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スカッシュ-2
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「神崎、二万二千円だから」
「何がですが?」
デザイン部に戻ると席に着く前に清宮がニコニコして手を差し出した
「靴だよ」
「靴?…ああスカッシュの…」
そう言えばさっき清宮と美咲は6階をウロウロしていた、本格的に動き出した樋口からの仕事は規模が大きく、サンプルと概要を渡され頭が一杯になりすっかり忘れていた
「…って…………ニ万二千円?!」
「ああ、二万六千円だったけどまけてくれた」
「値引きして…二万二千円なんですか?」
机の上には有名メーカーのブランドマークが張り付いた靴の箱がデンっと居座っていた、大人になってから自分でスニーカーを買うのは初めてだが……
今時のスニーカーはそんなにするのか…高い
「神崎のはピンクな、俺黄色」
「俺のは清宮さんと同じ黄色です」
美咲はよほど嬉しいのかもう靴を履いた足を上げ床用の平底を見せていた
「ピンク?」
箱を開けてみると蛍光ピンクのスニーカーが頭同士をくっ付けて横向きに添い寝していた
「一応履いてみろよ、サイズはあってると思うけど」
「俺サイズ言いましたっけ?」
「美咲と確かめた」
んっと頭で指した入り口にある靴ロッカーにはそれぞれの上靴が入っている
社内は靴を履き替える決まりはない、しかし店内と違って清掃員が入らないので室内は各々が掃除する為、一応室内用と分けている、時たま履き替えるのを忘れたり室内履きで家に帰ったりするのであって無いようなものだった
最近履き替えた覚えもない
何もそこまで急がなくても……空いているに日に専門店に行った方が種類も選べるだろうに……
清宮は予想外に楽しみにしているらしく、目がキラキラしている
スニーカーはおどろく程軽量で目にも鮮やかな蛍光ピンクにざわざわと水色のしぶき模様が入っている
靴紐はピンクとブルーの二色…
「派手だな……」
「神崎さんのサイズは仕入れが余りないから売れ筋の色はやめてくれって言われました」
「つまり在処分か?」
「なんだっていいじゃん、靴なんて」
「まあ、そうですけど……、今手持ちがないので後でいいですか?」
二万二千円……
靴を試し履きしながら腑に落ちない思いで渋々返事した
その日のうちにスポーツクラブに行くと言い張る清宮と松本を連れデザイン部を出て店舗側のエレベーターに乗った
美咲はフルスピードで仕事を終え、いつもそれぐらいのテンションで仕事しろと山田に嫌味を言われても耳に入ってないのかウキウキ高揚して顔が真っ赤になっている
待ちきれないのかエレベーターを降りると一人でスポーツクラブのカウンターまでに走っていった
「春人さん、体はもういいんですか?」
「二日酔いなんかすぐ治るだろう」
「いや、他にも………」
ギロリと睨んで余計なことを言うなと足を蹴られた
「清宮さん、コート空いてます!ビジターで行けるって!」
カウンターで話を聞いたのだろう、自動ドアから顔を出して美咲が早くと手を振るとぷいっと後ろを向いて自動ドアまで走って中に入っていってしまった
顔を赤らめじもじしていた清宮はもう遥か昔の残像……幻……
二人でラブラブスカッシュなんて何度懲りてもしてしまう甘い妄想は虚しく吹っ飛んだ
店舗ビルの8階に入るスポーツクラブは仕事帰りのOLやサラリーマンで混み合っていた
エレベーターホールから大きなガラスの自動ドアをくぐると暖色の柔らかい照明が照らし靴ロッカーが並んでいる
受付で靴ロッカーのキーを預けてビジターの手続きと道具のレンタルを申し込んだ
「何やってるんですか?」
「いや…足りない…」
清宮は財布を覗いてからポケットに手を入れてまぜ返し、尻のポケットも探ってからパンっと叩いた
「え?ないんですか?払っとくからいいですけど…スニーカー買ったからじゃないんですか?」
「かな……」
いい大人が数千円払えないって……自分の事に関しては大雑把な清宮らしいが……
「とにかくポケットにお金を直接入れるのはやめたほうがいいですよ」
「いざという時ポケットから出てきて助かってるよ」
「なかったじゃないですか」
「じゃいつも入れとく」
「またそんな事を……」
部屋などはそれなりに片付いているが(というより殆ど物がない)横着で雑な所がある
先日階段から落ちた時も
………本人は飛んだと言い張っているが……小銭をぶちまけた
「大人のくせに……」
「うるさいったら」
「変な喧嘩しないでください、どっちでもいいですよ早く行きましょうよ」
美咲が焦れてピョンピョン跳ね回った
スポーツクラブにはジムやプールの他、ダンススクールやピラタス、ホットヨガなどの小部屋がありその周りをトラックがぐるりと取り囲んでいる、全面ガラス張りの壁は街の明かりの中、宙をランニングしている様な気分になれる贅沢な作りだ
スカッシュのコートは入り口の壁が全面ガラス張りで天井が高い、小部屋がプレイコートそのものとなっている
「へえ……思ったより狭いな」
「俺見るのも初めてです」
入り口から入った所に荷物を放り出し清宮と美咲が壁を触ったりボールを投げたりウロウロした、声が四方に反射してプラベート空間を強調していた
「ルールは置いといてとりあえず打ってみますか?」
「ああ、やろうやろう」
三人一緒にコートに入ってまずはフロントウォールに軽く打ってみた
借りたラケットは軽くグリップも細いが初心者二人を相手にするには充分だった
「ワンバウンドで打ち返せなかったら負けですよ」
「テニスの壁打ちと同じですね、俺結構得意です」
「俺はテニスもやった事無い」
「うわ…それなら早目に清宮さんを潰します、あんまり慣れるとどうせ上手いんでしょう?」
「バドミントンならやってたから同じじゃないか?」
フロントウォールだけを使ってしばらく順番に打つと意外な事に清宮より美咲の方が上手かった
清宮はラケットにボールが上手く当たらない
「やった!清宮さんに勝った!」
「神崎!お前ちょっとどいてろ!」
ムキになった清宮が美咲と対決を始めてしまった
どうせ今日は服もスポーツに向いているとは言えない、タァっとかオッシャ!とか一々騒がしい美咲と嗤っていた顔が段々真剣になってくる清宮を見物しながらコートの後ろに座って眺めていた
二人は打ち損ねたり後ろに逃したりしたら負け、という独自のルールでひたすら走っている
清宮はさすがと言うかあっという間にコツを覚え相変わらず軽い
カンがよく柔らかい体は守備範囲が広くどんな玉にも追いつきラケットに当ててしまう
「うわあ!」
清宮の動きに釣られたのだろう、美咲が大きく足を踏み出してそのままつんのめり、ベシャっと潰れてしまった
「大丈夫か?美咲!」
「又裂けました、痛ってぇ……」
「俺の勝ちだな」
笑いながら美咲に手を貸す清宮はずっと走り回っていたくせにゼイセイ肩で息をする美咲に比べ全然呼吸が乱れてない
スポーツしている清宮はいい……凄くいい
薄っすら額を濡らす汗もいい
シャツの裾がヒラヒラして腕を上げるとチラ見えの腹もいい
誘ってよかった、ここに白いご飯があれば清宮をおかずに何杯でも食べれる……
満腹になった頃清宮も疲れて…押し倒したり出来たりして……
「……っ崎!」
「神崎!!」
「え?」
うっとり眺めていると呼ばれていた
「美咲と代われ!」
「俺ちょっと休憩します、神崎さんここお願いします」
美咲は全くペースの落ちない清宮に音を上げて飲み物を買ってくるとコートを出ていった
「疲れてないんですか?」
「まだそんなにやってないだろ」
早くコートに入れと笑ってラケットを振り回す清宮はホントに生き生きしている
「もう、ウォーミングアップは充分でしょう、スカッシュの本当のプレースタイルでやりませんか?」
「本当ってどういう意味?」
「横の壁も使うんです」
軽く打ってサイドウォールからフロントウォールに跳ねさせコートにボールを落とした
「え?そうなの?」
「スカッシュのコートは箱全部なんです」
遠慮なしにバンっとボールを打ち込むとビリヤードの様に三角を描き反射的にラケット構えた清宮の反対側に跳ね返ってきた
「え?どう飛んでくるかわからないんだけど…」
「そうでしょうね」
意地の悪い笑みが顔につく
今度は角度を落として打ち込んだ
優位に立てるのはおそらく最初だけ、何回か通うとすぐに追いついてくるに決まってる
清宮はついてくる
付いてくるがトリッキーに跳ねるボールを読むのは経験がないとわからない
一旦コースを読み違えると跳ね返ってからコースを読んでも間に合わないのだ
ガシッと清宮のラケットが床を擦った
ボールは跳ねて入り口のガラスにパンっと跳ね返りコロコロ足元に帰ってきた
「クソ……神崎、お前スカッシュ初めてじゃないだろう」
「はい、小四から武道と一緒にみっちり通いつめてます」
にっこり白状すると清宮はグッと唇を締め直し、腕の関節を伸ばして大きく息を吐いた
清宮は多分スポーツで誰かに遅れを取った経験が殆どないのだろう、学校で出来る様なスポーツでは誰も足元にも及ばない
だがスカッシュなら絶対負けない
スポーツドリンクを3本買ってコートに戻ると清宮と神崎が初心者にしては異様なスピードで激しく打ち合っていた
ボールがツーバウンドしても拾う手間を省いてそのまま打ち続けノンストップ……
清宮はコートに入って30分ずっと休みなく打っている、さっきまではほのぼの体験を楽しみながら笑っていたが今は集中した時に見せる見覚えのある目付きでボールを追っていた
「清宮さん……タフだな……」
何度目か清宮のラケットが空を切った
「うわ、気持ちいい~~」
肩で息をしながら汗を飛ばした、もうシャツは勿論だがパンツも汗に濡れて足を曲げるとくっついて動きにくい
「何が!」
清宮はラケットを杖の様にして前屈みにもたれていた、さすがに息が上がって肩を揺らしていた
「春人さんをコテンパンに出来るんですからね」
「お前な、そのうち吠え面かかせてやる」
「俺は負けませんから」
「俺も負けない」
ムキになった清宮は早く早くと急かした
会社での清宮は絶対的なボスだ
命令もしないし、新入社員がしなければならないような雑事もやる
抜群にスポーツが出来て…乱暴で、多少変な所が雑で、トロくて、無意識にブンブン振り回してくれて、たまに可愛くて、潤んだ目が色っぽくて…
話が逸れた…
つまり権力を振るわなくても群れを従わせる不思議な統率力を持っていた
多分同期で入社していても力関係は変わらなかっただろう
その清宮を上から見下ろせる
こんな気持ちいい事はなかった
「美咲も休んでないで入れよ」
「俺?……ついて行けるかな……」
「付いて来い、ルール変わったからな」
美咲にもサイドウォールの使い方を教えて順番に交代しながら二時間丸々打ち合った
「つ…疲れた…」
美咲がコートの真ん中に寝転びラケットを放り出した
「明日…仕事出来るかな…握力がない」
清宮が手をにぎにぎして心配そうに呟いた
「俺も」
美咲も拳をにぎにぎして500ml入のペットボトルを一気に全部飲み干してしまった
「キツくラケットを握りすぎなんですよ、打つ瞬間だけ力を入れて……」
「神崎は?手は大丈夫なのか?」
「そりゃ多少来てますがそれより足がもうキツイです」
「明日も来るぞ」
「え?」
清宮は明らかにムキになっている
「明日は入稿が三つもあるから無理でしょう」
「じゃ明後日」
「休みですよここ」
「じゃあ昼休みにラケットを買いに行こう」
「え?買うんですか?」
「俺も買います」
美咲もムキになっている
「俺はいいです、古いですが持ってるし…今月厳しいんですよ、ベッド買ったし…」
「え?」
清宮が大きく目を見開いて飛び起きた
「本当に買ったのか?」
「もちろんです」
ダブルベッドまでは安価であるがロングサイズは少し値段が上がる、マットレスもどうせならといいものを選びシーツなどを揃えたら結構な価格になった、生活に支障が出るほどではないが靴も買ったしキツイ
「それ………さ……あの……」
清宮は美咲をチラと横目で見てモゴモゴ口をつぐみ耳まで赤くなってしまった
「見に来てくださいね」
口元が緩んでしまうので手で抑えた
実はものすごく抱きついて頭をぐしゃぐしゃ撫で回したい、元々スポーツでペシャンコにしてみたい欲求と……やっぱり動く清宮を見たくてスカッシュに誘った
交代して休んでいる間しなやかに動き回る清宮から目が離せなかった
こんな健康的な場所で欲情している自分が情けないがスポーツをする清宮は「清宮大好き」の発生源と言うか根本と言うか……もう色々どうしようもない
何で美咲を連れてきたんだ……
汗を拭いている美咲を横目で見て恨めしく思った
三人とも汗ビッショリだが着替えがは持ってこなかった、仕方なく顔だけ洗ってスポーツクラブを出た所で足を止めた美咲が鞄をゴソゴソしながら聞いた
「俺の携帯見てないですか?」
「見てないけどな、赤いガラケーだろ?」
美咲は今持っているガラケーのデザインが好きなので変えられないと言って未だにスマホに変えてない
「会社かなあ…」
「慌てて出てくるからだよ…別に大して不自由ないだろう」
「いや、清宮さんじゃないし、なかったら落ち着かないというか……」
「取りに行けばいいじゃないか下の階なんだし」
追っ払いたい魂胆が我ながら丸見えだ
「じゃあ……俺は取りに行きます…お疲れ様でした」
美咲は二人から離れるのが惜しいとばかりに振り返りながらバックヤードへのエレベーターに向かって帰って行った
「何ニヤついてるんだよ」
清宮が怪訝な顔で見上げてきた
「ニヤついてました?」
「ああ…」
「春人さん」
「何だよ…」
「うちに来ませんか?」
「え?!いや………ベッドなんか見に行かないぞ?」
「春人さん、ベッドは買ったけどまだ届いていませんよ、俺のラケット見せますよ」
朝から晩まで誰もいないのだ、直ぐに手配されたとしても誰も受け取れない
古いベッドの下取りもある
「あ、そうか…そうだよな…なら行く」
清宮はよほどスカッシュが気に入ったらしい、思い通りにいかないから尚のこと面白いのかもしれない、部屋に入って直ぐにラケットを見せろと急かしてきた
「古いですよ」
クローゼットの奥に立てかけてあったラケットはスポーツクラブで借りたものより形や素材が随分違うがグリップを握るとやっぱりしっくり来る
清宮に渡すとカバーをつけたまま興味深そうにブンブン振り回した
「へえ、年季入ってるな」
「何回か買い直したけど…多分七、八年ぐらい前に買ったやつだと思います」
「ボールは?」
本当に小学生みたいだ
「ありますけど貸しません」
「何で?」
「打つでしょう」
「緩くだよ」
やっぱり打つ気だった
「春人さんにはそのラケットはグリップが太くて持ちにくいんじゃないですか?」
「そんな所までサイズがあるんだ…」
「そりゃありますよ、テニスのラケットだって同じでしょう、春人さんには貸せませんよ」
元より鍛える為にやっでいたスカッシュだ、グリップは通常より厚く重量も重い、合わないラケットは手首を痛める可能性もある
「春人さんには軽目のラケットが合うでしょう、うちのスポーツ用品店には揃ってないから「今度」一緒に専門店に行きましょう」
ビールを手渡しながらまた暴走しないように先手を打っておいた
何もわかってないくせに放っておけば明日にでも六階のスポーツ用品売り場に駆け込んでしまう……絶対………注文すれば揃えてもらえるが色や形を見て決めるものじゃない
「ラケットは俺がちゃんと見てあげますからそれから決めてください、ほらもうラケットを置いて座ってください……おつまみに何か出しましょうか?」
夕食はファーストフードで済ませていたが清宮は勝手に戸棚を開けてカップラーメンを取り出した
ラケットはまだ持ったまま……
「俺ラーメン食べる、神崎は?」
「俺はビールでいいです、作りましょうか?」
「いいよ、自分でやるから」
お湯を沸かすだけだ、好きにしてくれればいいと放っておいてビールとチーズのクラッカーを開けた
運動して汗をかいて……清宮と一緒に二人で部屋で飲むビールは極上
旨い
そのまま一気に飲んでしまいたいがこの所酔った末の事故が多い、自重して二口で抑え込んだ
「なあ、神崎…これ何?」
清宮が台所から体を折って顔だけ覗かせた
「これって何ですか?」
「それを聞いてるんだよ」
「だから何か言ってくださいよ」
ビールを置いて台所まで見に行くと清宮は晋二から預かった紙袋を覗きんでいた、鞄に入れっぱなしで忘れていたからクシャクシャに潰れて中身が見えていた
「ああ、それ春人さんの上着ですよ、バーに忘れていたから預かってきたんです」
「じゃあこれは?」
「あ…………それは……」
清宮が手にしていたのは例のボトル……
「…ええと……俺も…よくわかってないんですけど……」
まるで初デートの時にコンドームを見つけられた気分
「ふぁんしーろーしょん?何で俺に?」
服と一緒に入っていたので自分に渡されたと思ったのだろう、ボトルをフリフリする清宮にムクムクと意地の悪い気持ちが湧き上がってきた
「潤滑剤ですよ」
「?…………何の?」
「……………」
何も答えないでニヤリとした
「え!?……」
清宮は弾かれたようにボトルをバタンと投げ見る見る顔を真っ赤に染めた
「実は俺もよく知らないんです、知り合いが分けてくれて……」
「お前……誰かにそんな話をしてるのか?!」
したけど…
清宮は後ろの壁に張り付いて毒薬でも見るような目付きで転がる容器を目で追った
「違いますよ、それに女性とだって使う人もいるでしょう」
「いるの?」
「いますよ、コンビニに揃って入る所もあります」
この人は真っ当な経験がないんじゃないか?と時々思う、真っ当じゃない経験はあるが…
「ちょっと見てみましょうよ」
ボトルを拾って中身を少し出してみた
思っていたよりサラッとした手触りで保冷剤のように冷気を蓄えひんやり冷たかった
「薄い……ピンクなんだ……」
「え?見せて」
好奇心に負けたのか清宮もそろそろと寄ってきてチョンと指でつつき慌てて引っ込めた
透明な液体は気泡を含み指で挟んで離すと伸びる、かなり粘度があってぶんぶん振っても指から離れない
「わっ取れない」
「春……人さん……」
クツクツと腹の底から笑いがせり上がって声が震え、目が合うと止まらなくなった
限界まで運動した後だからハイになっていたのかもしれない、二人ともエロ本を見つけた中学生のようになっていた
「……ああ笑い過ぎて腹痛い……ヌルヌルだな、凄く伸びる」
「何か……甘い匂いがしますね」
「おい……イチゴ味って…書いてあるぞ」
「よく滑りそうですね」
「お前な!」
がっと清宮が拳を固めた
殴られてはたまったものじゃないので拳を手で受けてまた二人で笑った
「春人さん、お湯が沸いてるんじゃないですか」
背にしたIHコンロからグツグツお湯が沸く音がして振り向くと小鍋からお湯が泡になって跳ねていた
清宮の部屋にはテレビが無いせいかここに来ると必ずスイッチを入れる
報道番組を見ながら、お湯を入れてまだ3分経っていないのに無理矢理混ぜたラーメンをソファの下に座り込み食べ始めた
時たま飲みかけのビールを手にとって飲む
「春人さん、自分のビール開けてくださいよ」
「一本もいらないんだよ」
「結構飲んでるじゃないですか」
汗が乾いて髪がフワフワ浮いてる清宮のつむじを見ていると寝室のドアをチラリと横目で見てしまう……
いくらなんでも今日はそんな事は出来ない
清宮の体が心配だし……
あんまりがっついても嫌われそうな気がする、今日みたいにほっこりした雰囲気も壊したくない…
撫で回すくらいはしたいが……
モジモジ伸ばしたり引いたりする邪な腕を察知したのか清宮は空になったカップラーメンを持って台所に行ってしまった
ビールはもう三本目……
一本目と二本目は清宮と分け合い飲んだ気がしない、残ったビールを飲み干して四本目に手を掛けると……
ドンっ!!と籠もった破裂音と清宮の叫び声が部屋を揺らした
「うわっっ!!」
窓のガラスが嘘みたいにバンっと膨れ音の振動に割れたかと思った
「春人さんっっ?!!」
間違いなく何かが爆発した、清宮はただカップラーメンの容器を片付けていただけの筈……
一人でまったり妄想を膨らませ気も心も緩んでいた所に響いたその爆音は日本に住んでいたら耳にする機会なんてそうあるわけか無い
体が浮くくらいビックリした
「大丈……夫……?…春……」
「びっくりした……」
ずっと手にしたまま離さないラケットに身をかくすように清宮は電子レンジの前で避ける体制のまま固まっていた
つまり……何かいらぬ事をしでかした
「何やってるんですか!」
レンジはドアが開いて…信じられないが……ちょっと曲がってないか?……
「これは…………」
レンジの中と……床や壁にも何かの液体が飛び散ってベチャベチャになっていた
「あんまり冷たいから…ちょっと………温めようと……」
「はぁ?」
口を開けすぎて顎が外れそうになった
レンジの中にはひしゃげたボトル………
晋二に貰った潤滑剤が倒れた口からドロンと中身を垂れ流していた、まだ残った液体はグツグツと沸騰して生き物のように這い回っていた
「一体何でこれをレンジに入れたりするんですか!」
「…だから……もしも………から……」
モゴモゴ言ってて聞き取れない
「こんな粘度のある液体が入った密閉容器をレンジに入れたら爆発して当然でしょう!」
「だって………」
「だって?なんですか!」
「もしも……そう…ったら…冷たいの嫌だろう…と」
「はい?」
清宮の顔がカァッと赤くなりヤケクソの様にラケットを振った
「馬鹿じゃないですか……」
「馬鹿とか言うな」
「馬鹿です……」
もう……もう……必死で我慢してたのに崩壊……
いつもこうして清宮発で煽られる
無意識なのも始末が悪い
怒れない……電子レンジを壊されたとしても、何なら建物を爆破されようとも怒れない
逃げる清宮との格闘はキスで決着がついた
台所はひどい有様だった
電子レンジは目の錯覚ではなく本当にドアが曲がり使用不能……あらゆる所に液体が散らばりよく見るとリビングにも被害が及んでいる
清宮は点々と顔や手に小さな斑点を作り火傷を負っていた
「これ正面にいたら体中に被って大火傷ですよ!」
「被ってないからいいじゃないか」
「馬鹿」
「お前最近人の事、馬鹿馬鹿言い過ぎ!」
どうしてわざわざピーマンみたいな事するの!
中が空洞という意味らしい、しなくていい事をわざわざする神崎兄弟に向かって母がよく言った
穴に指を突っ込み抜けなくなって泣いていたり、鼻の穴にチョコボールを二つ詰めて取れなくなって病院に行ったり
最後に言われたのは多分中学の時……電気代節約のため使っていた石油ストーブの上でティッシュを飛ばして火がついた時だ
あの頃の母の気持ちが分かる
「……Pマン」
「何だよ、それ」
タオルを半分に切ってぞうきんを作り二人で拭いて回った、天井はもう諦める
それにしても清宮はやる気だったのか…
多分求められたら拒否しないという程度か……
流されるのはお得意だ、今のところ清宮の気持ちは全くわからない
掃除が終わってすぐ……
清宮は携帯の着信に慌てて電話に出た後急いで帰ってしまった
スカッシュブームはデザイン部で伝線して山内も加わり皆でスポーツクラブの正規会員にもなった
3日と開けず通いまくったせいでデザイン部が揃ってスポーツクラブに出没するという噂が社内で広がり、知った顔をクラブ内で見かける事が多くなった
スカッシュのコートは入り口の壁が全面ガラス張りなので中が丸見え
「暇ですね……みんな……気持ちはわかるけど……」
美咲が当たり前にギャラリーを背負う清宮を見て笑った
神崎と清宮が打ち始めると外で数人が携帯を構えている、見るぐらい仕方がないがさすがにそれはやめて欲しい
あまりに堂々とプライベートに踏み込まれては清宮も堪ったものではないだろう
美咲は舌打って無神経なカメラの前に立ち塞がった
「すいません、写真を撮るのはやめてもらえませんか?」
多分地下売り場の女の子三人だ
「すいませーん」
「やだ、怖い…」
全く悪びれる事もなく携帯をポケットに入れようとしたが間違いなく何度かシャッターを押している
「中身を見せてもらえます?撮った分消してください」
「え?…嫌です、どうしてそこまで…」
「いいから見せてください!」
「嫌です!」
美咲が背中に回された手から携帯を取り上げようとするとワッと女達が避けようと散った
「消して下さい!非常識でしょう」
「そっちこそやめてよ!」
「美咲やりすぎだって」
ムキになった美咲が強引に隠された携帯に手を伸ばすと周りからもざわっと声が上がり美咲を追ってコートから出てきた山内が止めに入った
「だって!この人…」
「美咲」
清宮の低い声が背中から聞こえ一斉に注目を浴びた
騒ぎに気付いた清宮と神崎がコートから出てきていた
清宮はチラリと美咲に目をやっただけでそれ以上何も言わずにロッカールームへと引き上げてしまった
いたたまれないのは完全に無視された女の子達の方だろう、一暼さえしてもらえなかった
その日はもうプレイを続けることは出来そうもない
清宮の後を追ってロッカールームに引き上げるしかなった
ロッカールームに戻ると清宮はベンチに座って拗ねたように口を尖らせていた、会社では見せない素顔にビビりながら美咲は恐る恐る清宮の前に行って頭を下げた
「あの………すいません…俺また…」
前にデザイン部で騒ぎを起こしたのも美咲だ、子犬みたいな無害そうな顔をしているくせに意外とすぐに手が出る
……見た目ギャップは遠く清宮には及ばないが………
「ここは公共の場所だろう、デザイン部とは違う、俺も庇えないし責任は自分で持て」
「はい……」
美咲は頭を下げてしょげかえっていた、清宮を守ろうとしたつもりがやり過ぎた事はわかる
「春人さん、美咲もわかってますよ…それにあれは非常識ですよ」
わかってるよ、と清宮は溜息をつきラケットにカバーを掛けた、清宮は怒っているというよりただ楽しみを邪魔されて拗ねているだけだ
「だいたい写真くらい大した被害ないだろう、撮らせとけよ」
「清宮さんはいいんですか?」
「俺は関係ないだろう?、背中を向けて打ってたし…」
「……………」
この無自覚……言っても仕方がない
美咲と顔を見合わせ苦笑いを浮かべた
「あれ山内は?」
「山内はフロントに事情を説明して何とかスカッシュのコートに使用者以外入りにくいようにしてもらえないか交渉しに行きました」
「へぇ…そうしてもらえると有り難いけどそんな事出来るのかな、みんな一応会員とかビジターの料金払ってるんだろ」
「無理みたいです」
山内がスポーツクラブの担当者とロッカールームに入ってきた
「すいません清宮さん、やっぱり会員の人だと入って来るのは止められないそうです」
山内はこういう時意外に的確な対処をする、デザイン部では一番落ち着いているかもしれない
いかにもインストラクター、というやたら筋肉が目立つ体をしたクラブの担当者は頭を下げた
「申し訳ありません、対応としてはプレーする人以外は入場を遠慮してもらうように廊下に看板を立てるぐらいしかできません」
「撮影禁止も入れてください」
美咲がすかさず付け加え、担当インストラクターはそれだけはきつく禁止しますと約束した
「春人さんこれからどうします?」
水を差されてもうスカッシュに戻りたくはないがスポーツクラブに来てからまだ30分も経っていなかった
「俺は泳いでから帰る」
清宮が突然Tシャツをガバッと脱いだ
「え?泳ぐんですか?水着は?」
「持ってるよ、会員になったもん」
「き…清宮さん……」
プールもあるスポーツクラブのロッカーだ、何も不思議はない………ないが何故一度に全部脱ぐ必要がある……三人が見ている前でさっさと素っ裸になり水着に着替えてプールに行ってしまった
「俺見ちゃったよ…」
「見えたな…全部……」
「刺青なかったな」
「うん」
どうしてか美咲と山内は顔が赤い
誰に遠慮する必要もないのは分かるがショートパンツを引き下ろした時には息を止めた……プラベートが守られた自宅の風呂場じゃないのだから同僚……しかも部下の目の前でわざわざ全部見せる必要なんてない
何であんな人がこんなにも好きなのだろうと、自分でも不思議に思う
「清宮さん泳ぐのも上手いのかな…」
うん……イルカみたいに楽そうに泳ぐぞ
声を出さずに答えた
子供の頃スイミングで見ていたのだ、それこそずっと
「見に行こうかな」
「美咲、多分水着を着てないと入れないと思うよ」
プールは女性もいる、盗撮などを防ぐ為、洋服での入場やカメラや携帯の持ち込みは禁止されていると山内が説明した
「そうなのか……俺も次は水着持ってこようっと」
美咲と山内はジムに寄ってから帰ると行ってロッカールームから出て行った
ものすごく迷ったが清宮が泳いでいる間に晋二のバーに行く事にした、別に清宮を待つ必要もないが…何となく…
やはりあの爆発したボトルの代わりは持っていたい、何と切り出すか………
事情を話すと晋二は他の客がビックリするくらい笑った、それこそ立っていられないくらい……
「笑い事じゃないんですけどね……部屋中汚染されてドアを開けたらイチゴの匂いが充満してるんですから」
「あの方…本当にいいですね…ああ……腹が破裂するかと思った」
「それで……その……」
「これ、持って行っていいですよ」
涙をぬぐいながら晋二は小さな紙袋をだした、代わりが欲しいと言わなくてもわかってくれる
「これ、あの…お金は……」
「多分ここで都合して差し上げる方がいいでしょう、前のは開通記念、今回は楽しませてもらったお礼です、次から飲み代に乗せますよ」
ご開通記念って……
「あり……がとうございます」
どんな顔をしていればいいかわからない、袋をスポーツバッグにしまい携帯を出して眺めた
…そういえば………
ふと思い付いてインスタをチェックしてみると#清宮は続々と新作を生んでいた
レンタルのラケットでプレーした初めてスポーツクラブに行った時の写真がある、多分これが社内で噂が広まった最初の一枚だろう、トラブルのあった今日の写真も既に投稿されていた
「何でこんなに……」
ちょっと異常でもある
ムカムカするのと同時に薄ら寒くもある
「晋二さん、なんかキツイのください」
え?という顔をしてからすっとショットグラスを出して来た、いつもなら先読みしてくるので珍しい
客の接待で神崎を見ていなかったのだろう
カプッと音を立てて流し込んだ
「どうしたんですか?」
晋二が肩に手を掛けて携帯を覗き込んできた、どんな企みがあるかわからない相手だか今はそれどころじゃない
「あれ?ハルヒトさん?」
「何かと盗撮されるんですよあの人」
「わかる気がします、面白いですからあの方…」
投稿している側は面白いから写真を撮る訳じゃないだろうが血を流す清宮や食器を抱えて売り場を走る清宮は事情を知って見ると面白い
晋二のバーにはつい長居をしてしまう
30分時間を潰すつもりがいつの間にか2時間も経っておりスポーツクラブに戻ると清宮はもう既に帰ってしまった後だった
「何がですが?」
デザイン部に戻ると席に着く前に清宮がニコニコして手を差し出した
「靴だよ」
「靴?…ああスカッシュの…」
そう言えばさっき清宮と美咲は6階をウロウロしていた、本格的に動き出した樋口からの仕事は規模が大きく、サンプルと概要を渡され頭が一杯になりすっかり忘れていた
「…って…………ニ万二千円?!」
「ああ、二万六千円だったけどまけてくれた」
「値引きして…二万二千円なんですか?」
机の上には有名メーカーのブランドマークが張り付いた靴の箱がデンっと居座っていた、大人になってから自分でスニーカーを買うのは初めてだが……
今時のスニーカーはそんなにするのか…高い
「神崎のはピンクな、俺黄色」
「俺のは清宮さんと同じ黄色です」
美咲はよほど嬉しいのかもう靴を履いた足を上げ床用の平底を見せていた
「ピンク?」
箱を開けてみると蛍光ピンクのスニーカーが頭同士をくっ付けて横向きに添い寝していた
「一応履いてみろよ、サイズはあってると思うけど」
「俺サイズ言いましたっけ?」
「美咲と確かめた」
んっと頭で指した入り口にある靴ロッカーにはそれぞれの上靴が入っている
社内は靴を履き替える決まりはない、しかし店内と違って清掃員が入らないので室内は各々が掃除する為、一応室内用と分けている、時たま履き替えるのを忘れたり室内履きで家に帰ったりするのであって無いようなものだった
最近履き替えた覚えもない
何もそこまで急がなくても……空いているに日に専門店に行った方が種類も選べるだろうに……
清宮は予想外に楽しみにしているらしく、目がキラキラしている
スニーカーはおどろく程軽量で目にも鮮やかな蛍光ピンクにざわざわと水色のしぶき模様が入っている
靴紐はピンクとブルーの二色…
「派手だな……」
「神崎さんのサイズは仕入れが余りないから売れ筋の色はやめてくれって言われました」
「つまり在処分か?」
「なんだっていいじゃん、靴なんて」
「まあ、そうですけど……、今手持ちがないので後でいいですか?」
二万二千円……
靴を試し履きしながら腑に落ちない思いで渋々返事した
その日のうちにスポーツクラブに行くと言い張る清宮と松本を連れデザイン部を出て店舗側のエレベーターに乗った
美咲はフルスピードで仕事を終え、いつもそれぐらいのテンションで仕事しろと山田に嫌味を言われても耳に入ってないのかウキウキ高揚して顔が真っ赤になっている
待ちきれないのかエレベーターを降りると一人でスポーツクラブのカウンターまでに走っていった
「春人さん、体はもういいんですか?」
「二日酔いなんかすぐ治るだろう」
「いや、他にも………」
ギロリと睨んで余計なことを言うなと足を蹴られた
「清宮さん、コート空いてます!ビジターで行けるって!」
カウンターで話を聞いたのだろう、自動ドアから顔を出して美咲が早くと手を振るとぷいっと後ろを向いて自動ドアまで走って中に入っていってしまった
顔を赤らめじもじしていた清宮はもう遥か昔の残像……幻……
二人でラブラブスカッシュなんて何度懲りてもしてしまう甘い妄想は虚しく吹っ飛んだ
店舗ビルの8階に入るスポーツクラブは仕事帰りのOLやサラリーマンで混み合っていた
エレベーターホールから大きなガラスの自動ドアをくぐると暖色の柔らかい照明が照らし靴ロッカーが並んでいる
受付で靴ロッカーのキーを預けてビジターの手続きと道具のレンタルを申し込んだ
「何やってるんですか?」
「いや…足りない…」
清宮は財布を覗いてからポケットに手を入れてまぜ返し、尻のポケットも探ってからパンっと叩いた
「え?ないんですか?払っとくからいいですけど…スニーカー買ったからじゃないんですか?」
「かな……」
いい大人が数千円払えないって……自分の事に関しては大雑把な清宮らしいが……
「とにかくポケットにお金を直接入れるのはやめたほうがいいですよ」
「いざという時ポケットから出てきて助かってるよ」
「なかったじゃないですか」
「じゃいつも入れとく」
「またそんな事を……」
部屋などはそれなりに片付いているが(というより殆ど物がない)横着で雑な所がある
先日階段から落ちた時も
………本人は飛んだと言い張っているが……小銭をぶちまけた
「大人のくせに……」
「うるさいったら」
「変な喧嘩しないでください、どっちでもいいですよ早く行きましょうよ」
美咲が焦れてピョンピョン跳ね回った
スポーツクラブにはジムやプールの他、ダンススクールやピラタス、ホットヨガなどの小部屋がありその周りをトラックがぐるりと取り囲んでいる、全面ガラス張りの壁は街の明かりの中、宙をランニングしている様な気分になれる贅沢な作りだ
スカッシュのコートは入り口の壁が全面ガラス張りで天井が高い、小部屋がプレイコートそのものとなっている
「へえ……思ったより狭いな」
「俺見るのも初めてです」
入り口から入った所に荷物を放り出し清宮と美咲が壁を触ったりボールを投げたりウロウロした、声が四方に反射してプラベート空間を強調していた
「ルールは置いといてとりあえず打ってみますか?」
「ああ、やろうやろう」
三人一緒にコートに入ってまずはフロントウォールに軽く打ってみた
借りたラケットは軽くグリップも細いが初心者二人を相手にするには充分だった
「ワンバウンドで打ち返せなかったら負けですよ」
「テニスの壁打ちと同じですね、俺結構得意です」
「俺はテニスもやった事無い」
「うわ…それなら早目に清宮さんを潰します、あんまり慣れるとどうせ上手いんでしょう?」
「バドミントンならやってたから同じじゃないか?」
フロントウォールだけを使ってしばらく順番に打つと意外な事に清宮より美咲の方が上手かった
清宮はラケットにボールが上手く当たらない
「やった!清宮さんに勝った!」
「神崎!お前ちょっとどいてろ!」
ムキになった清宮が美咲と対決を始めてしまった
どうせ今日は服もスポーツに向いているとは言えない、タァっとかオッシャ!とか一々騒がしい美咲と嗤っていた顔が段々真剣になってくる清宮を見物しながらコートの後ろに座って眺めていた
二人は打ち損ねたり後ろに逃したりしたら負け、という独自のルールでひたすら走っている
清宮はさすがと言うかあっという間にコツを覚え相変わらず軽い
カンがよく柔らかい体は守備範囲が広くどんな玉にも追いつきラケットに当ててしまう
「うわあ!」
清宮の動きに釣られたのだろう、美咲が大きく足を踏み出してそのままつんのめり、ベシャっと潰れてしまった
「大丈夫か?美咲!」
「又裂けました、痛ってぇ……」
「俺の勝ちだな」
笑いながら美咲に手を貸す清宮はずっと走り回っていたくせにゼイセイ肩で息をする美咲に比べ全然呼吸が乱れてない
スポーツしている清宮はいい……凄くいい
薄っすら額を濡らす汗もいい
シャツの裾がヒラヒラして腕を上げるとチラ見えの腹もいい
誘ってよかった、ここに白いご飯があれば清宮をおかずに何杯でも食べれる……
満腹になった頃清宮も疲れて…押し倒したり出来たりして……
「……っ崎!」
「神崎!!」
「え?」
うっとり眺めていると呼ばれていた
「美咲と代われ!」
「俺ちょっと休憩します、神崎さんここお願いします」
美咲は全くペースの落ちない清宮に音を上げて飲み物を買ってくるとコートを出ていった
「疲れてないんですか?」
「まだそんなにやってないだろ」
早くコートに入れと笑ってラケットを振り回す清宮はホントに生き生きしている
「もう、ウォーミングアップは充分でしょう、スカッシュの本当のプレースタイルでやりませんか?」
「本当ってどういう意味?」
「横の壁も使うんです」
軽く打ってサイドウォールからフロントウォールに跳ねさせコートにボールを落とした
「え?そうなの?」
「スカッシュのコートは箱全部なんです」
遠慮なしにバンっとボールを打ち込むとビリヤードの様に三角を描き反射的にラケット構えた清宮の反対側に跳ね返ってきた
「え?どう飛んでくるかわからないんだけど…」
「そうでしょうね」
意地の悪い笑みが顔につく
今度は角度を落として打ち込んだ
優位に立てるのはおそらく最初だけ、何回か通うとすぐに追いついてくるに決まってる
清宮はついてくる
付いてくるがトリッキーに跳ねるボールを読むのは経験がないとわからない
一旦コースを読み違えると跳ね返ってからコースを読んでも間に合わないのだ
ガシッと清宮のラケットが床を擦った
ボールは跳ねて入り口のガラスにパンっと跳ね返りコロコロ足元に帰ってきた
「クソ……神崎、お前スカッシュ初めてじゃないだろう」
「はい、小四から武道と一緒にみっちり通いつめてます」
にっこり白状すると清宮はグッと唇を締め直し、腕の関節を伸ばして大きく息を吐いた
清宮は多分スポーツで誰かに遅れを取った経験が殆どないのだろう、学校で出来る様なスポーツでは誰も足元にも及ばない
だがスカッシュなら絶対負けない
スポーツドリンクを3本買ってコートに戻ると清宮と神崎が初心者にしては異様なスピードで激しく打ち合っていた
ボールがツーバウンドしても拾う手間を省いてそのまま打ち続けノンストップ……
清宮はコートに入って30分ずっと休みなく打っている、さっきまではほのぼの体験を楽しみながら笑っていたが今は集中した時に見せる見覚えのある目付きでボールを追っていた
「清宮さん……タフだな……」
何度目か清宮のラケットが空を切った
「うわ、気持ちいい~~」
肩で息をしながら汗を飛ばした、もうシャツは勿論だがパンツも汗に濡れて足を曲げるとくっついて動きにくい
「何が!」
清宮はラケットを杖の様にして前屈みにもたれていた、さすがに息が上がって肩を揺らしていた
「春人さんをコテンパンに出来るんですからね」
「お前な、そのうち吠え面かかせてやる」
「俺は負けませんから」
「俺も負けない」
ムキになった清宮は早く早くと急かした
会社での清宮は絶対的なボスだ
命令もしないし、新入社員がしなければならないような雑事もやる
抜群にスポーツが出来て…乱暴で、多少変な所が雑で、トロくて、無意識にブンブン振り回してくれて、たまに可愛くて、潤んだ目が色っぽくて…
話が逸れた…
つまり権力を振るわなくても群れを従わせる不思議な統率力を持っていた
多分同期で入社していても力関係は変わらなかっただろう
その清宮を上から見下ろせる
こんな気持ちいい事はなかった
「美咲も休んでないで入れよ」
「俺?……ついて行けるかな……」
「付いて来い、ルール変わったからな」
美咲にもサイドウォールの使い方を教えて順番に交代しながら二時間丸々打ち合った
「つ…疲れた…」
美咲がコートの真ん中に寝転びラケットを放り出した
「明日…仕事出来るかな…握力がない」
清宮が手をにぎにぎして心配そうに呟いた
「俺も」
美咲も拳をにぎにぎして500ml入のペットボトルを一気に全部飲み干してしまった
「キツくラケットを握りすぎなんですよ、打つ瞬間だけ力を入れて……」
「神崎は?手は大丈夫なのか?」
「そりゃ多少来てますがそれより足がもうキツイです」
「明日も来るぞ」
「え?」
清宮は明らかにムキになっている
「明日は入稿が三つもあるから無理でしょう」
「じゃ明後日」
「休みですよここ」
「じゃあ昼休みにラケットを買いに行こう」
「え?買うんですか?」
「俺も買います」
美咲もムキになっている
「俺はいいです、古いですが持ってるし…今月厳しいんですよ、ベッド買ったし…」
「え?」
清宮が大きく目を見開いて飛び起きた
「本当に買ったのか?」
「もちろんです」
ダブルベッドまでは安価であるがロングサイズは少し値段が上がる、マットレスもどうせならといいものを選びシーツなどを揃えたら結構な価格になった、生活に支障が出るほどではないが靴も買ったしキツイ
「それ………さ……あの……」
清宮は美咲をチラと横目で見てモゴモゴ口をつぐみ耳まで赤くなってしまった
「見に来てくださいね」
口元が緩んでしまうので手で抑えた
実はものすごく抱きついて頭をぐしゃぐしゃ撫で回したい、元々スポーツでペシャンコにしてみたい欲求と……やっぱり動く清宮を見たくてスカッシュに誘った
交代して休んでいる間しなやかに動き回る清宮から目が離せなかった
こんな健康的な場所で欲情している自分が情けないがスポーツをする清宮は「清宮大好き」の発生源と言うか根本と言うか……もう色々どうしようもない
何で美咲を連れてきたんだ……
汗を拭いている美咲を横目で見て恨めしく思った
三人とも汗ビッショリだが着替えがは持ってこなかった、仕方なく顔だけ洗ってスポーツクラブを出た所で足を止めた美咲が鞄をゴソゴソしながら聞いた
「俺の携帯見てないですか?」
「見てないけどな、赤いガラケーだろ?」
美咲は今持っているガラケーのデザインが好きなので変えられないと言って未だにスマホに変えてない
「会社かなあ…」
「慌てて出てくるからだよ…別に大して不自由ないだろう」
「いや、清宮さんじゃないし、なかったら落ち着かないというか……」
「取りに行けばいいじゃないか下の階なんだし」
追っ払いたい魂胆が我ながら丸見えだ
「じゃあ……俺は取りに行きます…お疲れ様でした」
美咲は二人から離れるのが惜しいとばかりに振り返りながらバックヤードへのエレベーターに向かって帰って行った
「何ニヤついてるんだよ」
清宮が怪訝な顔で見上げてきた
「ニヤついてました?」
「ああ…」
「春人さん」
「何だよ…」
「うちに来ませんか?」
「え?!いや………ベッドなんか見に行かないぞ?」
「春人さん、ベッドは買ったけどまだ届いていませんよ、俺のラケット見せますよ」
朝から晩まで誰もいないのだ、直ぐに手配されたとしても誰も受け取れない
古いベッドの下取りもある
「あ、そうか…そうだよな…なら行く」
清宮はよほどスカッシュが気に入ったらしい、思い通りにいかないから尚のこと面白いのかもしれない、部屋に入って直ぐにラケットを見せろと急かしてきた
「古いですよ」
クローゼットの奥に立てかけてあったラケットはスポーツクラブで借りたものより形や素材が随分違うがグリップを握るとやっぱりしっくり来る
清宮に渡すとカバーをつけたまま興味深そうにブンブン振り回した
「へえ、年季入ってるな」
「何回か買い直したけど…多分七、八年ぐらい前に買ったやつだと思います」
「ボールは?」
本当に小学生みたいだ
「ありますけど貸しません」
「何で?」
「打つでしょう」
「緩くだよ」
やっぱり打つ気だった
「春人さんにはそのラケットはグリップが太くて持ちにくいんじゃないですか?」
「そんな所までサイズがあるんだ…」
「そりゃありますよ、テニスのラケットだって同じでしょう、春人さんには貸せませんよ」
元より鍛える為にやっでいたスカッシュだ、グリップは通常より厚く重量も重い、合わないラケットは手首を痛める可能性もある
「春人さんには軽目のラケットが合うでしょう、うちのスポーツ用品店には揃ってないから「今度」一緒に専門店に行きましょう」
ビールを手渡しながらまた暴走しないように先手を打っておいた
何もわかってないくせに放っておけば明日にでも六階のスポーツ用品売り場に駆け込んでしまう……絶対………注文すれば揃えてもらえるが色や形を見て決めるものじゃない
「ラケットは俺がちゃんと見てあげますからそれから決めてください、ほらもうラケットを置いて座ってください……おつまみに何か出しましょうか?」
夕食はファーストフードで済ませていたが清宮は勝手に戸棚を開けてカップラーメンを取り出した
ラケットはまだ持ったまま……
「俺ラーメン食べる、神崎は?」
「俺はビールでいいです、作りましょうか?」
「いいよ、自分でやるから」
お湯を沸かすだけだ、好きにしてくれればいいと放っておいてビールとチーズのクラッカーを開けた
運動して汗をかいて……清宮と一緒に二人で部屋で飲むビールは極上
旨い
そのまま一気に飲んでしまいたいがこの所酔った末の事故が多い、自重して二口で抑え込んだ
「なあ、神崎…これ何?」
清宮が台所から体を折って顔だけ覗かせた
「これって何ですか?」
「それを聞いてるんだよ」
「だから何か言ってくださいよ」
ビールを置いて台所まで見に行くと清宮は晋二から預かった紙袋を覗きんでいた、鞄に入れっぱなしで忘れていたからクシャクシャに潰れて中身が見えていた
「ああ、それ春人さんの上着ですよ、バーに忘れていたから預かってきたんです」
「じゃあこれは?」
「あ…………それは……」
清宮が手にしていたのは例のボトル……
「…ええと……俺も…よくわかってないんですけど……」
まるで初デートの時にコンドームを見つけられた気分
「ふぁんしーろーしょん?何で俺に?」
服と一緒に入っていたので自分に渡されたと思ったのだろう、ボトルをフリフリする清宮にムクムクと意地の悪い気持ちが湧き上がってきた
「潤滑剤ですよ」
「?…………何の?」
「……………」
何も答えないでニヤリとした
「え!?……」
清宮は弾かれたようにボトルをバタンと投げ見る見る顔を真っ赤に染めた
「実は俺もよく知らないんです、知り合いが分けてくれて……」
「お前……誰かにそんな話をしてるのか?!」
したけど…
清宮は後ろの壁に張り付いて毒薬でも見るような目付きで転がる容器を目で追った
「違いますよ、それに女性とだって使う人もいるでしょう」
「いるの?」
「いますよ、コンビニに揃って入る所もあります」
この人は真っ当な経験がないんじゃないか?と時々思う、真っ当じゃない経験はあるが…
「ちょっと見てみましょうよ」
ボトルを拾って中身を少し出してみた
思っていたよりサラッとした手触りで保冷剤のように冷気を蓄えひんやり冷たかった
「薄い……ピンクなんだ……」
「え?見せて」
好奇心に負けたのか清宮もそろそろと寄ってきてチョンと指でつつき慌てて引っ込めた
透明な液体は気泡を含み指で挟んで離すと伸びる、かなり粘度があってぶんぶん振っても指から離れない
「わっ取れない」
「春……人さん……」
クツクツと腹の底から笑いがせり上がって声が震え、目が合うと止まらなくなった
限界まで運動した後だからハイになっていたのかもしれない、二人ともエロ本を見つけた中学生のようになっていた
「……ああ笑い過ぎて腹痛い……ヌルヌルだな、凄く伸びる」
「何か……甘い匂いがしますね」
「おい……イチゴ味って…書いてあるぞ」
「よく滑りそうですね」
「お前な!」
がっと清宮が拳を固めた
殴られてはたまったものじゃないので拳を手で受けてまた二人で笑った
「春人さん、お湯が沸いてるんじゃないですか」
背にしたIHコンロからグツグツお湯が沸く音がして振り向くと小鍋からお湯が泡になって跳ねていた
清宮の部屋にはテレビが無いせいかここに来ると必ずスイッチを入れる
報道番組を見ながら、お湯を入れてまだ3分経っていないのに無理矢理混ぜたラーメンをソファの下に座り込み食べ始めた
時たま飲みかけのビールを手にとって飲む
「春人さん、自分のビール開けてくださいよ」
「一本もいらないんだよ」
「結構飲んでるじゃないですか」
汗が乾いて髪がフワフワ浮いてる清宮のつむじを見ていると寝室のドアをチラリと横目で見てしまう……
いくらなんでも今日はそんな事は出来ない
清宮の体が心配だし……
あんまりがっついても嫌われそうな気がする、今日みたいにほっこりした雰囲気も壊したくない…
撫で回すくらいはしたいが……
モジモジ伸ばしたり引いたりする邪な腕を察知したのか清宮は空になったカップラーメンを持って台所に行ってしまった
ビールはもう三本目……
一本目と二本目は清宮と分け合い飲んだ気がしない、残ったビールを飲み干して四本目に手を掛けると……
ドンっ!!と籠もった破裂音と清宮の叫び声が部屋を揺らした
「うわっっ!!」
窓のガラスが嘘みたいにバンっと膨れ音の振動に割れたかと思った
「春人さんっっ?!!」
間違いなく何かが爆発した、清宮はただカップラーメンの容器を片付けていただけの筈……
一人でまったり妄想を膨らませ気も心も緩んでいた所に響いたその爆音は日本に住んでいたら耳にする機会なんてそうあるわけか無い
体が浮くくらいビックリした
「大丈……夫……?…春……」
「びっくりした……」
ずっと手にしたまま離さないラケットに身をかくすように清宮は電子レンジの前で避ける体制のまま固まっていた
つまり……何かいらぬ事をしでかした
「何やってるんですか!」
レンジはドアが開いて…信じられないが……ちょっと曲がってないか?……
「これは…………」
レンジの中と……床や壁にも何かの液体が飛び散ってベチャベチャになっていた
「あんまり冷たいから…ちょっと………温めようと……」
「はぁ?」
口を開けすぎて顎が外れそうになった
レンジの中にはひしゃげたボトル………
晋二に貰った潤滑剤が倒れた口からドロンと中身を垂れ流していた、まだ残った液体はグツグツと沸騰して生き物のように這い回っていた
「一体何でこれをレンジに入れたりするんですか!」
「…だから……もしも………から……」
モゴモゴ言ってて聞き取れない
「こんな粘度のある液体が入った密閉容器をレンジに入れたら爆発して当然でしょう!」
「だって………」
「だって?なんですか!」
「もしも……そう…ったら…冷たいの嫌だろう…と」
「はい?」
清宮の顔がカァッと赤くなりヤケクソの様にラケットを振った
「馬鹿じゃないですか……」
「馬鹿とか言うな」
「馬鹿です……」
もう……もう……必死で我慢してたのに崩壊……
いつもこうして清宮発で煽られる
無意識なのも始末が悪い
怒れない……電子レンジを壊されたとしても、何なら建物を爆破されようとも怒れない
逃げる清宮との格闘はキスで決着がついた
台所はひどい有様だった
電子レンジは目の錯覚ではなく本当にドアが曲がり使用不能……あらゆる所に液体が散らばりよく見るとリビングにも被害が及んでいる
清宮は点々と顔や手に小さな斑点を作り火傷を負っていた
「これ正面にいたら体中に被って大火傷ですよ!」
「被ってないからいいじゃないか」
「馬鹿」
「お前最近人の事、馬鹿馬鹿言い過ぎ!」
どうしてわざわざピーマンみたいな事するの!
中が空洞という意味らしい、しなくていい事をわざわざする神崎兄弟に向かって母がよく言った
穴に指を突っ込み抜けなくなって泣いていたり、鼻の穴にチョコボールを二つ詰めて取れなくなって病院に行ったり
最後に言われたのは多分中学の時……電気代節約のため使っていた石油ストーブの上でティッシュを飛ばして火がついた時だ
あの頃の母の気持ちが分かる
「……Pマン」
「何だよ、それ」
タオルを半分に切ってぞうきんを作り二人で拭いて回った、天井はもう諦める
それにしても清宮はやる気だったのか…
多分求められたら拒否しないという程度か……
流されるのはお得意だ、今のところ清宮の気持ちは全くわからない
掃除が終わってすぐ……
清宮は携帯の着信に慌てて電話に出た後急いで帰ってしまった
スカッシュブームはデザイン部で伝線して山内も加わり皆でスポーツクラブの正規会員にもなった
3日と開けず通いまくったせいでデザイン部が揃ってスポーツクラブに出没するという噂が社内で広がり、知った顔をクラブ内で見かける事が多くなった
スカッシュのコートは入り口の壁が全面ガラス張りなので中が丸見え
「暇ですね……みんな……気持ちはわかるけど……」
美咲が当たり前にギャラリーを背負う清宮を見て笑った
神崎と清宮が打ち始めると外で数人が携帯を構えている、見るぐらい仕方がないがさすがにそれはやめて欲しい
あまりに堂々とプライベートに踏み込まれては清宮も堪ったものではないだろう
美咲は舌打って無神経なカメラの前に立ち塞がった
「すいません、写真を撮るのはやめてもらえませんか?」
多分地下売り場の女の子三人だ
「すいませーん」
「やだ、怖い…」
全く悪びれる事もなく携帯をポケットに入れようとしたが間違いなく何度かシャッターを押している
「中身を見せてもらえます?撮った分消してください」
「え?…嫌です、どうしてそこまで…」
「いいから見せてください!」
「嫌です!」
美咲が背中に回された手から携帯を取り上げようとするとワッと女達が避けようと散った
「消して下さい!非常識でしょう」
「そっちこそやめてよ!」
「美咲やりすぎだって」
ムキになった美咲が強引に隠された携帯に手を伸ばすと周りからもざわっと声が上がり美咲を追ってコートから出てきた山内が止めに入った
「だって!この人…」
「美咲」
清宮の低い声が背中から聞こえ一斉に注目を浴びた
騒ぎに気付いた清宮と神崎がコートから出てきていた
清宮はチラリと美咲に目をやっただけでそれ以上何も言わずにロッカールームへと引き上げてしまった
いたたまれないのは完全に無視された女の子達の方だろう、一暼さえしてもらえなかった
その日はもうプレイを続けることは出来そうもない
清宮の後を追ってロッカールームに引き上げるしかなった
ロッカールームに戻ると清宮はベンチに座って拗ねたように口を尖らせていた、会社では見せない素顔にビビりながら美咲は恐る恐る清宮の前に行って頭を下げた
「あの………すいません…俺また…」
前にデザイン部で騒ぎを起こしたのも美咲だ、子犬みたいな無害そうな顔をしているくせに意外とすぐに手が出る
……見た目ギャップは遠く清宮には及ばないが………
「ここは公共の場所だろう、デザイン部とは違う、俺も庇えないし責任は自分で持て」
「はい……」
美咲は頭を下げてしょげかえっていた、清宮を守ろうとしたつもりがやり過ぎた事はわかる
「春人さん、美咲もわかってますよ…それにあれは非常識ですよ」
わかってるよ、と清宮は溜息をつきラケットにカバーを掛けた、清宮は怒っているというよりただ楽しみを邪魔されて拗ねているだけだ
「だいたい写真くらい大した被害ないだろう、撮らせとけよ」
「清宮さんはいいんですか?」
「俺は関係ないだろう?、背中を向けて打ってたし…」
「……………」
この無自覚……言っても仕方がない
美咲と顔を見合わせ苦笑いを浮かべた
「あれ山内は?」
「山内はフロントに事情を説明して何とかスカッシュのコートに使用者以外入りにくいようにしてもらえないか交渉しに行きました」
「へぇ…そうしてもらえると有り難いけどそんな事出来るのかな、みんな一応会員とかビジターの料金払ってるんだろ」
「無理みたいです」
山内がスポーツクラブの担当者とロッカールームに入ってきた
「すいません清宮さん、やっぱり会員の人だと入って来るのは止められないそうです」
山内はこういう時意外に的確な対処をする、デザイン部では一番落ち着いているかもしれない
いかにもインストラクター、というやたら筋肉が目立つ体をしたクラブの担当者は頭を下げた
「申し訳ありません、対応としてはプレーする人以外は入場を遠慮してもらうように廊下に看板を立てるぐらいしかできません」
「撮影禁止も入れてください」
美咲がすかさず付け加え、担当インストラクターはそれだけはきつく禁止しますと約束した
「春人さんこれからどうします?」
水を差されてもうスカッシュに戻りたくはないがスポーツクラブに来てからまだ30分も経っていなかった
「俺は泳いでから帰る」
清宮が突然Tシャツをガバッと脱いだ
「え?泳ぐんですか?水着は?」
「持ってるよ、会員になったもん」
「き…清宮さん……」
プールもあるスポーツクラブのロッカーだ、何も不思議はない………ないが何故一度に全部脱ぐ必要がある……三人が見ている前でさっさと素っ裸になり水着に着替えてプールに行ってしまった
「俺見ちゃったよ…」
「見えたな…全部……」
「刺青なかったな」
「うん」
どうしてか美咲と山内は顔が赤い
誰に遠慮する必要もないのは分かるがショートパンツを引き下ろした時には息を止めた……プラベートが守られた自宅の風呂場じゃないのだから同僚……しかも部下の目の前でわざわざ全部見せる必要なんてない
何であんな人がこんなにも好きなのだろうと、自分でも不思議に思う
「清宮さん泳ぐのも上手いのかな…」
うん……イルカみたいに楽そうに泳ぐぞ
声を出さずに答えた
子供の頃スイミングで見ていたのだ、それこそずっと
「見に行こうかな」
「美咲、多分水着を着てないと入れないと思うよ」
プールは女性もいる、盗撮などを防ぐ為、洋服での入場やカメラや携帯の持ち込みは禁止されていると山内が説明した
「そうなのか……俺も次は水着持ってこようっと」
美咲と山内はジムに寄ってから帰ると行ってロッカールームから出て行った
ものすごく迷ったが清宮が泳いでいる間に晋二のバーに行く事にした、別に清宮を待つ必要もないが…何となく…
やはりあの爆発したボトルの代わりは持っていたい、何と切り出すか………
事情を話すと晋二は他の客がビックリするくらい笑った、それこそ立っていられないくらい……
「笑い事じゃないんですけどね……部屋中汚染されてドアを開けたらイチゴの匂いが充満してるんですから」
「あの方…本当にいいですね…ああ……腹が破裂するかと思った」
「それで……その……」
「これ、持って行っていいですよ」
涙をぬぐいながら晋二は小さな紙袋をだした、代わりが欲しいと言わなくてもわかってくれる
「これ、あの…お金は……」
「多分ここで都合して差し上げる方がいいでしょう、前のは開通記念、今回は楽しませてもらったお礼です、次から飲み代に乗せますよ」
ご開通記念って……
「あり……がとうございます」
どんな顔をしていればいいかわからない、袋をスポーツバッグにしまい携帯を出して眺めた
…そういえば………
ふと思い付いてインスタをチェックしてみると#清宮は続々と新作を生んでいた
レンタルのラケットでプレーした初めてスポーツクラブに行った時の写真がある、多分これが社内で噂が広まった最初の一枚だろう、トラブルのあった今日の写真も既に投稿されていた
「何でこんなに……」
ちょっと異常でもある
ムカムカするのと同時に薄ら寒くもある
「晋二さん、なんかキツイのください」
え?という顔をしてからすっとショットグラスを出して来た、いつもなら先読みしてくるので珍しい
客の接待で神崎を見ていなかったのだろう
カプッと音を立てて流し込んだ
「どうしたんですか?」
晋二が肩に手を掛けて携帯を覗き込んできた、どんな企みがあるかわからない相手だか今はそれどころじゃない
「あれ?ハルヒトさん?」
「何かと盗撮されるんですよあの人」
「わかる気がします、面白いですからあの方…」
投稿している側は面白いから写真を撮る訳じゃないだろうが血を流す清宮や食器を抱えて売り場を走る清宮は事情を知って見ると面白い
晋二のバーにはつい長居をしてしまう
30分時間を潰すつもりがいつの間にか2時間も経っておりスポーツクラブに戻ると清宮はもう既に帰ってしまった後だった
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※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが
なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です
酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります
攻
井之上 勇気
まだまだ若手のサラリーマン
元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい
でも翌朝には完全に記憶がない
受
牧野・ハロルド・エリス
天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司
金髪ロング、勇気より背が高い
勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん
ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話
タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。
叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……?
エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。
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