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最後の日常
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俺の家は昔から継がれ続けている貴族家である。一際目立つ大きな家に複数の使用人がいるというレベルだ。
俺はこの家があまり好きではない。人は金持ちを見て『いいなー。あんな家に産まれたかった』と軽々しく言うが、いいことなんてあまりないのである。
驕った金持ちの意見ととられてしまい兼ねないが、それでも思ってしまうのだ。金持ちだからこそ求められる立ち居振る舞い、それに対する周りからの評価。両親はそればかりを気にし、金持ちとしての威厳を保とうとする。
その様が嫌で厭でたまらないのである。けれど、俺に対してはとても優しく、普段とはまるで別人のように感じるほどだ。その優しさをもっと他のところにも向けてほしいと常々言っているのだが、こればっかりは全く効果がみられない。強くいってしまおうと思うこともあったが、両親のつ温かさから何も言えなくなってしまう。
こんな日を繰り返し続けていていいんだろうかと頭を抱えた。
「何とかしたいよな」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、徐に部屋の扉を開けた。
高校二年生となった年の夏。数日前にやめてしまった人の代わりに、新しい使用人が一人家にやってきた。
比較的小柄で、肩のあたりまで髪が伸びた優しそうな顔立ちの女性だ。
「今日からお世話になります」
そういって女性は俺の母である智恵子に頭を垂れる。それに対し冷淡な態度で軽く挨拶を返し、にこりともせず、そして話すこともなく仕事の指示を出した。
「まずは掃除をお願い」
その様子を上から見ていると、それに気づいた母さんの表情は一変した。その変わりようは女性を驚かせるほどだ。
声には感情がこもり、思わず和んでしまいそうになるような笑顔を向けた。まるで女性と話していた時とは別人かのように。
「もう学校に行くのね。気をつけて行ってらっしゃい」
「うん。それで、俺にも紹介してくれるよね」
階段を軽快におりながら俺は言った。自分から教えて欲しいと言わない限り何も教えてくれないと知っているからだ。
「今日から雇うことになった西宮梨花さんよ」
嫌々といった感じではあるが、丁寧な口調で紹介をした。その横では梨花が軽く頭を下げ、驚きのあまり止まっていた足を動かして仕事にかかった。
「ありがとう母さん。帰ってきてから改めて挨拶させてもらうよ」
いつもギリギリに家を出るため、ゆっくりと話している時間がない。だから今は名前だけを聞き、早々に家を出た。
扉の先では、昔から何かと面倒をみてくれていた鈴木さんが庭の手入れをしていた。
首にかけたタオルで汗をぬぐいながら黙々と新しい土に替え、種を植える。もう七十歳が近い鈴木が自ら買って出た仕事だが、あまり無理をしてほしくないと思っている。
年寄りの趣味のようなものだから気にしないでほしいと楽しげに作業を続けてはいたが、どうしても心配になってしまう。
だから、今日も一言声をかける。
「鈴木さん、無理だけはしないでね」
「はい。気をつけて行ってきてください」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、再び仕事に取り掛かった。
俺は自転車に乗り、行ってきますと言って出発した。
遅刻しないよう階段を駆け上がった所為で乱れた呼吸を整えて教室の扉を開けると、聞き馴染みのある声が教室の中心から聞こえてきた。
「まあまあな時間だな」
「健にしては早いほうじゃない?」
数少ない友人である悠斗と隆志が、何故か腕相撲をしながら俺に恒例の挨拶をしてきた。
遊びとは思えないほどの必死さに呆れつつ、二人のもとに向かい問いかける。
「今日は何があったんだ」
「今日は飯を食いに行くって話だったろ。なのに隆志がゲームセンターに行きたいって」
「で、俺が勝ったらゲームセンターに行くことになったんだ」
「もちろん健は飯のほうがいいだろ」
そう言われて少し考えた。今日来た使用人、梨花さんのことだ。今日は帰って挨拶をしようと思っていたのだが、そういえば先週そんな約束していたな。
「悪い、俺はパスで頼む」
申し訳ないという気持ちを込めて言うと、悠斗の動きが止まった。隆志は容赦なく力を入れ、悠斗の手を机に叩きつけた。
かなり痛いはずだが、手の痛みより驚きのほうが先行していた。まさに、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしながら口を開いた。
「理由を聞いてもいいか」
「新しい人が家に来たんだ。ちょっと気になるし、早く帰ろうと思ってね」
理由を聞いた途端に真顔になったかと思えば、わずか数秒で完璧な笑顔になった。
「そういうことか。じゃあまた今度な」
机に叩きつけられた手をパッパと横に振り、逆の手で隆志の肩を叩いた。
「今日は二人でゲームセンターに行くぞ」
「おう」
家のことを知りながら普通に接してくれる上に、こういった用があるときは嫌な顔一つ見せず気を使ってくれる。
少し変わったところがあるやつらだが、当たり前に学校生活をおくれているのは二人のおかげといえるだろう。
だから俺は深く頭を下げる。別に良いよと二人が笑顔で言うと、チャイムの音が学校中に響き渡った。これはまずいと、俺たちは急ぎ足で自分の席に向かった。
特にこれといったイベントなどはなく、いつも通りの時間が過ぎた。空は薄っすらとオレンジに色づき、暖かい風が教室を吹き抜ける。
「それじゃあ、また明日な」
悠斗が隆志の手を引き、流れるように教室を出た。少し大きめの声でまた明日と返し、机に広がった教科書をカバンに詰め始めた。
「スーパーによって帰るか」
趣味である料理の材料を買うべく、スーパーによることにした。せっかくだから梨花さんに料理をふるまってあげよう。そんなことを考えながら教室を後にした。
学校から十五分、家から十分に位置するスーパーにやってくると、見覚えのある人が野菜コーナーを歩いていた。俺はゆっくりと気づかれないように近づき、驚かせようとした。しかし、あと数歩のところで目が合った。
「健さん、どうしてここに」
驚くというよりか疑問に思っているといった顔をして首をかしげる。なぜこんなこんなところにいるのかという疑問と、何をしているのかという疑問も含まれているようだ。
「今日は俺が食事を作ろうかなと思ってここに来たんですよ。そしたら梨花さんがいたから声をかけようとしたしだいです」
ふむふむと納得したようにうなずき、手に持っているかごに目を向けた。中には合いびき肉とパン粉、それと玉ねぎが入っていた。まだ材料選びの途中なのだろうが、ハンバーグを作るつもりなのだろう。
かごの中を見た梨花さんは、とても可愛らしい表情を浮かべていった。
「一緒に作りませんか?」
「見たところ母に頼まれたんですよね。俺の方は思いつきなので何も伝えてないですし、邪魔にならないように今日は......」
いくら料理が趣味とは言っても、使用人をやっている梨花には勝てないし邪魔になるだろう。
そこを懸念している俺は、首を縦に振ることができなかった。
「そんなこと気にしなくていいんです。私は今日来たばかりですが、ほかの人も迷惑なんて言わないのでしょ?」
確かに俺が料理をしようとするとみんな快く手伝ってくれるし、なにより梨花自身が大丈夫だと言っているのだからいいのだろう。
「そうですね。じゃあお願いします」
今日来たばかりなのに自分の所為で評価が下がってしまわないようにしなければ、強くそう思った。
「そうだ。俺に丁寧なしゃべり方はしなくてもいいですよ。年上の人が年下にするような事じゃないですから。何より、雇ってるのは俺じゃないですし」
雇い主である母さんに対して使うのはおかしくないが、自分に対しても丁寧にしゃべる必要はないと考えた。年下に丁寧な口調を使う場合もあるかもしれないが、高校生である俺には違和感でしかない。
先輩が後輩に敬語を使うことなんてないのだから。
「で、ですが鈴木さんは...」
梨花の口から出た言葉は予想通りのものだった。予想していたからこそ、返しはもう決まっている。
「鈴木さんはこれがいいんですって言って丁寧にしゃべってくれてるだけです。個人的には砕けてもらったほうが嬉しいです。もしこのことで母さんか何か言うようなら俺が言い聞かせますよ。今までもそうしてきましたから」
これは絶対だという意思のこもった眼でうったえると、諦めたようにうなずきカートを押し始めた。
「健君もそこまでかしこまらなくていいからね」
「そ、そうですね」
その後しばらく料理の話をして、一緒に家まで帰った。
家につき、梨花とは一旦別れて家に入ることになった。一緒に帰ってもいい気がするが、避けれるなら面倒ごとは避けたいという梨花の意見を受け入れることにしたからだ。
彼女が裏の使用人が使う扉から入るのを確認して、俺は家に入った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ぱっと家に入ると、そこには母さんが立っていた。
おそらくいつもより少し遅い帰りで心配していたんだろう。昔何度かこの光景を見たことがある気がする。
...それとなく確認する様に俺は言う。
「遅くなってごめん」
「今日は少し遅かったのね」
「うん、材料を買ってたんだ」
「そうなのね。でも今日は...」
「邪魔にならないように手伝おうと思ってね。それと、朝言った梨花さんえの挨拶を兼ねようかなと」
母さんは小声で『そう』と言うとリビングへと向かった。俺は部屋に行き、床に荷物置いて台所に走った。
梨花さんたちと作った料理は特に失敗をすることもなく完成した。
「今日のはまた美味い。なぁ、母さん」
「そうね、おいしいわよ。健の優しさを感じるわ」
「良かった。上手く出来て」
協力して作った料理は成功した様だ。俺も食べているのだが、一人で作る時よりいい出来だと思う。
「将来お前は料理をしているんだろうな」
「そうだと良いな」
...こんな風な生活が続けば良いのに、そう思った。だが、まさかあんな形で終わるなんて思わなかった。誰も望まなかった終わり方、ただ未練だけが残る終わり。生活が変われば良い、確かにそう思ったことはあるし、今もそう思ってる。
しかし、人生そのものを変えて欲しいと思ったことは無い。
この日の夜、まさに青天の霹靂だと誰もが思う出来事が起こった。
——俺が住んでいる街に鉄が落ちた——
食事を終えた俺は母さん達とテレビを観ていた。
すると、突然携帯が大きな音をたてる。
「なんだこの音は!」
今までに聞いたことのない警報の様な音。画面を見てみると、至急避難の文字が目に映る。
「臨時ニュースです。上野町にミサイルが接近しているとのことです!繰り返します、誤って発射されたミサイルが上野町に接近しているとのこと!」
どういうことだ、ミサイルが向かっている?
そんなことがあって良いのか?
「そんな、どうして」
「落ち着け母さん!」
焦る母さんを落ち着かせようと、肩を優しくつかむ父さん。
これはのんびりしている暇はなさそうだ。
「母さん、父さん。俺は使用人の人達に伝えてくるよ!」
返事を待たずにみんなが寝ている部屋へと走った。おそらく、使用人の人達は気づいていないだろう。あの部屋は周りの音を極力遮断する様につくられている。最低限使用人を気遣った設計が仇となっていた。
「みんな大変だ、この街にミサイルが向かっているらしい」
その言葉と同時に、半分パニックになりながら走って外へと出る使用人達。そして庭にある使用人が使う車に乗り込んだ。
数分経った頃、部屋からは二人を除き誰も居なくなった。
「二人はなんでいかないの。急がないと...」
「一緒に生きましょう」
「私はそんな車があるなんて知りませんでした」
全く、棒読みすぎて突っ込む気も起きない。まあ、そんな時間はないが。
仕方のない人達だ。梨花さんに限っては今日知り合ったばかりなのに。
「じゃあ急ごう」
二人は車の方へと向かい、いつでもいける様に準備をしに行ってくれた。
その頃、母さんと父さんは。
「他の使用人達は逃げたそうよ」
「わかった。あとは家の子だけだな」
そんな会話をしているとは知らず、俺は急いで二人を呼びに来た。
「母さん、父さん車の準備が出来たって。早く行くよ」
「車?そんなの誰が」
「梨花さんと、鈴木さんだよ」
「残ってる人がいるのね...」
「分かった。お前は先に行っていなさい」
父さんはいつになく真面目な顔で俺に指示を出した。その顔をみて、父さんが何を考えているのか容易に想像できた。
そして俺は分かっていながらも『絶対来てよ』そう言い残し部屋を去った。
「遅くなってごめん、父さん達は後から来るって」
「そ、それって...えっと」
メイドさんがなにかを言いづらそうにしている。ああ、分かってるよ...言わなくても。あの2人はこない、そんな感じはしていた。
「いいんだ、出して」
鈴木さんはなにも言わず車を出した。俺の気持ちを察してくれたらしい。何かをこらえながら黙っている二人、その目には涙が浮かんでいた。
車を走らせ始めて数十分といったところか。鈴木さんは悲しげに口を開いた。
「こんなことを言うのは不本意ですが、仕方がない様ですな。また会えるのなら私はきっとまた貴方の側でこうしているでしょう」
「私は今日会ったばかりだけど、もっと一緒に居たかったし、料理もしたかったな」
「な、なんだよ二人ともそんなこと急に」
「外をみてください」
そう言われ、戸惑いながらも外をみた。そこにはハッキリと分かる程近くにミサイルがあった。手を伸ばせば届きそうなほどに近くに。
そういうことか、もう間に合わないんだな。それを知って二人は言葉をくれた。なら俺もせめて伝えられるうちに、言っておこう。
「二人ともありがとう。絶対また会おう」
次の瞬間、熱と風が俺たちを襲った。その先なにがおこったのかは俺には分からない。
俺はこの家があまり好きではない。人は金持ちを見て『いいなー。あんな家に産まれたかった』と軽々しく言うが、いいことなんてあまりないのである。
驕った金持ちの意見ととられてしまい兼ねないが、それでも思ってしまうのだ。金持ちだからこそ求められる立ち居振る舞い、それに対する周りからの評価。両親はそればかりを気にし、金持ちとしての威厳を保とうとする。
その様が嫌で厭でたまらないのである。けれど、俺に対してはとても優しく、普段とはまるで別人のように感じるほどだ。その優しさをもっと他のところにも向けてほしいと常々言っているのだが、こればっかりは全く効果がみられない。強くいってしまおうと思うこともあったが、両親のつ温かさから何も言えなくなってしまう。
こんな日を繰り返し続けていていいんだろうかと頭を抱えた。
「何とかしたいよな」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、徐に部屋の扉を開けた。
高校二年生となった年の夏。数日前にやめてしまった人の代わりに、新しい使用人が一人家にやってきた。
比較的小柄で、肩のあたりまで髪が伸びた優しそうな顔立ちの女性だ。
「今日からお世話になります」
そういって女性は俺の母である智恵子に頭を垂れる。それに対し冷淡な態度で軽く挨拶を返し、にこりともせず、そして話すこともなく仕事の指示を出した。
「まずは掃除をお願い」
その様子を上から見ていると、それに気づいた母さんの表情は一変した。その変わりようは女性を驚かせるほどだ。
声には感情がこもり、思わず和んでしまいそうになるような笑顔を向けた。まるで女性と話していた時とは別人かのように。
「もう学校に行くのね。気をつけて行ってらっしゃい」
「うん。それで、俺にも紹介してくれるよね」
階段を軽快におりながら俺は言った。自分から教えて欲しいと言わない限り何も教えてくれないと知っているからだ。
「今日から雇うことになった西宮梨花さんよ」
嫌々といった感じではあるが、丁寧な口調で紹介をした。その横では梨花が軽く頭を下げ、驚きのあまり止まっていた足を動かして仕事にかかった。
「ありがとう母さん。帰ってきてから改めて挨拶させてもらうよ」
いつもギリギリに家を出るため、ゆっくりと話している時間がない。だから今は名前だけを聞き、早々に家を出た。
扉の先では、昔から何かと面倒をみてくれていた鈴木さんが庭の手入れをしていた。
首にかけたタオルで汗をぬぐいながら黙々と新しい土に替え、種を植える。もう七十歳が近い鈴木が自ら買って出た仕事だが、あまり無理をしてほしくないと思っている。
年寄りの趣味のようなものだから気にしないでほしいと楽しげに作業を続けてはいたが、どうしても心配になってしまう。
だから、今日も一言声をかける。
「鈴木さん、無理だけはしないでね」
「はい。気をつけて行ってきてください」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、再び仕事に取り掛かった。
俺は自転車に乗り、行ってきますと言って出発した。
遅刻しないよう階段を駆け上がった所為で乱れた呼吸を整えて教室の扉を開けると、聞き馴染みのある声が教室の中心から聞こえてきた。
「まあまあな時間だな」
「健にしては早いほうじゃない?」
数少ない友人である悠斗と隆志が、何故か腕相撲をしながら俺に恒例の挨拶をしてきた。
遊びとは思えないほどの必死さに呆れつつ、二人のもとに向かい問いかける。
「今日は何があったんだ」
「今日は飯を食いに行くって話だったろ。なのに隆志がゲームセンターに行きたいって」
「で、俺が勝ったらゲームセンターに行くことになったんだ」
「もちろん健は飯のほうがいいだろ」
そう言われて少し考えた。今日来た使用人、梨花さんのことだ。今日は帰って挨拶をしようと思っていたのだが、そういえば先週そんな約束していたな。
「悪い、俺はパスで頼む」
申し訳ないという気持ちを込めて言うと、悠斗の動きが止まった。隆志は容赦なく力を入れ、悠斗の手を机に叩きつけた。
かなり痛いはずだが、手の痛みより驚きのほうが先行していた。まさに、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしながら口を開いた。
「理由を聞いてもいいか」
「新しい人が家に来たんだ。ちょっと気になるし、早く帰ろうと思ってね」
理由を聞いた途端に真顔になったかと思えば、わずか数秒で完璧な笑顔になった。
「そういうことか。じゃあまた今度な」
机に叩きつけられた手をパッパと横に振り、逆の手で隆志の肩を叩いた。
「今日は二人でゲームセンターに行くぞ」
「おう」
家のことを知りながら普通に接してくれる上に、こういった用があるときは嫌な顔一つ見せず気を使ってくれる。
少し変わったところがあるやつらだが、当たり前に学校生活をおくれているのは二人のおかげといえるだろう。
だから俺は深く頭を下げる。別に良いよと二人が笑顔で言うと、チャイムの音が学校中に響き渡った。これはまずいと、俺たちは急ぎ足で自分の席に向かった。
特にこれといったイベントなどはなく、いつも通りの時間が過ぎた。空は薄っすらとオレンジに色づき、暖かい風が教室を吹き抜ける。
「それじゃあ、また明日な」
悠斗が隆志の手を引き、流れるように教室を出た。少し大きめの声でまた明日と返し、机に広がった教科書をカバンに詰め始めた。
「スーパーによって帰るか」
趣味である料理の材料を買うべく、スーパーによることにした。せっかくだから梨花さんに料理をふるまってあげよう。そんなことを考えながら教室を後にした。
学校から十五分、家から十分に位置するスーパーにやってくると、見覚えのある人が野菜コーナーを歩いていた。俺はゆっくりと気づかれないように近づき、驚かせようとした。しかし、あと数歩のところで目が合った。
「健さん、どうしてここに」
驚くというよりか疑問に思っているといった顔をして首をかしげる。なぜこんなこんなところにいるのかという疑問と、何をしているのかという疑問も含まれているようだ。
「今日は俺が食事を作ろうかなと思ってここに来たんですよ。そしたら梨花さんがいたから声をかけようとしたしだいです」
ふむふむと納得したようにうなずき、手に持っているかごに目を向けた。中には合いびき肉とパン粉、それと玉ねぎが入っていた。まだ材料選びの途中なのだろうが、ハンバーグを作るつもりなのだろう。
かごの中を見た梨花さんは、とても可愛らしい表情を浮かべていった。
「一緒に作りませんか?」
「見たところ母に頼まれたんですよね。俺の方は思いつきなので何も伝えてないですし、邪魔にならないように今日は......」
いくら料理が趣味とは言っても、使用人をやっている梨花には勝てないし邪魔になるだろう。
そこを懸念している俺は、首を縦に振ることができなかった。
「そんなこと気にしなくていいんです。私は今日来たばかりですが、ほかの人も迷惑なんて言わないのでしょ?」
確かに俺が料理をしようとするとみんな快く手伝ってくれるし、なにより梨花自身が大丈夫だと言っているのだからいいのだろう。
「そうですね。じゃあお願いします」
今日来たばかりなのに自分の所為で評価が下がってしまわないようにしなければ、強くそう思った。
「そうだ。俺に丁寧なしゃべり方はしなくてもいいですよ。年上の人が年下にするような事じゃないですから。何より、雇ってるのは俺じゃないですし」
雇い主である母さんに対して使うのはおかしくないが、自分に対しても丁寧にしゃべる必要はないと考えた。年下に丁寧な口調を使う場合もあるかもしれないが、高校生である俺には違和感でしかない。
先輩が後輩に敬語を使うことなんてないのだから。
「で、ですが鈴木さんは...」
梨花の口から出た言葉は予想通りのものだった。予想していたからこそ、返しはもう決まっている。
「鈴木さんはこれがいいんですって言って丁寧にしゃべってくれてるだけです。個人的には砕けてもらったほうが嬉しいです。もしこのことで母さんか何か言うようなら俺が言い聞かせますよ。今までもそうしてきましたから」
これは絶対だという意思のこもった眼でうったえると、諦めたようにうなずきカートを押し始めた。
「健君もそこまでかしこまらなくていいからね」
「そ、そうですね」
その後しばらく料理の話をして、一緒に家まで帰った。
家につき、梨花とは一旦別れて家に入ることになった。一緒に帰ってもいい気がするが、避けれるなら面倒ごとは避けたいという梨花の意見を受け入れることにしたからだ。
彼女が裏の使用人が使う扉から入るのを確認して、俺は家に入った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ぱっと家に入ると、そこには母さんが立っていた。
おそらくいつもより少し遅い帰りで心配していたんだろう。昔何度かこの光景を見たことがある気がする。
...それとなく確認する様に俺は言う。
「遅くなってごめん」
「今日は少し遅かったのね」
「うん、材料を買ってたんだ」
「そうなのね。でも今日は...」
「邪魔にならないように手伝おうと思ってね。それと、朝言った梨花さんえの挨拶を兼ねようかなと」
母さんは小声で『そう』と言うとリビングへと向かった。俺は部屋に行き、床に荷物置いて台所に走った。
梨花さんたちと作った料理は特に失敗をすることもなく完成した。
「今日のはまた美味い。なぁ、母さん」
「そうね、おいしいわよ。健の優しさを感じるわ」
「良かった。上手く出来て」
協力して作った料理は成功した様だ。俺も食べているのだが、一人で作る時よりいい出来だと思う。
「将来お前は料理をしているんだろうな」
「そうだと良いな」
...こんな風な生活が続けば良いのに、そう思った。だが、まさかあんな形で終わるなんて思わなかった。誰も望まなかった終わり方、ただ未練だけが残る終わり。生活が変われば良い、確かにそう思ったことはあるし、今もそう思ってる。
しかし、人生そのものを変えて欲しいと思ったことは無い。
この日の夜、まさに青天の霹靂だと誰もが思う出来事が起こった。
——俺が住んでいる街に鉄が落ちた——
食事を終えた俺は母さん達とテレビを観ていた。
すると、突然携帯が大きな音をたてる。
「なんだこの音は!」
今までに聞いたことのない警報の様な音。画面を見てみると、至急避難の文字が目に映る。
「臨時ニュースです。上野町にミサイルが接近しているとのことです!繰り返します、誤って発射されたミサイルが上野町に接近しているとのこと!」
どういうことだ、ミサイルが向かっている?
そんなことがあって良いのか?
「そんな、どうして」
「落ち着け母さん!」
焦る母さんを落ち着かせようと、肩を優しくつかむ父さん。
これはのんびりしている暇はなさそうだ。
「母さん、父さん。俺は使用人の人達に伝えてくるよ!」
返事を待たずにみんなが寝ている部屋へと走った。おそらく、使用人の人達は気づいていないだろう。あの部屋は周りの音を極力遮断する様につくられている。最低限使用人を気遣った設計が仇となっていた。
「みんな大変だ、この街にミサイルが向かっているらしい」
その言葉と同時に、半分パニックになりながら走って外へと出る使用人達。そして庭にある使用人が使う車に乗り込んだ。
数分経った頃、部屋からは二人を除き誰も居なくなった。
「二人はなんでいかないの。急がないと...」
「一緒に生きましょう」
「私はそんな車があるなんて知りませんでした」
全く、棒読みすぎて突っ込む気も起きない。まあ、そんな時間はないが。
仕方のない人達だ。梨花さんに限っては今日知り合ったばかりなのに。
「じゃあ急ごう」
二人は車の方へと向かい、いつでもいける様に準備をしに行ってくれた。
その頃、母さんと父さんは。
「他の使用人達は逃げたそうよ」
「わかった。あとは家の子だけだな」
そんな会話をしているとは知らず、俺は急いで二人を呼びに来た。
「母さん、父さん車の準備が出来たって。早く行くよ」
「車?そんなの誰が」
「梨花さんと、鈴木さんだよ」
「残ってる人がいるのね...」
「分かった。お前は先に行っていなさい」
父さんはいつになく真面目な顔で俺に指示を出した。その顔をみて、父さんが何を考えているのか容易に想像できた。
そして俺は分かっていながらも『絶対来てよ』そう言い残し部屋を去った。
「遅くなってごめん、父さん達は後から来るって」
「そ、それって...えっと」
メイドさんがなにかを言いづらそうにしている。ああ、分かってるよ...言わなくても。あの2人はこない、そんな感じはしていた。
「いいんだ、出して」
鈴木さんはなにも言わず車を出した。俺の気持ちを察してくれたらしい。何かをこらえながら黙っている二人、その目には涙が浮かんでいた。
車を走らせ始めて数十分といったところか。鈴木さんは悲しげに口を開いた。
「こんなことを言うのは不本意ですが、仕方がない様ですな。また会えるのなら私はきっとまた貴方の側でこうしているでしょう」
「私は今日会ったばかりだけど、もっと一緒に居たかったし、料理もしたかったな」
「な、なんだよ二人ともそんなこと急に」
「外をみてください」
そう言われ、戸惑いながらも外をみた。そこにはハッキリと分かる程近くにミサイルがあった。手を伸ばせば届きそうなほどに近くに。
そういうことか、もう間に合わないんだな。それを知って二人は言葉をくれた。なら俺もせめて伝えられるうちに、言っておこう。
「二人ともありがとう。絶対また会おう」
次の瞬間、熱と風が俺たちを襲った。その先なにがおこったのかは俺には分からない。
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