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球技大会1
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世間がお盆休みに入ると仕事どころかいつもうるさいくらいに鳴り止まない電話まで声を潜めて大人しい。
稼ぎ時の大型連休に休む商業施設などなく、従業員のシフトは後方も売り場と同じになる。
デザイン部はやる事もなく全員がのんびりと弛緩していた。
………清宮を別除いて。
今はこの会社に勤める1500程の従業員全員が出社していると言っていい、社員も集客もマックス…、どこもかしこも人だらけだった。
満員でごった返す社食には行く気にはなれず、地下の食料品売り場で昼を買って済ませ、コーヒーを入れていると販売促進課の平田が汗ビッチョリになって飛び込んできた。
販促が来ると大概ろくな用じゃない。
「すいません!!7階の催し会場に誰か応援に入ってください!」
「え~~?………何人ですか?」
事務の南が「そんな話は聞いてない」と不満の声を上げた。
後方は"応援"と称して時々売り場に借り出されるが普段は前もって要請が来る事になっている、ゴールデンウィークにも要請はあったがその時は清宮が無理だと断っていた。
「何人でもいいです、ってか暇なんでしょう?全員来てください、もう無理なんです」
「電話が来るから私達は無理です」
電話など来ないのに事務の二人は急にパソコンを叩き仕事がある振りをした。
「俺が行きますよ」
「ああ………やっぱり?……」
清宮が立ち上がると美咲が頭を抱えた
清宮は無理が好き……と言うか要領が悪いと言うか、断らない事は目に見えていた。
「任意なんだから行きたくなければ行かなくていいよ」
「行きますよ、行きたいです」
「ハハッ楽しいぞ」
「前向きですね」
美咲は鞄からタオルを取り出しグルッと首に巻いた、清宮が行くと言うなら行くしかない、
結局デザインチームは五人で手伝いに入る事になった
「応援って何をしたらいいんですか?」
「神崎は初めてだな、専門外の事をさせて悪いな、イベントのバイトに入ったと思って適当に流していいからな」
「催し会場ですよね?」
「まあ簡単に言えば未知との遭遇?」
「はあ」
7階の催し会場ではマンパンマンワールドと銘打った子供をターゲットにしたイベントが開催されている。イベントの広告や看板をデザインしたから中身は知っていたが余りにも無縁でどんなものかはよくわからない。
「ちょっと面白そうですね」
「面白い……けど……それで済めばいいけど…な?」
清宮と美咲、山内が顔を見合わせて苦笑いをした。
バックヤードのエレベーターで七階まで上がると誰でもお馴染みのテーマ曲が聞こえて来る。
店舗への扉を開けるとワッとボリュームが上がった。
「これは………」
「凄いだろ?」
阿鼻叫喚……まさに……
会場に溢れてオーバーフローしそうな客は大人で満員とは全く違う。
どう動くか予測不能の生き物は生活圏には全くいない、豆のような小さな子供がワーワーキャーキャービービー嬌声を上げて足元をウロウロしてうっかり踏み潰してしまいそうだ。
「凄いですね……」
「想像も出来ないトラブルが起こるぞ覚悟しろよ」
「想像出来ないのに覚悟なんて出来ませんよ、俺に何が出来るんですか?子供の相手なんてした事ないですよ」
「はは……何とかなるよ」
……何とかなるって……お母さんとお父さんのように寛容でいる自信は全くない
「マンパンマンプレイランド」は小さな子供でも出来る簡単なゲームが数種類用意され無料で開放されている、具体的な面積はわからないが7階のフリースペースは酸素が薄く感じるほどの人出に溢れ1M先ほどしか見えない。
メイン看板のデータは3600mm*1200mmと自分でデザインして表記したものの実物を見ると思いの外巨大、天井から吊り下がった各種キャラクターのオブジェに見下され、うるさいくらいにリピートされるテーマ曲は一日会場にいたら夢に見そうだ。
「平田さん、ここで…俺たちは何を?…」
「すいません!適当に別れてゲームに並ぶ客の誘導お願いします!」
「え?それだけ?平田さん?」
それだけ言って消えてしまった平田を追う事は出来そうもない、大人の目線からでは見えない位置に何人潜んでいるか分からないのだ、突発的に動くと本当に踏み潰す。
「美咲と山内、山田さんは輪投げの方を担当して下さい、神崎は俺とボウリングな、よろしくお願いします」
「あっ!春人さん!?」
デザイン部の仕事でもないのに清宮が指示を出しトンっとつま先で跳ねたと思ったら順番待ちの列に飛び込んで行ってしまった。
ゲームの前に出来た行列は軽く柵を超えてバラバラと広がりもう崩壊寸前に見える。
一応「列をはみ出ないでください」と言って見たがリピートし続けるテーマ曲のおかげで、キャアキャア楽しそうな高い子供の声と混じって自分の声が全く聞こえない
出来る事と言えば身長を活かして柵の代わりになるぐらい……
時々「最後尾はこちらです!!」と叫ぶ清宮の声が聞こえるが姿は見えなかった。
子供を踏み潰す危険は依然継続中。歩くと膝が子供の顔、重いなと思ったら性別不明の小さな子供が足に捕まって見上げている。両親らしき二人は「あらあら」と笑って写真を撮るだけで回収はしてくれない。
こっそり振り落とし(最低)他の客でバリケードを作った。
「すいません、待ち時間はどれくらいですか?」
足元に男の子二人を連れた若い母親は、こんな混雑する中ジタバタ暴れる子供を服のフードを持って操縦しながら荷物持って赤ちゃん抱いて………タフ過ぎる
悪いがそんなもん知るわけない
「10分程です。」
にっこり笑って大嘘をついておいた。
もう人しか見えない、行列の先がどうなっているのか、ある意味満員電車よりきつい
明らかに会場のキャパは超えているのに客足は引くどころか増えている。
「お父さん」の眼鏡が湿気で曇るくらい不快指数はマックス。待ち時間は長く子供は「まだ」を繰り返してる。入場制限をした方がいいのではないかと思い始めた頃だった、行列の後ろの方で突然人垣がワッと割れた。
「やめて下さい!お客様!落ち着いて!」
聞こえた声は間違いなく清宮だ。
揉めているらしい二人の若い男は見えるが清宮の姿は見えない。
「うちの子が先に並んでたんだ、横入りしないで下さい!」
「何言ってるんだこっちが先に来て並んでたのに横入りはどっちだ!」
「ちょっとお客様!子供たちが見ています!やめて!」
よく見ると清宮が二人の男に挟まれて揉みくちゃになっている。
止めようとしてるのはわかるが喧嘩している二人は人混みにイライラして清宮が目に入ってない
「何やってるんだあの人は………」
近づきたいが自分の順番を守りたい列は中々奥まで通してくれない。
「春人さん!すいません!通して下さい!ちょっと!!春人さん!」
基本的に客には「触って」はいけないのだ、清宮は腕を後ろに組んだ喧嘩の真ん中でもみくちゃになっている。
大人気ない喧嘩はヒートアップして肩の押し合いにまで発展していた
音で声が消され、怒鳴っても目立たないから言い放題。
押し合いの煽りを食らい、足元にスペースを無くした清宮の体がグラリと揺れた。そのまま背中から落ちて行く。
「わっっ!!」
「春人さん!」
咄嗟に出した腕にしがみついた清宮を引き抜いて、反動のまま背中から抱き寄せた。
「大丈夫ですか?」
「あ……神崎?……助かったよ」
今回は正式な応援要請もなくお手伝いでいい筈なのに清宮は汗に濡れて顎からポタポタ水滴を落としていた。
「何をやってるんですか、踏み潰されますよ」
「何って仕事だろう」
「そこまで一生懸命やれなんて言われてないでしょう」
ハンカチもタオルも袖もなく仕方無しに頭を抑えてポロシャツの裾で顔を拭くと吸いきれなかった汗がボタボタ床を濡らした
「販促の平田さんが春人さんを呼んでましたよ、事務所に行ってください」
「え?でもあれ放っておけないだろ……」
子供が怖がって泣き出しているというのにまだ揉め事は続いている。
母親らしい女は疲れて放置…こんな時”結婚なんか絶対しない”とか思ってしまう。
「あれは俺が引き受けます、春人さんは事務所に行ってください」
「でも……」
「いいから!任せてください」
清宮を人混みから押し出して喧嘩の仲裁に向かった、振り返ると……事務所に向かったはいいが…また走ってる。
事務所に呼ばれていると言ったのは嘘だが清宮には休憩が必要に思えた。
ドンッと邪魔にされ、バランスを崩した体は人ごみで見えない床に向かって落ちていく。
足を出すスペースはない、目の前に見えた腕に思わず掴まるとフワリと体が浮いた。
顔を拭かれて初めて汗びっしょりになっている事に気付き、もう一度自分の腕で拭うと髪の中の汗がドドっと流れて目に入ってしまった。
今時神崎くらいの身長は珍しくないが喧嘩の仲裁に入ってしまった頭がひょっこり飛び出ている、何を言っているのかは聞こえないが喧嘩していた当事者を笑ってない笑顔を浮かべて出口の方に連行していった
「何をやらしても出来るやつだな……」
神崎の入社は本当に有難かった
仕事が早いし文句も言わず毎日深夜まで付き合ってくれた
気が付けばかなり頼りにしている
この所ベッタリ一緒にいるが気を使わなくてもいい所も楽だった
「あ………そう言えば……」
端っこに避難して呑気に神崎を眺めていたが、平田に呼ばれている事を思い出した
スタッフIDを首から下げていると声をかけられ進めない。ポケットにしまい込み、混雑の合間を縫ってやっとの思いで事務所に着くと平田が抱きつく勢いで手を取った。
「ああ!!清宮さんいいところに!」
「用ってなんですか」
「バイトが飛んじゃって人数が足りなくて困ってたんです」
平田がブンブン握った手を振り上げ振り回された、必死すぎて目が怖い
「飛ぶってなんですか?」
「約束の時間に連絡も無しに来ないんです」
「はあ……あの……」
平田がドシッと胸に押し付けてきたTシャツを見て………思いっきり嫌な予感がした。
どんどん増えていく人手はおそらく今最高潮だろう、空調が効いているはずだが熱量の高い生き物がワラワラと散り、湧き上がってくる熱気で汗が止まらない。
「神崎さん!休憩です」
肩を掴まれて振り返ると同じように汗だくになった山内が笑っていた。
「でも今ここを離れたら……」
「交代が来るって平田が言ってたから放っとけばいいですよ、何か飲まないと死んじゃうよ」
「うん、もう倒れるかと思ってました」
「ご苦労様、何か飲みに行きましょう」
美咲と山田の姿は見えない、山内によると上手いこと逃げたらしい
「助かった……」
「ははっ面白いでしょう?」
「面白すぎです」
二人で苦笑いを浮かべながら事務所に向かうと……
口が開いて閉まらなくなった
確かに救出した筈の清宮が丸く人垣が出来たミニステージで旗を持って踊っている。
ダンスと言っても旗を持って音楽に合わせてゆらゆら手を振るだけだが何故か真ん中
ダンスチームの中で唯一プロと思われるお姉さんがマイクを持って音頭をとっている、会場に流れるテーマ曲に対抗したマイクの音量は耳のキャパを超えてうるさいと言うより痛い
「春人さん……」
「え?今何か言いましたか?」
「春人さんが…踊ってる…」
「え?え?どういう事ですか?」
子供を肩車した父親やカメラを向ける人混みに埋もれて身長の足りない山内にはまだ見えてない
ステージの裾では堀川部長が爆笑していた
大真面目な顔をして必死に旗を振る清宮は確かに面白いが……
「ホントに………何をやってるんだ……」
陽気な音楽が会場の喧騒を吹き飛ばしてお姉さんの合いの手が会場を煽っていた。
「体も………気持ちもこんなにクタクタになったのは久しぶりです………」
「子供って……凄いですね」
「全部吸い取られました、子供を育てるって凄い……」
終わり頃に何食わぬ顔で現れた美咲と生気を全て使い果たした清宮と神崎、山内の四人でデザイン部に帰り着くと椅子まで辿り着けずに床に座り込んだ
もう腕を上げるだけでも怠い
「お疲れ様です、ご飯買っておきましたよ、気が利くでしょ?」
仕事をしていたのか、待ってくれていたのか、待ち構えていたように中山がニッコリ笑って地下の惣菜を並べ、お茶を入れてくれた。
「中山……売り込まなければ普通に可愛いのに……」
「美咲の為じゃないもん、余計な事言わないでよ、清宮さん、食べてくださいね」
「ありがとう……でも食欲ない」
「え?そうなんですか?俺めっちゃお腹すいてますけど」
「美咲はサボってたからだろ」
「俺はちゃんと"いましたよ"」
山内も食欲が無いのだろう、唐揚げをチマっと噛ってチラリと山田のデスクを見た。
山田は最初に会場に入ってからすぐに消えてしまい、どうやら終業時間の6時に帰ったらしい
南も課長も帰ってしまいデザイン部には5人しかいなかった
「春人さん、俺も食欲ないけど食べた方がいいですよ、どうせ帰ったってまた何も無いんでしょう?いつ行ったって冷蔵庫はスッカラカンじゃないですか」
「無いけど……飲んでも飲んでも喉がカラカラで飲み込める気がしないんだよ」
「美味しいですよ」
ハイっと唐揚げを差し出すと嫌そうに見つめ………パクっと口に入れた
「あ…旨い………」
「………そう………でしょう……」
まさかそのまま食べるとは思っていなかったので答えに詰まった
コクンと飲み込んだタイミングでもう一つ差し出すとまた口を開ける。
美咲達があ然として見ているのはわかっているが箸を持とうとしない清宮は差し出さないと食べないし餌付けしているようで面白くもある
「一生懸命やり過ぎなんですよ、踊ってる春人さんを見た時には呆れました」
「俺だって嫌だったけど……頼まれて仕方がなかったんだよ」
「断ればいいでしょう」
「神崎うるさい」
プンっと横を向いたくせにプチトマトを差し出すと食べた
「清宮さん真面目くさって踊ってるから笑えて……動画撮っちゃいました」
「は?やめろよ馬鹿!」
耳について離れなくなっているマンパンマンのテーマ曲が聞こえると、みんなに見せようとする美咲の手から清宮が黙って携帯を取り上げた。
「あっ!!何するんですか!」
「サボって遊ぶな、一応仕事だろ」
「ああ……消えてる……」
投げ返された携帯の動画を見た美咲が残念そうに中身を確かめた。
「春人さんって意外と要領悪いんですね」
「そうですね……デザイン部でも全部一人で背負っちゃって、山田さんなんて清宮さんより先輩なのに何もしないし」
中山は山田とあまり仲が良くないらしく言い方に棘を仕込んで来る、普段から山田をよく思ってない美咲と視線を合わせて頷いた。
「やめろ、美咲、先輩だろ、山田さんは山田さんの仕事してるんだからいいんだよ、それに今日は任意なんだから文句言うな」
「でも清宮さん……」
「サボってた美咲に怒る権利なし」
話の合間に甘い物を差し出すといらないと首を振り、中華肉団子に変えるとパクリと咥えた
「ああもう!黙っていられない!神崎さんさっきから一体何してるんですか」
「いや…春人さんが食べないから……」
「いらないって言ってるのに……」
「食べてるじゃないですか」
茄子がはみ出たイタリアンパイを半分にして口元に持っていくと、何?これ?と中身を覗いてからまたパクリ………
食べさせてもらう事に何の疑問も持たない清宮も清宮だが、食べ物を持っていくと素直に口を開けるからやめられなくなり何だかんだで一食分食べさせてしまった。
「随分仲良くなったんですね……」
美咲がチロッと清宮を見て不愉快そうに眉を寄せた
「ずっと聞きたかったんですけどどうして神崎さんは清宮さんを名前呼びしてるんですか?」
「それは…」
いつか聞かれるんじ無いかと思っていたがタイミングが悪い、疲れ切ってそれらしい言い訳は思いつかない。
「…最初にそう呼んじゃってそのまま定着したというか……」
「清宮さんの名前ってハルトですよね、ハルヒトって何なんだろうって私も思ってました、神崎さんの真似して私もやってみよーっと」
中山が残った肉団子を差し出すともういらないと清宮がプイっと横を向き、つまらないプチ勝利だがちょっと嬉しい………
「堀川部長が間違って教えたらしい、何でもいいんだけど俺も最初はビックリした」
「ハハ……俺もビックリしました」
理由は言いたいが言えない、清宮にだけなら伝えてみたいと思う事もあるが他に知られるのは嫌だった
こんな時はニッコリして誤魔化しておくのが一番だった
「イケメンは何でもありなんですね、笑えば全て解決」
美咲がブスッとして一口サイズのスイーツを口に放り込んだ
「清宮さんモテますね、美咲はずっとゾッコンだし社内でも人気が高いです。ついでだから私も告白しておきます、付き合ってくれませんか?」
「どこまで?社食でいい?」
「意味が違いますね、それならもうちょっと高級な感じでお願いします」
「吉牛とか?」
「ケチ……引くわ……」
二人の軽快な言い合いに静かなデザイン部の中で爆笑が起こった
「神崎さん……どうしたんですか?」
「え?」
気が付けば真顔になっていた
「……ああごめん、疲れて……」
「そうですね、シャワーも浴びたいしもう帰りましょう」
冗談か本気かわからない中山の告白に腹の底がヒヤリと冷たくなっている。
モヤモヤした胸の中が気持ち悪くて本当に食べ物にあたったのかと疑った
清宮に目が囚われてしまうのはきっと誰にとっても特別な事じゃない、決して派手じゃないが品よく綺麗に整った目鼻立ちに細身でスラリとした立ち姿、清潔感のある綺麗な肌質は女子から好かれそうだ、今はフリーだがそのうちに誰かと心を通わせたって不思議じゃない
当たり前の事………
自分だって数人と付き合い体も交えている
そんな事が気になったりする方が変なのだ、しかも冗談半分の告白に黙り込んでしまうなんて修行が足りない
後片付けをしながら不機嫌になってしまわないように気を付けてダラダラ続く文句と冗談に話を合わせた。
裏口から外に出ると店舗はまだ営業を続け溢れる人並みは昼間と変わりなく見える
会社前の交差点で清宮を見送り、バスで帰る山内と中山と別れると美咲と二人きりになった。
「疲れましたね」
「あのさ、同い年だし美咲は先輩なんだから敬語はやめないか?」
「そうなんですけどね……神崎さんは大人っぽくて同い年とは思えないんです。」
「そうかな……春人さん程年齢と見た目にギャップないだろ」
「見た目と言うか雰囲気ですよ……清宮さんは若く見えるけど俺にとって大先輩で上司だからそんな風に思った事ありません」
「でも時々物凄く子供っぽいな」
「……そうですね……」
美咲にも覚えがあるのだろう、クスッと笑って地面に目を向けた。
「あの……さ……」
「何だよ」
貯めた物言いに言いたいことが聞く前にわかってしまった。
「なんか……やっぱり神崎さんは清宮さんの事をずっと前から知っているみたいですね、俺なんか清宮さんと働いてもう一年以上経ってるんですよ、まだ一ヶ月くらいなのに…何か世話焼いてるし…」
「意外とわかりやすいんですよ、あの人」
「え?めっちゃわかりにくいですよ、あの人」
美咲が目を丸く広げて驚いた顔をした、ハッキリしたパーツに大きな目が見開かれると人懐っこくて犬っぽい
「そうか?」
「そうですよ、いつもサラッとしていると言うか壁作ってるって言うかトンチンカンって言うか」
「トンチンカンって何だよ」
「あの人ってどっかズレてんですよね。それに清宮さんが風邪ひいた時なんか熱で動けなくなるまで誰も気がつかなかったんですよ」
「ありそうですよね春人さんを見てると…」
想像出来て何気なく口にした言葉に美咲が足を止めた
「本当に前から清宮さんと知り合いみたいですね」
ポツリと落ちてきた美咲の呟きは質問では無かった。
美咲と別れた後は何となく一人で部屋に戻るのが嫌でコーヒーを買い駅前の植え込の柵に座った
空を見上げるとぽっかりと空に空いた穴のような丸い月が浮かんでいる
美咲のストレートな感情表現に何故ここに……清宮の隣にいるのか考えてしまった
"前からの知り合いみたいですね"
おそらく美咲が想像した"前から"はもっと最近の事だと思ってる。
目玉焼きが嫌いな事
犬とバトっていた事も
小学校のグランドで遊ぶ姿も
追いかけて入ったスイミングも………
清宮は知らない………と思う
大人になってから見失っていたが、撮影で訪れたスタジオで姿を見かけスケジュールを調べると勤め先がわかった
何も考えなかった
ツテを探し無理矢理清宮のいる職場にやってきた
近くにいたかっただけだ
せっかく電報堂にいるのに勿体無いとも言われたが、自分的には電報堂にいたおかげですんなり転職出来て良かったと思ってる
何で清宮か?
自分でもわからない
どうしたいのかもわからない
子供の頃追いかけて入ったスイミングでは清宮はずっと上のクラスの一番端のレーンで上級生に混ざってものすごい勢いで泳いでいた
小学校の校庭では何をやらせても特別に目立っていた
その姿を見たくて毎日グランドの隅に張り付いた
三つ離れているせいで中学高校は同じ所には通えない、普通に自分に合った所を選び、通っているうちに清宮はいつの間にか実家からいなくなっていた
その事を知って………まだそれとなく姿を追っていた事に改めて気付かされた
今の職場に来たのもそう色々考えていたわけじゃない
ただ側に行ってみたくて
見ていたくて
話してみたくて
………触れてみたくて………
考えてはいけないような気がして……考えたくなくてずっと逃げている
電車の中の痴漢と同じ感情を持っているなんて自分の手が薄汚れて見える
同性愛の気質は多分ない……と思う…
普通に女性の胸元や綺麗な足を見るとドキッとするし何人かと付き合いもした。
ただ執着した事はない、いつも請われて付き合い始め、別れる時には必ず冷たいと言われた
"清宮さんならありだわ"
あの時そう言った宮川を殴りつけたい衝動に駆られた、馬鹿にして揶揄われている様に感じたから………
「でもね……春人さん……これはある意味恋なんです……」
憧れや心酔の入り混じった"好き"の種類は複雑で誰にもわかって貰えそうにない……
長く引きずったまま冷めない初恋………
空を見上げると丸い月が嘲笑っていた。
突然、噂の球技大会の日が決まった。
なぜ突然かと言うと会場の問題らしい
駅の北側にどっしりと巨体を構えた12階建ての店舗ビルにはスポーツクラブがテナントに入っている。そのスポーツクラブが管理している屋上の施設は、貸し切りを融通して貰う上でどうしても他の客が優先されギリギリまで日取りが確定しない。
「屋上に屋根はあるんですか?」
「網が張ってあるだけで吹きさらしですよ、だから種目によっては面白いんです」
三年前のバドミントン大会はとんでもなく面白い事になったと中山と南がはしゃいで説明してくれた
「思い切り外して打ったつもりでも風に押し戻されてね、何なら反対側のアウトまで持って行かれるんですよ」
「そしたら次は風が凪いでどこに打ってんだってなったり、外商の黒川さんなんか追い風が凄すぎてサーブが飛んでいっちゃうから反対向いて打ってたよね」
「そうそう!それが入って拍手喝采、総務が優勝したのも球技大会初だったし」
「俺達まだ入社してないです、清宮さんは?出てたんでしょう?」
美咲と山内は事務のデスクの方で女子に混ざっておやつを摘んでいた
一緒に清宮の話を聞きたいが夜7時から始まる球技大会には絶対に遅れたくない、何が何でもバスケをする清宮が見たい……
今手持ちの仕事を終わらせる
それが近頃経験したことが無いくらい、絶対に履行しなければならない今の最重要課題だった。
「清宮さんは勝ってたわよ、本当に何やらせても上手だからね、でも4階チームは他のメンバーが負けて優勝したのは庶務だっけ?」
「見たかったなー、どうして俺は清宮さんの同期に生まれなかったんだろう」
全くだ………
同期じゃなくて同級生が良かった……それならもっと当たり前に側にいた。
同じなんて嫌だが一々美咲の言う事に同意してしまう。心の中でうんうんと頷いているとずっと黙っていた清宮が突然音を立てて書類の束を机に叩きつけた。
「美咲!山内!明日休みになってるが出社するつもりか?」
怒るどころか大声さえ珍しい清宮の怒鳴り声に部屋の空気がパチンと音を立てた
「すいません………」
しまったと言うより驚きが大きい、美咲と山内はそそくさと席に戻り顔を見合わせた。
「やべ……」
「清宮さんが怒った所なんか殆ど見たことないよ…」
コソコソ耳打ちしているつもりなのだろうがまる聞こえだ、ピリついた清宮は顔も上げずイライラとキーボードを叩いていた
調子良くみんなでお喋りをしていたが、今日は残業が出来ない、宮川が持ち込んだカットハウスのチラシと垂れ幕のデザインを美咲と山内に任せているのにまだ上がっていなかった
上役は一応いるがデザインの事は全部清宮が責任を持っていた、デザイン提案などの納期は融通がきくこともあるが折り込みチラシや新聞広告は期日がシビアで猶予は一切ない
お盆ボケで少し遅れ気味な上に業務と関係ないタイムリミットまでついて神経を尖らせている。
「山田さん、ハロウィンのイラスト上がってるんで適当に周り飾って仕上げていってもらえますか?」
経験も長く年も上のはずの山田は言われた事しか絶対しない、リーダーシップは小さな事でも取らない、まだ入社したばかりで口を出すべきじゃないとわかっているが、黙っていれば清宮は全部一人で背負おうとしてしまう
「何で神崎が………」
不満顔を隠そうともせずブツブツと不満を言いながらも山田はプリントアウトを受け取った
清宮はチラリと顔を上げたが、何も言わず手も止めなかった、清宮が何か言っても押し切ろうと思っていたがこれでいいらしい。
一緒に働き始めてからまだ数ヶ月しか経っていないが清宮から文句や愚痴は聞いたことがない
変な所で素直に役割を受け入れ、頑張っているが方向性がズレているような気がする
仕事は出来るがどうしてか危なっかしい
清宮しか目に入ってないせいもあるが、社内のことをよく分かっている筈の山田がもう少しフォローに回ってくれればバランスが取れるのではないかと思う。
時間は6時30分。Macの電源を落として準備は万端。
どんな場所でどんな進行でどんな形式で球技大会が行われるのかはわからない、営業が続いている店舗からどれくらいの社員が参加出来るのかもわからないが例え1割が屋上に集まってもかなりの人数になる
どうせならいい場所で清宮を見たいから早く行きたい。
写真が欲しい、動画も撮りたい、一瞬も見逃したく無い。
席取りをしなくてもいいのか、人垣の頭越しに爪先で立って試合を見る羽目にならないだろうかと、空が薄暗くなって来るとジリジリして落ち着かなくなってきた。
「ハルヒトさん……もうすぐ時間ですけど…」
「うん……」
このやり取り数回目。
夕方(七時は夕方)の開催時間になっても清宮は知らん顔をして仕事を続け、終える気配はまるで無い。痺れを切らした中山が動こうとしない清宮を無理矢理Macから引き剥がした。
「清宮さん!早く!もうかなり遅刻してますよ」
「どうせ7時からなんて始まらないよ、毎年必ず一時間は遅れるだろう」
「もう一時間遅れてます、選手が揃わないといつまで経っても始められないでしょう!」
屋上に向うエレベーターに乗せても電話を離さず、まともに歩かない清宮を人形を誘導する様に屋上まで連れてきた。
屋上への重い鉄の扉を開けると足元から吹き付ける強い風にブワッと押し返される
外に出てみると、店舗と同じ面積ならかなりの広さがあると思っていたが半分以上は貯水タンクや太いパイプに占領され思っていたよりも狭い。
「ここに何人くらい入れるんですか?」
「さあ……去年しか知りませんけど満員になる事は間違いないですよ」
「ちゃんと見れるのかな……」
「神崎さんがそんな事を心配するなんて意外ですね、うちはコートサイドに席がある筈だから座れると思いますよ」
山内の心配は合ってるようで焦点が微妙に違うがちゃんと見えるならそれでいい。
屋上の野外施設はサイドも上も目の細かい網で覆われ、バスケは勿論サッカー、ドッヂボール、テニス、やろうと思えば野球だって出来るらしい
制服のまま来ている社員も多く、あちこちで会話の輪が広がり各階の交流と言う役目はちゃんと果たしている
「おーいこっちだ!!」
ぞろぞろと屋上に出ると待ち構えていたのだろう、丁度畳一畳分位ポッカリ空いたシートから堀川部長がブンブンと手を振り回していた。
大量の酒類やおつまみが持ち込まれ、課長部長クラスは敷物に坐り込んでもう飲み始めていた、まるで花見のような様相になってしまいスポーツイベントの爽やかさは一片たりともない
「すごいですね、屋上は飲食禁止って書いてあるのに……」
「神崎は初めて見るからビックリするだろうけど毎年こうなんだ、球技大会は酒の席の余興になってる」
「施設の方もどうせ言っても聞かないから放置みたいですよ」
「怖いからな……」
客商売の為か必要以上に口が達者な曲者ばかりの集り、ビールを片手に騒いでいる部長連中を見ると……
「なる程………怖いですね」
はなから試合を見るつもりがないのかバスケのコートから離れた場所にブルーシートを敷いて輪になっている。
薄く上がった煙はどうやら七輪を持ち込んで何か美味しそうな匂いまでさせている、そこに地下食品売り場の部長がいるという事は………
まさかとは思うが場所にそぐわない豪華な食材が網に乗っている可能性もある。
「春人さん、呼ばれてますよ」
「うん、俺は遅刻してるしチームに混ざるよ、みんな飲みすぎるなよ」
明日休みでーす、と美咲と山内が早速ビールを受け取っていた
清宮が行ってしまうとビールやツマミが回ってきたがもう胸がドキドキワクワクして飲んだり食べたりなんか到底出来ない
スポーツをする清宮を見るのは子供の頃以来10年ちょっと振りだ、元々は飛んだり跳ねたりする清宮を見ていたいから追い回していた。
楽しみで楽しみで昨日の夜中々眠れなかった
「神崎!何やってる飲めよ、ほら食い物もあるぞ」
堀川部長にビールの缶を手に押し付けられたが試合が始まると絶対に放置する、万が一口に入れてたら飲み込むのを忘れてダラダラ溢す
迷惑をかける自信がある……
「…俺は明日もあるし水を持ってきているからいいですよ」
「明日?明日は明日だ、何清宮みたいな事を言ってる」
結露で濡れたビールを取り上げられて勝手にタブを開けられてしまった
想像していたよりずっと多くの社員が屋上に集まりバスケのコートをグルリと囲んでいる、それぞれの階で固まりワァワァと応援やヤジが飛び交って試合前なのにもうかなり盛り上がっている。
4階チームは紳士服売り場の若手4人と清宮、ゾロゾロとコートに集まると「清宮さん頑張ってぇ!!」と声が飛んだ
「何だよやっぱりモテてるじゃないか…」
「神崎さん、今更何言ってるんですか、それ知らないの清宮さんだけですよ、特に球技大会の後は毎年人気マックスです」
隣に座っていた南がアタリメとお稲荷さんを勧めてくれたがどうせ喉を通らない、やんわり断った
「そうなんですね……分かるけど……」
「本当に気付いてないのか、とぼけてるのかわかりませんが全然響かないのも毎年ですけどね」
「ハハ……それ面白い……」
「面白いですよ、スルーの仕方が半端なくて笑えます」
何だかんだとアタリメを持たされ、片手にビール、片手にアタリメ………見た目は宴会真っ最中になってしまった。
ピーッと音が割れた下手くそなホイッスルが鳴り第一試合の招集がかかった
第一試合は清宮のいる4階対全員庶務の6階チーム
そんな真っ当な試合だとは思っていなかったがちゃんとジャンプボールで試合が始まった。
名前は知らないが紳士服の誰かと庶務の誰か………、コートの真ん中でボールを取り合い二人の間でポーンとボールが高く浮いた
試合が動いた途端、足音もなく走り込み、タンっと地面を蹴った清宮が宙でボールをすくい取ると鳥肌が立ってしまった。
「うわ………高いな……」
数人が一緒に飛んだが清宮が一番高い
………やっぱり変わってない……
「凄いでしょ?凄いでしょ?神崎さん見るの初めてですよね、ね?凄いでしょ?」
「………凄いな……」
思わず口から出てしまった息と変わらない小さな呟きに美咲が食いついた。素知らぬ顔で観戦したいがどうやら無理。
こんな風に動く清宮を見るのは初めてじゃないけどやっぱり子供の頃と迫力が違う。
「コラァ!!清宮にボールを持たすな!あっあっ!!!あぁぁ………」
始まって三十秒も経たないうちに清宮がゴールにボールを運んでしまった
「庶務!何やってんだ!一昨年の奇跡を見せてみろ!」
「あっこら!また!!だから清宮に渡すなって!」
庶務がゴール下からコート内にボールを投げ入れるとまた清宮に取られてしまった
清宮は身体が軽い
一人だけ重力が弱いように見える
地面に足がついている時間が短いようだ
まるで命令に従う生き物の様にボールを手の中で弾ませ、余裕がある様に見えるのに速い
細身で華奢に見えるがしなやかでバネのある身体はジャンプするとゴールまで手が届きそう…
滞空時間が長いのか、ジャンプまで他の人よりゆっくりに見える、まるで宙を蹴っているようだ。
わっと歓声が上がった
「春人さん……笑ってる」
パンパンッとハイタッチをしながらチームメイトの中を走り抜けていく
「清宮さんは動くと元気になりますよ、あれだけ動ければ気持ちいいんでしょうね」
「昼はピリピリしてたからどうなるか心配だったんですけどね」
「実はデスクワーク向いてないんじゃないですか?外に放り出しておけば生き生きしてそうですよね」
「ホントに……」
話しかけてくる南に何とか返事はしたが目が釘付けと言うのはこういう事だと何かの教材にでもなれそうだ
宙に浮いたような動きは小さな体をそのまま大きくしたように変わらない……
「清宮さん上手い……バスケが一番向いてるんじゃないか?」
「美咲……去年は清宮さんはサッカーでワールドカップに出れるって言ってたじゃないか」
「訂正!バスケが一番向いてる」
ドッヂボールも短距離走も水泳も全部向いてると自慢したくて口がムズムズしたがまさか言えない
「馬鹿野郎!!清宮に持たせるなつってんだろう」
「押せ!引っ掛けろ!撲れ!」
野次の内容がどんどん酷くなり会場は大盛り上がりだ、女子はこの際とばかりに遠慮なくキャーキャー騒ぎ、酒が進んだ各階の応援団は好き勝手言っている
コートギリギリに陣取った目の前を、大勢のガードを引き連れた清宮がビュッと走り抜けていった
速い………遠目はゆっくり走っているように見えるが速くて誰も追いついてない
白いポロシャツの襟口に汗が滑り込み小振りな顎から汗が滴っている
動いている清宮は……綺麗だ。
男に言う形容詞じゃないが…清宮の一挙一足に目を奪われる
今鏡を見れば目がハートになっていそうで怖い。
始まって5分経つか経たないか……総務はもう息が上がってヘロヘロになっているが清宮は息も乱してない
「死ぬ気で走れ、歩くな!休むな!」
面白がって飛ぶヤジは総務に集中していた
あっという間にボールを取られまた4階のゴール
誰もいない場所にボールが飛んだように見えてもいつの間にか清宮が待っていたようにそこにいる
清宮は上手にボールを回し四階チームは全員が活躍して和気あいあいとしたゲームは4階の大勝で終わった。
「あれ?清宮さんこっちに帰って来ないわね」
「あ!女子に囲まれてる、行くぞ!中山!清宮さんは俺のものだ」
「美咲のものじゃないけどいくわよ!」
スポーツドリンクと凍ったタオルを用意して待ち構えていたが、清宮はデザイン部の応援席まで帰っては来ずコートの奥でフェンスの方へ行ってしまった
美咲と中山が我が物と清宮を囲って出来た集団に割り込んでいった
あんなに素直に動けない
疾しい事が何もない美咲達は平気で好きだ、大事だと口に出来て羨ましかった
白いポロシャツが捲り上がりパンっと弾かれた汗を見ると体がムズムズして手にじっとりと汗が滲んでくる
湿った掌を開くと……やはり薄汚れて見えた。
試合は地下から6階までの7チームと外商、合計8チームでトーナメント戦で行われる。
つまり3回勝てば優勝出来るがコートではもう既に地下チーム対5階チームの第二試合が始まっていた。結局試合が始まったのは八時を過ぎ、全ての試合を消化すると後七試合……終了予定時刻9時に終る見込みはない、インターバルを取る暇などなかった。
ボタボタと額から落ちてくる汗を肩口で拭い、フェンスに凭れて腰を落とした。
冷たいだろうと期待したコンクリートの地面は生温かい
何か飲みたいが色んな手が差し出してくる飲み物を選ぶなんて難し過ぎて出来ない
人垣の後ろの方に背伸びして覗き込んでいる神崎が見えた、いつも何かとうるさいくせに何故か寄って来ないでウロウロしている
そんな事をしているならその手にしている結露に濡れたビールを持ってきてくれたらいいのに……
「何してんだ…あいつ……」
「何がですか?」
美咲と山中が立ち塞がる足の間から四つん這いになってヒョコリと顔を出した。
「何してるんだよ」
「こうでもしないと辿りつけなかったんです、スポーツドリンク持ってきましたよ、どうせまた人見知りして誰の差し入れももらってないんでしょう?」
「私は冷やしタオル持ってきました」
「人見知りじゃないから」
人見知りって程でもない……けど名前が出て来ない人からニッコリ飲み物を渡されてもどう答えていいかわからないし、待ってたらそのうちに神崎が何か持ってきてくれると思っていた。
中山の肩を避けて後ろの方を見るとどうやらビールを溢したらしい、神崎は女子に謝りながらハンカチを振り回していた
「ホントに……何やってるんだ……」
「どうしたんですか?早く飲まないともう次の試合が始まっちゃいますよ」
「何でもない、美咲は顔が赤いぞ飲み過ぎなんじゃないか?」
「清宮さんが肴なんで最高に旨いです」
「肴とか言うな」
よく冷えたスポーツドリンクは飲みだしたら止められない、500ml全部飲み干して最後にペコンとペットボトルが潰れた
満足げにニコニコしている美咲達に空のペットボトルとタオルを投げ返し、コートに出て行くと背中にポンッと丸めた紙が当たった
「清宮!4階に2000円かけたぞ、勝ったら焼肉奢ってやるからな」
部長勢が敵見方関係なく固まって何やらメモを見ていた、どうやらメモは賭け表らしい
「賭けは違法ですよ」
「何を言う!金は賭けとらん」
「今2000円賭けたって言ってましたよ」
「二千円でこれを買って賭けに出しとるだけだ」
部長達が口々に反論しながら社食の割り箸を見せた
「呆れた狸の集まりですね」
「お前が負けてくれたら高配当になる、相談に乗るか?」
「乗りませんよ」
老練な狸達は悪びれることも無く、子供のように頭を寄せてはしゃいでいた。中には堀川は勿論、ニコニコ笑っている熊川部長の顔も見える
いつもあれくらいフレンドリーならいいのにと、薄くなった後頭部を見ていると視線を感じたのか振り返った熊川と目が合った
次は熊川率いる婦人洋品売り場の2階との対戦………クイッと顎でコートを指され意味ありげな視線が怖い、何か言われる前に逃げ出した。
一試合は10分、まあ……それ以上無理だろう…
準決勝…と言っても第二試合だが4階対2階のゲームが始まった、2階は若い女子社員がが多く、黄色い声援はチームを強くするらしい、第1試合は5階チームに大勝している
「なめんなよ清宮!」
「舐めてないですよ、五人で試合しているのになんで俺だけなんですか」
「うるせぇ嫌味なんだよ」
「何が!」
日頃から婦人洋品売り場とは関わりが多く、義理も貸しも遺恨もある、手数よりも口数の方が多い変な舌戦のまま試合が続いた
「紙面に載った服の色が違うって怒鳴り込まれたんだぞ」
「ぎりぎりで持ち込んでおいてよく言うよ!色校正出来なかったのはそっちが悪い!」
「何か……バスケの試合っていうよりただの口喧嘩みたいですね」
「まあ婦人服売り場とは仕方ないよな、神崎さんももうそろそろ巻き込まれてるでしょう?」
「ああ、まあな」
美咲と山内は笑っているが、華やかな店舗からは想像もしなかった内内のどぎついバトルにはびっくりしていた。
我が売り場の商品を広告に載せろと個人的な買収まで発生する。
特に選品会に権限を持つ清宮には圧が凄い。
終わらない舌戦に走りながら喋り続け、息の上がった二階チームの間をスルスル抜けてボールを回す四階チームがどんどんリードを広げていった。もう既に諦めたのか二階チームはゲームより言い合いに勝つ方を優先している
「俺は自腹でお詫びのお菓子を買ったんだぞ!半分持てよ!」
「知るか!俺は徹夜したんだからそっちこそ残業代払え!」
止まりがちな二階チームに比べて運動量が落ちない清宮がタンッと跳ねてゴールにボールを投げ入れた
お互いに言いたいことは山程ある、試合中ずっと怒鳴り合っていたが試合時間はたったの10分……
結果20対7で4階が勝った。
「清宮さん!こっち!こっち来てください!」
中山の通る声に呼ばれてホッとした。
ワァッと盛り上がった応援席から一斉に声をかけられても何と言っていいのか返事に困る、ムッツリした顔で睨んでいる熊川部長がパクパク何か言っているが多分聞いちゃいけない……
4階の応援スペースは満員で座る場所は無かったが、今度は決勝まで十分休みが取ってある。慣れたメンバーの近くに行ってコートの中に座り込むと中山が頭に冷たいタオルを乗せてくれた
「ありがとう」
「彼女にしたら便利でしょう?この際付き合っちゃいます?」
「社食はもう閉まってるよ」
「もう!清宮さん!また?!」
「中山!清宮さんはな、女子がタオルを渡そうとすると「汗びっしょりだから」って断る人だぞ、そんな簡単に登頂出来ると思うなよ」
「難攻不落……未踏破の自然の要塞…」
「天然の要塞だろ」
プンっと横を向いた中山を、フォローしているのからかっているのか美咲と山内が茶々を入れると笑いが起こった
「…何の事だよ……」
飛びまくる話題がどこに着地したのかは分からないが馬鹿にされている事だけは理解出来る
何か反論したいが、どうせ早い会話のテンポにはついて行けない、話題はエベレストから"かき氷が食べたい"ともう違う話になっている。
「暑……」
空を見上げると天気はいいはずなのに星は一つも見えない、
真っ暗なのにそのままどこまでも続いているのかと思うと鳥肌が立った。
屋上を照らすナイター照明が強烈な光を放ち目に入ると身体が浮き上がってどこにいるのか分からなくなる
ヒタリとおでこが冷たくなって気が付けば頭から落ちていたタオルを神崎が乗せ直してくれた。
「疲れてませんか?」
「これくらいで疲れないよ」
「でも仕事の後だし」
「大丈夫だったら、どうせあと15分くらいで終わるからさ、うちにご飯食べに来る?」
「…はい……行けたら……行きます、買ってきますよ。何が食べたいですか?」
「冷やしうどん……かな………」
神崎は目を細めて何故か困ったような顔をしていた
「眩しいのか?そんな顔して……」
「眩しいですね……」
「ライトで目がやられるな、ショボショボする」
額に乗ったタオルを目の上に置くと、神崎がやってくれたのか……ジョボジャボと水が足されて気持ちが良かった。
決勝は4階と外商チーム…賭けの対象としては順当なカードだった
「外商っていつもどこにいるのかな?全然見かけないわよね」
「なんか…イケメン多くないですか?」
南と中山があれがいいこれがいいと品評会をしている外商のチームは全員背が高くいかにもスポーツが得意そうなメンバーが揃っていた。
"外商"は一般の営業とは違う。個人的に顧客の元を訪れ注文を受けたり商品を紹介して販売している
それぞれの資質が売り上げに直結する為、毎年の新入社員の中で一番優秀と思われる人物が配属される
人当たり、気遣い、勿論容姿も考慮され、出来る奴はスポーツも上手い
世の中そういうものらしい
マイクが無い為に何を言っているのか全く聞こえなかった専務の挨拶が終わると遅れに遅れた決勝戦がすぐに始まった。
賭け金のレートはわからないが部長達はもはや必死……ひねくれているのかふざけているのか、自分が賭けたチームへの応援より相手チームへの野次が多い、外商と4階半々に聞こえるが4階と言うより清宮個人への脅しとも取れる野次はもはや職権乱用……
トスが上がると屋上全体がわぁっと膨れ上がった。
外商とデザイン部は全くと言っていいほど接点がなく、時々顔を出す清宮と同期入社の黒川を除き顔を見た覚えすらない
営業チームは全員ガッチリしているくせにスラリと背が高く、ジャンプボールを当たり前に制してゲームは営業から始まった。
「清宮に持たすな!」
どのゲームでも掛かる声は同じ、清宮がボールを持つと簡単にゴールまで運ばれてしまう
相手の背が大きくても清宮には関係なかった、すいすいパスを通しドリブルですり抜けて得点した
「なあ……清宮さんさっきまでとちょっと違わない?」
「うん……営業チームは強いからかな?」
山内が気付いた通り、清宮は最初の二戦とはプレースタイルを変えていた、先の二試合はなるべくチームメイトにパスを回していたがこのゲームでは自分を中心にして動いている
ゲームへの肌感覚が勝手に勝てる方法を選ぶのだろう、一人でボールを取ってそのまま誰にもパスを出さずにゴールまで運んでしまう
営業も負けてないがじわじわ4階がリードして行った。
「右だよ右!高いパスを出せ!」
黒川がイライラと叫ぶ声は声援と罵倒でかき消されていた
黒川は動きから見てもバスケの経験者らしい、チームに指示を出しているがそんな事は言われなくてもみんな分かっている
清宮にボールを渡さないようにマークしても簡単に振り切られてしまう
清宮はボールを手にした途端ゴールに向かい輪っかの中にボールを沈めた
ゲーム時間は10分しかない
淡々とプレーする清宮率いる4階チームは点差を広げ……その差は10点を超えた
もう清宮に渡さない事だけに集中している外商チームは、清宮の邪魔をさせないようにガードに走る四階のメンバーと小競り合いを繰り返していた
高く上がったボールに向かって低く沈み込んだ清宮が地面を蹴って伸び上がった
どうしてそこに手が届くのかはもう分からない、一緒に飛んだ外商チーム数人より高い
「っ!!」
……何が起こったのかわからなかった
突然清宮の体が宙で軌道を変え、足が地面に着く前に吹っ飛んだ
「あっ!」
「清宮さんっ!!!」
ドォッと応援席に突っ込み、身を乗り出して見ていた3階の応援席がワァッと割れた
「春人さん!!」
何があったのかは見えなかったが頭から落ちたように見えた、試合中だろうがどうでもいい、コートに入り走り寄ると清宮が皺になったブルーシートからムックリ体を起こした
「春人さん!大丈夫ですか?!」
「触んな!!」
助け起こそうと出した腕は清宮に辿り着く前に盛大に叩き落とされてしまい、ギロリと睨みつけた視線は………
肩を通り越して後ろに立つ黒川に向かっていた。
「春人さん……血が…手当てしないと…」
「いらない……」
一度手酷く拒絶されもう手を出す勇気は出ない、触らせてくれる雰囲気じゃないのだ。
三階の応援席から回ってきた救急箱を受け取った中山もオロオロするばかりで何も出来なかった
「怪我人が出たから選手交代します」
審判に向かって勝手に交代を告げた黒川の口角がニヤリと歪んだ
まさか……わざと?………
清宮の肩からは汗に滲んだ赤いシミが広がり、口の端は切れている、肩でグイッと口元を拭うとシャツに赤いシミがまた一つ増えた。
視線は黒川から離されず、睨み合ったまま清宮がムクっと立ち上がった
「交代はしません、さっさとゲームに戻りましょう」
「春人さん……もう交代した方がいいですよ」
「うるさい、俺に構うな」
「春人さん!せめてちょっと休んでからにした方が…」
何も社内の親善試合で怪我を押してまで清宮が頑張る必要もない、ましてや故意にラフプレーをしてくる奴の相手などしなくていい
清宮は最後まで聞かずに素人丸出しでオロオロしている審判からボールを取り上げ、フリースローラインに立って笛を鳴らせと目で威圧した
ポーンと高く放り上げられたボールは綺麗な軌道を描き、ゴールに吸い込まれた。
ゲーム再開。
コートの外まで聞こえる程無遠慮な舌打ちをした黒川がポストから落ちてきたボールをすぐさま拾った、時間に追われるように仲間にパスを出すとフリースローラインから走り込んできた清宮が目の前で掬い取り、そのまま高く飛び上がる。
ポストに入ったのはガンッと音をさせ、叩きつけたダンクシュート………
「!!」
「黒川!!時間が無い!高く上げろ!」
「分かってるよっっ!!」
高く放られたボールを追って走る清宮を三人が囲んだがジャンプの到達点が速くて高い、沢山上がった腕の中でボールを取ったのはやっぱり清宮だった
着地と共に低く沈み、集団を躱して追い縋る腕を振り切ってゴールまで走ってしまう
会場から唸り声に似たどよめきが起こった
「清宮さん…さっきまで本気じゃなかったんだ…」
「凄いな…ダンクって…1メートル以上飛んでるよな」
本当に凄い……
スポーツを何でもサラッと熟す清宮はよく知っているがここまでとは思わなかった、5人対一人でも勝てそうだ。
こんな時なのに魅せられて目が離せない
清宮はもう無駄なパスは出さない
チームメイトや相手に遠慮していたのかボールを回して和気あいあいとしていた試合は一変し、独断で動いて一人でシュートを決めて行く
身体が接触してもバランスは崩れない
黒川に投げられたパスを、嘲るようにヒョイッと顔の前から拐い全員を抜いて走っていく、ゴールポストの真上にあげられたボールは輪っかに触る事無く綺麗にくぐり抜け、トンッとコートに落ちた
「!!」
黒川と対峙した清宮が表情のない目を向け、「どうだ」と明らかに挑発していた
スマホの時計を見るともう終わってもいいはずだ、空気を読んでもう止めてくれればいいものをストップウォッチを持った審判は律儀に試合時間を測っている
ハラハラして気が気じゃない、境界線に隔てられ入れないコートをもどかしく思った
もう全員が立っていた
トスをコートに入れるためゴール下に立った黒川の目の前で煽るように陣取った清宮が腰を落とした
黒川はまるでわざとカットさせるような緩いパスを出し清宮がボールを手にした所で……
ピーッとゲームの終了を告げる審判の笛が鳴った。
「清宮さん!!」
笛と同時に美咲が飛び出した、なぜか泣いている………
美咲はいつも感情表現が豊かで素直に動く
静まり返っていた会場がわっと湧いた
怪我も心配だが清宮の様子が気になった、普段は大人しいとと言えるくらい穏やかだが、意外とやんちゃだと最近知った。こんな小さな試合にムキになった奴の相手などしなくていいのにコテンパンに負かしてしまった清宮も子供っぽい
イベントの趣旨を外れ、緊迫していたゲームが終わると憮然とした清宮はチームメイトから掛かる声にも答えず、バンッとボールをコートに叩きつけ、無言で屋上の出口に足を向けた。
「あれ?清宮さん帰っちゃうよ」
「片付け組と手当て組に分かれましょう」
………それなら絶対手当て組、のんびり空き缶を集めたりしたくない
外商チームの方を見もしないで黒川の隣を通り過ぎる……と思ったら……
突然だった
出口に向いていた足が軌道を変え、ダッとステップした清宮が黒川に飛びかかった。
「わぁっっ?!!おい!清宮!!」
「ちょっと!!やめろ!」
ワァッと大騒ぎになった
振りかぶられた清宮の腕は黒川に到達点する前に他のメンバーに掴まれ、羽交い締めになってもまだ暴れている
「清宮っ!!何やってる!やめろって!」
「落ち着けよ!誰か!!黒川を連れて行け!!」
慌てて止めに入った堀川部長は清宮と黒川の間に体を捩じ込んで団子になった集団を抑えている
「春人さん!どうしたんですか!」
暴れる清宮を抱え込み、混乱の輪から引き離すと腕の中の清宮は大きく肩を揺らし興奮してフウフウ言っていた
「落ち着いて下さい…大丈夫だから……大丈夫………」
ギュッと身体に回した腕に力を入れると殴り掛かるのを諦めたのか、ペタンと胸に頬を付けて大人しくなった
こんな清宮を見るの初めてなのだろう、美咲や中山は言葉を無くしてオロオロしていた
「大丈夫です……大丈夫……」
騒ぎに気付いた社員が何だ何だと集まり始めている。
走っても飛んでも大して乱していなかったくせに胸を揺すって勢いよく吐出される硬い呼吸は中々収まらない
「大丈夫ですから……」
情けないがそれだけしか言えなかった。
合わさった胸から直に伝わる早い心音が興奮を伝えてくる。
ギュッと抱き込んだ腕に力を入れると、清宮はフゥーッと長い息を吐き出し、やっと固めていた拳が解けた。
会場には気怠い空気が漂いあちこちで片付けが始まっていた
ザワザワと大勢のさざめきがビル風に乗って近くなったり遠のいたりしている
側で見ていた人にしか何があったのかは分からなかったと思うが清宮はただでも注目の的だ、すぐ全員に知られてしまう。
「神崎!ちょっといいか?」
背中で守るようにドアの前に立ち塞がった堀川部長がちょっと来いと手招きをしていた、腕の中の清宮を見下ろすと呼吸も通常に戻り落ち着いてきている、離れても大丈夫そうだ。
「すいません、誰か……ちょっとだけ春人さんをお願いできますか?」
「はい!任せてください」
「お願いします」
何も出来ずに好奇の目から守るように囲っていた4階チームのメンバーに清宮を預け堀川部長の元に走っていった
普段はいい加減と言うか……飄々として真面目に仕事しているようには見えない堀川部長だが先頭に立って清宮を守ってくれた
「外商はもう帰らせた、清宮を任せてもいいか?」
「はい、マンションを知ってますから部屋まで送ります」
「そうなのか?助かるよ…まさかあの大人しい清宮が殴り掛かるなんてな……止められて良かったよ」
"大人しい"には微妙な反論はあるが、どんな理由があろうとも手を上げてしまうと処分が下されるのは間違いない、堀川だって庇いきれないだろう
「顔を合わすなと言っておいたからチームがちゃんとしてくれる筈だ、もう清宮を連れて帰っても大丈夫だ」
「すいませんでした」
「俺は専務に説明してくる、片付けは任せてくれ、清宮を頼んだぞ」
「はい、ありがとうございました」
「これが俺の仕事なんだよ」
堀川部長はキザなウィンクがやけに似合う
将来こんなおっさんになれるものならなりたい……
専務の機嫌取りに向かった堀川を見送って清宮を屋上から連れ出した。
閉店してしまった店舗に入れず、デザイン部に戻るには直通エレベーターで一旦1階まで降りてまた社員用の出入り口から4階まで上がってこなければならなかった。
清宮は拗ねたように口を閉ざし、誰とも目を合わせようとはしない……
冷たい目は声をかける事を拒んでいた。
「春人さんは?」
「帰っちゃいました」
「ええ?!今?怪我は?」
南が手にしたままだった救急箱を持ち上げて首を振った
飲み物を買いに行ったせいで遅れてデザイン部に戻ると汗も拭かずに部屋に戻るなり鞄を取って出ていったらしい
Macさえ電源も落とさずそのままだった。
「今日の清宮さん……怖かった……」
「色んな意味で猫みたいだね」
「あの人走っても足音しないもんな」
明るく言おうとしたのだろうが美咲の笑い声は小さく沈んでしまった
「あの時………黒川さんに……何か言われてましね」
「うん…聞こえなかったけどな」
……それには気が付いていた
清宮がコートを出ようとした時黒川が身体を寄せ確かに何かを言った、殴り掛かるなんて余程の事だろう
「俺ももう失礼します」
「神崎さん一応打ち上げの店予約してるんですけど…………行きませんよね?」
「ごめん………山内、疲れたし今日はパス」
「……ですよね……」
「お先です」
何か言われる前に部屋を出た
勿論清宮の家に行くつもりだが美咲あたりについてこられそうで嫌だった
清宮が出ていってまだそんなに時間は経ってない、走れば追い付くかと思ったがどこにも姿は見えなかった
店舗前の交差点からマンションへの道を見てもいない
「まさか部屋に帰ったんじゃないのか?」
仕事以外では放置されて繋がりにくい携帯には出てくれる可能性は低い、どこか店にでも行ってしまえば絶対に見つけられないだろう、怪我をしたままなのに一人で放っておくなんてしたくない
信号を渡りマンションの近くまで来ると清宮の部屋に灯りが見えてホッとした
稼ぎ時の大型連休に休む商業施設などなく、従業員のシフトは後方も売り場と同じになる。
デザイン部はやる事もなく全員がのんびりと弛緩していた。
………清宮を別除いて。
今はこの会社に勤める1500程の従業員全員が出社していると言っていい、社員も集客もマックス…、どこもかしこも人だらけだった。
満員でごった返す社食には行く気にはなれず、地下の食料品売り場で昼を買って済ませ、コーヒーを入れていると販売促進課の平田が汗ビッチョリになって飛び込んできた。
販促が来ると大概ろくな用じゃない。
「すいません!!7階の催し会場に誰か応援に入ってください!」
「え~~?………何人ですか?」
事務の南が「そんな話は聞いてない」と不満の声を上げた。
後方は"応援"と称して時々売り場に借り出されるが普段は前もって要請が来る事になっている、ゴールデンウィークにも要請はあったがその時は清宮が無理だと断っていた。
「何人でもいいです、ってか暇なんでしょう?全員来てください、もう無理なんです」
「電話が来るから私達は無理です」
電話など来ないのに事務の二人は急にパソコンを叩き仕事がある振りをした。
「俺が行きますよ」
「ああ………やっぱり?……」
清宮が立ち上がると美咲が頭を抱えた
清宮は無理が好き……と言うか要領が悪いと言うか、断らない事は目に見えていた。
「任意なんだから行きたくなければ行かなくていいよ」
「行きますよ、行きたいです」
「ハハッ楽しいぞ」
「前向きですね」
美咲は鞄からタオルを取り出しグルッと首に巻いた、清宮が行くと言うなら行くしかない、
結局デザインチームは五人で手伝いに入る事になった
「応援って何をしたらいいんですか?」
「神崎は初めてだな、専門外の事をさせて悪いな、イベントのバイトに入ったと思って適当に流していいからな」
「催し会場ですよね?」
「まあ簡単に言えば未知との遭遇?」
「はあ」
7階の催し会場ではマンパンマンワールドと銘打った子供をターゲットにしたイベントが開催されている。イベントの広告や看板をデザインしたから中身は知っていたが余りにも無縁でどんなものかはよくわからない。
「ちょっと面白そうですね」
「面白い……けど……それで済めばいいけど…な?」
清宮と美咲、山内が顔を見合わせて苦笑いをした。
バックヤードのエレベーターで七階まで上がると誰でもお馴染みのテーマ曲が聞こえて来る。
店舗への扉を開けるとワッとボリュームが上がった。
「これは………」
「凄いだろ?」
阿鼻叫喚……まさに……
会場に溢れてオーバーフローしそうな客は大人で満員とは全く違う。
どう動くか予測不能の生き物は生活圏には全くいない、豆のような小さな子供がワーワーキャーキャービービー嬌声を上げて足元をウロウロしてうっかり踏み潰してしまいそうだ。
「凄いですね……」
「想像も出来ないトラブルが起こるぞ覚悟しろよ」
「想像出来ないのに覚悟なんて出来ませんよ、俺に何が出来るんですか?子供の相手なんてした事ないですよ」
「はは……何とかなるよ」
……何とかなるって……お母さんとお父さんのように寛容でいる自信は全くない
「マンパンマンプレイランド」は小さな子供でも出来る簡単なゲームが数種類用意され無料で開放されている、具体的な面積はわからないが7階のフリースペースは酸素が薄く感じるほどの人出に溢れ1M先ほどしか見えない。
メイン看板のデータは3600mm*1200mmと自分でデザインして表記したものの実物を見ると思いの外巨大、天井から吊り下がった各種キャラクターのオブジェに見下され、うるさいくらいにリピートされるテーマ曲は一日会場にいたら夢に見そうだ。
「平田さん、ここで…俺たちは何を?…」
「すいません!適当に別れてゲームに並ぶ客の誘導お願いします!」
「え?それだけ?平田さん?」
それだけ言って消えてしまった平田を追う事は出来そうもない、大人の目線からでは見えない位置に何人潜んでいるか分からないのだ、突発的に動くと本当に踏み潰す。
「美咲と山内、山田さんは輪投げの方を担当して下さい、神崎は俺とボウリングな、よろしくお願いします」
「あっ!春人さん!?」
デザイン部の仕事でもないのに清宮が指示を出しトンっとつま先で跳ねたと思ったら順番待ちの列に飛び込んで行ってしまった。
ゲームの前に出来た行列は軽く柵を超えてバラバラと広がりもう崩壊寸前に見える。
一応「列をはみ出ないでください」と言って見たがリピートし続けるテーマ曲のおかげで、キャアキャア楽しそうな高い子供の声と混じって自分の声が全く聞こえない
出来る事と言えば身長を活かして柵の代わりになるぐらい……
時々「最後尾はこちらです!!」と叫ぶ清宮の声が聞こえるが姿は見えなかった。
子供を踏み潰す危険は依然継続中。歩くと膝が子供の顔、重いなと思ったら性別不明の小さな子供が足に捕まって見上げている。両親らしき二人は「あらあら」と笑って写真を撮るだけで回収はしてくれない。
こっそり振り落とし(最低)他の客でバリケードを作った。
「すいません、待ち時間はどれくらいですか?」
足元に男の子二人を連れた若い母親は、こんな混雑する中ジタバタ暴れる子供を服のフードを持って操縦しながら荷物持って赤ちゃん抱いて………タフ過ぎる
悪いがそんなもん知るわけない
「10分程です。」
にっこり笑って大嘘をついておいた。
もう人しか見えない、行列の先がどうなっているのか、ある意味満員電車よりきつい
明らかに会場のキャパは超えているのに客足は引くどころか増えている。
「お父さん」の眼鏡が湿気で曇るくらい不快指数はマックス。待ち時間は長く子供は「まだ」を繰り返してる。入場制限をした方がいいのではないかと思い始めた頃だった、行列の後ろの方で突然人垣がワッと割れた。
「やめて下さい!お客様!落ち着いて!」
聞こえた声は間違いなく清宮だ。
揉めているらしい二人の若い男は見えるが清宮の姿は見えない。
「うちの子が先に並んでたんだ、横入りしないで下さい!」
「何言ってるんだこっちが先に来て並んでたのに横入りはどっちだ!」
「ちょっとお客様!子供たちが見ています!やめて!」
よく見ると清宮が二人の男に挟まれて揉みくちゃになっている。
止めようとしてるのはわかるが喧嘩している二人は人混みにイライラして清宮が目に入ってない
「何やってるんだあの人は………」
近づきたいが自分の順番を守りたい列は中々奥まで通してくれない。
「春人さん!すいません!通して下さい!ちょっと!!春人さん!」
基本的に客には「触って」はいけないのだ、清宮は腕を後ろに組んだ喧嘩の真ん中でもみくちゃになっている。
大人気ない喧嘩はヒートアップして肩の押し合いにまで発展していた
音で声が消され、怒鳴っても目立たないから言い放題。
押し合いの煽りを食らい、足元にスペースを無くした清宮の体がグラリと揺れた。そのまま背中から落ちて行く。
「わっっ!!」
「春人さん!」
咄嗟に出した腕にしがみついた清宮を引き抜いて、反動のまま背中から抱き寄せた。
「大丈夫ですか?」
「あ……神崎?……助かったよ」
今回は正式な応援要請もなくお手伝いでいい筈なのに清宮は汗に濡れて顎からポタポタ水滴を落としていた。
「何をやってるんですか、踏み潰されますよ」
「何って仕事だろう」
「そこまで一生懸命やれなんて言われてないでしょう」
ハンカチもタオルも袖もなく仕方無しに頭を抑えてポロシャツの裾で顔を拭くと吸いきれなかった汗がボタボタ床を濡らした
「販促の平田さんが春人さんを呼んでましたよ、事務所に行ってください」
「え?でもあれ放っておけないだろ……」
子供が怖がって泣き出しているというのにまだ揉め事は続いている。
母親らしい女は疲れて放置…こんな時”結婚なんか絶対しない”とか思ってしまう。
「あれは俺が引き受けます、春人さんは事務所に行ってください」
「でも……」
「いいから!任せてください」
清宮を人混みから押し出して喧嘩の仲裁に向かった、振り返ると……事務所に向かったはいいが…また走ってる。
事務所に呼ばれていると言ったのは嘘だが清宮には休憩が必要に思えた。
ドンッと邪魔にされ、バランスを崩した体は人ごみで見えない床に向かって落ちていく。
足を出すスペースはない、目の前に見えた腕に思わず掴まるとフワリと体が浮いた。
顔を拭かれて初めて汗びっしょりになっている事に気付き、もう一度自分の腕で拭うと髪の中の汗がドドっと流れて目に入ってしまった。
今時神崎くらいの身長は珍しくないが喧嘩の仲裁に入ってしまった頭がひょっこり飛び出ている、何を言っているのかは聞こえないが喧嘩していた当事者を笑ってない笑顔を浮かべて出口の方に連行していった
「何をやらしても出来るやつだな……」
神崎の入社は本当に有難かった
仕事が早いし文句も言わず毎日深夜まで付き合ってくれた
気が付けばかなり頼りにしている
この所ベッタリ一緒にいるが気を使わなくてもいい所も楽だった
「あ………そう言えば……」
端っこに避難して呑気に神崎を眺めていたが、平田に呼ばれている事を思い出した
スタッフIDを首から下げていると声をかけられ進めない。ポケットにしまい込み、混雑の合間を縫ってやっとの思いで事務所に着くと平田が抱きつく勢いで手を取った。
「ああ!!清宮さんいいところに!」
「用ってなんですか」
「バイトが飛んじゃって人数が足りなくて困ってたんです」
平田がブンブン握った手を振り上げ振り回された、必死すぎて目が怖い
「飛ぶってなんですか?」
「約束の時間に連絡も無しに来ないんです」
「はあ……あの……」
平田がドシッと胸に押し付けてきたTシャツを見て………思いっきり嫌な予感がした。
どんどん増えていく人手はおそらく今最高潮だろう、空調が効いているはずだが熱量の高い生き物がワラワラと散り、湧き上がってくる熱気で汗が止まらない。
「神崎さん!休憩です」
肩を掴まれて振り返ると同じように汗だくになった山内が笑っていた。
「でも今ここを離れたら……」
「交代が来るって平田が言ってたから放っとけばいいですよ、何か飲まないと死んじゃうよ」
「うん、もう倒れるかと思ってました」
「ご苦労様、何か飲みに行きましょう」
美咲と山田の姿は見えない、山内によると上手いこと逃げたらしい
「助かった……」
「ははっ面白いでしょう?」
「面白すぎです」
二人で苦笑いを浮かべながら事務所に向かうと……
口が開いて閉まらなくなった
確かに救出した筈の清宮が丸く人垣が出来たミニステージで旗を持って踊っている。
ダンスと言っても旗を持って音楽に合わせてゆらゆら手を振るだけだが何故か真ん中
ダンスチームの中で唯一プロと思われるお姉さんがマイクを持って音頭をとっている、会場に流れるテーマ曲に対抗したマイクの音量は耳のキャパを超えてうるさいと言うより痛い
「春人さん……」
「え?今何か言いましたか?」
「春人さんが…踊ってる…」
「え?え?どういう事ですか?」
子供を肩車した父親やカメラを向ける人混みに埋もれて身長の足りない山内にはまだ見えてない
ステージの裾では堀川部長が爆笑していた
大真面目な顔をして必死に旗を振る清宮は確かに面白いが……
「ホントに………何をやってるんだ……」
陽気な音楽が会場の喧騒を吹き飛ばしてお姉さんの合いの手が会場を煽っていた。
「体も………気持ちもこんなにクタクタになったのは久しぶりです………」
「子供って……凄いですね」
「全部吸い取られました、子供を育てるって凄い……」
終わり頃に何食わぬ顔で現れた美咲と生気を全て使い果たした清宮と神崎、山内の四人でデザイン部に帰り着くと椅子まで辿り着けずに床に座り込んだ
もう腕を上げるだけでも怠い
「お疲れ様です、ご飯買っておきましたよ、気が利くでしょ?」
仕事をしていたのか、待ってくれていたのか、待ち構えていたように中山がニッコリ笑って地下の惣菜を並べ、お茶を入れてくれた。
「中山……売り込まなければ普通に可愛いのに……」
「美咲の為じゃないもん、余計な事言わないでよ、清宮さん、食べてくださいね」
「ありがとう……でも食欲ない」
「え?そうなんですか?俺めっちゃお腹すいてますけど」
「美咲はサボってたからだろ」
「俺はちゃんと"いましたよ"」
山内も食欲が無いのだろう、唐揚げをチマっと噛ってチラリと山田のデスクを見た。
山田は最初に会場に入ってからすぐに消えてしまい、どうやら終業時間の6時に帰ったらしい
南も課長も帰ってしまいデザイン部には5人しかいなかった
「春人さん、俺も食欲ないけど食べた方がいいですよ、どうせ帰ったってまた何も無いんでしょう?いつ行ったって冷蔵庫はスッカラカンじゃないですか」
「無いけど……飲んでも飲んでも喉がカラカラで飲み込める気がしないんだよ」
「美味しいですよ」
ハイっと唐揚げを差し出すと嫌そうに見つめ………パクっと口に入れた
「あ…旨い………」
「………そう………でしょう……」
まさかそのまま食べるとは思っていなかったので答えに詰まった
コクンと飲み込んだタイミングでもう一つ差し出すとまた口を開ける。
美咲達があ然として見ているのはわかっているが箸を持とうとしない清宮は差し出さないと食べないし餌付けしているようで面白くもある
「一生懸命やり過ぎなんですよ、踊ってる春人さんを見た時には呆れました」
「俺だって嫌だったけど……頼まれて仕方がなかったんだよ」
「断ればいいでしょう」
「神崎うるさい」
プンっと横を向いたくせにプチトマトを差し出すと食べた
「清宮さん真面目くさって踊ってるから笑えて……動画撮っちゃいました」
「は?やめろよ馬鹿!」
耳について離れなくなっているマンパンマンのテーマ曲が聞こえると、みんなに見せようとする美咲の手から清宮が黙って携帯を取り上げた。
「あっ!!何するんですか!」
「サボって遊ぶな、一応仕事だろ」
「ああ……消えてる……」
投げ返された携帯の動画を見た美咲が残念そうに中身を確かめた。
「春人さんって意外と要領悪いんですね」
「そうですね……デザイン部でも全部一人で背負っちゃって、山田さんなんて清宮さんより先輩なのに何もしないし」
中山は山田とあまり仲が良くないらしく言い方に棘を仕込んで来る、普段から山田をよく思ってない美咲と視線を合わせて頷いた。
「やめろ、美咲、先輩だろ、山田さんは山田さんの仕事してるんだからいいんだよ、それに今日は任意なんだから文句言うな」
「でも清宮さん……」
「サボってた美咲に怒る権利なし」
話の合間に甘い物を差し出すといらないと首を振り、中華肉団子に変えるとパクリと咥えた
「ああもう!黙っていられない!神崎さんさっきから一体何してるんですか」
「いや…春人さんが食べないから……」
「いらないって言ってるのに……」
「食べてるじゃないですか」
茄子がはみ出たイタリアンパイを半分にして口元に持っていくと、何?これ?と中身を覗いてからまたパクリ………
食べさせてもらう事に何の疑問も持たない清宮も清宮だが、食べ物を持っていくと素直に口を開けるからやめられなくなり何だかんだで一食分食べさせてしまった。
「随分仲良くなったんですね……」
美咲がチロッと清宮を見て不愉快そうに眉を寄せた
「ずっと聞きたかったんですけどどうして神崎さんは清宮さんを名前呼びしてるんですか?」
「それは…」
いつか聞かれるんじ無いかと思っていたがタイミングが悪い、疲れ切ってそれらしい言い訳は思いつかない。
「…最初にそう呼んじゃってそのまま定着したというか……」
「清宮さんの名前ってハルトですよね、ハルヒトって何なんだろうって私も思ってました、神崎さんの真似して私もやってみよーっと」
中山が残った肉団子を差し出すともういらないと清宮がプイっと横を向き、つまらないプチ勝利だがちょっと嬉しい………
「堀川部長が間違って教えたらしい、何でもいいんだけど俺も最初はビックリした」
「ハハ……俺もビックリしました」
理由は言いたいが言えない、清宮にだけなら伝えてみたいと思う事もあるが他に知られるのは嫌だった
こんな時はニッコリして誤魔化しておくのが一番だった
「イケメンは何でもありなんですね、笑えば全て解決」
美咲がブスッとして一口サイズのスイーツを口に放り込んだ
「清宮さんモテますね、美咲はずっとゾッコンだし社内でも人気が高いです。ついでだから私も告白しておきます、付き合ってくれませんか?」
「どこまで?社食でいい?」
「意味が違いますね、それならもうちょっと高級な感じでお願いします」
「吉牛とか?」
「ケチ……引くわ……」
二人の軽快な言い合いに静かなデザイン部の中で爆笑が起こった
「神崎さん……どうしたんですか?」
「え?」
気が付けば真顔になっていた
「……ああごめん、疲れて……」
「そうですね、シャワーも浴びたいしもう帰りましょう」
冗談か本気かわからない中山の告白に腹の底がヒヤリと冷たくなっている。
モヤモヤした胸の中が気持ち悪くて本当に食べ物にあたったのかと疑った
清宮に目が囚われてしまうのはきっと誰にとっても特別な事じゃない、決して派手じゃないが品よく綺麗に整った目鼻立ちに細身でスラリとした立ち姿、清潔感のある綺麗な肌質は女子から好かれそうだ、今はフリーだがそのうちに誰かと心を通わせたって不思議じゃない
当たり前の事………
自分だって数人と付き合い体も交えている
そんな事が気になったりする方が変なのだ、しかも冗談半分の告白に黙り込んでしまうなんて修行が足りない
後片付けをしながら不機嫌になってしまわないように気を付けてダラダラ続く文句と冗談に話を合わせた。
裏口から外に出ると店舗はまだ営業を続け溢れる人並みは昼間と変わりなく見える
会社前の交差点で清宮を見送り、バスで帰る山内と中山と別れると美咲と二人きりになった。
「疲れましたね」
「あのさ、同い年だし美咲は先輩なんだから敬語はやめないか?」
「そうなんですけどね……神崎さんは大人っぽくて同い年とは思えないんです。」
「そうかな……春人さん程年齢と見た目にギャップないだろ」
「見た目と言うか雰囲気ですよ……清宮さんは若く見えるけど俺にとって大先輩で上司だからそんな風に思った事ありません」
「でも時々物凄く子供っぽいな」
「……そうですね……」
美咲にも覚えがあるのだろう、クスッと笑って地面に目を向けた。
「あの……さ……」
「何だよ」
貯めた物言いに言いたいことが聞く前にわかってしまった。
「なんか……やっぱり神崎さんは清宮さんの事をずっと前から知っているみたいですね、俺なんか清宮さんと働いてもう一年以上経ってるんですよ、まだ一ヶ月くらいなのに…何か世話焼いてるし…」
「意外とわかりやすいんですよ、あの人」
「え?めっちゃわかりにくいですよ、あの人」
美咲が目を丸く広げて驚いた顔をした、ハッキリしたパーツに大きな目が見開かれると人懐っこくて犬っぽい
「そうか?」
「そうですよ、いつもサラッとしていると言うか壁作ってるって言うかトンチンカンって言うか」
「トンチンカンって何だよ」
「あの人ってどっかズレてんですよね。それに清宮さんが風邪ひいた時なんか熱で動けなくなるまで誰も気がつかなかったんですよ」
「ありそうですよね春人さんを見てると…」
想像出来て何気なく口にした言葉に美咲が足を止めた
「本当に前から清宮さんと知り合いみたいですね」
ポツリと落ちてきた美咲の呟きは質問では無かった。
美咲と別れた後は何となく一人で部屋に戻るのが嫌でコーヒーを買い駅前の植え込の柵に座った
空を見上げるとぽっかりと空に空いた穴のような丸い月が浮かんでいる
美咲のストレートな感情表現に何故ここに……清宮の隣にいるのか考えてしまった
"前からの知り合いみたいですね"
おそらく美咲が想像した"前から"はもっと最近の事だと思ってる。
目玉焼きが嫌いな事
犬とバトっていた事も
小学校のグランドで遊ぶ姿も
追いかけて入ったスイミングも………
清宮は知らない………と思う
大人になってから見失っていたが、撮影で訪れたスタジオで姿を見かけスケジュールを調べると勤め先がわかった
何も考えなかった
ツテを探し無理矢理清宮のいる職場にやってきた
近くにいたかっただけだ
せっかく電報堂にいるのに勿体無いとも言われたが、自分的には電報堂にいたおかげですんなり転職出来て良かったと思ってる
何で清宮か?
自分でもわからない
どうしたいのかもわからない
子供の頃追いかけて入ったスイミングでは清宮はずっと上のクラスの一番端のレーンで上級生に混ざってものすごい勢いで泳いでいた
小学校の校庭では何をやらせても特別に目立っていた
その姿を見たくて毎日グランドの隅に張り付いた
三つ離れているせいで中学高校は同じ所には通えない、普通に自分に合った所を選び、通っているうちに清宮はいつの間にか実家からいなくなっていた
その事を知って………まだそれとなく姿を追っていた事に改めて気付かされた
今の職場に来たのもそう色々考えていたわけじゃない
ただ側に行ってみたくて
見ていたくて
話してみたくて
………触れてみたくて………
考えてはいけないような気がして……考えたくなくてずっと逃げている
電車の中の痴漢と同じ感情を持っているなんて自分の手が薄汚れて見える
同性愛の気質は多分ない……と思う…
普通に女性の胸元や綺麗な足を見るとドキッとするし何人かと付き合いもした。
ただ執着した事はない、いつも請われて付き合い始め、別れる時には必ず冷たいと言われた
"清宮さんならありだわ"
あの時そう言った宮川を殴りつけたい衝動に駆られた、馬鹿にして揶揄われている様に感じたから………
「でもね……春人さん……これはある意味恋なんです……」
憧れや心酔の入り混じった"好き"の種類は複雑で誰にもわかって貰えそうにない……
長く引きずったまま冷めない初恋………
空を見上げると丸い月が嘲笑っていた。
突然、噂の球技大会の日が決まった。
なぜ突然かと言うと会場の問題らしい
駅の北側にどっしりと巨体を構えた12階建ての店舗ビルにはスポーツクラブがテナントに入っている。そのスポーツクラブが管理している屋上の施設は、貸し切りを融通して貰う上でどうしても他の客が優先されギリギリまで日取りが確定しない。
「屋上に屋根はあるんですか?」
「網が張ってあるだけで吹きさらしですよ、だから種目によっては面白いんです」
三年前のバドミントン大会はとんでもなく面白い事になったと中山と南がはしゃいで説明してくれた
「思い切り外して打ったつもりでも風に押し戻されてね、何なら反対側のアウトまで持って行かれるんですよ」
「そしたら次は風が凪いでどこに打ってんだってなったり、外商の黒川さんなんか追い風が凄すぎてサーブが飛んでいっちゃうから反対向いて打ってたよね」
「そうそう!それが入って拍手喝采、総務が優勝したのも球技大会初だったし」
「俺達まだ入社してないです、清宮さんは?出てたんでしょう?」
美咲と山内は事務のデスクの方で女子に混ざっておやつを摘んでいた
一緒に清宮の話を聞きたいが夜7時から始まる球技大会には絶対に遅れたくない、何が何でもバスケをする清宮が見たい……
今手持ちの仕事を終わらせる
それが近頃経験したことが無いくらい、絶対に履行しなければならない今の最重要課題だった。
「清宮さんは勝ってたわよ、本当に何やらせても上手だからね、でも4階チームは他のメンバーが負けて優勝したのは庶務だっけ?」
「見たかったなー、どうして俺は清宮さんの同期に生まれなかったんだろう」
全くだ………
同期じゃなくて同級生が良かった……それならもっと当たり前に側にいた。
同じなんて嫌だが一々美咲の言う事に同意してしまう。心の中でうんうんと頷いているとずっと黙っていた清宮が突然音を立てて書類の束を机に叩きつけた。
「美咲!山内!明日休みになってるが出社するつもりか?」
怒るどころか大声さえ珍しい清宮の怒鳴り声に部屋の空気がパチンと音を立てた
「すいません………」
しまったと言うより驚きが大きい、美咲と山内はそそくさと席に戻り顔を見合わせた。
「やべ……」
「清宮さんが怒った所なんか殆ど見たことないよ…」
コソコソ耳打ちしているつもりなのだろうがまる聞こえだ、ピリついた清宮は顔も上げずイライラとキーボードを叩いていた
調子良くみんなでお喋りをしていたが、今日は残業が出来ない、宮川が持ち込んだカットハウスのチラシと垂れ幕のデザインを美咲と山内に任せているのにまだ上がっていなかった
上役は一応いるがデザインの事は全部清宮が責任を持っていた、デザイン提案などの納期は融通がきくこともあるが折り込みチラシや新聞広告は期日がシビアで猶予は一切ない
お盆ボケで少し遅れ気味な上に業務と関係ないタイムリミットまでついて神経を尖らせている。
「山田さん、ハロウィンのイラスト上がってるんで適当に周り飾って仕上げていってもらえますか?」
経験も長く年も上のはずの山田は言われた事しか絶対しない、リーダーシップは小さな事でも取らない、まだ入社したばかりで口を出すべきじゃないとわかっているが、黙っていれば清宮は全部一人で背負おうとしてしまう
「何で神崎が………」
不満顔を隠そうともせずブツブツと不満を言いながらも山田はプリントアウトを受け取った
清宮はチラリと顔を上げたが、何も言わず手も止めなかった、清宮が何か言っても押し切ろうと思っていたがこれでいいらしい。
一緒に働き始めてからまだ数ヶ月しか経っていないが清宮から文句や愚痴は聞いたことがない
変な所で素直に役割を受け入れ、頑張っているが方向性がズレているような気がする
仕事は出来るがどうしてか危なっかしい
清宮しか目に入ってないせいもあるが、社内のことをよく分かっている筈の山田がもう少しフォローに回ってくれればバランスが取れるのではないかと思う。
時間は6時30分。Macの電源を落として準備は万端。
どんな場所でどんな進行でどんな形式で球技大会が行われるのかはわからない、営業が続いている店舗からどれくらいの社員が参加出来るのかもわからないが例え1割が屋上に集まってもかなりの人数になる
どうせならいい場所で清宮を見たいから早く行きたい。
写真が欲しい、動画も撮りたい、一瞬も見逃したく無い。
席取りをしなくてもいいのか、人垣の頭越しに爪先で立って試合を見る羽目にならないだろうかと、空が薄暗くなって来るとジリジリして落ち着かなくなってきた。
「ハルヒトさん……もうすぐ時間ですけど…」
「うん……」
このやり取り数回目。
夕方(七時は夕方)の開催時間になっても清宮は知らん顔をして仕事を続け、終える気配はまるで無い。痺れを切らした中山が動こうとしない清宮を無理矢理Macから引き剥がした。
「清宮さん!早く!もうかなり遅刻してますよ」
「どうせ7時からなんて始まらないよ、毎年必ず一時間は遅れるだろう」
「もう一時間遅れてます、選手が揃わないといつまで経っても始められないでしょう!」
屋上に向うエレベーターに乗せても電話を離さず、まともに歩かない清宮を人形を誘導する様に屋上まで連れてきた。
屋上への重い鉄の扉を開けると足元から吹き付ける強い風にブワッと押し返される
外に出てみると、店舗と同じ面積ならかなりの広さがあると思っていたが半分以上は貯水タンクや太いパイプに占領され思っていたよりも狭い。
「ここに何人くらい入れるんですか?」
「さあ……去年しか知りませんけど満員になる事は間違いないですよ」
「ちゃんと見れるのかな……」
「神崎さんがそんな事を心配するなんて意外ですね、うちはコートサイドに席がある筈だから座れると思いますよ」
山内の心配は合ってるようで焦点が微妙に違うがちゃんと見えるならそれでいい。
屋上の野外施設はサイドも上も目の細かい網で覆われ、バスケは勿論サッカー、ドッヂボール、テニス、やろうと思えば野球だって出来るらしい
制服のまま来ている社員も多く、あちこちで会話の輪が広がり各階の交流と言う役目はちゃんと果たしている
「おーいこっちだ!!」
ぞろぞろと屋上に出ると待ち構えていたのだろう、丁度畳一畳分位ポッカリ空いたシートから堀川部長がブンブンと手を振り回していた。
大量の酒類やおつまみが持ち込まれ、課長部長クラスは敷物に坐り込んでもう飲み始めていた、まるで花見のような様相になってしまいスポーツイベントの爽やかさは一片たりともない
「すごいですね、屋上は飲食禁止って書いてあるのに……」
「神崎は初めて見るからビックリするだろうけど毎年こうなんだ、球技大会は酒の席の余興になってる」
「施設の方もどうせ言っても聞かないから放置みたいですよ」
「怖いからな……」
客商売の為か必要以上に口が達者な曲者ばかりの集り、ビールを片手に騒いでいる部長連中を見ると……
「なる程………怖いですね」
はなから試合を見るつもりがないのかバスケのコートから離れた場所にブルーシートを敷いて輪になっている。
薄く上がった煙はどうやら七輪を持ち込んで何か美味しそうな匂いまでさせている、そこに地下食品売り場の部長がいるという事は………
まさかとは思うが場所にそぐわない豪華な食材が網に乗っている可能性もある。
「春人さん、呼ばれてますよ」
「うん、俺は遅刻してるしチームに混ざるよ、みんな飲みすぎるなよ」
明日休みでーす、と美咲と山内が早速ビールを受け取っていた
清宮が行ってしまうとビールやツマミが回ってきたがもう胸がドキドキワクワクして飲んだり食べたりなんか到底出来ない
スポーツをする清宮を見るのは子供の頃以来10年ちょっと振りだ、元々は飛んだり跳ねたりする清宮を見ていたいから追い回していた。
楽しみで楽しみで昨日の夜中々眠れなかった
「神崎!何やってる飲めよ、ほら食い物もあるぞ」
堀川部長にビールの缶を手に押し付けられたが試合が始まると絶対に放置する、万が一口に入れてたら飲み込むのを忘れてダラダラ溢す
迷惑をかける自信がある……
「…俺は明日もあるし水を持ってきているからいいですよ」
「明日?明日は明日だ、何清宮みたいな事を言ってる」
結露で濡れたビールを取り上げられて勝手にタブを開けられてしまった
想像していたよりずっと多くの社員が屋上に集まりバスケのコートをグルリと囲んでいる、それぞれの階で固まりワァワァと応援やヤジが飛び交って試合前なのにもうかなり盛り上がっている。
4階チームは紳士服売り場の若手4人と清宮、ゾロゾロとコートに集まると「清宮さん頑張ってぇ!!」と声が飛んだ
「何だよやっぱりモテてるじゃないか…」
「神崎さん、今更何言ってるんですか、それ知らないの清宮さんだけですよ、特に球技大会の後は毎年人気マックスです」
隣に座っていた南がアタリメとお稲荷さんを勧めてくれたがどうせ喉を通らない、やんわり断った
「そうなんですね……分かるけど……」
「本当に気付いてないのか、とぼけてるのかわかりませんが全然響かないのも毎年ですけどね」
「ハハ……それ面白い……」
「面白いですよ、スルーの仕方が半端なくて笑えます」
何だかんだとアタリメを持たされ、片手にビール、片手にアタリメ………見た目は宴会真っ最中になってしまった。
ピーッと音が割れた下手くそなホイッスルが鳴り第一試合の招集がかかった
第一試合は清宮のいる4階対全員庶務の6階チーム
そんな真っ当な試合だとは思っていなかったがちゃんとジャンプボールで試合が始まった。
名前は知らないが紳士服の誰かと庶務の誰か………、コートの真ん中でボールを取り合い二人の間でポーンとボールが高く浮いた
試合が動いた途端、足音もなく走り込み、タンっと地面を蹴った清宮が宙でボールをすくい取ると鳥肌が立ってしまった。
「うわ………高いな……」
数人が一緒に飛んだが清宮が一番高い
………やっぱり変わってない……
「凄いでしょ?凄いでしょ?神崎さん見るの初めてですよね、ね?凄いでしょ?」
「………凄いな……」
思わず口から出てしまった息と変わらない小さな呟きに美咲が食いついた。素知らぬ顔で観戦したいがどうやら無理。
こんな風に動く清宮を見るのは初めてじゃないけどやっぱり子供の頃と迫力が違う。
「コラァ!!清宮にボールを持たすな!あっあっ!!!あぁぁ………」
始まって三十秒も経たないうちに清宮がゴールにボールを運んでしまった
「庶務!何やってんだ!一昨年の奇跡を見せてみろ!」
「あっこら!また!!だから清宮に渡すなって!」
庶務がゴール下からコート内にボールを投げ入れるとまた清宮に取られてしまった
清宮は身体が軽い
一人だけ重力が弱いように見える
地面に足がついている時間が短いようだ
まるで命令に従う生き物の様にボールを手の中で弾ませ、余裕がある様に見えるのに速い
細身で華奢に見えるがしなやかでバネのある身体はジャンプするとゴールまで手が届きそう…
滞空時間が長いのか、ジャンプまで他の人よりゆっくりに見える、まるで宙を蹴っているようだ。
わっと歓声が上がった
「春人さん……笑ってる」
パンパンッとハイタッチをしながらチームメイトの中を走り抜けていく
「清宮さんは動くと元気になりますよ、あれだけ動ければ気持ちいいんでしょうね」
「昼はピリピリしてたからどうなるか心配だったんですけどね」
「実はデスクワーク向いてないんじゃないですか?外に放り出しておけば生き生きしてそうですよね」
「ホントに……」
話しかけてくる南に何とか返事はしたが目が釘付けと言うのはこういう事だと何かの教材にでもなれそうだ
宙に浮いたような動きは小さな体をそのまま大きくしたように変わらない……
「清宮さん上手い……バスケが一番向いてるんじゃないか?」
「美咲……去年は清宮さんはサッカーでワールドカップに出れるって言ってたじゃないか」
「訂正!バスケが一番向いてる」
ドッヂボールも短距離走も水泳も全部向いてると自慢したくて口がムズムズしたがまさか言えない
「馬鹿野郎!!清宮に持たせるなつってんだろう」
「押せ!引っ掛けろ!撲れ!」
野次の内容がどんどん酷くなり会場は大盛り上がりだ、女子はこの際とばかりに遠慮なくキャーキャー騒ぎ、酒が進んだ各階の応援団は好き勝手言っている
コートギリギリに陣取った目の前を、大勢のガードを引き連れた清宮がビュッと走り抜けていった
速い………遠目はゆっくり走っているように見えるが速くて誰も追いついてない
白いポロシャツの襟口に汗が滑り込み小振りな顎から汗が滴っている
動いている清宮は……綺麗だ。
男に言う形容詞じゃないが…清宮の一挙一足に目を奪われる
今鏡を見れば目がハートになっていそうで怖い。
始まって5分経つか経たないか……総務はもう息が上がってヘロヘロになっているが清宮は息も乱してない
「死ぬ気で走れ、歩くな!休むな!」
面白がって飛ぶヤジは総務に集中していた
あっという間にボールを取られまた4階のゴール
誰もいない場所にボールが飛んだように見えてもいつの間にか清宮が待っていたようにそこにいる
清宮は上手にボールを回し四階チームは全員が活躍して和気あいあいとしたゲームは4階の大勝で終わった。
「あれ?清宮さんこっちに帰って来ないわね」
「あ!女子に囲まれてる、行くぞ!中山!清宮さんは俺のものだ」
「美咲のものじゃないけどいくわよ!」
スポーツドリンクと凍ったタオルを用意して待ち構えていたが、清宮はデザイン部の応援席まで帰っては来ずコートの奥でフェンスの方へ行ってしまった
美咲と中山が我が物と清宮を囲って出来た集団に割り込んでいった
あんなに素直に動けない
疾しい事が何もない美咲達は平気で好きだ、大事だと口に出来て羨ましかった
白いポロシャツが捲り上がりパンっと弾かれた汗を見ると体がムズムズして手にじっとりと汗が滲んでくる
湿った掌を開くと……やはり薄汚れて見えた。
試合は地下から6階までの7チームと外商、合計8チームでトーナメント戦で行われる。
つまり3回勝てば優勝出来るがコートではもう既に地下チーム対5階チームの第二試合が始まっていた。結局試合が始まったのは八時を過ぎ、全ての試合を消化すると後七試合……終了予定時刻9時に終る見込みはない、インターバルを取る暇などなかった。
ボタボタと額から落ちてくる汗を肩口で拭い、フェンスに凭れて腰を落とした。
冷たいだろうと期待したコンクリートの地面は生温かい
何か飲みたいが色んな手が差し出してくる飲み物を選ぶなんて難し過ぎて出来ない
人垣の後ろの方に背伸びして覗き込んでいる神崎が見えた、いつも何かとうるさいくせに何故か寄って来ないでウロウロしている
そんな事をしているならその手にしている結露に濡れたビールを持ってきてくれたらいいのに……
「何してんだ…あいつ……」
「何がですか?」
美咲と山中が立ち塞がる足の間から四つん這いになってヒョコリと顔を出した。
「何してるんだよ」
「こうでもしないと辿りつけなかったんです、スポーツドリンク持ってきましたよ、どうせまた人見知りして誰の差し入れももらってないんでしょう?」
「私は冷やしタオル持ってきました」
「人見知りじゃないから」
人見知りって程でもない……けど名前が出て来ない人からニッコリ飲み物を渡されてもどう答えていいかわからないし、待ってたらそのうちに神崎が何か持ってきてくれると思っていた。
中山の肩を避けて後ろの方を見るとどうやらビールを溢したらしい、神崎は女子に謝りながらハンカチを振り回していた
「ホントに……何やってるんだ……」
「どうしたんですか?早く飲まないともう次の試合が始まっちゃいますよ」
「何でもない、美咲は顔が赤いぞ飲み過ぎなんじゃないか?」
「清宮さんが肴なんで最高に旨いです」
「肴とか言うな」
よく冷えたスポーツドリンクは飲みだしたら止められない、500ml全部飲み干して最後にペコンとペットボトルが潰れた
満足げにニコニコしている美咲達に空のペットボトルとタオルを投げ返し、コートに出て行くと背中にポンッと丸めた紙が当たった
「清宮!4階に2000円かけたぞ、勝ったら焼肉奢ってやるからな」
部長勢が敵見方関係なく固まって何やらメモを見ていた、どうやらメモは賭け表らしい
「賭けは違法ですよ」
「何を言う!金は賭けとらん」
「今2000円賭けたって言ってましたよ」
「二千円でこれを買って賭けに出しとるだけだ」
部長達が口々に反論しながら社食の割り箸を見せた
「呆れた狸の集まりですね」
「お前が負けてくれたら高配当になる、相談に乗るか?」
「乗りませんよ」
老練な狸達は悪びれることも無く、子供のように頭を寄せてはしゃいでいた。中には堀川は勿論、ニコニコ笑っている熊川部長の顔も見える
いつもあれくらいフレンドリーならいいのにと、薄くなった後頭部を見ていると視線を感じたのか振り返った熊川と目が合った
次は熊川率いる婦人洋品売り場の2階との対戦………クイッと顎でコートを指され意味ありげな視線が怖い、何か言われる前に逃げ出した。
一試合は10分、まあ……それ以上無理だろう…
準決勝…と言っても第二試合だが4階対2階のゲームが始まった、2階は若い女子社員がが多く、黄色い声援はチームを強くするらしい、第1試合は5階チームに大勝している
「なめんなよ清宮!」
「舐めてないですよ、五人で試合しているのになんで俺だけなんですか」
「うるせぇ嫌味なんだよ」
「何が!」
日頃から婦人洋品売り場とは関わりが多く、義理も貸しも遺恨もある、手数よりも口数の方が多い変な舌戦のまま試合が続いた
「紙面に載った服の色が違うって怒鳴り込まれたんだぞ」
「ぎりぎりで持ち込んでおいてよく言うよ!色校正出来なかったのはそっちが悪い!」
「何か……バスケの試合っていうよりただの口喧嘩みたいですね」
「まあ婦人服売り場とは仕方ないよな、神崎さんももうそろそろ巻き込まれてるでしょう?」
「ああ、まあな」
美咲と山内は笑っているが、華やかな店舗からは想像もしなかった内内のどぎついバトルにはびっくりしていた。
我が売り場の商品を広告に載せろと個人的な買収まで発生する。
特に選品会に権限を持つ清宮には圧が凄い。
終わらない舌戦に走りながら喋り続け、息の上がった二階チームの間をスルスル抜けてボールを回す四階チームがどんどんリードを広げていった。もう既に諦めたのか二階チームはゲームより言い合いに勝つ方を優先している
「俺は自腹でお詫びのお菓子を買ったんだぞ!半分持てよ!」
「知るか!俺は徹夜したんだからそっちこそ残業代払え!」
止まりがちな二階チームに比べて運動量が落ちない清宮がタンッと跳ねてゴールにボールを投げ入れた
お互いに言いたいことは山程ある、試合中ずっと怒鳴り合っていたが試合時間はたったの10分……
結果20対7で4階が勝った。
「清宮さん!こっち!こっち来てください!」
中山の通る声に呼ばれてホッとした。
ワァッと盛り上がった応援席から一斉に声をかけられても何と言っていいのか返事に困る、ムッツリした顔で睨んでいる熊川部長がパクパク何か言っているが多分聞いちゃいけない……
4階の応援スペースは満員で座る場所は無かったが、今度は決勝まで十分休みが取ってある。慣れたメンバーの近くに行ってコートの中に座り込むと中山が頭に冷たいタオルを乗せてくれた
「ありがとう」
「彼女にしたら便利でしょう?この際付き合っちゃいます?」
「社食はもう閉まってるよ」
「もう!清宮さん!また?!」
「中山!清宮さんはな、女子がタオルを渡そうとすると「汗びっしょりだから」って断る人だぞ、そんな簡単に登頂出来ると思うなよ」
「難攻不落……未踏破の自然の要塞…」
「天然の要塞だろ」
プンっと横を向いた中山を、フォローしているのからかっているのか美咲と山内が茶々を入れると笑いが起こった
「…何の事だよ……」
飛びまくる話題がどこに着地したのかは分からないが馬鹿にされている事だけは理解出来る
何か反論したいが、どうせ早い会話のテンポにはついて行けない、話題はエベレストから"かき氷が食べたい"ともう違う話になっている。
「暑……」
空を見上げると天気はいいはずなのに星は一つも見えない、
真っ暗なのにそのままどこまでも続いているのかと思うと鳥肌が立った。
屋上を照らすナイター照明が強烈な光を放ち目に入ると身体が浮き上がってどこにいるのか分からなくなる
ヒタリとおでこが冷たくなって気が付けば頭から落ちていたタオルを神崎が乗せ直してくれた。
「疲れてませんか?」
「これくらいで疲れないよ」
「でも仕事の後だし」
「大丈夫だったら、どうせあと15分くらいで終わるからさ、うちにご飯食べに来る?」
「…はい……行けたら……行きます、買ってきますよ。何が食べたいですか?」
「冷やしうどん……かな………」
神崎は目を細めて何故か困ったような顔をしていた
「眩しいのか?そんな顔して……」
「眩しいですね……」
「ライトで目がやられるな、ショボショボする」
額に乗ったタオルを目の上に置くと、神崎がやってくれたのか……ジョボジャボと水が足されて気持ちが良かった。
決勝は4階と外商チーム…賭けの対象としては順当なカードだった
「外商っていつもどこにいるのかな?全然見かけないわよね」
「なんか…イケメン多くないですか?」
南と中山があれがいいこれがいいと品評会をしている外商のチームは全員背が高くいかにもスポーツが得意そうなメンバーが揃っていた。
"外商"は一般の営業とは違う。個人的に顧客の元を訪れ注文を受けたり商品を紹介して販売している
それぞれの資質が売り上げに直結する為、毎年の新入社員の中で一番優秀と思われる人物が配属される
人当たり、気遣い、勿論容姿も考慮され、出来る奴はスポーツも上手い
世の中そういうものらしい
マイクが無い為に何を言っているのか全く聞こえなかった専務の挨拶が終わると遅れに遅れた決勝戦がすぐに始まった。
賭け金のレートはわからないが部長達はもはや必死……ひねくれているのかふざけているのか、自分が賭けたチームへの応援より相手チームへの野次が多い、外商と4階半々に聞こえるが4階と言うより清宮個人への脅しとも取れる野次はもはや職権乱用……
トスが上がると屋上全体がわぁっと膨れ上がった。
外商とデザイン部は全くと言っていいほど接点がなく、時々顔を出す清宮と同期入社の黒川を除き顔を見た覚えすらない
営業チームは全員ガッチリしているくせにスラリと背が高く、ジャンプボールを当たり前に制してゲームは営業から始まった。
「清宮に持たすな!」
どのゲームでも掛かる声は同じ、清宮がボールを持つと簡単にゴールまで運ばれてしまう
相手の背が大きくても清宮には関係なかった、すいすいパスを通しドリブルですり抜けて得点した
「なあ……清宮さんさっきまでとちょっと違わない?」
「うん……営業チームは強いからかな?」
山内が気付いた通り、清宮は最初の二戦とはプレースタイルを変えていた、先の二試合はなるべくチームメイトにパスを回していたがこのゲームでは自分を中心にして動いている
ゲームへの肌感覚が勝手に勝てる方法を選ぶのだろう、一人でボールを取ってそのまま誰にもパスを出さずにゴールまで運んでしまう
営業も負けてないがじわじわ4階がリードして行った。
「右だよ右!高いパスを出せ!」
黒川がイライラと叫ぶ声は声援と罵倒でかき消されていた
黒川は動きから見てもバスケの経験者らしい、チームに指示を出しているがそんな事は言われなくてもみんな分かっている
清宮にボールを渡さないようにマークしても簡単に振り切られてしまう
清宮はボールを手にした途端ゴールに向かい輪っかの中にボールを沈めた
ゲーム時間は10分しかない
淡々とプレーする清宮率いる4階チームは点差を広げ……その差は10点を超えた
もう清宮に渡さない事だけに集中している外商チームは、清宮の邪魔をさせないようにガードに走る四階のメンバーと小競り合いを繰り返していた
高く上がったボールに向かって低く沈み込んだ清宮が地面を蹴って伸び上がった
どうしてそこに手が届くのかはもう分からない、一緒に飛んだ外商チーム数人より高い
「っ!!」
……何が起こったのかわからなかった
突然清宮の体が宙で軌道を変え、足が地面に着く前に吹っ飛んだ
「あっ!」
「清宮さんっ!!!」
ドォッと応援席に突っ込み、身を乗り出して見ていた3階の応援席がワァッと割れた
「春人さん!!」
何があったのかは見えなかったが頭から落ちたように見えた、試合中だろうがどうでもいい、コートに入り走り寄ると清宮が皺になったブルーシートからムックリ体を起こした
「春人さん!大丈夫ですか?!」
「触んな!!」
助け起こそうと出した腕は清宮に辿り着く前に盛大に叩き落とされてしまい、ギロリと睨みつけた視線は………
肩を通り越して後ろに立つ黒川に向かっていた。
「春人さん……血が…手当てしないと…」
「いらない……」
一度手酷く拒絶されもう手を出す勇気は出ない、触らせてくれる雰囲気じゃないのだ。
三階の応援席から回ってきた救急箱を受け取った中山もオロオロするばかりで何も出来なかった
「怪我人が出たから選手交代します」
審判に向かって勝手に交代を告げた黒川の口角がニヤリと歪んだ
まさか……わざと?………
清宮の肩からは汗に滲んだ赤いシミが広がり、口の端は切れている、肩でグイッと口元を拭うとシャツに赤いシミがまた一つ増えた。
視線は黒川から離されず、睨み合ったまま清宮がムクっと立ち上がった
「交代はしません、さっさとゲームに戻りましょう」
「春人さん……もう交代した方がいいですよ」
「うるさい、俺に構うな」
「春人さん!せめてちょっと休んでからにした方が…」
何も社内の親善試合で怪我を押してまで清宮が頑張る必要もない、ましてや故意にラフプレーをしてくる奴の相手などしなくていい
清宮は最後まで聞かずに素人丸出しでオロオロしている審判からボールを取り上げ、フリースローラインに立って笛を鳴らせと目で威圧した
ポーンと高く放り上げられたボールは綺麗な軌道を描き、ゴールに吸い込まれた。
ゲーム再開。
コートの外まで聞こえる程無遠慮な舌打ちをした黒川がポストから落ちてきたボールをすぐさま拾った、時間に追われるように仲間にパスを出すとフリースローラインから走り込んできた清宮が目の前で掬い取り、そのまま高く飛び上がる。
ポストに入ったのはガンッと音をさせ、叩きつけたダンクシュート………
「!!」
「黒川!!時間が無い!高く上げろ!」
「分かってるよっっ!!」
高く放られたボールを追って走る清宮を三人が囲んだがジャンプの到達点が速くて高い、沢山上がった腕の中でボールを取ったのはやっぱり清宮だった
着地と共に低く沈み、集団を躱して追い縋る腕を振り切ってゴールまで走ってしまう
会場から唸り声に似たどよめきが起こった
「清宮さん…さっきまで本気じゃなかったんだ…」
「凄いな…ダンクって…1メートル以上飛んでるよな」
本当に凄い……
スポーツを何でもサラッと熟す清宮はよく知っているがここまでとは思わなかった、5人対一人でも勝てそうだ。
こんな時なのに魅せられて目が離せない
清宮はもう無駄なパスは出さない
チームメイトや相手に遠慮していたのかボールを回して和気あいあいとしていた試合は一変し、独断で動いて一人でシュートを決めて行く
身体が接触してもバランスは崩れない
黒川に投げられたパスを、嘲るようにヒョイッと顔の前から拐い全員を抜いて走っていく、ゴールポストの真上にあげられたボールは輪っかに触る事無く綺麗にくぐり抜け、トンッとコートに落ちた
「!!」
黒川と対峙した清宮が表情のない目を向け、「どうだ」と明らかに挑発していた
スマホの時計を見るともう終わってもいいはずだ、空気を読んでもう止めてくれればいいものをストップウォッチを持った審判は律儀に試合時間を測っている
ハラハラして気が気じゃない、境界線に隔てられ入れないコートをもどかしく思った
もう全員が立っていた
トスをコートに入れるためゴール下に立った黒川の目の前で煽るように陣取った清宮が腰を落とした
黒川はまるでわざとカットさせるような緩いパスを出し清宮がボールを手にした所で……
ピーッとゲームの終了を告げる審判の笛が鳴った。
「清宮さん!!」
笛と同時に美咲が飛び出した、なぜか泣いている………
美咲はいつも感情表現が豊かで素直に動く
静まり返っていた会場がわっと湧いた
怪我も心配だが清宮の様子が気になった、普段は大人しいとと言えるくらい穏やかだが、意外とやんちゃだと最近知った。こんな小さな試合にムキになった奴の相手などしなくていいのにコテンパンに負かしてしまった清宮も子供っぽい
イベントの趣旨を外れ、緊迫していたゲームが終わると憮然とした清宮はチームメイトから掛かる声にも答えず、バンッとボールをコートに叩きつけ、無言で屋上の出口に足を向けた。
「あれ?清宮さん帰っちゃうよ」
「片付け組と手当て組に分かれましょう」
………それなら絶対手当て組、のんびり空き缶を集めたりしたくない
外商チームの方を見もしないで黒川の隣を通り過ぎる……と思ったら……
突然だった
出口に向いていた足が軌道を変え、ダッとステップした清宮が黒川に飛びかかった。
「わぁっっ?!!おい!清宮!!」
「ちょっと!!やめろ!」
ワァッと大騒ぎになった
振りかぶられた清宮の腕は黒川に到達点する前に他のメンバーに掴まれ、羽交い締めになってもまだ暴れている
「清宮っ!!何やってる!やめろって!」
「落ち着けよ!誰か!!黒川を連れて行け!!」
慌てて止めに入った堀川部長は清宮と黒川の間に体を捩じ込んで団子になった集団を抑えている
「春人さん!どうしたんですか!」
暴れる清宮を抱え込み、混乱の輪から引き離すと腕の中の清宮は大きく肩を揺らし興奮してフウフウ言っていた
「落ち着いて下さい…大丈夫だから……大丈夫………」
ギュッと身体に回した腕に力を入れると殴り掛かるのを諦めたのか、ペタンと胸に頬を付けて大人しくなった
こんな清宮を見るの初めてなのだろう、美咲や中山は言葉を無くしてオロオロしていた
「大丈夫です……大丈夫……」
騒ぎに気付いた社員が何だ何だと集まり始めている。
走っても飛んでも大して乱していなかったくせに胸を揺すって勢いよく吐出される硬い呼吸は中々収まらない
「大丈夫ですから……」
情けないがそれだけしか言えなかった。
合わさった胸から直に伝わる早い心音が興奮を伝えてくる。
ギュッと抱き込んだ腕に力を入れると、清宮はフゥーッと長い息を吐き出し、やっと固めていた拳が解けた。
会場には気怠い空気が漂いあちこちで片付けが始まっていた
ザワザワと大勢のさざめきがビル風に乗って近くなったり遠のいたりしている
側で見ていた人にしか何があったのかは分からなかったと思うが清宮はただでも注目の的だ、すぐ全員に知られてしまう。
「神崎!ちょっといいか?」
背中で守るようにドアの前に立ち塞がった堀川部長がちょっと来いと手招きをしていた、腕の中の清宮を見下ろすと呼吸も通常に戻り落ち着いてきている、離れても大丈夫そうだ。
「すいません、誰か……ちょっとだけ春人さんをお願いできますか?」
「はい!任せてください」
「お願いします」
何も出来ずに好奇の目から守るように囲っていた4階チームのメンバーに清宮を預け堀川部長の元に走っていった
普段はいい加減と言うか……飄々として真面目に仕事しているようには見えない堀川部長だが先頭に立って清宮を守ってくれた
「外商はもう帰らせた、清宮を任せてもいいか?」
「はい、マンションを知ってますから部屋まで送ります」
「そうなのか?助かるよ…まさかあの大人しい清宮が殴り掛かるなんてな……止められて良かったよ」
"大人しい"には微妙な反論はあるが、どんな理由があろうとも手を上げてしまうと処分が下されるのは間違いない、堀川だって庇いきれないだろう
「顔を合わすなと言っておいたからチームがちゃんとしてくれる筈だ、もう清宮を連れて帰っても大丈夫だ」
「すいませんでした」
「俺は専務に説明してくる、片付けは任せてくれ、清宮を頼んだぞ」
「はい、ありがとうございました」
「これが俺の仕事なんだよ」
堀川部長はキザなウィンクがやけに似合う
将来こんなおっさんになれるものならなりたい……
専務の機嫌取りに向かった堀川を見送って清宮を屋上から連れ出した。
閉店してしまった店舗に入れず、デザイン部に戻るには直通エレベーターで一旦1階まで降りてまた社員用の出入り口から4階まで上がってこなければならなかった。
清宮は拗ねたように口を閉ざし、誰とも目を合わせようとはしない……
冷たい目は声をかける事を拒んでいた。
「春人さんは?」
「帰っちゃいました」
「ええ?!今?怪我は?」
南が手にしたままだった救急箱を持ち上げて首を振った
飲み物を買いに行ったせいで遅れてデザイン部に戻ると汗も拭かずに部屋に戻るなり鞄を取って出ていったらしい
Macさえ電源も落とさずそのままだった。
「今日の清宮さん……怖かった……」
「色んな意味で猫みたいだね」
「あの人走っても足音しないもんな」
明るく言おうとしたのだろうが美咲の笑い声は小さく沈んでしまった
「あの時………黒川さんに……何か言われてましね」
「うん…聞こえなかったけどな」
……それには気が付いていた
清宮がコートを出ようとした時黒川が身体を寄せ確かに何かを言った、殴り掛かるなんて余程の事だろう
「俺ももう失礼します」
「神崎さん一応打ち上げの店予約してるんですけど…………行きませんよね?」
「ごめん………山内、疲れたし今日はパス」
「……ですよね……」
「お先です」
何か言われる前に部屋を出た
勿論清宮の家に行くつもりだが美咲あたりについてこられそうで嫌だった
清宮が出ていってまだそんなに時間は経ってない、走れば追い付くかと思ったがどこにも姿は見えなかった
店舗前の交差点からマンションへの道を見てもいない
「まさか部屋に帰ったんじゃないのか?」
仕事以外では放置されて繋がりにくい携帯には出てくれる可能性は低い、どこか店にでも行ってしまえば絶対に見つけられないだろう、怪我をしたままなのに一人で放っておくなんてしたくない
信号を渡りマンションの近くまで来ると清宮の部屋に灯りが見えてホッとした
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