紫煙のショーティ

うー

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里帰り

第一話

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 ──魔帝城最上階、アイリスの寝室──

 白いシーツを濡らす彼女の心は今にも壊れそうでした。逆に良く今まで気丈に振る舞えていました。最期の言葉すら交わせず、彼女は一人の親友を失ったのですから。
 魔帝城に着いた彼女は血塗れで、東方大陸がどうなったかは定かではありませんが、友を殺した土地の住人がどうなったかなど、想像に難くありません。
 そしてこの寝室に入るなり、倒れるように眠ってしまっているのですから、どれほど彼女が心にダメージを負ったかなんて計り知れません。
 ドラクル、強く良い方でした。彼女の亡骸は土葬にしましたが、皆涙を流していました。かく言う私も、その一人でした。
「……ドラクル……ミア……マリア……オスカル……皆……」
 私の手を幼い子供のように握り締めて、寝ているアイリスの手に、力が加えられます。大丈夫ですよ、私達はここに居ますから、今は安心してお眠りなさい。
 寝室から出ると、スーレが心配するようにこちらを見下ろしており、私はアイリスを見守ってあげてください、と彼女に伝えた。
 長い階段を降りていく最中、私は私の中で思考していました。三人の私は私に意見をする。
 私、今はアイリスの回復を待つべきでしょう。
 何を言っているのですか私、アイリスが目覚めない今、代わりに南方大陸を攻めるべきですね。
 いやいや、自身の「夢」を叶えてみてはどうですか?
 論外です。
 論外ですね。
 全く、面倒事はいつも私に押し付けてくるのですから、アイリスには困ったものです。少し前まではまだ私が必要だったくせに、それでももう必要ないですね、と思い始めていたというのですが、やはりまだまだ私が必要なのですね。
「可愛らしいじゃありませんか、そんな彼女の為に一肌も二肌も脱いであげましょう、と感じているのですから」
 私は私達だけで意見を出してしまったら収拾が付かなくなってしまいます、特に三人目の私は物騒なんです。全く。

 アイリスが眠りについてから三日が経とうとしていましたが、ふと月が笑う夜中に目を覚ましました。真っ暗な魔帝城は、名に相応しい姿とも言えるでしょう。
 私は火の魔法で淡い光を作り出し、廊下を歩いていました。そして玉座の間に、引き寄せられるかのようには入っていったのです。
「……やぁ、久しぶりだね」
「アイリ……お母様ですね」
 闇の中で玉座に一つの赤い点が浮かんでいました。煙草を燻らせるアイリス、いえお母様がワイングラスを片手に、こちらをじっと見据えて笑みを浮かべていました。
「ドラクルが死んだそうだね」
「えぇ、惜しい人を亡くしました」
 そうだね、と微かに口の中に含むとワイングラスを私に見せてきて、飲む? と首を傾げた。
 頂きます、とあまり好きでは無いはずのアルコールではありますが、この人のお酒は気兼ねなく頂けます。
「……美味しいでしょ、昔ね、あの子が唯一美味しいって言ったワインなんだ」
「ドラクルが……っ」
 その言葉を聞いた時、私は抑えていたはずの涙が、滝のように溢れ出ている事に気付きました。自分では気付いていないものの、やはり一人の友を失った悲しみは私の中にも大きかったようです。
「辛いよね、君は自分をセーブしている節があるけど、もっと感情的になってもいいんだよ。泣きたい時は思いっ切り泣けばいいのさ」
 お母様に抱き締められて、私は彼女の胸の中で泣き続けました。彼女にはどうにも弱くなってしまいます、無意識に母性というものを、求めてしまっているのかもしれませんね。
 数分間泣き続けた私の顔はクシャクシャになっており、そんな私を優しく本当のお母様のような温もりで抱擁してくれてました。
 朧気なお母様の記憶を探し出し、もしお母様が居たらこんな風なのでしょうね、と心の中で思いました。
「落ち着いたかな」
「はい、みっともない姿をお見せしてしまいましたね」
「ふふ、構わないよ……さて、次は南方大陸に攻めるようだけど、その指揮は君に任せる事になりそうだ」
 やはり、そうなりましたか、と目をゴシゴシと擦りながら、私は彼女から離れて身を正した。
「アイリスのダメージがね、想像以上なんだ」
「やはり……ドラクルの事が……」
「そうだね、後はこれからの事さ。また誰かが死んでしまうんじゃないかって、深い沼に落ちていきそうだよ」
「……安心してください、とは言えません……死は平等に訪れるものですからね。だからと言って易々と死を受け入れるつもりはありませんよ、私も、ミアも、オスカルも」
 ふふ、と笑うお母様は残ったワインを飲み干した。

 ──南方大陸、ハルワイブ王国城下町──

 栄光などいずれは廃れていくもの、誰かの言葉かは忘れましたが、盛者必衰とはよく言ったものです。
 かつて栄華を極めたハルワイブの城下町も、今では見る影もありません。
「こりゃまたひでぇですな」
「えぇ、本当に……」
 私とオスカルは城下町の大通りを歩いていました。既にハルワイブ王国の国章を掲げておらず、帝国の国章が国を覆い尽くしていました。
 ですが、怒りや屈辱などは覚えません。確かにここは私達の故郷にも近い場所ですが、アイリスを人間として生きる事を止めさせ、バルトロマイを殺したこの国を私達は許せません。
 だからこそ、南方大陸の制圧の足がかりをこの国に選んだのです。海に面したこの国は海路での運輸に適しており、国土も広いので色々と使えますし、存分に活用させてもらうとしましょうか。
「私達はこの国では顔を見せられないのを承知しておいてくださいよ、面倒事は嫌ですからね」
「分かってます分かってます、うちの奴らにも徹底させておきますが、マリアさんならともかく、俺はまだ自由が利きますんで、どっかいってほしいところがあるんだったら言ってくださいよ」
「……そうですね、貴方方は少しの間待機をお願いします、私は少し行かなければならない所があるので」
 そう言って私はオスカルを宿に帰らせると、とある場所に向かいました。
 城下町の外れにある整備のされていない集団墓地、そこに眠るのは殆どが罪人であり、極刑などにされた者が捨てられるように埋められる場所です。
 私がここに来た理由、それは────
「……私は貴方に会いたいんですよ……バルトロマイ」
 許されないでしょう、もしかしたら軽蔑されるかもしれません。彼ほど死に真面目な人は知りませんので。
 私は持参したスコップを手に持ち、極刑にされた者が纏めて埋められる箇所を掘り始めました。
 数時間、既に土まみれの汗まみれになった私は不審者以外の何者でもなく、集団墓地に汗だくの泥々女が一心不乱に地面を掘り進めるその光景は、一種の怪談話にもなりかねませんがね。
 そして、ようやく土に還りかけている彼を掘り当てた時には、既に日が完全に落ちていました。
 彼の死体を穴から引き摺り上げて、彼を中心に魔術式を描きました。ミエリドラでは生きた屍状態でしたが、今の私ならば三日ぐらいなら生き返らせる事が出来るでしょう。
 死者の蘇生、いえ死者の再生といった方が正しいのかもしれませんが、失われた体の機能を魔力によって無理矢理動かす、という事です。
 しかし、首と胴体が離れてしまっているのでまずそこを治さなくてはいけません。私は予め用意していた裁縫針を使い、バルトロマイの首の皮と胴体の皮を縫合しました。自分では上手くいくと思います。この時点で私は正常では無かったのでしょう。
 下準備は終わりました。後は魔術を発動させるだけです。覚悟を決め、私は魔術式に手を置きました。目を瞑り魔術式に魔力を巡らせ、禁忌を犯しました。
 鈍く光る魔術式、その中央で破損した部位を治していくバルトロマイの体。まだ安心してはいけません。
 数分後、魔術式の光が消えて私は魔力を使い切ったかのように、その場に座り込んでしまいました。
「……バルトロマイ……」
 彼の方を見ました。ムクリと立ち上がりゆらゆらとこちらに歩いてきていたのです。まるであの屍のように。
「失敗……?」
 やはり人には神の真似事なんて不釣り合いだったのでしょうか、今の私にあの屍から逃げる体力も、殺す魔力も残ってはいません、こんな所で死んでしまうのですね。存外、死ぬ時はあっさり死んでしまうのでしょうか。
 けれど、何処か嬉しさを感じる自分も居ることは確かですね。殺される相手がバルトロマイですから。
 目を瞑り死を覚悟しました。しかし、彼は私の目の前で立ち止まりました。そして──
「お前こんなとこで何してんだ」
「バルト……ロマイ」
「久しぶりだな、マリア」
 頭を撫でてきました。まるであの頃のように、何も変わらない彼の手が、とても温かく、とても優しく、とても懐かしい武骨な手。
「あぁ……あぁ……バルトロマイ!」
 私は年甲斐も無く、迷子が親に再び会えたような雰囲気で、バルトロマイに抱き着いてしまいました。
 まだ再生したての体が馴染んでいないのか、バルトロマイは私を受け止めながら地面に倒れてしまいました。
「おいおい、ったく……それで、俺の体はどれくらい持つんだ? 蘇生、ってわけじゃねぇんだろう?」
「……はい、三日ほどでしょうね」
「短ぇな……」
 やりたい事、話したい事、伝えたい事、沢山あると言うのにたった三日では足りなさすぎます。それにこの魔術は同じ対象には一度しか使えないのです。期限が過ぎれば、彼の体は跡形もなくなってしまうのですから。
「……バルトロマイ、私は貴方にしてもらいたい事があるんですよ」
「言ってみろ」
「この国を落とす手伝いをしてください」
「ほう……ほほう……面白ぇ、話を続けろ」
 私は私達が現在行っていることを話しました。アイリスがあの後、人ではなくなり世界に対して喧嘩を売ったことや、その目的、ハルワイブ王国を拠点にする事を。
 話を聞いて彼は笑みを浮かべました。まずはアイリスに関してでした。自身の娘がすげぇことしてんのな、と誇らしげでした。オスカルといい感じであるということを知って、今すぐにでも殺しに行きそうな雰囲気でしたがね。
「……まぁ、この国をただ落とすという事は簡単だ。ぶっ壊せばいいだけだからな? だが、使うなら話は別だ、聞く限りじゃぁ今は帝国が支配しているそうじゃねぇか、それなら帝国を追い出すしかねぇわなぁ……」
「この広大な土地を易々と手放すほど、帝国も愚かではありませんが」
 バルトロマイが悪巧みをしている時の顔は昔から変わっていません。余程好きなのでしょうね、策を弄するのが、ね。
「帝国を追い出した後も大変だぞ? なんせ世界の敵である魔帝だか魔王だかが次の支配者になるんだからなぁ、北方大陸ほど厳しい環境じゃねぇから生半可な飴じゃぁ逆効果になっちまう」
「かと言って過度な鞭もダメ、人間とはワガママですねぇ……」
「統治するなら虐殺、強奪の類は一切しない方がいいのは当たり前だがな」
 考えれば考えるほど解決策が、ハルワイブ王国の国民を一切傷付けず、帝国の兵士だけを倒し、帝国をこの国から追い出す、というのが理想だというのが分かりますね。
 そして、それが難しいのは誰よりも私とバルトロマイが理解出来ています。なんせ何年もの間、ハルワイブ王国を守ってきたのですから。
 特に城、篭城戦になるでしょうが、あそこには数ヶ月分の食糧の貯蓄もあり、そして城壁には魔術式が描かれており、外敵からの魔法による攻撃を無効化する防壁が発動するように出来ているんですよ、私の傑作ですね。最悪ですよ。
 ですがまぁ──守り方を知っているということは、攻め方も知っているということなんですがね────
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