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それはつまり擬似恋愛

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依頼者の名前は牧原 《まきはら》 楓《かえで》。
歳は20歳、美術系の専門学校を来年の春に卒業予定。その後総勢7人のデザイン事務所に就職が決まっているという。
7人しかいない職場は確かに小さい、と思ったがデザイン事務所としては大きいらしい。

依頼料は3万。

葵がコーヒーを淹れている間に依頼の概要をもう一度確認をとってから契約書を差し出すと、前金の一万円を置いて、きっちりとした、とても小さい字で牧原 楓、と名前を書いた。

「これで……いいですか?」

「ありがとうございます。では、話しにくいでしょうが少し詳しく聞かせて貰えると助かります」

「はい……あの、友達がいないって言っても最初はすぐ仲良くなるんです、でも友達だと思っていたらいつの間にか1人になっていて……、まあ基本1人が好きだからいいんですけど仕事では困るなって……」

「それはイジメられていた…と捉えてもいいですか?」
「そこは微妙かな……あんまり声を掛けて貰えないけど無視されているわけでも無くて……」

「そうですか……」

そこはちょっと……かなりホッとした。
「イジメ」は生物学にまで発展するデリケートな問題なのだ。何年も何年も、色んな偉い人がイジメの問題に立ち向かい砕けて来ている。
そんな難題を「解決しろ」なんて言われても、無理としか言いようが無い。

葵も同じ事を考えたらしい、この「法律では裁けない問題」を取り扱う事務所として「出来る事」を端的に括った。

「それでは数日の間牧原さんと一緒に行動して、気が付いた事をレポートに纏める……それでいいですね?」

「………はい……よろしくお願いします…」

「わかりました、それでは取り敢えず友人になりましょう、俺の事は葵と呼んでください、あっちは健二か健二さん……お馬鹿さんと呼んでもいいですよ」

葵はいい助手だと思う。
少し硬かった楓の笑顔を上手くふざけて引き出した。その後は少し雑談をして、葵ちゃんがどんな子か掴みだけを確かめるために、かき氷を勧めてみたが「抹茶は嫌いだから」と断って帰っていった。



「健二さんはどう思いました?」

「う~ん、俺より葵の方が歳が近いだろ、葵はどう思った?」

用意したかき氷に出番は無く、ローテーブルの真ん中に置いて、依頼の相談をしながら葵と2人で分けて食べていた。
作った当初はフワフワだったのに、今は少し溶けたのかスプーンを入れるとシャクシャク言う。
白玉が硬くて不味いけど抹茶は高かった分いい香りがした。トッピング用に買ったアイスは食べたい分だけを各々が継ぎ足すって方式をとっている。スプレー式の生クリームも同じだ。

スプーンの上にプシューッと盛ると葵もスプーンを差し出した。

「たっぷり?」
「たっぷり……ねえ健二さん、友達がいないって……強いて言えば俺もいないんですけど意見してもいいもんかな」
「意見しろなんて言ってない、それに楓ちゃんの第1印象はもう仕事に入ってると思うけど?……アイスは?」

「歯に染みるから溶かして食べます……俺は普通の女の子だと思いましたよ、本当に普通の娘。大人しいけど暗くも無いし、駅で初めて顔を合わせたのに、この事務所に来る間に話も弾んで楽しかったくらいです………あんこがあったらいいのに」

「あんこは思いつかなかったな、コーンフレークならあるぞ」
「もはやかき氷じゃなくてパフェですね」
「何でもいいだろ、白玉が不味いからきっちり半分に分けて分担しようぜ……俺はさ、今流行っぽい「1人ってカッコいい」的なポーズ……ってかファッションかなって思った、多くないかもしれないけど学校行ってて友達ゼロって無いだろ?」

「友達がいないってファッションがあるんですか?……苺…酸っぱい」
「練乳をかけたら美味いよ……何て言えばいいのかな、友達が多い人を羨ましいと思ってるけどそうはなれないから孤高の演出ってのかな」

「うん、でも、わざわざお金を出して依頼に来てるんだから……アイス取ってください」
「ああ、言い方が悪かったな、どっちにしろ楓ちゃんは悩んでんだ、バイトをしている学生にとって三万って大きいだろ、真摯に仕事しようぜ……生クリームもっと食う?」

「食います、……健二さんのそういう所好きです」
「カッコいい?」

「……健二さん」

「ん?アイス?」

「気持ち…………悪いです」

「葵?……おい……」

普通に話していたのに葵が突然腹を抱えてバッタリと倒れてしまった。
唸り声に驚いていると、間の悪い事に肉まんを抱えた椎名が事務所の中に入って来た。
床の上に腹を抱えて転がる葵を見た椎名は、笑っていた口をムッとへの字にした。

「新しい依頼があったって聞いてたけど……これは?」

「これは……」

椎名が指で指したのはデカい平皿だ。
客観的によく見るとこれは酷い。

アイスは1キロカップ、スプレーホイップは3缶、その他フルーツのソース数種と練乳。
葵が喜びそうな物を揃えて、目論見通り喜んだけど、かき氷もアイスも生クリームも練乳も溶けて混ざって液体になってる。

ムクッと背中を上げた葵が唸りながらズルズルと這っていく先はトイレだ。
椎名は眉を寄せて責める口調で言った。

「で?……何をした」

「これは……元はかき氷だったんだけど依頼人の楓ちゃんがいらないっていうから葵と2人で……仕事の相談しながら食べてたら……つい…」
「葵くんが喜ぶってわかるかるけど好きなだけ食べさせるってどうかと思うぞ、それで体調崩してたら元も子もない」
「それはわかってるけどさ、あんまりにも幸せそうに口いっぱい詰め込むからつい止めんの忘れてたんだ」


「……………それ……写真撮った?」

「撮ってません、椎名さん、葵はペットじゃ無いんですよ?ただでも甘い物好きを必死で隠してんのにそんな事をしたらかわいそうでしょ」

「……………ペットだよ?」

「へ?」

嘘嘘って……いやいや本当っぽい。
椎名は「法律では裁けない問題を解決します」の社長だが本職は砂川系疋田組翼竜会の暴力団員なのだ。普段はそんな素振りも見せ無いけどこれは事実だ。

そんな椎名は、とにかく口煩いくらいに葵を大切にしろと言い無条件に可愛がる、世話を焼く。そしてやたらと葵を触るから「他」の目的でもあるんじゃ無いかと疑ってるくらいだ。

それなのに、「大切に守ってくれ」と葵を連れてきたくせに剣呑な案件も混じる仕事に就かせ、そして実際に危ない目にも合わせてる。
まあそれは流れと言おうか突発的だったと言おうか、思いつきで立てた作戦が不味かったからなのだが、飼っているって雰囲気はありありなのだ。

売り上げが無かろうが、従業員である俺達がただ飯を食らおうが椎名は何も言わないから気にして無いけど、「何故」「どうして」は葵と共にずっと持ってる。

ペットだと言われれば……そうなのだ。


「椎名さん、頼むから変な事を言うなよ、ちょっと落ち着いて来たとは言え葵はまだ地に足をつけてないんだからな」

「それを言うならお前の方が危ないだろ、ろくな事してないし今日だって依頼者は女子だったんだろ、また変だったんじゃないのか?」
「変って何ですか、俺は普通ですよ、それに楓ちゃんは女子ってより子供でした」

「……好みじゃなかったのか?」

「…………」

酷い言い方だが……それはそうだ。
好みだからあがってしまうという訳じゃないが極普通に依頼者の客だと捉えていたのは特に意識しなかったからだと思う。

「どんな娘?何歳?」

「え?ああ、二十歳です、言っとくけど楓ちゃんは……小さくて可愛かったよ」
「で?依頼の中身は?今度は危なく無いよな」

「危なくは無い…と思う」

椎名にはバイクの騒音についての依頼で危ない目に会ってからややこしい案件は断れと無理な事を言い渡されていた。
「法律で裁けない問題」なんて危い依頼に決まってるけど、実際の話はどうせ仕事なんか無いからハイハイって適当な返事をしておいた。

だから当然だけど脅しのような冷たい笑顔を浮かべて「詳しく話せ」と先をせっついた。

「これ以上ないくらい平和で安全な仕事だよ、何故友達が出来ないのか知りたいってさ、簡単に言えば二、三回友達デートして駄目出しをするって依頼かな」
「じゃあ今回のメインは葵だな、健二じゃ引っ張りすぎて「楓ちゃん」の個性は見えないだろ」


「…………確かに…そうかも……」


椎名の言う事に思わず頷いた。
年齢的にもカップルバランスがいいし、仕事にだけは冷静な葵の方が今回の仕事には適任だ。

「3人より2人の方が楓ちゃんも本当の自分を出しやすいかも……な」

「恋に落ちちゃったりしてな」


「…………え?……」


「まあそんな事があればその方がいいと思うけど?」

「そうだな」って軽い相槌を打てば終わる話なのに言葉が喉に詰まって出てこない、仕方がないから無意味に笑ってみたり、でも上手く笑えなかったり。オタオタと挙動不審になっていると「待て」と椎名が手を立てた。

「健二、葵くんがトイレから出てきたから胃薬を出してあげて」

「はい……」


モヤッとした。

理由はわかってるけど……モヤっとした。

滅茶苦茶モヤっとした。
そして……青い顔をしてトイレから出て来た葵を抱っこしようとしてる椎名にもモヤっとする。

1回目の戯れキスでモヤっとして2回目はもう確信があった。

火が付くってこういう事だと思う。


………葵が好きなのだ。そう思ってしまったのだ。

どんな意味でって……波長の合う同僚なのだから好きで当たり前なのだが一緒に眠るにはもう限界が来てるって意味で好き。



葵にはミステリアスな硬い核があるような気がする。それが何なのかと聞かれても漠然と感じているだけだから何とも言えない。
でも半グレのチンピラを睨んだあの顔は無知で無垢な少年では無かった。

それなのに、2回目のキスは明らかにセクシャルな意味を含んでいたのに葵は何の反応も示さない。

有りでも無しでもキスなのだ。マウスtoマウスなのだ。それなりの対応があると思うのに知らん顔なのだ。

「コーラを口移ししてああ美味しい……だけってあるか?」

「健二?…何か言ったか?」
「いや、何でも無い、葵は俺が運ぶから椎名さんは寝室のドアを開けてベッドの布団を巡ってください」

「……何でだよ、健二がドアを開ければいいだろ、葵は俺のペッ……従業員だ」
「今またペットって言いかけたよな、愛玩動物が欲しいなら是非猫でも飼ってください、何ならペットショップに付き合います」

「はは~ん」俺に嫉妬してるなって……

してる。

何だか知らないけど葵は椎名にだけは素直に従うのだ。ちょっと嫌な顔をする時もあるけど、今もしゃがんで抱き寄せようとしてる椎名の腕を掴んでいるのだ。

俺が手を貸そうとすると多分「子供じゃ無い」と言って跳ね除ける。


………子供だとは思ってない。
思ってないけど、普段は聡くて大人しいくせに世間の常識には少し疎い所に庇護欲を掻き立てられている。

所々が鈍い所も子供みたいだけど違うのだ、

葵の謎めいた所を暴いてみたくてウズウズする。
中途半端な歳の子供みたいに背伸びするくせに妙に悟った所が何なのか知りたくてモゾモゾする。
女だ男だと考えるより先にあらゆる事が想像できてしまうって所が葵が持つミステリアスの核の根源なのだと思う。

遊んだり笑っていると子供っぽいし、冷たい時は憎たらしいけど、不意に見せる寂しい顔に誘われそうになる。
絶対に駄目だと自分に言い聞かしている時点でもう嵌っている。陥ってる。

変な顔をしている椎名から葵を取り戻すと……予想通り「自分で歩ける」って寝に行っちゃった冷たい葵だけど我ながら見事に落ちた。


うーんとかムムっとか…葵の事を考えながら唸っていると椎名が真面目な顔をしてこっちを見ている事に気が付いた。

「……何ですか」

「健二……お前さ……」
「はい?」

「うん、いや……やっぱりいい」

「何?気持ち悪いな」
「気持ち悪いとは失礼な、それより夕ご飯どうする?肉まんは厳しいかもしれないから中華粥でも出前するか?」
「そんなら俺が中華屋まで買いに行きます、椎名さんは?餃子でも食べます?」

椎名にはニンニクで臭くなって貰おう。

返事は待たずに階段を降りると………



一番下に籠のような物が置いてある。

「何だこれ?」

バスタオルが掛かっていて中身は見えないが、大きさは両腕で抱えるくらい、敢えて言えば丁度人の赤ちゃんが入るくらいの大きさ……

まさか赤ちゃんじゃ無いと思うけど何か動いているのだ。

恐る恐る覗き込むと端っこに何かメモが挟んである、そしてメモには1000円札が挟んである。
取り出して読んでみると……

幸せにしてください。



「何だそれ」

中身を見ようとタオルに手を掛けると、グサッと……

何かが手に刺った。
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