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我が名はドラクル
第三話
しおりを挟む「血が止まらぬ……リン……死ぬな!」
赤黒い液体が指の隙間から溢れ出し、幾ら強く抑えようともそれは勢いよく流れ出ている。
彼女の小さな体は、徐々に人としての機能を止めていく。待て、死ぬな、止まれ、何故だ。何故我には彼女を救う事が出来ぬのだ、これが運命というのか? これが彼女の一生だというのか? 何故だ──何故、我はこんなにも無力なのだ────
「……お姉ちゃん」
「っ──夢、か」
目を開くとそこには、心配そうにこちらを見つめるリンの可愛らしい顔が、すぐそこにあった。どうやらうなされていたらしい、体は汗に塗れて服はびっしょりと濡れていた。
「……不愉快な夢だ」
「お姉ちゃん大丈夫? 何処か痛いの?」
大丈夫だ、とリンの頭を撫でながら我は上半身を起き上がらせた。眠りが浅かったのか、少し気だるい。
あれから一週間が経ったが、オスカルからは未だに連絡が無い。何やら動いているらしいが詳しい事は分からない。故にこうやってここでオスカルからの連絡を待ち続けるしかないのだ。まぁ、リンと過ごせるのはいい事だがな。
「二人共ご飯よ、早く席に座りなさい」
先に起きていたマティルダが外に出て、三人分の食事を買ってきてくれたようだ。肉や野菜をパンに挟んだものと、じゃがいもを蒸し、その上にとろけたチーズが乗せられたものなのだが、朝から結構な量だ。
汗を布で拭きながら、我はベッドの隣にある椅子に腰掛けた。リンは我の膝の上だ。
「全く、どれだけ懐いてるのよ」
「リン、口にチーズが付いているぞ」
「お姉ちゃんというか、お母さんね」
お母さん、その単語を耳にしたリンは俯くと目尻に涙を貯めた。
「……お母さんに会いたいよ……」
「……むぅ……」
こればかりはどうにも出来ない。我は無言でリンの体を抱いた。何も言わず、否、何も言えなかったのだ。
何も知りはしないが十中八九、リンの両親はこの場には居ないのだろう。捨てられたのか、死んでしまったのか、リンが独りだという事がそのどちらかを証明していた。
そう考えると我はリンに対して残酷な事をしているのではないかと、ふと頭をよぎる。我等が去った後、彼女は再び独りになってしまう。
「リン、お前さえ良ければ──」
我等と共に行かぬか? と言葉にしようとした瞬間巨大な爆発音が鳴り、それと共に地響きが起きた。咄嗟にリンを抱き締めて地面に伏しながら、マティルダに何が起きたかを確認するように目配せした。
「お姉ちゃん怖いよっ……!」
「大丈夫だ、我が居るではないか」
「大変よ」
戻ってきたマティルダの報告は耳を疑うものだった。同盟関係だったはずの帝国が、ザルモガンドのここ貧民街を攻撃しているのだ。
一体何が起こっているのだ? 帝国による裏切り、か? それともアイリスや我等、魔帝軍の存在がバレてしまったのか、いずれにせよここに長居をするのは危険だ。
「……こんな時にも同族で争い合うか、劣等種め……マティルダ! 道を切り開く! 貴様はリンを死守し、我の……我の姿を見させないでくれ」
「……了解」
我はリンをマティルダに預けると、服を脱ぎ燃え盛る屋外へと身を投じた。
逃げ惑う貧民、それを追い立てるように空から降りかかる魔法の雨、だがそこに貧民街を救おうとするザルモガンドの兵士は居なかった。代わりに帝国の兵士が暴れ回っていた。同盟の為に駐留していた兵士だろう。我を貧民街の住民だと思っているのか、容赦無く襲いかかってくる。だがたかが兵卒である彼らに、いくら攻撃されようと鱗に覆われた我が肉体に、傷など付けられるはずがなかった。
「なんだこいつ! 剣が通らねぇ!」
「たかが女一人だ! 囲んでやっちまえ!」
哀れな帝国兵、彼らの言葉通り我を囲むが彼らが動く事は無かった。
一人の亜人種が出てきたからだ、虎の頭を持つ亜人種だ。見たところ指揮官クラスなようだ。
「……嬢ちゃん何者だ」
「しがない旅人だ」
「嘘はいけねぇなぁ、俺の本能が囁いてんだ……嬢ちゃんがとんでもねぇ強者だってな」
「……同盟関係だったはずの帝国が、何故この王国を攻撃しているのだ」
我は指揮官なら聞かされているであろう、この見せしめのような虐殺の真意を、目の前の亜人種に問いかけた。
一瞬だけ険しい顔となり、すぐにはその問いには答えなかった。
「……ザルモガンド王国が帝国と軍事同盟を結んでいるにも関わらず、いつの間にか魔帝と不可侵条約を締結させ、早々に中立を宣言したからだ」
「なるほど……読めてきたぞ、さしずめこの虐殺は見せしめか」
苦虫を噛み潰したように、眉間にシワを寄せる亜人種は無言で剣を構えた。この亜人種はこの攻撃に反対のようだが、軍の一人である限り命令は絶対、避けられぬ事のようだ。
「俺の名はティーゲル、嬢ちゃんは」
「ドラクルだ」
「例のドラゴンかぁ、こりゃぁちと俺だけじゃ力不足だ」
そう自嘲気味に笑みを浮かべるものの、周りの兵士が動く様子は一切なく、ティーゲルも彼らに手を貸すように言うことは無かった。
「おらぁぁ!!」
見た目通りの野獣のような声を上げ、踏み込むティーゲルの斬撃は思った以上に素早く、その靱やかな筋肉から放たれる一撃もまた強力だった。
横への一閃をしたと思えば、すぐに手を回し斜めに斬り下し、そして逆袈裟に斬り上げてきた。勿論我にとっては大したダメージにはならないが、全身を覆う鱗が剥がれてゆくほどの衝撃だ。
「流石ドラゴン様だ! これならどうだぁ!」
自身の攻撃がほとんど意味を為していないというのにも関わらず、強者と戦うのが楽しいのだろう彼は、更に攻撃の手を激しくしていった。それも先程よりも強く勇ましくだ。
「ぐっ!?」
そんな声が自分から出た事に驚きを隠せなかった。そう、所詮は劣等種と思っていた亜人の攻撃に、我はたじろいでしまった。そうか、面白い。
「……ふふ、ははは! 認めよう、貴様が我に匹敵する者だと、我と対等に交えられる者だと、な」
ティーゲルから少し離れて拳を構えた。足に力を込め、地面が窪むほどの踏み込みを行いながらティーゲルへと真っ直ぐ拳を突き出した。
拳はティーゲルの頭のすぐ横を過ぎていき、奥の建物が拳圧によって崩れてしまった。
「そう簡単に死んでくれるなよ!」
腕を引き、すぐに上段蹴りを放つがそれをしゃがみ躱すティーゲルは、ヒットアンドアウェイへと戦法を変えたようで、伸びた足に対して軽く斬りつけると我から距離を取り、また剣を構えた。
「見かけによらず、身軽なのだな」
「そちらさんは見かけによらずかなりおっかねぇ威力だがな」
我が再び攻撃を仕掛けようとしたその時、一人の少女の声が聞こえてきた。姉を呼ぶ声、その声が知らぬ者から発せられたモノだとしたら、我は放っておいた。だがその声はリンの声なのだ。
「マティルダお姉ちゃん!! お姉ちゃん!!」
「ティーゲル、この勝負の決着はお預けだ」
「……行くなら早くしな、もうすぐ帝国の本隊が乗り込んでくるからな」
やはり乗り気ではないのだろうティーゲルは剣を納め、我が行く事を許容した。
すまぬ、と口には出さなかったが目でそう言いつつ、我はリンの声が聞こえる内に、その声の方向に走り出した。
我が目にしたのは、今まさに帝国の兵士に襲われているマティルダと、そんなマティルダの腕の中に抱かれて、必死に守られているリンの姿だった。
マティルダは確かにそこら辺の有象無象よりかは強い、だが所詮は魔法を使えぬ人間であり、集団で襲われ凌げなかったのだろう。
我はその光景を見て、リンの目の前でドラゴンの姿にはなるまいと抑えていたが、どうやらそれは無理なようだった。
「貴様ら……魂まで食い尽くしてやる」
久しぶりのドラゴンの姿は、周囲に居る者からの恐怖の視線を感じる。これでリンとはお別れ、か──
「わぁぁ!! お姉ちゃん!! すごぉい!」
逃げ惑う兵士達を無視し、リンはマティルダの腕から抜け出すと、我の足に飛び付き硬い脚の鱗に頬擦りをした。
「お、おい、危険だぞ」
「おっきいトカゲさんだ!」
「ふっ……全く、リンは相変わらず──」
我が指でリンの頭を撫でようとしたその時、身体の中でも分厚く堅牢であるはずの背中から、何か巨大な槍のように鋭利な物が、我の腹から突き出していた。
何が起きたのか、一体何が我を襲ったのか、それを知るにはどうやら遅すぎたようだ。
気付けば我の身体にはその槍が幾つも突き刺さり、これが我を殺す為に造られたものであるのは、瞬時に理解出来た。
ゆらりゆらりと揺れる自身の巨躯を振り向かせ、槍が飛んできた方向に目をやると、そこにはザルモガンド王国の城下町を囲う城壁の上に設置された、それを飛ばす巨大な兵器が並んでいた。
まだ何も成していないというのに、まだリンと話したい事が山ほどあるというのに、こんな所で、こんな所で死んでしまうというのか?
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」
「ふふ……はっ、そうか……我は、死ぬのだな」
もはやこの傷では満足に飛ぶことすら叶わず、我は槍を引き抜きつつ、人の姿へと戻した。
幾つもの風穴が、我の身体に空いておりそれを必死に抑えて止血しようとするリンとマティルダ。
「血が止まらないよ……お姉ちゃん! 死んじゃやだ!」
「リン──もういい──この身は助からぬ」
目も霞んできたか、既にリンの顔すら朧気だ。
我は最期の力を振り絞り、リンに最期の願いを伝えた。
「我が──力を──継いでくれぬか──」
「うっぐっ……ち、ちから?」
「そうだ──我はリンを守りたいのだ──だか、ら──我が残滓をもって、リンを守りたいのだ──」
我が身は絶える。だが我が力は受け継がれる。そう出来るように、五百年前に我がただの獣であった時に、アイリスの仲間になる際にそう願い、彼女はそれを受け入れ作り替えたのだ、我を。
「──我を使ってくれ──リンを守るために──リンが生きるために──リンが──幸せになれるように」
「うっ……分かった……分かったよお姉ちゃん……」
すまぬな、そんな短い言葉すら出すことが不可能な程に、我の身体の機能は死んでいた。あぁ、そうか──あの夢は我の──
思い残すは、アイリスだ。アイリスには別れの言葉すら言えなんだ、それだけが──それだけが心残り──だな。
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