと付けとけよ、枕がどっかに行って見えない」
「見えないようにしたんだ……お前が馬鹿にするから」
「馬鹿にしたんじゃない清彦が無理してるから……おい、もういいって……」
「栄治はわかってない、今襲ってるのは俺なんだよ」
フサッと落ちてきた手が頬を包みぽかんと開けていた口を割って焼酎が香る舌が入り込んできた
清彦は男が相手という躊躇いが生んだカツカツの自制心を崩壊させる気満々で挑んできている、清彦には偉そうに言ったがこっちだってそんなに沢山の経験がある訳じゃない
深雪とあと一人高3の頃予備校のクラスメートと事故っただけ
清彦の首に手を回すと細い………
ヒラヒラと体に纏わり付いていたシャツは脱ぎ捨てられ素肌が手に触れる
「清彦……」
「意外と往生際が悪いね」
「そりゃ………そうだろ……」
ずり下がったスエットからはみ出た下半身に体を擦り付けられ……清彦も勃ってる
繰り返すキスはその度に深くなり、甘い衝動が身体を満たす
窓から入ってくる街頭の薄灯りは胸に抱いた清彦を艶めかしく浮き立たせ……
男とセックスをする覚悟が出来てしまった
大変だったのは次の日からだった
工藤は清彦をモノにしたと吹聴して周るような行動を取り、見かける度に助けに行かなければならなかった
清彦は清彦でそれを楽しむように工藤を上手く利用して……結局いつも一緒にいる羽目になった
清彦のアプローチに栄治が堕ちたと噂になり田口達からも心配された
堕ちたと言われれば事実そうだが遺憾ではある
粗末な狭い部屋の中で夜明けの光で見えた清彦は酷く辛そうで勢いで抱いてしまった事を物凄く後悔した
深雪には隠してもどうせすぐバレる、正直に白状するとフンっと鼻を鳴らしただけで表情も変えなかった
清彦が大学を辞めたのはそれからすぐだった
入院先でなくなった清彦の父も一般社会の見識に照らすと若い社長だったが清彦が会社の代表になったのはまだ21だった
手伝うと約束していたが、何も知らず、何も出来ないのは二人共同じだ、バイトは全部辞めて一緒に研修に通い、みんなが就職を決めてくる頃にはほぼ正社員として働いていた
何もそんな小さな中小企業に決めなくていいと教授や友達からも言われたが待遇は良く清彦を手伝うと決めた事に何も不満は無かった
「日向は社長と同じ大学だったんだな」
上司の佐鳥は日本酒の入ったコップを受けの升から慎重に取り出してそっとうわばみをすすった
佐鳥の役職は専務だったが会社の規模は小さい、重役も遊んでいる余裕はなく、実質的な戦力として現場に出ていた
研修時代から目をかけてもらい、自分では払えない高い店にしょっちゅう連れて行ってもらっていた
「学生時代に誘われたんです」
「優秀だったんだろ?全く貧乏クジを引かされたな、うちみたいに小さいとこで燻ってるなんて勿体ない」
「そんな風には思ってませんよ」
「まあ、給料はいいがな……」
「専務!日向さんを変に煽らないでください、どこも人手が足りなくて困ってるんです、うかうかしてると他所にリクルートされちゃいますよ」
口の端から獅子唐の揚げ物をぶら下げた天真爛漫な野島は檜のカウンターから身を乗り出して専務相手に偉そうに口を尖らせた
入社したばかりだったが中々筋が良く、教育を兼ねていつも連れ歩いていた
あっという間に懐いてくれたがまだ学生臭くて専務相手でも遠慮しない
「そうだな……日向は上にも下にも人気がある、羨ましいよ、みんなお前の言う事ばっかり聞く」
「日向さんは凄いんです、決裂しかかってた"皇将"との取引も全部一人で纏めちゃいました」
「ああ、あの餃子屋か、増粘剤の値段交渉で揉めたんだってな、日向が治めたんだろ?」
「年間三億の取引が無くなりそうだったのに日向さんが行くとあっという間に交渉成立、凄かったな、皇将の社長が異様に日向さんを気に入ってうちに来い来いってしつこく誘ってました」
野島は見ていただけのくせに自分の手柄のように鼻息荒く自慢をして、揚げたての海老天をサクッと噛じった
自腹じゃ無いから景気よく海老ばかりを注文して塩の乗った小皿にはズラッと尻尾が並んでいる
目の前のカウンターから揚げたてが出て来る天ぷら屋なんて給料がそこそこ上がった今でも敷居が高い
「野島……あんまりある事無い事ベラベラ喋るな」
「だって本当の事です」
「野島は日向に心酔してるんだな、まあみんな似たようなもんだが……お前の方が社長に向いてるんじゃないか?親族経営なんて今時そんな会社は伸び悩みの筆頭だ、あんなお坊っちゃん上がりに…」
佐鳥専務は言いかけた文句を途中で引っ込め苦笑いを浮かべた
「悪い……日向は社長と親しかったな……」
「親しいって言うより社長は日向さんに惚れてます、あの綺麗な顔で笑いかけるのは日向さんだけだし……やけにベタベタするし何かと呼び出すし……」
口が達者な割に酒の飲めない野島はオレンジシュースと海老天なんて気色悪い組み合わせで食べていた
飲まないせいか何度教えてもお酌が出来ない、お前がやれと目で合図しても野島は気付いてくれず、代わりにコップの空いた専務の酒を追加注文した
「う~ん……惚れてるって言えばそうかもな、まあ野島も人の事言えんだろ」
「専務までやめてください、社長とは入社する前から付き合いがあったからです」
「俺は日向さんに惚れてますよ、むしろ大声で言いたいですけど……音羽社長は何か目が違う、狙われてますよ日向さん」
「もうやめろよ野島、社長は結婚してるだろ、忙しくて1社員の俺に構ってる暇なんか無いよ」
「え?社長結婚式してるんですか?何回見ても俺より年下に見えるんですけど……」
「してるよ、もう5年?6年目かな……」
清彦は22の歳に瞳子という名のおっとりとした深窓のお嬢様と式を揚げた
小さい頃からの許嫁って……本格的な文豪小説みたいだ、と親しかった訳でも無いのに何故か式に参列した田口と笑い合った
お雛様のような顔をした瞳子は見た目通りの穏やかな人だったが清彦以上に世間知らず………二人が並ぶと脆いガラスの箱に包まれた置き物のようだった
「日向は幾つになった?まだ独身だろ?」
「はあ、まあ……」
深雪とはもうずいぶん長いがまだ籍は入れていない
看護師をしている深雪は名前が変わると面倒だから結婚は子供が出来てからでいいと言われていた
「付き合ってるいい人が誰もいないんならちょっと会って欲しい娘がいるんだけどな」
「あ、お見合いですか?」
飲みかけていたビールを吐き出しそうになった
見合いを持ちかけられるのは珍しくないが、専務からそんな話を聞いてしまうと会うくらいはしなければならなくなる、まだ誰も見合いなんて言ってないのに、何も考えてない野島に逃げるチャンスをあっさり潰された
「あ、まあ………そんな堅苦しい感じじゃなくてもまずは会ってみて気が合えば……ぐらいの気持ちでいいんだが……」
益々まずい………専務の歯切れ悪い言い方はどうやら自分の娘か余程の近親者の話だ、何としても続きを聞く訳には行かなかった
「俺は………あっ!江藤部長ここです!」
助け舟と言えるタイミングで営業部長の江藤が部下を引き連れて店の引き戸から入ってきた
親族経営を批判していたくせに社内には佐鳥の縁戚関係が多い、江藤とは従兄弟同士らしくよく一緒に飲んでいた
このタイミングで逃げなければ見合いを進める厄介者が増える、わざとらしく腕時計を見て席を立った
「俺ちょっとこの後寄る所があるんで先に失礼します」
「何だよ日向、俺の顔を見た途端逃げるのか?」
江藤が笑いながら殴る真似をした
「すいません」
こんな時上手い冗談でも言えたらいいがそんなスキルは持ってない、真面目に頭を下げると江藤部長は行け行けと手を振った
実はほぼ毎週、金曜日の夜は清彦と会っていた
別に会う約束をしている訳じゃない
金曜の夜は必ずホテルに泊る清彦の元に、行ける時は行く、ぐらいのスタンスで通っていた
ずっと先まで予約しているのか部屋は毎回同じ、ドアをノックすると中から清彦の声が返事をしてカギが開いた
来て欲しいと呼ばれた訳じゃ無いがコソコソと会いに来るこの密会はいつまで経っても慣れない
毎回気不味くなってドアが開くと部屋に踏み入る足が躊躇してしまう
「遅かったな、今日はもう来ないと思っていたよ」
シャワーを浴びてすぐなのか清彦はシャツを簡単に羽織り、肩に掛けていたタオルを椅子の上に放り出して嬉しそうに笑った
二人で会う時はいつも会社では見せない人懐っこい笑顔を見せる
「佐鳥専務に誘われて断れなかったんだ、ちょっと飲んでた」
「栄治はいつでもどこでも男にモテるな」
「女にだってモテてるよ」
「それは知ってる」
清彦はずっと変わらない綺麗な笑顔を浮かべてベッドの上に広げていた書類を集めてトンッと纏めた
紙の右上に丸秘のハンコが押してある
「何だ、それは?」
「うちの隠し帳簿、悪いけどこれは栄治にも見せられない」
「隠しって……うちには裏帳簿でもあるのか?」
「そんな大層なものじゃない、税務署に見せたら怒られるかもしれないけどな」
「おいおい……俺には関係ないからな、そんなもん見せるなよ」
「だから見せないって」
清彦には頑固で融通の効かない一面があった、一人で思い込み深く考えないまま突っ走る
気を付けて見てはいたが、経営の事は社長と社員として一定のけじめは付けていた
「佐鳥専務と何の話をしてきた?悪巧みか?」
「ただの食事だよ」
「別にいいけどな」
佐鳥専務と清彦は普段からよく揉める、何もわからず社会に放り出された若い社長の代わりに、ずっと経営を支えて来た佐鳥が清彦のやり方に不満を持つのは当然で、清彦もまた好き放題だった佐鳥専務を良く思わないのも当然だった
どちらに味方する気も無く、清彦もそこに意見や助言を聞いたりはして来なかった
「佐鳥は江藤部長の営業傘下からお前を引き抜くくらい栄治がお気に入りなんだ、精々機嫌を取ってくれ」
「別にお気に入りだから営業から引き抜かれた訳じゃない、丁度専務の持ち会社が増えて手が足りなかったからそっちの担当に回っただけだ、俺は……」
「いいよ、そんな事は……」
清彦がイラついたように机替わりにしていた鏡台の天板を爪でコツコツと叩いた
清彦は二十歳の頃とまるで変わらない透明で綺麗な顔をちょっと傾けて唇を指差した
「今日は泊まれないぞ」
「泊まらなくてもいい………」
慣れてしまった男同士のキス……
別にセックスをする為の密会じゃないが……結局毎回こうなる
学生の頃、下宿の部屋で一回目……二回目は清彦が正式な社長に就任した時
最初から今までずっと流されっぱなしだが、何だかんだとこの関係は続いていた
男同士の関係に寛容な時代じゃない
そんな事はある筈がないと、あり得ないからこそ誰にも悟られず続いてしまっている
暗く明度を落としたホテルの黄色い照明は清彦の白い肌をより一層綺麗に見せ、キスに濡れた赤い唇が浮き立つ
ネクタイを引かれ、ベッドに倒れ込むと清彦が両手を挙げて胸を開いた
そこは白檀に似た清彦の匂いがする
ネクタイを緩め、開いた脇の下に潜り鼻を擦り付けた
「また匂う……変な趣味……」
「ここから始めなきゃ出来ないんだよ」
「深雪さんにもするの?」
「する、絶対する」
頭の上に投げ出された清彦の両腕を纏めて押え、ピンクが滲んで肌に溶けている小さな斑点を舐めとるとピクんと腕が縮んだ
「ん……」
「清彦……頼むから肘で脳天を割るなよ」
「ハハ……わざとじゃない勝手に身体が動くんだ……」
万歳ポーズを取るのはいいが清彦は性的な刺激に弱く頭の天辺に肘鉄を食らった事がある、手加減無しで落ちてくる肘は身体を守ろうとする反射に近い、思わぬ不意打ちに危うく昏倒しかけた
両手を挙げるのは変な性的志向があるからじゃない
事が佳境に及ぶと上がってしまう抑えられない声を手で封じる為だった
清彦は一見の客じゃない、毎週同じ部屋に泊まり名も肩書も知られている、普通の話し声すら外に漏れるホテルの部屋で誰かに聞き止められるのは避けたかった
「なあ……何かあったのか?」
「何かって何?」
「もう……固い……早すぎないか?」
足に当たる清彦の下半身がカツカツに張り詰め腹を擦る、まだ何もして無いに等しい、そっと手を被せるとヒクッと清彦の顔が仰け反った
「お前は忙しくてわかってないかもしれないけど三週間も空いたんだぞ」
「奥さんがいるだろう……何なら自分で抜けよ」
「栄治が欲しい……」
清彦はずっと……学生の頃から何回もそう言った
人を誰かの所有物だと特定出来るとしたら、清彦はもう手に入れてると言っていい
経営を手伝うと約束したあの頃からずっと……特に研修から営業で独り立ちする3年間はほぼ24時間二人で過ごした、仕事と社会を学び、喧嘩して笑い合って、お互いに足りない所を補い合った
清彦は今でも何もかもが危なっかしい、お坊っちゃんで世間知らずで呑気…………そう思ってはいたが社会人になって初めて清彦の背負うものの大きさに気付いた
たった21で指標となるはずの父親をなくし、一人っきりで望んでもない……頼りにもならない妻を守り、会社の従業員とその家族全てに清彦が責任を負っている
両親は健在で現役、まだ養う家族もなく、給料は全部自由に使い、もしその気になれば逃げ出すことも出来る自分と比べ、清彦には隠れる場所すらないのだ
将来が決まっていて楽だなんて今は言えない
清彦は泣き言を一切言わないが、こうしてホテルに隠れ、寄りかかってくるのは唯一の逃避なのだ
清彦は親しい友人を持ってない、厳しい躾のせいで行動範囲も狭く世界が小さい、出来る事はこんな事しか無いが守っているつもりでいた
「なあ……口……がいい……」
「何だよ、まだ働かせるつもりか?」
「駄目か?」
「………足を開け」
数度経験するうちにお互いに何でも有りになった
人の体の秘めたる場所を舐め合い犯し合うのだ、女だろうが男だろうがセックスは所詮汚い
ベッドの端まで清彦の体を引っ張り、床に座って盛り上がった下半身に頭を落とした、そこはもう待ちきれないと下腹から浮き上がってる、口に含むと肩に乗った清彦の足がグッと締まり背中を押した
清彦の肌から石鹸の匂いがする
「……あ…………ぅ……」
清彦の手が髪を混ぜて耳を塞ぐ、喉から押し出す詰まった吐息は色を含み、四角い密封された箱の中に反響した
どこをどうすれば弱いかはもう知ってる、舌先を尖らせてゆっくりと舐めあげると清彦の背中が反って浮いた
「…………栄治……腰が……痛い……」
「出せよ……我慢すんな」
「終わりたくない、一緒に……イキたい」
「俺は………」
他と較べたことは無いが清彦のそこは狭い、中に入れば必ずと言っていい程辛そうに歯を食いしばる
出来るなら避けたいが……
男とのセックスに慣れたと言っても他の誰かを抱くなんて考えられない、清彦は特別だった
もう心の内側に入り込み体の一部になっているような気さえしていた
運命を共にしてこれからもずっとこうして一緒にいる
「慣らすぞ……痛かったら……」
「痛くない……そのままでもいい……今……欲しい」
「馬鹿言うな…………」
「指……嫌い……」
「ちょっとだけ我慢してろよ」
ヌルリと深い深淵に指を差し込むと肩に乗った足に力が入りジワジワ腰が持ち上がっていく、ここもどこがいいか知っていた、クンっと内壁を押し上げると感電したように体が跳ねた
「あっ!…………う…………あ…」
「気持ちいい?」
「……いい………あっ……」
指の動きに合わせてビクッ……ビクッと体が揺れてグゥーと延び上がった、清彦の中心がヒクヒク意思を持ったように動いたがまだイケない
「もう…いい……んぁ………変な……遠慮するな……」
「……遠慮なんかして無い……」
清彦との関係は強制されてる訳じゃない、流されてた上での成り行きだったとも言えるが抱きたいという欲もある
汗ばんだ頬は黄色いライトを反射してキラキラ光っている、赤が増した唇の隙間から誘うようにチロリと舌が覗いた
昔は綺麗な顔を使った天然の色気だったが今は練り上げた熟練の目付きで誘惑してくる
………内蔵を吸い上げるような息も付けないキス
腰からずらしたズボンの隙間でお互いが擦れて下腹を抉る
清彦の足を抑えて押し入った
「……っ……あ……」
清彦の白い肌には玉になって汗が浮かんでる
やっぱり……眉間に深く皺を刻む辛そうな顔は快感を得ているようには見えない
「つらかったら……」
「やめたら怒る……」
「クビにする?」
「役員になってもらう」
「冗談……」
どっちにしろ今更やめられない、突き上げる度にずり上がっていく体を引き寄せると狭いベッドから滑り落ちて、清彦の体が腰の上に乗った
「んあっ!……あ……ハァ……栄…」
「清彦………声……」
下半身が深部まで食い込み清彦の足が痙攣を起こしたようにビクビクと震え、足の指が宙を掴み丸まって漏れ出る声は悲鳴に近い
「清彦……」
「いい……やめないで……あっ…ああ!」
清彦の中が畝って締め付け、頭の芯まで痺れるような刺激に食いしばった奥歯が砕けそうだった
撓む背中を抱いて、揺らして、揺らして…………体の上で踊る清彦は眉間に寄せた皺まで美しくどこか儚い、汗と滲み出た涙と性液が混じってちゃんと服を脱がなかった事を後悔した
今までになく激しいセックスに二人共動けなくなり、足を交差したままベッドに転がっていた
肩に足を担いでいたせいで清彦の足の裏が顔の横に投げ出されている
清彦はここの所少しおかしい
元々脆い所がある清彦を社長という重責が今にも押しつぶしてしまいそうで心配だった
「……………清彦…大丈夫か?」
「強……烈…………やなこと全部ふっ飛んだ」
「嫌な事があるなら口で言えよ、こんなことで誤魔化してないでちゃんと言ってくれ、力になるって約束しただろう」
「お前は十分やってくれてるよ、栄治がいなけりゃ俺はここまでやれてない」
「清彦………重い……」
身体に乗った清彦の足を横に避けると、やっとゴソゴソと起き出しベッドサイドに置いてあったタバコの箱に手を伸ばした
いつの間に覚えたのか、一本つまみ出して口の横に咥えた
「また、そんな物を……似合わないぞ…」
「俺は飲めないからな、これぐらいいいだろ、みんな吸ってるのに栄治は吸わないな」
「俺はそんな余裕無かっただろ、今更そんなもんに手を出さない」
似合わないと言ったがそれは内面の話で背中を丸め、裸の体にシャツを引っ掛け煙を吐き出す姿はアナーキーな倦怠感が漂いそのまま絵になりそうだった
「なあ……何か苦しい事があるなら言えよ、俺には何も出来ないけど聞くくらいなら出来る」
狭い部屋のミニ冷蔵庫はベッドからでも手軽届く、体を伸ばしてビールを取り出した
清彦の払いになるがそこはいつも甘えていた
「うん、今日栄治が来たら言うつもりだった、さっきのは冗談じゃない」
「さっき?何の話だ」
「経営に回ってほしい」
「は?」
そう言えば役員になれと口走っていた
お互い様だが、清彦には冗談やボケるスキルは一切ない
「何言ってんだ俺はまだ入社五年目で27だぞ」
「年齢なんて関係ないよ、上からも下からもえらく慕われてるじゃないか」
「真面目にいってるんなら固辞する、大体歳が関係ないって言うけどあるだろ、序列も柵《しがらみ》もある、そんな極端な人事をすれば反感を産んでろくな事にならない」
「……やっぱり……嫌だよな、それなら仕方ないから忘れてくれ、俺は栄治以上に大事なものなんてないんだ」
何を言い出すのかと思えば簡単に引き下がった清彦の思惑はやはり冗談には聞こえなかったが……本気とも取れない
実際の話、ここで承諾しても現実味の薄い話だった
「瞳子さんを一番にしてくれ、照れる」
「ごめん、嘘ついた、一番は会社と爺ちゃんから預かった家」
「それを言うなら俺も仕事と深雪と貯金」
「俺は3番目に栄治って言ってるのにお前は冷たいな4番目かよ、負けたくないから付け加える、瞳子さんに子供が出来た、そこも加えとく」
「……うわあ……清彦が父親なんて煙草より似合わないな」
「俺もそう思う………怖……」
「……怖いよな……」
こんないかがわしい密会を重ねているが、お互いに妻や恋人がいる身だ、体を繋げるのは入口から続く弾みで清彦との関係は同志と言えば1番ぴったりくる
好き嫌いや浮気とか愛人(その言い方だけは拒否したい)という概念は無かった
メモを差し出したのは、多分同じ授業を取っている女のコだと思うが、何でこんなに上目使いなのか……名前は知らない
「これ何?」
「音羽君が渡してくれって……教室の前でずっと日向君を待っていたみたいよ」
「ふうん……ありがとう」
早朝からの宅配荷出しのバイトが長引き、朝一番の講義には遅刻していた
受け取った紙片には時間と場所だけ書いてあるが、その時間はバイトに入っている
こんな風に断る方法もないやり方で一方的に誘われても困るだけだが、清彦にはその辺がどうしてもわからない
後期分の馬鹿高い授業料を払ったばかりで今は一文無し、食うために今度は生活費を貯めなければならなかった
清彦には悪いが連絡のしようは無い
毎日の待ち伏せは、お互いの取り巻きに阻まれて中々栄治まで到達出来ない
やっと捕まえて家に来ないか(誰でも喜ぶと思っていた)と誘ってみたがあっさり空振り
栄治は今まで会った誰よりも思い通りになってくれない
しかし付き纏いを決行してからわかった事がある、しつこく言い寄ってくる工藤に捕まっていると呼んでないのにどこから見ていたのか、ヌッと現れて助けてくれた
それから暫くの間遠くから観察していると、別に特別気にかけてくれた訳ではなく誰にでもそうらしい
それならば栄治から寄ってくるように仕向ける方法は一つ…………工藤の誘いに乗ってみた
大学に入って「飲み会」に参加したのは初めてだった
飲み会と言っても場所は工藤の下宿、工藤の他に女二人と男二人の合計六人が狭い部屋の古い畳に飲み物と乾物を散らかして囲っていた
「……みんなこんな風に集まってるんだね」
「ああ、金がかからなくていいだろ?」
「うん、そうだね」
工藤は多少鬱陶しいがにっこり笑うだけで大概の事が思い通りになる御しやすい相手だった、栄治もこれくらい簡単だと楽なのだが………だから栄治が欲しい
「まあ飲めよ」
「うん……」
渡された汚いコップの中で揺れる液体は匂いを嗅ぐだけで酔いそうだった、キャンプに行って初めて酒を口にしたが、飲み慣れていないだけなのか、そういう体質なのかアルコールに弱いと自覚した
一応酔っていたと謝ってはくれたが工藤はどうやらあんまり有り難くない感情を抱《いだ》いている
飲めば………それなりに危ないかもしれないが栄治に時間と場所は伝えてある、見に来るぐらいはしてくれると思う……
ちゃんと伝わっていれば……だが
チビッとコップを舐めて強烈な舌の痺れに顔をしかめた
「音羽君がこんな汚ない部屋にいるなんて信じられないね」
「掃き溜めにツル」
「うわ……確かに掃き溜まってる」
散らかった部屋を見回して皆でケタケタ笑った
「私ね、音羽くんの家を友達と見に行った事があるの、凄いお家に住んでるって聞いて後をつけちゃった」
「うわ、そんな恥ずかしい事をよく暴露すんな……で?どうだった?」
「それがすっごいの、噂通りのお屋敷だった、世の中不平等よね」
「俺達は掃き溜め、王子様はお城、そんなもんだ」
名前は知らないが工藤以外の四人はそれぞれがカップルらしかった、笑う度にくっついてじゃれ合っている
それに伴い余った工藤が隣に擦り寄って来るがそうなるように仕向けたのだ、我慢するしか無い
「俺も見に行こうかな、ってか遊びに行っていいか?」
「豪華って程じゃない、祖父の建てた家で古いだけだよ、来ても別に面白くない」
工藤を家に招待する気はない、ただでも父の入院でバタバタしている上に父の世話で使用人は留守がちだった
「ふうん……まあいいや、それより音羽、お前飲めないのか?酒が嫌ならこっちのコーラにしとくか?」
「うん、あるならそっちがいい」
実はコーラも舌が炭酸に痺れてあまり得意では無いが濃いお酒よりはマシ……キャンプでお坊ちゃんと言われてちょっと悔しかった
「音羽くんが酔った所見たいな」
「すっげぇ酒乱だったりして、酔うとどうなんの?」
「え?さあ普通だと思うけど……」
「音羽くんはこんな安っすいお酒普段は飲まないのよ、ねえ?」
「いや………」
調子っぱずれの話題とテンポにはまるでついていけない、時々会話を振られても笑顔しか返せない
だだでも入りにくい同郷らしい仲間内の会話に方言も混じり言葉さえ通じない
気がつけば壁に凭れてうとうとしていた
………ドアが閉まる雑な音がして目が覚めた
「起きたか?」
「みんなは?」
スルメのカスや中身の残ったコップで散らかった部屋にはもうみんな帰ったのか工藤しか見当たらない、そんなに深く眠っていたつもりは無いのに何だか手足が重くて目を擦っても頭がぼうっとしていた
「今帰ったよ」
「え?そうなの?今何時?」
「11時……ちょっと過ぎ」
「11時?」
栄治には9時と伝えてある、どうやら空振りだったらしい
栄治の前で工藤に困ってる所を見せて取っ掛かりを掴もうと思ったが来てくれないならこんな所にいてもしょうがない
「俺も帰るよ」
服に付いた畳の粉を払い立ち上がると、工藤に手を引かれて足がよろけた
「もうちょっといろよ」
「うん、また今度な、何かフラフラするから帰るよ」
「音羽のコーラに焼酎混ぜたからな、気が付かなかっただろ?」
「え?」
突然工藤に肩を突かれてアパートの粗末なドアに突っ込んだ、嵌めガラスの小窓がガシャンと派手な音を立て壊してしまったのかと慌てて体を引くと工藤が体を押し付けてきた
「俺の誘いに乗ったって事はいいんだろ?」
「また機会があったら……っんぅ!!」
乱暴に押し付けられた唇に歯が当たり酒くさい息がまともに鼻に当たる
もっと素直に言ってくれれば利用した分キスくらいサービスでつけてやるのに痛いし臭い
押し付けられた背中は、まるで誰かが開かないドアを揺らすようにガチャガチャと音を立てている
離して欲しくて押し返そうとしてもガッチリ頬を取られて逃げられない、工藤の髪を掴んで思いっきり引っ張ると、唇からずれて工藤の歯が頬を走った
「わ!」
突然格闘に堪えていたひ弱なドアがバンっと開き、フワッと身体が浮いた
「痛った!」
工藤の体重を乗せたまま思いっきり尻餅を付き、瞑っていた目を開けると、のし掛かる工藤の頭越しに部屋の明かりに照らされた背の高い頭が見下ろしていた
「………栄治?」
「何……なっ!わっ!」
作戦通りと言えばそうだが想定とは違う、家に入り込んでキスしてたなんてまるで同意したみたいに思われる
咄嗟に言い訳を考えたが、栄治は黙ったまま工藤の襟首を片手で釣り上げ、そのまま放り投げた
工藤は蛙が潰れたような声を出して望まないヘッドスライディングをしながら滑っていった
「栄治……あの…」
「立て」
栄治はそれだけ言って背中を向け鉄製の粗末な階段を下りていった
「待ってよ栄治!」
ビックリした………来てくれた事にも驚いたが片手で男を投げるなんてどんな腕力だ、栄治程じゃないが工藤も体格はいい
口の中に入った砂を吐き出してまだ起き上がれないでいる工藤を飛び越えて栄治を追った
呼んでも栄治は口も利かず振り返りもしない
「栄治……来てくれて……助かったよ……」
ズンズン歩いていく前に走り込んで顔を覗き込むと眉間に皺を寄せてギュッと目を反らした
「栄治………なんか怒ってる?」
「………………だろ……」
「え?」
「当たり前だろっ!!この馬鹿っ!!」
馬鹿?
いや、馬鹿は馬鹿だったからいい、何よりも驚いたのは怒鳴りつけられたのなんて20年の人生で一回もない、生まれて初めてだった
「どうして………」
「俺に何を見せる気だった?お前工藤を利用したな」
「いや……さっきのはあいつが勝手に…」
「嘘をつくな」
さっきのジャストタイミングは本当に偶然だが意図した事は間違ってない
誰かを思い通りにしたい時は独占欲を掻き立てるのが一番手っ取り早いと思っていた
それを見事に見透かされている
「…………ごめん………」
しょんぼり下を向いて足を止めると、憮然と先を歩いていた栄治も、見えてないくせに止まった
振り向かない背中は怒っててもどうしてるか気にしてる、もじもじ足踏みをして迷った末に、舌打ちして戻ってきた
こんな事を言ったらまた怒るかもしれないが、アプローチを変えると栄治は驚くほどチョロい
「何をしてる、早く歩け、電車がなくなるぞ」
「よかった見捨てられたかと思った」
ふうっと溜息を付き、困ったように見下ろしてくる目はもう怒って無かった
心配なのか、同情なのか、それとも………
落ちてくる視線は優しい、多分無意識だとか思う
フラフラと上げた栄治の手が心配そうにそっと頬に触れた
……高い身長に合わせ、少し背伸びをして目を閉じた
「……………何してんだ?」
「へ?」
片目を開けると栄治は頭の周りに大量の疑問符をぶら下げ変な顔をしていた
てっきりキスを迫られたと思っていたのに……どっちにしろこのポーズを見てもわからないなんて意外と鈍い
ちょいちょい顔を寄せろと呼んでみると耳打ちを待つように耳が寄ってきた
「違うよ……」
「何が?」
蜘蛛の巣が張った古ぼけた街頭には、届く事の無い灯りに向かって数羽の蛾が群れていた
後頭部にチラついた光を受け、暗くなった栄治の顔を引き寄せて唇に触れた
自分から誰かにキスをするなんて初めてだ
首に巻き付けた腕が、ビクっと驚いて持ち上がった背の高い体に釣り上がり足が浮いた
栄治は大きい、体も大きいが中身も大きい
どうしても欲しくて練りまくった小細工より体当たりの方が受け止めてくれる
されるがままにキスを受け、落ちないように(?)支えてくれていた腕が地面に足が着くようにそっと下ろしてくれた
「行くぞ……話は……明日だ……もう遅い」
「うん……」
クルリと背中を向けスタスタと歩いて行く栄治は何も無かった様に平静を装っているが…
………慌てている
女と同棲しているくらいだからキスが初めてなんて無いと思うが物凄く慌ててる、顔には一切出てないがオロオロしてる
顔に出ないのは強がっている訳じゃ無くて感情表現が苦手なだけだ
面倒見が良くて、真っ直ぐ、ちょっと鈍感だが意外と素直、信頼を集め人を束ねる、これ程理想的な奴はそうそういない
最初は打算で近付いたが人を見る目に狂いは無かった
「何してるんだ!早く来い!」
「待ってよ!なあ、栄治、さっき話は明日っていう言ったよな、いつにする、どっかで待ち合わせよう」
「明日は3コマ目まで授業、その後はバイトで12時まで帰ってこない」
「じゃあ、学食で12時な」
「俺の話が聞こえたか?そんな時間は無い」
「来るまで待ってるからな」
「勝手にしろよ、俺はもう知らん」
時計を見ながら困った顔をしているくせには立ち止まって待ってる
やっぱり……どうしても栄治が欲しい
「で?」
「やっぱり来てくれたんだね、マイハニー」
「茶化すな、目的を言え」
「栄治が好きなだけ」
清彦がニッコリ笑うと胡散臭さが増した
「出鱈目言うなよ、信じられるか」
「じゃあ寝てみる?」
「お前なあ……」
似合いすぎる流し目は、隠した怪しい魂胆が見え隠れする、本当に何を考えているかわからない
名前の通り触れがたい清らかさは装っているだけなのか、こっちの見る目が変わったのかわからないが、全く知らなかった頃とは180度印象が違う
清彦の頬にはまだ引っ掻いたようなミミズ腫れの痕が残っている、何か言えば良かったのかもしれないがつい手が出て……勘違いさせてあんな事になってしまった
「寝るって……お前女とは?」
「やったことない」
「男……」
「………………ない」
「童貞にショジョでよく言うな、普通の大学生が普通に経験する事も何にも知らないくせによく言うよ」
「栄治も栄治だろ、男が男を誘っても何にも言わないんだね」
「俺は男子校だったからな」
男同士なんて興味も経験も無いが、何がしたいのか素っ裸になった後輩から追いかけられた事があった
意味不明の告白をされた事も何度かある
「ふうん………経験者なんだ……」
「馬鹿言うな、少なくとも男とヤル程飢えてない、お前だってそうだろう、何が目的か言えよ」
「だって栄治は分厚い取り巻きに囲まれてそっちから来てくれないと俺からは近づけない、俺はただ会いたいだけなのに追い払われるんだよ」
「変な言い方をすんな馬鹿、お前は自分の顔を知ってるのか?」
「鏡はあんまり好きじゃない」
全く……危なくてしょうがない
真に受けたりはしないが清彦の顔で誘うような台詞を吐かれると興味なんか無くても腹の底がむず痒くなる
こうしてからかった相手から上手くすり抜ける能力も経験も無いくせに、思いつきで突っ走るから工藤のような奴に付け込まれ、あんな目に合う
「いつも誰かに守られているくせに自分でトラブルを呼び寄せるような真似はやめとけ」
「栄治相手なら危なくないだろ?」
「何回も言うが俺とお前じゃ生活が違いすぎるんだよ、清彦のお付きになる程俺は暇じゃない」
「普通に付き合うくらいなら出来るだろ」
「ごめんだ」
「じゃあ今夜にでも工藤の部屋に昨日のお詫びにでも伺うけど?」
「………好きにしろ」
「じゃそうする」
清彦はまるで………どこに行きたいのか自分でわかってないヒラヒラ風に煽られ舞っている蝶のようだった
バイバイ、と艶やかな笑顔を浮かべて学食から出ていったが言葉の意味を考えたり気にする暇なんか無かった
ドンッ……とアパートの扉が重い音を立てた
玄関と言っても屈めないくらい狭いポーチがあるだけで、ドアは狭い部屋の一部と言っていい
すぐに目が覚めた
時間は夜中の2時、隣に眠る深雪は抱いた後だ、疲れているのか気付いていない
深雪の性格はあっさりさっぱり、干渉して来ない所が付き合い易くていいが、季節が変わる事に熱を出し、特にどこかが悪い訳じゃないのに体が弱い、そこだけには気を使かっていた
ドアの外に誰かがいるとは思ってなかった
どうせ隣人辺りが酔っ払って手を付いたか、強い風が押しただけ、こんな鄙びたアパートに賊(?)が押し入る訳ない
深雪を起こさないようにそっとドアを開けると、暗い廊下の床からゆらりと立ち上がった人影から掠れた笑い声が聞こえた
「誰だ……」
「栄治………起きてた?」
「清彦?…」
ムンと鼻を付くアルコールの匂い、よろけて胸にしがみついて来た清彦は酔っているのか立つのがやっとに見える
「……来ちゃった……」
「お前……酔っぱらってるな?」
「うん、ショーチュー飲んでみた」
缶ビール三分の一で酩酊する清彦が焼酎?これだけ酒臭くなる量を飲んだとしたら泥酔してる、夜中だとわかって無いのか声が大きかった
「清彦、静かにしろ、中で深雪が眠ってるんだよ」
「………栄治の部屋は狭いな」
「悪いけどここは駄目だ、送っていくから……」
フニャフニャになっている清彦の背中を抱いてアパートのリフォーム前から連れ出そうとすると、部屋に明かりが付いてギクッと体が跳ねた、振り返るといつの間にか起き出してきた深雪がポーチで靴を履いていた
「ごめん、起こしたか、こいつはすぐに帰すから部屋に入ってろ」
「私はいいわよ、部屋に入れてあげれば?私はちょっと出てくるね」
「こんな時間に?」
深雪は元々感情を顔に出さない、時々何を考えているかわからないが、男と……それも清彦と夜中に抱き合ってる所を見て何も思わない訳ない、バイバイと手を振って行ってしまう深雪の後を追いたいが今清彦を離すときっと倒れてしまう
「深雪!どこに行くつもりなんだよ」
「友達のとこ、私は帰らないからごゆっくり、噂のカップルさん」
「は?」
噂?何だそれは……
深雪の捨て台詞に言い返したいことは山程浮かんだが、言葉が出てくる前に深雪の姿は見えなくなった
深雪があっさりしてると言っても女は女、薄い感情表現の中に色々含んだ無表情はやっぱり怖い
地味な仕返しを覚悟するしかない、酔っ払いを連れて部屋に入った途端、ヘタんと崩れるように座り込んだ清彦を見て……
………殴ってやろうかと思った
いつも一番上まで止められたシャツのボタンは1つしか止まってない、はだけたシャツの隙間から山程のキスマークを覗かせ、手首には強く掴まれた指の痕が残ってる
細い腰に止まったズボンはベルトを無くし隙間が空いていた
「お前…………」
言葉が出てこなかった、何をしてきたか、何をされたかひと目でわかる
浅はかで短慮、世間知らずの暴走に呆れ果てた
「工藤か?お前本当に工藤の部屋に行ったな?」
「ハハ………誰でもいいじゃん、父親を特定しなくても孕む訳じゃない、……死ぬほど痛かったけどね」
「笑ってる場合か!どんだけ馬鹿なんだよ!!!」
「好きにしろって言ったくせに怒鳴るなよ」
「何でそこまで……一体何がしたいんだ、そんな事をする理由も必要も……何も無いだろ」
「理由はある……」
清彦は酔った時に見せるヘラヘラ笑いを止め真面目な顔をしてキュッと口を結んだ
「理由って何だよ、考えて行動してるようには見えないぞ」
「父さんが入院した、俺は大学を辞めて会社を継がなければならない、手を貸してくれる……信頼できる奴が必要なんだ」
「え?それが俺?会社を手伝えって言ってるのか?……」
「適任だろ?」
「何言ってんだ、俺はまだ学生だぞ、もっと力になってくれるちゃんとした大人がたくさんいるだろう」
「俺の腹心が……信頼できる俺だけの腹心が欲しい」
「それにしたってこんなやり方しなくたって……」
友人を選んだ事など一度もない、こんな無茶な事をして関心を引こうとしなくても、言ってくれれば出来る事は何だってしてやる
「俺は何の取り柄もないんだ、武器は一つしかない、それを使って取り込むのが一番早いと思ってる」
「………お前の武器は顔じゃないよ」
「じゃあなんだよ、他に何もない」
顔じゃない、危なくて目が離せない……世話を焼かずにおれないその危うさだ
「お前に合わせて大学を辞めたりしないけど出来ることは手伝うよ、それでいいだろう……見ていられないから服をちゃんとしろ」
青白い顔をして側で笑われても目の置き所がない
「上書きしてくれよ、工藤の手が体に残ってるなんて気持ち悪い」
「は?何を言ってるんだ?……上書き?……」
「……鈍感だな……」
………栄治は今言った言葉の外にある本当の意味をわかってない
数多くあるバイトの一つに加えてくれと言ってるんじゃない、人生をくれと言っている
まだ20歳の英治は前途に色んな夢を描いている筈、ガッチリと捕まえ離れられないようにする必要があった、出来ればそう望んでくれればいいがこの際良心の呵責でも何でもいい
目の前に立っている栄治の腰に手を回し下半身に顔を擦り付けた
「何を……」
「上書き……して…」
知っている知識は一回分だけ……「セックス」がどういうものかあんまり考えた事は無かったが少なくともジョジョは捨てた
他人の手が体を這うなんて気持ち悪くて、それは思ったよりずっと辛く苦しいものだったが工藤は気持ちよさそうに酔いしれ浸っていた
薄いスエットパンツの上から下半身の膨らみを口に含むと鈍感で生真面目な英治もやっと何をしようとしているかを悟り腰を引いた
「おい……な……何を……やめろよ、俺は男とのやり方なんか知らないぞ」
「俺が今日教わってきた」
逃してしまうとこんな機会は二度と訪れない、きっと今より状況が悪くなる、なりふり構わず栄治の膝にしがみつくとバランスを崩して上手く尻餅を付いた
「教わったって………一方的にヤられただけだろ」
「それでもどうやるかくらいはわかった」
腹の上に乗り上がった清彦の顔が近い
鼻先がくっつきそうな距離からふっと吹きかけられた息はきついアルコールの匂いがした
清彦は酔っている
トロンと蕩けた瞳はさすがに綺麗だが世情に疎い清彦に淫れた誘いのテクニックなんかある訳ない、どこまで本気なのかわから無いが戸惑っていると清彦の赤い唇が口の先にそっと触れた
「清彦……」
「チューするの……二回目だね……」
「やめとけ……俺も男だぞ、死ぬ程痛かったって言ってただろう」
「最初はね……それなりに気持ち良かったよ」
合わさった腹の間にグッと押し込まれた手がスエットの中に入ってる、不覚にもそこはちょっと反応してしまっていた
清彦にこんな小悪魔じみた一面があったなんて知っていたようで知らなかった、拙く動く手は下手だがムクッと顔を出した性欲の芽は、嫌だし駄目だし困るがどんどん膨らんでいく
「やめろよ清彦……そんなことをしなくても協力するって言っただろ、無理してるのが見え見えなんだよ」
「無理してるのは英治だろ、もう硬い」
「……俺は健康なんだよ、ヤル気になんてなって無いけど、触ったら……そりゃ……」
気持ちいいのか気持ち悪いのかわからないが、今はとにかく狭い場所で勃ち上がった下半身がキツイ
酔いに任せて何をやってるかわかってない清彦を、寝かしつけるか送っていくかしないと次の日も早朝から荷出しのバイトに入ってる
後もう3時間もない
乗り上がった清彦の肩を掴むとグッと力が入り小さく丸めた背中がカタカタと小さく震えていた
「お前……」
すっかり勃ち上がった下半身の興奮が頭に伝染して何だか可笑しくっなって来た
震える程怖いくせに去勢を張る清彦は健気で愚かで何だか可愛いかった
「………何笑ってんだよ」
「もういいだろ、わかったよ、外が明るくなったらバイトに行くついでに送ってやるからお前ちょっと寝ろ」
「笑うな……」
清彦は真っ赤になって立ちあがり、煌々と室内を照らしていた明かりから垂れた紐を引いた
「おい、もうちょっと付けとけよ、枕がどっかに行って見えない」
「見えないようにしたんだ……お前が馬鹿にするから」
「馬鹿にしたんじゃない清彦が無理してるから……おい、もういいって……」
「栄治はわかってない、今襲ってるのは俺なんだよ」
フサッと落ちてきた手が頬を包みぽかんと開けていた口を割って焼酎が香る舌が入り込んできた
清彦は男が相手という躊躇いが生んだカツカツの自制心を崩壊させる気満々で挑んできている、清彦には偉そうに言ったがこっちだってそんなに沢山の経験がある訳じゃない
深雪とあと一人高3の頃予備校のクラスメートと事故っただけ
清彦の首に手を回すと細い………
ヒラヒラと体に纏わり付いていたシャツは脱ぎ捨てられ素肌が手に触れる
「清彦……」
「意外と往生際が悪いね」
「そりゃ………そうだろ……」
ずり下がったスエットからはみ出た下半身に体を擦り付けられ……清彦も勃ってる
繰り返すキスはその度に深くなり、甘い衝動が身体を満たす
窓から入ってくる街頭の薄灯りは胸に抱いた清彦を艶めかしく浮き立たせ……
男とセックスをする覚悟が出来てしまった
大変だったのは次の日からだった
工藤は清彦をモノにしたと吹聴して周るような行動を取り、見かける度に助けに行かなければならなかった
清彦は清彦でそれを楽しむように工藤を上手く利用して……結局いつも一緒にいる羽目になった
清彦のアプローチに栄治が堕ちたと噂になり田口達からも心配された
堕ちたと言われれば事実そうだが遺憾ではある
粗末な狭い部屋の中で夜明けの光で見えた清彦は酷く辛そうで勢いで抱いてしまった事を物凄く後悔した
深雪には隠してもどうせすぐバレる、正直に白状するとフンっと鼻を鳴らしただけで表情も変えなかった
清彦が大学を辞めたのはそれからすぐだった
入院先でなくなった清彦の父も一般社会の見識に照らすと若い社長だったが清彦が会社の代表になったのはまだ21だった
手伝うと約束していたが、何も知らず、何も出来ないのは二人共同じだ、バイトは全部辞めて一緒に研修に通い、みんなが就職を決めてくる頃にはほぼ正社員として働いていた
何もそんな小さな中小企業に決めなくていいと教授や友達からも言われたが待遇は良く清彦を手伝うと決めた事に何も不満は無かった
「日向は社長と同じ大学だったんだな」
上司の佐鳥は日本酒の入ったコップを受けの升から慎重に取り出してそっとうわばみをすすった
佐鳥の役職は専務だったが会社の規模は小さい、重役も遊んでいる余裕はなく、実質的な戦力として現場に出ていた
研修時代から目をかけてもらい、自分では払えない高い店にしょっちゅう連れて行ってもらっていた
「学生時代に誘われたんです」
「優秀だったんだろ?全く貧乏クジを引かされたな、うちみたいに小さいとこで燻ってるなんて勿体ない」
「そんな風には思ってませんよ」
「まあ、給料はいいがな……」
「専務!日向さんを変に煽らないでください、どこも人手が足りなくて困ってるんです、うかうかしてると他所にリクルートされちゃいますよ」
口の端から獅子唐の揚げ物をぶら下げた天真爛漫な野島は檜のカウンターから身を乗り出して専務相手に偉そうに口を尖らせた
入社したばかりだったが中々筋が良く、教育を兼ねていつも連れ歩いていた
あっという間に懐いてくれたがまだ学生臭くて専務相手でも遠慮しない
「そうだな……日向は上にも下にも人気がある、羨ましいよ、みんなお前の言う事ばっかり聞く」
「日向さんは凄いんです、決裂しかかってた"皇将"との取引も全部一人で纏めちゃいました」
「ああ、あの餃子屋か、増粘剤の値段交渉で揉めたんだってな、日向が治めたんだろ?」
「年間三億の取引が無くなりそうだったのに日向さんが行くとあっという間に交渉成立、凄かったな、皇将の社長が異様に日向さんを気に入ってうちに来い来いってしつこく誘ってました」
野島は見ていただけのくせに自分の手柄のように鼻息荒く自慢をして、揚げたての海老天をサクッと噛じった
自腹じゃ無いから景気よく海老ばかりを注文して塩の乗った小皿にはズラッと尻尾が並んでいる
目の前のカウンターから揚げたてが出て来る天ぷら屋なんて給料がそこそこ上がった今でも敷居が高い
「野島……あんまりある事無い事ベラベラ喋るな」
「だって本当の事です」
「野島は日向に心酔してるんだな、まあみんな似たようなもんだが……お前の方が社長に向いてるんじゃないか?親族経営なんて今時そんな会社は伸び悩みの筆頭だ、あんなお坊っちゃん上がりに…」
佐鳥専務は言いかけた文句を途中で引っ込め苦笑いを浮かべた
「悪い……日向は社長と親しかったな……」
「親しいって言うより社長は日向さんに惚れてます、あの綺麗な顔で笑いかけるのは日向さんだけだし……やけにベタベタするし何かと呼び出すし……」
口が達者な割に酒の飲めない野島はオレンジシュースと海老天なんて気色悪い組み合わせで食べていた
飲まないせいか何度教えてもお酌が出来ない、お前がやれと目で合図しても野島は気付いてくれず、代わりにコップの空いた専務の酒を追加注文した
「う~ん……惚れてるって言えばそうかもな、まあ野島も人の事言えんだろ」
「専務までやめてください、社長とは入社する前から付き合いがあったからです」
「俺は日向さんに惚れてますよ、むしろ大声で言いたいですけど……音羽社長は何か目が違う、狙われてますよ日向さん」
「もうやめろよ野島、社長は結婚してるだろ、忙しくて1社員の俺に構ってる暇なんか無いよ」
「え?社長結婚式してるんですか?何回見ても俺より年下に見えるんですけど……」
「してるよ、もう5年?6年目かな……」
清彦は22の歳に瞳子という名のおっとりとした深窓のお嬢様と式を揚げた
小さい頃からの許嫁って……本格的な文豪小説みたいだ、と親しかった訳でも無いのに何故か式に参列した田口と笑い合った
お雛様のような顔をした瞳子は見た目通りの穏やかな人だったが清彦以上に世間知らず………二人が並ぶと脆いガラスの箱に包まれた置き物のようだった
「日向は幾つになった?まだ独身だろ?」
「はあ、まあ……」
深雪とはもうずいぶん長いがまだ籍は入れていない
看護師をしている深雪は名前が変わると面倒だから結婚は子供が出来てからでいいと言われていた
「付き合ってるいい人が誰もいないんならちょっと会って欲しい娘がいるんだけどな」
「あ、お見合いですか?」
飲みかけていたビールを吐き出しそうになった
見合いを持ちかけられるのは珍しくないが、専務からそんな話を聞いてしまうと会うくらいはしなければならなくなる、まだ誰も見合いなんて言ってないのに、何も考えてない野島に逃げるチャンスをあっさり潰された
「あ、まあ………そんな堅苦しい感じじゃなくてもまずは会ってみて気が合えば……ぐらいの気持ちでいいんだが……」
益々まずい………専務の歯切れ悪い言い方はどうやら自分の娘か余程の近親者の話だ、何としても続きを聞く訳には行かなかった
「俺は………あっ!江藤部長ここです!」
助け舟と言えるタイミングで営業部長の江藤が部下を引き連れて店の引き戸から入ってきた
親族経営を批判していたくせに社内には佐鳥の縁戚関係が多い、江藤とは従兄弟同士らしくよく一緒に飲んでいた
このタイミングで逃げなければ見合いを進める厄介者が増える、わざとらしく腕時計を見て席を立った
「俺ちょっとこの後寄る所があるんで先に失礼します」
「何だよ日向、俺の顔を見た途端逃げるのか?」
江藤が笑いながら殴る真似をした
「すいません」
こんな時上手い冗談でも言えたらいいがそんなスキルは持ってない、真面目に頭を下げると江藤部長は行け行けと手を振った
実はほぼ毎週、金曜日の夜は清彦と会っていた
別に会う約束をしている訳じゃない
金曜の夜は必ずホテルに泊る清彦の元に、行ける時は行く、ぐらいのスタンスで通っていた
ずっと先まで予約しているのか部屋は毎回同じ、ドアをノックすると中から清彦の声が返事をしてカギが開いた
来て欲しいと呼ばれた訳じゃ無いがコソコソと会いに来るこの密会はいつまで経っても慣れない
毎回気不味くなってドアが開くと部屋に踏み入る足が躊躇してしまう
「遅かったな、今日はもう来ないと思っていたよ」
シャワーを浴びてすぐなのか清彦はシャツを簡単に羽織り、肩に掛けていたタオルを椅子の上に放り出して嬉しそうに笑った
二人で会う時はいつも会社では見せない人懐っこい笑顔を見せる
「佐鳥専務に誘われて断れなかったんだ、ちょっと飲んでた」
「栄治はいつでもどこでも男にモテるな」
「女にだってモテてるよ」
「それは知ってる」
清彦はずっと変わらない綺麗な笑顔を浮かべてベッドの上に広げていた書類を集めてトンッと纏めた
紙の右上に丸秘のハンコが押してある
「何だ、それは?」
「うちの隠し帳簿、悪いけどこれは栄治にも見せられない」
「隠しって……うちには裏帳簿でもあるのか?」
「そんな大層なものじゃない、税務署に見せたら怒られるかもしれないけどな」
「おいおい……俺には関係ないからな、そんなもん見せるなよ」
「だから見せないって」
清彦には頑固で融通の効かない一面があった、一人で思い込み深く考えないまま突っ走る
気を付けて見てはいたが、経営の事は社長と社員として一定のけじめは付けていた
「佐鳥専務と何の話をしてきた?悪巧みか?」
「ただの食事だよ」
「別にいいけどな」
佐鳥専務と清彦は普段からよく揉める、何もわからず社会に放り出された若い社長の代わりに、ずっと経営を支えて来た佐鳥が清彦のやり方に不満を持つのは当然で、清彦もまた好き放題だった佐鳥専務を良く思わないのも当然だった
どちらに味方する気も無く、清彦もそこに意見や助言を聞いたりはして来なかった
「佐鳥は江藤部長の営業傘下からお前を引き抜くくらい栄治がお気に入りなんだ、精々機嫌を取ってくれ」
「別にお気に入りだから営業から引き抜かれた訳じゃない、丁度専務の持ち会社が増えて手が足りなかったからそっちの担当に回っただけだ、俺は……」
「いいよ、そんな事は……」
清彦がイラついたように机替わりにしていた鏡台の天板を爪でコツコツと叩いた
清彦は二十歳の頃とまるで変わらない透明で綺麗な顔をちょっと傾けて唇を指差した
「今日は泊まれないぞ」
「泊まらなくてもいい………」
慣れてしまった男同士のキス……
別にセックスをする為の密会じゃないが……結局毎回こうなる
学生の頃、下宿の部屋で一回目……二回目は清彦が正式な社長に就任した時
最初から今までずっと流されっぱなしだが、何だかんだとこの関係は続いていた
男同士の関係に寛容な時代じゃない
そんな事はある筈がないと、あり得ないからこそ誰にも悟られず続いてしまっている
暗く明度を落としたホテルの黄色い照明は清彦の白い肌をより一層綺麗に見せ、キスに濡れた赤い唇が浮き立つ
ネクタイを引かれ、ベッドに倒れ込むと清彦が両手を挙げて胸を開いた
そこは白檀に似た清彦の匂いがする
ネクタイを緩め、開いた脇の下に潜り鼻を擦り付けた
「また匂う……変な趣味……」
「ここから始めなきゃ出来ないんだよ」
「深雪さんにもするの?」
「する、絶対する」
頭の上に投げ出された清彦の両腕を纏めて押え、ピンクが滲んで肌に溶けている小さな斑点を舐めとるとピクんと腕が縮んだ
「ん……」
「清彦……頼むから肘で脳天を割るなよ」
「ハハ……わざとじゃない勝手に身体が動くんだ……」
万歳ポーズを取るのはいいが清彦は性的な刺激に弱く頭の天辺に肘鉄を食らった事がある、手加減無しで落ちてくる肘は身体を守ろうとする反射に近い、思わぬ不意打ちに危うく昏倒しかけた
両手を挙げるのは変な性的志向があるからじゃない
事が佳境に及ぶと上がってしまう抑えられない声を手で封じる為だった
清彦は一見の客じゃない、毎週同じ部屋に泊まり名も肩書も知られている、普通の話し声すら外に漏れるホテルの部屋で誰かに聞き止められるのは避けたかった
「なあ……何かあったのか?」
「何かって何?」
「もう……固い……早すぎないか?」
足に当たる清彦の下半身がカツカツに張り詰め腹を擦る、まだ何もして無いに等しい、そっと手を被せるとヒクッと清彦の顔が仰け反った
「お前は忙しくてわかってないかもしれないけど三週間も空いたんだぞ」
「奥さんがいるだろう……何なら自分で抜けよ」
「栄治が欲しい……」
清彦はずっと……学生の頃から何回もそう言った
人を誰かの所有物だと特定出来るとしたら、清彦はもう手に入れてると言っていい
経営を手伝うと約束したあの頃からずっと……特に研修から営業で独り立ちする3年間はほぼ24時間二人で過ごした、仕事と社会を学び、喧嘩して笑い合って、お互いに足りない所を補い合った
清彦は今でも何もかもが危なっかしい、お坊っちゃんで世間知らずで呑気…………そう思ってはいたが社会人になって初めて清彦の背負うものの大きさに気付いた
たった21で指標となるはずの父親をなくし、一人っきりで望んでもない……頼りにもならない妻を守り、会社の従業員とその家族全てに清彦が責任を負っている
両親は健在で現役、まだ養う家族もなく、給料は全部自由に使い、もしその気になれば逃げ出すことも出来る自分と比べ、清彦には隠れる場所すらないのだ
将来が決まっていて楽だなんて今は言えない
清彦は泣き言を一切言わないが、こうしてホテルに隠れ、寄りかかってくるのは唯一の逃避なのだ
清彦は親しい友人を持ってない、厳しい躾のせいで行動範囲も狭く世界が小さい、出来る事はこんな事しか無いが守っているつもりでいた
「なあ……口……がいい……」
「何だよ、まだ働かせるつもりか?」
「駄目か?」
「………足を開け」
数度経験するうちにお互いに何でも有りになった
人の体の秘めたる場所を舐め合い犯し合うのだ、女だろうが男だろうがセックスは所詮汚い
ベッドの端まで清彦の体を引っ張り、床に座って盛り上がった下半身に頭を落とした、そこはもう待ちきれないと下腹から浮き上がってる、口に含むと肩に乗った清彦の足がグッと締まり背中を押した
清彦の肌から石鹸の匂いがする
「……あ…………ぅ……」
清彦の手が髪を混ぜて耳を塞ぐ、喉から押し出す詰まった吐息は色を含み、四角い密封された箱の中に反響した
どこをどうすれば弱いかはもう知ってる、舌先を尖らせてゆっくりと舐めあげると清彦の背中が反って浮いた
「…………栄治……腰が……痛い……」
「出せよ……我慢すんな」
「終わりたくない、一緒に……イキたい」
「俺は………」
他と較べたことは無いが清彦のそこは狭い、中に入れば必ずと言っていい程辛そうに歯を食いしばる
出来るなら避けたいが……
男とのセックスに慣れたと言っても他の誰かを抱くなんて考えられない、清彦は特別だった
もう心の内側に入り込み体の一部になっているような気さえしていた
運命を共にしてこれからもずっとこうして一緒にいる
「慣らすぞ……痛かったら……」
「痛くない……そのままでもいい……今……欲しい」
「馬鹿言うな…………」
「指……嫌い……」
「ちょっとだけ我慢してろよ」
ヌルリと深い深淵に指を差し込むと肩に乗った足に力が入りジワジワ腰が持ち上がっていく、ここもどこがいいか知っていた、クンっと内壁を押し上げると感電したように体が跳ねた
「あっ!…………う…………あ…」
「気持ちいい?」
「……いい………あっ……」
指の動きに合わせてビクッ……ビクッと体が揺れてグゥーと延び上がった、清彦の中心がヒクヒク意思を持ったように動いたがまだイケない
「もう…いい……んぁ………変な……遠慮するな……」
「……遠慮なんかして無い……」
清彦との関係は強制されてる訳じゃない、流されてた上での成り行きだったとも言えるが抱きたいという欲もある
汗ばんだ頬は黄色いライトを反射してキラキラ光っている、赤が増した唇の隙間から誘うようにチロリと舌が覗いた
昔は綺麗な顔を使った天然の色気だったが今は練り上げた熟練の目付きで誘惑してくる
………内蔵を吸い上げるような息も付けないキス
腰からずらしたズボンの隙間でお互いが擦れて下腹を抉る
清彦の足を抑えて押し入った
「……っ……あ……」
清彦の白い肌には玉になって汗が浮かんでる
やっぱり……眉間に深く皺を刻む辛そうな顔は快感を得ているようには見えない
「つらかったら……」
「やめたら怒る……」
「クビにする?」
「役員になってもらう」
「冗談……」
どっちにしろ今更やめられない、突き上げる度にずり上がっていく体を引き寄せると狭いベッドから滑り落ちて、清彦の体が腰の上に乗った
「んあっ!……あ……ハァ……栄…」
「清彦………声……」
下半身が深部まで食い込み清彦の足が痙攣を起こしたようにビクビクと震え、足の指が宙を掴み丸まって漏れ出る声は悲鳴に近い
「清彦……」
「いい……やめないで……あっ…ああ!」
清彦の中が畝って締め付け、頭の芯まで痺れるような刺激に食いしばった奥歯が砕けそうだった
撓む背中を抱いて、揺らして、揺らして…………体の上で踊る清彦は眉間に寄せた皺まで美しくどこか儚い、汗と滲み出た涙と性液が混じってちゃんと服を脱がなかった事を後悔した
今までになく激しいセックスに二人共動けなくなり、足を交差したままベッドに転がっていた
肩に足を担いでいたせいで清彦の足の裏が顔の横に投げ出されている
清彦はここの所少しおかしい
元々脆い所がある清彦を社長という重責が今にも押しつぶしてしまいそうで心配だった
「……………清彦…大丈夫か?」
「強……烈…………やなこと全部ふっ飛んだ」
「嫌な事があるなら口で言えよ、こんなことで誤魔化してないでちゃんと言ってくれ、力になるって約束しただろう」
「お前は十分やってくれてるよ、栄治がいなけりゃ俺はここまでやれてない」
「清彦………重い……」
身体に乗った清彦の足を横に避けると、やっとゴソゴソと起き出しベッドサイドに置いてあったタバコの箱に手を伸ばした
いつの間に覚えたのか、一本つまみ出して口の横に咥えた
「また、そんな物を……似合わないぞ…」
「俺は飲めないからな、これぐらいいいだろ、みんな吸ってるのに栄治は吸わないな」
「俺はそんな余裕無かっただろ、今更そんなもんに手を出さない」
似合わないと言ったがそれは内面の話で背中を丸め、裸の体にシャツを引っ掛け煙を吐き出す姿はアナーキーな倦怠感が漂いそのまま絵になりそうだった
「なあ……何か苦しい事があるなら言えよ、俺には何も出来ないけど聞くくらいなら出来る」
狭い部屋のミニ冷蔵庫はベッドからでも手軽届く、体を伸ばしてビールを取り出した
清彦の払いになるがそこはいつも甘えていた
「うん、今日栄治が来たら言うつもりだった、さっきのは冗談じゃない」
「さっき?何の話だ」
「経営に回ってほしい」
「は?」
そう言えば役員になれと口走っていた
お互い様だが、清彦には冗談やボケるスキルは一切ない
「何言ってんだ俺はまだ入社五年目で27だぞ」
「年齢なんて関係ないよ、上からも下からもえらく慕われてるじゃないか」
「真面目にいってるんなら固辞する、大体歳が関係ないって言うけどあるだろ、序列も柵《しがらみ》もある、そんな極端な人事をすれば反感を産んでろくな事にならない」
「……やっぱり……嫌だよな、それなら仕方ないから忘れてくれ、俺は栄治以上に大事なものなんてないんだ」
何を言い出すのかと思えば簡単に引き下がった清彦の思惑はやはり冗談には聞こえなかったが……本気とも取れない
実際の話、ここで承諾しても現実味の薄い話だった
「瞳子さんを一番にしてくれ、照れる」
「ごめん、嘘ついた、一番は会社と爺ちゃんから預かった家」
「それを言うなら俺も仕事と深雪と貯金」
「俺は3番目に栄治って言ってるのにお前は冷たいな4番目かよ、負けたくないから付け加える、瞳子さんに子供が出来た、そこも加えとく」
「……うわあ……清彦が父親なんて煙草より似合わないな」
「俺もそう思う………怖……」
「……怖いよな……」
こんないかがわしい密会を重ねているが、お互いに妻や恋人がいる身だ、体を繋げるのは入口から続く弾みで清彦との関係は同志と言えば1番ぴったりくる
好き嫌いや浮気とか愛人(その言い方だけは拒否したい)という概念は無かった
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