庭師マイクは見た!新婚の旦那様が不倫?!

NO*NO(ののはな)

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大事なもの

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私はあまり感情的になることのないおとなしい子どもだったらしい。
私の母親である人が、誰かにそう話しているのを聞いた。

感情的になることがないのではなく、感情そのものが希薄だったのだと思う。
したいこともなく、欲しいものもなく、怒ることも笑うこともよく分からなかった。

流石に赤子の頃は泣いただろうと思って母親に尋ねてみたら、「全然泣かないか、火が点いたように泣いて顔の毛細血管が切れるまで泣き続けるかのどっちかだった」と言われた。

小さい頃は、動かずにじっとしているカエルやヤモリを、いなくなるまで眺めていた。カタツムリも好きだった。
人に興味は持てなかった。
同級生の顔も名前も覚えられず仲間はずれにされていたが、危害は加えられなかったので何でもなかった。

そんな私に変化が訪れたのは年の離れた弟が生まれた時だった。
弟は生まれつき体が弱く、いろいろなところが細いようで涙腺も細く、毎朝目やにで目が開けなくなっていた。
朝の慌ただしい時間帯に、衛生綿を弟の目にずっと押し当てて目脂をふやかして、ゆっくり少しずつ拭き取るのは私の仕事だった。

この作業が存外気に入った私は、弟の世話に夢中になった。

「リリーちゃんはいいお姉ちゃんねえ」

よくそう言われたが、違うと思っていた。
面白かったから弟の世話をしていただけで、弟が可哀想だとも心配だとも思っていなかった。

私がまだ女学生だった時に両親が事故で亡くなった。
体の弱い幼い弟を抱えた私は、父親の叔父である小金持ちの独身男性に預けられた。
弟の治療費を払ってくれるのがその人だけだったから。
その代償として私の体を求められたが、貞操観念も倫理観も乏しかった私は深く考えることなく大叔父に抱かれた。
それからは、大叔父の知り合いとかにも同じ行為を繰り返した。
それで弟の治療費を出してもらえるなら、弟の世話が出来るならと思っていたが、ある日突然大叔父が血を吐いて亡くなった。

もう成人していた私は、家族のいない大叔父の遺産を貰って独立した。
小さな家を買い、しばらくは生活出来たが、弟の薬代は高く、働いたことのない私は少し困った。
家事ならば出来たので、短い時間だけの派遣の家政婦の仕事を探した。
需要はあるもので、弟の世話をする時間を確保しながら家政婦の仕事をしていたが、ある顧客の家でそれなりの金額を支払うから専属になって欲しいと言われた。
その顧客は独身男性で、それはプロポーズだったらしいが、私はそれを理解していなかった。
心の機微に疎い私に察することは無理だった。
ああ、体ね、と受け取った私はその顧客と体を重ねてお金を貰った。

幼くて病弱な弟を手放さない私との結婚は、顧客の親族に反対されて実現しなかった。
親族から「財産目当てだろう!」と罵られた私は、それ以外に何があるのかと思い呆然としたが、ショックを受けたと勘違いされて何故か許された。
手切れ金としてまとまったお金を貰った私は、また派遣の家政婦に戻った。

そんなことを繰り返すうちに酒の味を覚えた私は、弟が寝た後で酒場に行くようになった。
1人で飲んでいると大概男に絡まれるので、そういう時はそのままにしておいた。
飲み代を払ってくれる人もいれば、こっそり逃げて勘定を押し付ける人もいた。
飲み代を払ってくれる人はその後のことも求めてきて、事後に更にお金をくれる人だったり、それきりさようならだったりした。

ある夜に泥酔した男に絡まれて、これはちょっと面倒だなと思っていたら、スッキリした身なりの銀髪の男に助けられた。
泥酔してる男に高い酒のグラスを差し出しながら、泥酔男と私の間に入り込んだ銀髪男は、泥酔男が酒に飛び付いた隙にクルリと私を連れてその場を離れた。
その前にお勘定を済ませていたようで、マスターに挨拶だけして私を酒場から連れ出した。

「いつまでもあんな飲み方していたらろくな目に遭わないぞ」

その銀髪男は、私のことを知っているようだった。

「会ったことあったかしら?」

「何度か見かけた。カモにされてんの分かってるのか?」

「カモ?」

「ヤレる女。なんならタダでもイケる、ってな」

「その通りだけど?」

「は?…お前、自分が大事じゃ無いのか?大事にしなきゃダメだろう」

「大事?大事って何?必要なら分かるわ。お金は必要。お酒も必要ね」

「お前、1人なのか?」

「弟がいるわ」

「一緒に暮らしてるのか?」

「ええ。まだ未成年だし病弱なの」

「弟は大事だろう?」

「大事?弟は弟よ。弟の世話はそれが好きだからしてるの。塗り薬とか飲み薬とかのためにお金が必要なのよ」

「なら巻き上げられてる場合じゃないだろう」

「酒場はいいのよ。そんなこと考えたくなくて来ているから」

「何をして稼いでる?」

「家政婦よ。家事は出来るの。貴方の家には家政婦は必要?」

「もういるな、専属が。メイドもいるし」

「あら、お坊っちゃんでしたか。伯爵様?」

「そんなとこだが、じゃあ、酒場には男漁りに来てるんじゃないんだな?」

「お酒が飲みたいの。男なんていらないけど、絡まれるのを断るのが面倒」

「ふうん。それなら俺と飲め。お前は絡まれずに済むし、お前の酒の飲み方は綺麗だから俺は楽しい」

「それは助かるけど、でも貴方、女には困ってないでしょ?」

「俺を求めてる女は要らないんだ」

「?何言ってるのかよく分からないけど、どうしたらいいの?助けてもらったお礼と酒場のお勘定の代償は何?体?」

「……要らない。正直、それを求めて溺れた時期もあったけど、無意味だった。だけど…寂しいんだ。ただ誰かに、女に傍に居て欲しい」

「けど自分を求められたくはないのね。返せないから?」

「ああ。忘れられない人がいるんだ。忘れようとしても忘れられない」

「ふうん。返せないベクトルは違うけど同類なのね。私は物理的に返せないの。気持ちが無いから。だから欲しい人には体で返すの」

「それはもう止めろ」

「そうね。これからは貴方が一緒に飲んでくれるなら無くなるわね」

「弟が病弱だと言ってたな。親は?」

「もう亡くなったわ」

「仕事は順調なのか?働き先だとか医者が必要なら紹介してやれるが」

「大丈夫よ。仕事には困ってないし、弟も大病しているんじゃなくて対症療法でいいのよ。成長とともに少しずつ良くなってるの」

「それならいいが」

そんなこんなで始まった銀髪男の名はイグナスといった。

そして…人に興味が無かった私がイグナスのアメジストの瞳に引き込まれるのはそれからすぐのことだった。

私は私の執着がイグナスに向かうのが怖かった。欲しいと思うことも、怖いと思うことも初めてだった。
俺を求めてる女は要らないと言った彼に嫌われたくなくて、だけど我慢することも出来そうになかった私は彼から逃げた。
幼馴染みに頼んで撮ってもらった写真を持って。

大事なんて知りたくなかった。
大事なものなんて要らなかった。

弟はどんどん丈夫になってきた。
弟が自立したら私はどうしよう。
何をすればいい?

私は、私に出来ること、私を求めてくれる手を辿り続けた。

派遣先で誰からも見向きもされずにいた病床の老男爵は、私の看護に涙を流して感謝してくれた。

そしてある日、私は誰かの手で背中を押されて

すべてから、依存し続けた弟から、目を背けてしまった大事なものから

解放された。






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