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9話 仁
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空港からすぐにタクシーに乗ってしまいタバコが吸えない、選べば良かったのだがタクシー乗り場は混んでおり順番に来た車に乗るしかなかった
座席の前には厭味ったらしく"禁煙"と赤い文字で書かれたプレートが貼り付けられ、いいですか?と声をかける前に挫かれた
後一時間は我慢するしかない………
事務所に帰り着き、ドアを開けるとクローゼットに詰まっている筈の靴箱が山程積まれて足の踏み場もない
「何だこりゃ…………ったく……」
散らかっているのは大嫌いだった
エイッと跨ぐとついでに誰かの頭も越してしまったが別にいい…………
取り敢えずタバコとコーヒー………
口に咥えたマルボロの先にライターで火を付けると並んでいる醤油やお酢の小口差しがバラバラ色んな方向を向いているのが目に入った、こんな事が気になるのは自分だけなのだがどうしてちゃんと並べないのか……と綺麗に揃えた
飛行機を降りて直ぐに携帯の電源は入れたが中はまだ見ていなかった、画面を点灯してメールと不在着信だけをチェックして急ぎのリターンだけでも時間がかかりそうでげんなりした
すぅっと深くケムリを吸い込んで靴で埋もれたフロアに目を移すと………………
口があんぐり開いて閉まらなくなり
ポロンと口から落ちたタバコが床に火花を散らした
「仁………………何で………」
机から半分立ち上がり驚愕に目を丸くした神崎が口の中で小さく呟き………固まっていた
事務所にいた三人の視線は勿論一点に集中していたが、 仁はそこにある信じられない何か………見てはいけないものから逃げるようにゆっくり視線を巡らせ………
神崎に止めた
「神崎ぃっっ!!!」
「逃げろ!!」
腹の底に響くドスの効いた声で仁が怒鳴ると同時に、誰に言ったのか神崎自身が靴箱を飛び越えて事務所を飛び出ていった
「待て!!こら!!貴様!!」
長い足を振り上げバアンっと靴を蹴散らして仁も後を追って出ていってしまった
「……………………」
「……………………」
「…………何だあれ?ビックリした……」
「今の………仁だよな………」
乱暴に開け閉めされたドアは蹴り出された靴が挟まって、締まりきらず風に揺れてガタンガタン音を立てていた
訳の分からない突然の逃走劇に、秋山も秋人も手が宙で止まったまま呆気に取られ呆然としていた
「どうしてここに仁が?」
「あ…………言ってなかったけどここは仁の事務所なんだ、神崎さんのボスでもある………らしい……」
「え?そうなの?」
「うん………黙っててごめん」
そう言えば初めて神崎と会った大学でも二人は一緒にいた、今度知り合いなのか聞いてみようと思っていたが………
「今………逃げろって司が言わなかったか?」
「その前に自分が逃げちゃったけど……」
「仁ってそんなに怖い人?」
「そんな事は無いと思うけど俺もまだよく知らないからな………あの二人は何か色々ややこしいらしい」
怖いと言えば秋山にとっては色んな意味で怖いが秋人が思う意味じゃない、仁は大きくて大人で優しい………時たま乱暴で雑でお節介…………
……大人は取り消し………短い間に二回も乱闘を見せられた
「逃げといた方がいいのかな」
「大丈夫だよ、帰ってくるのを待とう、靴を片付けないと神崎さんがきっと困るよ」
最初は散らかっていると言っても一応は靴が箱に収まり積み上げられていたが今は崩れて靴もバラバラに飛び出し酷い状態だった
「中身と箱を一致させるのが大変そうだな………」
「うん靴探しからだな」
靴を磨く係と箱を探してしまう係に分けて飛び出していった二人………どちらかでも帰りを待つことにして二人で黙々と手を動かした
30分程経った頃だろうか、階段を登りながら口喧嘩している声が聞こえてきた
「あ………帰ってきたかな?」
事務所に帰り着いてからやればいいのに馬鹿みたいな大声は二人揃っている事を知らせていた
「シッ!!アキ隠れよう………」
「え?え?シュウ?」
問答無用でクローゼットの空いた隙間に押し込まれ、隣にくっついて身を潜めたシュウに体が密着して焦った、言われるまま隠れてしまったがこの後どうしたらいいんだ
「シュウ?…あの…」
「シイ!」
声をかけようとするとバチンとビンタに近い勢いで口を塞がれた、シュウの顔は何故か強張り、珍しく警戒したような表情を浮かべていた
漏れ聞こえた話し声は段々近くなってバァンッとドアが壊れてしまうんじゃないかと思うような音がして部屋中の空気を揺らした
「…………だから偶然だって…言ってるだろ……」
「ふざけんな」
「ふざけてない……俺だって腰が抜けるほどビックリしたんだ」
猫のように襟を吊られまだジタバタしている神崎と口の端にタバコを咥えた仁がクローゼットの隙間から見えた、これではただの盗み聞きだ、見つからないかとヒヤヒヤしながら隠れた事を物凄く後悔した
「30のくせにどんだけ体力あるんだよ」
「隣の駅が見えるまで逃げるなんてお前も往生際が悪い、どうせ逃げたって同じだろ」
「同じなら追いかけて来るなよ、目茶苦茶目立ってたぞ」
仁は部屋の中を見回してフンッと鼻を鳴らした
「あいつらお前の言う通り逃げたらしいな、ちゃんと躾が済んでるなんて確信犯だろ」
「躾って………別に俺はこっそりしてるつもりはない」
「よく言うな……」
「仁………俺忙しいんだ………話はまた明日………わっ!!」
神崎を放り投げるように壁に投げ出し、詰め寄っているのは分かるがその位置はクローゼットからあまりよく見えなかった
「お前ハルを侮辱する気か………」
「…………そんなんじゃ……ない……」
「だから一緒にフランスに来いって言ったんだ」
「二ヶ月………って言ってなかったか?」
「誰がずっとって言った?」
低い声でボソボソと続く会話は聞こえてはいるが頭に入って来ない、時間が経つほど出て行きにくく、もうどうしていいかも分からない、隣のシュウは食い入るように前だけを見つめて身を乗り出している
クローゼットからはみ出しそうでハラハラした
シュウが黙ってこんな顔をすると普段は意図的に隠しているんじゃないかと疑いたくなるようなクレバーで冷静そうな別人格が現れる、いかにも何か深い考えがあって頭の中で状況を分析しているように見える
ちょっと不思議な側面を持っていた
「自分が何をしているか分かってるんだろうな」
「だから違うって、仁もよく見てみろよ全然違うから」
「どの口がそんな事を言ってる、俺はずっとお前を見てきてるんだぞ」
「………そうだけど…………」
その後は暫く声が小さくくぐもって何を言っているのか聞き取れない、シュウが益々身を乗り出して壁際の二人を覗き込もうとするので体を肩の前に入れて押し戻した
「……後にしないか?…コーヒーが入ってる、ちょっと落ち着いてから………」
「俺は冷静だ、おかしいのはお前だろう」
「後にしてくれ、俺は仕事するから……」
ダンッと……硬い靴の音をさせて仁を押しのけようとした神崎の横に長い足が柵を作った
「寂しいんなら寂しいって言え」
「ちょっ!………やめろったら………仁……嫌だって……やめ……」
「………っ…………」
「……………」
秋山は自分でも顔がサァっと青ざめるのが分かった
どうしよう……どうしよう………どうしよう……
いよいよ見つかるわけにはいかなくなってきた
間違いない………
今そこで神崎と仁は……チューじゃないキスをしている
二人の間で交わされているキスは仁のいつものおふざけじゃない、話声が途切れ、音を無くした部屋の中で息づかいと衣擦れ、淫靡な……………クチャ…と口を開けたまま物を食べるような音が聞こえてくる
聞いたらマズいだろうが今は全身が耳に変身したように全神経が集中している
そのせいかスクッと立ち上がったシュウが足を踏み出すまで気が付かなかった
!!!
待て待て待て待て
こんな場面に出て行こうとするなんてあり得ない
声を抑え、必死で堪えシュウの腰につかまったが遅かった
シュウはわざと音を立てるようにクローゼットの扉をガラッと押しやった
「司を放せ」
シュウにしがみついたままクローゼットから引きずり出されて、ヒェェと蚊の鳴くような悲鳴が口から漏れた、あまりの気まずさに心臓と尻の穴がキュッと縮み多分ちょっと涙も出ていた
「おい……シュウ……やめろって」
何が冷静だ、そう見えていたのは全くの気のせいだった
「司を離せって言ってんだ、嫌だって言っただろ!」
全部は見えて無かったが予想通り神崎に覆いかぶさっていた仁は斜めに落としていた頭を起こして驚くこともなくゆっくり振り向いた、その表情は………
見た事ないくらい怖い………
大きな目にギロリと睨み付けられると強い眼光の迫力は半端ない、眼力でふっ飛ばされそうだ
………仁はやっぱり役者に向いている
……なんて呑気に感心している場合じゃなかった
「すいません!俺が悪いんです、今すぐ出ていきますから!」
続きをどうぞ………とは言えないがシュウを引っ張るとバシンッと腕を払われた
真剣なシュウは珍しいが怒っているシュウはもっと珍しい
「何だよ………まだいたのか、ここで何をしている」
「靴磨きだよ悪いか!」
「秋山、お前ここで何をしている、そんな暇あるのか?モタモタしているとレア物で売り出して脱がすぞ」
「はい……あの…」
どうすればいいんだ………この雰囲気………
仁の眉間にはこれ以上無理なくらい凶悪な皺が刻まれ、噛み付いたシュウの事は目に入らないとでも言いたげに無視している、当の神崎は目を伏せて顔を上げない
「司!何してるんだよこっち来い!」
「司……………ね」
仁がシュウの"司"呼びにピクッと反応したがそれでも視線は神崎に戻りシュウを見ようとはしなかった
「おい神崎行くぞ」
「俺は仕事があるんだ………無理だよ」
「うるせえ、そんなもん全部キャンセルしろ」
「馬鹿言うなFACTと俺が信頼無くして業界追い出されるぞ」
「別に構わない」
「構うだろ、俺はデザインの仕事しか出来ないんだから」
デザイン業は「水商売」と同じである、原価のないものに値段を付ける、同じものでもそれぞれの事情や立場で値段が変わる、信頼関係以上に大切な物は無い
「今はそんな事より大事なもんがあるだろう、秋山、靴はいいから帰れ、鍵締めとけよ」
仁にトンッと背中を押され、出口に促されると神崎は信じられないくらい素直に従った
ノロノロと仁に引っ張られながら進み、目の前を通り過ぎる時も顔を上げようとはしなかった
「司!どこ行くんだよ!こっち見ろよ」
「今から"司"の部屋でセックスするんだよ」
「セッ?………」
「仁!!やめろよ!」
黙ってろと神崎の口をぐいっと押しやって初めて秋人を見下ろした仁の目はまるでガラスで出来ているかと思う程表情がなかった
「見たいなら付いてきていいぞ」
「男同士で?………」
仁の顔が綺麗だからだろうか………
眉間の皺と釣り上がった眉はそのままなのに、口元だけがニヤリと歪むと人間ここまで意地悪そうな顔ができるものかとゾッとした
「お子ちゃまは黙ってろ」
「俺は司と同い年だよ」
「知ってるよ秋人くん………」
物凄く高い位置から綺麗にニッコリ笑ったが目は全然笑ってない
「何だよあんたも俺の事を覚えているんだな」
「……………俺はこう見えてアタマいいんだ」
いつの間に連絡したのか事務所前の道路にはタクシーが待機していた、ドンッと押しこまれるように乗り込んだ神崎の横に、スルリと滑り込んだ仁の長い体が車に消えて走り去って行った
「シュウ………さっきの………何?…………どういう事?」
シュウは走り去るタクシーをその車体が見えなくなっても階段の踊り場から動こうとしなかった
夕方の風に髪がなびいてポカンと空いた口に入りそうだ
「俺………司に好きだって言った……」
「え?」
クルッと振り返ったシュウの顔は眉を下げて困ったように笑っていた
「なんか…勢いでさ」
「勢いって………」
「ホントに勢い、俺を見ないし何回言っても「速水さん」だし………こっちを向いて欲しくて」
それだけ?どれだけ?意味は?軽くパニックを起こした頭は言いたい事聞きたい事を中々整理してくれない
「好きってどういう意味で?」
「さぁ?俺にも分かんないよ」
「神崎さんは何て?…」
「それもよくわかんない………」
じゃあ……チューじゃないキスの相手ってやっぱり神崎?
シュウがここまで猪突猛進…………暴走型とは思わなかった、モテるくせに恋愛事には無関心で誰の物にもならない事に安心していた
「アキ………靴片付けよう」
「え?ああ……そうだな」
何だ、その切ない顔は……
こんなに色っぽかったっけ?と頬をつねりたくなる
シュウは……今まで触れたことのない最前線の仕事場と同い年なのに大人で優秀なデザイナーの神崎に憧れを抱いて真っ直ぐであけすけ無い感情表現をしているだけだ
………きっと………
だって神崎と会ってからまだほんの数日、しかも同性……シュウは深く考えてない
それに神崎がシュウを相手にするわけがない………仁がいるんだから
車が走り去った方向に目をやるともう日が落ちて空は濃紺に変わりつつあった、低い位置に三日月がポッカリ浮いて、弧を描くその形は空に笑われているようだ
収まらない独占欲を表に出してはいけない
「シュウ……待てよ……」
もう事務所の床に座り込んで靴を並べているシュウを追って中に入った
外から漏れ聞こえた仁と神崎の会話の中に間違いなく「秋人」が入っていた
二人の間で何か揉めている原因に自分がいる、つまり漏れ聞こえた話は全部俺の事?
突然事務所に入って来た仁に神崎は口も聞けないほど驚いていた、仁が帰ってくる事を知らなかったのは間違いない
神崎とチュー………いや………キスをした事を仁が知っているわけもなく、二人の間で話題の中心になるような覚えは何もない
真っ白にカビてしまった高そうなウィングチップの革靴をノロノロと磨いていると心配そうな目を向ける秋山に気付いた
「結構時間がかかるな…腹減った………」
「うん………何か食べに行く?」
「コンビニで買ってこよう、時間が惜しい」
「うん………」
仁と神崎が帰ってからもう二時間は過ぎている
今頃二人が何をしているのかと想像すると寒気がして身震いした
分からないけど………分からないけど冗談やからかうつもりで言ったんじゃないと思う
神崎は目を合わそうとしてくれなかった………
それが一番悔しかった
「何しに帰ってきたんだよ」
「あっちに行ったのも仕事、帰ってきたのも仕事だ」
仁は神崎の部屋に着くなり冷蔵庫を開けて顔をしかめた
トマトは形を無くすくらい崩れ、パックの牛肉は真っ黒に傷んでいる、牛乳はとっくに賞味期限が切れここでまともに食事を取った形跡はなかった
「神崎………お前痩せただろ」
「仁が考えもなしに目茶苦茶仕事を入れるから寝る暇も食べる暇も無かったんだよ」
「それだけならいいけどな」
チラっと寄越した視線の中には山程の言いたい事が詰まっていた
「まだその話する気か、秋人にはもう事務所に来るなと言ってある、それでいいだろ」
バアンっと冷蔵庫を閉めるドアの音に不満を込め、返事の代わりにして戸棚から出したフライパンを温めだした
何か作るつもりらしい
「俺は今から飲みに出るから何も食わない、どうせ仁は寝てないだろ、風呂入って寝ろよ」
仁は海外に出ると帰る前に必ず一晩寝ないで時差ボケを調節しようとする、帰ってすぐに仕事が出来るように体を管理している様はプロなんだと毎回感心させられるが、それでも狂った体内時計は中々元に戻らず結局丸2日は寝ようとしない
「食わせるし行かせない」
「食わないし行く……」
神崎の言葉は聞く気もないらしく仁はレンジに凍った米を放り込んでタバコに火を付け、一口吸ってから…………あっ、と慌ててもみ消した
神崎の部屋では煙草を吸わない、たまにやって来て好き勝手に振る舞うのはいい………というより慣れたがそれだけは守ってもらった
黙ってベランダを指差すと自分用に置いてある灰皿を持ってドカドカと足音を立て出ていった
やっと仁の目から逃れ、これだけはやっておかなければ………急いで携帯を手に取った
あの型にはまらないやんちゃ坊主(?)は何をしでかすか分からない
ーーー絶対に事務所に近寄るな、今度は絶対守れ!こっちから連絡するまで大人しくしてろ絶対だぞ
……………もう一通、
ーーー速水さんを見張ってろ、頼むぞ
秋人と秋山に短い文章を送り、会社に置いてきてしまった財布の代わりにいつもストックしてある万札を引き出しから出してポケットに突っ込んだ
「何をしている………」
パタンッとベランダのガラス戸が締る音がして振り返ると、もう煙草を吸い終わった仁がリビングのテーブルに灰皿を置き腕組みをしていた
「…………早いな、今ベランダに出たばかりだろう」
「フライパンを火にかけてるんだよ」
「いらないから……」
「無理、食わす」
「食わない俺は出る」
「行かせないって言った筈だ」
「…………………」
「…………………」
「放っといてくれ!!!」
「放っとけるか!!!」
「うるせえ!!」
静かに静かに進んだお互い感情を押し殺した会話が突然爆発した、言いたい事を吐き出すとうしろめたい気持ちがバレてしまいそうで顔を突き合わせているのは嫌だった
「行かせないってなんだよ、変な干渉するなら帰れ!」
「お前が真っ当なら俺だって放っとくよ」
「俺行くから」
………もう強硬突破だ、玄関に向かうとドカッと背中を蹴飛ばされ、つんのめってころびそうになった、いくら何でも仁に手出しはできない上に何度か乱闘するうちに仁は格闘スキルを上げている、思わず床に手をつくと背中に膝を置かれベチャッと潰れてしまった
「退けよ!」
「なんだお前本当にヤリたかったのか」
「なんでそうなる!ヤリたくないから出るんだよ!」
「無理すんな、素直じゃないな」
「相変わらず馬鹿だな!話を聞けよ!ちょっと!仁!」
背中からノシっと被さる仁は重い、話すトーンをささやき声に変え、襟足に生暖かい柔らかい物が押し付けられると本格的にジタバタ暴れた
「クソ重いな……身体に鉛でも仕込んでんのかよ……」
「筋肉は重いんだよ、お前は最近サボってるだろ」
「暇がない!こら!」
よりによって今日は服を構う暇がなかったせいでヘビーローテーションの末、縮んで丈の短くなったポロシャツだった
手をバタバタすると腹が丸出しになり仁の手は難なく侵入してきた
冗談じゃない、セックスすると宣言した後本当にするなんてあっちもこっちも後ろめたさ倍増でどことも目を合わせにくくなる
「わかったから!わかったから一旦離せって」
腕に渾身の力を込めて抑えられた首を持ち上げると脇腹を混ぜ返す仁の手を掴むとぴたっと動きが止まった
「………ここってお前がハルにのしかかってた場所だな」
「え?」
「俺が踏み込んだらここで押し倒していた」
「…………何だよ……今頃…」
「その後あっちで腕相撲して……ハルはニヤニヤ面白そうに笑ってた」
「やめろって……」
仁は神崎の背中に馬乗りになったまま体を起こし、心臓を握りつぶそうとでもしているように胸を圧迫して、残酷な思い出話を何のつもりかは分からないが突然話し始めた
全然色褪せない春人の残像がそこここに散らばり、どうしても引っ越し出来ないこのマンションで仁も三人でいた時間を共有している
「お前が飛び出した後俺はハルに滅茶苦茶怒られたんだぞ、あんなに怒った顔はあんまり見た事なかったな」
「やめろ………………」
「…………あいつは怒るといつもブスッと黙るだけだったから…………」
今突っ伏しているこの場所は春人と「初めて」が始まった場所でもある、狭いベッドは乱闘気味に抱き合ったせいで青あざがあちこちに出来ていた
初めての後は立てなくなって…………
文句を言いながら眉を下げて笑っていた………
「…………っ………やめてくれ…………」
「………お前未だにそんなんであいつを側に置いてどうするつもりだったんだ」
「似てない………秋人は全然違う………そんなんじゃ………ないんだ………」
「お前あいつとなんかあったな?」
「……………」
イエスともノーとも言えない
訳の分からない猛攻の末に押し切られ、スルッと心に入って来た秋人は……
代わりなんかじゃなかった
跳ねるような軽い足取り、ささやき声はまるでそのもの…………その姿にまごつかされる事はどうしてもあるが、中身は似ても似つかない
仁だって表面には出さないがまだまだ……恐らく永遠に乗り越えることなんて出来ない、秋人が側でチョロチョロするなんて耐えられないだろう
…………もう給料を渡せば会う事も無くなる
それでいい…………その方がいい……
「仁………やっぱり………やろう………」
「何だよ今更………」
「一回出せばよく眠れるんじゃないか?」
スルッと緩んだ背中の圧が暖かい仁の胸に取って代わり優しいキスが耳の裏に落ちてきた
「二、三回はいるな………」
「冗談……言うな……」
立ち上がった仁に手を出すと体は軽々と引っ張り上がり、開けっ放しになっていた寝室に背中を押された、明かりはつけないでいい、柔らかい電光色がリビングから漏れ出て仁の姿をグラビアのように浮き立たせている
「相変わらず作り物みたいだな、いつ見てもCGなんじゃないかって目を疑うよ」
「…………作り物じゃないってお前はよく知ってるじゃないか………」
二人分の体重が乗ったマットレスのスプリングがギギ………と小さく抗議の声を上げ、這い寄ってきた仁の腕が頭を包んで体重がかかってきた
ベッドに座りチビたポロシャツに手をかけると十字に回した腕が取られ、手のひらにチュッとキスをした
仁は色っぽい、男にときめく癖はない筈だがその顔には誰だって落ちるだろう
「自分で脱ぐな、俺が脱がせる」
「…………変態…………」
「変態上等……………服の中に手を突っ込むのが好きなんだよ」
長い体を折って狭いポロシャツの首元に、薄いくせに弾力のある唇が滑ると首筋にかかる仁の熱い吐息がほんのり香る香水と混じり、体から力を奪っていった
トスン…………と背中がベッドに着くとスルリと服の隙間から入り込んだ手が素肌を這いまわり、気持ちよくて眠ってしまいたくなる………そのうち無理になるが…………
仁の手付きはとにかく柔らかい、特別な何かをしてくるわけでも無く単調に触れてくる、良い所でずっと高止まりして波がない分耐え難い高揚感を連れてくる
何が何でも出したくない変な声が漏れ出てしまう
「どのコースがいい?」
「何だよ………それ……………っ……」
チリチリと金属製のファスナーが立てる引っ掻くような音がしてモゾリと手が入って来た、そこは体が覚えている甘美な記憶に早くも芯を持っていた
「アンアン言いたいかって聞いてるんだ」
「やめろ………普通コースでいいから……」
いつの間にか手にしていた……コンドームをパクっと口に咥え、チャックを緩めただけのズボンの中に差し込まれていた手がもうキツくなっていたそれを掬い出し下腹に綺麗な顔が伏せられた
「………何でいつもそれを身につけてんだよ」
「常備は当然だと前に言ったろう」
「普通ないから……間違えてうっかり変な所で出て来たらどうするんだよ」
「別にどうもしない」
仁はベッドを汚す事を嫌い、必ずコンドームを出して来るが、いつ何時突然始まってもポケットに忍ばせている……………普段の生活が忍ばれる
口の中の体温は高い、熱くて湿った感触が嬲られた下半身を包むともう何も考えられなくなる
口に挟まれ先っちょに膜が張られたのは分かるがそのまま先を細くした舌がヌラヌラ這い回り仁は顔を上げない、襟元まで伸ばされカールした髪がモソモソ動いて内股を擦る
「仁………長い……」
「このまま一回いけ……」
「え?…やだよ……口に出すなんて………う……ぁ…」
天下の仁にこんな事をやらせておいて抗議するのも変な話だが、仁とのセックスはひたすら奉仕される側になってしまう
こっちから何かしようしとてもその暇を与えてくれない、ただ相手が仁じゃなくても口の中に出すのは妙な罪悪感と背徳感に苛まれできるならやりたくない
「…………っ!……」
繊細な指と深く包まれた異様に熱を持った狭い口腔に硬くなった芯を揺らされると堪らない、ズルッ……ズル………と湿り気のある吸引音がする度にもう解放してしまいたくなるが………それは………嫌だ
「………ハッ…………あ………」
起き上がりたいがいつの間にか足が浮かされていてそうもいかなかった、仁の手は緩いがその支配力にはまるで逆らえない、耐えに耐えたが既に限界まで昇り詰めていた
すがるように掴んだシーツがクシャクシャに寄っている
「やめ………もう………」
形に沿って深い場所から吸い上げられ手の圧が強まり堪らず腰が浮いた
「しまった………取れてた………」
「ぅう…………クソ………」
にゅっと頭を越して枕元に置いてあるティッシュに口の中にたっぷり注いでしまった精液を吐き出し、ペットボトルを口にすると喉仏が上下に動いて口から洩れた水が顎を伝っていく
水は仁が勝手に揃えいつも数本枕元に置いてある
「一回目な………」
ペロッと口の周りを舐めてニヤつく仁はまだキッチリ服を着たままで髪も乱してない、一人だけ悶絶してそれがいやに恥ずかしい
「気持ちが………萎えた………」
「これからだ、三回はイカしてやる」
着たままのポロシャツは既に汗に濡れ背中が冷たい
「やるのはいいけどヤラれるのは………気持ち悪い………」
「しっかりイッてしっかり寝ろ、疲れた顔を見せるなよ、俺は忙しいんだ」
「だから放っておいていいって、俺は若いんだ体力はまだまだあるんだよ」
「自覚出来てないくせに………」
仁には強烈に揺さぶれる事はあまりない、覚えがあるのは一回だけ、秋人を見つけてしまった頃…………
その時以来一回も甘い吐息以外の声を聞いた事がない
出るのはこっちばかり………
「ハァ…………あ…………っ………」
背中に感じる仁の裸の胸がゆっくり上下している
下半身を圧倒する仁のそれが浅い場所から奥にズルっと進むとどこから湧いてくるのか分からない恍惚の刺激に目がチカチカして開けていられない
背中から回された腕が胸に絡み肋骨から下腹………その下に辿り着くと声を抑える事が出来なくなっていた
ヌラっと押し出される腹の内側はそこに何があるのかは分からないが躰が震える程の快感が走り擦れる度にイキそうになる
「んぁ!……あ……っ………」
「いい声………出すなようになったな………」
「………う……るさい………あ……ぅ……」
仁はいつも口に指を突っ込んでくる
歯を食いしばる事も出来ずに…………
結局アンアン言わされる羽目になった………
落ちたのか眠ったのかわからないが気が付いたら仁が隣で寝息を立てていた、枕に顔を押しつけて眠る姿は、びっくりするほど長い睫毛が目立ち裸の肩がむき出しになっている
「寝不足はそっちじゃないか………」
どうせ大きな音を立てても仁は自分で目覚めるまで起きないが、それでもそうっと起き出してリビングに出ると外はまだ暗い
昼から何も口にしていないが空腹の自覚はなかった
シャワーを浴びてから昼間に出来なかった仕事、資料がなくても進められる缶コーヒーのイメージ展開だけでもやっておこうとMacbookを立ち上げた
毛羽立っている
触るとチクチクする
「痛て…………」
撫でると本当に棘が刺さった
木造のダビデも………沈み込んだ気持ちも………ささくれ立ってケバケバしている
シュウの爆弾宣言は色んな理由を付け頑張って否定してみたが、ジリジリと心を侵食してその事しか考えられない、ちょっとは丸くなるだろうかと紙やすりでダビデの顔を滑らかにしていた
「なあ………アキ…………」
朝からアトリエにやって来て一言も話さずスマホをずっと眺めていたシュウがボソッと口をきいた
今日はここにやって来て話をしたのは初めてかもしれない
スマホの画面に昨日神崎から届いたやけに「絶対」の文字が多い文面が、繰り返し映し出されている事は知っていた、多分新たな着信を待っている
「事務所には行けないぞ、理由は分からないけど神崎さんに迷惑をかける」
「わかってるよ………」
尋常じゃなかった昨日の仁と神崎………事務所に来るなと連絡が来て実はホッとしている、どんな顔をしていいかわからないし、シュウが神崎に会うのも阻止出来る
「あれからあの二人どうしたかな………」
何も考えないで言ってしまってから顔がカァッと熱くなった、まさか本当に?想像も出来ない
しかし昨日はほんの目の前でセクシャルな交わりを見ている
「アキは………セックス……ってやった事ある?」
スパーンとダビデに手刀が入り、一回折れてくっつけていた首が嘘みたいに綺麗に飛んだ
「ああ!………しまった!」
シュウの顔をした木の塊がゴンッと床に跳ね半分寝そべるように座っていたシュウの足元に転がって止まった
投げ出されたナイキの靴底にコロンコロンとついては離れついては離れ…………揺れる木片を目で追いかけて………
折り曲げた細い足…………その…………根本………………
デニムの腰からパンツのゴムがはみ出ている、Tシャツは薄く肌に張り付いてポツンと小さな突起が分かる
足の先から首元まで舐めるように見てしまい、コクンッと唾を飲み込んだ、多分俺の視線は視姦に近い………
「なあ……………ある?……」
「何を……………」
言いかけてハタと気付いた………これは………もしかして一連の謎の行動………キスも、触ってみてくれと言ったのも神崎を思い浮かべての予行演習だったのか?
経験を積んで神崎に挑もうとでも言いたいのか………
「何でそんな事聞くんだよ」
「俺やったことないからさ………どんなかな……って」
やっぱり………
もう痛いほどシュウを欲してる、この汚い肉欲を解放出来たらと毎日思ってる、嫌がっても押さえつけて抱きしめて滅茶苦茶にそのしなやかな体を蹂躙する
………そんな妄想が頭をついて離れない
真っ直ぐ見てくるシュウの眼差しは、色浴に曇った目には小悪魔が計算済みで誘っているように見えてしまう、シュウは昨日の仁が言った事を頭に思い浮かべ、何も考えないで思った事を口にしているだけだと分かってる
「いい加減にしろよ……そんな簡単な事じゃないだろう」
「だよな………男同士ってさすがにアキだってハードル高いよな」
「………高くないよ」
厳重に密封していた筈………しかも今締め直したばかりの心がポロンとほつれた
そこまでシュウの中では問題外の場所に置かれていたなんて………痛くて痛くて胸が潰れてしまいそうだった
「何だよ………そんな変な顔して……もしかして今笑ってる?」
「真剣な顔してます」
「わかんねえよ」
ここは大きなホールになっている学校のアトリエだ
小さく区切ってダンボールが積み上がってはいるが誰にでも見えるしドアにも近い
そんな事は構わなかった
投げ出された足元にトンっと膝を置くと、明るすぎる白い蛍光灯がシュウの顔に影を作った
「分かって欲しい………」
「何を?」
ポカンと口を開けて見上げる瞳がどこを向いていてもいい、背中で座るシュウの横に腕を付いて唇と唇の先を擦るとシュウの目が丸まった
「何?」
「セックスって………どんな物か知りたいんだろ?……」
ダンスを踊ると……額から流れ落ちた汗が綺麗に切れ込んだ顎の線を伝い、胸元に吸い込まれていった
その水滴はきっと鎖骨を這い裸の胸をなぞって行った
一番触ってみたかった場所………喉元に口を付けた
「ひゃはははくすぐったい!アキ!こら!」
負けない………負けないぞ自分で誘ったんだ、身を捩らせて逃げようとする体を追いかけて耳たぶをパクっと口に挟んだ
「うひゃ!ハハハ」
「うぐっ!!」
四つん這いで被さっていたみぞおちに、反射的体を丸めたシュウの膝がガスンと入り、崩れ落ちてしまったのはシュウの体の上、どうやって手を置こうかと迷っていたので丁度いい、このまま押さえつけてもっと深いチューをしてやる
「くすぐったいって!アキ!ひゃはは」
ムチューっと唇を突き出してもうちょっとで辿り着く前にポケットの携帯から陽気な着信音が鳴り響いた
「……………」
「アキ!電話……」
「いいよ、放っておけば……」
「出ろよ、それから退け!」
携帯の着信というのはどうしてこうも拘束力があるのか、急かすように鳴り響くマンドリンが無視することを許してくれない
勢いが削がれてしまってはもう戻れない、画面を見ないでヤケクソに電話に出た
「はい!!………あっ!……は……い………いえ…」
「……え?……わかりました………」
プツンっと無音になった携帯をポケットに差し込み………
さあ………どうしよう
シュウの顔を見れなくなった
「シュウ………俺………三石……そう三石から呼び出されて、仕事の話があるって言われてな」
「ふうん………」
「うん……ちょっと話しに行ってくるから待ってて」
「行ってくれば?」
下手な言い訳が通じたのかは分からないがシュウはまた携帯を手に取って目を落とした、ラインに新たなメッセージが来ていないかと待ってるんだ、朝からずっと同じ事を繰り返している
「すぐ戻るから………」
フロアを出てからホールの中のシュウを振り返るとそのまま床に寝転んでいる姿が見えた
後ろめたいが仕方がない
電話は神崎からだった、側にシュウがいるか聞かれ、いるなら撒いて大学の門まで一人で来てくれと言われた
門までは遠い、敷地いっぱいに増殖した大学は無用と思える無駄な施設がアチコチに点在して歩いて20分はかかる
バスケのコートを過ぎると門の影に立つ神崎の姿が目に入った
随分待たせている、走り寄ろうと足を踏み出すとタンッと地面を踏む音がして真横から影が追い抜いて行った
「シュウ?!」
走るシュウには追いつけない、何故あんなに足が軽く回るのか不思議だった
「司!!!」
FACTにいるとシュウは小柄だが一般的に見ると細いとはいえ一応普通の男並の規格はある
走る勢いそのままに飛びついて受け止めた神崎の足が後ろによろめき門柱に助けられて転ぶのを防いだ
走りかけた足は止まっていた
抱きついたまま顔を上げて何か話している二人を見るとただ痛かっただけの胸が今は苦しい
ただの曲がった性欲だと思っていた
………そう思おうとしていた、男が好きなんてあり得ないと必死で否定してたそのツケがこれだ
神崎の腕はシュウの腰に回っている、自分には許されなかった体への接触を神崎は楽々乗り越えてしまった
何か行動していていても駄目だったかもしれないが、何もしなかった………チャンスは何度もあったのに………
思えば神崎とシュウは出会った瞬間から真ん中に磁石が置かれたように引き寄らせられていった
それを見ていたのに………気付いていたのに馬鹿な常識とプライドが行動を押しとどめていた
横をすり抜けていったシュウが目に入った時に初めて自覚した
シュウが………好きだ
「お待たせしてすいませんでした………それから………」
いつの間にか付けてきていたシュウに視線を落とすと、その意味を悟った神崎の顔が苦そうに笑った
「無理だったらしいな、変な事を頼んで悪かった」
「俺をまた無視しようとしたんだろ、そうは行くか」
トンっと前に置き直すように体を押しやられたシュウは、頭突きでもかます勢いでドカンと神崎の胸に戻り、離れてやるもんかと歯を向いた
「速水さん、これ」
体を離せと言わない代わりに茶色い封筒を手の前に出して見せた
「何?これ?」
「今までの給料」
「何だよ……」
シュウは受け取ろうとせずに神崎を睨みつけプイッと後ろを向いてしまった
秋人への支払いはFACTから出すわけにはいかない
神崎は大学に来る途中にコンビニで自分の口座からお金を下ろして持ってきていた
「何で駄目なのか理由を言えよ、俺は何なの?」
「元々キャリアのある人を雇う計画なんだ、面接する暇が無かったから速水さんに手伝って貰ってただけでこれから大きな仕事が始まるからもう無理だろ?」
「仁があんなに怒る理由になってない」
「…………仁は………怒ってないよ、あいつはいちいち動きが派手なだけだ」
神崎の言い訳はおかしい、確かに仁の動きは何かと雑でドカドカ音を立てるが昨日は滅茶苦茶怒っていた
それは秋山にだって分かる
「事務所に行っちゃ駄目でも外で会えるよな」
「それは………」
言いかけた神崎の口から次の言葉が出る前に胸のポケットから携帯が振動し始めた
「それは出来ないよ、何の理由で………」
一度画面をチラッと見た後そのまま切ってしまったが言葉を続ける間にまたブーブー音を鳴らしている
神崎はチッと舌打ちしてまた切った
「……理由もないし忙しいんだ」
「理由はあるよ、顔が見たいし話したい」
「俺には無い……」
またもや震えだした携帯に今度は無視を決め込んだ神崎を見ていると、秋山にも秋人にも何となくだが相手の予想が付いた
「司………昨日仁とセックスしたの?」
ブハッと口の中が爆発した、どうしてシュウはこう何でも直球しか投げられないのかもう分からない
人並みのデリカシーも遠慮も、一欠片も持ち合わせていない事にはびっくりする
「……………したよ……」
表情も変えずサラッと答えた神崎の首にクッキリ浮かび上がる赤いシミは…うわさに聞く多分………恐らく………きっと………あれだ……
キスマーク…………
わざと付けられたように目立つ場所にくっきり浮き出ている、ヒイッと悲鳴をあげそうになった
自分とシュウならよくて仁と神崎だと妙に恥ずかしいのはいやに生々しいからだ、さっきだって……本気ではあったがあのオープンなアトリエでは精々キスくらいしか進めない、本気だなんて考えている自分に笑ってしまう
「どこで?」
また直球………
神崎は答えないでフッと優しく笑い、受け取る事を拒否されたバイト代の封筒をシュウの代わりに渡してきた
「秋山……悪いけど後で速水さんに渡してくれ……給料を受け取るのも働くって事なんだから」
神崎はポンポンっと愛しそうにシュウの頭に手を落とし、体の向きを変えた
「司、俺を舐めんなよ」
「…………しっかり勉強してろ」
神崎はわざわざ大学までやって来て、秋山だけをコッソリ呼び出し秋人のバイト代を預けようとしていた、つまりもう二度と会うつもりがないのだろう
しつこく追い縋るかと思ったがシュウは後ろ姿の神崎に不気味な捨て台詞だけを投げて大人しく見送った
座席の前には厭味ったらしく"禁煙"と赤い文字で書かれたプレートが貼り付けられ、いいですか?と声をかける前に挫かれた
後一時間は我慢するしかない………
事務所に帰り着き、ドアを開けるとクローゼットに詰まっている筈の靴箱が山程積まれて足の踏み場もない
「何だこりゃ…………ったく……」
散らかっているのは大嫌いだった
エイッと跨ぐとついでに誰かの頭も越してしまったが別にいい…………
取り敢えずタバコとコーヒー………
口に咥えたマルボロの先にライターで火を付けると並んでいる醤油やお酢の小口差しがバラバラ色んな方向を向いているのが目に入った、こんな事が気になるのは自分だけなのだがどうしてちゃんと並べないのか……と綺麗に揃えた
飛行機を降りて直ぐに携帯の電源は入れたが中はまだ見ていなかった、画面を点灯してメールと不在着信だけをチェックして急ぎのリターンだけでも時間がかかりそうでげんなりした
すぅっと深くケムリを吸い込んで靴で埋もれたフロアに目を移すと………………
口があんぐり開いて閉まらなくなり
ポロンと口から落ちたタバコが床に火花を散らした
「仁………………何で………」
机から半分立ち上がり驚愕に目を丸くした神崎が口の中で小さく呟き………固まっていた
事務所にいた三人の視線は勿論一点に集中していたが、 仁はそこにある信じられない何か………見てはいけないものから逃げるようにゆっくり視線を巡らせ………
神崎に止めた
「神崎ぃっっ!!!」
「逃げろ!!」
腹の底に響くドスの効いた声で仁が怒鳴ると同時に、誰に言ったのか神崎自身が靴箱を飛び越えて事務所を飛び出ていった
「待て!!こら!!貴様!!」
長い足を振り上げバアンっと靴を蹴散らして仁も後を追って出ていってしまった
「……………………」
「……………………」
「…………何だあれ?ビックリした……」
「今の………仁だよな………」
乱暴に開け閉めされたドアは蹴り出された靴が挟まって、締まりきらず風に揺れてガタンガタン音を立てていた
訳の分からない突然の逃走劇に、秋山も秋人も手が宙で止まったまま呆気に取られ呆然としていた
「どうしてここに仁が?」
「あ…………言ってなかったけどここは仁の事務所なんだ、神崎さんのボスでもある………らしい……」
「え?そうなの?」
「うん………黙っててごめん」
そう言えば初めて神崎と会った大学でも二人は一緒にいた、今度知り合いなのか聞いてみようと思っていたが………
「今………逃げろって司が言わなかったか?」
「その前に自分が逃げちゃったけど……」
「仁ってそんなに怖い人?」
「そんな事は無いと思うけど俺もまだよく知らないからな………あの二人は何か色々ややこしいらしい」
怖いと言えば秋山にとっては色んな意味で怖いが秋人が思う意味じゃない、仁は大きくて大人で優しい………時たま乱暴で雑でお節介…………
……大人は取り消し………短い間に二回も乱闘を見せられた
「逃げといた方がいいのかな」
「大丈夫だよ、帰ってくるのを待とう、靴を片付けないと神崎さんがきっと困るよ」
最初は散らかっていると言っても一応は靴が箱に収まり積み上げられていたが今は崩れて靴もバラバラに飛び出し酷い状態だった
「中身と箱を一致させるのが大変そうだな………」
「うん靴探しからだな」
靴を磨く係と箱を探してしまう係に分けて飛び出していった二人………どちらかでも帰りを待つことにして二人で黙々と手を動かした
30分程経った頃だろうか、階段を登りながら口喧嘩している声が聞こえてきた
「あ………帰ってきたかな?」
事務所に帰り着いてからやればいいのに馬鹿みたいな大声は二人揃っている事を知らせていた
「シッ!!アキ隠れよう………」
「え?え?シュウ?」
問答無用でクローゼットの空いた隙間に押し込まれ、隣にくっついて身を潜めたシュウに体が密着して焦った、言われるまま隠れてしまったがこの後どうしたらいいんだ
「シュウ?…あの…」
「シイ!」
声をかけようとするとバチンとビンタに近い勢いで口を塞がれた、シュウの顔は何故か強張り、珍しく警戒したような表情を浮かべていた
漏れ聞こえた話し声は段々近くなってバァンッとドアが壊れてしまうんじゃないかと思うような音がして部屋中の空気を揺らした
「…………だから偶然だって…言ってるだろ……」
「ふざけんな」
「ふざけてない……俺だって腰が抜けるほどビックリしたんだ」
猫のように襟を吊られまだジタバタしている神崎と口の端にタバコを咥えた仁がクローゼットの隙間から見えた、これではただの盗み聞きだ、見つからないかとヒヤヒヤしながら隠れた事を物凄く後悔した
「30のくせにどんだけ体力あるんだよ」
「隣の駅が見えるまで逃げるなんてお前も往生際が悪い、どうせ逃げたって同じだろ」
「同じなら追いかけて来るなよ、目茶苦茶目立ってたぞ」
仁は部屋の中を見回してフンッと鼻を鳴らした
「あいつらお前の言う通り逃げたらしいな、ちゃんと躾が済んでるなんて確信犯だろ」
「躾って………別に俺はこっそりしてるつもりはない」
「よく言うな……」
「仁………俺忙しいんだ………話はまた明日………わっ!!」
神崎を放り投げるように壁に投げ出し、詰め寄っているのは分かるがその位置はクローゼットからあまりよく見えなかった
「お前ハルを侮辱する気か………」
「…………そんなんじゃ……ない……」
「だから一緒にフランスに来いって言ったんだ」
「二ヶ月………って言ってなかったか?」
「誰がずっとって言った?」
低い声でボソボソと続く会話は聞こえてはいるが頭に入って来ない、時間が経つほど出て行きにくく、もうどうしていいかも分からない、隣のシュウは食い入るように前だけを見つめて身を乗り出している
クローゼットからはみ出しそうでハラハラした
シュウが黙ってこんな顔をすると普段は意図的に隠しているんじゃないかと疑いたくなるようなクレバーで冷静そうな別人格が現れる、いかにも何か深い考えがあって頭の中で状況を分析しているように見える
ちょっと不思議な側面を持っていた
「自分が何をしているか分かってるんだろうな」
「だから違うって、仁もよく見てみろよ全然違うから」
「どの口がそんな事を言ってる、俺はずっとお前を見てきてるんだぞ」
「………そうだけど…………」
その後は暫く声が小さくくぐもって何を言っているのか聞き取れない、シュウが益々身を乗り出して壁際の二人を覗き込もうとするので体を肩の前に入れて押し戻した
「……後にしないか?…コーヒーが入ってる、ちょっと落ち着いてから………」
「俺は冷静だ、おかしいのはお前だろう」
「後にしてくれ、俺は仕事するから……」
ダンッと……硬い靴の音をさせて仁を押しのけようとした神崎の横に長い足が柵を作った
「寂しいんなら寂しいって言え」
「ちょっ!………やめろったら………仁……嫌だって……やめ……」
「………っ…………」
「……………」
秋山は自分でも顔がサァっと青ざめるのが分かった
どうしよう……どうしよう………どうしよう……
いよいよ見つかるわけにはいかなくなってきた
間違いない………
今そこで神崎と仁は……チューじゃないキスをしている
二人の間で交わされているキスは仁のいつものおふざけじゃない、話声が途切れ、音を無くした部屋の中で息づかいと衣擦れ、淫靡な……………クチャ…と口を開けたまま物を食べるような音が聞こえてくる
聞いたらマズいだろうが今は全身が耳に変身したように全神経が集中している
そのせいかスクッと立ち上がったシュウが足を踏み出すまで気が付かなかった
!!!
待て待て待て待て
こんな場面に出て行こうとするなんてあり得ない
声を抑え、必死で堪えシュウの腰につかまったが遅かった
シュウはわざと音を立てるようにクローゼットの扉をガラッと押しやった
「司を放せ」
シュウにしがみついたままクローゼットから引きずり出されて、ヒェェと蚊の鳴くような悲鳴が口から漏れた、あまりの気まずさに心臓と尻の穴がキュッと縮み多分ちょっと涙も出ていた
「おい……シュウ……やめろって」
何が冷静だ、そう見えていたのは全くの気のせいだった
「司を離せって言ってんだ、嫌だって言っただろ!」
全部は見えて無かったが予想通り神崎に覆いかぶさっていた仁は斜めに落としていた頭を起こして驚くこともなくゆっくり振り向いた、その表情は………
見た事ないくらい怖い………
大きな目にギロリと睨み付けられると強い眼光の迫力は半端ない、眼力でふっ飛ばされそうだ
………仁はやっぱり役者に向いている
……なんて呑気に感心している場合じゃなかった
「すいません!俺が悪いんです、今すぐ出ていきますから!」
続きをどうぞ………とは言えないがシュウを引っ張るとバシンッと腕を払われた
真剣なシュウは珍しいが怒っているシュウはもっと珍しい
「何だよ………まだいたのか、ここで何をしている」
「靴磨きだよ悪いか!」
「秋山、お前ここで何をしている、そんな暇あるのか?モタモタしているとレア物で売り出して脱がすぞ」
「はい……あの…」
どうすればいいんだ………この雰囲気………
仁の眉間にはこれ以上無理なくらい凶悪な皺が刻まれ、噛み付いたシュウの事は目に入らないとでも言いたげに無視している、当の神崎は目を伏せて顔を上げない
「司!何してるんだよこっち来い!」
「司……………ね」
仁がシュウの"司"呼びにピクッと反応したがそれでも視線は神崎に戻りシュウを見ようとはしなかった
「おい神崎行くぞ」
「俺は仕事があるんだ………無理だよ」
「うるせえ、そんなもん全部キャンセルしろ」
「馬鹿言うなFACTと俺が信頼無くして業界追い出されるぞ」
「別に構わない」
「構うだろ、俺はデザインの仕事しか出来ないんだから」
デザイン業は「水商売」と同じである、原価のないものに値段を付ける、同じものでもそれぞれの事情や立場で値段が変わる、信頼関係以上に大切な物は無い
「今はそんな事より大事なもんがあるだろう、秋山、靴はいいから帰れ、鍵締めとけよ」
仁にトンッと背中を押され、出口に促されると神崎は信じられないくらい素直に従った
ノロノロと仁に引っ張られながら進み、目の前を通り過ぎる時も顔を上げようとはしなかった
「司!どこ行くんだよ!こっち見ろよ」
「今から"司"の部屋でセックスするんだよ」
「セッ?………」
「仁!!やめろよ!」
黙ってろと神崎の口をぐいっと押しやって初めて秋人を見下ろした仁の目はまるでガラスで出来ているかと思う程表情がなかった
「見たいなら付いてきていいぞ」
「男同士で?………」
仁の顔が綺麗だからだろうか………
眉間の皺と釣り上がった眉はそのままなのに、口元だけがニヤリと歪むと人間ここまで意地悪そうな顔ができるものかとゾッとした
「お子ちゃまは黙ってろ」
「俺は司と同い年だよ」
「知ってるよ秋人くん………」
物凄く高い位置から綺麗にニッコリ笑ったが目は全然笑ってない
「何だよあんたも俺の事を覚えているんだな」
「……………俺はこう見えてアタマいいんだ」
いつの間に連絡したのか事務所前の道路にはタクシーが待機していた、ドンッと押しこまれるように乗り込んだ神崎の横に、スルリと滑り込んだ仁の長い体が車に消えて走り去って行った
「シュウ………さっきの………何?…………どういう事?」
シュウは走り去るタクシーをその車体が見えなくなっても階段の踊り場から動こうとしなかった
夕方の風に髪がなびいてポカンと空いた口に入りそうだ
「俺………司に好きだって言った……」
「え?」
クルッと振り返ったシュウの顔は眉を下げて困ったように笑っていた
「なんか…勢いでさ」
「勢いって………」
「ホントに勢い、俺を見ないし何回言っても「速水さん」だし………こっちを向いて欲しくて」
それだけ?どれだけ?意味は?軽くパニックを起こした頭は言いたい事聞きたい事を中々整理してくれない
「好きってどういう意味で?」
「さぁ?俺にも分かんないよ」
「神崎さんは何て?…」
「それもよくわかんない………」
じゃあ……チューじゃないキスの相手ってやっぱり神崎?
シュウがここまで猪突猛進…………暴走型とは思わなかった、モテるくせに恋愛事には無関心で誰の物にもならない事に安心していた
「アキ………靴片付けよう」
「え?ああ……そうだな」
何だ、その切ない顔は……
こんなに色っぽかったっけ?と頬をつねりたくなる
シュウは……今まで触れたことのない最前線の仕事場と同い年なのに大人で優秀なデザイナーの神崎に憧れを抱いて真っ直ぐであけすけ無い感情表現をしているだけだ
………きっと………
だって神崎と会ってからまだほんの数日、しかも同性……シュウは深く考えてない
それに神崎がシュウを相手にするわけがない………仁がいるんだから
車が走り去った方向に目をやるともう日が落ちて空は濃紺に変わりつつあった、低い位置に三日月がポッカリ浮いて、弧を描くその形は空に笑われているようだ
収まらない独占欲を表に出してはいけない
「シュウ……待てよ……」
もう事務所の床に座り込んで靴を並べているシュウを追って中に入った
外から漏れ聞こえた仁と神崎の会話の中に間違いなく「秋人」が入っていた
二人の間で何か揉めている原因に自分がいる、つまり漏れ聞こえた話は全部俺の事?
突然事務所に入って来た仁に神崎は口も聞けないほど驚いていた、仁が帰ってくる事を知らなかったのは間違いない
神崎とチュー………いや………キスをした事を仁が知っているわけもなく、二人の間で話題の中心になるような覚えは何もない
真っ白にカビてしまった高そうなウィングチップの革靴をノロノロと磨いていると心配そうな目を向ける秋山に気付いた
「結構時間がかかるな…腹減った………」
「うん………何か食べに行く?」
「コンビニで買ってこよう、時間が惜しい」
「うん………」
仁と神崎が帰ってからもう二時間は過ぎている
今頃二人が何をしているのかと想像すると寒気がして身震いした
分からないけど………分からないけど冗談やからかうつもりで言ったんじゃないと思う
神崎は目を合わそうとしてくれなかった………
それが一番悔しかった
「何しに帰ってきたんだよ」
「あっちに行ったのも仕事、帰ってきたのも仕事だ」
仁は神崎の部屋に着くなり冷蔵庫を開けて顔をしかめた
トマトは形を無くすくらい崩れ、パックの牛肉は真っ黒に傷んでいる、牛乳はとっくに賞味期限が切れここでまともに食事を取った形跡はなかった
「神崎………お前痩せただろ」
「仁が考えもなしに目茶苦茶仕事を入れるから寝る暇も食べる暇も無かったんだよ」
「それだけならいいけどな」
チラっと寄越した視線の中には山程の言いたい事が詰まっていた
「まだその話する気か、秋人にはもう事務所に来るなと言ってある、それでいいだろ」
バアンっと冷蔵庫を閉めるドアの音に不満を込め、返事の代わりにして戸棚から出したフライパンを温めだした
何か作るつもりらしい
「俺は今から飲みに出るから何も食わない、どうせ仁は寝てないだろ、風呂入って寝ろよ」
仁は海外に出ると帰る前に必ず一晩寝ないで時差ボケを調節しようとする、帰ってすぐに仕事が出来るように体を管理している様はプロなんだと毎回感心させられるが、それでも狂った体内時計は中々元に戻らず結局丸2日は寝ようとしない
「食わせるし行かせない」
「食わないし行く……」
神崎の言葉は聞く気もないらしく仁はレンジに凍った米を放り込んでタバコに火を付け、一口吸ってから…………あっ、と慌ててもみ消した
神崎の部屋では煙草を吸わない、たまにやって来て好き勝手に振る舞うのはいい………というより慣れたがそれだけは守ってもらった
黙ってベランダを指差すと自分用に置いてある灰皿を持ってドカドカと足音を立て出ていった
やっと仁の目から逃れ、これだけはやっておかなければ………急いで携帯を手に取った
あの型にはまらないやんちゃ坊主(?)は何をしでかすか分からない
ーーー絶対に事務所に近寄るな、今度は絶対守れ!こっちから連絡するまで大人しくしてろ絶対だぞ
……………もう一通、
ーーー速水さんを見張ってろ、頼むぞ
秋人と秋山に短い文章を送り、会社に置いてきてしまった財布の代わりにいつもストックしてある万札を引き出しから出してポケットに突っ込んだ
「何をしている………」
パタンッとベランダのガラス戸が締る音がして振り返ると、もう煙草を吸い終わった仁がリビングのテーブルに灰皿を置き腕組みをしていた
「…………早いな、今ベランダに出たばかりだろう」
「フライパンを火にかけてるんだよ」
「いらないから……」
「無理、食わす」
「食わない俺は出る」
「行かせないって言った筈だ」
「…………………」
「…………………」
「放っといてくれ!!!」
「放っとけるか!!!」
「うるせえ!!」
静かに静かに進んだお互い感情を押し殺した会話が突然爆発した、言いたい事を吐き出すとうしろめたい気持ちがバレてしまいそうで顔を突き合わせているのは嫌だった
「行かせないってなんだよ、変な干渉するなら帰れ!」
「お前が真っ当なら俺だって放っとくよ」
「俺行くから」
………もう強硬突破だ、玄関に向かうとドカッと背中を蹴飛ばされ、つんのめってころびそうになった、いくら何でも仁に手出しはできない上に何度か乱闘するうちに仁は格闘スキルを上げている、思わず床に手をつくと背中に膝を置かれベチャッと潰れてしまった
「退けよ!」
「なんだお前本当にヤリたかったのか」
「なんでそうなる!ヤリたくないから出るんだよ!」
「無理すんな、素直じゃないな」
「相変わらず馬鹿だな!話を聞けよ!ちょっと!仁!」
背中からノシっと被さる仁は重い、話すトーンをささやき声に変え、襟足に生暖かい柔らかい物が押し付けられると本格的にジタバタ暴れた
「クソ重いな……身体に鉛でも仕込んでんのかよ……」
「筋肉は重いんだよ、お前は最近サボってるだろ」
「暇がない!こら!」
よりによって今日は服を構う暇がなかったせいでヘビーローテーションの末、縮んで丈の短くなったポロシャツだった
手をバタバタすると腹が丸出しになり仁の手は難なく侵入してきた
冗談じゃない、セックスすると宣言した後本当にするなんてあっちもこっちも後ろめたさ倍増でどことも目を合わせにくくなる
「わかったから!わかったから一旦離せって」
腕に渾身の力を込めて抑えられた首を持ち上げると脇腹を混ぜ返す仁の手を掴むとぴたっと動きが止まった
「………ここってお前がハルにのしかかってた場所だな」
「え?」
「俺が踏み込んだらここで押し倒していた」
「…………何だよ……今頃…」
「その後あっちで腕相撲して……ハルはニヤニヤ面白そうに笑ってた」
「やめろって……」
仁は神崎の背中に馬乗りになったまま体を起こし、心臓を握りつぶそうとでもしているように胸を圧迫して、残酷な思い出話を何のつもりかは分からないが突然話し始めた
全然色褪せない春人の残像がそこここに散らばり、どうしても引っ越し出来ないこのマンションで仁も三人でいた時間を共有している
「お前が飛び出した後俺はハルに滅茶苦茶怒られたんだぞ、あんなに怒った顔はあんまり見た事なかったな」
「やめろ………………」
「…………あいつは怒るといつもブスッと黙るだけだったから…………」
今突っ伏しているこの場所は春人と「初めて」が始まった場所でもある、狭いベッドは乱闘気味に抱き合ったせいで青あざがあちこちに出来ていた
初めての後は立てなくなって…………
文句を言いながら眉を下げて笑っていた………
「…………っ………やめてくれ…………」
「………お前未だにそんなんであいつを側に置いてどうするつもりだったんだ」
「似てない………秋人は全然違う………そんなんじゃ………ないんだ………」
「お前あいつとなんかあったな?」
「……………」
イエスともノーとも言えない
訳の分からない猛攻の末に押し切られ、スルッと心に入って来た秋人は……
代わりなんかじゃなかった
跳ねるような軽い足取り、ささやき声はまるでそのもの…………その姿にまごつかされる事はどうしてもあるが、中身は似ても似つかない
仁だって表面には出さないがまだまだ……恐らく永遠に乗り越えることなんて出来ない、秋人が側でチョロチョロするなんて耐えられないだろう
…………もう給料を渡せば会う事も無くなる
それでいい…………その方がいい……
「仁………やっぱり………やろう………」
「何だよ今更………」
「一回出せばよく眠れるんじゃないか?」
スルッと緩んだ背中の圧が暖かい仁の胸に取って代わり優しいキスが耳の裏に落ちてきた
「二、三回はいるな………」
「冗談……言うな……」
立ち上がった仁に手を出すと体は軽々と引っ張り上がり、開けっ放しになっていた寝室に背中を押された、明かりはつけないでいい、柔らかい電光色がリビングから漏れ出て仁の姿をグラビアのように浮き立たせている
「相変わらず作り物みたいだな、いつ見てもCGなんじゃないかって目を疑うよ」
「…………作り物じゃないってお前はよく知ってるじゃないか………」
二人分の体重が乗ったマットレスのスプリングがギギ………と小さく抗議の声を上げ、這い寄ってきた仁の腕が頭を包んで体重がかかってきた
ベッドに座りチビたポロシャツに手をかけると十字に回した腕が取られ、手のひらにチュッとキスをした
仁は色っぽい、男にときめく癖はない筈だがその顔には誰だって落ちるだろう
「自分で脱ぐな、俺が脱がせる」
「…………変態…………」
「変態上等……………服の中に手を突っ込むのが好きなんだよ」
長い体を折って狭いポロシャツの首元に、薄いくせに弾力のある唇が滑ると首筋にかかる仁の熱い吐息がほんのり香る香水と混じり、体から力を奪っていった
トスン…………と背中がベッドに着くとスルリと服の隙間から入り込んだ手が素肌を這いまわり、気持ちよくて眠ってしまいたくなる………そのうち無理になるが…………
仁の手付きはとにかく柔らかい、特別な何かをしてくるわけでも無く単調に触れてくる、良い所でずっと高止まりして波がない分耐え難い高揚感を連れてくる
何が何でも出したくない変な声が漏れ出てしまう
「どのコースがいい?」
「何だよ………それ……………っ……」
チリチリと金属製のファスナーが立てる引っ掻くような音がしてモゾリと手が入って来た、そこは体が覚えている甘美な記憶に早くも芯を持っていた
「アンアン言いたいかって聞いてるんだ」
「やめろ………普通コースでいいから……」
いつの間にか手にしていた……コンドームをパクっと口に咥え、チャックを緩めただけのズボンの中に差し込まれていた手がもうキツくなっていたそれを掬い出し下腹に綺麗な顔が伏せられた
「………何でいつもそれを身につけてんだよ」
「常備は当然だと前に言ったろう」
「普通ないから……間違えてうっかり変な所で出て来たらどうするんだよ」
「別にどうもしない」
仁はベッドを汚す事を嫌い、必ずコンドームを出して来るが、いつ何時突然始まってもポケットに忍ばせている……………普段の生活が忍ばれる
口の中の体温は高い、熱くて湿った感触が嬲られた下半身を包むともう何も考えられなくなる
口に挟まれ先っちょに膜が張られたのは分かるがそのまま先を細くした舌がヌラヌラ這い回り仁は顔を上げない、襟元まで伸ばされカールした髪がモソモソ動いて内股を擦る
「仁………長い……」
「このまま一回いけ……」
「え?…やだよ……口に出すなんて………う……ぁ…」
天下の仁にこんな事をやらせておいて抗議するのも変な話だが、仁とのセックスはひたすら奉仕される側になってしまう
こっちから何かしようしとてもその暇を与えてくれない、ただ相手が仁じゃなくても口の中に出すのは妙な罪悪感と背徳感に苛まれできるならやりたくない
「…………っ!……」
繊細な指と深く包まれた異様に熱を持った狭い口腔に硬くなった芯を揺らされると堪らない、ズルッ……ズル………と湿り気のある吸引音がする度にもう解放してしまいたくなるが………それは………嫌だ
「………ハッ…………あ………」
起き上がりたいがいつの間にか足が浮かされていてそうもいかなかった、仁の手は緩いがその支配力にはまるで逆らえない、耐えに耐えたが既に限界まで昇り詰めていた
すがるように掴んだシーツがクシャクシャに寄っている
「やめ………もう………」
形に沿って深い場所から吸い上げられ手の圧が強まり堪らず腰が浮いた
「しまった………取れてた………」
「ぅう…………クソ………」
にゅっと頭を越して枕元に置いてあるティッシュに口の中にたっぷり注いでしまった精液を吐き出し、ペットボトルを口にすると喉仏が上下に動いて口から洩れた水が顎を伝っていく
水は仁が勝手に揃えいつも数本枕元に置いてある
「一回目な………」
ペロッと口の周りを舐めてニヤつく仁はまだキッチリ服を着たままで髪も乱してない、一人だけ悶絶してそれがいやに恥ずかしい
「気持ちが………萎えた………」
「これからだ、三回はイカしてやる」
着たままのポロシャツは既に汗に濡れ背中が冷たい
「やるのはいいけどヤラれるのは………気持ち悪い………」
「しっかりイッてしっかり寝ろ、疲れた顔を見せるなよ、俺は忙しいんだ」
「だから放っておいていいって、俺は若いんだ体力はまだまだあるんだよ」
「自覚出来てないくせに………」
仁には強烈に揺さぶれる事はあまりない、覚えがあるのは一回だけ、秋人を見つけてしまった頃…………
その時以来一回も甘い吐息以外の声を聞いた事がない
出るのはこっちばかり………
「ハァ…………あ…………っ………」
背中に感じる仁の裸の胸がゆっくり上下している
下半身を圧倒する仁のそれが浅い場所から奥にズルっと進むとどこから湧いてくるのか分からない恍惚の刺激に目がチカチカして開けていられない
背中から回された腕が胸に絡み肋骨から下腹………その下に辿り着くと声を抑える事が出来なくなっていた
ヌラっと押し出される腹の内側はそこに何があるのかは分からないが躰が震える程の快感が走り擦れる度にイキそうになる
「んぁ!……あ……っ………」
「いい声………出すなようになったな………」
「………う……るさい………あ……ぅ……」
仁はいつも口に指を突っ込んでくる
歯を食いしばる事も出来ずに…………
結局アンアン言わされる羽目になった………
落ちたのか眠ったのかわからないが気が付いたら仁が隣で寝息を立てていた、枕に顔を押しつけて眠る姿は、びっくりするほど長い睫毛が目立ち裸の肩がむき出しになっている
「寝不足はそっちじゃないか………」
どうせ大きな音を立てても仁は自分で目覚めるまで起きないが、それでもそうっと起き出してリビングに出ると外はまだ暗い
昼から何も口にしていないが空腹の自覚はなかった
シャワーを浴びてから昼間に出来なかった仕事、資料がなくても進められる缶コーヒーのイメージ展開だけでもやっておこうとMacbookを立ち上げた
毛羽立っている
触るとチクチクする
「痛て…………」
撫でると本当に棘が刺さった
木造のダビデも………沈み込んだ気持ちも………ささくれ立ってケバケバしている
シュウの爆弾宣言は色んな理由を付け頑張って否定してみたが、ジリジリと心を侵食してその事しか考えられない、ちょっとは丸くなるだろうかと紙やすりでダビデの顔を滑らかにしていた
「なあ………アキ…………」
朝からアトリエにやって来て一言も話さずスマホをずっと眺めていたシュウがボソッと口をきいた
今日はここにやって来て話をしたのは初めてかもしれない
スマホの画面に昨日神崎から届いたやけに「絶対」の文字が多い文面が、繰り返し映し出されている事は知っていた、多分新たな着信を待っている
「事務所には行けないぞ、理由は分からないけど神崎さんに迷惑をかける」
「わかってるよ………」
尋常じゃなかった昨日の仁と神崎………事務所に来るなと連絡が来て実はホッとしている、どんな顔をしていいかわからないし、シュウが神崎に会うのも阻止出来る
「あれからあの二人どうしたかな………」
何も考えないで言ってしまってから顔がカァッと熱くなった、まさか本当に?想像も出来ない
しかし昨日はほんの目の前でセクシャルな交わりを見ている
「アキは………セックス……ってやった事ある?」
スパーンとダビデに手刀が入り、一回折れてくっつけていた首が嘘みたいに綺麗に飛んだ
「ああ!………しまった!」
シュウの顔をした木の塊がゴンッと床に跳ね半分寝そべるように座っていたシュウの足元に転がって止まった
投げ出されたナイキの靴底にコロンコロンとついては離れついては離れ…………揺れる木片を目で追いかけて………
折り曲げた細い足…………その…………根本………………
デニムの腰からパンツのゴムがはみ出ている、Tシャツは薄く肌に張り付いてポツンと小さな突起が分かる
足の先から首元まで舐めるように見てしまい、コクンッと唾を飲み込んだ、多分俺の視線は視姦に近い………
「なあ……………ある?……」
「何を……………」
言いかけてハタと気付いた………これは………もしかして一連の謎の行動………キスも、触ってみてくれと言ったのも神崎を思い浮かべての予行演習だったのか?
経験を積んで神崎に挑もうとでも言いたいのか………
「何でそんな事聞くんだよ」
「俺やったことないからさ………どんなかな……って」
やっぱり………
もう痛いほどシュウを欲してる、この汚い肉欲を解放出来たらと毎日思ってる、嫌がっても押さえつけて抱きしめて滅茶苦茶にそのしなやかな体を蹂躙する
………そんな妄想が頭をついて離れない
真っ直ぐ見てくるシュウの眼差しは、色浴に曇った目には小悪魔が計算済みで誘っているように見えてしまう、シュウは昨日の仁が言った事を頭に思い浮かべ、何も考えないで思った事を口にしているだけだと分かってる
「いい加減にしろよ……そんな簡単な事じゃないだろう」
「だよな………男同士ってさすがにアキだってハードル高いよな」
「………高くないよ」
厳重に密封していた筈………しかも今締め直したばかりの心がポロンとほつれた
そこまでシュウの中では問題外の場所に置かれていたなんて………痛くて痛くて胸が潰れてしまいそうだった
「何だよ………そんな変な顔して……もしかして今笑ってる?」
「真剣な顔してます」
「わかんねえよ」
ここは大きなホールになっている学校のアトリエだ
小さく区切ってダンボールが積み上がってはいるが誰にでも見えるしドアにも近い
そんな事は構わなかった
投げ出された足元にトンっと膝を置くと、明るすぎる白い蛍光灯がシュウの顔に影を作った
「分かって欲しい………」
「何を?」
ポカンと口を開けて見上げる瞳がどこを向いていてもいい、背中で座るシュウの横に腕を付いて唇と唇の先を擦るとシュウの目が丸まった
「何?」
「セックスって………どんな物か知りたいんだろ?……」
ダンスを踊ると……額から流れ落ちた汗が綺麗に切れ込んだ顎の線を伝い、胸元に吸い込まれていった
その水滴はきっと鎖骨を這い裸の胸をなぞって行った
一番触ってみたかった場所………喉元に口を付けた
「ひゃはははくすぐったい!アキ!こら!」
負けない………負けないぞ自分で誘ったんだ、身を捩らせて逃げようとする体を追いかけて耳たぶをパクっと口に挟んだ
「うひゃ!ハハハ」
「うぐっ!!」
四つん這いで被さっていたみぞおちに、反射的体を丸めたシュウの膝がガスンと入り、崩れ落ちてしまったのはシュウの体の上、どうやって手を置こうかと迷っていたので丁度いい、このまま押さえつけてもっと深いチューをしてやる
「くすぐったいって!アキ!ひゃはは」
ムチューっと唇を突き出してもうちょっとで辿り着く前にポケットの携帯から陽気な着信音が鳴り響いた
「……………」
「アキ!電話……」
「いいよ、放っておけば……」
「出ろよ、それから退け!」
携帯の着信というのはどうしてこうも拘束力があるのか、急かすように鳴り響くマンドリンが無視することを許してくれない
勢いが削がれてしまってはもう戻れない、画面を見ないでヤケクソに電話に出た
「はい!!………あっ!……は……い………いえ…」
「……え?……わかりました………」
プツンっと無音になった携帯をポケットに差し込み………
さあ………どうしよう
シュウの顔を見れなくなった
「シュウ………俺………三石……そう三石から呼び出されて、仕事の話があるって言われてな」
「ふうん………」
「うん……ちょっと話しに行ってくるから待ってて」
「行ってくれば?」
下手な言い訳が通じたのかは分からないがシュウはまた携帯を手に取って目を落とした、ラインに新たなメッセージが来ていないかと待ってるんだ、朝からずっと同じ事を繰り返している
「すぐ戻るから………」
フロアを出てからホールの中のシュウを振り返るとそのまま床に寝転んでいる姿が見えた
後ろめたいが仕方がない
電話は神崎からだった、側にシュウがいるか聞かれ、いるなら撒いて大学の門まで一人で来てくれと言われた
門までは遠い、敷地いっぱいに増殖した大学は無用と思える無駄な施設がアチコチに点在して歩いて20分はかかる
バスケのコートを過ぎると門の影に立つ神崎の姿が目に入った
随分待たせている、走り寄ろうと足を踏み出すとタンッと地面を踏む音がして真横から影が追い抜いて行った
「シュウ?!」
走るシュウには追いつけない、何故あんなに足が軽く回るのか不思議だった
「司!!!」
FACTにいるとシュウは小柄だが一般的に見ると細いとはいえ一応普通の男並の規格はある
走る勢いそのままに飛びついて受け止めた神崎の足が後ろによろめき門柱に助けられて転ぶのを防いだ
走りかけた足は止まっていた
抱きついたまま顔を上げて何か話している二人を見るとただ痛かっただけの胸が今は苦しい
ただの曲がった性欲だと思っていた
………そう思おうとしていた、男が好きなんてあり得ないと必死で否定してたそのツケがこれだ
神崎の腕はシュウの腰に回っている、自分には許されなかった体への接触を神崎は楽々乗り越えてしまった
何か行動していていても駄目だったかもしれないが、何もしなかった………チャンスは何度もあったのに………
思えば神崎とシュウは出会った瞬間から真ん中に磁石が置かれたように引き寄らせられていった
それを見ていたのに………気付いていたのに馬鹿な常識とプライドが行動を押しとどめていた
横をすり抜けていったシュウが目に入った時に初めて自覚した
シュウが………好きだ
「お待たせしてすいませんでした………それから………」
いつの間にか付けてきていたシュウに視線を落とすと、その意味を悟った神崎の顔が苦そうに笑った
「無理だったらしいな、変な事を頼んで悪かった」
「俺をまた無視しようとしたんだろ、そうは行くか」
トンっと前に置き直すように体を押しやられたシュウは、頭突きでもかます勢いでドカンと神崎の胸に戻り、離れてやるもんかと歯を向いた
「速水さん、これ」
体を離せと言わない代わりに茶色い封筒を手の前に出して見せた
「何?これ?」
「今までの給料」
「何だよ……」
シュウは受け取ろうとせずに神崎を睨みつけプイッと後ろを向いてしまった
秋人への支払いはFACTから出すわけにはいかない
神崎は大学に来る途中にコンビニで自分の口座からお金を下ろして持ってきていた
「何で駄目なのか理由を言えよ、俺は何なの?」
「元々キャリアのある人を雇う計画なんだ、面接する暇が無かったから速水さんに手伝って貰ってただけでこれから大きな仕事が始まるからもう無理だろ?」
「仁があんなに怒る理由になってない」
「…………仁は………怒ってないよ、あいつはいちいち動きが派手なだけだ」
神崎の言い訳はおかしい、確かに仁の動きは何かと雑でドカドカ音を立てるが昨日は滅茶苦茶怒っていた
それは秋山にだって分かる
「事務所に行っちゃ駄目でも外で会えるよな」
「それは………」
言いかけた神崎の口から次の言葉が出る前に胸のポケットから携帯が振動し始めた
「それは出来ないよ、何の理由で………」
一度画面をチラッと見た後そのまま切ってしまったが言葉を続ける間にまたブーブー音を鳴らしている
神崎はチッと舌打ちしてまた切った
「……理由もないし忙しいんだ」
「理由はあるよ、顔が見たいし話したい」
「俺には無い……」
またもや震えだした携帯に今度は無視を決め込んだ神崎を見ていると、秋山にも秋人にも何となくだが相手の予想が付いた
「司………昨日仁とセックスしたの?」
ブハッと口の中が爆発した、どうしてシュウはこう何でも直球しか投げられないのかもう分からない
人並みのデリカシーも遠慮も、一欠片も持ち合わせていない事にはびっくりする
「……………したよ……」
表情も変えずサラッと答えた神崎の首にクッキリ浮かび上がる赤いシミは…うわさに聞く多分………恐らく………きっと………あれだ……
キスマーク…………
わざと付けられたように目立つ場所にくっきり浮き出ている、ヒイッと悲鳴をあげそうになった
自分とシュウならよくて仁と神崎だと妙に恥ずかしいのはいやに生々しいからだ、さっきだって……本気ではあったがあのオープンなアトリエでは精々キスくらいしか進めない、本気だなんて考えている自分に笑ってしまう
「どこで?」
また直球………
神崎は答えないでフッと優しく笑い、受け取る事を拒否されたバイト代の封筒をシュウの代わりに渡してきた
「秋山……悪いけど後で速水さんに渡してくれ……給料を受け取るのも働くって事なんだから」
神崎はポンポンっと愛しそうにシュウの頭に手を落とし、体の向きを変えた
「司、俺を舐めんなよ」
「…………しっかり勉強してろ」
神崎はわざわざ大学までやって来て、秋山だけをコッソリ呼び出し秋人のバイト代を預けようとしていた、つまりもう二度と会うつもりがないのだろう
しつこく追い縋るかと思ったがシュウは後ろ姿の神崎に不気味な捨て台詞だけを投げて大人しく見送った
応援ありがとうございます!
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