月のカタチ空の色

ろくろくろく

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その日の午後はトラブルに見舞われた

納品された催し案内の葉書に記載されていた開催日時が仮入れのまま正しい日付に書き換えられていなかった。
よくあると言えばよくあるトラブルだが今回は印刷をやり直す時間も予算もない。正しい日時を印刷したシールをスペースに合わせて作り、間違った日付の上に貼るという非常手段に出るしかない


「山田さんはすぐに文字サイズを合わせたシールを作ってください」

「はい………あ、清宮……これどうしよう、写真が隠れるけどいいかな」

「ちょっと待ってください、電話が終わったら見ます」

山田はまだこんな事にも清宮の指示がいるのかと呆れてしまう、二年目の美咲や山内だってもう自分で考えて動く

「春人さん、俺が見ますから印刷の手配をお願いします」

清宮は電話で話をしながら頼む、と目で合図を送ってきた

見るとは言ったが悠長に相談に乗るつもりなんかない、山田をデスクから押しのけそのまま訂正日時を打ち込みシール用の枠を付けてワンシート100枚の版下を急いで作った

文字の下のイメージ写真がシールの白縁で隠れてしまうのは不細工だがもう仕方がない


「はい……そうです、今すぐデータをメールしますから出来るだけ早く仕上げて持って来て下さい、はい、バイク便でいいです」

出来たと電話中の清宮に合図を送ると頷きだけのゴーサインが返って来たのでそのまま印刷会社にメールを送信した

「ありがとう神崎、美咲、山内もシールが届いたらすぐに全員で葉書に貼るから手を開けといてくれ、急ぎはあるか?」

「俺は大丈夫ですけど美咲が…」

「今日の3時締切の入稿が二件あります」

「美咲の手持ちは一件俺がやる、すいませんが事務の二人も手を開けて手伝って下さい」

清宮は返事を待たずにパソコンに向かい美咲担当の入稿チェックに入ってしまった

葉書は2000枚ある、デザイン部だけで間違いの日付に一枚一枚手作業でシールを貼らなければならない

一刻も早く仕上げなければ発送までの猶予がなくなってしまう

「山田さん、売り場に遅れる事を知らせて下さい」

「え~……アドレスの印刷が遅れるって文句言われるじゃん…清宮が言うんじゃないの?」

なんで神崎にそんな命令をされなきゃならないとハッキリ顔に書いて山田が不満そうな声を上げた

「山田さんのミスでしょう、それぐらいやってください」

「俺のミスって何人もチェックしてるじゃん…」

「いいから、神崎、俺がする」

「でも………」

やめろと目で言って受話器を手に取った清宮はこんな時矢面に立つことを決して躊躇しない


「………すいません俺のミスです、シールを貼るので夕方になりますが…」

清宮が売り場に内線して謝ると山田はほらな?と仕事に戻った

タイプミスは仕方がない、なまじ勝手に変換され音としては合っている為チェックする側もミスを見つけにくい、誰にも経験のある事でフォローはお互い様だが山田には責任を感じている様子は無かった


インクの揮発が完全ではない真新しい溶剤の匂いをプンプンさせたシールはほんの30分くらいで届いた、印刷屋は台頭している格安ネット印刷会社には出来ない対応で大手の顧客を死守している

手の空いているもの全員ですぐにシール張りに取り掛かった



5センチ程の細長いシールは雑に貼ると下の文字がはみ出てしまう、物置きになっていたローテーブルを真ん中に持ち出してみんな床に座り込んで背中を丸めた


「目標30分……山内……もっと丁寧に貼れよ客に届くのは一枚なんだぞ」  

「俺指が太くて細かい作業苦手なんです」

「ピンセットなしで出来るんだから細かくないよ、おい、美咲、葉書が崩れるぞ」

シールは意外と厚い、処理済みを積み上げると斜めに傾いてくる、言っている間にズルリとスライドしてバサバサと床に落ちた

「あ!もう……角が凹んで丸まったじゃない馬鹿美咲」
 
「馬鹿とか言うな、それをやったのは……郵便配達って事にしよう」

手と一緒に口でワチャワチャしながら七人で分けると一人300足らず、あっという間に作業は進み、殆ど終わりかけのタイミングで山田が立ち上がった

「大体目処はついたよな、俺今日の仕事遅れてるから後は頼むよ」

「何を言ってるんですか、最後までやってください、これも山田さんの仕事でしょう」

お前のせいだろと言いたげに美咲が残ったシールを山田に手渡した

本当はお互い様なのだが最近デザイン部の人数が増え、ますます自分の仕事以外手を貸そうとしない山田に、美咲は不満を隠そうともしない

山田の言った通り何人も葉書の校正に目を通しハンコを付いているし、開催日が仮入れだったのは売り場からの連絡が遅れたせいでもある

山田一人の責任ではないが、このまま本当に山田が作業を離れると揉め事になりそうで出来上がった分を整理する様に葉書の山を押し出した

「自分の仕事を後回しにしているのは皆同じです、シール貼りはもういいですから山田さんは葉書を纏めて売り場に持って行ってください」

「……何なんだよ……神崎、何でお前が勝手に指示するんだよ」

「山田さんはもっと春人さんをフォローすべきでしょう……………全部押し付けて…」


「やめろ、神崎」

ずっと黙って小さな諍いに口を出さなかった清宮が静かに割って入った、顔も上げずに手元でシールを貼り続けている

「…それは…清宮が出しゃばってくるから…」

「はぁ?」

カチンと頭の中でロックが外れる音がした

「何言ってるんですか、春人さんの苦労を見てるでしょう」

「清宮、清宮って何だよ!黒川より神崎の方がよっぽど怪しいんじゃないのか?」

「何だと!!」


シールを放り投げて山田に掴みかかったのは美咲だった

「取り消せっっ!!言っていい事と悪い事があるだろう!」

「ちょっと!美咲!!」

ガタンっとテーブルが動き南が素早く葉書の崩落を堰き止め横に避難させた

「美咲!やめろよ!シールの予備ないんだぞ!美…」

!!

突然ガシャーンッと大きな音を立て、事務椅子が勢いよくデスクにぶつかり跳ね返った


ピタリと動くのをやめた空気の中、気を失ったようにバランスを崩した事務椅子がゆっくり片足を上げ、止まったかと思う程時間をかけて倒れていった

揉み合ったまま動きを止めて固まった美咲と山田は再び響いた衝撃音にビクリと肩を震わせ、宙に浮いてカラカラと空回りするキャスターを呆然と見つめた


「南さん………内線お願いします」


椅子を蹴りつけた足をスッと下ろした清宮はグルリと全員を睨みつけシールを貼る作業に戻ってしまった


「あ……………電話?!」

誰もがポカンとしてシンと静まり返った部屋で無邪気に呼出音を響かせた内線電話にやっと気付いた南が慌てて飛びついた

「さっさと作業に戻れ」

「でも……でも清宮さん……こいつ……」

「美咲……山田さんは俺にとってもお前にとっても先輩だろう、口のきき方に気をつけろ」

「………はい………でも……」

美咲の声は最後が萎み小さくなって消えていった

まだ納得していないのだろう、山田にかけた手をジッと見てから悔しそうにゆっくり離した


「すいませんでした、山田さん……」

頭を下げた清宮の言葉にハッと頭を上げた美咲の顔がみるみる泣きそうに歪んだ

「セーターが伸びたよ……全く…」

山田は清宮の謝罪を無視して盛り上がった紺のセーターをモゾモゾ下げ、それでも坐り直しシール貼りを終わりまでやってから黙って売り場に届けに行った


普段の清宮はどちらかと言えば口数が少なく大人しい、仕事の事でも命令口調は一切ない

一人で責任や雑務を引き受け社会的な役職もないが課長でさえ清宮に従う

明らかに群れのリーダーの資質を持っていた

山田は清宮に抜かれた時に諦めたのだろう



「みんな……色々悪かったな仕事に戻ってくれ」

シールを剥がした裏紙の片付けをしながら清宮が静かに言った

「清宮さん……すいませんでした……俺…」

頭を下げた美咲の髪をぐしゃりと混ぜて「仕事に戻れ」と笑いかけると美咲は涙を我慢する代わりに鼻水をタリンと垂らしていた


「ビックリしたね……清宮さんが椅子を蹴るなんて……」

「入社した時から知ってるけど清宮さんが正面切って怒った所を見たの初めてかも…」

中山と南がコソコソ話しているのが聞こえたが球技大会で暴れた所をみんな目の当たりにしてる筈なのにまるで見えてない、もう既に偽装か擬態だと言いたい

清宮は何かあるとすぐに蹴ったり………蹴ったり、蹴ったり……たまに殴ったりしてくる、手が早く売られた喧嘩はすぐに足で買う

普通の男より余程乱暴なのだが、どうやら世間的には清宮の本性は知られていないらしい


午後一番で起きたトラブルで仕事は遅れ夜になっても全員が残っていた、いつも定時を過ぎるといつの間にか消えてしまう課長まで手持ち無沙汰な癖にまだいる、先に帰りづらいのだろう

食事に立つ時間が惜しいとみんな空腹は無視していたが閉店前を狙って中山が地下からカレーパンを仕入れて来た

「お腹が空いたでしょう、食べてください」

「ありがとう中山!心の友よ」

「ジャイアンか…有料だからね」

「………体で払う」

「美咲だけ倍増し」

中山と美咲が笑い合い、いつものデザイン部が戻ってきて皆ホッとした、二人はこの部屋のムードメーカーでもある

「春人さんコーヒーでいいですか?」

「いや、俺は…いい…」

「昼から何も食べてないでしょう?ちょっと手を休めても仕上がり時間はそんなに変わりませんよ」

「ああ……」

清宮はカレーパンに手をつけようとはせずパソコンを動かす手を止めなかった

昼間に一度緊迫したせいか全員で遅れた分を集中して取り組んだ為仕事は随分片付いていた

そこまで切羽詰まった急ぎはないはずだが清宮は目に見えないスケジュールを隠し持っている事も多い、聞いても教えてはくれないので清宮のデスクに黙ってコーヒーを置いた


ありがたくカレーパンを口に突っ込みコーヒーで流し込むとやりかけの入稿をダッシュで終わらせた

清宮の手持ちが容量オーバーなら手伝いたい

時計は9時半……言い方を間違えると先に帰れと言われてしまう、どんな様子か隣のデスクを見ると清宮が机に突っ伏して項垂れていた

「春人さん、そっちどうですか?」

清宮からの返事はなく、眠ってしまったのだろうかと顔を覗き込むと目を閉じて書類に押し付けた頬が潰れていた

「春人さん?寝るんなら帰ってちゃんと…春人さん?」

動かない清宮の肩に手を置くと服の上からでもハッキリわかるくらい熱かった

「春人さん?!」


「え?清宮さん?どうしたんですか?」

「様子が変だ……風邪かな」


美咲と山内が呼び掛けると清宮はうっすら目を開け力のない声で小さく返事をしたが、また目を伏せてコトンっと頭を落とした

「え?え?………清宮さん?」

「熱がある、俺が病院に連れて行きます」

自分の鞄に清宮の鞄を突っ込みパソコンの電源を落とした

「俺も行きます」

美咲も自分の鞄をたすき掛けにした、昼間の騒動で清宮に負担をかけたと思っているのだろう、その気持ちはよくわかったが役割を分担した方がいい

もしインフルエンザだったらデザイン部全滅って事になりかねない


「美咲は春人さんの仕事を見てくれ、保存出来ているかわからないし……」

「でも……」

「俺はもう終わったから、後を頼む」

「…………俺が見るよ、美咲は清宮を運ぶ手伝いしろよ」

山田も昼間の事を気にしているのか清宮のパソコンを覗いて保存の確認に入ってくれた

「救急車呼んだ方が良くないですか?意識無いように見えるんですけど…」

南が電話に手を掛けて待っていたが救急車を呼んでも担架を担いでビルの中まで来るには大騒動になる上時間もかかる


「俺が担いでタクシーで行きます、今なら渋滞もないしその方が早い」

「神崎さん、俺がタクシー捕まえます、エレベーター止めておきますから、正面に来てください」

「頼む、山内」

清宮の脇に手を入れて抱き起こすと美咲も反対側を支え、二人で清宮の肩を担ぎ上げ体重を支えた

半分意識があるのだろう、首をダラリと落したまま身体を預けてくるが清宮も一応立って歩いた

山内が先に走り荷物用の延長ボタンが押されたエレベーターが口を開けて待っていた

「春人さん!ちょっとだけ我慢して下さい、すぐに病院に連れて行きますから」

「…………っ………」

「え?春人さん?」

清宮が何か言ったが聞き取れなかった、美咲と二人で支えている熱い体は立っていると言うより今は足を引きずっている

「…大…丈………せ………」

「え?、すぐに病院に連れて行きますから」

「……行かないから…」

「え?」


行かない?

今確かに清宮は行かないと言った美咲にも聞こえたのだろう、顔を見合わせた

「離……せ……」

「何言ってるんですか」

美咲と声が重なった

大人になってから意識が混濁する程の高熱は危ない、清宮の体は密着すれば周りの空気さえ熱く感じる程熱が高く、時々体がピクンピクンと痙攣まで起こしている

「春人さんは熱のせいで自分で何言ってるかわかってないんだ、早く病院運ぼう」 

清宮が何を言おうと無視して裏口から店舗の正面まで引きずって行くと山内が扉の開いたタクシーの前でこっちだと手を振っていた

「神崎さん、大学病院が一番近いです」

「ありがとう山内、あと頼むな」

「はい、わかってます、美咲も頼むな」


美咲は青くなって頷くしか出来ないでいた、タクシーに清宮を押し込もうとすると何とか立っていた足がガクンと折れ体が揺らいだ

「あ!!」

倒れる!

……そう思った途端清宮は足を振り上げ支えていた手が離れてしまった

「春人さん?!!何やってるんです!待って!!!」

何が起こったかわからなかった、半分意識も無かったように見えたが清宮は自分で車のドアを手動で閉めてタクシーを発車させてしまった

反射で体が動いた

呆然とする美咲を放っておいて後ろに待機していた別のタクシーに飛び乗った

「前のタクシーを追って下さい!!」

その台詞を聞いた運転手は「嘘だろ?」って顔をしてわざわざ身を乗り出して振り返った

こっちだって恥ずかしい!

まさかドラマ仕立ての定番セリフを吐く日が来るなんて思わなかった

清宮は財布を持っていない
昼は社員カードで払っていたからポケットにもお金は入ってない筈だ

「もう……あの人は…」

動けない程の発熱は嘘じゃない……清宮の行動の意味がわからない

清宮を乗せたタクシーはぐるりと宛もなく周辺を回り随分遠回りしたが結局止まったのは清宮のマンションの手前だった

二千円を投げ出しタクシーを降りて清宮の乗ったタクシーに走った

「すいません、その客の知り合いです!」

「そうなの?この人この辺の住所言ったきり詳しい場所の返事がないんだよ…」

後部座席に座る清宮はぐったり頭を垂れていた

「すいません、悪いんですけどこのまま近くの病院までお願いします」

「え……病院ってどこですか?」

「夜間診てくれるならどこでもいいんです」

運転手は運悪く面倒な客を拾ったと明らかに迷惑そうな顔をして、逃げる言い訳を探していた

気持ちはわかるが清宮をまた動かすのは体に負担がかかるし避けたい

「大学病院が近いって……春人さん?!」

逃がすものかと食い下がるっていると清宮がフラリとタクシーから降りて、真っ直ぐ歩けていない夢遊病者みたいな足取りでマンションに向かってしまった

「春人さん!何やってるんですか!!ちょっと待って!運転手さん!待ってて下さい今連れてきますから!」

「もういいでしょう……メーター止まってるんです、この辺ならタクシーはすぐ捕まりますから一回精算してくださいよ」

「でも……ハル!!こら!ちょっと!待ってってば!!」

「お客さん!」

速く立ち去りたい運転手はもうシフトをドライブに入れていた、もう仕方がない、真後ろを全く同じ距離走ったのだから料金は変わらないはず、2000円を渡しお釣りは遠慮した


「待って!待って!俺も乗るから!」

締まりかけていた清宮の乗ったエレベーターのドアに滑り込んだ

「春人さん、どうしたんですかそんなフラフラになって何をしてるんです」

清宮は肩で息をしながらエレベーターのボタンの角に凭れて体を支えている、目は伏せていた

腰に手を回して清宮を抱き寄せると立っているは辛いのだろう、頭が胸に乗ってズシリと重くなった

「一回部屋に入りましょう、またタクシーを呼びますから病院はそれから行けば……」

「行かない……」

「どうしてですか?、すごい熱ありますよ…点滴でもして貰えば楽になるはずです」

「寝れば……治るから……」

寝れば治るって……その領域はもう超えてる

マンションの廊下に灯る青白い蛍光灯は真っ青になった清宮の白い肌を浮き立たせた

「鍵………」

「鍵?…あ…そうか………」

清宮の鞄を自分の鞄に押し込んで持って帰って来た事を思い出した、清宮は無一文でタクシーに乗りマンションの鍵も持たずに一人で部屋に帰ってこようとしていた

無鉄砲で鈍臭い………昼間のリーダー像からはかけ離れた子供っぽさを見せるのは病気のせいばかりじゃない

遠慮なく振る舞ってくれるのは嬉しいと言えばニマニマするくらい物凄く嬉しいが、ただでも清宮でいっぱいの頭がますます溢れて零れ出てしまう

会社で知らず知らずのうちに変な行動に出ていないか心配になってくる


「足元に気を付けて……背負いましょうか?…」

「馬鹿な事言うな…神崎は帰れ…………」

「帰れませんよ…………無茶しないで下さい」

鍵を開け玄関に足を踏み入れた途端、清宮は立って歩く事を放棄した、カクンと膝を折り壁に手をついたままズルズルと体を沈めていった

「春人さん!」

もう歩けとは言えない、渾身の力を込めて脇に腕を通し膝を持ち上げた

「うぐぅ………重………」

細身で華奢に見えるが相手は170以上身長のある普通の男だ、持ち上げるのはギリギリだった、止まっては保たない、カクンと顎が上がった清宮を抱き上げた勢いのままベッドに投げ出した


青白い額には玉の汗が浮かび前髪を濡らしてペッタリ張り付いている、頭の下に枕を当てて体の下に引いてしまった布団を引っ張り出し、カタカタ震えが来ている清宮の体を包んだ

「病院に行きましょう………タクシーを呼ぶから待ってて下さい」

「……しつこいな…行かないって言ってるだろ…」

「どうしてですか………」  

意識が途切れたり戻ったりしているようだが清宮は頑固に病院を拒みベッドの端っこで丸くなり返事をしなくなった

仕方がないので天井の蛍光灯からスタンドの間接照明に変え、この家で一番大きいボウルに氷を入れてタオルを絞った


息が早い

ベッドに腰掛け横たわる清宮の額や首の汗をそっと拭った

じっと顔を見ているとこのまま息が止まって死んでしまうのではないか………無理にでも病院に運ばないと後で後悔するするんじゃないだろうか

返事をしない清宮に不安が募りタオルを持つ手に力が入る

多分デザイン部のみんなも心配しているだろう……


「あれ?…………そう言えば……………」

神崎は美咲の存在を忘れていた、きっと帰るに帰れないでいる

清宮を捕まえた事だけメールしておいた



外はまだ暗いが暁の匂いがする
トラックやバイクが行き交い世の中の一部はもう動き出している

清宮のマンションは賑やかな街の真ん中にある
一晩中灯る街灯は煌々と我慢強く立ち尽くしていた

24時間客が途切れる事がない繁華街のコンビニ店員は朝の準備で忙しそうに働いていた

パウチのお粥
りんごのゼリー

他何かいるだろうか?

スポーツ飲料は2リットル入りを買った

自分の分は空腹の割に弁当類を目にしても腹に入る気がしない、適当にパンやサンドイッチ、クッキーなどを籠に放り込んで清算した


白々と夜が明けていく、まだ空は暗いが空の果てが青く光っている、コンビニの前で缶コーヒーを開けるとカコン…と篭った金属音が響いた

今までの人生でここまで恐ろしい思いをした事があっただろうか?一晩中清宮の顔を見つめ呼吸を確認していた

清宮が大切で大切で………どうしようもなく大切で後で思い出せば笑い話になるかもしれないが不安に体が震えた


大丈夫なんだと確認したくて何度も叩き起こしたくなった、外の冷えた空気で頭を冷やしてマンションまで帰ってくると…

?……バスルー厶から水音がする

「?!春人さん!!」

ベッドは空だ、まさかと扉を開けると摺り硝子の向こうにシルエットが見えた

「何やってるんですか!!」

ガランっと折戸を開いて素っ裸の清宮が躓いたようにフラリと出てきた、返事をするつもりもないようで濡れた体がトンっと胸に当たり抱こうとするとスルリとすり抜けた

「無茶ですよ、まだ熱いじゃないですか」

一晩中見ていたのでまだ全然回復していないとわかってる、どうしてじっとしていないんだ



清宮の顔を見ると文句は引っ込んでしまった

まだ目が潤んで焦点もあってない

頭からタオルを被りいつものスエットズボンを履いただけでまた髪が濡れている

キッチンカウンターの上に放り出したスポーツ飲料をペットボトルをそのまま口を挟む付けて飲んだが食べ物はいらないと手渡したゼリーを置いてしまった

「ちょっと見せてください」

首に手を回すとまだ体温は高い

「まだ横になっていなくちゃダメです、熱が下がってない」

「大丈夫だ」


タオルを浴室に捨てクローゼットに手を伸ばす清宮が襟のあるポロシャツを手にした事で出勤するつもりなのだと気付いた

「会社に行くつもりなんですか?無理です、寝ていて下さい、今日は休むと俺が連絡しますから」

「何言ってるんだ休めるわけないじゃないか」

「馬鹿言わないでください、仕事なんてできるわけないでしょう」

清宮の手からシャツを取り上げた途端に清宮の体が傾いだ

「ほら!危ないですよ…………もう!」

何が大丈夫だ、立っている事もやっとなくせに時々見せる頑固な一面が顔を覗かせていた

「くそ……しょうがない……逃げないでくださいね」

膝の裏に腕を回しグルンとそのまま持ち上げた、落としてしまったらその時はその時だ

「なっ!離せよ!おい…」

「嫌です、ちょっと黙ってて下さい、重くてギリギリなんですから」

「重いなら離せ、自分で歩く!」

「フラついてるくせに…暴れないで!」

抱かれた状態で足をバタつかせるとどうなるか考えてはくれない、トトっと進めた足でベッドに放り出してバフリと羽毛布団をかけ拘束する様に乗り上がった


「重い……どけよ…………俺は大丈夫だって言ってるだろ」

「今日は病院に行ってゆっくりしてください、一人で行けないなら俺も会社を休みます」

「病院は行かないって何回も言ったよな?」

話す内容の割に声が弱い、どうしてそこまで病院を拒否するのか分からないがこれ以上言っても無理な事はわかった

朝方には少し落ち着いていた熱がまた上がり始めているんだろう…目の周りが赤い

「……わかりました、でも出勤はダメです、また倒れたら周りにも迷惑がかかります」

迷惑と言われるとさすがの清宮もグッと黙った

「ちゃんと寝ていて下さいね、仕事の心配はしないで下さい、もうちょっとみんなを信頼して」

「神崎は行けよ」

「はい」

のしかかったついでにそっと赤い唇にキスをした

「風邪だったら伝染るぞ、インフルエンザなら共倒れだ」

「春人さんがくれるものは何でも貰いますよ」

にっこり笑ってポンポンと布団を慣らすと出勤は諦めてくれたのか清宮は大人しく寝る気になってくれたらしい

「何か食べれそうですか?食べさせてあげますよ」

「……いらないよ…馬鹿…」

口の前に食べ物を運ぶと当たり前に食べる癖に……

「冷蔵庫に食べ易いものが入ってます、お腹に入りそうだったら食べてくださいね」

「神崎、またうるさくなってるぞ、早く会社に行けよ」

「どうとでも…俺の言う事聞いてくれたらそれでいいですから…」

清宮が気にはなるが出勤の用意をしなければならない、シャワーを借りて勝手に着替えを探った

ベッドを見ると大人しく休む事に納得してくれたのかこんもり盛り上がった小山が規則的に上下している

「行ってきます」

浅い眠りを邪魔しないようにささやき声で挨拶を残して会社に向かった。



「神崎さん!!昨日どうなったんです!なんだったんです!俺はどうすればよかったんですか!!」

朝一番神崎の顔を見るなり美咲が抱きつく勢いで詰め寄ってきた

「タクシーで追いついて部屋に運んでおきました」

「病院は?」

「行かないって言い張るんで寝かせてます」

「何でだろう…薬もらった方が早く治るのに…………まさか!」

美咲の大声に全員がビクッとなった

「人に見せられない大きな傷跡があるとか!」

「入れ墨とか?!」

中山が言葉を継いだ、二人の連携はもうデザイン部の名物と言ってもいい

「刺青……って若気の至りで龍が背中を這ってる?」
「清宮さんは龍じゃなくて虎でしょう」
「ヒョウ…この際恥ずかしくて見せられないくらいカワイイ子猫ちゃんだったりして………」

「ないですよそんなの」

美咲と中山の冗談だと分かってはいるが変な誤解を招いて困るのは清宮だ、「清宮」の名前をこの会社では聞きたがる耳が多い

「何だよ、見た事あるんですか?」

「え?」

美咲に言われてちょっと答えに詰まってしまった

だが躊躇するほうがおかしい、男同士なのだから別に変じゃない

「あるよ、あの人時々素っ裸で風呂から出てくるし」

「え~~~?!」

美咲と中山が声を揃えた
………二人はこの際付き合えばいいんじゃないだろうか

息ぴったり……

「見たんですか?」

「はい」

「見たんですね」

「何度か…」

「クソ神崎!俺も見に行く!」

デザイン部を飛び出そうとする美咲を抑えて仕事しろ!!と席に抑え込んだ


昨日の騒動は無駄ではなかったらしい、清宮の不在で山田が淡々と指揮を取りだした

清宮ほどの人望がないのでやりにくそうではあるが良い方向に向かったのは間違いなかった



仕事を終えどうしても行くと粘る美咲と中山を連れて清宮のマンションに向かった

「静かにしていてくださいね二人とも…」
いつものようにはしゃがれても困るから」

「わかってるよ……」

美咲は口を尖らして中山と目配せを交わした、病人見舞いだと言うのにウキウキニコニコした二人を見ているとやっぱり連れてこない方が良かったかもしれない

疲れさせては元も子もない

「神崎さん清宮さんが動けなかったり眠ってたらどうするんですか?」

「部屋には入れるよ、そうっと入って眠ってたら食べ物を置いて帰ればいい」

清宮がフラフラ出ていけないように鍵は持って出ていた

マンションの部屋に灯りは点いていたがインターフォンは使わなかった

静かにしろとは言ったがそこまで慎重にならなくてもいいのに美咲は鍵を回す音まで慎重に抑え心なしか清宮の部屋に入る事に緊張している


「清宮さ~ん………」

ドアを開けると大人しく寝ていてくれるとは思っていなかったが美咲の息だけの小さな声にカウンターテーブルにもたれかかり電話をしていた清宮が振り返った

耳にスマホをあてたままニッコリ浮かべた笑顔は会社ではあんまり見せない綺麗で穏やか……ホワンと和んでいると隣で美咲と中山が真っ赤になっいた

プライベートの清宮をこの二人に見せるなんて………勿体無い……やっぱり連れてこなければよかった


「春人さん、入りますよ」
 
まだ続いている電話の邪魔をしないようにパクパク口の中だけで伝えると電話を聞かれたくないのかベッドの隅まで移動して布団を被った

「ちょっとはマシになったみたいだな」

「よかった……」

「………本当に……」

ビニールバッグからフルーツやドライフードを出していると美咲の目から涙が溢れボタンと大粒の滴が床に落ちた

「美咲??!」

「ちょっと潰さないでよ」

握ったままの桃にもボタボタと涙を落とし中山が慌てて高級桃を救出した、地下の売り場で買うかどうか議論になった程高かった


「俺……俺……よかった…ホントに…」

目が大きいと涙も大きくなるのだろうか?

あまりの大粒なので手で受けきれず
ぼったんぼったんと落ちて跳ねた

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